緋弾のアリアドス 作:くものこ
上野公園。今日は7月7日、七夕だ。朝にこの世界にいるかどうかわからないジラーチに願い事をした俺は、夕方、そこに来ていた。
公園内はたくさんの人で賑わっている。なるほど、たしかに警備の練習にはうってつけかもしれない。
俺の視界に映るところでは、アリアとキンジが何かのやり取りをしている。キンジは普段通りの防弾制服だが、アリアは浴衣だ。ピンクと赤を基調としたトサキント柄の浴衣。髪色とよくあっている。
アリアは顔を真っ赤にして、対するキンジは何だか照れているかのように見える。端から見れば明らかにリア充である。本人たちにその気はないのかもしれないが。
でも良かった。あの日以来、アリアがキンジに一切話しかけないし、無視までしていたのだ。説得しきれていなかったのか心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。
さて、どうして俺は2人の様子を見ているのか。それは数日前に遡る。
カジノ警備をすることが決まった。この警備の仕事は、武偵の間では腕が落ちる仕事として疎まれている。なぜならば、実際に何かが起きることなんてそうそうないからだ。
でも、武偵たる者悲観論で備え、楽観論で行動するべきである。
そこで、俺は秘伝の薬をもらうために沙那に連絡を入れたのだが——
『すみません、糸丸さん。最近体調がすぐれなくて、秘伝の薬を作れないんです』
「えっ? 風邪でも引いたのか?」
『いえ。反動です』
「反動?」
『最近破壊光線を撃ちすぎたために身体に悪影響が生じたものと思われます。たぶん再び秘伝の薬を作れるようになるのは7月末に』
ブチッ
俺は電話を切った。ダメだ、秘伝の薬は使えない。ということは、今度の仕事はサイキネなしでやらないとダメか。
「まあ何とかなるか」
今回は俺1人ではないし。アリアにキンジ、莉央もやるわけだから。たぶん大丈夫だろう。
携帯をしまおうとしたら、それが震えた。誰かからボイスメッセージが届いたらしい。
俺はそれを再生する。
『……芦長君、私はしばらく寝るから……その間、キンジとアリアの見張りはお願い……ふわぁ……』
欠伸混じりのメッセージ。カナさんからだろう。しかし見張りって。俺は少し前にそのせいで一時期キンジに避けられたんだぞ。
しかもしばらくってどれくらいの期間なんだ。数時間? 1日? 数日? まさか一週間にも及ぶのか?
まあいずれにせよ、俺は従うのだろう。だって殺されたくはないし。
そんなわけだ。
ただ、俺は1人ではない。だって周囲がカップルだらけなのに俺だけ1人とか浮くだろ? それに1人でこんなところにいたら、キンジたちに見つかった時の言い訳ができない。
というわけで待ち合わせの約束をしているのだが——あっ、来た来た。
「お待たせしました」
現れたのは狙撃銃を分解して収納していると思われるケースを背負ったレキ。彼女に会うのは鍋パ以来だろうか。
どうして彼女なのか。これには消去法的な理由がある。
まず男子。男は騒がしいからダメだ。俺は一応アリアとキンジの尾行という名目があるわけだから、うるさい人はダメ。
次に莉央。あれもダメだ。まずうるさいし、それに俺は通報されたくはない。
それから明日香。彼女もダメだ。だって何をされるかわからない。
沙那も考えたが、個人的恨みにより選択肢から消させてもらった。反動があるんだもんな。
残った俺が誘えるような知人はエムとレキなわけだが、エムは現在、新しい道具の製作で忙しいとのこと。
結果、残ったのはレキだけだったというわけ。
「じゃあ行きますか」
「はい」
俺らはキンジたちの後を追うように祭りの会場へと向かっていく。
それにしても、カップルが多いな。これは俺たちも周りから見たらそう見えているのだろうか?
しかしみんなは浴衣姿だ。俺らは防弾制服。うん、カップルというよりは武偵が仕事終わりにフラッと遊びに来たみたいな感じだな。
「何か食べたいものはあるか? 少しくらいなら奢るけど」
「いえ。特には」
「喉乾いたら教えろよ?」
「今は大丈夫です」
特に何もせずにただ並んで歩く俺ら。一方、俺らの前方を歩くアリアとキンジはわたあめを買っていた。
「お前も食べるか?」
「結構です」
なんかさっきから断られてばっかりだ。俺の財布のことを気遣ってくれているのだろうか?
「遠慮しなくてもいいんだぞ?」
「いえ。そういう気分ではないので——良くない風が吹いていますから」
「良くない風?」
「はい。熱く、乾いた、喩えようもなく邪悪な風を」
おいおい。もしそれが本当なら、とんでもないことが起きそうじゃないか。
レキの言っていることは、意外とバカにできない。アドシアードの時だって……あれ? でも、俺が狙撃競技に出る必要って本当にあったのか? なかったような気が……。
混雑する道を、人を掻き分けて進む。あれからアリアはたこ焼き、りんご飴、チョコバナナなど、目に映る全ての食べ物を食べていった。
太るんじゃないか、と心配になってきた頃。
「では糸丸さん。あれをやりましょう」
レキから話しかけてきた。珍しいこともあるもんだ。
「どれだ?」
レキが指差したもの。それは射的だった。
「あれをやるの? お前がやったらチートにならないか?」
こくり。レキは頷いた。
「いや、自覚しているのなら自重しろよ」
しかしレキは俺を無視して射的屋へと向かう——が、戻ってきた。あれ、もしかして自重する気になった?
「代金払ってもらえますか?」
違った。金の要求だった。
まあそれ自体は構わんのだが。俺には大金が入る予定があるし。
「ほら」
とりあえず百円を渡す。とことこと射的屋へと向かうレキ。彼女は何を狙うのか気になった俺は、それについていくと——
カロリーメイト。それが数箱分まとまったやつが置いてあった。それですか……。
レキは背中のケースを下ろすと、その中から狙撃銃を取り出して……って!
「いや、レキさん⁉︎ 射的は店の銃でやるものだからね⁉︎」
「……」
感情のこもっていない目で俺を見るレキ。なんか『うるさいな』と言われているようだ。いや、あの。だからお願いしますと言いますか、何と言いますか。
しばらくして、レキはケースを肩にかけ直す。良かった。
店員に百円を渡すと、銃を受け取る。もちろん、実弾なんて出ない銃な。コルク弾を撃ち出すだけ。
それを
「——私は1発の銃弾——」
いつも通りの言葉を暗誦したレキは——パンッ!
撃った。コルク弾はまっすぐに飛び、そしてビシッ!
目標を落とした。えっ、1発?
店長さんもぽかんと口を開けたまま固まっている。だってあのカロリーメイトの箱を20個くらい束ねたんだよ? それを一発って……。
「では次に行きましょう」
狙撃銃を台座に置いたレキは落としたカロリーメイトの束を拾うと(それを俺が受け取った。荷物持ちらしい)そう言った。店長は安堵の息を吐く。うん、良かったね。このままレキが全ての商品を狙ったら破産するよ。
俺らは元の道に戻る。が、やはりというか、アリアとキンジを見失ってしまった。
参ったな。2人を見失ったんじゃ、俺はもうここにいる理由がないのだが。
「どうする、レキ。かえ——」
どん。どどん。
その時、真っ暗な夜空に花火が打ち上がった。周囲からは歓声が上がる。色とりどりの綺麗な花火。
「そういえば、レキは花火見るの初めてだったっけ」
「はい」
「どうだ? 綺麗だと思うだろ?」
「金属の炎色反応を使っているんですね」
「あ、うん。たしかそうだったような」
「あれは黄色ですのでナトリウムですか?」
「えっと……そう、なのか?」
そんないちいち覚えてないって。たしか一般科目の化学の授業で覚えろと言われた気もするが。
「でももうすっかり花火の季節なんだなぁ」
よく耳をすませば、色々な虫の音が聞こえてくる。スズムシとか、セミとか。あっ、足元にセミの抜け殻が落ちてる。拾っておこう。もしかしたら綺麗な抜け殻的な効果が期待できるかもしれない。
夏を感じている間に、花火は終わってしまった。いや、一時的な休憩なのかもしれないが。
「帰るか」
「はい」
俺はレキを女子寮まで送り届けた。荷物持ちもやらされていたからな。
カロリーメイトを持って彼女の部屋に上がる。やはりそこは殺風景なままだった。
「糸丸さん。一つ頼んでもいいですか?」
「どうした?」
「コンビニに行って魚肉ソーセージを買ってきてください」
「魚肉ソーセージ? カロリーメイトの次はそれに目覚めたのか?」
「ハイマキの餌です」
「ハイマキ?」
「犬の名前です」
ああ、あいつか。あのコーカサスハクギンオオカミ。
「って、犬? 狼だろ?」
「犬です。武偵犬ですから」
「いやだってどこからどう見てもあれはおお——」
「犬です」
きっぱりと言われてしまった。まあいいけどさ。ちゃんと手懐けてあるのなら他の人にも被害は出ないだろうし。
「でもハイマキって? どんな由来で?」
「ウルスの言葉で"白"という意味です。ウルスでは白は幸運の色とされています」
つまりあれか。ピカチュウにピカと名付けるくらい、ウルスでは一般的な名前という認識でいいのか?
「ではお願いします」
レキは窓際に移動すると、いつかのように狙撃銃のスコープを覗き始めた。まさかとは思うが……。
「なあ、またキンジの部屋を見てるのか?」
「……」
レキは何も答えない。仕事に集中なさっているようで。
はあ。ここに突っ立っていてもしょうがない。買いに行ってやるか、魚肉ソーセージ。
俺が魚肉ソーセージを購入して帰ってくると、レキの部屋の前では1人の男が狼に襲われていた。
「や、やめろ! お前、あの時の狼か!」
レキの狼、ハイマキが男のポケットから出ているレオポンのストラップに噛み付いていた。あのストラップを携帯につけている男子なんてそうそういないだろうな。
「どうかしたのか、キンジ」
「糸丸⁉︎」
やっぱりキンジだった。
「祭りから帰ってきたのか?」
「ああ。それより助けてくれないか?」
「なんで女子寮に?」
「少しこの部屋の住人に用があってな。てか早く助けてくれないか?」
そこまで言われたのならしょうがない。
俺はコンビニのレジ袋から魚肉ソーセージを一本取り出すと、通路に投げる。ハイマキはすぐにそれに飛びかかった。サファリの応用だ。獣はエサを与えればそれを食べるのに集中する。
「ありがとう、助かった。ところで糸丸。お前こそどうして女子寮なんかに?」
「お前が用があるって人にパシられたんだよ」
俺はインターホンを押す。すると、すぐにドアが開いた。中からヘッドホンをつけたレキが現れる。
「レキの部屋だったのか」
「レキ、キンジがお前に用があるらしいぞ」
レキは俺を一瞥し、キンジを一瞥する。
「……ハイマキ、おいで」
レキは部屋の中へと戻っていった。
「あっ、おい! レキ!」
追うようにしてキンジが部屋の中へと入っていく。俺も魚肉ソーセージをまだ持ったままなので、再び上がらせてもらう。
中ではレキがカロリーメイトを食べていた。相変わらずそれしか食べないのな。
そのレキにキンジが尋問を開始する。
「レキ」
「はい」
「お前、さっき俺の部屋を見てただろ」
「はい」
やっぱり。てか、どうして俺が聞いたときには答えてくれなかったんだ。
「そういうの、ノゾキって言うんだぞ。何を見たのか知らないが、全部忘れろ」
「はい」
「何を見たんだ?」
「星伽さんがM——」
「なっ、レキ! 忘れろって!」
「……すみません、糸丸さん。忘れてしまいました」
おお。一、二の……ポカン! で忘れちゃったのな。いや、そんな簡単に忘れられるか。覚えてるだろ、絶対。
「話はそれだけですか?」
「あっ、ああ。もう帰る」
キンジはそう言うと部屋を出ていった。何があったかは知らないが、星伽さんがやらかしたらしい。くぅ、もうキンジの部屋にカメラを仕掛けていないのが悔やまれるぜ。
「糸丸さん、魚肉ソーセージはそこにしまっておいてください」
レキに支持された通り、カロリーメイトがたくさん入っている戸棚に魚肉ソーセージをしまう。
「ありがとうございました。代金は明日、口座に振り込んでおきます。それと、帰るときはそちらの電気を消してください」
「消す? どうして?」
俺が問いかけると、レキは部屋の壁に背を向けて座った。体育座りで。防弾制服の短いスカートなのにも関わらず、だ。
俺が目を逸らすと、レキのいる部屋の電気がぱちん、と消えた。
「寝るからです」
「寝る? その姿勢で?」
「はい」
レキは目を閉じ、ヘッドホンを外す。
「もしかして、いつもそうして寝てるのか?」
こくり。レキが頷いた。
すごいな。たしかに狙撃手はどんな悪環境でも数時間、場合によっては数日間耐えなければならない。その訓練としての意味合いや、いざという時にすぐに動けるようにする意味があるのだろうが、ストイックを超えてるぞ。
いや、他人からしてみれば、不眠の俺もすごいのかもしれないが。
寝るのなら邪魔してはいけないだろう。そう思った俺は、急いで部屋を出ることにする。
「糸丸さん」
が、レキに呼び止められた。
「カジノの警備をするそうですね」
おうおう、情報が回ってるな。まあ、レキならアリアから直接聞いたのかもしれないけど。
「そうだけど?」
「では、私も参加します」
「アリアに伝えとくよ」
俺が決定権を持っているわけではないしな。でも、何で? レキが単位不足とは思えんが。
ぱちん。俺はレキに頼まれたように部屋の電気を消すと、玄関から出る。オートロック式なので、鍵は勝手にかかる。
「今日はありがとうございました」
出る瞬間、そう聞こえた。俺は振り向く。
「レキ?」
「……」
部屋の中からは何も返ってこない。空耳か。