緋弾のアリアドス 作:くものこ
女子寮の一階まで降りると、キンジが待っていた。
「糸丸。カジノ警備の際に着る服が届いたから、渡したい」
「ああ、分かった」
2人で並んで男子寮へと帰る。思えば、キンジと2人だけっていうのはあまりなかったような気がする。キンジの周りにはいつも誰かしら女子がいるからな。
「そうだ。さっきレキもカジノ警備をやりたいって言ってたぞ」
「レキが? あいつも単位が不足しているのか?」
「してないだろ」
「だよな」
レキは狙撃科のSランク武偵。いわゆる天才というやつだ。そんな彼女が単位不足になるわけがない。
「じゃあ何でだ?」
そういえば、祭りでは風がどうたらこうたら言ってたな。
「何だっけ、たしか喩えようもなく邪悪な風が吹いているとか言ってた」
「何だそれ? 武偵高そのものが邪だろ……。まあいいんじゃないか、レキも入れて」
「狙撃科のSランク武偵が参加してくれるとなると、心強いよな」
「でもどうせ何も起こらねえよ」
「キンジ、それフラグ」
キンジの家の玄関先(中は見せてくれなかった)で段ボール箱を受け取ると、俺は一つ下の階の自室へと戻った。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ」
やっぱりロングスカートの方のメイド服を着た明日香が出迎えてくれた。
「お持ちしましょうか?」
「いいよ。力仕事は男の仕事だろ」
「あら、男前なのね」
「あれ?」
俺が段ボール箱を運んだリビング。そこには、黒いミミロップみたいな格好——つまり、バニーガールの格好をしたアリアがいた。人の家のリビングでももまんを頬張っている。
「何してんの?」
「避難してきたのよ。白雪がM60なんて持ち出すから——」
「M60? それって禁止されてなかったか?」
「そうよ! それを平然とぶっ放してくるのよ?」
M60とは、
さすがヤンデレ。いい加減、キンジも彼女の好意に気づかないものか。俺も明日は我が身とならないように……あっ、病むほど俺のことが好きな人なんていないか。
「で、その格好は?」
「カジノ警備の時に着る服よ。あんたにも送られてきたでしょ。それを試着しているときに、白雪が帰ってきたのよ。そしたらよく分からない勘違いをして襲ってくるのよ? 命からがら逃げ出してきたわ」
「ご愁傷様」
俺は段ボール箱を開ける作業をする。中に入っていたのは、莉央用のバニーガールの服と俺用のスーツ。一応どちらも防弾繊維で作られているようだ。安物だけど。
「それを着るのですか?」
「あ、明日香」
いつのまにか俺の背後に立っていた明日香が尋ねる。
「そうだけど……。そういえば、アリアは追い払わないんだな」
この間、莉央の時はあれだけやらかしてくれたのに。前にアリアが泣きながら来た時もそうだったんだが、明日香はアリアに対しては友好的である。
「はい。彼女は敵にはなりえませんから」
「敵? 何の話?」
「あんたは知らなくていいわよ、糸丸」
「冷たいな、アリア」
「うるさいわね。……はぁ。せっかくキンジといい感じだったのに……」
どうやら夏祭りデートはいい雰囲気だったようである。特に何事も問題が起きなかったようで、何よりだ。
でも敵じゃないってどういう意味なんだろう。
俺はアリアと明日香を見比べてみる。2人の違うところとなると——胸か。明日香は大きいわけではないが、歳相応に膨らんだ形のいいそれ。いわゆる美乳ってやつ。一方のアリアは断崖絶壁……あれ? あるよ?
俺は思わず二度見する。ある。少しではあるが、たしかに目に見えてある。と、よく見るとバニーガールの服の隙間から白いものが見えた。
「あっ、パッ——ぐおっ⁉︎」
真相に気付いた俺に、アリアの跳び蹴りが炸裂する。
「あんたも同じことでバカにするのね⁉︎ キンジといい、糸丸といい、ヘンタイばっか!」
「痛え……」
今だに痛む腹をさすりながら、俺は明日香が作ってくれた夕食(今日はマルゲリータだった。ここのキッチンの設備で一体どう製作したんだ?)を食べている。この腹痛の原因のお転婆さんは現在、人の家のシャワーを浴びているところ。帰らないのかよ。
「戦妹さんにはカジノ警備のこと、連絡したんですか?」
俺が受け取った服にご丁寧にアイロンをかけながら、明日香が聞いてきた。
「あっ、そういえばしてなかったな」
俺は一気にピザを口に突っ込むと、携帯で電話をかける。ワンコールもしないうちに、莉央は出た。
『先輩! 今から逢いたいんですね! 分かりました、すぐに支度を』
「いや、違うから。唐突なんだけど、お前のためにカジノ警備の仕事を——あ、明日香⁉︎ おい、今電、あうっ!」
なぜかいきなり明日香が足裏のマッサージをし始めた。気持ちいいけど、電話に集中できないだろ!
『先輩? どうしたんですか?』
「いや、ちょっとな。いっ! 明日香、今はやめろって!」
「ここがいいんですか?」
「いや、だから後にし、うっ⁉︎」
『……先輩?』
通話相手の莉央の声が震え始めた。何かどんなものかは知らないが、変な誤解を与えている気がする。
「莉央、ごめん。えっとだな、んむっ! 明日香!」
『……何してるんですか、先輩』
「いや、これは、はうっ!」
「気持ちいいんですね」
「いや、たしかに気持ちいいけど、時と場合をだな!」
『……先輩。私、カジノ警備は遠慮しておきます』
「えっ? 何で?」
『バカッ!』
プツッ。電話が切れた。すると、明日香が俺の顔を覗き込む。
「どうでしたか? 気持ちよかったですよね?」
「そうだけどさ。TPOを考えろよ。俺は電話をしてたんだ。通話中の人の足つぼマッサージとか、嫌がらせかよ。おかげで莉央にはなぜだか知らんが怒られたし。カジノ警備やらないとか言い出したし」
「何か問題でも?」
「大有りだろ! 衣装まで送られてきているんだぞ? それをドタキャンって……」
「では、私が責任を取ります」
「はい?」
「私が責任をとって、小さい子の代わりにカジノ警備をやります」
「いや、待て。お前、攻撃ができなかったよな? 警備なんてできないだろ」
「でも、私がハンググライダーと入れ替われば戦力増強にはなるはずですが」
それはそうなんだが。たしかにピラミディオン台場は海に隣接していたはず。もし仮に襲撃されたとしたら、犯人の逃走ルートとして真っ先に考えられるだろう。
そう考えると、明日香を連れて行くのは悪くはないんだが……。
「服は着れるのか? このバニーガールの服、莉央のサイズに合わせてあると思うんだが?」
「試してみましょう」
すると、突然明日香はメイド服を脱ぎ始めようとする。
「いや、待て! 何してんだよ! 着替えるのなら自分の部屋に行け!」
「どうしてです? 私は気にしませんよ」
「俺が気にするから!」
「では、向こうを向いていてください。そうすれば、問題ないでしょう?」
「えっと、でもせっかくお前の部屋を与えたんだし……」
「3秒後に着替え始めます。3……2……1」
「わかった、わかったから!」
俺は慌てて反対側を向いた。すぐにシュルリと布が床に落ちる音がした。明日香め、本気で着替え始めたぞ⁉︎
てことは、今の明日香は下着姿……? この窓に映ったりはしないのだろうか……は⁉︎ だ、ダメだ! 何を考えているんだ、俺は。まさしく変態じゃないか!
その後も、衣服が擦れる音だけが聞こえる。やばい、想像力が足りすぎていてまずい事態になりそうだ。
目を閉じ、自己暗示をかける。俺は特性防音持ち、俺は特性防音持ち、俺は特性防音持ち……。
「着替えました」
数十秒が経っただろうか? 思ったよりも早く着替えが終わった。
俺が振り向くと——うっ。ピチピチのバニーさんがいた。もともと莉央用であったために、明日香の身体には本当にギリギリのサイズらしい。おかげで露出された胸元と形のいい胸がすごい強調されている。目に毒だ。
どうやら俺は毒タイプなのに、この毒には耐性がないらしい。急に心拍数が上がってきた。俺は彼女から目を逸らす。
「着替え、覗きませんでしたね」
「当たり前だろッ!」
まったく。相変わらずこいつには節操がないな。もう少しお淑やかになってほしいものだ。
「感想を述べてもらっても?」
「はあ? まあ、可愛い、とは思うぞ」
「さっきから私のことを見ていないのによく感想が述べられますね」
「それは……」
恐る恐る明日香のいる方へと目を向ける——と、俺の目の前に大胆に開いた胸元が。
「ばっ! バカ! 近づきすぎだ!」
「ほら、よく見てください。アリアさんとは違ってパットは入れてませんよ?」
「お前な! 抵抗できないくせに、こんなことするんじゃない! 過去にやられたことがあるのか? それで感覚がおかしくなったんじゃないか?」
「それは——」
急に顔を曇らせた明日香。やっぱり、そういうことをされた経験があるのか……?
「まったく覚えていないんです」
「覚えていない?」
「襲われたことはあります。でも、襲われている最中の記憶がないんです。襲われた、と思った瞬間から記憶がフッと消えて、気づけばその場にいたのは自分だけなんです。何が起きたのか、まったく分からないんです」
気絶する、ということなのだろうか? まあ、この際記憶がない理由はどうでもいい。
「とにかくだな、男にそういうことをホイホイやるのはやめろ。もっと自分を大事にしてくれ」
「でも既成事実を作る必要があるんです」
「き、既成事実⁉︎ 何を言ってんだよ、明日香!」
「この間は、追い出さないと言ってくれましたよね。でも、いつ気が変わるかはわからない。だから既成事実を作って、いつまでもそばに置いてもらえるようにしたいんです。私を安心させてください」
「間違ってる。間違ってるよ、明日香」
「だとしても。そもそも私は契約にもあるように所有物ですから。好きなだけ、好きなようにしてください」
お前はモノじゃないだろうに。人だろう。
「じゃあ、お願いです……せめてキスだけでも……」
明日香がゆっくりと俺の顔に自分の顔を近づける。どうする、糸丸さんよ。彼女が満足するのなら、するのか?
いや、ダメだろ。やっぱり本人が好きでもない男とキスをするなんて。
でも。明日香のような美少女が俺を求めてる。健全な男子高校生としては、断れない……。どうする。どうするんだよ、俺!
睫毛の一本一本が数えられるくらい、明日香の顔が近づいた。あと少しで、二人の唇が重なる——
「あああああんたたち⁉︎ なななななな何してんのよ!」
「アリア⁉︎」
シャワーを浴びたアリアが俺らを見ていた。その顔が真っ赤なのは、たぶん風呂に入っていたからではないのだろう。
「た、たしかにここは糸丸の寮部屋だけど……で、でも! 客人がいる時くらい、我慢しなさいよ!」
「そ、そうだな。うん」
俺は明日香を遠ざける。助かった。
もしこのまま明日香を受け入れていても。彼女を拒絶しても。どちらにせよ、俺が彼女を傷つけてしまう結果になっただろう。その選択から逃げることができたのだ。
明日香は攻撃できない。つまり、沙那のように『破廉恥です!』なんて言いながら破壊光線を撃つことなんてできないのだから。まあ、それもやめてほしいけど。