緋弾のアリアドス 作:くものこ
「キンイチッ! ああ……キンイチ……」
パトラがカナさん——いや、遠山金一に駆け寄る。
「パ……トラ……」
「喋るでない! 傷が深うなる!」
パトラが金一さんの左胸の銃創に手を当てると、その手が青白く光始める。どうやらパトラは傷を癒す術を持っているらしい。
しかしここにはピラミッドはない。ピラミッドに依存しっぱなしのパトラは、それのせいでうまく力が出ないらしく、なかなか傷は癒えない。
「明日香」
「はい」
俺が名前を呼ぶと、瞬時に明日香が隣に現れ、金一さんのもとへと走っていった。癒しの波動で金一さんの傷を癒すために。
俺もそばに立って、その様子を見守る。
「……芦……長……」
低い声で金一さんが声をもらした。金一さんの手が、震えながらも俺の足を掴む。
「キンジを……キンジを、頼む」
もう一方の手で潜水艦の艦橋を指差す。あの中に、キンジとアリアがいるのか。
ぱたり。金一さんの手が俺の足から離れ、地についた。
「キ、キンイチ! 死ぬでない! やぢゃやぢゃやぢゃ!」
「落ち着いてください、パトラ。息はあります。ちゃんと治療を施せば、問題ありません」
ぐすん、と涙ぐみながら金一さんの治癒をする魔女さん。その様子を見て俺が抱いた感想は——
「マジでカナさん、男だった……」
艦橋の側面の梯子をよじ登り、開け放たれていた扉に飛び込む。
中にあった螺旋状の階段を駆け下りると——
劇場のような広大なホール。まるで玄関のように、それが俺を出迎えた。
最下層から最上層までのデッキを取り払って作ったと思われる高い天井。磨き上げられた天然石の床。巨大なシャンデリア。
床には、ガチゴラスのような恐竜の全身骨格標本がずらりと並び、周囲の壁の木製棚にはプロトーガとか、オムナイトなどのポケモンに似た生物をはじめ、ジュゴンやライオン、虎、狼、そして図鑑でしか見たことのないような数多の絶滅種の剥製が並んでいた。
まるで博物館や美術館、もしくは宮殿のようだ。しかもニビやシッポウの博物館、パルファム宮殿なんかよりずっと価値があるのではないか?
「ここがイ・ウー……!」
なんていう規模だ。ここに一人で乗り込もうと考えていた二、三ヶ月前の自分がアホらしく思えてくる。
しかし、ここには誰もいない。イ・ウーのアジトだというのに。普通アジトにはしたっぱどもがウザくなるほど配置されているもんじゃないのか?
と、その時。ホールの壁面に並ぶいくつもの扉のうちの一つが、自動で開いていくのが目に入った。
罠か? いや、迷っている場合ではないな。キンジの身に危険が迫っているかもしれないんだ。
俺はその扉の奥へ、進んでいった。
扉の向こうの螺旋階段を下りると、ラジオハザード——放射性物質に対する注意喚起の——マークが描かれた厚い隔壁があった。
それは俺が来たことを認知したかのように、俺が目の前に立つとひとりでに開いた。
その先にあったものに、俺は唖然とする。
柱のようにそびえ立つ、数本の巨大な物体。
ICBM——大陸間弾道ミサイル。世界のどこからでも発射でき、どこにでも届くミサイル、その上端。
数は8本。
もし、これの弾頭に核が搭載されていたら——冗談抜きで、国が1日で壊滅させられるぞ。
——カツン。
だだっ広い部屋に響く足音。俺は振り返る。
「——やはり君は死ななかった。そう推理していたよ、芦長糸丸君」
そこに立っていた男は。あの時、艦橋に立っていた男で。不可視の銃弾で俺と金一さんを撃った張本人——!
「卓越した推理は、予知に近づいていく。僕はそれを"
「あんたは——!」
「君も知っているようだね。いや、傲慢ではないんだ。しかし僕という男はあらゆるメディアで取り上げられていてね。されど、やはり自分で名乗りたいものなのだ。だから、こう名乗ることを許してくれ。
——初めまして。僕はシャーロック・ホームズだ」
シャーロック・ホームズ。イ・ウーの教授、トップに君臨する者。原点にして頂点とでも呼ぼうか?
目の前にして、その雰囲気に気圧される。圧倒的なカリスマ性というものを感じる。この男の前では、誰もがひれ伏してしまいそうな、そんな格の違いを。
チャンピオンに対峙するチャレンジャーの心情ってこんな感じなのだろうか?
「君が"げんきのかたまり"を用いて生き返るというのは推測できたよ。うちの構成員の実君がまるで惚れ薬でも入手したかのように、『これで彼は私のもの……!』と意気揚々と出て行ってたからね。でも、実君には君には勝てないことも推理できていた。彼女はどこか上の空だったから」
「変な奴もいるもんだ。俺と白井が対戦して、俺が勝つと思うとか」
「カナ君……いや、金一君もいたからね。実君は金一君に一度負けている。ピラミディオン台場でね」
つまり、あの時現れた黒いコートを着た男ってカナさん、すなわち金一さんのことだったのか? 理子の言っていたことは間違いではなかったわけだ。
「君に関しては謎が多い。いや、君だけではない。実に多くの者が僕にとって未知。君らは推理の妨げになりうる」
俺ら元ポケモン組のことだろうな。たしかに、この世界の住人にとっては不可解な出来事だろう。こいつのいう推理とやらの障害なんだろう。
「しかし君たちには共通点がある。この世界に先祖がない。そして通常の人にはあり得ない遺伝子を持つ。そうだね?」
「へえ。知ってるのか?」
「実君を含めて、イ・ウーにも何人かのそういう人が出入りしていたからね。実に面白い研究テーマになりそうだよ。
でも、残念なことに今の僕は"緋色の研究"とその経過を見守るのに手一杯なんだ。君のことは研究できないよ」
シャーロックが残念そうに肩をすくめる。緋色の研究。名前からして緋弾と関係がありそうだ。
「キンジとアリアはどこだ?」
「二人なら今、同士討ちしているところだよ」
「同士討ち……? ああ、そういうことか。あんたがアリアをけしかけたんだろ?」
チッチッチ。そう言いながらシャーロックは指を振った。
「言葉が悪いよ。僕はただ、アリア君に僕という存在を心理的に乗り越えて欲しいんだ。きっとそうなるよ。君のおかげでね」
こいつ、気付いていたのか。俺がアリアの拳銃に仕掛けたトラップに。
俺はアリアがシャーロックに従うのではと思って、銃にある仕掛けをしておいた。銃身にあるものを入れておいたのだ。
「君の持っていたアリア君の武器をアリア君本人に渡す時、僅かながらに重さが違ったよ。ヒステリアモードのキンジ君は女の子に手荒なことをできないから、これで五分五分なんじゃないかな?」
「つまり二人は引き分けると?」
「そう。そして、きっと僕を斃しにくるだろう。それが僕の予知した未来だ」
シャーロックは俺に背を向けると、蓄音機をアンプに繋げる。
「ここまで来た君に教えてあげよう。今までの戦いはすべて、キンジ君とアリア君が奏でる協奏曲の序曲に過ぎない。でも、その旋律に不協和音を混じえようとする人も中にはいてね」
「それが俺らのような存在だって?」
「端的に言えばそうだ。でも全員ではない。君やその仲間なんかね。武偵として随分頑張っているそうじゃないか。そこでだ。僕は君たちに、キンジ君とアリア君の演奏を邪魔させないように守って欲しいんだ」
「私欲だな。あんたがなってほしい世界にするために動けってことだろ?」
「しかしこれはとても大切なことでもある。世界のバランスを保つためにも。緋色の研究の研究対象、それは——」
シャーロックがポケットから取り出したのは、薔薇のように真っ赤な銃弾。おそらく——
「緋弾。いや、弾の形とは限らない。要は日本で緋々色金と呼ばれる金属なのだから。この色金は、あらゆる超能力がまるで児戯のように思えるような、至大なる超常の力を人間に与える物質。いわば、超常世界の核物質なのだよ」
「核物質……?」
「これさえあれば、時空をも超えられる。比喩じゃないよ。現に僕はこの後、3年前のアリア君にこれを撃ち込むのだから」
「撃ち込む? アリアに?」
「そうすれば緋弾の継承が完結する。見事、アリア君は緋弾のアリアとなれるのだよ」
わけがわからない。時空を超える? 緋弾を継承? アリアが?
「その片鱗はもう見たはずだよ。パトラとの戦いでね」
あの指先から光を飛ばし、ピラミッドの上部を吹き飛ばした現象のことか? あれが緋弾の力……?
「緋弾は保持者の肉体的な成長や退化を遅らせる。おかげで僕はこの年まで生きている。こうしてずっと、緋弾を受け継ぐのに適正な子がホームズ家に生まれるのを待っていたんだ。アリア君は今までホームズ家の欠陥品と言われてきた。子供っぽくて、人とうまく噛み合わずに。でも、これでもうそんな心配はない。緋弾を得て、キンジ君というパートナーと出会い、アリア君は僕すら超えるかもしれないね」
つまり、シャーロックは今までずっと、このイ・ウーで緋弾を与えるのに相応しい人間が現れるのを待っていたということか?
しかも。こいつがイ・ウーの教授、トップで。それで今まで理子、ジャンヌ、ブラド、パトラと順にイ・ウーのメンバーをぶつけてきたのはアリアを成長させるためだったってことか?
それって、それって……!
「気にくわないな、そういうの。厳選っていうんだぜ?」
「厳選?」
「ああ、そうだ。希望通りの個体値を持つ奴が生まれるまでずっと待つ行為。厳選そのものじゃないか。しかもご丁寧に努力値まで与えちゃって。そんな生命を粗末に扱うような行為のどこが素晴らしいんだよ。意味わかんねえよ!
別に厳選することが悪いとは言わない。品種改良して人に都合のいい作物を作ったり、将来有望なスポーツ選手を国家的に育てたりするのも同じようなことだからな。
でもな! やっぱり嫌なんだよ! そんな生まれで優劣を決められるのは! 嫌なんだよ、俺は!」
一瞬、ぽかんとした表情で俺を見たシャーロック。しかしすぐに、腹を抱えて笑い出す。
「何笑ってんだよ」
「いや、すまない。やっぱり僕の推理は正しかったようだ!」
「推理?」
「そう。厳選。個体値。努力値。それらの言葉を使う君は、"ポケットモンスター"というゲームやそれを題材としたメディアミックス作品に何かしら関係を持つ。しかもそれらを嫌うということは、俗にいう不遇ポケモンと呼ばれる奴かな?」
「だったらなんだっていうんだ」
「実君から色々と聞いた話から仮説を立てたんだ。非人道的組織によって幼い頃から戦闘訓練を受けたのではないか? ポケモンをモデルとして。いや、少し違うかな? 特殊な遺伝子があったから、デザインベイビーか何かかな? うん、そうすれば君たちに親や祖先というものが存在しないのにも理由がつくね」
一人で勝手に推理を披露し、勝手に納得しているシャーロック。たしかに現実的に考えれば、その推理は正しいというか最も現実味のある解答ではある。俺もこれからそういう風に通していこうか、と思うくらいには。
でも、それはあれだ。この世界の常識とか理屈とか、そういうものを前提に推理がなされている。いや、だからこそ推理なのだが。
しかしそれでは結論には絶対にたどり着かない。現実という前置きに囚われていては、答えは見えなくなる。
だから言わせてもらうぞ、シャーロック。元ポケモンの俺には、お前に対する敬意なんてないからなッ!
「シャーロック、たしかにあんたの推理力はすごいよ。でもな——想像力が全ッッッッ然、足りてねぇ! もっと視野を広げてみろ! 異次元の世界、平行世界、未来。緋弾で時空を超えられるだって? そんなことができる奴がそういったことの可能性すら見れないとは驚きだよ」
「なるほど。君はこの僕らの住む世界とは違う時間軸、空間軸から来たということなのかい? ——それは実に面白いね。つまり君のいた世界にはそういう時空を超える技術が確立している、そういうことだ。その世界から来た君を調べれば、色々と分かるかもしれないね」
「じゃあどうする? 解剖でもしてみるか?」
「それは困るね。さっきも言った通り、君には緋弾の奏でる曲を守るためにね」
一息ついたシャーロックは、改めて俺に向き直る。
「では、緋弾の講義は終わりにしよう。時間もない。唐突で申し訳ないが、予習を始めようか」