緋弾のアリアドス 作:くものこ
クロマが去った後。俺が注文した黒豆入りのガーリックパスタの黒豆をフォークで潰していると、エムが立ち上がった。
「では私は先に銀閣寺に行きます」
エムはジャロにそう伝えると、俺とフィアには目もくれずに店から出ていった。彼女はクロマが去って以降、一言も喋らなかった。
「なあ、ジャロ。エムはどうして不機嫌なんだ?」
「それは君とレタスが一緒にいるからだろう?」
「レタスって言わないで!」
ぷくぅ、と頬を膨らませながらフィアがレタスとベーコンのペペロンチーノを食べている。共食いか?
「いや、それはわかってる。でもなんで俺とフィアが一緒だとエムは怒るんだ? 奥田なら実際にフィアに攻撃されたが、エムはそういうわけじゃないだろ?」
「……君は本当に無知だね」
はぁ、とアンニュイな溜息をつくジャロ。悪かったな、無知で。
「それで? どうして?」
「君とフィアが付き合っているのが気にくわないんだろう?」
「付き合って? いや、付き合ってないぞ」
「同棲しているじゃないか。同じだよ」
「それはフィアに無理やり脅されてだな」
「あ! あなた、そんなこと言うんですか? 私は一度も強制したことはないですよ?」
嘘つけ。出会い頭にいきなり深緑刃を見せつけてきたじゃないか。
「ジャロ、お前も気をつけろよ? フィアにみどりのプレートを盗られても知らないからな?」
「君が守ってくれよ」
「しょうがないなー。守ってやるよ」
俺はジャロの肩をポンと叩く。
「い、糸丸君! 気安く触れないでくれたまえ!」
なぜか少し慌てたジャロが俺から距離をとる。えっ? 俺って嫌われてるの?
食後、俺とフィアは京都の着物店に来ていた。格安で着付け体験ができるらしく、フィアが是非ともやりたいと言い出したのだ。
しかし格安といえど、俺の財布にはなかなかの重い一撃。フィアは2人で着物を着たいと言っていたが、フィアだけ着付けすることになった。
俺はフィアが出てくるのを着物店の前のベンチに座って待っている。
この後は三十三間堂に行く予定だ。ジャロが車輌科の武藤に聞いた情報によると、そこは武偵高生徒が少ないらしい。
確かにここは人目を避けたいところである。ジャロにさっき言われたのだが、いつ俺が後ろから刺されてもおかしくないらしい。全くもって意味がわからんが。
「ごめんなさい。待たせてしまって」
その時、後ろから声がした。一瞬だけ、刺されるかと身構えてしまったが、フィアの声だ。刺されたりしないだろう。
俺が振り向くと——
「似合ってますか……?」
枯草色の長着に藍色の帯。花の模様も何もなくただの無地なのだがそこが落ち着いた雰囲気を出していていい。
普段はそのまま下ろしている萌黄色のセミロングの髪を盛って、かんざしを刺しているフィアが少し恥ずかしそうにはにかんでいた。いつもは撥ねている前髪も、髪留めでサイドに留めている。
普段は無邪気な笑顔を振りまいているフィアが、すごい大人っぽく見えた。でも、やはりフィアはフィア。可愛らしさがある。
「だ、ダメでしたか?」
何も喋らない俺を見て、フィアが不安そうにそう言った。どうやら俺があまりよく思わなかったと受け取ったらしい。
その逆だ。
「いや、可愛い……よく似合ってると思う」
「ほ、本当ですか……!」
「あ、ああ」
嬉しそうに笑い、赤い鼻緒の下駄をカタカタ鳴らしながらフィアが近寄ってきた。
その時、フィアが慣れない下駄を履いていることもあって足が縺れ、俺の方へと倒れてきた。
「あっ!」
「フィア!」
倒れてきたフィアを支える。おはなのおこうのような香りが少し漂った。
「ご、ごめんなさい」
「いや、俺は大丈夫。それよりフィアは大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます」
俺の腕の中にいるフィアが、俺を見上げた。はにかんだ上目遣いのフィアと目が合い——
「い、いや。気にするなよ」
俺は少し気恥ずかしさを感じたので、目をそらす。
そこに目ざとく気付いたフィアが俺を揶揄うようにさらに身を寄せてきた。
「あっ、照れましたね?」
「そりゃ照れるだろ。だって可愛いんだから」
「えっ」
「『えっ』ってなんだよ。さっきも言っただろ、可愛いって」
「で、でも。あれってお世辞なんじゃ……」
「はあ? そんなわけないだろ。俺は自分の素直な感想を述べただけ……フィア?」
押し黙ってしまったフィアが気になり、視線を戻す。頬を赤らめたフィアと目が合った。すると今度はフィアが目を逸らした。
「だ、だって。普通そういう時は可愛くなくても『わー、可愛い!』って言うものでしょう?」
あー。そうか、こいつは義理の姉妹たちに囲まれて育ったのか。そりゃ女だらけの空間で過ごしたら、そう思うかもしれないな。いや、もしそうなら女ってマジ怖いな。
「えっと、なんだ。つまり俺はお世辞で言ったわけじゃない。可愛いよ、フィア」
とりあえず念のため、もしかしたらフィアがまだ信じてないかもしれなかったので、もう一度可愛いと伝えておいた。
すると、フィアはみるみる顔を真っ赤にしていく。お、おい? 火傷でもしたのか? 今日は晴れてるから大丈夫だよな?
「そ、そーだったんですね! なななるほどー」
「フィア? 大丈夫か? 熱でもあるのか?」
フィアの様子がおかしかったので、俺は彼女の熱を測ろうと額に手を伸ばす。
「い、いいえ! 大丈夫です!」
俺の手を無理やり払いのけたフィアは俺から一瞬にして数歩離れる。先程はうまく下駄で歩けなかったくせになんだよ。そこまでして俺から離れたいのか。
「あっ、もうこんな時間!」
腕時計をつけていないにも関わらず、フィアは自分の腕を見てそんなことを言い出す。……本当に大丈夫なのか?
「ねっ、ほら! 行きましょ三十三間堂!」
フィアは今度は俺に近づいて俺の腕を強引に掴むと、バス停の方に引っ張っていく。
フィアの後ろ姿。髪を盛っているから、うなじがはっきりと見える。前も思ったけど、きちんと整えられていて綺麗だ。
「あっ、おい! そんなに急ぐとまた転ぶぞ!」
「その時はまた、あなたが助けてくださいね?」
フィアはどんどん俺を引っ張っていく。その細い腕の見た目からじゃまったく想像できない力。さすがはリーフィアですよ、ほんと。
三十三間堂。ジャロの情報通り、武偵高の生徒はほとんどいないのだが。
中は武器の持ち込み禁止ということで、俺とフィアは武装を係りの人に預ける。その際に見えた武器——ドラグノフ狙撃銃。
どうやらあの2人もここにいるみたいだな。なんだ、ここは隠れたデートスポットか。いや、別に俺とフィアはデートじゃないが。
「ワクワクしますね、あなた!」
走ったためか、さっきからずっと顔が上気しているフィア。少しは落ち着けよ。
「神聖な場所なんだから、もう少しおとなしくしろ」
いざお堂の中に入ってみると——ああ、やっぱりいた。キンジとレキが。
2人は長い廊下の先、千手観音像の前で立ち止まっている。
「キンジ」
「ん? ああ、糸丸か」
少し含み笑いしているキンジが振り向いた。笑ってんの?
「なんで笑ってるんだ?」
「いや。この千手観音を見てたらさ……いや、なんでもない」
レキをちらりと見てから、キンジが口を噤んだ。ふむ。どうやらレキじゃない別の女のことを考えていたようだな。十中八九、アリアだろうが。
しかし千手観音か。手が複数というと、理子やデスカーンを思い出すな。2人とも正確には髪の毛だが。
そうそう、デスカーン戦では明日香のサポートのおかげで勝てたんだっけ。
明日香。フィアが俺の部屋にやってきて以来、一度も会っていない。元気にしてるだろうか。
「あなた。今、他の女子のこと考えてませんでした?」
「それがどうかしたか?」
「んもう! 今は私とデートしてるんですよ! 他の女子のことなんて考えないでください!」
プンプンと怒ったフィアは、1人廊下を先に進んでいってしまう。別にデートじゃないだろ。
「大変だな、お前も」
キンジが憐れみの目で見てくる。やめろ、別に普段のお前ほどひどい修羅場ではないはず。
最後に俺とフィアは銀閣寺に来た。9月だから、まだ紅葉はほとんどしていない。当たり前か。でもスズねのこみちのような風景を期待していた俺としては少し残念。
落ち着いた色合いの銀閣寺。少し高台になっているところから見下ろすのもまた趣向があるな。
なんて、いつもは考えないようなことを考えていると——
「だーれだ」
誰かに後ろから目を隠された。フィアではない。この声は……
「虻初」
「ピンポーン!」
俺は虻初の手を払うと、後ろを振り向いた。
虻初ルル。香港武偵高からの留学生の1人として武偵高に潜入している悪。いや、タイプがとかの話ではなくてこいつのやっていることが悪そのものだ。ようは悪人。
「プレートはやらないぞ」
俺が身構えると、虻初はクスクスと笑いだした。
「やぁね、ここでは武装解除されてるんだから、戦うわけないじゃない」
言われてみれば。銀閣寺に入る前に武器は全て回収されている。虻初も同じなのだろう。
「って言われて素直に馴れ馴れしくできるかよ!」
俺は虻初から距離を取る。こいつは武器がなくてもサイコカッターを使えるのだ。危険極まりない。
俺はフィアを探すが——見当たらない。
「彼女さんならあそこよ」
虻初が順路の先の方を指す。ああ、いた。いつのまにそこまで進んでいたのか。人も多くて混んでるからな。はぐれてしまったのだろう。
「じゃあ俺は行くから。ついてくるなよ」
俺は順路を進む。すると虻初もついてくる。
「ついてくるなよ」
「だって進行方向はこっちじゃない?」
なるほど。ならば。
俺は立ち止まって銀閣寺を携帯で写真撮影する。これで虻初は先に行くはず……わけないか。うん、やっぱり俺と同じように立ち止まって銀閣寺を眺めている。
「何が目的だ?」
「プレートに決まってるでしょ。それ以外にあなたに魅力なんてある?」
ない。うん、ないな。
「そうだな、ないな」
「……無自覚であれだけを引っ掛けてるの……?」
虻初がよくわからないことを呟いた。何を引っ掛けってるって?
「とにかく。何回も言っているが、渡さないぞ」
「知ってる。だから今回は物々交換をしようかな、なんてね」
虻初がポケットから球を取り出した。萌葱色に輝く丸い玉。宝石のような輝きを放つその玉は眩い。そして——なんとなく嫌な予感のする玉だ。
「これ、最近手に入れたんだけど……はっきり言ってどう使えばいいかわからないのよね。だからあなたのそうね……もうどくの方でいいわ、プレートと交換しましょ」
「しねえよ」
聞いて損だった。そんな明らかに俺が損する交換、なぜしなければならん。
もうこいつと話していても有用な情報は得られなそうだ。さっさとフィアのところに行こう。
俺は踵を返してスタスタと歩き始める。すると——
「待ってよ、イトマル!」
ぎゅっ。虻初が後ろから抱きついてきた。その光景を見て、近くにいた外国人観光客の方がヒューヒューと冷やかしてくる。違う、俺の彼女は虻初なんかじゃない。フィアでもないけど。
そんな冷やかしを受け付けず、虻初は甘い声で俺の耳元に囁く。
「……交換しましょうよ……」
くっ。ゆうわくか。だが、そんな手にのってたまるか。
「やだね」
「お願い」
「無理だ」
「ねえ、イトマル。お願い」
「ダメなものはダメだ」
その時、ぱくっ。耳からぞくっとした感覚が走り出す。虻初が耳を甘噛みしてきたのだ。
「いいでしょ……?」
「だ……」
ダメだ、と言おうとしたが、言葉が出ない。耳がぞわぞわして、それどころではない。
——と、虻初が離れた。なんでだろう、と思ったら、順路を逆行しながらフィアがこっちに向かってきていた。
すると、ポケットに重みが増した。驚いて振り向くと、虻初の手にはさっきの玉はない。どうやらこいつが俺のポケットに入れたようだ。
「それはあげるわ。貸し1ね」
貸しにならないだろ。こういうのを親切の押し売りっていうんだ。くっつきバリを押し付けられても誰も嬉しく思わないのと同じだ。
「あと1つ忠告。京都は寒いわ。それに大阪は行かないほうがいい。明日、すぐに東京に帰りなさい」
「なんで……?」
「理由なんて知らなくていいわ。とにかく帰りなさい。コガネシティなんかに近づいちゃダメ。あなたは私の獲物。修学旅行なんかで死んでもらっては困るのよ」
虻初は急いで順路から逸れた林の中へと入っていく。するとすぐに、フィアが駆けつけてきた。
「あなた。早く行きましょう?」
「ん? あ、ああ」
大阪に行くなと虻初に言われたわけだが……。フィアは行きたいんだっけ、大阪。
しかしわざわいポケモンの忠告である。これは素直に受け入れた方がいいのか。
「フィア」
「なんでしょう」
土産店にて、どれを買おうか悩んでいるフィアに話しかける。
「明日は大阪に行かないで神戸に行こう」
「アサギですか? どうして? 私はコガネがいいんですけど」
やっぱりそうなんだよなぁ。ここは少しずるいかもしれないけど、こう言わせてもらおう。
「妻が夫につべこべ言うな。黙ってついて来い」
「でも……」
「いいから」
「……はい」
フィアが悲しそうな顔をする。悪いことをしてしまったな。
フィアに合わせる顔のない俺は、店内を物色することにした。どこかに売ってないかな、おいしいシッポ。