緋弾のアリアドス 作:くものこ
銀閣寺に行った後のフィアのテンションは低かった。終始元気がなく、俺の言葉にも生返事をするだけ。
そんなに行きたかったのか。それならそうとうひどいことをしたよな、俺は。
でもここでやっぱり大阪に行こう、というわけにもいかない。虻初があれだけ深刻に警告してきたのだ。きっと何か災いがあるのだろう。
俺とフィアは着物店に着物を返しに来た。
「フィアの晴れ着姿もこれで見納めだな」
フィアは何も答えずにただ俯いて何か考え込んでいる。
「フィア。そんなにコガネシティに行きたかったのか?」
「それは……」
フィアが顔を上げた。そのクリクリの茶色い瞳で俺をじっと見つめてくる。
「行きたくはないです。でも、行かないと……」
行きたくない? でも行かないと? どういう意味なんだ……? 行きたくないなら行かなければいいだろ。
「その、本当に私は可愛かったですか?」
着物を返すために、店に入ろうとしたフィア。最後に振り向くと、憂いた表情で俺にそう訊ねてきた。
フィアが可愛いかどうか?
「ああ。当然だろ。よく似合ってたよ、和服」
「お世辞じゃないんですよね?」
「何回言わせるんだ? お世辞じゃなくて、フィアは可愛い」
少しだけにっこりとしたフィアは、店の中へと入っていった。
俺はまたベンチに座る。フィアが出てくるまで、通りを眺めて待とうかな。
すると、俺の隣に誰かが腰を下ろしてきた。
コートに身を包んだ長身の男。ハンチングを目深に被っており、顔は見えない。
こいつ……!
「切里玲ッ!」
「久しぶりだな、芦長糸丸」
男がハンチングを脱いだ。翡翠色の髪。それは沙那と同じ色。
そう、彼こそが切里沙那の兄、切里玲。
「なぜここに!」
「お前と戦うためだ」
玲は俺の方を向くと、俺の背中を指した。
「刀。しかも二刀流。パクリか?」
「違う」
誰がお前の真似なんかするかよ。
「五月のあの日以来だな、お前と会うのは」
俺はいつでも立ち上がれるように身構えながら、玲の話に耳を傾ける。
「アブソルに不覚を取ってから、俺は日々鍛錬を積んできた。あそこのスリバチやまでな」
比叡山か。あそこで修行を積んでいたところ、俺が修学旅行でこっちまで来ていると聞きつけ、ここまでやってきたわけか。
なんと迷惑な話だ。
「今夜、決闘を申し込む。今日こそ俺はお前を穿ち、沙那を取り戻す」
「黙れよシスコン」
「な、なんだと⁉︎ 俺はシスコンじゃない!」
「いやシスコンだろ。どこからどう見ても」
他の男に対して妹を取り戻すと宣言するとか、明らかにシスコン。誰彼かまわず妹に攻撃した人物を嬲る兄も結構なシスコンだが。
「シスコンが多いな、俺の周りには」
俺はならないけど。まず妹がいない。戦妹ならいるけど。
「と、とにかく! 今宵俺は芦長糸丸、君をこの世から葬る。場所は比叡山。刻は午後10時。一人で、命をかけてかかってこい」
お前はルギアか。
言いたいことだけ言って立ち上がり、去っていった玲の背中を見ていると——
「お待たせしました」
フィアが店から出てきた。ちょうどいいタイミングか。1人でこいということは、フィアに知られてはなかなかに面倒だろうし。
「さて、宿だが……」
どうせフィアがくっついてくるのだろうという予想はできていたので、いかにも人が少なさそうな古い民宿を予約してある。たしか……ノコッチとかビードルとか(あれ? この2つって明らかに違うけど)そんな名前だった。
場所は比叡山近く。ああ、玲との決闘にもちょうどいいな、近くて。
あとはフィアが気に入ってくれるといいんだが……大丈夫だろう。和服が好きなフィアだ。レトロな旅館なら大歓迎のはず。たぶん。
バスを乗り継ぎ、たどり着いた旅館。名前は"はちのこ"。ああ、なるほど。ノコッチは音から、ビードルは意味から連想されたのか。
そんなどうでも良さげなことを考えながら旅館の中に入る。そこには——
「あれ? キンジ?」
キンジとレキ、ついでにハイマキがいた。この2人もここに泊まるのか。
ただ、レキは防弾制服を着ていなかった。清楚な白のワンピースだ。レキの私服なんて初めて見た。
「レキ、その服どうしたんだ?」
俺がレキに聞くと、
「キンジさんにいただきました」
レキが答えた。どこか嬉しそうに。
まあまあさすがはたらしの遠山くんだぜ。向こうから求婚してきてもしっかりがっちり心を掴みに行くんだな。
と、キンジが俺の耳に囁いてきた。
「実はリマ
リマ症候群。たしか人質になってしまった後、相手にスキがなく、逃走もできそうにない場合に最後の手段として狙われる手段。『監禁者が人質と長い時間過ごすうちに良好な人間関係ができ、攻撃を中止してくれる現象』のことだ。
「お前も狙ってるんだろ、これ」
「何の話だ?」
「昼間、着付けさせてたじゃないか。あれもこれを狙ってるんだろ?」
ああ、あれか。フィアが着物を着てたこと。確かに見方によってはそう見えたのかもしれない。
しかしキンジよ、冷静になれ。相手は自分に求婚している。なのに好感度あげたら、それ逆効果じゃないか?
「あらあら。おいでやすぅ」
その時、旅館の奥から若い女将さんが出てきた。
「あ、えっと……ネットで予約してました、遠山です。2部屋予約していたんですが、その、お金が足りなくなってしまったので片方、安い部屋に変えてもらえませんか」
キンジが女将さんにそう告げた。すると、和服の女将さんはキンジとレキをチラチラ見て……
「あらあらぁー、うふふっ」
袖で口元を隠し、嬉しそうに目を細めた。……この人の考えていることが読めた気がする。
「お客はん、それなら1部屋にしたらええやないですか。カノジョはんと相部屋で」
「い、いや、これは彼女とかではないんでっ」
「彼女ですよ」
キンジも大変だな。俺も人のこと言えないかもしれないけど。
「そちらのお客はんも、相部屋にしたらええな」
「え」
「はい! ぜひお願いします!」
俺が口を挟む間もなく、フィアがゴーサインを出してしまう。なんてことしてくれるんだ。
「あらあらぁー、積極的やなぁ。沙織、あてられちゃいますわぁー」
いやんいやんと少女チックに体を左右に揺らす女将さん。さっきからあらあらが多いな、この人。アララギ博士と呼ぼうか。
「美味しいですね、京料理!」
案内された高そうな部屋にておばんざいを食べている俺ら。フィアの機嫌も元通りである。ふむ、やはり食べ物は絆を深めるっぽい。ポフレも重要だな。
美味しそうに料理を食べるフィア。一方の俺は全然箸が進まない。いやだって考えてみろよ。この後、エルレイドと決闘をするんだぜ? 食べてる場合じゃない。勢いでオーケーを出してしまったものの、勝てるのか俺よ。
「どうかしました?」
「いや、何でもない」
それでも腹が減ってはポケモンバトルはできない。俺は豆腐を箸でつかみ、食べようとすると——
「スキありッ!」
フィアが卓の反対側から箸を伸ばし、俺の豆腐をどろぼうしていった。
「おい、フィア。箸渡しはマナーがなってないぞ」
箸と箸で食べ物のやり取りをする箸渡し。火葬の後で死者の骨を拾うのと同じ動作をするから縁起が悪いのだとか。
誰か死ぬのかよ。まじで縁起が悪すぎる。俺が玲に負けるってか?
「これももらってもいいですよね」
俺がオーケーを出していないにもかかわらず、フィアが人の牛肉を持っていく。おい、やめろ。
「失礼します」
その後フィアと2人で俺の分のご飯を消費した後。俺をマッサージするといってきかないフィアを深緑刃で押し退けていると、沙織さんがフスマを開けた。
「お食事、いかがでしたか」
「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
フィアが返答するが、沙織さんはそれに耳を傾けず。薙刀でフィアを押し退けている俺を見ると変な顔をして、何か呟いた。読唇術で読み取ると『これはあきまへん』。
「お食事がお済みでしたら、お湯へどうぞ。今日はお客はんがお2組だけですから……ほぼ貸し切りですよ」
そうか、キンジと2人だけで男湯を使えるのか。それは楽しみだな。
フィアも温泉に入れると喜んでいる。まあレキと仲良くしてくれ。
俺は嬉々として浴場に向かったのだが——
「なんでだ……なんでなんだ……」
俺の目の前にある欲情、じゃなくて浴場。入口が1つしかないうえに『男湯』『女湯』の表示もない。
まさかの混浴ですかそうですか。
ちくしょう、しっかりリサーチしておくべきだった。戦いとは情報戦から。これはしっかりと旅館の情報を集めなかった俺の負けだぜ。……誰と戦ってるんだ、俺は。
一方隣のフィア。混浴とわかった瞬間、さらにテンションを高めてきた。
「あなた、あなた、あなた! 今夜を
最後? 普通そういうのは初夜っていうんだろ。和服が好きなくせに、日本語の知識は乏しいんだな。
「あー、お湯は諦めようかな……」
「何言ってるんですか。今日は汗をかいたでしょう、お背中流します!」
意気込んで俺を更衣室へと引っ張るフィア。だ、だめだ。抗えない。力が強すぎるんだよ、こいつは!
リリリリリリ!
と、フィアの携帯が鳴った。携帯を取り出し、発信者を確認したフィアは——苦い顔をする。
「すみません。ちょっと先に入っていてくださいな」
そう告げると、フィアはどこかへと歩いていった。誰からだったんだろう。電話に出ながら廊下を歩くフィアは、頭をペコペコ下げている。サラリーマン?
まあいいや。それよりも、温泉に入るなら今がチャンスだ。フィアがいない今こそ、俺が入る絶好のタイミング!
この民宿には入浴中に沙織さんが服を洗濯してくれるありがたいサービスがある。ので、俺は洗濯カゴに服を入れてから、タオルを持ってがらがらとスライド扉を開けた。
さあ、ここの温泉はフエンよりも素晴らしいのか、フエンに行ったことはないけど——
がらがらっ!
俺は急いで脱衣所に戻り、スライド扉を閉めた。先客がいたのだ、2人。キンジとレキ。レキがいたのだ、レキが。まずいって、俺はキンジと違って婚約者じゃないし。
なぜ気づかなかったのだ、俺は。俺以外の服は脱衣所のどこにも——はっ! そうか、沙織さんが洗濯をしているのか!
くっ、迂闊だった。湯気でよくは見えなかったが、明らかにキンジとレキと2人が温泉に浸かっていた。まさか3猿が温泉に入りに来ましたなんてバカな話があるわけないだろうし。
がらがらっ。
その時、背後のスライド扉が開いた。
「おい、糸丸! 身代わりになれ!」
「キンジ⁉︎ 何を、ぬわっ!」
いきなり更衣室へと戻ってきたキンジに、温泉へと放り込まれる。
受け身をとった俺は急いでタオルを腰に巻いてからスライド扉に飛びつくが——開かない。人影が見えるから、キンジが押さえているのだ。何してんだ、お前。
しかしこうなっては……仕方あるまい。
俺はなるべく湯の方を見ないようにしながら、かけ湯をし、ささっと体を洗う。
そして、濃い湯気の中に見える人影から最も離れた位置に浸かった。ふむ、ぬるめだな。旅の疲れは取れるが、これではたまごは孵りそうにない。
俺も近くにいると思われるレキも黙ったまま、時間が過ぎる。もうそろそろ上がろうか? しかし先客が上がっていないのに上がるのは、なんか個人的に抵抗がある。
俺は身動き1つせず、ノズパスのように固まってみる。
そしてだんだんノズパスのように鼻が赤くなり始めてきた頃——
「糸丸さん」
レキが話しかけてきた。まじか。さっさと上がってくれればよかったのに。
「なんだ?」
「最近良くない風が吹いています」
風の話ですか。そうだな、このまま温泉に浸かり続けていたらよくない風邪を引きそうだ。
「あなたは死ぬ。風がそう告げている」
「は? 俺が?」
こくり……とレキが頷いたような気がした。見てないからわからないけど。でも、なんとなく想像はつく。
なんか……重い話だな、俺が死ぬとか。てかさっきのってフラグ?
まあ、いいや。もう少し話題を変えよう、そうしよう。
「レキ。キンジとの修学旅行、楽しかったか?」
「はい」
そうか。楽しかったのか。……え?
「れ、レキが感情を述べた⁉︎」
俺は驚いて立ち上がり——慌てて温泉の中に戻った。いやいや、いくらタオルを巻いているからってまずいだろ、俺よ。
「変ですか?」
「へ、変じゃないけど……」
でも意外だ。レキは無感情、無表情。ゆえにロボットレキなんかとあだ名されていたり。本人もそれを肯定しているふしがあったし。
そのレキが楽しいと思ったなんて……やっぱりキンジはキンジということか。天然のジゴロ、女たらし。
「レキ。キンジに求婚したこと、後悔してないか?」
「……はい」
少しの間をおいてレキが答えた。そうか、なら……よかった。やはりそういうのは本人の意思が大切だからな。
フィア。お前は後悔していないのか、俺に求婚したこと。してるだろ。いくら仲間内で決まったこととはいえ、そんなんで赤の他人に求婚するとか後悔があるに決まってる。
「では私は上がります」
レキが立ち上がった。俺はそちらを見ないようにしながら、ポタポタという水音が遠ざかるのを聞く。
がらがら、というスライド扉の音。よし、レキは帰った。
やっとこさのんびりできる、そう思った俺は大きく伸びをして——
「待っててくれたんですね!」
肌色が接近してくるのを見た。
「はひふ、フィア⁉︎」
湯気でうまい具合に隠れて細部は見えないが——フィアのやつ、タオルを巻いてないぞ!
俺は慌てて目をそらす。くそっ、一難去ってまた一難! 四天王の次にチャンピオンがいたなんてレベルの話じゃねぇ! こんなふいうちいらないよ!
「あなた、ゆっくり浸かりましょうね!」
これから我慢大会が始まるらしい。覚えねえよ、そんな技!