緋弾のアリアドス 作:くものこ
「……ん……いと……まる……?」
「フィア? フィア! よかった、目が覚めたんだな!」
フィアとレキの部屋を分けてから数分後。フィアが目を覚ました。
ずっと彼女のそばで座って待っていた俺は嬉しさのあまりフィアに抱きつく。
「よかったよ、フィア……本当によかった」
「糸丸、苦しい。そんなにきつく抱きつかないでよ」
「ご、ごめん」
フィアに言われて、俺は離れようとする。けど今度は逆にフィアが俺を離さない。
「フィア? 離れるからちょっと手を離してくれ」
「いいの。とっても……温かいから」
フィアはそう言って俺の胸に顔を埋める。そっか。絶対零度に近い温度の冷気を食らったフィアはずっと凍えていたんだ。だから人の温かさに触れたいのだ。
なら、少しだけこのままで。フィアが満足するまで、フィアの体が温まるまで、このままでいいかな。
しかしこうしていると……フィアの髪から、お花の香りがしてくるんだよな。それが俺の鼻腔をくすぐってきて、少し頭がクラクラしてくる。
ス——
その時、襖が開いた。振り向いて確認すると、キンジ。
「あっ、糸丸。ここにいたのか。探し——失礼した」
パタン。キンジが襖を閉めた。
「ま、待て! 別にそういうことじゃない!」
俺は急いで襖を開ける。キンジは既に通路の端まで移動していた。早くね⁉︎
「いいんだ、糸丸。俺は先に東京に帰ることになった、それだけ。糸丸も帰りたいなら星伽が新幹線の切符を用意してくれるそうだが……このまま残りそうだな。ごゆっくり」
「いや、帰るから! キンジーーー!」
結局キンジは白雪と2人で先に帰ってしまった。なんてやろうだ。
仕方ないので、俺は星伽にお願いしてキンジたちの乗ったのより遅い新幹線の便の切符を購入してもらった。それまで時間があるので、今はフィアと食事にしている。
フィアはまだ体のあちこちがうまく機能しないらしく、歩いたりするのには限度があるらしい。
それでも人と会話できる程度には回復した。
「糸丸。どうして私を助けたの」
星伽の巫女が作った夕餉を向かい合って食べていると(他の人は1人もいない。白雪が2人の邪魔をするのは良くないとかなんとか言ったんだと。いらぬおせっかいをしてくれるぜ、まったく)、フィアが質問してきた。
「愚問だな。助けるに決まってるじゃん。同じ武偵高の仲間なんだから」
「でも……私は糸丸を殺そうとした。糸丸を騙して大阪に連れて行こうとした。そこでEVOは糸丸を袋叩きにするつもりだったんだよ? それなのにどうして? もしかしたら、回復したらしたですぐに襲うかもしれない」
「武偵憲章にもあるだろ。仲間を信じ、仲間を助けよって。俺はそれに従っただけだ」
「仲間……」
フィアは箸を置くと、黙り込んだ。さっきまで美味しそうに星伽の豪華な料理を楽しんでいたのだが。
「どうした?」
「私は……姉妹を裏切った。糸丸を大阪に連れて行かなかった。今こうして、糸丸に命を救われて生きてる。一緒にご飯を食べてる。本当に、これでいいの……? 私にとって、あの姉妹は仲間じゃなかったの……?」
「さあな。でもあいつらはお前に俺の婚約者になるよう命じたんだろ? それは人権の侵害に当てはまりそうだから……まあいいんじゃないか、EVOを裏切っても」
納得いかないのか、フィアは俯いたまま静止する。俺も1人だけくちゃくちゃ食べているのは気が引けるので、箸を置いた。
「あいつらの元に帰りたければ帰っていいぞ。結局のところ、お前は俺を殺したんだ、一応。だから別にあいつらを裏切ってなんかはないだろ。帰れば迎え入れてくれるんじゃないか?」
ただ俺が生き返ってしまっただけ。……なんかバケモンだな、俺。キンジでも生き返るなんてできないだろうな、さすがに。えっ、フラグ? まさかそんなバカな。
「とにかくだ。フィア、お前はどうしたいんだ?」
「私は……ここにいたい。糸丸といたい。けれどあの人たちはそれを許さない。絶対に私を連れ戻すか、殺すかする。その時に糸丸に迷惑をかけたくない……」
「迷惑って。今更な話だな」
もうすでに散々かけられてるんだよな、こっちは。友人関係をズタボロにされちまったし。むしろここでフィアまでいなくなったら俺は誰を頼ればいいんだ? ああ、キンジかな。
「怖いの。もしこのままEVOを裏切ったら、どうなっちゃうんだろうって。私だけが狙われるならともかく、糸丸まで狙われたら……」
「そん時はそん時だ。ブイズだっけ? 一応俺はレシラムもキュレムも追い払ったことがあるんだからな」
まぐれだけど。それに仲間の支援があったし。キュレム戦も奥田の超音波弾がなかったら今頃凍死していたところだ。
しかし運も実力のうちという。フロンティアクオリティを乗り越えてこそ、49連勝は可能になるのと同じだ。……違う?
俺は時計を見る。あー、もうこんな時間か。そろそろここを出ないと。新幹線の時間までにはまだ余裕があるが、やはり余裕を持って行動はしないとな。
「とにかくだ。フィア、どうするかはお前が決めろ。俺は今日東京に帰るからな。もしEVOに戻るんだったら大阪に行け。俺のところに来たいんだったら、東京に戻ってこい。お前の意思で。他の誰からも指図を受けずに考えるんだ。そして決めろ」
しばらく動かなかったフィアは、やがて頷いた。フィアがどちらの選択をするのかはわからないが……俺についてくる理由も大してなさそうではある。だってふしぎのプレートはフィアが持ってるし。俺に求めるものなんてプレートの他にないのだろうから。
「あの。1つ頼んでもいい?」
俺が部屋から出ようとしたら、フィアが俺に声をかけた。
「どうした?」
「手が悴んで、箸がうまく持てないんの。——だから糸丸が食べさせて」
フィアはいかにも頑張って持ってます的な感じで手をプルプルさせながら箸を持つと、俺に差し出してきた。
……。
…………。
………………。
「ダウト。さっき普通に食べてたろ」
「あ、あれは! 糸丸の前で弱いところを見せられないと思って!」
「じゃあなぜ今は見せてるんだよ」
「そ、それは……。と、とにかく! 食べさせて!」
無理やり俺の手に箸を握らせたフィアは目を閉じて待つ。その待ち顔が一瞬、キスでもして欲しいのかと思ってしまった。
初めて会った日、婚約者だとか何とか言ってフィアは俺にキスしてきたんだっけ。でもあれってフィアの本心じゃないんだよな……。
俺って最低だな。フィアに好きでもない奴にキスさせるなんて。迂闊だった。時渡りできるのなら、8月に戻って俺に忠告しておきたい。
もしかしてそれを引きずっていたりするのか、こいつは? ほら、初めてをあげた相手には結構な思い入れがある場合もあるじゃん。俺はないけど。白井に思い入れ? ないない。
だったらここはバシッと言ってやらないと。フィアにはフィアの人生がこの先あるのだ。いつまでも俺にこだわらせちゃダメだ。スカーフなんて持ってちゃダメだ。これ、経験則。アリアドスにこだわりスカーフ持たせるのは良くない、うん。
「やだよ。自分で食べろ。言っただろ、俺らはもう婚約者でも何でもないんだ。介護士じゃあるまいし。俺はやらないぞ」
俺が断ると、フィアは片目だけ開けて、頬を膨らませた。
「1人じゃ食べれないもん」
「じゃあ籠巫女でも呼んでこようか?」
「糸丸でいいの! はーやーくー!」
駄々をこねる子供のように足をジタバタさせるフィア。十分元気すぎるだろ。絶対に1人で食べれる。
「あー! もうこんな時間! 新幹線に乗り遅れちゃうな!」
「嘘でしょ! 知ってるんだから、糸丸が乗る新幹線の時間!」
フィアはビシッと俺を指さした。ちっ、騙されないか。
「だとしても。俺はお前に食べさせる義理はない」
俺は立ち上がって襖を開けた。当然フィアは追いかけてくるんだろうな、そう思いながら。
「あっ、待ってよ!」
しかしフィアは待てと言うだけで追いかけてこない。
振り返ってみると、フィアは卓の前に座ったまま俺の方に手を伸ばしていた。なぜ立ち上がらない?
「は、早く食べさせて。お願い」
「自分で食べろって」
もう一度、部屋から出て行こうとすると——
「あー! 待って待って! わかったから! 自分で食べるから行かないで!」
再び振り返ると、フィアは箸を持っていた。最初からそうしろよな。
しかしどうしたんだろう。昨日までのフィアなら無理やりにでも俺に食べさせると思ったんだが——もしかして。
俺はご飯を食べるフィアの背後に回り込んで見る。
「な……何か?」
首だけ動かして俺を追いかけるフィア。体は動かさないのな。
そのフィアは座布団の上に座っている。正座で。
……これは、あれだろう。まひ状態で動けないのだ、フィアは。
「フィアは体がしびれて動けない!」
「う、うるさい!」
ふふっ、これはこれは。面白いものを発見してしまった。
俺はフィアの隣に座ると、足裏をつついてみる。
「ひゃうっ!」
フィアが肩をびくんとはねさせた。ははっ、おもしろい。もっとやってやれ。
俺は足裏からアキレス腱、ふくらはぎとだんだんとつつく位置を変えながら俺はフィアにみだれづきを繰り出す。
「ひゃんっ! や、やめて! い、糸丸、あうっ! やめてって、はうっ」
涙目で恨めしそうにフィアが見てくる。フッ、ここ数週間分のお返しだ。存分にやられるがいい。
「おもしろいなぁ、お前。リアクションが笑える」
「い、糸丸! 私で遊ばないでよ!」
はぁ、はぁ、と荒い息をしながらフィアがうるうるした目で睨んできた。フィアはつつかれるたびにびくんと反応するもんだから、フィアが大変なことになってしまっている。
萌黄色の髪は乱れ、まだ9月ということもありうっすらと汗をかいている。
星伽から借りた浴衣は大胆にはだけて、左肩がずれ落ち、その……見えそうになっているんだよ。何がって? 聞くなよ。
さらに俺が散々つついたせいか裾もかなり上がってしまっていて、フィアの生足がバーゲンセール。肉付きのいい太腿まで露わになってしまっている。
こう、かなり扇情的。昨日はフィアの全裸(湯気のモザイク付き)を見たはずなのに、こっちの方がドキドキさせられる。これがいわゆるチラーミィか。あれ? チラチーノだっけなんだっけ?
と、とにかく。キンジじゃなくてもヒステリアモードになってしまいそうだ。どういう意味かって? 理性が失われるって意味だ。いやまずいって。ここで理性崩壊とか洒落にならないぞ。
「糸丸くーん? もう許さないんだからっ!」
フィアがついに立ち上がった。あれ? まひは? 治った? 俺がきつけちゃったの?
「やり返しちゃうからね!」
フィアは浴衣姿のまま俺にとびげりしてきた。や、やめろ、見えるだろ! てかお前は鹿じゃねぇだろ、なぜとびげり!
しかしさすがにフィアを傷付けたくないので、俺は避けるわけにはいかずにそのままとびげりをもらう。
ドカッ!
フィアに蹴り飛ばされた俺。フィアとともに後ろへゴロゴロと転がる。
そのままフィアは俺の腕に自分の足を絡みつかせ、俺の腕をしめつける。
「しぼりとりますっ!」
「お前はどこのツルじょうポケモンだよ!」
しっかり休んだおかげで体力満タンな俺はしぼりとるで大ダメージを受けてしまう。だから懸命に腕を抜き取ろうとするのだが——
「逃がさない!」
フィアがついには全身で俺の腕を締め付けてくる。フィアの頭が俺の顔の近くまで寄せられ、いい匂いがしてくる。お、女の子の汗ってなんでこんないい匂いがするんだよ……!
「フィア、頼むから! 頼むから離れてくれ!」
「えー? どうしよっかなぁ?」
フィアは口では悩むそぶりを見せながら、力はあくまでそのまま。痛い。いい匂い。痛い。いい匂い。痛い。
「ギブギブギブ! リタイア!」
俺がフィアの腕をタップすると、やっとフィアは離れてくれる。はぁ、危なかった。
「ってフィア。お前、随分と元気だな。もう大丈夫そうじゃん」
「だって起きてすぐ、糸丸が温めてくれ——」
フィアが口を開けたまま、徐々に赤くなっていく。思い出したら急に恥ずかしくなったらしい。
ちなみに俺も恥ずかしい。イッシュじゃあるまいし、何だよハグって。ああ、時を遡りたい。
「えっ、えっと……それじゃあ俺は行くから」
「う、うん。気を付けてね? 私も明日すぐ帰るから」
フィアは俺に微笑んだ。フィアは今宣言した。義理の姉妹と縁を切り、武偵高に行くって。
そうか。フィアはそっちを選択したんだな。
「あんまり無理するなよ? 星伽もゆっくりしてけって言ってるんだし」
「うん。でも、早く戻ってやらなきゃいけないことがあるの」
やらなきゃいけないこと? 何だろう。
「本当は……やりたくないんだけどね。でも仕方ないから……」
「なんだ? やりたくないならやらなければいいじゃん」
「ううん。やりたくなくてもやらなくちゃいけないし、これは私が決めたことだから。これでいいの」
フィアは箸を置いて、開け放たれた襖から縁側を眺める。俺もそこに目をやる。
緋色に染まる世界が開けていた。もう日が沈む時間か。
「新幹線、乗り遅れるよ?」
「そうだな……もうそんな時間なんだな」
「昼の後は必ず夜が来る。そういうものでしょ?」
俺らはただ、夕陽を見つめていた。