幻想を映す水溜り   作:BNKN

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サグドレ




舌切りサグメと夢食いドレミー

 月――地上からおよそ38万km離れた穢れのない浄地。

 

 

 遠い昔、それこそ神代の時より遥か遡った太古の地球で一つの文明が生まれ、そして有り得ない速度で発達していった。ある種、科学の飽和状態と化した地上。その際限のない、無秩序とも言える程の無謀で傲慢な好奇心が「死」に目を向けた事も疑問に思うところはない。

「死」を理解し、理論を確立していくと人々は「死」やそれに携わる物に忌避感を感じる様になっていった。しかし、「死」についての理解が一般市民達にまで浸透した時には既に地上は穢れが満ちていた。そこで、彼らは新たな土地に、それも穢れの無い理想の土地に、その生活を移した。

 

 その理想の土地こそ月だったのだ。

 

 

 

 

「失礼しました」

 

 今、一匹の玉兎が書類を脇に抱えて出ていった。私はそれを黙って見送る。

 

「....」

 

 お気に入りの椅子から立ち上がって窓の向こうを覗いても見えるのは月の都の人工的な建物ばかり。別にそれが不満という訳じゃないが味気無さは否めない。

 

「失礼します。珈琲をお持ち致しました」

 

 今度は別の玉兎が部屋に入ってきた。ここで少し要らぬ話をするなら、私の部屋には扉が無い。というのも、私は私の舌が引き起こす現象にセーブが効かないのだ。その現象というのは、また厄介な物で。私が言及した事柄について、到達するであろう運命の着地点を逆転させてしまうのだ。例えば明日が晴れる運命だとして、私が明日の天気について少しでも語ると明日は雨模様となる。これを見境なく引き起こしてしまう。

 

 これのせいで、私は下手に喋れないのだ。なので私は普段から口を使う機会を減らす様にしている。扉の話にしたってそうだ。扉があるとここへ来る玉兎達がノックをしてくれるわけだが、私がそれに応えられない。一々、席を立って扉を開けるのも何だかなという事で、ならいっそ取っちゃえという事で扉のない執務室が出来上がったわけだ。

 

「ここに置いておきますね」

 

 薄青い髪をボブカットにした可愛らしい顔立ちの玉兎は私専属の秘書みたいなものだ。すっかり顔馴染みだが会話をした事はほぼ無い。何十年と顔を付き合わせているのに会話したのは百にも満たないかも知れない。この玉兎も私の舌の事は知っているから余程の事がない限り、私が返事をしなければならない様な話題は振ってこない。大抵は今の様に簡易な報告になる。言葉は伝えられないけれど私が会釈で感謝を示すと玉兎は笑顔を見せて部屋から出ていった。

 

「.......」

 

 こんな静かな生活にも慣れた。慣れたけれど極たまに虚しくなる。誰かと心行くまでお喋りしてみたいと思う事だってある。

 

「.......苦い...........」

 

 どうやら砂糖を入れ忘れていたらしい。

 私は珈琲の苦味の残る舌を少し出した。

 

 

 

 

 

 その日、夢を見た。

 

 酷く浩々とした月面。乱雑に突き刺さった何本もの標識にはバツ印が刻まれているのが伺える。その中に建てられた一軒家の中に私はいた。どこから届けられたのかも分からない、少し擦り切れた新聞紙には今日あった出来事が淡々と記されている。

 

『朝の寝覚めが悪かった』

 

『机の角に小指をぶつけた』

 

『秘書の子が砂糖を入れ忘れていた』

 

 ああ、そんな事もあったな。何処か一歩距離を置いての視線になるのは此処が夢の世界である事がわかっているからだろうか。

 珈琲の記事を読んだ時にふと、珈琲が飲みたくなった。私はいつの間にか置かれていた湯気立つ珈琲カップを傾けた。なんとも便利なものだ。

 

 

 私がこの世界に来てどれだけ時間が経ったのだろうか。自分の記事を読むのは何だか気恥ずかしくて細かい所迄は読んでいない。でもそうなると私にはやることが無くなってしまう。意味もなく身嗜みを整えたり、内容を覚えている本を読み直したり...途方もなく、やることが無い。

 一度、この一軒家から出てみようと玄関の扉を押しても欠片も動いてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 ピピピピピ

 

 枕元で鳴る目覚まし時計に手を伸ばして、半ば叩くようにして時計を黙らせる。

 

「.....」

 

 夢の内容は大抵は起きた時には忘れてしまっているものだが今日はそんな事無かったらしい。最後に何をしていたかまでは曖昧だが、それまでの記憶ならしっかりしている。

 ベッドから降りて洗面台の大鏡に映る自分は頭が跳ねている上に瞼は落ちかけていて酷く間抜けに見えた。

 

 

 

 

 どことなく気分がいい私は秘書の玉兎に話しかけてみた。

 

「....き、今日は砂糖をお願いね」

 

 おいおい。確かにあまり喋りなれていないとは言え、蹴躓く事はないだろ。秘書の子も少し驚いているじゃないか。

 

「もしかして昨日、入れ忘れてましたか?」

 

 照れる様な、焦るような笑いを見せながら聞き返してくれる。

 それに私は頷いて返す。口が詰まったのが恥ずかしくて「うん」とか「そうなの」とか単純な言葉も咄嗟に出てこなかった。情けない話だ。

 

「すいません。気を付けますねっ」

「...気にしなくて、いい」

 

 よし、今度はちゃんと返せた。

 

 

 

 その日の見出しは

『秘書の子と少し話せた』だった。

 

 

 

 

 

 夢の中で私の新聞を読むことを繰り返していくにつれて秘書の子と話す時間はほんの少しずつ増えていった。と言っても他愛ない挨拶ばかりではあったが。

 でも私にとってはたとえそんな些末な言葉のやり取りであれ、慣れないもので、楽しい物だった。

 

 だからこそ私も、もしかしたら彼女ですらも油断していたのかも知れない。

 

 

 

 

 

 その日、秘書の子から大したことじゃないが話があると言われたので時間を空けておいた。私が待っていると何時ものように珈琲を持った秘書の子が入ってきて、私と彼女の前に置いた。

 小さく「ありがと」と言って珈琲カップを口に運ぶ。

 

 うん、今日の珈琲も甘くて美味しい。

 

 

 

「えと、それでお話って言うのはですね」

「ぅん」

「私、来月でこの仕事を辞めさせて貰いたいと思います」

「ぇ....」

 

 突然の事で驚いた。何か気に入らない事があったのだろうか。

 

「な、何か気に入らない事でも...」

 

 口に出ていた。

 それに秘書の子は笑いながら首を横に振る。じゃあ一体何があったのだろうか。

 

「いえ、私結婚するんです」

 

「そ、そうなんだっ...えっと式はいつ?」

 

 良かった。これで私が気に入らないとかだったら私はもう立ち直れなかった。スピーチとかは無理だけど式典に出席くらいはしたいなぁ。

 

「来月の第三木曜日です」

「ぜ、絶対行くっ。行くからっ」

「ふふっ有難うございます」

 

 そう言って笑う彼女は私が見たどの笑顔よりも輝いて見えた。

 

 

 

 その日の一面は言うまでもないだろう。

 ただ一つ、私は新聞端のこれからの天気に傘マークが並んでいる事が無性に気になった。

 

 

 

 

 

 風の噂で耳にした。

 式典が中止になったらしい。彼女のフィアンセが亡くなったそうだ。それを聞いた私は正しく声を失った。そこに至って漸くわかった。

 

 これは全て私のせいだと。

 

 気が緩んでいた。少し取り留めのない話が出来るからと調子に乗った結果がこれだ。

 私は謝りに行くのが怖かった。間違いなく嫌われてしまう。鉄の靴を履いている様に重だるい足を動かして私は彼女の元へと向かった。

 

 彼女は泣いていた。私が謝ると無理に笑顔を作って「貴方のせいなんかじゃありません」と言った。口ではそう言ってくれるが心では納得出来ていないはずだ。

 

 あれは私のせいだ。

 

 間違いなく。

 

 気まずい空気の中、少し噛んだ舌先に鉄は鉄の香りが漂っていた。

 

 

 

 

 

 その日の夢に新聞は置いていなかった。外で大雨が降っているから届けに来れなかったのだろうか。まぁ誰が届けているというわけじゃないのだろうが。

 代わりに机の上に置いていたのは大きめのペンチと肉切り鋏。

 言わんとしている事はわかる。これは私の夢なのだからきっと夢の中でくらい自分を罰せと言っているのだろう。

 夢の中で死んだらどうなるのだろう。目覚めて終わりだろうか。もうここへは来れなくなるのだろうか。

 

 まぁ、なんにせよ私に選択肢はない。私の命を摘み取る為の鋏はとても軽く感じた。

 

 

 

 ピンポーン

 

「ごめんください」

 

 左手にペンチ、右手に鋏を持った状態で止まる。ここに私以外の誰かが来たことなど一度もない。インターフォンが鳴った事もない。ペンチと鋏を机の下に隠すように置いて私は玄関へと向かった。

 以前、押してもびくともしなかった扉は生意気にも音も立てずに開いた。

 

「ああ、良かった。開けてくれないかと思いましたよ」

 

 そう言う女性は黒と白のゆったりとした服に下地と反対色の毛玉が沢山着いた妙な服を着ている。腰のあたりからスラリと細い尻尾が見えているところを見るに何かの妖怪だろうか。そして、その手には黒革金字の高級そうな本を握りしめている。

 ただ、そんなことよりも気になったのが、

 

「ええ、すみません。少々雨宿りさせてもらえませんでしょうか。今日になって突然、降ってきまして」

 

 彼女は全身びしょ濡れであった。

 

 

 

 

 

「いやぁ、すいませんね。お邪魔しちゃって」

「....」

「それにしても、どうしたんですかねぇこの雨」

「....」

「あぁ、そうだ。名乗るのが遅れてしまいました。私、ドレミー・スイートと申します。気軽にドレミーとでもお呼び下さい」

 

 ドレミーと名乗る彼女がこの家に上がると直ぐに水滴が弾けて乾いた。よく分からない仕様だ。

 

「それと貴女のお名前は存じてますので自己紹介は不要です」

 

 何故、知っているのだろう。というかまず何者何だか。

 

「...貴女は何?」

「ええ、ドレミー・スイートと申します」

 

 そんな事は分かってる。

 私が首を横に振ると彼女は納得するように頷いた。

 

「しがない獏であります。以後お見知りおきを」

 

 獏、獏か。獏といえば夢を食べてしまう妖怪だったろうか。

 考えるように黙っていると彼女が口を開いた。

 

「気にしておられる様ですので申し上げますと、此処は夢の中ですので貴女の舌が此処に何らかの影響を及ぼす事は有りませんよ」

「...」

「むぅ、信じてませんね。まぁ、いきなりこう言われても信じられないでしょうね」

 

 妙に此処に詳しい。私ですら此処が一体何なのか充分に把握しているわけではないというのに。

 

「…貴女は何故ここに?」

「私は獏ですから、それらしくお食事処を探していましたら突然雨に振られまして」

「ここを食べに来たのね」

「いいえ?別に食べても良いですが貴女が困るでしょう?」

 

 困る...困るか。どうだろう。

 無くなったところで私の現実にはなんの問題もない筈だ。私は首を横に振った。

 

「おや、そうですか?自分を見直すために貴女が作り出したんですよ?」

「私が?」

「ええ、貴女が。夢は記憶の整理なんてよく言われますがそれはあながち嘘でもないのです。記憶を遡る事で自らを客観的に見つめ直せる場所が夢なのです」

 

 そうか。あの新聞はそういう事だったのか。見つめ直す為の鏡だったのか。だが、新聞はこの家に存在しない。

 

「そうですね。今日の新聞が発刊されていないのは私が食べてしまったからです」

「は?」

「獏は何でもかんでも夢を食い散らかしていると思われがちですが、それは誤りです。獏は悪夢しか食べない、非常に好意的な妖怪なのです」

 

 得意気に語るドレミー。自分で言うか。

 

「貴女の新聞も毎日詰まらない記事ばかりでしたが、今日のは素晴らしかったですよ」

 

 こいつ、今まで全部、覗き見ていたのか。

 

「...そう。私の夢は美味しかった?」

 

 何だろう。腹が立っている様な、から回る様な脱力感から口が開いてしまう。

 

「まだ、食べきってません。だからこんな物がここに置いてあるのです」

 

 そう言う彼女の手には先程隠したペンチと鋏。

 

「それを食べられたら、私は私を見つめ直せないわ」

 

 それは私を罰するのに必要な物なのだ。失くしてしまうわけには行かない。

 

「私が食べるのは悪夢です」

「だから食べられたら――」

「悪夢とは現実に何の影響も与えず、全く生産性のない夢全般を指します」

「...」

「これは紛れもなく悪夢です」

 

 そう言うと彼女はペンチと鋏を机の上に置いた。

 

「これを使ったところで貴女は自分を見つめる事なんて出来ませんよ」

「でも、私は...」

 

 他にどうすればいいのか分からないのだ。

 

「そんなに言われるなら使ってみれば宜しい。私は止めはしませんよ。貴女の夢ですから」

 

 そう言うとドレミーは静かに手元の本を開いて読み始めてしまった。

 

 私は、机の上の処刑台が妙に気になった。

 

 

 

 

 

「おはようございます。朝は来ませんよ」

 

 私が目を覚ますと一番にドレミーの声が聞こえた。椅子から落ちるように倒れた私の手元近くにはペンチと鋏が落ちていたままだった。

 

「さて、貴女はまだ生きてますね。それはそうでしょう。なんせ悪夢ですから」

「此処では死ねないの?」

「夢なら死ねるんじゃないですか?でも、此処は悪夢ですから難しいでしょうね」

 

 つまり、私はここで何度も舌を切らなければならないのだろうか。

 

「貴女が此処でそれを繰り返した処で何もなりませんよ。貴女が苦しむだけです」

「私は苦しまなければならない」

「そうでしょうか?そもそも秘書が結婚の話を態々、貴女に切り出さなければこんな事にはならなかった。あちらにも責任があるように思えます」

 

「あの子は悪くない」

 

 私の舌と私が悪いのだ。

 

「そうですか。なら私は止めません。どうぞ死に続けて下さい」

 

 彼女はまた手元に視線を落とした。

 

 

 

 

 

「おはようございます。まだ朝は来ませんね」

 

 もう何度目の目覚めだろうか。相変わらず外の雨は降り止んでいない。

 

「貴女は何時まで此処にいるの?」

「雨が止まないと帰れないもので」

「そう...」

 

 そして、私は鋏を持つ。

 

「いい加減、貴女も感じているでしょう?」

 

 ドレミーの言葉に私は持ち上げた腕を下ろした。

 

「何を?」

 

「『もうここまで自分を罰したならいいだろう。もう秘書の子だって許してくれる筈だ』」

 

「....思ってない」

 

「いいえ、思ってます。此処は貴女の夢でありながら、私の世界でも有るのです。ここの事など手に取るように分かりますよ」

 

「.... 」

 

「仮に秘書の子が貴女を恨んでいるのなら、貴女が此処で何万回死のうと許されませんよ」

 

「...分かってる」

 

「ええ、貴女はそれが分かってる。貴女は聡いから38回目にはもう気付いてました」

 

 彼女は本を閉じた。

 

「貴女は39回目にはもう気付いていた。これは秘書への謝罪ではなく、自分を許したいだけの自己満足である事に」

 

 そうかもしれない。

 

「貴女は40回目にはとっくに分かっていた。この悪夢がなんの意味もないことに」

 

「...そうね。分かってるわ。でも、止められない。私は弱く、不器用で何をしたらいいのか分からない」

 

 あの子が私を、本気で恨んでいるのかどうかなんて分からないし、あまり関係がないのだ。結局、私が私をどうしたいか次第でここの有り様は変わる。

 

「これは夢の専門家としての意見ですが...気持ちの良い夢に浸る事は誰にでもできますが悪夢と正面から立ち向かえる存在は極めて稀有な存在です」

「...」

「悪夢とは、向き合いたくないからこそ見てしまう物で、そんな自己を殺してまで、それに立ち向かう貴女は私が見た中ではとても強い存在です」

 

 そう言うと彼女は私の手からペンチと鋏を取り上げて一口に食べてしまった。

 

「いい加減、貴女は悪夢から覚めるべきだ。それだけ強い心が有るのなら」

 

 

 

 

 

 目が覚めてもドレミーの声はなかった。枕元で時計が無機質な自己主張をしてくるだけ。時計を止めてベッドから降りる。いつかぶつけた足の小指は今は何の痛みも感じない。

 洗面台の鏡に映るのは髪がはねていて、目の周りが赤く腫れているふてぶてしい女。

 

 女は自嘲する様な笑いを見せた後、少しだけこちらに舌を見せた。

 

 

 

 

 

 〇

 

 お久し振りです。ええ、また美味しそうな香りがしてきたのでフラリと立ち寄った次第です。最近、貴女の記事は詰まらない物ばかりで。

 ああ、いや。別に、文句を言いたいわけじゃないですよ。私だって貴女の記事ばかり読んでいるわけじゃないですからね。ひもじい何てことは全くありません。寧ろ、供給過剰ですよ。

 

 太らないように注意しなきゃいけませんねぇ。

 

 え?じゃあ、食べなくていいじゃないかって?やだなぁ、それとこれとは別ですよ。上手いものは別腹ってやつです。

 

 

 

 さてさて、ではそろそろ頂きましょうか。今回の夢はどんな味でしょうか、楽しみでなりません。

 

 

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