新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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決して埋まることない溝

「提督は、何もなさらないでくださいね?」

 

 榛名が抑揚のない声でそう言う。その言葉は確実の俺の鼓膜を揺らし、彼女がなんと発したのかまでは分かった。しかし、俺は何も発せない。

 

 頭で理解できていなかったからだ。

 

 榛名にいきなり抱きつかれ、押し倒された。そして、馬乗りの状態の榛名がいきなり服を脱ぎ始め、こう言った。

 

 

『今宵の伽、務めさせていただきます』

 

 伽――随分昔の言い方だが、要するに夜の営みをすること。正確に言えば、女が男に奉仕することだ。

 

 そして、榛名はこう言った。

 

『今宵の伽』と。

 

 

 

「提督、何がご所望でしょうか?」

 

 不意に榛名の声が間近で聞こえ、それと同時に胸の辺りに柔らかくて暖かいものがあたる。声の方を見ると、上半身を露にした榛名が俺の身体にピッタリと寄り添いながら、見上げるように覗き込んでいた。

 

 黒髪と対称的な白く透き通った肌、そんな白い肌の中で映える赤く控えめな唇。白く透き通った肌に、深海棲艦を一撃で沈めると言われる戦艦なのかと疑問に思うほど細く華奢な肩や腕。

 

 そして華奢な肩や腕と対称的な、俺の彼女の身体の間でふっくらと盛り上がる2つの胸部装甲。

 

 どれをとっても、女性として非常に魅力的な姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その目に、涙さえ浮かんでいなければ。

 

 

 

「提督?」

 

 俺が何も言わないことを不審に思ったのか、榛名は小さく呟く。先程の抑揚のない声ではなく、少し震えた、明らかに恐怖を孕む声だ。

 

 その様子に、俺は無意識のうちに榛名の手をとった。その瞬間、榛名はビクッと身を震わせてからギュッと目を閉じる。

 

 とった手は震えている。手だけでなく、彼女の身体全体が震えていた。あれほど艶っぽく見えた唇や白く透き通った肌に、若干青みがかかる。

 

 言葉の意味を履き違えない。まさに『伽』がそこにあった。

 

 

「誰の命令だ?」

 

 無意識のうちに、そう声が漏れていた。それに、榛名はビクッと反応し、恐る恐る目を開けて俺を凝視する。

 

「誰だ?」

 

 再度、同じ質問を投げ掛ける。たいして、榛名は俺の顔を凝視しながら呆けた顔を向けている。言っている意味が分からない、といった感じだ。

 

 その姿を見ていると、不意に胸の中から何かたぎるものが込み上げてくる。この感覚を、俺は知っている。前に、天龍に荷物をめちゃくちゃにされたときに近い。

 

 しかし、それはあのときと比べ物にならないほど熱く、今にも噴き出しそうなほど煮えたぎったどす黒い感情であった。

 

 それはどんどん大きくなっていき、手、足、頭を満たしていく。同時に身体全体が熱を帯び始めた。いつ暴発しても可笑しくないそれは、やがて噴き出される先を探せと叫ぶように頭の中でぐるぐると回り始める。

 

「これを指示したのは誰だ」

 

 もう一度、榛名に問い掛ける。頭の中で徐々に増えながら回るそれを向ける先を。恐らく、一度暴発すれば人を殺しかねないほど溜まりに溜まったそれを向ける先を。

 

 榛名は俺を凝視しながら、フルフルと顔を横に振った。その際、涙が四方に飛び散り、俺の服を濡らす。しかし、今の俺にはなおも増え続けるそれの望むことに従うしか出来ない。

 

「前任か?」

 

 俺の問いに、榛名の目に更に恐怖が映る。ビンゴと見ていいだろう。しかし、そいつは今ここにいない。つまり、今現在鎮守府に所属している誰かが彼女に命令したことになる。

 

「お前に命令したのは誰だ?」

 

 再度、同じ質問を投げ掛ける。しかし、榛名はまたもや首を横に振るだけであった。このままでは埒があかない、そう判断した。

 

 その瞬間、1つの仮説が頭の中に浮かんできた。

 

 榛名の様子を見るに、伽の件や食堂の件は前任が強いた体制である。それを強いた前任はとうの昔に消え去っているのに、今現在でもそれが続けられている。つまり、前任と同じ権力をもった人間がこの体制を強いているのだ。

 

 では、今現在前任ほどの権力をもった人間は誰か。いや、人間ではない何か。ましてや、ここにいるのは艦娘ばかり。つまり、艦娘の中にいる。

 

 

『Hey、テートク。ワタシ、この鎮守府でテートク代理をしている金剛デース。よろしくお願いしマース』

 

 ふと、頭の中に過った言葉。その瞬間、回り続けていたそれが爆発的に膨れ上がった。

 

 

 

「金剛ォォォォォオオオオオオ!!」

 

 俺の部屋に、俺自身の絶叫がこだまする。榛名はそれに驚いて俺の身体から離れた。動けるようになった俺はすぐさま飛び起きて廊下へ続くドアに近づき、勢いよく足を振り上げる。

 

「ざっけんなァ!!」

 

 怒号と共にドアを蹴破る。固定するものを失ったドアは吸い込まれるように反対側の壁に叩きつけられ、盛大な音をあげながら廊下に弾けとんだ。

 

 それに見向きもせず、俺は廊下に飛び出して目的の者を探して歩き出す。

 

 頭に浮かぶのは金剛の顔。その瞬間、それは噴火した火山のように噴き出し、その熱が俺の身体、脳、思考回路を蝕み始める。

 

「て、提督!!」

 

 後ろから榛名の声が聞こえ、右腕に抱き着かれる。しかし、今そんなことに気を配っている暇はない。そう判断し、無意識のうちに榛名を振り払った。

 

「金剛ォ!! 何処にいる!!」

 

 夜がふけた鎮守府、寝静まっている艦娘もいるだろう。しかし、それに気を配っている余裕はない。早く、煮えたぎるこれをぶつけなければ。

 

 

「静かにするネ!!」

 

 不意に横から怒号が聞こえ、振り返るとそこに目的の人物が立っていた。

 

 朝見た時と変わらず、露出の激しい和服にカチューシャ、丈の短いスカート。榛名と肩を並べられるほど透き通った白い肌に浮かぶ目に深い隈が刻まれていること以外、全て同じだった。

 

「もう就寝している子たちの迷惑を考えてくだサイ!!」

 

 顔に深いシワを刻み込みながら、金剛は凄味を効かせてくる。今まで見せてきたことのないその顔に、大概の人なら怖気づいてしまうだろう。

 

 でも―――――

 

 

「金剛ォォォォ!!」

 

 今の俺にそんなものは通用しない。噴き出したそれをぶつけるためなら、砲門で腹をぶち抜かれるぐらい造作のないことのように思えた。そう叫びながら金剛に詰め寄る。

 

 金剛は近づいてくる俺を見て顔を引きつらせ、一歩ずつ後退りを始めた。遠い昔、世界が大規模な戦乱に見舞われた際に、最古参のブランクをものとのしない怒涛の活躍で名を馳せた戦艦、あの金剛を後退りさせる。そんなことが自分にできるなんて思いもしなかった。だが、今回はこれに便乗させてもらう。

 

 金剛は一歩後ずさるのを、俺は二歩歩いて距離を詰めていく。俺が近づくのに対して、金剛は引きつらせた顔を何とか持ち直し、戦艦金剛の名にふさわしい殺気染みた視線を向けてくる。それにさらされても、俺は止まることはなかった。

 

 どんどん距離を詰めていく。後退りしていた金剛はやがて顔を背けた。それにより、彼女の殺気染みた視線が消え、ここぞとばかりに一気に距離を詰める。

 

 そして、金剛の腕を捉えた。

 

「ッ」

 

 金剛の小さな声が聞こえるのも構わず、捉えた腕を力任せにこちらに引っ張る。金剛は引っ張られる腕に抵抗することはなくこちらに引き寄せられ、俺は俯いたまま沈黙しているその襟首を掴んで捻り上げた。

 

 捻り上げると同時に片手は拳を握りしめ、金剛の顔があらわになったらそこに叩き込む準備を整えた。捻り上げて顔を上げさせ、その表情を見るためにズイッと顔を近づける。

 

 そして、握りしめた拳を勢いよく振り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捻り上げた手の甲に、ポトリ、と何かが落ちてきた。

 

 それを感じた瞬間、俺の振り上げた拳は止まる。いや、正確には目の前にある金剛を見たからだ。

 

 

 

「ひぐッ……うッ……うぅ……」

 

 

 金剛は泣いていた。

 

 固く目を瞑り、血が出るほど唇を噛み締め、これから来るであろう激痛に耐えるかのように、彼女は泣いていた。そこに、さっきまで俺を睨み付けてきた、数々の戦いを切り抜け、帝国史上最も活躍した戦艦『金剛』の姿ではなかった。

 

 ただの、一人の少女がいた。

 

 

「ていとくぅ……」

 

 榛名の声が聞こえ、足に抱き付かれる。足元を見下ろすと、涙でぐちゃぐちゃになった顔の榛名が必死に俺の足に縋り付いていた。

 

「こんごうおねぇさまはかんけぃありません……すべて、はるながわるいんですぅ……ゆるしてくださぃ……」

 

 嗚咽交じりのか細い声でそう懇願する榛名。捻り上げられて何も抵抗することなく込み上げる嗚咽をかみ殺す金剛。

 

 そこに、金剛型戦艦姉妹、いや、深海棲艦を一撃で沈める戦艦の姿を、微塵も感じることはできなかった。

 

「……すまん」

 

 俺は無意識のうちにそう零し、金剛の襟首を離した。解放された金剛はそのまま床にへたり込み、涙にぬれた顔を必死に拭う。それを確認した榛名は小さな鳴き声を漏らしながら俺の足を離れ、金剛に近付いた。

 

 肩に手を置かれた金剛は拭っていた手を止め、いきなり立ち上がる。それに一瞬驚いた榛名であったが、すぐに顔を曇らせて俯いた。

 

「……榛名、『伽』はするなとあれ程言ったはずネ。これに関しての処遇を決めますカラ、この後すぐにワタシの部屋に来てくだサイ」

 

「……はい」

 

「では、これにて失礼しマース」

 

 先ほどよりも低い金剛の言葉に榛名は小さく呟く。それを確認した金剛は、何事もなかったかのようにそう言って歩き出す。って待てよ!! 勝手に帰ろうとするんじゃねぇよ!!

 

「待てよ金剛!!」

 

「何ですカ」

 

 俺の言葉に、金剛は立ち止まるもこちらを一切振り向かずに答えた。横に付き添う榛名は俯きながらも金剛と俺を交互に見ている。

 

「『伽』ってのは、お前が命令したことか?」

 

「……違いマース。榛名が勝手にしでかしたことデース。まったく、困ったものですヨ」

 

 金剛はこちらを振り返ることもなく砕けた口調でそう言い、肩をすくめるジェスチャーをする。榛名に目を向けると、俺を見て申し訳なさそうに頭を下げてきた。

 

 どちらの言葉を信じるのかは難しい。だが、先ほどの反応から榛名が独断で行ったと言う線が濃厚か。

 

「もう一つ、食堂のあれはお前が指示したことか?」

 

「ハイ、そうですヨ」

 

 その答えに、一気に頭に血が上るのを感じた。

 

「何でだ!! あれは前任の奴が考えた体制だろ!! そいつが居なくなった後も何で続けてるんだよ!!」

 

「簡単デース。ワタシたちは、『兵器』だからデース」

 

 激昂した俺の言葉に、金剛は全く動じることもそうのたまいやがる。それを聞いた瞬間、頭の血管が弾け飛ぶ音がした。

 

「ふざけんな!! あんな地獄みたいな状況を強いる必要あるのかよ!! 戦場の食事によって自軍の士気を容易く変えられる!! それがどれほど重要なことか分かってるのか!!」

 

 俺の怒号に、金剛は一切反応しない。一切微動だにせず、彼女は俺の言葉を背中で受け止めるだけであった。

 

「大体、お前らはただの兵器じゃねぇ!! 元は人間の、ちゃんと意思を持って動く人間と同じ『艦娘』なんだよ!! だから――――」

 

「テートク」

 

 俺の怒号は、金剛がこちらを振り返った際に発した一言によって掻き消された。正確には振り返り様に具現化した砲門を俺に向けてきたかもしれない。

 

 

 いや、俺を見つめる目に一切の生気が感じられなかったからだ。 

 

 

「ッ」

 

 その冷たい氷のような目つきに、黒く光る砲門を前に、俺は動けなくなった。先ほどは腹をぶち抜かれようが造作もない、などとのたまった。しかし、いざ冷静になると人間とは臆病なもので、身の危険を感じると動けなくなってしまうとよく聞くが、まさかここまでとは……。

 

 

「貴方たちは、このように手から砲門を出せますカ?」

 

 砲門をむけられたことによって動けない俺に、金剛は抑揚のない声でそう問いかけてきた。それに反応できずにいる俺を、金剛は更に冷たい目で見据えてくる。

 

「貴方たちは、艤装を付けることが出来ますカ? 海の上を自由に走れますカ? 深海棲艦に傷を付けられますカ? 奴らの攻撃を喰らっても生きていられますカ? 手足を吹き飛ばされても砲撃を続けられますカ? 手足を吹き飛ばされるなどの大怪我をしても入渠すれば傷は癒えますカ? 燃料や弾薬を補給出来ますカ? それさえ摂取すれば普通に食事をしなくても生きていけますカ?」

 

 立て続けに放たれた質問。

 

 俺は艤装を付けることも出来ないし、船に乗らなければ海の上を自由に走れない。

 

 深海棲艦に傷も付けられないし、奴らの攻撃を喰らったら死ぬ自信しかない。

 

 手足を吹き飛ばされても砲撃できる気はしないし、第一に砲撃する砲門を出せない。

 

 入渠してもかすり傷すら治らないし、燃料や弾薬も喰えない。また、普通の食事をしなければ生きていけない。

 

 どれもこれも、俺には『不可能』と答えるしかできなかった。

 

「……ホラ、ワタシたちと貴方はこれだけ違うんですヨ」

 

 そう呟いた金剛は向けてきた砲門を下げ、小さく息を吐く。そして、生気の感じられなかった目を再び俺に向け、こう呟いた。

 

 

 

 

 

「たかが『人間』風情と、艦娘(ワタシ)たちを一緒にするんじゃねぇヨ」

 

 

 その言葉に、俺は背筋に凄まじい寒気を感じた。蛇に睨まれた蛙、と言うのか。喉元にナイフを突きつけられた、銃を突き付けられたような。そんな寒気だ。

 

「あ、テートク。明日、合同演習を行うから、工廠近くの港に来てくださいネー。では、失礼しマース」

 

 何も言わない俺に、思い出したかのようにそう言った金剛は、クルリとあちらを振り向いて速足に去っていった。その後を追う榛名は俺と金剛を交互に見ながら、俺に一礼だけして廊下の向こうに消えていった。

 

 

 一人残された俺はしばらくそこで立ち尽く、ようやく思い出したように重い足を引きずって自分の部屋に戻り始める。

 

 部屋に着いてベットに身を預けるその瞬間まで、先ほど感じた寒気が消えることはなかった。


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