新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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差し出された『勝ち筋』

 視界が上下に開く。

 

 視界一面はにじんだオレンジ色に包まれていたが、だんだんとクリアになっていく。

 

 

 最初に見えたのはオレンジに光る一枚の木目。道場の床だ。

 

 長方形に黒い線が引かれ、それが半分のところで別の線―――もう一枚の木目へとつながっていく。それは無数に広がっていき、やがて一枚の板張りになった。

 

 その表面に指を走らせる。板張りは上質な漆とワックスで分厚くコーティングされており、そのおかげで私の指は一切の摩擦を伴いことなく滑っていく。

 

 時折白い光に照らされながら、自分の顔が現れては消えてを繰り返す。そこに映る私の顔は、どんな顔をしているだろうか。

 

 

 

 その直後、私の手は唐突に止まった。

 

 

 その手を止めたのは、床よりも濃い茶色をした一振りの木刀。私の手に触れたせいで、ころりと転がった。その柄には文字が彫られていたが、今その大半は表面だけが削れている。

 

 

 

『日  へ』

 

 

 その文字が見えたとき、私の胸がチクリと痛む。その痛みのせいか、私の視界がわずかに歪む。だけど、それに構わずその柄を取った。

 

 

 

 

 瞬間、私の視界は次々と変わっていく。

 

 

 視界の端に前髪が映り、飛び散る汗が次々と流れていく。目の前にあった床張りは遠くなるにつれて黒い影に染まっていき、時折白い光が差し込まれる扉が映った。

 

 

 

 

 だが、音は一気に消えた。

 

 

 空気を切り裂く高い音と、それに合わせて私の呼吸音。

 

 

 私の世界()はこの二つに支配された。

 

 

 

 その世界の中で、私の身体は一寸の狂いもなく動く。手にした木刀を縦横無尽に空気を切り裂き続ける。

 

 

 そこには何も、誰もいない場所へ、一心不乱に刀を振るう。そこに敵がいるかのように振るう。

 

 そこにあるのは雑念であり、羞恥であり、私の気を狂わせるもの(・・)だ。

 

 手を尽くしても、足を延ばしても、血反吐を吐いても、この呼吸を止めても、決してぬぐえるものではないだろう。

 

 

 

 やがて、私の視界もついに真っ黒に染まった。いや、とあるもの以外が全て塗りつぶされたのだ。

 

 

 この光景を、私は知っている。前にあったからだ。

 

 それは何度も何度も、そして今しがたまでずっと(・・・)そこにあったからだ。

 

 

 同時に、胸の奥がいきなり苦しくなる。

 

 まるで心臓を掴まれているような、この上ない不快感で支配された。これは久方ぶりに感じた。幼き頃に幾重にも感じ、同時にすべてを支配された『それ』。

 

 

 『それ』を発している(・・・・・)のは、今目の前にいる。

 

 

 それはこちらに背を向けていた。その背中には大きな鉄の塊を背負っており、塊の横から先へと細くなっていく筒のようなものが2基。その先――――砲口からは白い煙が立ち上っている。

 

 やがて、塊から数人の小人のようなもの――――妖精が現れ、砲口に清掃棒を突っ込んで清掃をし、その横には身の丈以上の砲弾を抱えた妖精たちが走り回っている。

 

 

 その行為を私は知っている。次弾装填だ。その向こうには、彼女(・・)が当てたであろう白い煙を立ち上らせながら燻っている浮きが見えた。

 

 その上には砲撃で砕け散ったであろう的の残骸があった。中央を吹き飛ばしており、初めて(・・・)にしては見事と言えるだろう。

 

 

 それを見て、背を向けていた彼女がこちらを向いた。そこにあったのは笑顔だ。得意満面の笑みだ。どうだ凄いだろ、褒めてほしい、そう顔にデカデカと書かれていた。

 

 

 そしてそれは言葉として現れた。

 

 

 

『どうよー』

 

 

 そう聞こえたわけでもなく、彼女の口がそう動いたのだ。

 

 

 だが、その顔は一瞬で困惑へと変わった。それは何故か、いや、そんなの分かり切っている。

 

 

 なにせ、私は今彼女に向けて剣先を向けているから。一瞬の狂いもなく、このまま刺突すればその身体を貫くことができるほどに、まっすぐ向けている。

 

 

 同時に、その剣先は剣先ではなくなっていた。

 

 

 私の手から伸びていたはずの木刀は消え、大きく広げられた手を脇を灰色の筒――――砲身が伸びている。そしてその先は―――砲口はまっすぐ向けていたのだ。

 

 

 

 

 

 彼女(伊勢)に。

 

 

 

 

 

「気は済んだ?」

 

 

 いきなり、伊勢がそう聞いてきた。

 

 

 それは初めてだった。だから、私の視界は一度閉じられた。

 

 

 次に開いた時、見えた板張りの床、影に染まり灰色を帯びた壁とそこに掛けられた木刀、陽の光を一新に集め、それを中へと差し入れる扉。

 

 

 

 

 その光を遮りながら立つ、一人の艦娘――――扶桑がいたのだ。

 

 

「また見たわね、その顔」

 

 

 そう、扶桑は笑いかけてきた。

 

 その姿はいつもの巫女服を模した制服ではなく、白の上着に紺色の袴。頭上にある艦橋を模した髪飾りは消え失せ、代わりに緋色の質素な紐がその髪をうなじのあたりで束ねられている。

 

 

 その姿を見て、私はようやく世界()が帰ってきた。

 

 風に吹かれてこすれあう木の葉の音、水面に現れては消える白波の音、気持ちよく飛ぶ海鳥の音、私の手から床に落ちる汗の水滴、視界が上下するごとに口から洩れす荒い息。

 

 

 そして、キュッ、キュッ、というこちらへ近づいてくる扶桑の足元。

 

 

「せっかくの綺麗なお顔が台無しよ~……日向」

 

 

 そういうと同時に、彼女は手に持っていた手拭いを私―――日向に投げ渡した。一瞬、視界が手拭い一色に染まるも、それは私の手によってもとに戻った。

 

 その様子を眺めていた扶桑は静かに微笑み、私の横を通り過ぎて壁に掛けられていた木刀の一振りを手に取る。

 

 

 

 そこで彼女の身体を視界の外に追いやった。

 

 やつによこされた手拭いに顔をうずめて、額にまとわりつく汗をぬぐった。額をぬぐい、そこから首、肩、胸へと移る。それらを拭き終えたあたりで、扶桑は私から少し離れたところに正座し、その前に木刀を置いていた。

 

 その様子を横目で流しつつ、私は再度額をぬぐいながら立ち上がった。

 

 

 

「どこに行くの?」

 

 

 ふと、扉に差し掛かったところで扶桑の声が飛んできた。それに、私は超えかけたサッシの上に足を下ろす。

 

 

 少しの沈黙。動かない私と同じく、やつも何も言わない。まるで今しがた発した言葉の返答を待っているような、いや、たぶんそうなんだろう。絶対(・・)、そうだ。

 

 

 そう確信し、振り返る。やっぱり、やつはこちらを見て微笑んでいた。正座のまま、顔だけをこちらに向け、かしげるように少し頭を傾けながら。

 

 

「……今から使うんだろ? 邪魔しちゃ悪い」

 

「あら、別にあなたがいても構わないわよ? それに、稽古は相手がいた方が良いじゃない」

 

 

 私の言葉に、扶桑はクスクスと笑いながらそう返してくる。なぜ、笑いながらなのだろうか。いや、分かっている(・・・・・・)から笑っているのだろう。

 

 

「……生憎、私は一人の方が集中できる性質でな。お前が終わった頃に戻ってくるよ」

 

知っているわ(・・・・・・)。だから、誰も利用しないこの時間に稽古してるものね。ホント、筋金入りねぇ~」

 

 

 私の言葉に、扶桑はクスクス笑いを隠そうともせずにそう言ってきた。その態度は不遜であり、場合によっては人の機嫌を著しく損ねるだろう。

 

 しかし、私とやつとの間ではこれが普通なのだ。常に棘のある言葉でドッチボールをする私たち。どちらが始めたわけでもなく、どちらが反応したのかも分からない。ただ、それが私たちのとって普通だった。周りにいる誰にも理解されないだろう、でも仕方がないじゃないか。それが普通なのだから。

 

 

 

「まぁそんな顔せずに、ちょっと相手してちょうだいな」

 

 

 でも、今日は違った。

 

 それは次に投げかけられた扶桑の言葉だ。そこに、私は違和感を覚えた。

 

 何せ、いつものやり取りではないものが放り込まれたから。いつも互いに罵り合い、喧嘩腰の言葉をぶつけ合うのだが、決まって行動までを制限することはなかった。

 

 しかし、今回は扶桑が出ていこうとする私を引き留めたのだ。こんなことは私が記憶している限りは初めてである。なので、場違いにも私は感じてしまったのだ。

 

 

 不快だと。

 

 

 

「……必要ないだろ」

 

「たまにはいいでしょ? 久しぶりの稽古なんだから、相手ぐらいしてよ」

 

 

 

 その言葉を言った時、私の顔はどんなだったどうか。不快感を隠していただろうか。前面に出していただろうか。それでも、彼女は戻ってくるように促してきた。

 

 また、沈黙が支配した。向こうも、私も動かない。ただ、私たち以外が発する音だけがこの空間を支配した。

 

 何秒、何十秒、何分、何十分、何時間たったか。おそらくそれは数秒の出来事だと思うが、なぜか私にとってその時間は何時間も経過したように感じた。

 

 

 やがて、私は今がた踏みしめていたサッシから足を上げて、くるりと体の向きを変えて道場の中央に戻る。

 

 

 その様子を中央からやや奥寄りに座っていた扶桑は満足げに微笑むと立ち上がり、私に向き直って再び腰を下ろした。その際、刃先を外に向けた木刀を自身の左側に置く。

 

 それを見て私も左手に木刀を持ちなおし、扶桑から少しだけ距離を置いたところに腰を下ろした。無論、木刀は同じ置き方だ。

 

 

 古来、刀を左側に置くことは『敵対心』を表している。左手で刀を掴み、右手で鞘から引き抜く動きを最短でできる位置に置いているからだ。逆に、右側に置けば敵意はありませんという表現となる。

 

 

 つまり、今目の前にいるやつは「これからあなたを襲います」と宣言している。そして、そう宣言した張本人は変わらず微笑みを浮かべている。

 

 

 どこかの誰かが言っていた。笑顔には2つの意味があると。

 

 

 1つは、親愛。親しきもの、好意を寄せるものに向ける。信用している、信頼している、愛していると伝えるためのもの。

 

 

 もう1つは敵対。初対面のもの、敵意を持っているもの、これから害層とするものに向ける。最後通告を伝えるためのもの。

 

 

 果たして今目の前にいる扶桑(やつ)は、どちらだろうか。

 

 

 

 お互いに無言のまま、上体を倒し座礼をする。両手と額に、床の冷たさを感じる。同時に、額を伝う汗も。床の冷たさ以上に、冷えていた。

 

 それを携えながら、顔を上げ再び姿勢を正す。まっすぐ扶桑を見据えると、やつもまたこちらを見据えている。その顔は先ほどの微笑みを携えたまま。

 

 

 

 だがほんの一瞬、私の目を見据えた瞬間。そこに別の何か(・・)が見えた。

 

 

 それは敵意でも、悲哀でも、侮蔑でもない。

 

 

 

 『憤怒』だ。

 

 

 しかし、それは一瞬にして消え去った。やつの視線が私から逸れ、同時に左に置かれた木刀を手に取ったからだ。そのまま彼女は左腰に木刀を携え立ち上がる。一拍おき、私も同じく木刀を携えて立ち上がった。

 

 

 私が立ち上がったタイミングでお互いに立礼し、木刀を構えて前へ進む。やがて互いの剣先が触れる距離で立ち止まると、その場で蹲踞する。

 

 

 そのまま、互いに蹲踞の姿勢で視線のみを合わせる。やつの顔から笑みは消えていた。敵に向けるのに相応しい、刃物のような目つきで私を見据えていた。

 

 その鋭さに、私は正面からそれを見据えていた。が、何処かいたたまれなくなりわずかに視線を逸らす。

 

 

 

 

ワザと(・・・)撃ったんでしょ」

 

 

 そう視界の外から飛んできた。その瞬間、体温が、空気が、一気に下がるのを感じた。

 

 

 そして視線を前に向けたとき、そこにあったのはこちら目掛けて振り下ろされる木の刃先であった。

 

 

 

 

 衝撃が来た。それは顔ではなく手元―――両手で握りしめていた木刀の柄に。

 

 だが、防げたのはそれだけだ。それ以外の――――真横に引っ張られる重力にかなわず、私の身体は無様に床を転がされる。

 

 

 だが、転がる勢いを利用して床を一回転、そのまま立ち上がった。そして、木刀に再び構え直しながら前方を見据える。

 

 

 

 そこに居たのは、中段の構えをしている扶桑だ。

 

 彼女は涼しい顔をして―――否、感情の一切をそぎ落とした表情。『無』表情をしていた。そこに微塵の揺らぎもなく、まるでそれが『普段通り』とでも言いたげな顔だった。

 

 そしてその目にさらされた瞬間、私の脈が一拍ほど早くなる。肺から無理やり空気が押し出され、額に汗がにじむ、それに合わせて木刀がわずかに震えた。

 

 だが、震えは一瞬で消える。今しがた現れた何もかもを、腹の奥の奥――――丹田に力を込めることで取り払われる。

 

 

 同時に視界が、呼吸が、頭の中が一気にクリアになった。さきほど襲ってきたそれ――――『動揺』は一瞬にして消え去ったのだ。

 

 

 

 そのまま――互いに剣先を向けたまま、沈黙が下りる。

 

 

 

「なんで撃ったの?」

 

 

 それを破ったのは扶桑だ。そしてその瞬間、ただ一歩をもって私との間に剣先をねじ込んできたのだ。

 

 その勢いはすさまじく、全身を使わなければ殺しきれないだろう勢い。それが眼下に、眼前に迫った時、私は口を開いた。

 

 

 

「嫉妬」

 

 

 その言葉とともに、私は剣先をわずかに上げる。その瞬間、やつの剣先は私の頬擦れ擦れをかすめた。その軌道はやつがワザと外したものではなく、私が上げた剣先に沿って動いただけだ。

 

 

 同時に、やつの顔が間近に迫った。透き通るほどの白い肌をわずかに紅潮させた、乱れる黒髪、一文字に引かれた口元、そして固く打ち付けられたかのように最短距離で私を見据えるその瞳が。

 

 

 吸い込まれそうなほど黒く、透き通った瞳だ。

 

 

 

「いつから?」

 

 

 やがてその問いは、空気を切り裂く甲高い音とともにやってきた。

 

 

 

「昔から」

 

 

「実の姉妹?」

 

 

「いや、幼馴染」

 

 

「きっかけは?」

 

 

「剣道の大会」

 

 

「勝てたことは?」

 

 

「ない、1勝も」

 

 

「艦娘になったのは?」

 

 

「私が先」

 

 

「なんで艦娘に?」

 

 

「離れられるから」

 

 

「航空戦艦への改装は?」

 

 

「私から志願した」

 

 

「理由は?」

 

 

 

 そこで、音が消えた。

 

 

 今まで互いの声とともに木刀を打ち合う音、床を踏みしめる音、風に揺れる木の葉の音、白波の音が聞こえていた。だが、それらすべてが唐突に途切れたのだ。

 

 

 理由は明白、私が立ち止まったから。同時に、一時停止されたかのように扶桑が止まったから。

 

 

 何より、私自身が視線を――――現実(扶桑)から目をそらし、固く目を閉じたから。

 

 

 

 すると、真っ暗なはずの視界に白い光が現れた。

 

 それはゆらゆらとその身を揺らし、やがて人の形に―――――伊勢の姿になった。

 

 

 彼女は苦笑いを浮かべている。私に向けて手を差し出してる。そのまま、私に少しずつ近づいてくる。

 

 

 

 それを前に、私は手にした木刀を上段に構えた。その瞬間、先ほど同様脈拍が早くなる。呼吸が荒くなる、額に汗がにじみ、視界がぼやけ、頭の中がぼうっと熱くなる。

 

 

 ただ、唯一分かったのは。私の真ん中に存在していたのは――――――――――

 

 

 

 

「怖かった」

 

 

 そう言って、目前に近づいた伊勢に向かって木刀を振り下ろす。剣先は彼女の顔に迫り、粘土のようにぐにゃりと気持ち悪く歪んだ。それに構わず、柄を握る手に力を籠める。

 

 

 それは手に意地汚く残る感覚を―――――目の前にいるそれ(伊勢)を歪める感覚から1秒でも早く解放されたかったから。

 

 

 

 その口から飛び出すであろう言葉に――――――――『恐怖』を覚えたから。

 

 

 

「そう」

 

 

 だが、その口から出た言葉は違っていた。同時に手に残る感覚が変わる、易く切り裂かれていく伊勢の顔ではなく、横一文字に構えられた木刀。そこに触れあい、叩き折られまいと悲鳴を上げる刀身。

 

 

 そして、その真下からこちらを見上げる扶桑が現れた。その顔は先ほどの『無』表情は綺麗に消え、代わりに別の感情が浮かんでいた。

 

 

 失望でも嫌悪でも、敵意でも、悲哀でも、侮蔑でも、ましてや憤怒(・・)でもない。

 

 

 

 『眩しすぎて直視できない』とでも言いたげな―――――『羨望』の眼差しだった。

 

 

 

 やがて、その口元が動く。同時に悟った、これからやつが発する言葉(・・)を。

 

 

 

 

 

勝ち(・・)――」

 

「もういいだろ」

 

 

 その言葉をわざとらしく遮る。同時に手を握りしめていた力を解き、やつの目前にあった剣先を引いた。同時にくるりと後ろを振り向き、そのまま歩を進める。

 

 

 先ほどと同じように、先ほどしようとしたことを、今度こそ遂行するために。

 

 

 

 

「逃げるの?」

 

 

 だが、その歩みは縫い留められた。その言葉に――――今しがた私が選択した答えに、縫い留められてしまった。

 

 取るに足らない、誰もが一度は取ったことのある、最も選択しやすい選択(こと)

 

 

 

 

 今までも、そしてこれからもずっと、私が選択しなければならない(・・・・・・・・・)ことだから。

 

 

 

 

「そうだ」

 

 

 その言葉を肯定する――――再度選択したとき、私は自分の表情が分からなくなった。分かったのは、頭の中にある考えとは全く違う(・・・・)ということだ。

 

 不幸中の幸いだったのは、その表情を奴に見られなかったこと。このままここを出ていけば見られずに済む。誰にも何にも悟られないまま、知られないまま、隠し続ける(・・・・)ことができる。

 

 

 そう、今の今まで願い続けてきたことを、これからも守ることができる。

 

 

 

 

良いの(・・・)?」

 

 

 だが、次に投げかけられた言葉。それは肯定、全肯定。許可、容認、共感、支持、賛同。その何処にも否定はない。前に立ち止まることもなく、足を引っ張ることもなく、ただ背中を押してくれる言葉。

 

 

 その、筈、ハズ(・・)、だった。

 

 

 

 

「そうだ」

 

 

 再び、私の口から肯定が出た。それは肯定だ、肯定のハズだ。肯定に間違いない、絶対に肯定(そう)なのだ。その筈なのだ。

 

 

 

 だけど、だから、なのに。

 

 

 何故か、なんでか、謎に、不明に。

 

 

 明らかに、どうみても、どうしようもなく、取り繕うこともできなく、()を付けなく。

 

 

 

 だから私はやつを見ていた。やつの眼下に晒していた。

 

 

 私の顔を、表情を、本心(・・)を。

 

 

 

勝ちたい(・・・・)でしょ?」

 

 

 それを投げつけられた。投げつけたのは扶桑。その顔は微笑みを浮かべている。同時にとても強い意志を、決して見間違うことのない、誤解することのできない、確信に満ちた顔をしていた。

 

 

 

 (お前)のことは、よく知っている。

 

 

 (お前)が何に悩んで、後ろ髪を引っ張られて、何に二の足を踏んでいるのか、『本当はこうしたいん

だろ?』、『だけどお前はそれができない』、『その理由はコレ(・・)だから』、『これがあるからお前は動けない』。

 

 

 

 

 『お前は、勝ちたい(コレがやりたい)んだろ?』。

 

 

 

 

 そう言外に、言葉にせず、口に出さず、鼓膜を一切を揺らさず、言の葉に載せることはせず。

 

 

 

 いや、載せる必要もない(・・・・・・・・)のだろう。

 

 

 何せ―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ」

 

 

 私はそれを肯定した。それと同時に鉛のように重かった足が、羽が生えたかのように軽やかになる。

 

 手に感覚が戻り、そこにある固い幹を感じ、それを力いっぱい握りしめる。

 

 握りしめた柄を振り上げ、同時に前足を一歩踏み出す。

 

 

 もう一歩、もう一歩。

 

 やがてそれは連続する鈍い音に変わり、同時に私の視界は前を―――――先ほどと同じく『羨望』を浮かべる扶桑が木刀を構えて立っていたのだ。

 

 

 

「私があいつに勝ったことはない!」

 

 

 乾いた木刀の音が響く。

 

 

「何をやってもだ! 一度も、一度もない!!」

 

 

 床を踏みしめる音が鳴る。

 

 

「だから艦娘になった! あいつがいない場所で一番になるために!!」

 

 

 遠くで木の葉がこすれる音が聞こえる。

 

 

「でもあいつはやってきた!! 同じ戦艦で、同じ姉妹艦として!!」

 

 

 白波が揺れる音が、気持ちよさそうに飛ぶ海鳥の鳴き声が。

 

 

「そこでもあいつはすでに上にいた!! あいつは最初の砲撃で命中して、私は外した!!! ここでも勝てないって思った!!!」

 

 

 ギリッと、歯ぐきから低い音を漏らした。

 

 

「だから、事故を装って撃った。誰にも気づかれなかった、誰にもバレなかった、誰からも責められなかった。みんなから心配され、気を遣われて、全員から配慮された」

 

 

 柄を握りしめる力が緩み、つば競り合っていた刀身がズレる。

 

 

 

 

「伊勢も、『気にするな』と言われた」

 

 

 

 そう、私の口から洩れる。同時に、視界に映る扶桑の表情が変わった気がした。そこにあったのは、最初に見た『憤怒』であった。

 

 

 

「だから、私はまた逃げた。砲を撃てなくなったと言って、そのまま水上機の運用に回ったんだ。砲の照準が出来なくなったのは本当だが……本音は伊勢から離れるためさ」

 

 

 私の言葉に、扶桑はなおも『憤怒』を顔に張り付けている。その証拠に私がズラした刀身に沿って自らの刀身を滑らせ、対となる位置でとめて力を込めた。

 

 

「そこで瑞雲に出会い、私はその性能に魅了された……否、その可能性に魅了された。これなら、伊勢に勝てる(・・・)のでは、という淡い可能性だ」

 

 

 

 私の言葉を受けて、扶桑の表情から憤怒が抜け落ちる。次に現れたのは、何だろうか。それを言葉に表せるほど私の語彙は少なかった。

 

 

「だが、まだ(・・)だ。まだ奴には勝てない(・・・・)。もっと瑞雲の運用を磨かなければ、もっとそれに適した立ち回り方を成熟しなければ……今の私では伊勢の半分にも、いや足元にも及ばないだろう。だから―――」

 

 

 

「じゃあ私が肩代わり(・・・・)してあげる」

 

 

 

 私の話を遮るように、扶桑はそう吐き出した。同時につば競り合いしていた木刀から力を抜き、私から距離をとる。

 

 

 いきなりのことに、私は彼女を見据える。その先で彼女もまた、私を見据えていた。

 

 

「あなたが足りない部分、全部(・・)私が補ってあげるわ」

 

 

 彼女は片手を自らの胸に沿え、まっすぐな目を私に向けながら私にそう言ってきた。いつものひょうひょうとした雰囲気も、私に対して向けるイタズラっぽい視線でもない。

 

 

 

 一振りの刀のように、まっすぐな目だった。

 

 

 

「あなたの砲がブレるなら、その手元を止める支えになりましょう。あなたの視界が暗闇で曇るなら、その視界を振り払う光となりましょう。あなたの身体が危険にさらされるなら、その身を守る盾となりましょう。あなたの刀身が届かないのなら、それを届かせる長柄となりましょう。それら全部が足りないというのなら、私はその全て(・・)になりましょう」

 

 

 

 扶桑の口から流水のように流れ出てくる言葉。そしてそれを流す彼女の表情を、やはり私は言葉に表せなかった。

 

 

 代わりに感じたのは、『熱』。

 

 

「あなたに足りないもの、全部補ってあげる。あなたが最高のパフォーマンスを出せるよう、相手が最低の状況に陥るよう、ステージを用意してあげる。あなたの中にある『負け』の芽、その全てを私が取り除いてあげる。だから」

 

 

 そう言って、扶桑は私に手を伸ばしてきた。片手に木刀を握りしめながら、片足を自らから半歩ほど前に踏み出している。

 

 

 まるで戦いの舞台へ、私を導こうとでもするかのようだ。

 

 ともに戦場を駆け抜けよう、戦い抜けよう、生き残ろうとでも言うかのようだ。

 

 

 

 

「勝ちましょう、一緒に」

 

 

 

 言霊に願いを載せるように、扶桑はそう宣言した。その決意に満ちた表情に笑みを浮かべながら。同時に、彼女の背後から陽の光が差し込んだ。まるで、彼女が指し示す道が正道かのように。

 

 

 そのまま、沈黙が走る。どれぐらいか分からないが、それでも短くはなかったはず。

 

 だが、扶桑は私のずっと手を差し伸べ続けた。視線も違わず、ずっと私を見据えていた。

 

 

 

 まるで、『お前ならこの手を握る』と確信しているかのように。

 

 

 

 

「ッ、そうか」

 

 

 沈黙を破ったのは私だ。先ほどまで、微塵もわいてこなかったものが口から―――笑いが飛び出した。笑いはその後も続き、徐々に徐々に大きく、私の身体を震わせてくる。

 

 

 室に耳障りの良い言葉だ。本当に私の足りない部分を全部補う、そんなことできるのだろうか。

 

 

 いや、できないだろう。何せ、私は穴だらけの存在だし、対して扶桑も私と同等だ。

 

 穴だらけ同士がどれだけ力を合わせたところで、穴が全くない―――『完璧』なものに勝てるはずがないのだ。

 

 

 だがそれは、互いの穴がどこに(・・・)どのように(・・・・・)どのくらい(・・・・・)空いているのかを知らないからだ。

 

 

 私たちは、幾度となく互いの穴を埋めあってきた。それは攻守問わず、戦闘でも鎮守府でも、少数でも多数でも、対峙する相手の好みや性格、それら全てが鎮座するであろう『状況』で。

 

 

 ゆえに、お互いの穴の位置や数、大きさを知っているのだ。そして、それを埋めるように己を広げてきたのだ。

 

 どちらかが始めたのかは分からない。いつの間にか、互いが互いの穴を埋めるよう動き出していたのだ。

 

 

「そうかそうか……まぁ、そうなるか」

 

 

 そこで言葉を切った私は、差し出された手を握った。女性らしい華奢な手だ。だが、いきなり握られたことに全く反応しない。そうだろう、『握られると分かっていた』なら、そうなるだろう。

 

 だが、私は握りしめた手を思いっきり引っ張る。おそらく、扶桑も予想外だっただろう。だが、やつはこれ(・・)も見越していたのだ。一切動揺するそぶりも見せず、逆に私を引っ張り上げてきた。

 

 

 

 互いの穴を知り、それを幾度となく埋めてきた。互いの穴に、凹凸に合致するように。

 

 

 まるでパズルのピースのように計算されつくした穴たち。それは私たちが手を取ることで、完全(・・)に塞ぐことができる。

 

 

 まさに穴のない存在―――すなわち、『完璧』と成り得た。

 

 

 つまり、これでようやくスタートラインに――――伊勢と同じ土俵に立ったということか。

 

 

 

 では、次にどうするか。そんなの、決まっているじゃないか。

 

 

 

「私は伊勢に勝ちたい」

 

 

 それを私は口にした。ぎゅっと握り締める扶桑の手に視線を落としながら。そして落とした視線を上げ、今も私を見据える扶桑に向けた。

 

 

 

「だから、一緒に勝ってくれ(・・・・・)

 

 

 

 そして、私は自身の穴を埋めるよう―――私の形にはまることを願い出た。それを受けて、扶桑は微笑みを浮かべながらこう言った。

 

 

 

 

 

「じゃあさっそく、今持ってる瑞雲全部下ろしなさい」

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