新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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『提督』の否定

「ふー……」

 

 

 口から、そんな声が漏れた。

 

 同時に、視界が上下に閉じる。次にこめかみをぐいと押し込まれ―――いや、押し込む。そのままちいさな円を描くように押し込んだ指を動かし、凝りに凝った目元をもむのだ。

 

 少なくない痛みと、少しの心地よさ。相当凝っている。ここ数日、ずっと書類とにらめっこしながらペンを走らせていたから、当然と言えば当然だ。今度、次の物資に目に当てる用のタオルを加えようか。

 

 

「……いらないか」

 

 何気なく思い浮かんだ考えを一蹴する。

 

 その必要はない。だって、俺は――――明原 楓はここから居なくなるのだから。

 

 閉じた瞳を開き、今しがた書き上げた書類に目を落とす。そこにあるのは見慣れた文字たち。少し右肩上がりで、数字や漢字、ひらがななどが混在している。

 

 それは。鎮守府で管理している備品の目録だ。左から品目名、残数、備蓄込みの基準値、発注数の欄が並び、そこに相応の数が書き込まれている。

 

 多分、タオルを加えようかなんて考えたのも、備品の書類を作成していたからだ。そう結論づけ、誰に向けるわけでもなく笑みを浮かべた。変わらず、見えるのは文字と端がクシャリとシワがある書類だけだ。

 

 

 もし、それが書類ではなく並々と注がれたコーヒーだったら。

 

 もし、それが眠気覚ましに置いている気付け用の洗面器だったら。

 

 もし、それがこちらを覗き込む誰かの瞳だったら。

 

 

 そこに映っている俺は、ちゃんと笑えているのだろうか。

 

 

「……やめだ」

 

 

 そんな考えを振り払うように頭をブンブン振り、机の端に押しやっていた朱肉と印鑑を引き寄せる。もう、何度も何度も手にした代物。朱肉のインクも何度も補充し、印面も何度も変えた。だが、決してその朱肉も、印鑑も、変えることはなかった。

 

 どれだけインクが足りなくなろうと、どれだけ印面が擦り切れようと、大元である朱肉も印鑑も変えることはない。ただただ、頭だけがすげ替えらるだけ。それで今も昔も同じようにうまく、滞りなく役割を果たす。

 

 そう、鎮守府だってそうだ。どれだけ頭が無能だろうが、使い物にならないだろうが、下さえ優秀であれば問題なく回るのだ。社長がイスにふんぞり返っていようが、金を稼ぐのは部長や課長、もっと言えば末端の下っ端社員だ。彼らが動くから会社が回る、彼らがいるから利益を上げ、与え、関係を続けられることができる。

 

 もちろん、創業者である『初代』ならば、そこでふんぞり返っている権利もあろう。だが、あいにく俺は何代目かのボンクラである。会社は三代目がつぶすとよく言われるが、おそらく俺はその三代目にあたるのだろう。

 

 

 今の今までここがうまく回っていけたのは、ひとえに下が、艦娘たちが優秀だっただけだ。

 

 

 金剛も大淀も、加賀も長門も、夕立や曙、天龍に龍田、北上に間宮。みんながみんな、本当に優秀だった。優秀過ぎた。この俺のもとで働くにはもったいないほど、優秀な部下であった。

 

 だからこそ、ここまでやってこれた。いや、俺がいなくても、おそらくうまくやっていただろうな。

 

 今ほど空気はよくないが、それでも回っていただろう。今も弾薬や燃料を口にしていただろうが、それでも回っていただろう。今ほど金剛や吹雪、榛名や隼鷹が、曙や潮が、イムヤやイクが、そして雪風が無理をしていただろうが、それでも回っていただろう。

 

 

 恐らく、彼女たちは「今」のような姿になってはいないだろうが、それでもこの鎮守府は滞りなく、無駄なく、ただただ回り続けていただろう。

 

 

 その今を作ってきたのは、まぎれもなく俺……かもしれない(・・・・・・)。確かにそうなるように動いてきたつもりだし、そのために泥や埃を被ることもあった。

 

 

 だが、それらは全て芽があったから。「0」ではなく「1」があったからだ。

 

 

 確かにみんな、表面上は仲たがいをしていたり、顔をそむけていたり、自分の想いを押し付けたりはしていた。だがその根本にあったのは、「こうなりたい」という想い、願いだ。それがなければ、外野が何をしてもそこから芽が出ることはない。

 

 願い()のない場所にどれだけ水をやろうが、肥料を与えようが、土を柔らかくしようが。種がなければ何の意味もないのだ。

 

 

 俺はただ、たまたまそこにあった芽を大きくしただけ。「1」を「2」に、「2」を「3」にしただけ、ただそれだけだ。「10」にも「100」にもしていない。仮にそこまで育ったとしても、それは彼女たちが勝手に育っていただけなのだ。そこに俺という水も肥料も必要ない、いや必要量(・・・)さえあればいいのだ。

 

 

 同時に、水や肥料を与えすぎれば根腐れを起こし、やがて枯れてしまう。求められたときに、必要量だけ与える。それが『俺』の役割である。だからこそ必要な時に必要な分だけ、必要な時がなければ、俺はお払い箱なのだ。

 

 そして、俺は同時にリスクでもある。それは無能がゆえに、彼女たちを危険に晒してしまうというリスク。それはこの前のケ号作戦で、大破の雪風を前に進撃か撤退かを選べなかったことだ。

 

 言い訳をすると、撤退すれば金剛たちの救出が絶望的になってしまう。だが進撃すれば、雪風が轟沈してしまうかもしれない。そして進撃したところで金剛たちが助かる見込みをなかった。双方ともリスクがあったが、前者の方が被害が抑えられた。提督として考えると、撤退が正解であろう。

 

 だけど、俺は選べなかった。撤退も進撃も、選べなかったのだ。ただ目の前に投げ渡された選択を、見つめることしかできなかった。

 

 いや、見つめることもしていない。投げ渡されたそれから目を離し、周りに視線を求めた。助けを求めた、背負わなくていい責任を求めたのだ。

 

 

 だから、雪風は俺との言葉を拒絶し、北上は俺への最上級の非難を向け、曙が俺が放棄した責任の全てを背負って、そして無事に帰ってきてくれた。

 

 

 長門が言っていた。あれは俺にとっての『失敗』だと。その前に走り回って、血眼になって書類を漁り、ありとあらゆる仮説を立て、それら全てに対応策を捻り出し、準備して、そしてその全てを『その選択』をもって放棄した。

 

 どれだけの過程があり、そこに粉骨砕身に働いたとして、『失敗』であることには変わらない、と。

 

 併せて曙が砲を出せるようになり、金剛が沈むことを望まなくなって、吹雪がずっと背中を見続けてきた人と向き合えるようになって、雪風が泣けるようになって、還る場所ができた。

 

 

 

 それでも、俺はただ1人だけ(・・・・)『失敗』したのだと。

 

 

 同時に、俺の『失敗』は周りを沈める―――殺すのだ。

 

 俺の指示で誰かが傷付き、俺の判断で誰がが沈み、俺の迷いで誰かが傷付き、倒れ、悲しみ、そして死んでいく。

 

 前に龍驤が言っていた。

 

 俺の役割は責任を負うこと。そして誰かを傷付けて、悲しませて、そして沈めることを『選択する覚悟』を持つことだと。

 

 『失敗』の先に誰かの死が待っているのに、時には誰かを殺すことを選択しなければならない。そして、その責任の全てを負わなければならない。

 

 それが、『提督』という役割だと。

 

 あの時は頭で分かった気がした。気がしていたんだ。そして、その事実を覆い隠すように、俺の中で提督である理由を―――『アイツらに応える』、それにすり替えた。

 

 誰も傷付けないように、誰も悲しませないように、誰も沈ませないように、誰も死なないように。

 

 

 その『責任』を、()が背負わないように。

 

 

 そして今回、これは降って湧いた『幸運』だ。

 

 自身の『失敗』を負って、鎮守府(ここ)から追放される。提督の最大の役目である責任をとって、提督という立場を降りられるのだから。誰にも文句も言われない、口を出させない。

 

 

 完璧な方法で、幕切れを迎えられるのだから。

 

 

 もしそうなったとして、次はどこに行くのだろうか。少なくとも提督にはならないだろう。士官学校時代の経験を見るに、最有力はつかさんとこの一料理人かな。次に全く関係ないところか、大本営の職員、大穴でここの料理番とか。まぁ、最後のは言われたとしても俺から断るがな。

 

 そう考えると、肩の荷が降りるよう(・・・・・・・・・)だ。

 

 どれだけ気が楽になるだろう。どれだけ心が休まるだろう。どれだけ後ろめたさも、後悔も、罪悪感も消えてくれるだろうか。

 

 考えれば考えるほど、俺にとってメリットしか(・・・・・・)ない。俺だけではない、ここにいる艦娘だって、俺が上にいないほうが余計な苦労もなく、心身ともに健やかに過ごしてくれるはず(・・)だ。

 

 金剛も言っていただろう。

 

 もう、自由にしていいと。自由にしてほしいと。自由になった方がお互いにメリットがあると。

 

 

 俺がいなくなった(自由になった)方が、自分たちが嬉しいと。

 

 

 ガリっと、何かが削れる音が口の中から聞こえた。どうやら、奥歯を噛み締め過ぎたみたいだ。その証拠に、舌の上に小さな破片が転がる感覚が。少し欠けてしまったのだろうか。

 

 ……さすがに飲み込むのはマズイな。

 

 そう思い、近くにあったティッシュを数枚取り、口の中にある破片を吐き出す。すると、小さな歯の破片たちが現れた。しかし、いまだに口の中には違和感が。細かい破片は取り出せないか。

 

 水ですすぐべきと判断し、ティッシュを口に当てたまま立ち上がって扉に向かう。ここから近くの手洗いに向かうべきか、ついでにコーヒーをもらいに食堂まで足を伸ばすべきか。

 

 

 そんなことを考えながら、廊下へと続く扉のノブに手をかけて引いた。

 

 

「あ」

 

 

 すると、どこか気の抜けた声と共に、扉の向こうにメイド服姿(・・・・・)の曙が現れた。

 

 

 数秒、数分、数時間。とにかく、体感的には途方もないほどの時間が流れた気がした。

 

 お互いが目を丸くして、お互いを凝視している。お互い頭が追いついてなく、身体が硬直して、目だけが忙しなく動いている。

 

 

 そんな俺の目に映る曙、いや曙さん。

 

 なぜかいつもの制服ではなく、『メイドさん』という言葉で誰もが思い浮かべるであろう完璧なメイド服姿だった。

 

 一つ違うとすれば、いつもはサイドテールでまとめてる腰まで届く長い髪を、どうなったのか分からないけど奇麗にまとめ、お団子に巻きつけたような髪形にしているところか。いや、そもそもメイド服を着ていること自体が違うんだが。

 

 そんな曙さん。彼女は片手をあげ手の甲をこちらに向けたまま固まっている。おそらく、ノックしようとしたのだろうか。しようとした時に勝手に扉が開いて、向こうから俺が出てきたといったところかな。

 

 というか、曙さん? なんで無言? 何か発してくれません……か? いや、これ殴られませ―――

 

 

「ふぇ」

 

 

 だが次に聞こえたのは、先ほどよりもさらに間の抜けた鳴き声だった。

 

 

 発したのはやはり曙さん。彼女は今まで見た中で一番といっていいほど顔を真っ赤にさせ、若干涙目になりながらその場にへたり込んだのだ。

 

 

「え、曙⁉︎」

 

「もう、いっそ殺して……」

 

 

 慌てて膝を折って曙さん――――もういいや、曙に寄り添うも、彼女は蚊の鳴くような声でそう言いながら顔を覆ってしまう。その肩を揺するも、彼女は「みぃ〜……」声にならない鳴き声を上げるだけ。

 

 

 この状況を客観視してみよう。

 

 『成人男性が、未成年の女子にコスプレをさせて泣かせている』

 

 

 

 

 文章化して思った――――――傍から見たら非常にヤバい状況では?

 

 

 

 

「あらあらあら〜」

 

 

 不意に横から声が聞こえ、その方を見る。

 

 そこには、壁から覗き込むように顔だけを出している3人。

 

 2人はあまり見覚えがないから、おそらくつかさんところの艦娘だろう。最初のあいさつの時には居なかった。確か、長門と雪風の姉妹艦だったか。

 

 そしてもう1人。今この状況で最も居て欲しくない艦娘―――わが鎮守府に所属する曙さんの姉妹艦、潮さんである。

 

 

「――! ――! ――!」

 

 その証拠にほら、潮さんから凄まじい剣幕とともに言葉にならない声(呪詛)を発しておられる。これ、もしかして処させれる? 俺もここまでか……

 

 

「急にごめんなさいね〜」

 

 

 と、提督じゃなくて人生の幕切れを迎えようとしていた俺に、こちらを覗き込んでいた1人が近づいてくる。

 

 身長、そして制服的におそらく長門の姉妹艦だろうか。

 

 

「ご挨拶が遅れてしまいすみません。私、長門型戦艦2番艦の陸奥と申します。こっちは陽炎型駆逐艦1番艦の陽炎です」

 

「よろしくお願いします!」

 

「あ、あぁ……よろしく」

 

 

 あらあらと言いながらこちらに近寄ってきた艦娘、陸奥と陽炎がそう言いながら頭を下げてくる。それにこちらも頭を下げながらあいさつを返す。が、同時に今も顔を抑えてへたり込む曙の肩を揺するのは忘れない。

 

 えっと、多分、状況的に、曙が謎にメイド服姿なのはこの2人が関係していることは確定だろう。だとしたら、側から覗き込むことはないだろうし。

 

 ん、ということは同じく覗き込んでいた潮さんも?

 

 

「で、感想はいかがかしら?」

 

「……感想?」

 

「とぼけたフリは逆に失礼ですよ?」

 

 

 初対面とは思えないほどズズイと距離を詰め、どこか含みのある笑顔を向けてくる2人。感想? この状況の? そんなの訳が分からんしか―――

 

 

 すると、不意に袖口を引っ張られた。引っ張られた方を見ると、顔の大部分を伏せたままだが、なぜか上目遣いでこちらを見る曙。

 

 そこで、何となく2人の言葉、そして曙さんの視線で理解する。感想―――おそらくなぜかメイド服を着ている曙さんへのだろう。

 

 そう理解して、改めて曙さんに視線を向ける。が、なぜか彼女は先ほどまで自分の顔を覆っていた手を俺の顔に押し付け、自分の方を向かないようにしてくる。なんでだよ。

 

 

「ほらほら〜! あまり時間をかけるとハードルが上がりますよ?」

 

 

 その状況を最も楽しんでいるであろう一角、陽炎が煽ってくる。おまえら、初対面なのになんでそんな距離感近いんだよ。

 

 というか、これは何かしら答えないと進まないな……あんまり人様の格好にいちゃもんつける気もないし、気の利いた言葉なんて思いつかないし、なにより言葉を選ばないと文字通り処される危険がある。

 

 

 うん、ここは無難でいこう。

 

 

 

「えーっと……に、似合っー」

 

「『可愛い』って言え」

 

 

 『似合っている』(無難な言葉)を返そうとした時、背後からささやくような、しかし決して掻き消されない圧を孕んだ声が聞こえる。

 

 恐る恐る背後を見ると、他2人の距離感なんかどうでも良くなる程の距離、『ピッタリ』という言葉そのものの距離に潮さんが立っていた。瞳孔を開いて、それ以外無表情な顔のまま、小さく口を動かしてそれを呟いていたのだ。

 

 

「可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え可愛いって言え」

 

 

 そう呪詛じみた言葉を。先ほどから、いやここに辿り着くまでずっと吐き出し続けていたのだろう。

 

 

「……か、可愛い!! 可愛いです!!」

 

 

 その重みを受けて、俺は極力悲鳴っぽく聞こえないようにそう叫ぶ。すると、すぐそばで聞いていたであろう曙さんの肩が震えた。だが、それだけだ。それ以降は何も反応がなく、そして背後の潮さん(阿修羅)の圧が強くなる。

 

 それを見た観客の2人が、次々俺に質問を投げかけてきた。

 

 

「ただ可愛いだけ?」

 

「めっちゃ可愛いです!」

 

「もっと具体的に!」

 

「あー……ふ、普段しない髪形がよく似合っていてめっちゃ可愛いです!」

 

「それを見てどう思った?」

 

「ふ、不意打ちだったのでビックリとしました!」

 

「それだけ?」

 

「あーえっと……ド、ドキッともしました! わりと! 真面目に!」

 

「こんなメイドさんがいてくれたら?」

 

「めっちゃ嬉しいです!」

 

「何してほしい?」

 

「な、何してほ!? あ、えーーーーっと……あ、朝!! 朝起こしに来てほしい!!!!」

 

「ですって、メイドさん?」

 

 

 観客と俺による売り言葉に買い言葉の応酬が終わり、唐突にボールが別方向に投げられた。そこにいたのは、俺に押し付けていた両手で再び顔を覆って小刻みに震えている曙。

 

 彼女はそのまま一言も発することなく震えているだけ。もだえているといってもいいのか? これ……

 

 

「ちなみに誰でもいいんですか?」

 

「曙さんじゃなきゃ嫌です」

 

「ミ゛ッ」

 

 

 不意に阿修羅こと潮さんから投げられたパス。というか「分かってるんだろうな?????」という圧にノータイムで応える。すると、曙から死にかけのセミみたいな声が聞こえ、そのまま動かなくなった。

 

 

「死んじゃった……」

 

 

 その様子に、何とも不謹慎すぎるが的確過ぎる感想を漏らした陽炎。それに我慢の限界に達した陸奥が腹を抱えて笑い出す。それら全てを醒めた目で見つめる潮さん。あ、若干口角が上がっているから嬉しいのかも。

 

 

「で、何の用で……?」

 

「用ってほどもないですよ〜。そこの子がどーしてもあなたに見せたいって……」

 

「言ってない!!!」

 

 

 陸奥の言葉にガバリと起き上がり否定する曙。だが俺と目が合うと顔を真っ赤にさせ、手で顔を隠しながらパタリと倒れた。そのまま動かなくなるので、横の潮さんが深い深いため息を吐いてその身体を持ち上げる。

 

 所謂、お姫様抱っこで。

 

 

「ちょっ!? うし――」

 

「お人形さん」

 

 

 暴れようとする曙が、潮さん―――もういいや、潮から発せられたその一言で動かなくなってしまう。何その魔法の言葉、俺も使っていい? なんてアホなこと思っていると、そのまま潮が何か言いたげにこちらをにらんでくる。

 

 

「……なんだよ」

 

「いえ、何でもないです……ほんのちょっとですが、苦労が報われたかなと」

 

 

 最後の言葉、そこに何かとてつもない疲労が伺えた気がする。同時に、潮が口にした『苦労』という言葉に胸の突っ掛かりを覚えた。そうか、『苦労』……か。

 

 

いままで(・・・・)苦労をかけてすまんな」

 

 

 ふと、口からそんな言葉が漏れていた。無意識に漏れた言葉のはずだった。だからだろう、再度口の中でガリっという音が聞こえたのは。

 

 そして、その言葉を間近で聞いたであろう潮は、醒めた目つきを一変させ、代わりに真剣な眼差しを向けてきていた。そのまま、どこか覗き込むように顔を近づけてくる。

 

 

「提督、なんか勘違いしてません?」

 

「……勘違い?」

 

 

 ふと、潮がそんな言葉を投げかけてきた。その中で特に気になった言葉―――『勘違い』を口にする。俺を見て、潮はどこか呆れ半分、だがどこか諭すような視線を向けてきた。

 

 

「だって、あなたが残りた――」

 

「はぁーい!! そこまで!!」

 

 

 潮を遮ったのは、ワザとらしく声を張り上げだ陸奥だ。彼女は大袈裟に声を張り上げながら手をたたき、注目を集める。

 

 

「提督さん、書類整理の途中でしたよね? さすがにお仕事の邪魔でしょうから、そろそろ帰らせていただきますね」

 

「え、でも」

 

「ほらほら、お仕事の邪魔邪魔〜!!」

 

 

 陸奥の言葉に反論しようとするも、すぐ横の陽炎もワザとらしく声を張り上げてその背中をグイグイ押し始める。最初も抵抗していた潮であったが戦艦の馬力には勝てず、最終的には曙と共に小脇に抱えられてしまう。

 

 

「ちょっと陸奥さ――」

 

「暴れるとパンツ見えるわよ?」

 

 

 なおも暴れようとする2人に陸奥がピシャリと冷静なツッコミを入れる。すると、2人はとっさに自身のスカートに手を当てこちらをにらんできた。いや、見てねぇよ。

 

 

「では、失礼しますね〜」

 

 

 大人しくなった2人を抱えて、陸奥は笑顔を浮かべながら出ていった。それと同時に、俺はため息を吐きながら椅子に身を預ける。このまま少しボーッとしたかったが、それは出来ない。

 

 

「いやー元気な子たちですねー」

 

「……君は帰らないの?」

 

 

 なぜか1人だけ、そこが定位置ですとでも言いたげな陽炎が何食わぬ顔でいるのだ。いや、君うちの鎮守府の子じゃないでしょうよ。

 

 

「それに、私はあなたに用があったので!」

 

「用?」

 

 

 俺の言葉に、陽炎は何も答えずにクルリとこちらに顔を向け、何食わぬ顔でこう言った。

 

 

 

 

 

 

「あなた、うちの雪風を沈めかけたんですよね?」

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、全身から血の気が引く。同時に、体感温度が2〜3度ほど落ちた。それは体感ではなく、この部屋の気温が文字通り下がったのだ。

 

 

「ですよね? 『明原提督』?」

 

 

 下げたのはこの少女。先ほどと打って変わり、感情の一切を削ぎ落とし、ただただ醒めた、冷め切った目を向けてくる陽炎だ。彼女はこちらを覗き込まながら、再び笑みを浮かべる。ただ、その目は微塵も変わらない。

 

 

「…………そうだ」

 

「あら、認めるんですね。てっきり否定されるかと」

 

「否定も何も……事実、だから」

 

 

 陽炎の言葉に、俺はそう答える。いや、陽炎にではない。これは俺自身にだ。俺自陣に向けて事実を語っているに過ぎない。

 

 

「そう、これは事実です」

 

 

 そして、追い打ちをかけるように陽炎が事実(それ)を肯定する。その声色は先ほどの冷え切ったものから打って変わり、どこか飄々としたものになった。

 

 

「貴方は私の大事な大事な妹を沈めかけた―――殺しかけた。それがどれほど許し難いことか、同じ艦娘を家族に持っていた人間(・・・・・・・)なら、分かっているでしょ?」

 

 

 陽炎の言葉に、俺は思わず視線を彼女に向けた。彼女はこちらを見ずに、どこか遠くを見るような目をしている。だが、次には今までの同じ笑みを、貼り付けたような気持ちの悪い笑みを向けてきていた。

 

 

「確かに、あの子はあなたのおかげでいろいろと変われたことも知っています。でも、それでもあなたがあの子を殺しかけた事実は変わらない。そして、その事実を以て、私があなたを許すことはない(・・・・・・・)

 

 

 『許すことはない』―――それは、ごくごく自然の選択。大事な肉親を殺されそうになって、そしてたまたま運が良かっただけで沈まなかった。いや、正確には雪風の大事な大事な友達だったあの妖精は沈んでいる。雪風の代わりに沈んでいる。

 

 だから、あの作戦は犠牲が0なんかじゃない。少なくない犠牲がいるのは確か、事実なんだ。

 

 

「私がここにきたのはあの子を、雪風を救い出すため。この劣悪な状況から、それを生み出した貴方(・・)から雪風を救い出すため」

 

 

 そこで言葉を切った陽炎は貼り付けていた笑みを剥ぎ、上っ面のおどけた雰囲気を脱ぎ捨て、正真正銘の姿を俺に向けた。

 

 

 

 

 

 

「あんたから、雪風を守るため」

 

 

 

 そう、強烈な嫌悪を惜しげもなく曝け出しながら、陽炎は吐き捨てたのだ。同時に、突きつけられたのだ。

 

 

 俺に、艦娘は守れない、と。

 

 俺に、ここにいる必要はない、と。

 

 俺に、ここにいる意味がない、と。

 

 

 

 

 俺は、ここにいてはいけない、と。

 

 

 

「……長居しちゃいましたね。では、失礼します」

 

 

 そう言って、陽炎はクルリと後ろを向いて扉へ歩いていった。その後ろ姿を、俺は見えなかった。ただ、突きつけられた事実を、投げ渡されたそれが無数に転がる足元を、そこに落ちた視線を上げることができなかった。

 

 

 やっと訪れた1人の時間。今度こそボーッとできる時間。

 

 さぁ、このままボーッとしよう。ゆっくり一息つこう。口の中にあったザラザラとした感覚を無くしにいこう。食堂でコーヒーをもらいに行こう。残りの仕事を片付けてしまおう。

 

 やることはある。たくさん、膨大にある。でも、そのどれもこれも。どうしても手が伸びない。体が動かない、頭が回らない、意識が重く深く、どんどん沈んでいく。

 

 

 気づいていたはずだ。分かっていたはずだ。

 

 今の今まで、ずっとずっと頭の中にあって、腹の底に落ちていて、心からそうすべきだって、噛み砕ききって、咀嚼し尽くして、何度も何度も飲み込んだことじゃないか。

 

 それをただ、改めて形として、言葉として受け取っただけじゃないか。

 

 何を悲観することがある? いや、そもそもそ悲観する方がおかしい。おかしいんだって。最初から最後まで、分かっていたことじゃないか。

 

 何やってんだよ、何黙ってんだよ、何気付かないふりしてんだよ、何受け入れたくない(・・・・・・・・)なんて思ってんだよ。

 

 受け入れてたはずだろ? 腹を括ったはずだろ? もう決めたことだって言い張ったはずだろ?

 

 怖気付くなよ、逃げるなよ、現実を見ろよ、前を見ろよ、早く立ち上がれよ、そっぽ向くんじゃねぇよ、事実を受け入れろよ。

 

 

 

「――――」

 

 

 ほら、誰かが声をかけてきた。陽炎かな? それとも山城かな? 金剛かもしれない。彼女たちだって言ってたじゃないか。さっさといなくなれって、おまえは必要ないって、おまえは卑怯者だって。

 

 

「――――?」

 

 

 誰かが声をかけた。誰だ? さっきの3人か? いや、彼女たちは言うだけだ。何かを聞いてくることなんてない。じゃあ誰だ? 大淀か? 長門か? それとも龍驤か? いい加減、今回の演習について決めろってか。

 

 もうおまえらで決めていいって言ったじゃねぇか。俺がいなくたって大丈夫なおまえらなら、最初から俺がいなくても大丈夫だったおまえらなら、『大丈夫』だって。

 

 

「――――!」

 

 

 誰かが近くで叫んで、肩を揺すってくる。うるさいな、誰だ? 曙か? 夕立か? 北上か? いかないでってか、離れたくないってか。

 

 ダメなんだよ、ダメなんだって、もう俺じゃおまえらを守れないし、役に立つこともできない。もうおまえらに俺は必要ないんだって、もう分かってくれって、はやく気付いてくれって、頼むからほっといてくれって。

 

 

 俺はもう、もう……違う(・・)んだって。

 

 

 

 

「--! -督! 『提督』!!」

 

 

 

 ついに、言葉が聞こえた。それは最も聞きたくない言葉。

 

 

 

「提--」

 

「俺はもうおまえの提督じゃないんだよ!!!!!!!」

 

 

 ようやく視界が開けた。声と同時に、『否定』と同時に顔を上げたからだ。そして、そこで今まで俺の横にいた存在を認知した。

 

 

 

 

 

 何かに縋るような、泣き腫らした顔の榛名だ。

 

 

 

「て、と……ぅ」

 

 

 榛名は俺の声に驚いた顔のまま、声を、声にならない音を漏らす。対して、予想していた誰でもなかった存在に、俺も思考が停止した。

 

 

「す、すび……すびば、すびばせ……」

 

 

 すぐに再起動した榛名は、今まで縋るように向けていた顔を少しずらす。そして、その両眼から涙が溢れてその膝にボタボタと落ちていく。その様子に、俺は何も言えなくなった。

 

 

「やっ……やっぱ、り……やっぱり、は、はる、はるなじゃ、だ、だめ…だめれす、だめれすよ、ね……」

 

 

 そう言葉を漏らす榛名の顔は感情が抜け落ち、どこか諦めたような笑みを浮かべて、虚空を見るような光のない目になる。なおも、その両目からは大粒の涙が溢れ続ける。

 

 

 そんな姿を、俺は手を伸ばしかけた。が、やめた。

 

 そんな資格、もうないし。今しがた投げ捨てたばかりだから。

 

 

「しつ、れ……しま、す」

 

 

 榛名はそう溢すと、すくっと立ち上がり、逃げるように出ていった。彼女のドタドタという足跡が徐々に遠ざかり、そして消えていくのを、俺はただ黙っているしかできなかった。

 

 

 

「ごめん」

 

 

 消えていく寸前、俺の口から漏れたのは。

 

 それは今しがた傷つけた彼女に向けてか、はたまた今まで俺に尽くしてくれた人たち全員に向けてか、それらすべての人に向けた謝罪だった。

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