新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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提督と『初秘書艦』

「こっち、『定食』三つお願いしまーす!!」

 

「こっちは『出撃用』四つ!!」

 

「ちょっと待っててねー!!」

 

 ガス灯のぼんやりとした優しい明かりが照らす中、眠気を吹き飛ばすほど明るく威勢の良い声が次々に飛び交っている。少し前までの其処――――机に座る誰もが無言、無表情で資材を口にしていた食堂を目にした者なら、まさか此処が『その』食堂だとは思わないだろう。

 

 何故なら、その無表情だった艦娘たちの顔に様々な表情が浮かんでいるからだ。

 

 非番の艦娘は極々普通のご飯をつつき、みそ汁を啜りながら穏やかな笑みを浮かべて話をしている。出撃のある艦娘は大方食事とは呼べない弾薬や鋼材を片手間に齧り、真剣な顔でミーティングをしている。食堂当番の艦娘は額に汗を浮かべながら、次々とやってくる艦娘たちを前に辟易とした顔で食事を提供している。

 

 

 どれもこれも、傍から見れば普通の食堂と大差変わらない。しかし、やはりあの時を知っている俺からすれば、それらが意味すること、そしてそこに至るまでの過程を思い出さずにいられない。本当に、変わったよな。まぁ、まだ提督(おれ)の距離はあるけど。

 

 

 

 

「箸、止まってますよ?」

 

 

 ふと、横から挑発するような声が聞こえ、その方を向くとニヤニヤと小悪魔っぽい笑みを浮かべる間宮が。その言葉に、俺はいつの間にか朝食の箸を止めてボケっと周りを眺めていたことに気付いた。

 

 

結果(・・)が気になるのは分かりますが、もうちょっと隠してください。あんまり露骨過ぎると、変な誤解生みますからね」

 

 

「あぁ……気を付けるわ」

 

 

 間宮の言葉に、すぐさま思い当たる節が浮かんだ俺は思わず引きつった笑みを浮かべる。そうだな、あの時はビックリしたなぁ。いきなり深海棲艦のスパイとか言われたし。

 

 

「まぁ、貴方が周りからどう思われようが知ったこっちゃないんですけどね」

 

「おい」

 

 間宮の辛辣な言葉に渋い顔を向けると、彼女は悪びれる様子もなく可笑しそうに笑いを溢すだけ。その姿に、怒りを通り越してもはや呆れに変わった俺はため息と共に苦笑いを溢した。

 

 

「それよりも、提督にお見せしたいものがあります」

 

 その言葉と共に、間宮は真剣な表情に変えて何やら手書きの書類を手渡してきた。その切り替わりように、同じく表情を引き締めて書類を受け取る。

 

 

「新メニューの件か」

 

「はい」

 

 受け取った書類を見てそう零すと、間宮は力強く頷いた。それを横目に、書類に目を通していく。

 

 

 内容は、新メニュー候補として取り上げたモノの中で、カステラ、ロールケーキなどの洋菓子、羊羹、最中などの和菓子が数種類ずつ、そして先日大淀と一緒に飲んだホットチョコレートが採用された旨と必要な材料の総数、そして候補たちそれぞれの評価であった。

 

 目を通す限り、採用不採用関わらず新メニュー候補たちの評価は高い。ぶっちゃけ、これだけ人気なら全部採用しても良さげなのだが、そうなれば人員的、そして材料の申請的問題(主に俺の)が生じる。それを考慮したのか、いくつか的を絞ってくれたのだろう。また、洋菓子は駆逐艦や軽巡洋艦に、和菓子は戦艦や空母に人気と、艦種によって幾分かばらつきが見られるため、それも含めて和洋から数種類ずつを選び出したようだ。

 

 更に、メニュー自体は食事と同じく日替わりで固定化するものの、提供するタイミングは個人の好きな時間に注文できるようになっている。恐らく事前に作っておいて、注文と同時に盛り付けて出す感じか。メニューもまとめて作れるものばかりだしお菓子作りなら当番の艦娘も喜ぶだろう。問題はないな。

 

 

「それで問題なければ、提督から発表してもらっていいですか?」

 

「あぁ、問題ないし構わない。しかし、あれだな……」

 

 書類を見ながらそう零すと、間宮は何だと言いたげに首を傾げる。何気なしに呟いただけだからあまり口にするようなことでもないんだけど、そこまで興味を持たれると言わざるをえないよな。多分、怒るし。

 

 

 

 

 

 

「あの……意外に字が幼いな~、って」

 

 

「喧嘩売ってます?」

 

 

 案の定、俺の言葉に間宮は隠そうともせず不満げな表情を見せつけてくる。いや、言いたくなかったけどなんか言わないといけない雰囲気だったじゃん。

 

 

「だ、だってなぁ……いつも大淀の字ばかり見てるから、つい……」

 

「日がな一日書類を書き倒している人と比べないでください」

 

 おい、酷い言いようじゃねぇか。まぁ、否定出来ないけどよ。主に俺のせいで。

 

 

「それに何ですか? 艦種関わらず艦娘は全員字が綺麗だとでも思っていたんですか? 残念ながら目の前に下手くそな艦娘が居ますよ。朝っぱらから寝ぼけたこと言わないでください」

 

「いやいや、誰も下手くそなんて言ってねぇだろ」

 

 

 流水のように飛び出す間宮の嫌味に突っ込みを入れるも、彼女はご立腹と言いたげに腕を組んでそっぽを向いてしまう。だから言いたくなかったんだよ。まぁ、ちょっと言葉を選ぶべきだった気はするが……。他の言い方は何だろう。

 

 

 

 

 

「あ、あれだよ。幼いって言うか……女の子らしい、可愛いらしい字って意味だよ」

 

 

 考えた末にたどり着いた結論を出すと、間宮の不満げな表情が一瞬にして真顔に戻った。その姿に、俺は地雷を踏んだのかと思わず身構える。当の間宮は真顔のまま暫し硬直した後、深いため息と共にジト目を向けてきた。

 

 

「あの……『女の子』らしいって言ってる時点で『幼い』とそう変わりませんからね。『歳相応』とか『若々しい』とか、もうちょっと別の言葉を探してください」

 

「あ、はい」

 

「あと、そういうの(・・・・・)は私じゃなくて曙ちゃんとか榛名さんとか、他の子に言ってあげてくださいよ」

 

「へ、何を?」

 

 

 間宮の言葉に聞き返すも彼女はその問いに答えることなく席を立ち、さっさと厨房の方に行ってしまう。その後ろ姿を首を傾げて見つめるも、彼女は振り返ることなく厨房に引っ込んでしまった。怒らせちまったかな? ちょうどカウンターで朝食を受け取っていた艦娘たちがキョトンとした顔になっていたし。

 

 

 

「しれぇ、前いいですか?」

 

 

 間宮の言葉に頭を捻っていると、朝食のトレイを持った雪風が声をかけてきた。その言葉に頷くと、彼女はいそいそと前に座り、手を合わせて「いただきます」と言って食べ始める。トレイを持っているってことはカウンターの近くにいたんだよな。つまり、厨房に引っ込む間宮の顔を見てるってことになるか。

 

 

「時にしれぇ、間宮さんに何か言いました?」

 

「あぁ、ちょっと『字』についてな。やっぱり怒ってた?」

 

「ん~、しかめっ面ではありましたよ。耳まで真っ赤になっていましたし」

 

 俺の問いに、雪風は首を傾げながら唸る。やっぱり怒っていたのか、何か不味いことでも言っちまったな。今後は気を付けないと。

 

 

 

「まぁ『怒っている』と言うよりも、『恥ずかしそう』と言った方が良いかもしれませんね」

 

 

 『恥ずかしそう』……字を指摘されたことを、か。まぁ、そうだよな。面と向かって言われれば恥ずかしいよな。俺も人の事を言える立場じゃないし。

 

 

「謝らないとなぁ」

 

「……その必要はない気がしますけどねぇ」

 

 

 俺の言葉に何故かジト目を向けてくる雪風。その言葉に首を傾げながら雪風を見るも、彼女は視線を逸らし何食わぬ顔で箸を動かすだけだ。その姿に眉を潜めつつも時間も時間であったために急いで残りを平らげ、トレイを返却台に置いて執務室に向かった。

 

 

 

 トレイを返却する際、厨房にいた曙がジト目を向けていた気がしたが、多分気のせいだろう。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 ただいま、執務室は俺と大淀がペンを走らせる音のみが響く。いや、それに加えてちょっと重い空気が執務室を満たしている。そんな重々しい空気の中、俺はペンを走らせながら横目で隣の、正確にはその空気の発生源を見つめた。

 

 

「遅い……」

 

 

 その発生源――――腕組みをしながら凄味のある表情を浮かべる長門は、そう零しながら扉を見つめ続けている。その横では苦笑いを浮かべている吹雪、そして我関せずと言った態度の北上が立っていた。俺と同じようにペンを走らせる大淀は、時折長門に目を向けている。

 

 そこに居る長門以外の全員が、一刻も早くこの空気を終わることを願っているのは明白だった。

 

 

 

「提督よ」

 

 不意に、長門が問いかけてくる。その方を見ると、子供が見たら泣き出すのではないかと思うほど凄味のある表情を向けてきた。正直、それを向けないで欲しい。

 

 

「秘書艦はまだか?」

 

「ま、まだです」

 

 

 表情同様、凄味のある声に思わず敬語になってしまった。いや、だってあんな顔で、しかも不機嫌バリバリの声色で問いかけられちゃ敬語にもなるってもんですよ。まぁ、長門がこんな態度になってしまうのも無理はない。

 

 

 何故なら、彼女が問いかけた秘書艦が、執務開始から30分経った今でも現れないのだからだ。

 

 

 うちの鎮守府における秘書艦の役割は、主に各艦隊と俺のパイプ役だ。そのため、各艦隊の旗艦には出撃前に必ず執務室にやってきて、出撃の報告と秘書艦との通信機能の最終確認を行うことを義務付けている。つまり、今ここにいる長門、吹雪、北上の三人は各艦隊の旗艦だ。因みに吹雪と北上はそれぞれ資材を集める遠征艦隊、そして長門は練度向上を兼ねた鎮守府近海の哨戒艦隊だ。

 

 とまぁ、そんな彼女たちは既に随伴艦共々出撃の準備を終え、後は秘書艦との最終確認を残す所となっている。しかし、その最終確認で必要な秘書艦がまだ来ていない、最終確認がまだなので出撃が出来ない、秘書艦は何をやっている? と言った状況なのである。勿論、ローテーションでは彼女たちと入れ替わる様に違うメンバーの出撃を控えているため、このまま来ないとそっちにも支障が出るから俺としては長門以上に来て欲しいんだけどさ。

 

 

 でも、この状況じゃ入りづらいな。少しでも空気を換えないと。

 

 

「ま、まぁまだ30分だし。多分、何らかの事情で遅れているだけだろ」

 

「何らかの事情とは何だ、提督」

 

 そんな重々しい空気の中で秘書艦を弁護すると、長門から先ほどよりもキツイ表情と言葉が飛んでくる。いや、だからその顔を向けないでくださいお願いしますから。

 

 

 

「秘書艦するのが嫌になったんじゃないの~?」

 

「おいやめろ」

 

 横から北上がとんでもないことを言いやがる。何で火に油注ぐようなことするんだよ。見ろ、長門の目付きがもっと鋭くなったぞ。

 

 

「大淀、今日の秘書艦はどいつ(・・・)だ?」

 

「え、えっと……」

 

 先ほどよりも落ち着いた声色で長門が大淀に問いかける。いや、落ち着いてはいるんだけど、トーンが一気に下がったから確実に怒っている。静かに怒るタイプなのかもしれない。その言葉に、流石の大淀も顔を引きつらせながら狼狽えながら今日のローテ表に目を通す。

 

 

「き、今日はゆう――――」

 

 

 

 

 大淀の言葉を掻き消したのは、凄まじい音を立てて開かれた扉であった。突然の事に全員の視線が開け放たれた扉に注がれる。

 

 

 

 そこには、膝に手を置き、呼吸と共に肩を激しく上下させる一人の艦娘。

 

 

 腰まで届く亜麻色の髪はボサボサに乱れ、前髪を結ぶリボンは解けかかっている。額には汗をにじませ、呼吸する度にそれらが顎を伝って制服や床に点々と後を付けていた。そして、急いできたのか制服は盛大に着崩れ、その隙間から白い素肌が見えた瞬間、思わず視線を逸らす。横にいる長門や大淀たちも、同じように目を見開いてその艦娘を見つめていた。唯一、北上は横目でその艦娘を見てすぐさま視線を逸らしたが、特に何も言わなかい。

 

 

 やがて、荒い息遣いが徐々に小さくなっていき、やがてそれは大きく息を吸う音と共に消えた。

 

 

 

 

 

 

「すみませんっ!!」

 

 

 その代わりに、とんでもない声量の謝罪がその艦娘から発せられた。彼女はそう言って勢いよく頭を下げる。凄まじい音ととんでもない声量の謝罪に面を喰らう一同の中、視線を逸らしていた北上がため息をついた。

 

 

 

「随分遅い登場だね、夕立」

 

 

 北上の言葉に、頭を下げていた艦娘―――――夕立はビクッと身を震わせる。その後、ゆっくりと顔を上げた夕立は未だに固まる俺たちを見回す。身体を小刻みに震わせ、血の気の引いた顔、透き通る淡い緑色の瞳に目一杯の恐怖を浮かべて。

 

 

「ゆ、夕立ちゃん? なんで……遅れたのかな?」

 

 

 そんな中、我に返った吹雪が苦笑いで夕立に問いかける。その声色は柔らかく、威圧感を殆ど感じられないモノであったが、夕立は更に身を震わせてそのまま俯いてしまう。その姿に、ようやく追いついた頭が口を挟んではいけないと警告してきた。俺と同じなのか、大淀や長門も黙って夕立の言葉を待っている。

 

 

 しばらくの間、沈黙が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね、寝坊……です……」

 

 

 その沈黙は、夕立が泣きそうな声で呟いたことで破られた。にしても、寝坊ねぇ。

 

 

 

「夜更かしでもしていたのか?」

 

 

 夕立の言葉に、長門が問いかける。その声色は夕立が来る前程凄味はないが、それでも駆逐艦をビビらせるほどの凄味はあった。それを向けられた夕立は今まで以上に身を震わせ、両手を力いっぱい握りしめる。しかし、それ以上の反応がない

 

 

 

「どうなんだ?」

 

 

 更に長門が問いかける。しかし、夕立は何も言わない。それは肯定を表しているのか、はたまた違う理由があるのかは分からない。しかし、ここで沈黙するのは、悪手であることを誰もが感じていただろう。そのせいか、長門の目付きが鋭くなっていく。不味い、このままじゃ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不安だったんじゃないの?」

 

 

 そんな空気の中、ポツリと聞こえた言葉。その言葉に、俺たちの視線はそれを発した者に集まる。その視線を受けた者―――――北上はめんどくさそうに頭を掻いて夕立に向き直った。

 

 

 

「いやさぁ、夕立って今日が初めての秘書艦でしょ? 今まで戦闘か演習しかやってこなかった奴がどういう心境の変化か知らないけど、いきなり秘書艦に立候補したんだもん。右も左も分からないんだから、不安になるのも当然でしょ。まぁ、一応簡単な説明は受けたけど、聞いただけと実際にやるのとじゃ大違いだしね。それに……」

 

 

 そこで言葉を切った北上は何を思ったのか夕立に近付いていく。その姿に俺たちは唖然とし、夕立は近づいてくる北上を見つめ、目の前まで近づいたと同時に固く目を瞑って俯いた。まるで、叩いてくださいとばかりに頭を差し出しているような。

 

 

 その姿に北上は呆れたようなため息をつき、差し出された夕立の頭に手を伸ばす。しかし、その手が彼女の頭に触れることは無かった。

 

 

 

 

「こうやって、頑張って(・・・・)きたんだから、少しは大目に見てもいいと思うよ? あたしは」

 

 

 何処か気の抜けた声でそう言う北上は、辛うじて夕立の前髪を纏めているリボンを軽く解き、素早く結び直した。予想外のことに顔を上げる夕立であったが、北上は気にする様子もなく着崩れた夕立の制服を整えていく。

 

 

 

「因みに、あたしがそう思ったのは昨日この子に秘書艦について相談されたからだけどね」

 

 

「き、北上さんっぽい!?」

 

 

 制服を整えながら何気なしに漏らした言葉に、夕立が変な声を上げる。その言葉に一同の視線が夕立に集まり、それを受けた夕立は顔を赤くして俯いてしまう。しかし、俯いた顔は「顔上げな」と言う北上の言葉によって一同の前に晒されることとなった。

 

 やがて、制服を整えた北上は一つ息を吐いて夕立から離れる。そこには、先ほどとは見違えるほどしっかりとした服装になった夕立が立っていた。その表情は真っ赤で、恨みがましそうな視線を北上に向けているが、当の北上は知らないフリを決め込む。

 

 

 

「そうか」

 

 

 次に言葉を発したのは、長門であった。その言葉に夕立は先ほど同様身を震わせるも、次の瞬間には呆けた表情になった。何故なら、長門の手が彼女の頭に置かれ、優しく撫でていたからだ。

 

 

 

「不安で眠れなかったんだな。すまんな、早とちりをしてしまって」

 

 

 長門はそう言いながら膝を折って夕立と同じ視線になり、柔らかい表情を彼女に向ける。しかし、その表情もすぐに真剣なモノに変わる。

 

 

「だが、遅れたことは変わらん。今後は気を付けろ」

 

「わ、分かりました」

 

 

 長門の言葉に、夕立は表情を引き締めてそう答えた。すると、表情を緩めた長門は再度夕立の頭を撫でる。うん、何だろ。まぁ、丸く収まって良かった。ともかく、時間も押してるからさっさとやろう。

 

 

「それじゃあ夕立、早速秘書艦の仕事だ。各旗艦との最終確認を―――」

 

 

「えぇ~、面倒くさ~い」

 

 

 俺の言葉を遮るように北上が声を出す。『面倒くさい』ってなんだよ。お前、そのためにここに来たんだろうが。確かに最終確認は使える周波数全てを一つずつ確認するから時間がかかるけどさ。

 

 

「もうだいぶ時間も押してるんだし、今日は通信に使う周波数を決めておいて、帰投、入渠に関しては旗艦が直接報告するで良くない?」

 

「そうだな、その方が秘書艦も楽だろう」

 

「確かに、そっちの方が良いですね」

 

 

 北上の提案に長門と吹雪も賛同する。やがて、三人の視線が俺に集まる。あとはお前が許可すればいいっていう視線。こういうことの決定権は俺にある筈なんだけどなぁ……何この出来レース。まぁ、秘書艦に慣れてない夕立だし、あまり役割を押し付けすぎるとパンクしちまうか。

 

 

「分かった。それで頼む」

 

「す、すみません……」

 

 俺がそう言うと、夕立は申し訳なさそうに三人に頭を下げた。すると、吹雪が前に進み出てその肩に手を置く。

 

 

 

 

「夕立ちゃん。そういう時は『ありがとう』って言うんだよ」

 

「え、あ、うん。あ、ありがとう……ございます」

 

 

 吹雪の言葉に狼狽えながら、夕立は再度そう言って頭を下げる。その姿に、吹雪は苦笑いを、北上は疲れたような表情を、長門は優し気な笑みを浮かべて、夕立に何やらメモを手渡して執務室から出て行った。

 

 

 メモを手渡された夕立は呆けた顔で三人が出て行った扉を見つめている。少しして、我に返ったように俺に向き直った。

 

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 

 そう言って、夕立は頭を下げる。その姿に、俺も思わず頭を下げた。視界の外で大淀が小さく噴き出す声が聞こえたが、気にしないことにしよう。

 

 

「さて、改めて秘書艦の仕事を説明しよう。まぁ、ぶっちゃけ、主に各艦隊との通信のやり取りだ。あちらの戦況をこっちに伝えてもらうんだが……って周波数決めてねぇや」

 

 

「そ、それならここに書いてあるっぽい」

 

 

 いきなり凡ミスをやらかしたと思ったら、夕立がそう言って先ほどのメモを見せてくる。そこには、各艦隊との通信で使う周波数が書かれていた。ご丁寧に、各艦隊に4、5通りの周波数も添えて。アイツら、初めからこうするつもりだったな。

 

 

「……まぁ、それに従って通信だな。取り敢えず、それがちゃんと繋がるかどうか試しに通信してみてくれ。終わったら、次を説明する」

 

 

「りょ、了解です」

 

 

 俺の言葉に夕立は緊張した面持ちでそう言い、俺の方を向きながら耳に手を当てて黙り込んだ。いや、そこまで気を張らなくていいんだよ、別に。そう言いかけたが水を差すのも悪いと思い直し、代わりに傍にあったペンを握りしめた。

 

 

 しばらくの間、執務室はペンを走らせる音と、俺の目の前で初めての通信に四苦八苦する夕立の声だけが響く。その間、俺はペンを走らせながら夕立に何をしてもらおうか考えた。やがて、考えがまとまったと同じタイミングで夕立の通信が終わった。

 

 

「お、終わ……りました」

 

「OK、なら次はローテ表作りを頼む」

 

 

 詰まりながら報告してくる夕立に、俺は傍にあった未記入のローテ表用紙と名簿を差し出す。ローテ表作りと言っても、各艦娘の予定が記された名簿通りにローテ表に書き込むだけだ。書いてあることをそのまま移せばいいだけだから、多分大丈夫だろう。

 

 

「りょ、了解です」

 

 差し出されたものを見て、一瞬夕立の顔が強張る。しかし、それを聞く前に彼女はローテ表と名簿を受け取り、近くの机に向かってしまう。先ほどのことが気になったがペンを握る表情は真剣そのものだし、取り敢えずは何も言わないでおこう。そう決めて、俺は自身の執務に戻った。

 

 

 しばらくの間、執務室はペンを走らせる音だけとなった。時折違う音が聞こえるが、それは俺と大淀の書類チェックの声であって、夕立は黙々とローテ表にペンを走らせるだけだ。

 

 

 やがて、粗方の書類を片付けた俺は小さな呻き声を上げながらグルグルと腕を回す。そして、ふと夕立に目を向けた。そこには、先ほど同様黙々とペンを走らせる夕立が居るだけだ。

 

 

 

 

 その顔を、今にも泣き出しそうな程歪めながら。

 

 

 

 

「夕立?」

 

 

 思わず声をかけると、夕立は遅れてやってきた時と同じように、いや、それ以上(・・・・)に大きく身を震わせた。それは思わずペンを取り落し、そしてペンを走らせていたローテ表が滑り落とすほどである。

 

 彼女は滑り落ちるローテ表に手を伸ばすも、その手をすり抜けてしまう。やがて、それは彼女から少し離れた床、それも俺の傍に舞い降りた。そのローテ表を目にした瞬間、電流が走ったみたいに身体が強張った。

 

 

 

 

 俺の目に映るローテ表に、その……もの凄く『アレ』な……いや、『個性的』な字が書かれていたからだ。

 

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

 その瞬間、夕立は消え入りそうな声でそう言い頭を下げた。心なしか、その身体が震えている。その姿を、そしてローテ表を、そして心配そうに夕立を見つめる大淀を見て、俺は頭の中に浮かんだ結論を実行に移した。

 

 

 

「何で謝る? 気にすんな」

 

 

 そう言いながら夕立に近付いて、今なお下がっているその頭を撫でた。撫でられた夕立は弾かれた様に頭を上げ、若干潤んだ瞳を向けてくる。今度はその瞳と同じ高さになるよう膝を折って、苦笑いを向けた。

 

 

「それに、こっちもロクに聞かずに悪かったよ。許してくれ」

 

 

 俺の言葉に、潤んだ夕立の瞳が見開かれる。その顔を見てもう一度その頭を撫でてから立ち上がり、自分の机に戻る。理由は単純、ローテ表作り以外の仕事を探すためだ。俺が机を引っ掻き回している間、夕立は呆けた顔で俺を見つめてくる。

 

 

 やがて、彼女の前には俺がかき集めた書類と大淀にピンハネを喰らった書類、そして正式な書類の証である印を押す判子と朱肉が置かれた。

 

 

「なら、この書類に印を押していってくれ。見本はこんな感じで、此処に押してくれればいいから。出来るだけでいいから印は綺麗にな。もし綺麗に押せるか不安なら、この紙で練習すればいい」

 

 

 目の前に置かれたモノに目を白黒させる夕立。そんな彼女に一つ一つ手に取りながら説明していく。一通り説明し終えてから、今度は印を押す際のコツを教えた。

 

 

「いいか? 判子を一回紙に付けたら絶対にその場から動かさず、且つ円を描くように判子の淵を紙に押し付けるんだ。こんな感じに」

 

 そう言って、夕立の目の前で手本として判子を押して見せた。しかし、何故か上手くいかない。何回押しても字が滲んでいたり、淵が切れたりしてしまう。

 

 

「大淀、ちょっと押してみて」

 

「い、いいですよ」

 

 まさか声を掛けられるとは思っていなかったのか、大淀は一瞬身を強張らせつつもそう言って近づいてくる。その手に判子を渡し、場所を開ける。大淀はそのスペースに入り込み、何食わぬ顔で押した。

 

 

 

 その印は、滲んでもなく切れてもない。まるで専用の機械が押したのではないかと思うほど綺麗な印であった。

 

 

「押せますよ、普通に」

 

「多分、大淀だから出来たんだ。夕立、やってみて」

 

 

 すまし顔、いや、若干にやつく大淀を尻目に、今度は夕立に押すよう促す。その言葉に夕立は一度俺に顔を向け、そして大淀から差し出された判子を受け取って恐る恐ると言った表情で押した。

 

 

 その印は、大淀程綺麗ではなかった。ただ、字もそこまで滲んでおらず、且つ淵も綺麗に押せている。どう鑑みても、一番最初に押した人間(・・・・・・・・・・)よりも綺麗な印であった。

 

 

 

「提督より上手いですね」

 

 

「お願い、やめて」

 

 

 大淀がすまし顔でそんなことを言いやがる。おい、やめろ。その人、さっきそこで自慢げに説明していたから。自慢げだった分、今すっごい恥ずかしいから。

 

 

 

「ぷっ」

 

 

 そんなやり取りに、夕立が小さく噴き出す。その瞬間、俺と大淀の視線が夕立に集まり、それに気づいた夕立はしまったと言いたげな顔で俯いた。その姿に大淀は小さく噴き出し、俺は思わず息を吐いた。

 

 

 

「なら、早速やってもらいましょう。頼みますよ? 秘書艦様?」

 

 

 そう言いながら立ち上がると驚いたように夕立が顔を向けてくるも、それも柔らかな笑みに変わった。

 

 

「了解っぽい!!」

 

 

 そして、今までのように詰まることなく、ハッキリとした元気のよい返事だ。それを見届け、俺と大淀は自分の執務に戻った。

 

 

 やがて黙々と執務を続け、いつしか時間は12時を回り昼食の時間になる。いつもは一区切りついた個人が好きなタイミングで食堂に行くのだが、今日は12時を回った時に盛大に腹の虫を鳴かせた夕立を伴って三人一緒に食堂に行った。

 

 聞くところによると、夕立は寝坊のせいで朝食を食べておらず、11時を回った段階で印を押しながら腹の虫と格闘していたらしい。それで途中から印が雑になったのか。まぁ、上に送るには十分許容できる範囲ではあったが。

 

 

「昼食、三人分。うち二つは多めで頼む」

 

 

「提督も、朝食べてないっぽい?」

 

 

「うん……まぁな。それよりも夕立、三人分の席を見つけてくれないか?」

 

 

「了解っぽい!!」

 

 カウンターでそう注文すると、夕立は首を傾げながら問いかけてくる。午前中を一緒に過ごしたおかげか、夕立の顔には今朝よりも緊張の色はない。その様子に安堵の息漏らしながら席を取るのを頼む。すると、夕立は元気よく返事して空いてる席を探しに行った。

 

 

 その後ろ姿を見て、俺と大淀は同時に深く息を吐いた。その後、互いに目を合わせ、同時に苦笑いを溢した。

 

 

 

「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたけど……大丈夫そうですね」

 

 

「どっかの旗艦様のお蔭でな。あ、それと大淀。うちの艦娘で字を書けるヤツって結構限定されるのか?」

 

 

 ふと、思いついたことを問いかけてみる。すると、大淀はしばし考え込む。

 

 

 まぁ、今回の夕立は何とか『印を押す』仕事を見つけられたから良いモノの、いつもそうだとは限らない。まして、今日みたいに当日になって判明することもあるとすれば、それに柔軟に対応するにも限度がある。一番はそういう艦娘を秘書艦にしないのが良いんだが、いかんせん本人がやりたいと言ってきたモノだから無碍に出来ないし。それに、執務を行える艦娘が増えるのは悪いことではない。

 

 

 だから、誰でも秘書艦が出来る環境を作る方が都合がいいんだよな。

 

 

「……全員がどうかは分かりませんが、少なくとも駆逐艦の子達はあまり得意ではないと思いますね。軽巡洋艦以上は大丈夫だと思いますよ」

 

「やっぱりか……」

 

「『おいおい』、だと思いますよ?」

 

 俺の呟きに、大淀も同じような顔でそう言ってくる。やっぱり、駆逐艦だよな。しかも、所属する艦娘の中で一番多いし、一人一人を秘書艦にして慣れさせるのは効率、負担的に共々悪いし。まぁ大淀の言う通り、『おいおい』考えていけばいいか。

 

 そう結論付けると同時に注文していたトレイが差し出される。それを受け取って、俺たちは夕立を探す。すると、カウンターから少し離れた場所でこちらに手を振る夕立が。それに気づいた瞬間、何処かで聞いたことある音が聞こえ、同時に夕立が腹を抑えて蹲った。

 

 その姿に大淀共々噴き出し、笑いを堪えながら彼女の元へと向かった。

 

 

 

 

「はい、待ちに待ったご飯ですよー」

 

 

「いっそ殺してっぽい……」

 

 

 そう言いながら夕立の前にトレイを置くと、彼女は蹲りながらそんなことをのたまう。飯食う時に何言ってんだ、と言って夕立の手に箸を握らせた。握らされた箸を見つめ、渋々と言った顔で手を合わせて食べ始める。こんな時でも合掌は忘れないんだな、なんて場違いなことを思いながら、俺も同様に手を合わせて食べ始めた。

 

 

 

「提督」

 

 

 昼食を粗方食べ終わった頃、不意に声を掛けられた。振り返ると、困った顔の榛名が近づいてくるのが見える。

 

 

 

「どうした?」

 

「いえ、ちょっと……」

 

 

 俺の言葉に榛名は辺りに目配せしながら言葉を濁し、手で近づいて欲しいと訴えてくる。周りに聞かれたら不味いのか、そう思いながら榛名に近づく。

 

 

「実は今、鎮守府の入り口に大本営の人間だと言う人が来ていまして、提督と引き合わせろと言ってるんですよ」

 

 

 大本営からの? うちに人を寄こすのは中将ぐらい……いや、今まで中将からの人はちゃんと名乗っていた。なら、中将ではない大本営の人間からか。一体誰が?

 

 

「申し訳ないのですが、対応をお願いします」

 

「分かった」

 

 申し訳なさそうな顔の榛名にそう言って、俺は元の席に戻る。すると、案の上不安そうな表情を大淀と夕立が向けてきた。

 

 

「どうしました?」

 

 

「いや、ちょっとしたトラブルだ。ちょっと行ってくるが、二人は食べ終わったら先に執務室に行っててくれ。すぐ帰ってくる」

 

 

 心配そうな表情の大淀にそう返しながら残りを掻き込み、途中で抜けることに詫びを入れて、食堂を後にした。そのまま建物を出て、鎮守府の入口へと向かう。

 

 その途中、工廠脇から見える海の遠くに、海面を疾走する艦娘の姿が見える。時間帯的にどれかの艦隊が帰投する頃か。この用が終わったら労っておこう。そう思いつつ、歩くスピードを少し上げた。

 

 

 やがて、鎮守府の入り口を示す錆びた門と、その脇に止まる黒塗りの車と、同じく黒塗りの軍服に身を包んだ人間――――所謂憲兵が見えた。その憲兵は近づいてくる俺に気付くと、待ってましたと言わんばかりに表情を綻ばせた。

 

 

「良かった、やっと来てくれた」

 

 

「あ、いえ……その、随分お待たせしてしまい申し訳ありません」

 

 

 何故か手を差し出してきたその憲兵に驚きながらもその手を取り、軽く謝罪する。すると、その憲兵はそんなことどうでもいいと言いたげに首を振り、懐から一枚の封筒を取り出した。

 

 

「これ、大本営からの正式な書類。内容は、大本営から一名憲兵を送ること、そしてその人物についての詳細が書かれている。さぁ、見て見て」

 

 

 憲兵は慌てるようにそう言いながら封筒を差し出してくる。その言葉に俺をそれを受け取り、その場で開いて中に目を通す。確かに、そこには憲兵を一人派遣する旨と、派遣される憲兵の詳細が書かれていた。それを一通り読んで、俺は改めて前に立つ人物を見る。

 

 

 

「なるほど、貴官がうちにやってくる憲兵ですか」

 

 

「ま、まぁ書類上(・・・)は、ね。だけど、重要なのはここからだ」

 

 

 俺の問いに歯切れの悪い言葉を零した憲兵は、次に真剣な表情を向けてきた。

 

 

 

 

 

「ここに派遣される憲兵は書類上僕だけど、実際にやってくるのは僕じゃない。ここを分かって欲しい」

 

 

「……どういうことですか?」

 

 

 訳の分からない言葉、と言うよりか不穏な言葉に眉を潜める。すると、憲兵はじっれたそうに頭を掻く。その姿に更に眉を潜めるも、彼が俺の表情に気付く様子はない。いや、気付く余裕がないと言った方が正しいか。

 

 

「と、ともかく。僕はただ書類(これ)を渡しに来ただけで、本当(・・)の憲兵は後日やってくる。それだけ君が分かっててくれればいいから。じゃ、あんまり長居すると不味いから」

 

「あ、ちょっ」

 

 

 憲兵はそれだけ言うと、俺の言葉を振り切って車に乗り込み、すぐさまエンジンをかけて走り出してしまった。一人残された俺は走り去る車、そして手にある大本営からの書類に目を落とす。

 

 

 このタイミングで、大本営からの人員派遣かよ。それに関してはこっちの状況を見ながら中将との相談の上って言う話だったけど、多分中将を通してない。となると、これを動かしているのはあまり好意的ではない人物だろう。あの感じだと、断ったところで何も変わらないか。

 

 取り敢えず、やってくる憲兵には警戒するよう言っておいて、念のため中将にも報告しておこう。そう結論付け、書類を封筒に戻して懐にしまい、鎮守府へと歩を進める。

 

 

 その間、憲兵派遣は誰が仕組んだことかと考えたが、中将以外に心当たりがあり過ぎて的を絞り切れない。結局、結論が出ないまま執務室へと辿り着いた。まぁ、今考えたところでどうにもできないな。そう疑念を片付け、扉に手を掛けた。

 

 

 

「ただい――」

 

 

「ひっ」

 

 

 間の抜けた俺の声を、小さな悲鳴(・・)が掻き消した。それと同時に、鋭い視線を中に向ける。そして、執務室の真ん中で立ち尽くす一人の艦娘と目があった。

 

 

 

 

「っ!?」

 

 

 その艦娘は、俺と目が合った瞬間、小さく声を漏らす。それと同時に手に持っていたモノを傍に投げ捨て、俺目掛けて突進してきた。思わずその身体を避けるとその艦娘は俺の脇をスルリと走り抜け、廊下に飛び出す。廊下に飛び出した際に着地に失敗して盛大にこけるも、すぐさま立ち上がった彼女は一目散に走り出した。

 

 

 凄いスピードで走り去るその背中に、俺を張り上げてその名(・・・)を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「夕立!!」

 

 

 

 俺の声は、その艦娘――――――その大きな瞳に涙と恐怖を携えた夕立に確かに聞こえただろう。しかし、彼女の後姿が消えるまで、その顔がこちらに向けられることは無かった。




2/6 夕立の語尾を修正

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