新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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艦娘の『役目』

「さて、今日も頑張りますかぁ」

 

 

 誰も居ない執務室。そこでポツリと呟きながら、俺は軽く身体を動かしている。日々のデスクワークで凝りに凝った身体を少しでも解そうと思ってやっているが、如何せん心得が全くないので効果があるかは分からない。それでもやっているのは、『やらないよりはマシ』と言う貧乏性が板についた行動だと思う。

 

 

 とまぁ、そんなことを考えながら大きく伸びをすると、ポキポキと言う素敵(・・)な音が身体の至る所から鳴りまくる。その軽快かつ不穏なメロディが『執務の始まり』と『身体の衰え』を感じさせる。いや、『衰え』じゃなくて『疲労』か……世間一般で言えば俺はまだまだ『若者』だし。

 

 

 何となく目を閉じれば、仕事に就きながらも自分の好きなことをやっている同世代が見えたり見えなかったり。深海棲艦との戦争中ではあるが、その影響を―――『命の喪失』として真っ先に受けるのは軍属の連中(俺たち)だ。勿論、一般市民――――所謂『国民』も物資の不足によって日々の生活を(おびや)かされているだろうが、それを考慮しても(俺から見たら)極々普通の生活を送っているだろう。

 

 

 『羨ましい?』、と聞かれたら、『羨ましい』と答える。その理由は『自由がある』こともそうだが、一番は『当たり前』のように軍に守ってもらえること。

 

 

 軍人は国民を守るのが『義務』であり、何よりも優先すべきことであるのは大本営に召集された際に嫌と言う程聞かされ、そして俺自身も重々理解している。軍の運営、維持には莫大な資金や物資、人員が必要不可欠であり、それを補っているのが国民であることも、今こうして鎮守府と言う建物に居て、暖かい食事と寝床にありつけているのも彼らのお蔭であると、分かっている。

 

 でも、税金などは経済の流れを作る人、そしてそれを回す人が居なければ集まらないし、食材などの物資はそれを生み出す生産者が居なければ始まらない。人員に関しては、俺のように『志願』する者と、艦娘たちのように『召集』の名目で徴兵される者だけ。しかも艦娘が出現したことで徴兵される対象も絞られることとなる。

 

 

 つまり、『全国民が軍を支えている』と銘打たれた名札の裏では、その殆どが一部の人間に集中し、それ以外はそこまで負担がかかっていないと言うことになる。そして、軍の守る対象はそう言った人間も含めた『全国民』なのだ。

 

 

 まぁ、『志願』で一部の人間(こちら側)に飛び込んだ俺がどうこう言える立場じゃないし、この発言もお門違いだってのは分かってるさ。同期に、日々の食い扶持を得るために飛び込んだ奴も居るぐらいだ。俺たちがいくら喚こうが、その身にのしかかる負担は全て自己責任だ。

 

 

 

 でも、艦娘は、あの人(・・・)は――――――

 

 

 

 

 

 

 不意に、コンコンと言う軽い音が聞こえた。思わず身を強張らせ、音の方を向く。それは廊下へと続く扉、先ほどの音は誰かが扉をノックしたのだろう。それが分かった瞬間、安堵の息と共に身体から力が抜けた。

 

 

 

「どうぞ」

 

「失礼します」

 

 

 一呼吸おいてそう答えると、凛とした声と共に扉が開かれる。しかし、その『声』を聞いた瞬間、俺は思わず眉をしかめた。

 

 その声は、いつも傍で聞いている大淀の声ではない、別の声だった。でも、知らない声ではない。その声が大淀ではない『誰か』で、その『誰か』が分かっていて、そして何よりも今日(・・)執務室(ここ)に来るような人物ではないから、思わず眉をしかめたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「隼鷹……か」

 

 

 そんな動揺を出さぬよう、俺は扉を閉めるためにこちらに背を向けている『誰か』――――隼鷹の名を口にした。対して、彼女はこちらに向き直って俺を一瞥し、言葉の代わりに黙って一礼する。

 

 

 そのまま互いに一言も発することなく、ただ沈黙だけが流れた。いや、俺に関してはこの状況を理解しようと必死に頭を働かせていたわけだが、隼鷹に関してはそんな俺をただ黙って見つめてくるだけだ。

 

 

 と言うか、何で隼鷹がやってきたのだろうか。

 

 確か、今日彼女は非番だ。そのため彼女が執務室に来る必要性は無く、且つ雪風のように積極的に俺に絡みに来るような性質でもない。しかも、試食会(あの日)以来彼女と言葉を交わしたこともなく、たまに鎮守府内で見かけるとむこうが避けていくから俺も無理に接しようとはしなかった。

 

 なので、こうやって互いの顔を真正面から見据える機会は久しぶりだし、今この状況自体が俺にとって有り得ないことだと言える。

 

 

 しかし、その疑問は固く閉ざされた隼鷹の口が開いたことで瞬く間に氷解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飛鷹型航空母艦2番艦、隼鷹。加賀型航空母艦1番艦、加賀に代わり、本日の秘書艦を務めさせていただきます」

 

 

 一切の抑揚がなく、感情も見えない声で隼鷹はそう言葉を吐き、機械のような無駄のない動きで敬礼をする。その姿、そしてその口から吐き出された言葉を前に、俺は一言も発することなくただ立ち尽くした。その理由は彼女の言葉が予想外過ぎたことと、氷解した疑問の多さに戸惑ったからだ。

 

 

 

 今しがた隼鷹が発した『加賀』と言う言葉、と言うか名前か。これが指す人物は、この鎮守府に所属する一人の艦娘だ。

 

 

 俺がこの名を初めて聞いたのは、着任3日目にして起きた深海棲艦の鎮守府襲撃事件の真っただ中、天龍から託された無線を通じて、大淀と彼女とで演習場に残る艦娘たちの避難を行っている時だ。

 

 

 

 

 ―――こんな状況だけど、『航空母艦、加賀』よ。――――

 

 

 そんな、あまりに簡素な自己紹介だった。あまりの簡素さに面を喰らいながらも何か言葉を返そうとするが、それを遮るように同じ声が避難する艦娘たちの居場所を告げてくる。次に大淀の声、その次に加賀の声が続く。

 

 

 いつの間にか彼女の簡素な自己紹介は目まぐるしく変わる状況に押し流され、俺も彼女たちと同じように『艦娘たちの避難』と言う最優先事項に目を向けた。

 

 

 結局、そのまま俺は特に何も返すことなく、ズルズルと今日まで引きずってしまったわけだ。

 

 

 更に言えば、俺は彼女の名前は知っていてもその素顔(・・)は知らない。と言うのも、今の体制が施行されてから今日まで、加賀は俺の前に現れたことはないのだ。

 

 

 勿論、加賀が出撃もせずに過ごしていたわけではない。出撃する艦隊にも所属していたが、うちの体制上旗艦以外は執務室に来ることは無いため、出撃する時は決まって僚艦として名簿の中にある名前でしか見たことは無いのだ。また、秘書艦だって今日が初めて。名前や声は知っているがその風貌は知らない、なんて提督としてはあまり宜しくない関係ではある。

 

 

 まぁ、俺が顔を知らないだけで、本当は何回も顔を会わせているかもしれない。と言うか、あの試食会で否が応にも目立ったのだから、少なくともあっちは俺を把握しているだろう。あちらからすれば、所属する艦娘の顔も知らないのか、なんて呆れられるかもしれないな。

 

 

 とまぁ、そんなこんなで俺は今日初めて加賀の顔を見れると思っていた。そして、今目の前に立つ隼鷹がそんな彼女の代わりにやって来た、と言ってきたのだ。

 

 

 其処までは何とか理解できた。よし、取り敢えず詳細を聞こう。

 

 

 

「加賀に何かあったのか?」

 

 

「体調不良です」

 

 

 おずおずと言った感じの問いに、隼鷹は言葉数少なく返す。にしても体調不良か……無理させちまったか?

 

 

「その話、初耳なんだけど」

 

 

「今朝方に体調を崩されたからです。更に、本人が動けない状態なので、代わりに私が報告兼秘書艦代理を頼まれました。大淀には先程報告しています」

 

 

 成る程、今朝方に悪化して報告が遅れた、と。それも動けない程……。ちょっと予定を見直す必要があるかも。いつもなら居る筈の大淀が来ていないのは、多分様子を見に行ったのだろうか。いや、それよりもまずは聞くことがある。そう思って、顎に手を当てて考える。

 

 

「先ず、食欲はあったか? いや、動けないならある訳ないか……なら、後で間宮にお粥辺りを用意させて……あぁ、水分はちゃんと補給させるよう言ったか? 言ってないなら、これも間宮にお願いするとして……なるべく暖かい恰好で寝させてるか? いっそ何かあった時用に誰か看病を立てた方が良いか? って、隼鷹?」

 

 

 取り敢えず頭に浮かぶ心配事を質問するも、何故か返答が無い。顔を上げると、何故か目を見開いて立ち尽くしてる隼鷹が。ん? 何か変なこと言ったか?

 

 

「隼鷹?」

 

 

「え、いや、だ、大丈夫ですよ、多分」

 

 

 もう一度、名前を呼ぶと、隼鷹はしどろもどろと言った感じで視線を逸らす。てか、『多分』って言ったな? 十中八九やってないよな? そんなことを思いながら、しどろもどろする隼鷹から時計に視線を移す。執務まで、まだ時間があるな。

 

 

「ちょっと様子を見てくるか」

 

 

「や!! そ、その必要はないです!!」

 

 

 俺がそう言って立ち上がると、慌てた様に隼鷹が止めてくる。ここ最近の予定で体調を崩したのなら、一言ぐらい詫びを入れても良いだろ。それに今後のスケジューリングの参考にもなるし、誰も損することは無い筈だ。

 

 

 それとも何だ?

 

 

「今言ったことが―――――」

 

 

 

 

 

「『嘘』よ」

 

 

 俺が言おうとした言葉が横から飛んでくる。その瞬間、俺と隼鷹は反射的にその方に顔を向け、そして目を見開いた。

 

 

 

 

「その子の言っていることは、全部『嘘』」

 

 

 またもや、その声が聞こえた。それと同時に、『ギシッ』と言う床を踏みしめる音、『スルスル』と言う床に布が擦れる音、『ガタガタ』と言う床の凹凸で何か重いモノが揺れる音、『キィッ』と言う金属の軋む音が、絶え間なく鳴り始める。

 

 

「ちょっと一人で準備するのに手間取ったけど、特に問題ないわ。別に体調を崩したわけでもないですし」

 

 

 またもや、その声が聞こえる。その声色は淡々としているが、何処か呆れたようであった。その何処か呆れた声に、聞き覚えがある。それは、無線機の向こうから聞こえた、俺の冗談を一蹴し、簡素に自らの名を口にした、あの声だ。

 

 

 

「もういいわ、大淀」

 

 

 またもや、その声が聞こえる。すると、今まで鳴り続いていた小さな音が止み、今度は床を踏みしめる音だけ(・・)が鳴り始める。それと発しているのは、今まで声の主の後ろに控えていた大淀。彼女はその横を通り過ぎて俺の横まで来ると、改めて声の主に向き直った。

 

 

 

「こうして互いに顔を合わせるのは初めてですね。今の私はあまり相応しい恰好ではないけど、こればかりは許して欲しいわ」

 

 

 

 またもや、その声が聞こえた。今度は俺に向けて、少し肩を竦めながら、ただ少し目線を逸らして、そう言った。だが、すぐさま逸らした視線を戻し、今度は俺を見上げるように見据えて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「『初めまして』、加賀型航空母艦1番艦、加賀です。本日はよろしくお願いします」

 

 

 

 

 そう言って、声の主――――――加賀は頭を下げた。しかし、俺はその姿をただ黙って見つめた。いや、どう反応していいのか分からなかった。

 

 

 

 

「……私の顔に、何かついていて?」

 

 

 いつまでも何も言わない俺に、加賀は怪訝そうに見上げてくる。いや『怪訝そうに見えた』だけだ。何故なら、その表情は一切変わっていないのだから。でも、若干低い声色に首を傾げた仕草で、俺が勝手に不審に思っていると解釈しただけだ。

 

 

「い、いや、何もついていないよ。ただ……」

 

 

 加賀の問いに俺は慌てて訂正をするも、その視線はある一点を捉えていた。

 

 

 それは、加賀の恰好(・・)。先ほど、挨拶をするには相応しくない格好だと彼女自身が言った通り、その恰好はお世辞にも人前に出るようなものではないだろう。

 

 

 何せ、今彼女の恰好は、弓道で使うような白い胴着にスカートの様に裾の短い青い袴、照明の光を照り返す黒い胸当て、足先から膝まで伸びる黒のハイソックスだからだ。恐らく、ハイソックスは膝より上まではあるだろう。そう、恐らく(・・・・)だ。

 

 

 何故、断言できないか。それは彼女の腹部から膝に掛けて薄い毛布が()から覆っているからだ。

 

 

 何故、上から毛布で覆われているのか。それは彼女が『立っている』のではなく、『座っている』からだ。

 

 

 何故、彼女は『座っている』のか。いや、もっと言えば、『何』に座っているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「別に珍しいモノでもないでしょ? 『車椅子』なんて」

 

 

 そう言って、加賀は俺から視線を外しながら自らが手を、身を置くモノ―――――車椅子を撫でた。その瞬間、俺は加賀から、正確には彼女が腰掛けている車椅子から視線を外した。

 

 

 外した視線の先に居たのは隼鷹。彼女は加賀から見えない場所でバツの悪そうな顔をしている。しかし、その表情からは、何処か悲しそうな雰囲気が感じられた。

 

 ふと、そんな彼女と視線が合う。しかし、すぐさま隼鷹から視線を、正確には身体の向きごと逸らされた。

 

 

 そんな隼鷹から、加賀に視線を戻す。それまで加賀は視線を伏せて車いすを撫でていたが、すぐに俺の視線に気付いて目を合わせてきた。多分、横目で俺の様子を伺っていたのかもしれない。

 

 

 ふと、ある言葉が浮かび上がった。

 

 

 

 

 

 

「出撃していたのか?」

 

 

 ポツリと、口から言葉が漏れた。その言葉に、加賀が目を大きく見開く。同時に、彼女が腰掛ける車椅子が軋んだ。

 

 

 

「出撃していたのか? それ(・・)で、その恰好で? 今までずっと、俺に言わずに出撃していたのか?」

 

 

「……提督、もう少し言葉を選んでちょ―――――」

 

 

「答えろ」

 

 

 加賀の言葉を遮るように、少し強めの言葉を投げかける。その言葉に、あれ程動じなかった加賀の顔に不満が浮かぶ。しかし、それを気に掛ける余裕なんてない。

 

 

「……さっき言った通り、何も(・・)問題ないわ。執務も出来ますし、出撃だって艤装を付ければ普通に戦え―――」

 

 

「駄目だ!!」

 

 

 伏し目がちにそう言葉を漏らした加賀に、思わず大声を上げる。突然の大声に目の前の加賀が、そして視界の端に居る隼鷹が弾かれた様に顔を上げる。

 

 

 それが見えた。でも、見えただけ。今の俺に、それを目にすることしか出来なかった。

 

 

 

「出撃なんか……出撃なんか駄目だ!! 艤装が付ければ問題ない、艤装を付ければ普通(・・)に戦えるとか、そんなの関係ねぇんだよ!! 絶対に!! 絶対に駄目だ!! 駄目なんだよ!! てか何で今まで出撃してきた……? そんな姿で!! そんな状態(・・)で!! 何で……何で今まで黙ってた!! 何で黙ってたんだよお前ら(・・・)!! ふざけんな!! ふざけんなよ!! それで……それでもししず―――――」

 

 

 

ふざけないで(・・・・・・)

 

 

 吠えるように吐き出された言葉は、胸の奥から沸き上がる熱は、頭を一杯にする激しい怒りは、全てその一言で掻き消された。

 

 

 

「何言ってるの? 艦娘(わたしたち)は深海棲艦と戦い、そして深海棲艦から人間(あなたたち)を守るのが役目。それこそが私たちが存在する意味、『存在意義』よ。そして、提督(あなた)は、私たちにそれをさせる(・・・)のが役目。それが、『提督』であるあなたの存在する意味、『存在意義』よ……違うかしら?」

 

 

 そこで言葉を切った加賀は、無表情のまま首を傾げてくる。頭の中では、色々と言いたいことがあった。しかし、身体が動かない。頭は血管がはち切れそうな程回転しているのに、それ以外全てが動かないのだ。まるで、蛇に睨まれた蛙のように。

 

 

 

「さっき言いましたけど、私は艤装を付ければ(・・・・)戦えるの。艤装さえ付ければ、艦載機を発艦することも、艦載機の妖精たちに指示を出すことも、敵の攻撃を避けることも、海上を走ることも、地上を歩くこと(・・・・・・・)だって出来るの、普通(・・)に出来るのよ。地上で使わないのは余計に資材を消費するから、だから地上では車椅子(これ)に頼っているだけ。車椅子だからって『戦えない』わけじゃないの、車椅子だからって『守れない』わけじゃないの、『役目を果たせない』ってわけじゃないのよ」

 

 

 

 またもや、加賀はそこで言葉を切り、またもや無表情の顔を向けてきた。いや、違う。その表情は、表情だけは同じだ。

 

 

 違うのは、その瞳。車椅子に座っているため俺を見上げるように向けてくる、吸い込まれそうな程深い黒の瞳だ。なのに、その瞳に何処か既視感を覚えた。それが何処で見たモノかまでかは分からない。

 

 

 

「そんな私から役目を、『存在意義』を奪うのかしら? 私と言う『存在』を否定(・・)するのかしら?」

 

 

 

 

 加賀が、そう問いかけてきた。いや、問いかけられると言うよりも言い含められたと言った方が正しい。何せ、その問いかけに俺は何も言えないから、その問いかけにふさわしい解答が、まったく浮かんでこないから。

 

 

 

 何せ、その言葉を真っ向から否定できない、全くもって当然の『正論』だったから。何せ、『存在意義(それ)』を決めるのは俺じゃなくて彼女だったから。

 

 

 

 そして何より、それを否定すること自体、彼女自身を否定してしまうことになるから。

 

 

 

 

「どうなの?」

 

 

 何も言わない俺に、加賀は再び問いかけてきた。しかし、相も変わらず俺は何も言えないままだった。

 

 

 

 この感じ……あの時と、曙の時と同じだ。

 

 

 

 あの時も、曙から同じようなことを問われ、そして何も言えなかった。ただ、曙が問いと共に渡してくれた、彼女が、いや()が望んでいた解答をオウム返ししただけ。彼女が渡してくれなかったら、俺は今のように何も言えずただ黙っていただろう。

 

 

 そして、加賀は解答を渡してくれない。いや、渡している、渡してくれてはいるのだ。ただ、それが俺にとって容認できないモノであるだけだ、俺が望む解答(モノ)じゃないだけだ、双方が(・・・)望むそれが無いだけだ。

 

 

 

「……まぁいいわ。で? 隼鷹についてはどうするのかしら?」

 

 

 不意に、加賀がため息と共に再び問いかけてきた。俺を見つめながら。その瞬間、視界の端でバッと顔を上げる隼鷹が見える。しかし、加賀はその姿を一瞥することもなく、ただ俺を見つめ続けた。

 

 

 

 

「先ほど言った通り、隼鷹が言ったことは全部、『嘘』です。体調なんか崩していませんし、動けないわけでもありません。食欲もありますし、水分もしっかり摂りました。この格好も暖かいですし、寒くても毛布があります。睡眠も十分すぎる程とりました、看病も必要ありません。そして何より、私は彼女に言伝も秘書艦代理も頼んでいません。そうよね?」

 

 

 そこで言葉を切った加賀は、初めて隼鷹に視線を向ける。その瞬間、今まで食い入るように見つめてきた隼鷹が顔を背けた。視界の端に一瞬だけ見えたその顔には、眉間に深いシワが刻まれ、そして血が出んばかりに目一杯噛み締めていた。

 

 

「この通り、彼女が提督に言ったことは全て『虚構』、事実無根です。『妄言』と言ってしまって良いでしょう。彼女はその妄言を、あたかも『事実』のように貴方に報告した。しかも、それが露見されることを危惧して私の元に行かせないように。そんなの、自らの発言が『妄言』であると言っているようなモノじゃない。弁明の余地は無いわ」

 

 

 加賀の声は、淡々としている。なのに、その一言一言が酷く重く感じる。この感覚は、龍驤に問いただされた時と同じだ。視界の端に居る隼鷹も、加賀が言葉を吐きだす度に身を震わせ、その度に肩を落としていた。

 

 

「ともかく、彼女は提督に『妄言』を、『嘘』をついた。世間一般にだって、子供でも悪いことだってわかる様な事をしたの。それも、いつ敵が攻めてくるか分からない最前線(ここ)で。報告一つで命運すらも左右される戦場(この場所)で、『嘘』をついたの。この重大性、分かりますよね?」

 

 

 再び、加賀は俺に目を向けてきた。あの、黒い瞳を。俺の腹の内を見透かしてくる、あの大きな瞳を。

 

 

 

 

 

 

「取り敢えず、『今日一日、部屋で謹慎』と言うのはどうでしょう?」

 

 

 そんな中、加賀以外の声が聞こえた。そして、俺の視界にセーラー服の青い襟と艶のある綺麗な黒髪、そして赤と青の帯紐が映る。

 

 

 

 大淀が俺と加賀の間に割り込んだのだ。

 

 

 

 

「甘すぎないかしら?」

 

 

「だから、『取り敢えず』です。時間も時間ですし、今は取り敢えず部屋に戻ってもらって、後程相応の処分を伝えると言うのはどうでしょうか? ね、提督?」

 

 

 いきなり割り込んできた大淀に、加賀は鋭い視線を投げかけながらそう問いかけ、それを受けた大淀は少し焦りながらもそう言い、こちらに顔を向けながらそう言葉をかけてきた。

 

 

 

「あ、あぁ」 

 

 

「決まりですね。では、後程詳細を伝えに行きますので、隼鷹さんはお部屋に戻ってください。加賀さんはこちらに机と本日の書類を用意していますので、目を通しておいてください。提督も、こちらです」

 

 

 

 俺から言質を取った大淀は流れるようにそう指示を出す。あまりの自然な流れに俺は一瞬思考が止まるも、それはこちらに振り向いた大淀から書類の束を手渡されたことで動き出した。

 

 大淀は苦笑いを浮かべながら俺の横を通り過ぎ、その後ろ姿に鋭い視線を向けていた加賀は一つ溜め息をつき、今まで固まっていた隼鷹は呆けた顔のままよろよろと廊下へと続く扉に進む。その中で、扉へと進む隼鷹の顔には、暗い影が掛かっていた。

 

 

 

 

「失礼しま―――」

 

 

「待ちなさい、何か提督に言うことはないの?」

 

 

 出て行こうとした隼鷹に、加賀が声を投げかける。同時に、今まで見たことのないような鋭い視線を投げかけた。その言葉、そして視線に隼鷹は身を震わせるながら、俺に向き直った。

 

 

 

 

 

「すみませんでした」

 

 

 

「あ、や、だ、大丈夫だ。じゃあ、後でな」

 

 

 

 頭を下げる隼鷹に、俺はつっかえながらそう返す。その瞬間、何故か加賀が鋭い視線をこちらに向けてきた。それを見て見ないフリをしながら隼鷹に戻る様促すと、それを受けた隼鷹はもう一度深々と頭を下げて出て行った。

 

 

 

 

 

 

「甘いわね」

 

 

 ボソリと、加賀の声が聞こえた。それが誰に向けられた言葉であるか、そして誰の行動を指しているのか、何となく分かってしまった。しかし、それも再び扉をノックされたことで有耶無耶になる。

 

 

 

「どうぞ」

 

 

 俺の代わりに大淀がそう声をかけると、「失礼します」と言う言葉と共に扉から数人の艦娘たちが入ってきた。彼女たちは本日出撃する艦隊の旗艦たちで、いつもの無線の確認をしに来たのだ。しかし、彼女たちは加賀を見た瞬間にその表情を強張らせた。

 

 

 

「加賀……さん」 

 

 

「何してるの? さっさと済ませるわよ」

 

 

 その中の一人が、小さく声を漏らす。他の者も声のかわりに、その表情が全てを物語っていた。対して、加賀は特に気にする様子もなく、無線の通信確認を始める。その様子に、艦娘たちも何も言えずに取り敢えず確認に入った。

 

 

 

 

「提督さん?」

 

 

 不意にそう声を変えられその方を見ると、いつの間にか俺の前で不思議そうに見上げてくる夕立が。しかし、それと同時に、何故夕立がここに居るのか、と言う疑問が湧いてくる。今日の予定では、彼女は出撃組の僚艦で執務室に来る必要はないからだ。

 

 

 

「……何で居るんだ? お前、今日は僚艦だろ?」

 

 

「日記を貰いに来たっぽい」

 

 

 日記を貰いに来たって……お前、この後出撃が控えてるんだぞ? 今渡したところでゆっくり見れないだろ。出撃が終わった後でいいじゃねぇか。

 

 

 

 

「お、『お願い』の返事が早く欲しいから……」

 

 

 俺の言葉に、夕立は何故か視線を逸らせながらそう答える。その言葉の意味を、一応は理解することが出来た。しかし、それと同時に新たな疑問が生まれた。

 

 

 

 夕立が言った『お願い』――――それは、昨日彼女から渡された日記に書かれていたこと、『願い事が叶うおまじないを教えて欲しい』のことだ。

 

 

 それまで、日記では互いにその日あったことを綴り、それに対する感想などを書いていた。夕立からは出撃でこんなことがあったとか、非番を誰とこんな風に過ごしたとか、今日のご飯は美味しかったとか、そんな他愛もないやり取りだ。

 

 しかし、昨日貰った日記にはそのようなことが一切なく、代わりに『願い事が叶う方法を教えて欲しい』と言う質問のみが書かれていた。理由もなく、ただ漠然と質問のみが、しかも少しでも読みやすいよう丁寧に書かれていたのだ。

 

 それを見た時、真っ先に理由は何だと思った。しかし、日記からそれを読み取る情報は無く、かと言って彼女に聞きに行くのは日記をやる意味がない。取り敢えず、その理由とその質問に対する答えを書き、その答えに必要なモノ(・・・・・)も一応用意しておいたわけだが。

 

 

 

「何であんなことを書いたんだ?」

 

 

「えっと……秘密っぽい」

 

 

「夕立、そろそろ行くよー」

 

 

 再び問いかけると、またもや夕立は視線を逸らした。そんな彼女に怪訝な顔を向けるも、その直後に加賀との確認を終えた艦娘の一人が夕立を呼ぶ。その言葉に、夕立は旗艦である艦娘、その次に俺を見て、そして顔の前で手を合わせて頭を下げてきた。どうやら、理由を言う時間は無いらしい。

 

 

 それを受けて、俺は自分の机から夕立との日記と、その答えのために用意した袋を引っ張り出し、彼女の手に押し付けた。夕立は日記と共に押し付けられた袋を凝視するも、すぐさま俺に頭を下げて踵を返し、旗艦たちともに部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

「『贔屓』とは感心しないわ」

 

 

 ふと、加賀の声が聞こえる。彼女の方を見ると、無表情の加賀。しかし、その視線は先ほど同様鋭い。

 

 

「べ、別に贔屓しているわけじゃ――――」

 

 

「『特定の個人だけに何かを与える』ことが、『贔屓』以外になんていうのかしらね?」

 

 

 俺の言葉に、加賀は視線を逸らしながらそう吐き捨て、そのまま大淀が用意した机に向かう。その後ろ姿を、俺はただ黙って見つめ、やがて彼女と同じように自分の机に向かった。

 

 

 その間、一言も発しなかった。そう、発しなかった(・・・・・・)のだ。

 

 

 

 

「では、本日はよろしくお願いします」

 

 

 俺と加賀が席に着くと、コホンと言う咳払いと共に大淀がそう言い、軽く頭を下げた。普段彼女はそんなことをしないのだが、多分俺と加賀の間に流れる重い空気を少しでも払拭しようとしたのだろうか。

 

 

「お願いします」

 

 

「お願いします」

 

 

 それを受け、俺は大淀と同じように軽く頭を下げる。加賀も、無表情のままそう言い、頭を下げた。それを見て、何処か安心したような顔の大淀が、早速書類を渡してきた。それを受け取り、それぞれがペンを握りしめた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 執務が始まって、大体二時間程が経っただろうか。時計を見ても、短針が『11』を僅かに過ぎたばかり。お昼まで、少しばかり時間がある。いつものこの時間なら、執務室はペンを走らせる音が延々と響いているはずだ。

 

 

 なのに、ペンを走らせる音は一切しない。因みに、今俺のペンは止まっている。もっと言えば、大淀のペンも止まっている。もっともっと言えば、加賀のペンも止まっている。

 

 

 それは何故か? 簡単な話、『執務』が終わったからだ。

 

 

「えっと……大淀さん? しょ、書類とかは無いんですかね?」

 

 

「は、はい……午前の分、そして『午後の分』も無いですぅ……」

 

 

 俺の問いに、魂が抜けてしまった顔の大淀がそう答える。ほう、『午後の分』も無い、と。え、それってつまり、今日一日分(・・・)の書類を片付けちゃったってことですか? まだ半日も経ってないよ? 嘘でしょ? 嘘ですよね? ねぇ?

 

 

 

「嘘だよね?」

 

 

「提督、そんなこと言われても困るのだけど……」

 

 

 目の前の現実から全力で目を逸らすと、代わりに手元の書類の束を纏める加賀が苦言で返してくる。いや、そうは言ってもさ、今日一日分の書類がたった半日で片付いたんだよ。今まで、大体夕方ぐらいまでかかったのが、場合によっては夕食後まで掛かっていたのが。

 

 

 

 

「それに、あの程度(・・・・)の書類なんてすぐ終わるわよ。大方、『提督』に合わせてたんでしょうけど」

 

 

 とどめとばかりに、加賀がため息交じりにそんなことを言ってくる。その言葉に俺は完全ノックアウトです。大淀も特に否定することなく苦笑いを溢すのみ。そこは嘘でもいいから否定してほしかった。

 

 

 てか、それって俺がやらかしたミスを加賀が手直ししたってことか。何か今日は跳ね返ってくる書類がほぼ無いなとは思っていたが、そう言うことかよ畜生。

 

 

 

 

「で、このまま執務室(ここ)でボケっとしているわけにはいかないでしょう? 私的には、明日の分も片付けるのがいいと思います」

 

 

 そんなノックダウン状態の俺に、呆れたように加賀が問いかけてくる。その言葉に、俺は加賀、そして大淀に目を向け、首を捻った。

 

 

 多分、普通なら明日に回す筈の分をやるのが妥当か。前倒しになる分、後々が楽になる。むしろ作業効率がいいときにやって、貯金を作るのが賢いだろう。

 

 

 でも、それは明日やる分が決まってる前提が必要で、今俺たちにはそれが無い。なので、明日の分をやろうにも先ず『明日の分』が何なのかを見極める必要があるのだ。なら、見極めればいい。

 

 

 

 しかし、一つだけ。やりたいこと(・・・・・・)がある。

 

 

 

「いや、先ず休憩しよう」

 

 

「休憩……『一休み』ですね」

 

 

「なるほど、休憩しながらやることを考えるわけ、ね。良い判だ―――」

 

 

「いや、そうじゃない」

 

 

 俺の呟きに、都合よく解釈する大淀と加賀の言葉を否定する。すると、大淀は眉を潜め、加賀も表情自体は変わらないが、その目からは不満げな雰囲気が感じられた。

 

 

 それらを受けて、俺は今まで腰掛けていた椅子から立ち上がり、スタスタと歩を進める。その姿を、他の二人は不思議そうに目で追うも、やがて一人が目で追うのを止めた。

 

 

 

 

「提督、何で私の後ろに立っているのかしら?」

 

 

 追うのを止めた一人――――加賀は真正面を向きながら、自らの背後に立つ俺に向けてそう問いかけた。今なお追っている大淀は、ただ呆けた顔で俺を見つめてくる。

 

 

 

「加賀、最近外に出たことは?」

 

 

 そんな二人を前にして、俺はただ一言、そう言葉を漏らした。すると、今まで前を見続けていた加賀が真上に顔を向け、鋭い視線を向けてくる。視界の端で顔を引きつらせる大淀が見えるも、今は気にしないでおこう。

 

 

 

 

「……いいえ、無いわ。こんな恰好だから……」

 

 

「そうか、ならちょうどいい(・・・・・・)

 

 

 加賀の言葉に、俺はそう返す。すると、今まで頑なに動かなかった加賀の表情がわずかに歪む。それを真っ直ぐ見据えながら、俺は笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「外に出るぞ、加賀」


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