新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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提督の『役目』

 何で……こうなったのかしら。

 

 

 今、目の前で繰り広げられるモノ、私からすれば茶番劇に等しいそれを見て思わず頭を抱えた。

 

 

 私の目には、いつもの鎮守府の廊下、それがゆっくりと後ろに流れている。私の耳には、聞き慣れた車椅子の音、聞き慣れない革靴の音、そして久しぶりに聞いたあの声が後ろ(・・)から聞こえてくる。

 

 

 

「あの……提督」

 

「ん? どうした?」

 

 

 私の問いに、あの声―――――提督の声が聞こえ、それと一緒に視界の端に白い軍帽の鍔(つば)が現れる。彼が私を覗き込んでいるのだ。覗き込む彼を見るため、首を捻り()を向く。すると、前を真っ直ぐ見据える彼の顔が見えた。

 

 私が見上げていることに気付いた彼は、悪戯っぽい笑みを向けてくる。それを向けられた私――――――加賀は思わずため息を溢した。

 

 

 先ほど、今日分の執務を片付けたことで手持無沙汰になった私たちは、今私の後ろで車椅子を押す提督の鶴の一声で『休憩』を取ることとなった。そう、動き回っていた足や手を止め、部屋の一角に腰を下ろし一息つく、その『休憩』なのだ。

 

 

 なのに、今こうして提督に押されて廊下を移動しているのは、これもまた彼の『外に行くぞ』と言う発言のせい。それは、所謂『外出』であり、彼が提案した『休憩』とは似つかぬモノだ。

 

 まぁ、確かに今日は暑くもなく寒くもなく、程よい雲と日光が照らす絶好のお出かけ日和。お昼までの時間を考えれば、ちょっとした散歩に持ってこいだと言える。だが、それはそれ、これはこれだ。それが、『外出』する理由にはならない。

 

 

 そのことを突っ込んだら、提督から『狭っ苦しい執務室に居るよりも良いだろ? 何、気分転換さ』と言われる。執務で固まった心身を解すわけね、それなら『休憩』と言えるわ。気分を切り替えて午後の執務(あるかどうかは不明だが)に臨もうと言うのだ。

 

 

 だが、何故それに私もついていかなければならないのか。そこだけは一向に解せない。

 

 

 別に、私は『気分転換』をする必要はないし、車椅子(こんな)姿で外に出たくない。執務室の隅っこのスペースとコーヒー辺りを与えられれば、それでいいのに。それ以上は望まないし、文句もない。

 

 

 まぁ、それが聞き届けられたかどうかは、今の状況を見れば分かると思うけど……。

 

 

 

「承諾した後で聞くのもアレだけど、一体どこに行く気なの?」

 

「それは着いてからのお楽しみってことで……あ、止まるぞ」

 

 

 私の問いにもったいぶって言葉を濁す提督。しかし、次の瞬間には低い言葉共に真剣な表情を浮かべる。その視線は私ではなく私の前を、これから通るであろう廊下へと向けられている。

 

 

 いや、正確にはその先に居る一人の艦娘(・・)に注がれているのだが。

 

 

 

 

『こちら、長門。次の角の向こうにて艦娘二名を捕捉……体格からして、駆逐艦の模様。恐らく、食堂に向かっているようです。いかがしますか? 提督』

 

「こちら、提督。駆逐艦二人、か……了解した。では角の手前まで移動し、彼女たちが食堂に入るまでそこで待機だ」

 

 

 耳元の無線機とすぐ後ろから、間抜けな内容の会話が聞こえてくる。しかも、無理矢理(・・・・)緊迫した雰囲気を出そうとわざとらしく声を震わせたり、息を呑んでみたり、意味深な間を開けてみたり。実に、やりたい放題と言える。

 

 時折、無線機から笑いをかみ殺す声が聞こえるのも、当人たちが悪ふざけでやっている証拠でしょうね。

 

 

 

「長門……貴女も何をしてるのよ」

 

『む? 提督に新しく開発した新型電探の性能をお披露目しているだけだが? 何もおかしくはないだろう』

 

 

 頭を抱えながら無線機の先、正確には廊下の向こうで次の角を覗き込んでいる長門に問いかける。すると、無線機から当たり前のことを言うような声色のその声が聞こえ、遠くでは彼女が装備している電探をつつくその姿が見えた。それに、更に深いため息をつきたくなる。

 

 

 と、言うのも、今こうして私が提督に押されて廊下を進んでいる原因の殆どが、この超弩級戦艦が執務室にやってきたことにあるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

「それで? 私も行く理ゆ――――」

 

「提督よ!! この長門、ようやく新型電探の開発に成功したぞ!!」

 

 

 

 一緒についていかなくてはならない理由を聞こうとした私の言葉を、ノックもせずに執務室の扉を開け放った長門が掻き消した。突然のことに固まる私たちと、その姿を見て何故か得意満面の笑みを浮かべる長門。ほんの少し、沈黙が流れる。

 

 

「長門……今は執務中よ」

 

「何故だ? 今は『休憩』中であろう? それよりも見てくれ!!」

 

 

 私の苦言に悪びれもせずそう言い、長門は今なお固まっている提督ににじり寄る。恐らく手にしている電探を見せつけるためだろう。と言うか、今までの話を聞いていたのかしら。

 

 

「勿論、ただ電探を見せびらかしに来ただけではない。今回の開発で使用した資材の数と副産物(ハズレ)の報告書を出しに来たのだ。決して、見せびらかしに来たわけではないからな?」

 

「おかしいわね……私には目的の八割が見せびらかしに来たようにしか聞こえないのだけど」

 

 

 白々しい長門の発言にジト目を向けるも、当の本人は何処吹く風。ようやく我に返った大淀に報告書を渡し、提督に電探を見せつけている。

 

 

 報告書を用意している辺り、本当にそれが目的でやってきたのは間違いない。ただ先ほどの言葉から、入るタイミングだけは謀られたと言うわけだ。全く、何を考えているんだか。

 

 

「長門、電探(それ)近くにいる艦娘(・・・・・・・)を探知することって出来るか?」

 

 

 提督が溢した言葉に、吐きかけたため息を飲み込み引きつった顔を彼に向ける。視線の先で、私と目を合わさないようにしながら同じように引きつった顔をする提督。恐らく、いや確実に見えているんでしょうね。

 

 

 

「無論、出来るぞ。むしろ、『相手よりも先にその存在を探知すること』こそが電探の役目だからな。何なら、今から(・・・)でも試してみるか?」

 

「いいのか? じゃあ、これから一緒に――」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい」

 

 

 提督の問いかけに、何故か笑顔でそう答える長門。その言葉を聞き、顔を綻ばせる提督。二人の間でトントン拍子に話が進んでいくのを、当事者なのに何故か蚊帳の外に放り出された私が口を挟む。すると、笑顔のまま長門がこちらを向き、ズイッと顔を近づけてくる。

 

 

 

「加賀、これは『任務』。提督に新しく開発した新型電探の性能を知ってもらうための、非常に重要な『任務』だ。提督から見れば、電探の性能をチェックする『執務』と言える。提督が『執務』をするのに、その横に秘書艦が控えていないのは……おかしくないか?」

 

「そんな子供みたいな屁理屈で納得するわけないでしょう。それに、ついていくにしても私じゃなくて大淀でも良いじゃない」

 

「私は長門さんの報告書を確認しなければならないので……それに、提督と秘書艦が執務をされるのに、提督補佐()だけ休憩をいただくのはよろしくありませんから」

 

 

 長門の屁理屈を一蹴しつつ話題の矛先を大淀に向けるも、こちらも何故か笑顔の大淀にかわされてしまう。しかも、自分は秘書艦ではなく提督補佐である、と釘を刺してくる念の入れよう。

 

 

 いつの間にか……いえ、元々執務室(ここ)に味方は居なかったわね。

 

 

「頼むよ、加賀。電探があれば道中で艦娘に出会う可能性も殆ど無くなるし、何より電探のチェックと気分転換が一緒に出来て、まさに一石二鳥だろ?」

 

「『執務』は本来、『休憩』と一緒に行うモノではないわ」

 

 

 畳みかけるように語り掛けられた提督の言葉を、即座に一刀両断する。せっかく長門と大淀が『執務』で押し通してきたのに、ここで『気分転換(それ)』を使うのは逆効果も良いところよ。何より、提督(あなた)が『執務』を疎かにしては駄目でしょうが。

 

 

 私の一刀両断に目に見えて焦り始める提督と、その姿を見て「あちゃー」と苦笑いを浮かべる長門と大淀。それに特に反応することなく、しばらくあれやこれやと口走る提督を見つめていたが、それも私が溢した深いため息によって断ち切られた。

 

 

 

 

 

 

 

「分かりました。行けば良いんですね?」

 

「本当か!?」

 

「本当です」

 

 

 観念したと肩を竦めながらそう言うと、パァッと顔を綻ばせる提督。そんな彼に、呆れた視線を向けながら彼の言葉を繰り返す。すると、提督は何故か安堵息を漏らす。そんなに行きたかったのかしら。

 

 

「二言は無いか?」

 

「『男』ではないけど、無いわ。後、話があるから」

 

「あい分かった」

 

 

 安心する提督の横から、したり顔の長門が問いかけてくる。もう、入ってくるまでの私たちのやり取りを聞いていたのは確実ね。それに応えつつ、色々と問い詰める時間を寄こせと釘を刺すと、長門は笑いをかみ殺しながら承諾した。『もし逃げたら只では済まない』、と付け加えておこうかしら。

 

 

 そう思うも、それはいきなり動き出した車椅子によって阻まれてしまった。

 

 

 

 

「よし、なら早速行くぞ!!」

 

「あぁ、任せておけ!!」

 

「帰投の報告は私に来るよう各旗艦に伝えておきますので、気にせず『執務』に精を出してください」

 

 

 威勢の良い二つの声、そして後ろから何処か間の抜けた声を背中に受けつつ、私たちは執務室を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 そんないまいちスッキリしない形で執務室を飛び出した私たちは今、長門が探知した駆逐艦が食堂に入ったのを確認し、再び提督が向かう目的地に向けて動き出している。相変わらず、無線では異様にテンションの高い二人が悪ふざけをしているのだが、その反面今まで艦娘たちに遭遇することはなく、問題なく進んでいる。

 

 

 強いて上げるとすれば、時折私に満面の笑みを向けてくる長門にイラっとするぐらい。特筆する必要もない。

 

 

 にしても、流石は新型電探ね。今まで使っていた電探よりも探知可能範囲と精度が格段に違う。まぁ、今まで使っていた電探が幾分か古い―――――初代の頃に開発されたモノが殆どだったからだけど。それでも、ここまで高い精度はなかなか無いわ。良い仕事してくれたじゃない。

 

 

 ただ、その分電探自体が大型のため駆逐艦などが装備出来ないのが難点らしいから、哨戒を主に行う駆逐艦用の電探も開発が必要ね。開発の指揮は長門に任せるとして、後は開発に必要な資材の確保か。午後はそれを踏まえて、今一度ローテ表のチェックになりそう。

 

 

 

 とまぁ、そんなことを考えている間に長かった廊下もようやく佳境に差し掛かり、あと少しすればこの棟から外に出られるところまで来ていた。

 

 

 

 

 そんな中、その角を曲がれば玄関へと続く場所で、今まで順調に進んでいた長門の足がいきなり止まった。その様子を遠くから見ていた提督は、何事かと無線機を口元に近付ける。

 

 

 

「こちら、提督。どうした?」

 

『……こちら、長門。玄関前にて艦娘一名を捕捉、体格からして……いや、声からして夕立だ。玄関前に立っており、今のところ動く気配は無い』

 

 

 提督の問いに、無線の向こうから苦虫を噛み潰したような長門の声が聞こえる。夕立って確か今日出撃じゃあ……あぁ、時間的に帰投していてもおかしくは無いか。と言うか、帰投を報告する無線が届いてないのだけど……と、これも大淀に向かうんだったわね。

 

 頭に浮かぶ疑問を一つ一つ処理する私の頭上で、「あぁ……」と提督が小さく呻き声を漏らした。そんなに落胆するほどのこと? 電探の性能も分かったことだし、もう隠れながら進む必要はない筈よ。

 

 

「普通に出て行けば良いでしょう?」

 

「いや……何か、ここまで来たら最後まで誰にも見つからずに行きたいじゃん? 所謂、『完全勝利』ってヤツ?」

 

『分かるぞ、提督。私も同じ気持ちだ』

 

「無線飛ばしてないのに何で聞こえてるのよ」

 

 

 悔しそうにそう言う提督と、何故か無線の先から聞こえる筈のない彼の言葉に同意する長門に突っ込みを入れ、何度目か忘れたため息を吐いた。まぁ、その気持ちは分からなくはないけど。

 

 

 

『相変わらず夕立は玄関前でキョロキョロと辺りを見回しているなぁ……ん、どうやら提督を探しているようだな』

 

「俺を探してる? 何でだ?」

 

『ん~……私も提督の名前が聞こえただけだからなぁ。如何せん、電探は居場所の特定は出来ても会話の傍受までは出来ないからな』

 

 

 先ほどまでのワザとらしい言葉遣いが抜けた二人の会話に突っ込むのも忘れ、いつの間にか私は顎に手を当てる。しばし、沈黙が流れるも、それは不意に私が無線を口元に近付けたことで破られた。

 

 

 

 

「確認なんだけど、夕立に見つかりたくないのは提督と長門、どっちなの?」

 

『え、あ、ど、どっちかぁ……』

 

「加賀だよ」

 

 

 私の問いに長門は言葉を濁す中、後ろの提督はハッキリとそう言い切った。その言葉に見上げると、今まで見たことのない真剣な顔つきで見下ろしてくる提督の顔が見えた。

 

 

「俺でも長門でもない、加賀だ」

 

 

 暫し、無言で見つめ合うと、念を押す様に提督が再び言い切った。それも、見つめる私から視線を逸らすことなく、臆する様子もなく。

 

 

「……つまり、私と一緒に居る提督と言う訳ね」

 

『そういうことだな』

 

 

 提督から視線を外しながらそう漏らすと、相変わらず聞こえないのに同調してくる長門。本当は会話も拾っているんじゃないの? まぁ、この際いいわ。

 

 

「となると、ここは『完全勝利』を諦めて『勝利』に、最低でも『戦術的勝利』に持ち込むことを考えるべきよ」

 

『なるほど、要は私を切り捨てると言うことか』

 

「えっ!?」

 

 

 私の言葉に、その意味を理解した長門は何故か楽しそうに、提督は驚愕の声を上げる。頭上から視線を感じるも、気付かないフリをしよう。

 

 

 

「別に長門で確定じゃないわ。夕立は提督を探しているのだから彼を切り捨てるのも、そしてこのまま夕立が立ち去るのを待つのもアリなんだから」

 

『バカを言え。言い出しっぺの提督、そして『勝利条件』であるお前が見つかってしまったら、それこそ『敗北』してしまうではないか。それに、私はお前に改まって話をすることもない、あるなら部屋に行く。わざわざ外に出てまで話をするほど、私も暇じゃないのでな』

 

「暇じゃないくせに、こうして『茶番』に付き合っているのはどういうことかしら?」

 

『『執務』は本来、『茶番』と一緒にするモノではないのだろ?』

 

「フッ……そうだったわね」

 

 

 無線を通して長門の声と共にドヤ顔が目に浮かび、思わず笑みを溢す。すると、無線の向こうでも同じように笑いが聞こえた。それを聞いて、私は視線を未だ固まっている提督に向ける。

 

 

 

「で、どうするの? 私は別にどちらでもいいのだけど」

 

「で、でも……」

 

『気にするな、提督。私の目的は電探を見せた時点で九割方完遂しているのだから、ここでどうなろうが『勝利』は揺るがん。むしろ、駆逐艦用の電探開発に夕立を引き込めるチャンスだ。申し訳ない(・・・・・)が、此処は私に『完全勝利()』を持たせてくれないか?』

 

 

 

 私の言葉に表情を曇らせる提督。そこに明るい声色で、暗に『自分を切り捨てろ』と催促する長門の言葉。やっぱり見せつけに来たんじゃない、と言う突っ込みを飲み込み提督を見る。ほんの少し唸った後、彼は無線を口元に近付けた。

 

 

「長門、確か玄関の前って結構広かったよな? 夕立を玄関口が見えない隅の方に誘導して、それが終わったら合図を頼む。そのタイミングは任せるし、こっちも玄関を抜けるタイミングも伝える。だから―――」

 

『そう細かく指示をしなくてもいい。要は、提督たちに気付かないように夕立の気を引けばいいのだろう? 心配するな、このビックセブンに任せておけ』

 

 

 何処か早口に説明する提督にゆったりとした口調で長門が窘める。そして、無線の先で自慢げに胸を張るその姿が浮かぶほど、彼女は仰々しく言い切った。その言葉に一瞬固まる提督であったが、すぐ苦笑いを溢して「頼む」と無線に語り掛ける。

 

 

「やーやー、夕立!! ちょうどいいところに居てくれた!!」

 

「長門さん!?」

 

 

 その直後、無線を通さない長門の声、正確には彼女の大声量が玄関前を含め廊下に響き渡り、その中で夕立の狼狽える声が聞こえた。と言うか、これ大丈夫なのかしら? 明らかにワザとらしいのだけど。取り敢えず、提督にお願いして先ほど長門が居た場所の手前まで移動しておく。

 

 

「少し、話をしないか? 何、ちょっと頼みたいことがあってな。それも、皆には内緒の事だ」

 

「内緒っぽい?」

 

 

 長門が発した『内緒』と言う言葉に、夕立が少し反応する。夕立のような年頃の子、特に駆逐艦は『内緒』や『秘密』と言った言葉に弱い。そのツボを突いたと言うわけだ。流石、駆逐艦に人気のビックセブンね。

 

 

「そう、内緒の話だ。ここでは人目を引く、少し場所を変えないか?」

 

「分かりましたっぽい!!」

 

 

 先ほどの大声量を出しておいてどの口が言うの、と突っ込みが出掛かるが何とか飲み込む。その後、何度か会話が続き、どうやら長門の言葉に夕立は食いついたようだ。後は、長門から合図を待つだけ。

 

 

『行け』

 

 

 そう思った直後、無線から出来る限り潜められた長門の声。それと同時に、車椅子を押す取っ手を掴んでいた提督の手に力が籠り、身体が勢いよく後ろに引っ張られる。

 

 その力に頭が後ろに引っ張られ、顔が真上を向く。すると、視界に映るのは私が身を預ける車椅子を押す提督の顔――――――――の、筈だった(・・・・)

 

 

 

 映ったのは、()の顔。

 

 

 七三分けになったダルグレー色の前髪が、そして頭の後ろで括られた髪が毛先につれて段々と細くなっていく―――――所謂、ポニーテールが風にあおられた様にフワリと浮いている。

 

 その胸元は真っ白な軍服ではなく、薄紅色の和服。肩には髪と同じ色のタスキ、その結び目がポニーテール同様フワリと浮いていた。

 

 

 しかし、次の瞬間、その顔は提督に変わる。

 

 

 ダルグレーの髪は提督の黒髪に、ポニーテルも薄紅色の和服もタスキも若干着崩れた真っ白な軍服に、一瞬にして変わってしまった。

 

 

 しかし、前髪(・・)だけは、七三分けになったその前髪だけは、提督になっても変わらなかった。

 

 

「――――さん」

 

 

 無意識の内に漏れた言葉。しかし、その返答が返ってくることは無かった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「辿り着いたぁ……」

 

 

 そう声を漏らす提督は膝に手をつき、肩で息をしている。その姿を、彼の向かい側で私はじっと見つめ、そしておもむろに彼から視線を外した。

 

 

 先ず目に入ったのは、私の身の丈を優に超える赤レンガの壁だ。赤レンガの建物と言われれば、真っ先に思い浮かぶのは工廠だ。工廠に限らず、主に艤装などの整備を行い、そして出撃に備えて艤装を保管する建物だ。

 

 次は、足元のコンクリートで塗り固められた地面、そしてそれと境界をなる青々と広がる大海原だ。ここは艦娘たちの『演習』で利用される海とは違い、出撃または帰投する艦娘の安全のために近海一帯をぐるりとコンクリートの壁で囲まれている。そのおかげで、時化の影響も受けにくい穏やかな海だ。

 

 最後は、提督が肩で息をしながらフラフラと歩み寄り、大きく息を吐きながら腰を下ろしたドラム缶だ。海風に晒されて表面が錆び付いており、それが二、三個ほどが固まって置かれている。大きさが提督の腰辺りなので、彼が腰掛けるにはちょうどいい高さだ。

 

 そんな、工廠に近い建物が両脇を固め、足元はコンクリートが広がる。そして使えないモノとして放置されたであろうドラム缶が集まる場所。

 

 

 早い話、工廠へと続く道の途中、ぽっかりと空いた空き地だった。

 

 

「いいだろ? ここ。夕立が教えてくれたんだよ」

 

 

 ふと、そんな空き地を眺めている私に、汗を浮かべながら提督が話しかけてきた。『夕立が教えた』――――ね。()とは少し違うけど、まぁいいか。ともかく、今はこっちを聞かないと。

 

 

「それで、何でこんなところに連れてきたの?」

 

 

 ドラム缶に腰掛ける提督に、早速問いかける。彼は長門や大淀の手を借りてまで、私を引っ張ってきたのだ。やはり、それ相応の理由があるに違いない。そう踏んでいる。と言うか、理由が無ければそんなことしないだろう。

 

 案の定、提督は私の問いにすぐに答えることは無く、ただ小さな笑みを浮かべて視線を外した。言いにくいことなのかしら……まぁ、自分で言うのも何だけど私は取っつきにくい性格だし、それに執務前に彼を散々に言い含めてしまったから、仕方がないか。そう思い、私も提督が視線を向けるモノを見る。

 

 

 その先は、海。潮風に揺られ、海面は小さな白波が立つ、穏やかな海だ。それは見慣れた光景だ。何せ、出撃の度に、帰投する度にその海面を移動しているのだから。帰投する際にこの海面を滑ることが、無事に帰ってこれた証なのだから。でも、出撃じゃない日に、こんな間近で海を見たのは本当に久しぶりね。

 

 車椅子(こんな)格好だ。大淀のように、提督のように、そして執務室にやってきた旗艦たちのように、私の姿を見れば誰だって気を遣う。長門はそれを隠すのが上手いだけで、やはり気を遣ってくれている。それが申し訳なかったから、任務と食事以外では部屋に居るように努めた。

 

 

 いや、申し訳ないと言うか、その気遣いが『煩わしかった』のが大きいか。

 

 

 

 

 

「楽しかった?」

 

 

 ふと、そんな問いかけが聞こえた。声の方を向くと、いつの間にか海から私に視線を戻していた提督。彼は、真っ直ぐ私の顔に、親が子供を見るような、そんな優しい表情を向けている。

 

 

「は?」

 

「だから、楽しかった?」

 

 

 その言葉、そして向けられた表情に思わず声を漏らすと、提督は同じ問いを投げかける。それに、私は少しも隠すことなく不満を顔に浮かべた。

 

 

 『楽しかった』? 何が? 今この状況が、か?

 

 

 『休憩』と銘打たれて、理由もはっきりしないままなし崩しに外に連れ出され、くだらない『茶番』に付き合わされ、やっとのことでここにたどり着き、はぐらかされた理由を問いかけたら逆に脈絡のない問いかけられる、この状況のことか?

 

 

 もしそれらのことなら、私はこう言う。

 

 

 

「煩わしかったわ」

 

 

 

 彼が私を無理やり連れ出したのは、私が最近外に出たことはないと言ったからだ。

 

 

 彼が長門と共謀してくだらない『茶番』を繰り広げたのは、そして夕立に見つかりたくないのは誰か、と言う私の問いに彼が即答したのは、私が他の艦娘と鉢合わせするのを避けるためだ。

 

 

 彼が今までやってきたことが、私を『気遣う』ことだったからだ。そしてそれは、私にとって『煩わしい』ことだったから。

 

 

 

「……そっか」

 

 

 私の言葉に、提督はポツリと呟く。しかし、その表情は暗くない。ただ、少し眉を潜め、苦笑いを浮かべた程度だ。つい先ほど、執務室で彼の言葉を一刀両断した時とは明らかに違った。

 

 

 まるで、『予想通り』とでも言いたげに。

 

 

 

 

「でも、そうね。少しだけ(・・・・)、楽しかったわ」

 

 

 でも、その表情は次に私が発した言葉によって脆くも崩れ去った。『予想通り』と言う苦笑いが、『予想外』と言う呆けた表情に。

 

 

 

「確かに、貴方たちの『気遣い』にはそう感じたわ。でもそれ以外は、長門や大淀、そして貴方との執務室でのやり取りは、長門と貴方とのくだらない『茶番』は()。それらは、楽しかったわ」

 

 

 『報告書を持ってきた』と言う建前で電探を見せびらかしに来た長門。そんな長門の屁理屈をフォローし、微笑みながら容赦なく逃げ道を塞いできた大淀。そして、それらの発端でありながら長門や大淀のフォローを台無しにし、それを慌てて取り繕おうとした提督。

 

 

 そんな、三人とのやり取りは楽しかった。

 

 

 『電探の性能を確認する執務』と言う名目で先頭を切って進み、ありふれた報告をさも意味有り気に報告する長門。その報告に、ワザと顔をしかめたり、変な間を取ったりと存分に悪ノリする提督。そして、そんな二人に色々と突っ込みを入れたり、そして最終的には―――夕立の目を掻い潜らなければいけないとき、その『茶番』に乗っかってしまった私。

 

 

 そんな、三人(・・)で繰り広げた『茶番』は楽しかった。

 

 

 そして、今こうして出撃以外で外に出たことも、穏やかな海を眺めながらゆったりとした時間を過ごすのも、この場で提督と話をすることも。もしかしたら、もしかしたら楽しくなるかもしれない(・・・・・・・・・・・)

 

 

 彼が、私の問いに答えてくれたら。

 

 

 

「もう一度聞くわ。何でこんなところに連れてきたの?」

 

 

 もう一度、同じ問いを繰り返す。未だに呆けた顔の提督に視線を、顔を向けながら。()と同じように、親が子供を見るような、そんな優しい表情を。

 

 

 

 

 

 

「加賀を……楽しませたかった(・・・・・・・・)から」

 

 

 私の問いに、提督は呆けた顔のままそう零した。先ほどのように、視線を逸らすことは無く、未だ引き締まらない呆けた顔を私に向け、片時も逸らすことなく、そう言った。

 

 

「どういうことかしら?」

 

 

 その答えに、私は更に問いかけた。すると、彼は我に返ったのか、呆けた顔を引き締め、視線を逸らしてしまう。しかし、その視線も次の瞬間には私に向けられ、その表情は苦笑いに変わっていた。

 

 

 

「朝、加賀が言ってただろ? 艦娘たちの『役目』――――深海棲艦から人間を守る『役目』を果たさせることが、提督()の『役目』であり、『存在意義』だって」

 

 

「ええ、そうね」

 

 

 提督の問いに、特に口を挟むようなことでは無かったのですぐに同意する。すると、提督は小さく笑みを溢し、再び話を続けた。

 

 

「その通り、俺たち人間は深海棲艦を倒すことが出来ない、艦娘に守ってもらわなけりゃ生きていけない。だから、艦娘が代わりに戦う、艦娘に守ってもらう、艦娘に『安全』を貰っているんだ。じゃあ、その()は? 俺たち人間は、俺たちに『安全』を与えてくれる(・・・・・・)艦娘に、一体『何』を返せば(・・・)良いんだ?」

 

 

 そこで言葉を切った提督は、今まで浮かべていた苦笑いから、何かに縋る様な表情になった。それを向けられた私は、何故か何も答えることが出来なかった。

 

 

 『人間は何を艦娘に返せばいいのか』――――その疑問が、その発想が予想外過ぎたからだ。

 

 

「『何』をって……そんなものいらないわ。だって、それこそが艦娘()たちの『役目』じゃない」

 

「あぁ、そうだ。それが『役目』―――――それこそが艦娘たちの『義務』だ。そして、人間にはその『義務』を受けられる―――――艦娘に守られる『権利』がある。じゃあ、その『権利』ってのはどうすれば得られる(・・・・)? その『権利』を得るには艦娘たちに、俺たちを守る『義務』を果たしてくれる艦娘たちに返さないと、それ相応のモノをあげない(・・・・)といけないんじゃないのか?」

 

 

 提督の言いたいことは分かる。『義務』と『権利』と言う言葉だけを見れば、人間を守る『義務』がある艦娘は、私たちに守られる『権利』を持つ人間を守る。では、その『権利』とやらを得るために何が必要か、むしろ『義務』を果たす私たちに何を与えれば守ってもらえるのか(・・・・・・・・・)。そう、彼は言っているのだ。

 

 

 でも、それはあくまで『そういう言葉』とだけ捉えた場合。彼が言った『義務』は、そのまま私たちの『存在意義』だ。私たちは存在するため(・・・・・・)に、『人間を守る』が必要になる。だから、彼の言う『権利』が在ろうが無かろうが、そこに存在する人間(・・・・・・)は悉く『守る対象』だ。

 

 

 端的に言うと、彼の語るその『人間』は、外敵から守ってもらうため(・・・・・・・・)にそれ相応のモノを提供し『権利』を得る、そして大本営はそのお返し(・・・)として彼らを守る『義務』を負う、謂わば『共生するもの同士のギブアンドテイク』だ。

 

 そして、本来の関係(・・・・・)は、『人間』は外敵と戦うため(・・・・・・・)に必要なモノを用意する、そして大本営は用意されたモノを使って外敵と戦う、それだけ(・・・・)。それは『当たり前』のことであり、その間に損得勘定は存在しない。謂わば、私たちは『一個体の防衛本能』の一部分だ。

 

 

 それに、もし提督の言に従うにしても、既に(・・)その答えは出ているはずよ。何せ、提督や私、そしてここに所属する艦娘たちにも、()はその『権利』とやらを持っていたのだから。

 

 

「その答えも分かってる。その『権利』を持っている人間は――――『国民』はこの鎮守府を、大本営と言う軍事組織を維持し、運営するだけの『税金』や『物資』、『人材』を与えている。今、こうしてお前と話を出来るのも、鎮守府で過ごしているのも、提督として、沢山の手を借りながら鎮守府を回してるのも、元を辿れば『国民』が支えているからだ。だから、俺たちはそれに対する『義務』を果たす、『国民』を守る必要が出てくる。つまり、その権利を得るなら『国民』になればいい。『国民』であると、軍のために『税金』、『物資』、『人材』を、その中でいずれかを与えていると言い張ればいい(・・・・・・・)。そうすれば『国民』になって、そして『当たり前』のように守ってもらえる」

 

 

 そう、私たちは元を正せば『国民』だ。そして、大本営(私たち)は彼らからたくさんのモノを与えられている。それが、提督の考える『権利』を得るために必要なモノとすれば、それを受け取っている私たちは、本来の関係でも、そして彼の理論上でも『義務』を果たす必要がある。

 

 

 そして、それが人間たちにとっても、艦娘たちにとっても『当たり前』のことなのだから。

 

 

「だから俺たちは……いや、艦娘たちは『国民』を守らなければならない。例え、『税金』の大半を支払う者が一部に集中していようが。例え、『人材』の半数以上が召集と言う名(・・・・・・)の徴兵で引っ張ってこられた、その『義務』を果たさなきゃいけない艦娘だろうが。例え、――――――」

 

 

 そこで言葉を切った提督は、今まで私に向けていた顔を逸らした。それも、顔を隠すように額に手を当て、ワザとらしく項垂れて。

 

 

 

 

 

 

 

俺みたい(・・・・)に、『国民』じゃなくても」

 

 

 腹の底から絞り出すような、蚊の鳴くようなか細い声で、提督が呟いた。気を抜いていたら、聞き逃していたかもしれない、いや、提督が意図的にそう仕向けたであろうが、私の耳にはしっかり聞こえた。

 

 

「だから、俺は加賀に、此処に所属する全ての艦娘に、それ相応のモノを『あげなきゃいけない』んだよ。それは、俺は『国民』じゃなくてここで艦娘を率いて深海棲艦と戦う『提督』だから、実質的(・・・)に艦娘に守られているから。なら、その『お返し』をしなくちゃいけないだろ? いや、いけないとかそうじゃなくて……したい(・・・)んだ、俺は。守られている手前こんなことを言うのもアレだけど、お前の言葉を借りるなら『与えたい』んだよ」

 

 

 先ほどまでの雰囲気とは一変し、提督は早口(・・)でそう捲し立て、そして取り繕った(・・・・・)笑みを溢す。そして、あの時――――彼が夕立に日記と一緒に何かを渡したことを皮肉った言葉を、そちらに気を取らせるように(・・・・・・・・・・・・・)使ってきた。

 

 

「まぁ要するに、提督()の『役目』は、艦娘たちを率いて各々の『役目』を果たさせること。そして、自分を守ってくれる艦娘たちに、その『お返し』をすることだと思ってる。それで、俺は夕立に交換日記を提案して、そこに書かれていた『お願い』に応えた。そして、俺は加賀に少しでも『楽しかった』と思ってもらえるよう、こうして外に連れ出したんだ。勿論、贔屓(・・)にならないよう、所属する艦娘たち皆にやっていくつもりだが」

 

 

 そこで言葉を切った提督は、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべながら頬を掻く。その姿に、私は特に何も言い返すことなく、黙って見つめ続けた。

 

 

 勿論、彼の言葉が納得できなかったわけではない。少々『甘すぎる』気もするが、彼がそうする、いや『そうしたい』のであれば、私に止める義理は無い。そして、彼が『したい』と思っていることは、恐らく間違ってはいないだろう。そう、間違ってはいないのだ。

 

 

 

 

 

 その考え方自体(・・)は。

 

 

「一つ、『お願い』していいかしら?」

 

 

「あぁ、いいぞ」

 

 

 ポツリと、思いついたように提督に問いかけた。それに、提督は笑みを浮かべる。やはり、取り繕った笑みを。それを前にして、私はこれから彼に告げる『お願い』が的外れ(・・・)ではないかを確認した。

 

 

 それが、未だに腹の底で燻っている『何故、彼が私の出撃を頑なに認めなかったのか』と言う疑問を、彼が先ほど漏らした言葉を、そしてその二つから導き出された一つの『憶測』を、適切に伝えることが出来るのかを。

 

 

 

 

 

 

「提督は『国民』だったの?」

 

 

 確認が終わると同時に、そう『お願い』を、質問を投げかけた。すると、案の定、提督の表情が強張る。そして、次に不信感を顔に浮かべた。

 

 そうだろう。何せ、私は『お願い』と言っておきながら質問を投げかけたのだから。そして、彼はその答えを―――――『()、自分が提督だから』と答えているのだから。勿論、私はそれを分かった(・・・・)上で問いかけた。

 

 

 しかし、どうやら上手く伝わらなかったようだ。なら、もう少し分かりやすく(・・・・・・)しよう。

 

 

()、『国民』ではなかった貴方を守った艦娘がいたの?」

 

 

 再び、問いかけた。今度はストレートに、私が導き出した『憶測』を投げかけたのだ。

 

 

 すると、『憶測』通りと言うか、予想通りと言うか、彼の表情が凍り付いた。そして、その視線はすごい勢いで私から彼の足元に移る。気のせいか、彼の身体が微かに震えているように見えた。

 

 

 あぁ、やっぱりか。やっぱり彼も『同じ』だ。あの人(・・・)と『同じ』じゃないの。

 

 

 

「ごめんなさい、唐突過ぎたわね」

 

 

 私はそう言って、軽く頭を下げる。すると、視界の外で目の前の人物が安堵の息を吐くのが分かった。全く、ここで息を吐く所まで同じ(・・)じゃないの。なるほど、龍驤が彼を『捨てなかった』のも()なら頷けるわ。

 

 

 

 

過去の(こういう)話は、先ず私から(・・・)するべきよね」

 

 

 そう言って、頭を上げる。すると、やはり提督は表情を凍らせていた。ごめんなさいね、私は龍驤ほど、『甘く』は無いの。

 

 

 

 

 

 

「私が車椅子(こんな)姿になったのは、赤城さ――――――いえ、赤城型航空母艦1番艦、赤城が轟沈したからです」


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