新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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二人の『願い』

「その後にそこで得た伝手で軍に志願、父さんに頼んで学費を工面してもらった。でも、入学早々『艦娘は兵器だ』なんてのたまう教師どもと真っ向から対立して、他の生徒からも浮いて、散々な学校生活だったよ」

 

「そう」

 

 

 俺の話を聞く加賀はただ相槌を打つだけだった。その表情は変わらず、視線も俺から赤レンガの壁から覗く海原に向けている。一見すると話を聞いてないように見えるが、ちゃんと聞いてくれていると思えた。

 

 

 だから、ポロポロと話してしまったのかもしれない。

 

 

「同時に無力さを、『何の能力も権力も持たないただの人間』だと知ったよ。()のように教師に噛み付く癖にお世辞にも成績は良いとは言えない、そんな奴が喚き散らそうが周りは誰も見向きせず、実力がない奴には権力も人権すらも無い。『厄介者』、『非国民』、『ロクでなし』、嫌と言うほど罵られた。でも、学校よりも此処――――『提督』になってから、容赦なく突き付けられたんだ」

 

 

 ……不味い。これじゃあの時と、龍驤の時と同じだ。出すなと言われたのに、何とか抑え込んだのに、我慢して飲み込んだのに、ボロが出ちまう。

 

 

「『守る』ためになったのに逆に守られて、支えられて、助けられて……なのに傷付けて、泣かせて、無理をさせて……ホント、何をやってんだろって、そう思って――――」

 

 

 その時、俺の視界は突然暗くなった。同時に、顔が柔らかいモノが触れ、いや勢いよくぶつかる。突然のことに言葉を失うも、暗くなった視界はすぐに元通りになった。

 

 

 そこに、上体を前に倒し、何かを投げた(・・・)ように片腕を前に突きだす加賀の姿があったのだ。

 

 

風に飛ばされてしまったわ(・・・・・・・・・・・・)。申し訳ないんだけど、取ってもらえるかしら」

 

 

 上体を起こしながら、加賀は抑揚のない声でそう言った。その言葉に俺は足元に目を落とすと、先ほどまで彼女の膝を覆っていた毛布があった。明らかに飛ばされていないだろう、と口にしかけたが、先ほどの声に有無を言わさない重圧を感じた俺は、何も言わずに足元の毛布を手に取った

 

 手に取った毛布には水滴が落ちた痕があった。その痕が何なのか、頭の中に一つの答えが浮かぶも問いかけることも出来ない。予想を胸の内に秘め、見られたくないだろう(・・・・・・・・・)その顔から視線を外し、彼女に近付いて毛布を差し出した。

 

 それを受けて加賀は両手を伸ばす。その手はしっかりと掴んだ。

 

 

 

 俺が着る軍服の襟を。

 

 

 

「ぇ?」

 

 

 予想外のことに声を上げるも、次の瞬間に襟を掴まれた加賀の両手によって引っ張り込まれた。それに抵抗することが出来ず、俺は加賀の前で膝をついてしまう。しかし、彼女の両手はそこでとどまらず、下げていた俺の視線を無理やり引き上げ、自身の顔に近付けた。

 

 

 そこで、俺は彼女を見てしまう。予想通り(・・・・)、彼女は涙を流していた。あれは涙の痕だったのだろう、そう確信するも、俺の思考はそこで止まってしまう。彼女の表情が予想通りであり、予想外(・・・)だったから。

 

 

 目を見開き、歯を食いしばり、今にも飛び掛からんとする獣のような眼光を向け、『怒』と言う感情を惜しげもなく晒している『予想外』と、大粒の涙を溢している『予想通り』が混在していたから。

 

 

 ただ、その『表情』を今までに何度も向けられたから、だ。

 

 

 

 今までの自分の行いを否定され、絶望の末に解体を渇望した金剛が。

 

 数々のトラウマを、『それだけ』の一言で済まされた隼鷹が。

 

 自らの願いを、『俺の我が儘』で切り捨てられそうになった吹雪が。

 

 仲間の落ち度すらも一身に背負い込もうとしたイムヤが。

 

 仲間の死を悲しまない雪風を『死神』と罵った北上が。

 

 降りかかる理不尽、それを納得させた理由すら否定された曙が。

 

 仲間を守ろうとし、守ろうとした存在に否定された潮が。

 

 『料理』と言う自らの役目を奪われ、あまつさえ目の前でそれを見せつけられた間宮が。

 

 

 彼女たちが浮かべていた『怒』を前面に押し出しながらもその裏にある『哀』を必死に隠そうとする、そんな表情だ。

 

 

 

 

「何で逃げたの?」

 

 

 その表情で、加賀はそう問いかけてきた。低く、凄味を効かせた、明らかに『怒』の感情を孕んだ声だ。対して、大きく見開かれた瞳から涙が零れる。それは分かった。しかし、その言葉の意味は分からなかった。

 

 

「逃げ……?」

 

「何でお母さん(・・・・)から逃げたの、って聞いているの」

 

 

 俺の言葉に、加賀は声を絞り出す。それと同時に、彼女の手に力が籠る。眉間に皺が刻まれ、目付きが更に鋭くなる。しかし、彼女の言葉は全く(・・)理解出来ない。

 

 逃げ出した? 何処がだ? 俺は母さんの死を乗り越えた。そして、母さんのようなことに他の艦娘が成らない様俺は軍人に、周りから踏みつけられ、蔑まされ、地べたに這いつくばりながらも何とか『提督』に、艦娘を守れる(・・・・・・)『提督』になったのだ。

 

 

 これの何処が『母さんから逃げている』と言うのだ。むしろ、母さんを背負っていると言える。『逃げる』と言うのは、今まさに村の連中と――――母さんを殺した連中と一緒に居ることを言うんだ。奴らと同じ空間でのうのうと生きていることこそ『逃げている』と言うのだ。なのに、何故加賀は俺を『逃げている』とのたまうのだろうか。

 

 

「私が戦う理由は赤城さんを、一航戦の名(・・・・・)をこの世に知らしめるため。戦果を挙げ続け、名を広め、『艦の一航戦』に引けを取らないほどの伝説を残すことで『艦娘の一航戦』の名を歴史に刻むの。それが私の考える、『背負う』ことよ。だけど……」

 

 

 そこで言葉を切った加賀の表情が変わる。糾弾するような鋭い目付きから、俺を蔑むような(・・・・・)目つき(それ)に。

 

 

「貴方は何をしてるの? お母さんが殺されたくせに何も言わず、『相手も同じだから』なんて理由で簡単に押し黙って……その後は『国民じゃない』なんてどうでもいい(・・・・・・)理由でその死を無駄にして。最終的に、お母さんのような艦娘をこれ以上増やさないように、艦娘(赤の他人)を守るために提督になった……なんて。そんなのお母さんの『死』から逃げているだけじゃない」

 

 

 加賀の言葉。それは、あの出来事から今の今まで俺が積み上げてきたモノ全てを無に帰する言葉、俺の全てを否定する言葉。

 

 それを聞いた今この時、頭の中では大声を上げながら加賀に掴み掛り、彼女が座る車椅子を倒し、その襟を締め上げている己の姿が瞬く間に浮かんだ。

 

 

 

 しかし、身体は動かなかった。

 

 

 頭の中にある自分が動くのと同時に、全身の体温が一気に下がった。いや、下がったのではない、集まったのだ。胸の奥に、血と共に熱を全身に行き渡らせる心臓に。体温が一点に集中し、まるで火の玉を飲み込んだかのような熱さが胸を焦がすほどに。

 

 なのに、動かなかった。それだけのことがあったのに、俺の身体は動かなかった。理由は分からない。本当に分からない。今の今までなら頭の中にある通りのことをしただろう。

 

 

 雪風を『死神』とのたまった北上に掴み掛ったように。

 

 艦娘たちを兵器と、『化け物』と罵った元帥に詰め寄ったように。

 

 榛名に伽をさせたと勘違いして金剛に手を上げそうになったように。

 

 

 そうしただろう。なのに、動かなかった。

 

 

 

 

 

図星(・・)かしら?」

 

 

 再び聞こえた加賀の声。今度は先程よりも鋭くは無いが、目付きは変わらない。俺の身体も変わらない。でも、頭の中に浮かんでいたモノは、少しだけ変わった。

 

 

「逃げてなんかない……逃げないために提督に」

 

「『赤の他人』を守るためでしょ? 提督になったのは……それが『お母さんを背負っている』ことにならないわ。さっきも言ったけど、『戦う』ことが存在意義であり、何よりそれを望んでいる艦娘を出撃させないことが、『艦娘を守る』こと? 最もらしい理由だけど、ただ単に貴方が同じ(・・)悲劇を味わいたくない、ってだけでしょ。その時点で、貴方は『お母さんの死』から逃げているのよ」

 

 

 俺の言葉を掻き消そうとしたのか、加賀は強い口調で捲くし立てる。それと同時に俺の襟を締め上げるその手が、その瞳から零れる涙が増した。その表情に、頭の中のモノがまた少し変わった。

 

 

「貴方はただ目を背けているだけ。目を背けて、在りもしない理由を絞り出し、それを周りに押し付けているだけ。それで終わらせようと、都合よく解釈しようと、何度も噛み砕いて理解しようと、自分を納得させよう(・・・・・・・・・)と、お母さんを死なせた(・・・・)理由から逃げているだけよ。死に追いやった最大の原因になるのが嫌なだけ、怖いだけ、逃げたいだけ、『理由』から逃げ出した自分を守ろうとしているだけじゃないの!!」

 

 

 彼女の言葉は叫びに変わった。それは悲鳴にも泣き声にも近い、目の前にいる俺に向けた言葉。『母さんの死』から逃げ出した俺に対する糾弾、俺が最も恐れていた言葉だ。

 

 それを叩きつけられた俺はただ息を呑んだ。加賀の言葉が図星過ぎて、自身を擁護する言葉を失った―――――わけではない。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、俺は何をすべき(・・・・・)だったんだ?」

 

 

 その問いを投げかけるために息を吸った(・・・)のだ。その問いに加賀の表情が固まる。意味が分からないのか。そりゃそうか、持っている(・・・・・)ヤツには分かる筈がないんだから。

 

 

「あの時―――――母さんが死んだ時、俺は何をすべきだったんだ? 連中を説き伏せるべきだったのか? 連中をぶっ飛ばすべきだったのか? 母さんを連れて逃げるべきだったのか? 迎撃部隊が来るまで時間を稼ぐべきだったのか? 深海棲艦を撃退すべきだったのか? あぁ、そうすべきだった。母さんを守るためならいくらでも方法があった。それをやれば良かったんだ。そうすれば母さんも死なずに済んだかもしれない、被害を最小限に抑えられたかもしれない。そう出来れば(・・・・)良かったんだ」

 

 

 連中を黙らせて従わせることが出来れば(・・・・)、母さんが見殺しにされなかったかもしれない。もしくは連中を残らずぶっ飛ばすことが出来れば(・・・・)、母さんを引っ張って逃げ出せたかもしれない。母さんを連れて逃げ出すことが出来れば(・・・・)、母さんを守れたかもしれない。迎撃部隊が来るまで時間を稼ぐことが、もしくは深海棲艦を撃退することが出来れば(・・・・)、母さんを守れたかもしれない。

 

 そう、全て『出来る』のなら良かった。そうであれば、そうでさえあれば、俺は全てを実行した。母さんを、大切な人(・・・・)を守るために、俺の命を擲ってでもそうしただろう。出来るのがどれか一つだけだったとして、俺は迷うことなく実行しただろう。

 

 

「でも俺は、その時(・・・)の俺はどれも出来なかった。人を説き伏せる弁論も、人をぶっ飛ばす腕っぷしも、人を押し退ける胆力も、時間を稼ぐ方法を導き出す頭も、深海棲艦を撃退する術も能力も、何も持ってなかった(・・・・・・・)、何も出来なかった。ただの無力な人間だった。そんな奴はあの時何をすればすべきだったんだ? 何をすれば良かったんだ? 何をすれば守れたんだ? 何が出来たんだ?」

 

 

 そう、再び問いかける。その時も、そして今でさえも何も出来ない(・・・・・・)俺が。その全てを、少なくとも『最後の1つ』は確実に出来るであろう彼女に。だが、彼女は何も答えない。一言も発せず、表情も変えず、ただ俺をじっと見つめてくるだけだ。

 

 

「『何も出来ない』奴が同じような(・・・・・)連中を非難できる立場も、その権利も資格もない。全員、『同じ穴のむじな』だ。俺も奴らと同等なんだよ。ただ好き勝手に喚き散らして、常に力を持つ存在に縋り、都合が悪くなれば『非力』を理由に非難することしか出来ない、どうしよもない奴らなんだよ。そこに脱税と来たモンだ。その時点で、俺たちは国民が持つ権利を失った。そんな奴らを――――――そんな俺を守る必要があるのか?」

 

 

 加賀が言った通り、俺はそういう(・・・・)人間だ。『力が無い』ことこそが最大の強みだ。それを免罪符にして他者を陥れ、平気で命を奪う、そんな存在だ。だから、母さんを殺してしまったのだ。殺して尚、その死を背負うことを放棄したのだ。それが今も(・・)出来ないことだったから、逃げ出したのだ。

 

 だから、そんな存在から抜け出すために、俺は提督になった。『守られる』ことしか出来ない能無しから、軍人と言う誰かを『守る』者に。それが、その時の(・・・・)俺が出来ることだった。だから、提督になった。

 

 そして、『守る』者に艦娘を含めた。『守る』ことを義務付けられた彼女たちを、『守られる』立場である国民と、人間と同じと位置付けた。それが、今の(・・)俺が出来ることだった。いや、それしか(・・・・)出来ないと思っていた。

 

 

 そして、それこそが母さんを背負うことだと、そう思い込むしかなかった。例え、それが『非力』を理由に逃げているだけだと言われようとも、そう思い込むしかないんだ。

 

 

 

 だって―――――――

 

 

 

 

 

 

「俺なんかに、守られる価値(・・)なんて無いんだよ」

 

 

 それが俺が持つ、俺への評価。守られる意味も価値も無い、その辺に転がっている石ころと一緒。あぁ、だから俺はさっき動けなかったのか。

 

 守る価値が無いと分かっているモノを守る気なんてない。そして、俺にとって『俺自身』はまさにそれだと言うことだ。守る気が無いモノをいくら糾弾されようが、気にすることは先ずない。石ころと同じ、どうでもいいことなのだから。

 

 逆に、俺が動いた時は艦娘――――俺が『守るべきモノ』だったのだ。だから傍から見れば自分のように噛み付いたのだ。今此処で、大本営から全員沈めろと言われている中で、最も『守るべきモノ』なのは彼女たちなのだから。

 

 

 待て、そうなると試食会の時はどうなる? あの時、俺は『我が儘』でメニューを変更したことは、守る価値も無い俺を優先したってことだよな。今日もそうだ。俺は自分の都合で嫌がる彼女を外に連れ出した。これって、結局は『守るべきモノ』よりも石ころを優先したってことか。

 

 なんだよ、あれだけ大口叩いておいてまだ同じ穴(・・・)ってことか。未だに、そう言う人間だってことかよ。

 

 

 

「やっぱ、守られる価値なんて―――――」

 

 

 そこで、俺の言葉は途切れた。乾いた音と同時に頬に衝撃が走り、視界が急速に変わる。その直後、衝撃が走った頬に鋭い痛みを感じた。

 

 

 早い話、加賀に殴られたのだ。

 

 

「だから、それが間違ってるのよ!!」

 

 

 再び聞こえた絶叫。今まで聞いた中で最も荒々しく、最も憤怒に満ちた、そんな表情と共に向けられた。だから、俺も同じモノ(・・・・)で返した。

 

 

「だから言ってんだろ!! 俺に何が出来たんだよ!! 俺はお前のように艤装も砲も艦載機も無い!! 深海棲艦に傷一つ付けれない俺が!! 無力な俺が!! 一体何が出来るんだよォ!!」

 

 そう吠える。それと同時に加賀を―――俺が一生かけても手が届かない(それ)を手にし、自分だけで大切な人の死を背負えることが出来る存在を。俺が―――一生かけても手が届かない力、それを持つ者を目の前にして、別の方法を模索することしか出来ない存在が、睨み付けたのだ。

 

 そこにあるのは尋常ではない『嫉妬』。持つ者と持たざる者の、決して相容れる事の出来ない、決して理解し合えない、決して手を取り合えないモノ。

 

 持つ者が手を伸ばそうとしても、持たざる者は『嫉妬』からその手を取ることはない。逆に持たざる者が助けを乞おうが、持つ者は彼等が助けを乞う理由が理解できないから、手を取ることはない。だから相容れない。

 

 端から見れば、どうしょうもないだろう。そんなどうしょうもない『嫉妬』に振り回され、勝手に傷付き、逆恨みをする。そんな人間のために誰かが死ぬ必要なんて無いんだよ。俺なんかのために死ぬ必要なんて無かったんだよ。

 

「命張って……守られるような価値なんか……」

 

 

 

「価値が無いわけ無い(・・)じゃない!!」

 

 

 俺の言葉を掻き消すように発せられた言葉。それに、俺の思考は瞬く間に止まってしまった。あれだけ強張っていた表情筋が一気に緩み、同時に全身から力が抜ける。突然力が抜けた俺は、 襟を締め上げる加賀にされるがままになった。

 

 

「貴方が自分を非力でどうしょうもない人間だと、守る価値もない人間だと思うことは、どうでも良い(・・・・・・)のよ!! 私が言いたいのは、お母さんは貴方を守ったことを、その事実(・・)を貴方の価値観で否定していることなの!!」

 

 

 そこで言葉を切った加賀は襟から手を離し、軽く俺を突き飛ばした。突き飛ばされた俺は少しだけ後退りし、再び加賀を見る。

 

 彼女は、いつもの真顔に戻っていた。先程の憤怒の色は何処へやら、何事もなかったかのように背筋を伸ばし、車椅子に背中を預けている。

 

 その頬に、涙の跡を残しながら。

 

 

「もしもの話をしましょう。もし、貴方とお母さんの立場が逆だったら、貴方はお母さんを守らないのよね?」

 

「んなわけ無いだろ!!」

 

 

 脈略もなく始まった加賀の話に、俺はすぐさま噛みつく。すると、すかさず加賀の目付きが鋭くなった。

 

 

「何故かしら? さっき貴方が言った通り、『非力でどうしょうもない、守る価値もない』人間なのよ? 守る必要なんて無いでしょ」

 

「それとこれとは話が別だろ!!」

 

「いいえ、別じゃないわ。さぁ、答えて」

 

 

 俺の言葉に聞く耳を持たない加賀は、先程よりも語気を強くしてそう言い放った。納得する答えが出るまで、妥協しないと言う意志が見てとれる。これは真剣に考えないと……てか、なんで急にこんなことを。

 

 

「んなもん、母さんを守るため―――」

 

 

 そこで、俺の言葉は途切れた。加賀に遮られたわけでも、誰かが現れたわけでもない。ただ、先程の加賀の言葉が甦ったからだ。

 

 

 

『もし、貴方とお母さんの立場が逆だったら』

 

 

「『母さんのため』……まぁいいでしょう。じゃあ、貴方が守ろうとしたモノを、命を賭ける『価値』があると思ったモノを、お母さんに守る必要もないモノと、命を賭ける『価値』も無いと言われたら、命を賭けたこと自体を否定されたら、どう思う?」

 

 

 再び投げかけられた問い。投げかけた加賀は、真剣な表情で俺を見据えている。その目には一点の曇りもない、自分が導き出している答えが正しいと、そう確信しているように見えた。

 

 

「……それが、今の俺ってか」

 

「ええ、そうよ」

 

 

 絞り出すような俺の言葉に、加賀はすぐさま同意する。多分、俺がこう答えることまで予想していただろう。

 

 

 

「もう一つ、話をしましょう。『自分の価値』と言うのは自分(・・)が与えるモノじゃない、誰か(・・)に与えられるモノよ」

 

 

 またもや唐突に始まった加賀の話に、俺は何も言わずにその言葉に耳を傾けた。噛み付こうとも、話を遮ろうとは思わなかった。つい先ほど、その行為がどのようなモノかを知ったからだ。

 

 

「今日、私は出撃していると、艤装を付ければ戦えると貴方に言ったわ。車椅子(これ)に頼ってる姿を見せながら、そう言ったの。そして、貴方はそれを否定した。まぁ、この姿だけを見ただけだと普通信じられないわよね。私は自分を戦えると、戦う『価値』があると言うも、貴方の目には戦えないと、戦う『価値』が無いと映った。いくら私が戦う『価値』があると説こうが、戦えない(そう)判断してしまった貴方の『価値(それ)』は覆らないわ。それに艤装を付ければ戦える、と言うのはただの『理由』だから覆るわけがない。だけど、他の子たちは私が艤装を付ければ戦えることを、戦う『価値』があることを分かっている。だから貴方に出会うまで、私は当たり前のように出撃していた。つまり、私が出撃できたのは周りの子たちから『価値』を与えられていたから、そう言うことになる」

 

 

 そこで言葉を切った加賀は、少しだけ首を傾げて俺を見上げてくる。その顔は真顔ではない、憤怒でもない、子供を見るような柔らかい表情だった。

 

 

「貴方は自分に『価値』がないと言ったけど、お母さんが命を賭けてまで守るだけの価値(モノ)があるの、だからお母さんは命を擲ったの。だけど、貴方はそれを受け入れなかった。受け入れる価値が無いと思い込んでいたから、目を背け、逃げ出し、『無駄死』だと言った。それが許せなかった。それに、貴方さっき言ってたでしょ? 『しなくちゃいけないじゃなく、したい』と、『与えたい』って。その時、『価値』が有るか無いかなんて考えてた? まぁ、散々語った手前だけど、『価値』なんて無粋な言葉でまとめることは無いわね」

 

 

 その時、俺の手を加賀の両手が包み込んだ。暖かかった。久しぶりに感じた、もう感じることが出来ないと思っていた、母さんの(あの)『暖かさ』だった。

 

 

「ただ『貴方を守りたかった』、それでいいじゃない。もしくは貴方(・・)がそうであったように『息子を守るため』、それでもいいじゃない。母親が息子を守ろうとすることは当たり前(・・・・)のことでしょ? 『家族』なんだから。だから、貴方も背負いなさい。命を擲ってでも守りたかった『家族』なんでしょ?」

 

 

 『家族』だから『守りたい』、それが当たり前(・・・・)のこと、か。何だ、自分が言った言葉をそっくりそのまま返された気分だ。そう言葉を噛み締めた俺は、いつの間にか俯いていた。加賀に顔を見られない様に。こんなみっともない顔を見せないように。

 

 

「それに『価値』と違って『理由』は自分にも相手にも与えられるわ。まぁそれを押し付けって言うのだけど、私が『艤装を付ければ戦える』と言ったことで周りがそれが認知し、やがて事実だと理解した様に、時と場合によって『理由』は『価値』を生み出すことが出来るわ。そこまでいかなくても、人を動かすには十分よ。これ、貴方はよーく分かっているわよね?」

 

 

 加賀の何処か窘めるような言葉に、俺は顔を背けながら苦笑いを溢した。確かにその通りだ。小さい頃から散々言われ続けて、そして今の今までそれを盾に逃げ続けてきたんだから。

 

 

「なら最後にもう一つだけ、話をしましょう」

 

「あぁ」

 

 

 加賀の言葉に、俺はそう声を漏らした。それを見てか、俺の手を包み込んでいた加賀の手はそこは離れる。それでも、『暖かさ』は離れることは無かった。

 

 

「私が貴方と初めて話したのは……襲撃の時よね。無線に入り込んできた時は、ハッキリ言って信用ならなかった。いきなり入り込んで、勝手に仕切って、穴だらけの案を自慢げに出してきた時は、今まで大本営から送り込まれてきた人間と一緒なんだろう、そう思ったわ。でも、貴方の言葉を――――『信じるか信じないかはこの際どうでもいい。今はこの状況を打破するのが先決だと思うが?』って言葉を聞いたとき、今までとは違うって感じたの。安全地帯に居る貴方が最前線にいて、命を落とすかもしれないのに一番危険な役回りを買って出て、自分やその信頼よりも事態の終息を優先したからよ。まぁ、それはただ『守る価値』が無かったから出来たことだと分かってしまったけど……」

 

 

 加賀の遠くを見ながら思い出を語るその姿に、俺も同じようにその時のことを思い出していた。あの時は、ただ艦娘を守ることだけを考えていたからな。今思うと、まぁ無茶をしたモンだ。

 

 

「その後、曙の件も聞いたわ。貴方の思惑(・・・・・)通り、ほぼ全ての艦娘は曙じゃなくて貴方を非難したことも。まぁ、あの時はああするしかなかったかもしれないけど……少々やり過ぎよ。だから、試食会の時とか失敗しかけたんだから。もう少し、考えて行動してほしいものね」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待って……何か、色々と知り過ぎじゃないですかね?」

 

 

 曙の件は本人とあの場に現れた雪風にしか話していない筈だぞ。何でそれを知ってんだよ。

 

 

「分かる人には分かる、ってことよ。現に龍驤や長門、北上辺りは気付いていたようだし。だから試食会で前に進み出たんでしょ? まぁ、天龍と龍田は良く知らないけど」

 

 

 え、あ、そうなんですか。気付かれていたんですか……割と大丈夫だろうなぁなんて思っていたんですが。まぁ、そのおかげで試食会が何とかなったと考えれば……結果オーライかな? 納得できないけど。

 

 

「ともかく、曙に潮、潜水艦たちに間宮、大淀、夕立、雪風、龍驤、榛名……そして金剛。鎮守府(ここ)に来て、貴方は特にその子たちを知って、手を差し伸べた筈よ。でも、ここにはまだ沢山の子が居て、それぞれ隠しているモノがある。もしくは貴方と同じように、逃げている子も、脅えている子も、泣いている子も、きっといる。そういう子に貴方は何か出来ると、『価値』を与えれると、そう思うの。だから―――――」

 

 

 そこで言葉を切った加賀は目を閉じ、片手で俺の胸に触れる。

 

 

「貴方はそれが出来る(・・・)、それが出来るだけの『価値』がある。それはたった今、現れたわけじゃない。ここにやってきてから、もっと言えば貴方が生まれてから今日までずっと持っていたモノよ。そして私たちに、逃げていたり、脅えていたり、泣いている子に『価値』を、『理由』を与えて欲しい。貴方に、私たちの『価値』になって欲しい。私たちが前を向けるよう、歩いていけるよう、守って(・・・)欲しい。これは提督だからではなく、貴方(・・)だから出来ること。貴方と言う『人』だから出来ることよ」

 

 

 随分と重責を掛けてくる。そう思った。でも、それは次の瞬間、加賀の言葉によって消え去った。

 

 

 

「『艦娘の一航戦』がそう言ってるんです。大船に乗ったつもりで安心すると良いわ」

 

 

 何処か得意げに加賀はそう言い、俺の胸から手を離した。その言葉、その表情、その手を見て。いつの間にか、笑みを溢していた。

 

 

「さて、それじゃあ執務室に戻りましょうか」

 

 

 加賀はそう言って大きく伸びをする。その姿を見て、俺も彼女と同じモノ(・・)を考え付いた。

 

 

「なぁ、加賀」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「提督さん!!」

 

 

 帰投してからずっと探し回っていた提督さんを見つけて、夕立は思わず声を上げた。割と大声で叫んでしまったためか、提督さんはビクッと身を震わせて夕立の方を見る。その姿に、夕立は両手を突き出して一目散に駆け寄った。

 

 

「見ぃつけたぁ!!」

 

「おごッ!?」

 

 

 掛け声とともに提督さん目掛けて飛び込む。目の前は提督さんの真っ白な軍服一色に染まり、ほんのり汗を孕んだ提督さんの匂い、勢いよく飛び込んだ夕立を抱き留める提督さんの腕。その全てが、夕立に『安心』を与えた。

 

 その直後、提督さんの蛙が潰れたような声と共に夕立は顔に強い衝撃を受けることになる。夕立の勢いを抑えきれなかった提督さんごと倒れてしまったのだ。顔、特にジンジンと痛む鼻を両手で抑えながら、夕立は全身を預けている提督さんから上体だけを起こす。

 

 

「……痛いっぽい」

 

「こっちは数倍痛いんだが……後、退いてくれない?」

 

 

 下から提督さんの声が聞こえ、鼻を抑えながら下を向くと頭を抱えながら涙目になっている提督さんが。その様子に夕立はすぐさまその身体から降りる。少しの間痛みに呻いていた提督さんであったが、多少マシになったのか頭を摩りながら起き上がり、夕立にジト目を向けてきた。

 

 

 そのまま、提督さんは数秒ほど固まった。

 

 

「……夕立、色々と突っ込みたいことがあるが、先ずいきなり飛び掛かってきた理由を聞こう」

 

「……や、やっと見つけたから」

 

 

 動き出した提督さんの低い声とジト目に夕立は素直に答えた。だって、帰投して執務室に行ったら大淀さんから休憩中だって聞いたし、途中で長門さんに捕まったし、鎮守府を掛けずり回ったんだし。その…………嬉しくて、つい。

 

 

「なるほど、『嬉しくて、つい』飛びついたってわけね」

 

「ち、違うっぽ―――」

 

 

 夕立の心を読んだ声が聞こえ、その方を振り向くと車椅子姿で佇んでいる加賀さんが。その姿を見た瞬間、血の気が引くのを感じた。怖かったからじゃない、提督さんに飛びつく夕立を見られたからだ。

 

 

「……い、いつからそこにぃ」

 

「いつからも何もずっと居たわよ? それよりもその腕はどうしたの?」

 

 

 夕立の問いに加賀さんはサラリと答え、すぐさま話題を変えてきた。それが夕立のことを思ってからか、はたまた本当に興味が無いのかは分からないけど、追及されたくない夕立にとっては渡りに船だった。

 

 

「そ、そう……『これ』を渡そうと思って探してたっぽい」

 

 

 そう言って、夕立は両腕を前に伸ばす。すると、提督さんや加賀さんの視線が夕立の腕に――――正確には、まるでカラフルな紐でぐるぐる巻きにしているようにその腕から大量に垂れ下がっている色とりどりの大小様々な編み紐の輪っかに注がれていた。

 

 

「これ……ミサンガよね?」

 

「あぁ……朝、俺が渡したヤツだ」

 

 

 夕立の腕に付けられた大量のミサンガを見て、二人はそう声を漏らす。その表情に、夕立はちょっとだけ嬉しくなった。

 

 

 ミサンガとは複数の紐を編み込んで作る編み紐の一種。紐と共に自分の願いを一緒に編み込み、その紐が自然に切れたら願い事が叶う、と言うモノだ。そして、昨日の日記で夕立が提督さんに『願いが叶うおまじないを教えて欲しい』と言うお願いの答えでもある。

 

 

「これ……全部夕立が編んだのか?」

 

「夕立一人じゃなくて、長門さんと食堂にいた人たちと一緒に作ったっぽい」

 

 

 提督さんから貰った袋には、編み方を書いた紙と編み込む前の紐が大量に入っていたのだ。正直、一人でこの量を作ることは無理だったし、何より提督さんと作りたかった……じゃなくて、心得がある(・・・・・)人と一緒に作った方が上手く出来ると思ったから。だから、提督さんを探していたのだ。

 

 まぁ、それも「ビックセブンに任せろ!!」と意気込んだ長門さんを前にして諦めたんだけど。でも、他の人たちも一緒に作れて凄い楽しかったから良いっぽい。

 

 

「それで、鎮守府を歩きながら出来上がったミサンガを配っている、と言うわけね」

 

「ぽい!!」

 

 

 加賀さんの言葉に夕立は元気よく声を上げて胸を張る。こうしてミサンガを渡せるのも色々な人のお蔭だけど、こういうのは『言ったモン勝ち』って提督さんに言われたもん。夕立が全部やりました!! みたいにドヤ顔で胸張っても良いハズ。

 

 と、そろそろ本題に行こう。

 

 

「さぁ、好きなのを選ぶっぽい!!」

 

 

 そう言って、二人の前に大量のミサンガが垂れる両腕を突き出す。目の前に現れた大量のミサンガにちょっとうろたえる提督さんと、口に手を当てて考え事をしている加賀さん。しばらく、二人はミサンガたちに目を走らせる。そして、加賀さんが最初に口を開いた。

 

 

「じゃあ、これとこれを貰うわ」

 

「2本っぽい?」

 

 

 加賀さんの言葉に、夕立は思わず声を上げてしまった。だって、今までミサンガを選んだ子は1人1本ずつで、2本以上を選んだ子は居なかったから。

 

 

「1本しか付けちゃいけないなんてルールは無かったハズよ?」

 

「で、でも他の子は……」

 

「あら……皆、願いが少ないのね」

 

 

 夕立の言葉をまたもやサラリと流し、加賀さんは宣言通り選んだ2本を夕立の腕から外した。夕立と提督さんが凝視しているのを気にすることなく、加賀さんは1本を自分の手首に付け始めた。しかし、片手でミサンガを付けるのは難しいのか、なかなか思うようにいかない。

 

 やがて、ため息と共にミサンガを巻くのを諦め、何故か提督さんにミサンガを差し出した。

 

 

「提督、付けてくださる?」

 

「ッ……ぅえ」

 

「お、おぉ……」

 

 

 予想外な発言に思わず声を上げてしまった。しかし、加賀さんはそんな夕立に目を向けず、提督さんにミサンガを差し出し続ける。そんな様子の加賀さんと夕立を交互に見ていた提督さんは、戸惑いながらも差し出されたミサンガを手に取り、加賀さんの手首に付け始める。

 

 

「見過ぎよ」

 

 

 加賀さんの指摘に、夕立は無意識(・・・)の内に加賀さんの手首に注いでいた視線を慌てて逸らした。視界の外から加賀さんの噛み殺した笑いが聞こえたが、また指摘されるのが嫌だったから夕立は見ないように我慢した。しかし、その我慢も次に発言で限界を迎えた。

 

 

「提督、手を出してください」

 

「へ?」

 

「待つっぽい!!」

 

 

 聞き捨てならない加賀さんの発言にすぐさま顔を向けると、ポカンとしている提督さんとその手首を手に取っている加賀さんが映った。

 

 

「自分のミサンガを人に付けるのは駄目っぽい!!」

 

「そんなルール、聞いたこと無いわ」

 

「いや、普通に考えておかしいだろそれは」

 

 

 夕立の噛み付きに何処吹く風の加賀さん。流石の提督さんも難色を示している様子。流れは夕立にあるっぽい。

 

 

「それに、これは『私』の願いであると同時に『提督』の願いでもあるの。要するに、私たち二人(・・)の願いなのよ。それをどちらか片方が背負うなんて、不公平じゃないかしら?」

 

「な、な、な…………ふ、二人の願いって……な、何っぽい?」

 

「それは教えられないわ。だって、ミサンガに込めるほどの願いだもの。そう易々と口に出来るようなモノではないでしょ?」

 

「……まぁ、そうだよな」

 

 

 くそ、妙に正論ぽくて口を挟めない。そして提督さんも納得しちゃったし。いつの間にか流れが向こうに変わってる……このままじゃあ提督さんも。

 

 

「じゃあ、俺はこれとこれで」

 

「付けるわ」

 

 

 そんな夕立の心の叫びも空しく加賀さんのミサンガを受け入れた提督さんはミサンガを2本選んでしまい、夕立が口を挟む前に加賀さんが提督さんの手を取った。付け入る隙が全くないっぽい……。

 

 夕立の目の前で、加賀さんが提督の手首にミサンガを付け、今度は提督さんが加賀さんの手首に自分が選らんだ――――『二人の願い』が込められたミサンガを付け始めた。その光景を、加賀さんが笑いを噛み殺しているのを分かった上で見続ける。

 

 

 

「良いなぁ」

 

「何が『良い』のかしら?」

 

「何でもないっぽい」

 

 

 ポロリと漏れた本音(・・)を目ざとく拾う加賀さんから顔を背け、同時に聞こえてくる噛み殺した笑い声を我慢する。そんな夕立を見て提督さんは首を傾げていたが、加賀さんがミサンガを巻き終わると更なるトンデモ発言が飛び出した。

 

 

「夕立、加賀を頼めるか?」

 

「へ!?」

 

「え?」

 

 

 トンデモ発言に、流石の加賀さんも夕立と同じように声を上げる。夕立と加賀さんが同時に提督さんを見ると、何故か提督さんは顔の前で手を合わせ、頭を下げていた。

 

 

「ごめん、ちょっと寄るところがあるのを思い出したんだ。すぐ終わると思うから、加賀は先に執務室に戻ってくれ。そして、夕立は加賀を執務室まで送り届けて欲しいんだ。頼めるか?」

 

「え、え、その」

 

「分かったわ」

 

 

 提督さんの発言に頭が付いてこない夕立を尻目に加賀さんは何かを理解したのか、いつもの真顔でそう言った。その言葉に提督さんは「すぐ戻る」と言って再度頭を下げ、慌ただしく走り出してしまう。夕立の頭がようやく追いついたときには、提督さんの背中は見えなくなっていた。

 

 

「えぇ……」

 

「じゃあ夕立、お願いね」

 

 

 途方もない疲労を感じる夕立に、その元凶である加賀さんは悪びれも無く声をかけてくる。その全くブレない姿勢に、夕立は怒りを通り越して諦めの境地に達していた。なので、何も言わずに加賀さんの後ろに回り、車椅子を押し始めた。

 

 

「あと、その露骨な態度。もう少し自重しなさいよ」

 

「へ? 自重って?」

 

「もう少し感情をコントロールしなさいってこと。ただでさえあの人は雪風と一緒に居るんだし……貴女や曙は分かりやすいんだから、色々と噂が立っているのよ。出来るだけでいいから、自重してね?」

 

 

 どういうことっぽい? 先ずあの人って誰なんだろう? 雪風ちゃんと曙ちゃんが関係してるっぽいけど……それって提督さ―――。

 

 

 そこで夕立の頭はとてつもない熱を帯び、それによって外界からの情報が一切入ってこなくなった。だから、遮断される寸前に聞こえた加賀さんの言葉も、瞬く間に忘れてしまったのだ。

 

 

 

 

 

「『絶対に帰ってこい』なんて……無茶なお願いね」


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