新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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二人の『欲しい言葉』

 古ぼけた木張りの床、ベッドに机、椅子、本棚しかないとても簡素な部屋だ。そこで、私は一人頭を抱え、ベッドに腰掛けている。

 

 手で覆われた顔は深いシワが刻まれているだろう。唇は血が出るほど噛み締めているだろう。歯が折れんばかり食い縛っているだろう。それは、胸の内から沸き上がるモノを抑え込むためだ。

 

 

 目を瞑ると浮かんでくるのは加賀さんだ。

 

 

 最初に浮かぶのは、今朝の彼女。空気が凍りつきそうな程冷え切り、切れ味抜群の刃物のような鋭い視線を私に向けている。

 

 次に浮かぶのは、赤城さんと一緒に居る彼女。その顔はいつものように真顔なのだが、頬が幾分か緩み、目付きもだいぶ柔らかい。

 

 最後に浮かぶのは、もっと前―――脚の現状を知った直後の彼女。目を大きく見開き、口から小さく浅い息を繰り返し、自らの脚に手を置くその手を微かに震わせている。

 

 

 普段、何があっても動じず、赤城さんのことになると少しだけ喜怒哀楽を見せるぐらいだった彼女が始めて見せた顔――――目を背け、耳を塞ぎ、「何かの間違いだ」と悲鳴を上げそうな顔だった。

 

 

 その表情のまま、私の中の(・・・・)彼女が手を伸ばしてくる。助けを乞うように、泣き喚きたいのを堪えながら、必死に手を伸ばしてくる。その姿に、私は彼女に手を伸ばす。彼女の手と、私の手が少しずつ近づき、指先が触れた。その瞬間、私は力強くその手を握りしめた。

 

 

 しかし、その感触は無かった。目を開ける。見えたのは、握り拳を作り前に伸ばされた私の手だ。その中に彼女の手は無い。ただ、汗ばんだ己の手の平のみ。

 

 あれ程の感情を曝け出し助けを求めていた彼女の手を、その体温を、その恐怖を、その悲鳴を、私は受け止めることが出来ない。受け止めることは愚か、触れることも出来ないのだ。

 

 

 当たり前だ、本当の(・・・)彼女は、私に手を伸ばしていないのだから。彼女は、初めから私に助けなんて求めていないのだから。

 

 

 その時、ドアをノックされる。突然のことに思考がストップするも、次に聞こえた声で早々に把握した。

 

 

 

「隼鷹ー? いるかー?」

 

 

 何処か間の抜けた声色で私の名を呼ぶ提督の声だ。その声を聞いて私はほんの少しだけ向こうに立っているであろうドアを黙って見つめるも、再び聞こえた彼の声に重い腰を上げた。

 

 ドアに近付く間も、提督はしつこくノックと呼びかけをくり返す。出てこないとでも思っているのだろうか、そう心の中で悪態をつきながらドアの鍵を外した。

 

 

「聞こえていますから、何度も言わないでください」

 

「すまん、すま―――」

 

 

 ドアの隙間から顔を覗かせる私に提督は苦笑いを浮かべて謝罪するも、すぐにその言葉が途切れ、その表情が変わった。

 

 

「……その恰好」

 

 

 何処か上の空のような声で提督が問いかける。その言葉に、私は自らの身体に視線を落とした。

 

 

 私が着ているのはいつもの制服―――――にある白のブレザーと赤のスカートを取り払い、赤のシャツのみと言ういで立ち。更に赤のシャツは第2ボタンまでを開け、胸元を大きく曝け出している。所々無地の下着が見えてしまっているが、実際は見せている(・・・・・)のだ。それを確認し、私は目を背けながら返答した。

 

 

 

「『処分』と言えば、これ(・・)ですから」

 

 

 彼が私の部屋に来た理由は、先送りにされた『処分』についてだ。

 

 

 その内容は、私が嘘をついたこと。加賀さんが病気で臥せっているとして、今日一日の秘書艦を代わろうとしたことだ。しかし、それは加賀さんが執務室に現れたことで破綻し、虚偽の報告をした私は彼から―――正確には大淀の提案を受け入れた彼によって、今日一日は自室で謹慎、『処分』は追って言い渡されることとなった。だから、彼はやってきた。『処分』を言い渡すために、正確には私に『処分』をさせるためにやってきたのだ。

 

 そして、私にとって『処分』とは彼に身体を差し出すこと、即ち『伽』。初代の頃に強要され、ことある毎に言い渡された『処分』だ。彼が他の艦娘を引き連れてこなかったのも、つまりそういう『処分』だから。稀に引き連れてくることもあったが、それはその艦娘()もまとめて『処分』をさせるため、つまりそういうことなのだ。

 

 

 だから、言い渡されるよりも先にこうして準備した。いちいち時間を喰うのも面倒だし、何より早く終わらせたい。どうせ、()と一緒だから。

 

 

 

 

 

「分かった。じゃあ、先ず服を着てくれ」

 

 

 そう思っていたからこそ、その言葉が予想外だった。いや、もう一つ予想外だったのが、私が開いたドアを提督(・・)が閉めたことだ。

 

 

「ちょ、提と―――」

 

「そんな『処分』はしないし、そんな恰好じゃ話も出来ん。後、頼むからあんまり肌が見えないようにしてくれ……」

 

 

 閉められたドアの向こうで、提督が早口に捲し立てる。後半が少し籠っていたが、何とか聞き取れた。しかし、その意味までは即座に理解できなかった。

 

 

 『処分』と言えば、これだった。他には無い、これが唯一(・・)だった。でも、提督は拒否した。今まで当たり前だった『処分』を拒否したのだ。彼は別のことを課そうとしている。『伽』以外の、別の何かを。何か、別の酷いこと(・・・・)を。

 

 

 そこで、私は思考を止めた。ここでうだうだ考えたところで、どうせ変わらないと思ったから。何か別のことをして、それで提督が満足して、それで終わりだ。私には何も変わらず、どうしようも出来ない、とっとと終わって欲しいことだと、そう決めつけた。

 

 取り敢えず、提督の言葉通りシャツのボタンを留め、片付けておいたブレザーとスカートを引っ張り出し手早く着込んでいく。本来なら髪やアクセサリーで色々と時間がかかるのだが、それに時間を割くことすら惜しい。人前に出られる最低限の恰好まで整え、再びドアを開けた。

 

 

「出来ました」

 

「……おぉ」

 

 ドアの隙間から提督は私を見て、小さく息を吐いた。合格、ってところか。と言うか、これ以上いちゃもん付けられても面倒だ。とっとと部屋に入れてしまおう。

 

 

「どうぞ」

 

「……し、失礼する」

 

 

 ドアを更に開け、提督に中に入る様促す。いきなりドアが開かれたことに驚く彼であったが、すぐに切り替えて私の言葉に従った。その通り過ぎる姿を見ながらドアを閉め、鍵を掛けようとする。

 

 

「あ、鍵はそのままで頼む」

 

「え」

 

 

 後ろから聞こえた提督の言葉に思わず振り向くと、隅に置いていた椅子を抱え申し訳なさそうな顔の彼が立っていた。その姿に、そしてその言葉に私がどんな表情をしていたか、それは彼がちょっと身を震わせたことで何となく察した。

 

 

「さっき『そんな処分はしない』って言ったけど、多分信じてないだろ? んで、万が一に俺がそう言うコトを起こそうとした場合、開いていればすぐに逃げられる。要は、あの言葉が本物である証明だ。まぁ、する気も無いんだけどさ。少しは安心できるだろ」

 

 何処か浮ついていた彼の言葉であったが、最後の方にはしっかりした口調になり視線もしっかりと私に注がれている。その視線に私もじっと見つめ返すも、彼のそれが逸れることは無い。嘘、ではない様だ。

 

 まぁ、仮にそんなことしなくても、私が大声上げて暴れまくれば問題ない気もするが……掛けなかったとこで問題も起きないか。

 

 

「分かりました」

 

「ありがとう」

 

 

 私の言葉に彼はそう言って軽く頭を下げる。その姿を横目に、私はドアノブから手を離し、彼の方を向き立ったまま両手を後ろに回した。提督は椅子に腰を下ろし一息ついた後、私に目を向ける。

 

 

 何故か、そこに沈黙が生まれた。

 

 

「何してんの?」

 

「『処分』を待っています」

 

 

 それを破ったのは提督だ。何故か、不思議そうな顔で問いかけてくる。その言葉をそっくりそのまま打ち返してやりたいのをグッと堪え、そう返した。その言葉に、提督は少し困った顔になる。

 

 

「話をしよう。さ、ここに座って」

 

 

 そう言って、提督は前にあるベッドを軽く叩く。その姿に思わず鋭い視線を彼に向けるも、気にするような素振りは無い。そんな茶番に付き合う気は無い、とっとと『処分』を言い渡せ。そう心の中で悪態を付くも、それを言ったところで意味は無い。その言葉通り、ベッドに近付いて彼に向き直り、ゆっくりと腰を下ろした。

 

 

「じゃあ先ず何でこんなことになってるか、分かるか?」

 

 

 腰を下ろした私に、先ず提督はそんな質問を投げかけてきた。その口調は何処か子供と接するように柔らかい。その柔らかい物腰が気味悪くに映ると同時に、「舐めているのか」と言う怒りが込み上げてくる。しかし、ここで口答えして更に面倒なことになるのは避けたい。

 

 

「『加賀さんが体調不良で秘書艦を代わった』と、嘘の報告をしたからです」

 

「その理由は?」

 

 

 視線を落としながら声を絞り出すと、提督は間を開けずに再び問いかけてくる。その言葉に、更に嫌悪感が沸き上がる。だけど次に聞こえた言葉に、それだけ(・・・・)では済まなかった。

 

 

 

「それと、お前の生い立ちも一緒に教えてくれ。艦娘になる前から今までを詳しく」

 

 

 その言葉に、私の身体は動いていた。ベッドから立ち上がり、椅子に座る提督の襟を掴もうと、そのまま壁に押し付けようとした。

 

 何故そんなことまで話さないといけない。今回の件とは関係ない、話したところで何の意味も無い。なのに何故、それをお前なんかに話さないといけないのだ。

 

 

 そう、しようとした(・・・・・・)

 

 

 

(それ)が『処分』だ」

 

 

 

 その言葉を、そして提督の表情を見て、私の身体は固まってしまったからだ。その言葉は先ほど同様柔らかい、気持ち悪いほど柔らかい。その表情も、子供を見るようなそれだ。

 

 

 だけど、その目は違った。

 

 

 柔らかい表情の中にあるその目は、一切笑っていなかった。研ぎ澄まされた刃物のような、身も心も凍りつくような、そんな冷え切った目だ。声や表情が柔らかい分、その目が、その中でより一層映えた。より一層映えたから私の意識に刻み込まれ、それは全身の動きを奪ったのだ。

 

 

「何、そんな大層なことじゃない。ただ知りたいだけだ。お前がどんな経緯で艦娘になって、此処に配属されるまでに起きたことを。そして、何が今朝のことを引き起こしたのか、そして俺らを毛嫌いするのかを。まぁ、後者は大体想像はつくが……どう思っているのか、教えてくれ。それに――――」

 

 

 そこで言葉を切った彼は、私に笑いかけてきた。相変わらず目のまま、そのせいでその笑顔が笑顔には思えないが、吊り上がった口角や細められた目から、笑顔であると判断した。

 

 

「『信用出来ない大本営からやってきた、訳の分からない上司』に身の内を曝け出すこと……お前にとって、これ以上(・・)はないだろ」

 

 

 その目を逸らすことなく、彼はそう言った。言い切った(・・・・・)。その瞬間背筋に、いや全身に尋常ではない悪寒が駆け巡る。

 

 

 今までの提督(やつら)も、初代でさえもこんなことは無かった。浴びせ掛けられた怒号や罵詈雑言、欲に塗れた視線や言葉、今まで身の毛もよだつモノは幾重にもかけられたが、此処までのモノは無かった。なのに、今向けられたモノは、それら全てがマシだと思えるほどに、『冷たい』と言う言葉でさえも生ぬるく感じさせる程に凄まじかった。

 

 

 そしてそれが私にとって何よりも辛いことだと、分かった(・・・・)上でやっているのだ。

 

 

 

「……酷ぇよ(・・・)

 

「そういうモノだろ、『処分』って」

 

 

 思わず漏れた私の言葉に、彼は冷たく言う。『吐き捨てる』よりも『投げかける』に近い、相手がちゃんと受け取った(・・・・・)かを確認するような、そんな言葉だ。

 

 

 その言葉を受けて私は視線を落とし、淡々と話し始めた。

 

 

 

 艦娘になる前、私は海から離れた町で育った普通の少女だった。いや、『普通』ではないか。両親がその街で有名な地主で、私はそんな家の娘だったから。傍から見れば恵まれた環境だと思う。しかし、当事者の私からすれば、それは苦痛でしかなかった。

 

 何せ、私の一つ上に、私なんかよりも才能に恵まれた『出来の良い』姉が居たからだ。 

 

 姉は天真爛漫で、何でも出来てしまう人だった。決して奢らず、誰とでも真っ直ぐに向き合い、誰にでも笑顔を向ける。まるで天使のような存在だった。そして、妹である私は引っ込み思案で、何をするにも時間がかかり、失敗も多く、いつも誰かの後ろに隠れては周りの視線から逃れることを願い続けた。そんな二人の姉妹がいたら比較するのは当たり前で、当然後者である私は下に見られた。

 

 

 しかし、それよりも辛かったのが、姉が事あるごとに私に引っ付いてくることだった。

 

 

 天真爛漫な姉だ。そこに私を見下そうなんて考えはなく、ただ純粋に私と一緒に居たいから、そんな理由だっただろう。だからこそ『離れて』なんて、そう言えばそれで周りの人間から反感を買ってしまうから、言えなかった。言えるはずが無かった。

 

 しかし、同時に姉は私を認めてくれる唯一の存在だった。

 

 彼女は誰とでも真っ直ぐ向き合い、誰にでも笑顔を向ける。その『誰』に、もれなく私も含まれていた。そこに『強情』と言う気性を付け加えるものだから、誰かの後ろに隠れてしまう私の前に何度も現れ、視線から逃げようとする私を執拗に追いかけることになった。

 

 その最後には、両親が選んだ決して安くは無い服を徹底的に汚し、綺麗に整えられた化粧は汗でドロドロにして、そんな有様になりながらも私を見て、私に向けて、笑顔になった。誰からもそんなことをされたことが無い私にとって、その鬱陶しいまでのしつこさは、自分が認められているように思えたのだ。

 

 つまり、姉は私にとって、耐えがたいほどの劣等感の塊であり、同時に私を認めてくれる、そんな複雑な存在だった。でも、そんな複雑な存在だったからこそ、側に居ることが出来て、周りの視線にも耐えられたのかもしれない。

 

 

 そんな私にも一つだけ、姉が持っていないモノがあった。それは、妖精と意思疎通が出来る――――後に、艦娘の素質と呼ばれる能力だ。

 

 勿論、姉も妖精自体は見えていたが、意思疎通までは出来なかった。両親にも聞いたが答えは返ってこず、ただ気味が悪いモノを見る目を向けられた。でも、姉はそのことを知った時、まるで自分のことのように喜んでくれた。凄い、流石は私の妹、姉として鼻が高い、と。同じことを何度も何度も繰り返しながら、子供のように喜んだ。

 

 そんな姉を見て、同じように私も喜んだ。それは、いつも姉の陰に隠れてその栄光に縋っていた私が、ようやく自分の足で立てた様な気がしたでもあり、同時に姉の横に立てた様な気がしたからだ。

 

 

 だが、自らを証明してくれたそれは、時が過ぎて大本営がある発表をしたことにより、今すぐにでも捨て去りたいモノに変わった。

 

 

 大本営の発表を受け、両親は私を艦娘として志願させようと考えた。多分、厄介払いが出来るとでも思っていたのだろう。この話は使用人の間にも広がり、すぐに私の耳にも届いた。その言葉に、私はいつ何時両親がその話を持ち掛けてくるのか怖かった。艦娘なんて、なりたくなかった。

 

 大体の艦娘になった理由を聞くと、口を揃えて『行かなきゃいけないと思ったから』と答える。そう思った理由は特になく、本能的にそう感じた、と言った見解が通っていた。しかし、自分は違った。その発表を聞いたとき、真っ先に感じたのは『恐怖』。次に凄まじい嫌悪感と、逃げ出したいと言う激しい衝動だ。

 

 艦娘になれば家族と、姉と離れてしまう。それは私を認めてくれる、見てくれる人と離れることとなる。それに艦娘は深海棲艦と戦う、命のやり取りをする存在だ。戦うことは相手を傷付け、そして自分も傷付く、最悪の場合死んでしまうかもしれない。

 

 嫌だ、絶対に嫌だ。私は艦娘なんてなりたくない。そんな場所に連れて行かれるぐらいなら、今の生活で良い。この先周りからどんな目で見られようとも構わない、いつまでも白い目を向けられても構わない。姉の、私を証明してくれる人の傍に居れば、それで十分だ。

 

 

 

 

 

 『艦娘になってお国のために戦うなんて、凄いことじゃない!!』

 

 

 

 

 それは姉の言葉。両親から艦娘に志願するよう言われた時、その傍らに居て、目をキラキラさせて、嬉しそうに、自分が褒められたように喜ぶ姉の言葉だ。

 

 両親はこの話を食事の席で私に伝えてきた。家族が一堂に会する、大勢の使用人や姉が居るその席で。いつも逃げ出す私が何処へも逃げないようにするために、敢えて大勢の人の前でその話を切り出したのかもしれない。いや、そんなことはどうでもいい。私の答えは決まっていた。嫌だと。離れたくないと、そう決まっていた。そのためなら、此処から逃げ出すことだって出来た。

 

 しかし、それを阻んだのが姉だった。

 

 姉の言葉は飛び出す筈だった私の言葉を飲み込ませ、私の手を力強く握りしめる姉の手は逃げ出そうとしていた私の身体をその場に縫い付け、姉の笑顔は私の答えを完膚なきまでに叩き潰したのだ。

 

 姉は私を陥れようとか、見下そうとか、そんな考えは毛頭ない、ただ単に嬉しいだけ。いつもは見抜きもしない両親が初めて妹を見て、その力を、姉である自分が持っていない『艦娘の素質(その力)』を認めたことが、ただ純粋(・・)に嬉しかったのだ。

 

 

 その純粋さが、この時ほど忌々しいと思ったことはない。そんな言葉を、そんな顔を、今の私に向けないで。それが今の私にとって死刑宣告にも等しい言葉(モノ)だと、何故気付いてくれないの。何故、そこまで純粋なの。姉の嬉しそうな顔目掛けて吐き捨てそうになるのを堪えながら、心の中で何度もその言葉を繰り返した。

 

 

 もし、此処で私がそれを言ったら、姉は、その言葉は、その顔はどうなるだろうか。今までと同じになるだろうか、周りと同じになるだろうか、周りよりも酷いモノになるだろうか。いや、少なくとも今までの同じは絶対に有り得ない。純粋な人だ。吐き捨てた私の言葉を、悪い意味(・・・・)で純粋に受け止め、解釈するだろう。

 

 その先に、今まで通りの関係があるとは到底思えない。そしてそれは、私が拠り所としていた唯一のモノが消えてなくなってしまうことを意味している。そんな恐ろしいこと、出来るわけがない。例えそれが、『私自身』を犠牲にしようとも、それが無くなってしまうことだけは何が何でも避けたかった。

 

 

 

 

 

『はい、分かりました』

 

 

 

 だから、そう言った。その言葉に姉は更に顔を綻ばせながら私に抱き付き、私はその身体を受け止めた。当分、その傍に居られないから、そのぬくもりを感じられないから。そう、『当分』だ。志願しても此処に帰ってくる時間があるだろう。その時までの、ほんの少し(・・・・・)辛抱だ。

 

 

 その翌日、私は放り出されるように家を後にし、艦娘への志願者が集う所に向かった。そこで適性審査を受け、私は晴れて艦娘候補生なった。その際言い渡された艦名(名前)が、『飛鷹型航空母艦二番艦 隼鷹』だった。

 

 元々は大型客船であったが、先の戦争により空母に改装され、貨客船よろしく速度、装甲共に他の空母に劣りながらも、客船らしく艦載機の積載量は肩を並べるほどであった空母。様々な激戦を繰り広げ、散っていった先人たちの看板を代わる代わる背負い続け、その終わりまでを走り抜けた歴戦の空母。その後、損傷のために客船への復帰は出来ないままその生涯を閉じた、何とも数奇な運命を辿った空母だ。

 

 そのことを知った時、私は思った。この隼鷹と言う空母()、本当は戦いたくなかったのだ。ただの客船として多く人々を乗せ、世界中を駆け巡りたかったのだ、と。だから、その適性がある私は大本営の発表を聞いた時に恐怖し、嫌悪感を抱き、逃げ出したかったのだ。

 

 かたや客船として生きたかった船、かたや姉の傍に居たかった私。どちらもそう願いながら、望まない運命を受け入れた二人。多分、私ほど隼鷹に適した存在は居ないのではないか、そう思った。

 

 

 それからだ、私の性格が徐々に変わり始めたのが。

 

 

 引っ込み思案だったくせに初対面の相手でも馴れ馴れしく接することが増え、視線から逃げていたくせに進んで大勢の目の前に立ち、姉以外の存在からは離れたかったくせに常に周りに大勢の人が居るようになった。

 

 常に誰かの横に居て、常に大勢の目に入り、常に笑顔を浮かべ、ゲラゲラと下品な笑い声を上げながら過ごす。訓練の成績が悪いことも自分でネタにして周りの笑いを誘うことも、平気でするようになっていた。志願する前の私からすれば、考えられないほどの変わりようだと言える。

 

 

 その答えは、『怖かった』から。

 

 

 常に誰かの傍に居るのは、一人になるのが怖かったから。大勢の目の前に出るのは、だれも見向きもされなくなるのが怖かったから。常に笑顔で下品な笑い声を上げていたのは、そうしないと本当の自分(・・・・・)になってしまうから。

 

 引っ込み思案で、周りの視線から逃げ続け、笑顔も浮かべない――――そんな本当の私では誰からも見てもらえないと、認めてもらえないと、証明してもらえないと思ったからだ。姉と言う拠り所から離された私には、それが耐えられないと思ったからだ。

 

 

 同時に、彼女たち(・・・・)との差を少しでも隠したかった。

 

 

 『行かなきゃいけない』と言う使命感で志願した周りと、周りに志願させられ『拠り所を壊すくらいなら志願した方がマシ』と妥協した私。戦うために生まれ、戦うことを望んだ周りと、人を乗せるために生まれ、人を乗せることを望んだ隼鷹。深海棲艦と戦うことを心から望む周りと、それから逃げたくて逃げたくて堪らない私たち。

 

 その差が露見した先に何が有るか、私は見たくなかった。多分、隼鷹も同じだったのだろう。そんな二人の願いから、段々と性格が変わっていったのだ。

 

 

 しかし、それをずっと続けられる程、私たち(・・・)の身体は強くなかった。

 

 お手洗いに行って吐くのはしょっちゅう、食事も喉を通らなくなることもあった。だけど、そんな姿を周りに見せられるわけも無く、誰かの前では常に自分を偽り続けた。無理が祟り倒れることもあったが、それは訓練のせいにした。艦娘になる前は良いところのお嬢様だったと言う経歴もあり、誤魔化すのは苦労しなかった。

 

 それでも、誰かが居なくなると決まって目頭が熱くなり、我慢していた嗚咽が漏れることが多々あった。しかし、誰かが来ればそれらは瞬く間に引っ込み、いつものケロリとした顔になっている。そう、身体が覚えていたのだ。その分、吐き出す時はより激しく、より辛いモノに変わっていたが。

 

 

 しかし、それもいつしか当たり前になった。同時に、今の自分は本当か偽りか、今の感情は本当か偽りか、それすら分からなくなってしまった。

 

 

 だからだろう、訓練期間中に一度だけあった帰郷のチャンスが潰されてしまったことに特に何も感じなかったのは。

 

 その理由は、帰郷した訓練生の一人が深海棲艦の襲撃に巻き込まれ命を落とした、それも故郷である村の人たちに訓練生が単艦での出撃を強要されたためだとか。その村人たちは村ぐるみで脱税に手を染めており、その件と今回のことを含めて裁判で裁かれる、と聞かされた。

 

 その発表に周りはその訓練生の死を悼み、同時にその村人たちに静かな怒りを向けた。私も周りに合わせて怒りを露わにしたが、心の中では何も感じなかった。ただ、帰れないのが残念だな、としか思えなくなっていたのだ。

 

 

 そんな、本当の自分と偽りの自分とがごちゃごちゃになったまま訓練期間を終え、初代が提督を務める鎮守府に配属された。そこで味わう地獄の日々でも、私のそれ(・・)は変わらなかった。

 

 殴られても、罵られても、伽をさせられても、どのような辛いことがあっても、ずっとヘラヘラと笑い続けていたのだ。辛くなかったわけではない、嫌じゃなかったわけではない、笑いたかったわけではない。なのに、無意識の内に笑いが込み上げてくるのだ。

 

 いや、『笑うこと』しか出来なくなった、の方が正しいだろう。今、その時、どんなこと、どのような感情を持っているのか、それが本当なのか偽りなのか、それが分からなくなったから『笑うこと』しか出来なくなったのだ。

 

 

 『笑っている私』すらも本当の私か、偽りの自分か、軽空母 隼鷹(もう一人の自分)か、分からなくなったのだ。

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 そんな自身の存在が不安定になった私にそう言って頭を下げてきたのが、加賀さんだった。それは彼女たちがここに配属されてから、初めて顔を合わせた時だった。初対面の人にいきなり頭を下げられて戸惑う私に、加賀さんは続けてこんなことを言った。

 

「貴女、隼鷹よね? ()の私たちが沈んだ後、他の子達と一緒に『一航戦』を、そして空母機動部隊を最後まで支えてくれた。貴女には色々なモノを背負わせてしまって、本当にごめんなさい」

 

 加賀さんの言葉に、戸惑っていた私はようやく理解した。彼女は『加賀航空母艦一番艦 加賀』として、飛鷹型航空母艦二番艦 隼鷹()に謝罪をしたのだ。

 

 彼女と私の関係は、空母機動部隊の歴史を紐解いていけば嫌でも分かる。そして、その歴史は私の歴史でもある。その中で、端的に言ってしまえばこう云うことだ。

 

 

 自他ともに戦うために生まれ、『最強』の名と馬力、速力、装甲を備えて海を刹那(・・)に駆け抜けた一航戦と、『他』から戦うことを強要され、凄まじい重圧と沢山の死を一身に背負わされた名義上の一航戦。

 

 

 それが、私たちの関係だ。

 

 だけど、それはその時がそうだっただけで今は全然関係ないし、私は何とも思っていない。だから、気にしないで欲しい。そう告げた。すると、加賀さんから返ってきたのは、予想もしない事だった。

 

 

 

「無理しなくていいのよ?」

 

 

 その言葉と共に眉を潜め、何処か心配そうな表情を、その手を私の頬に手を当て覗き込んできたのだ。突然のことだった。その言葉、その行いが理解できなかった。

 

 だから、色々と口走ってしまった。その言葉が隼鷹()の本心なのか、はたまた『他の私』なのか、分からなかった。

 

 目の前で、初対面でそんなことを口走ったせいで。加賀さんは頬に触れていた手を頭の後ろに回し、そのまま隼鷹()を抱き寄せた。

 

 

「余計なこと言って本当にごめんなさい。ただ、貴女は()の隼鷹じゃなくて艦娘(・・)の隼鷹……いえ、それでもない(・・・・・・)。貴女は『貴女』。艦とか艦娘とか、そう言うのとか関係ないの。貴女は、『貴女』と言う存在なの。ただ、()の名前が隼鷹ってだけで、本当(・・)の名前は違うわ」

 

 

 彼女は言った。隼鷹()は艦の隼鷹じゃないと、艦娘の隼鷹でもないと。隼鷹()は『私』だと。艦とか艦娘とか関係ない、『私』と言う存在。ただ、今の名前が『隼鷹』と言うだけで、本当の名前は違うと。そう言った。

 

 その言葉に、私はまたもや何かを口走った。しかし、その言葉はより一層加賀さんに抱きしめられたことで、そして加賀さんの言葉によって途切れてしまう。

 

 

 

「だから、その取り繕った(・・・・・)口調はやめて。後、その貼り付けた(・・・・・)笑顔も。そんなもの、『貴女』には必要無いんだから」

 

 

 『貴女には必要ない』。それは、艦娘になってから今までずっとそれを続けた私の全てを全否定する言葉だった。数え切れぬほど吐き、本当の自分すらも分からなくなるまで我慢して作り上げてきた『私』を否定する言葉だ。

 

 でも、それは同時に私を――――――飛鷹型航空母艦二番艦 隼鷹と言う、やりたくないことをやり続け笑うことしか出来なくなった『偽りの自分』ではない。引っ込み思案で、周りの視線から逃げ続け、笑顔を浮かべることのない『本当の自分』に向けられていた。

 

 それは、欲しかった言葉だった。『本当の自分』を犠牲にし、上塗り続けた虚構の中で消えかかっていたそれを見つけ出してくれた。自身と正反対の人物を無理やり演じることも、自分を押し殺すことも必要ないと、本当の私で十分なのだと、そう教えてくれた。本当の私を認めてくれた言葉だった。

 

 艦娘になって――――いや艦娘になる前からずっとずっと欲しかった、私を認めてくれる純粋(・・)な言葉だった。

 

 

 だから、思わずその胸の中で泣いてしまった。本当の自分を曝け出してしまった。それが嬉しくて、有難くて、申し訳なくて、それら全てをひっくるめた感情が、今まで必死に押し殺してきた感情が、止めどなく溢れ出てしまった。

 

 それを加賀さんは本当の私を、初対面の私を突き放すことなく抱きしめてくれた。純粋な、本当の、私の拠り所になってくれた。

 

 

 

 

 だからこそあの時の加賀さんを、脚の現状を知った直後の彼女を見た時。『守らなきゃ』、『拠り所に成らなきゃ』、そんな言葉が真っ先に思い浮かんだ。

 

 加賀さんの拠り所(それ)は、赤城さんだ。しかし、彼女は遠いところに行ってしまった。その事実に、そして己の身体のことに、加賀さんは打ちのめされている。自分を見失いかけている。踏みしめるべき地面も、掴むべき場所も、向くべき方向も、全てが見えなくなっている。

 

 

 そんな彼女を『誰が』守るのか、打ちのめされた彼女を『誰が』支えるのか、見失ってしまった彼女に『誰が』その拠り所になるのか。誰が、誰が、誰が。

 

 

 

 そんなの、『私』しかいないではないか。彼女たちを背負い最後まで支え続けた『隼鷹()』しか、加賀さんに拠り所になってもらった恩返しをしなければ、いやしたくてたまらない(・・・・・・・・・)本当の私()しか、考えられないではないか。

 

 私は、赤城さんのようにはなれない。でも、そんな私でも、何か出来るはずだ。拠り所ではなくてもいい、彼女の横でなくても良い、彼女の周りに居るその他大勢の中の一人で良い。それでも出来ることがある。なら、私はそれを全力でやるだけだ。

 

 

 だから、初代に噛み付いた。本当の私が『偽りの私のような口調』で、猛犬のように噛み付いたのだ。

 

 だから、大本営を憎んだ。こんな姿になってまだ戦力として扱う初代を、そんな初代の所に彼女を配属させた大本営を憎んだのだ。

 

 だから、やってくる提督を嫌った。初代が蒸発し新たにやってきた、何も出来ない役立たずの提督たちを、初代のように艦娘を扱おうとした提督たちを嫌ったのだ。

 

 だから、提督が捨てられる(・・・・・)よう仕向けた。早めに芽を摘むために何人かと手を組み、やってくる提督を追い詰め、此処かへ捨てられる(・・・・・)ように。そう仕向けたのだ。

 

 

 

 それが加賀さんを、ひいてはこの鎮守府に所属する全ての艦娘を守れると、そう思った。

 

 

 

 

 

もう十分(・・・・)だ」

 

 

 そこまで話したところで、提督の声とともに私の顔に手を翳す。その言葉に、私は我に返った。

 

 これは『処分』だ。『信用出来ない大本営からやってきた、訳の分からない上司に身の内を曝け出す』と言う、提督から私に向けた最も酷い『処分』だ。なのに、その『処分』を止められた瞬間、私はこう思ってしまった。

 

 『話し足りない』と、そう思ってしまった。『まだまだ話し足りない』と、『言いたいことが山ほどある』と、『此処で全て(・・)吐き出してしまいたい』と、そう願っているのだ。

 

 もし、彼の手が離れたら、私の口は勝手に語り出すかもしれない。もし、彼が言葉を挟もうとすれば、私の手がその口を抑えるかもしれない。もし、彼が話をやめさせようとするなら、私の身体は盛大に暴れるかもしれない。

 

 そんな熱が、感情が、胸の内から沸き上がっているのだ。

 

 

そっか、分かったよ(・・・・・・・・・)

 

 その感情を押し殺すように、そう言った。すると翳されていた提督の手が下げられ、その先に彼の顔が見えた。その表情は先ほどの身の毛もよだつようなモノではない、予想外のモノを見せつけられ困惑しているようなモノだった。しかし、それもすぐに別のモノに変わる。

 

 

 眉を潜め、何処か心配そうな、何処か悲しそうな表情だ。それは、あの時の加賀さんの表情によく似ていた。

 

 

「すまなかった、隼鷹」

 

 

 いきなり、提督がそう言って頭を下げた。突然のことに何も言えないでいる私に、彼は立て続けに言葉を続けた。

 

 

「自分の身の丈を話してくれたことだ。『処分』だったとは言え、辛かっただろう。先ず(・・)、それを謝りたかった。そして―――」

 

 

 そこで言葉を切った提督は、再び顔を上げた。そこにあったのは、笑顔だ。それも、先ほどの身も凍りつくようなモノではない。むしろジンワリとした暖かさを与えてくるモノだった。

 

 

 

「加賀を、皆を守ってくれてありがとう」

 

 

 提督の言葉。その言葉に、私の思考は停止する。しかし、何故か口は勝手に(・・・)語り出した。

 

 

「な、何言ってんですか。確かに守ろうとしたのは事実だけど、あたしはあんたを捨てようとしたんだぜ? 艦娘たちならまだしも、何で捨てようとした人から感謝なんかされなきゃいけないんだよ」

 

今朝(・・)のは違うだろ? 非番を潰して、嘘の報告をしてまで、加賀を俺に近付けさせたくなかった。バレるリスクも十二分にあった、バレれば加賀に迷惑をかける。それでも強行した、実際にバレて加賀に責められた時も何も言い出せなかった。それは、加賀を『訳の分からない上司』から守りたかったからだ。それに試食会の時だって、俺は傍から見れば信用ならない一人の人間に見えて、これは罠かもしれない、そう思っただろう。だから、汚れ役を買って出た。それは、皆を俺から守りたかったからだ。お前の言う通り(・・・・・・・)、『全部』そうだっただろ?」

 

 そこで、理解できた。彼の言葉は、私の姿を、私の行いを、私の考えをしっかり見た上で、それを認めてくれる言葉だと。加賀さんよりも(・・・)、もっと私を見て、認めてくれた言葉そのものだと。

 

 

 なのに、提督のその言葉が嫌で嫌で仕方が無かった。

 

 

「や、やめてくれよ。むず痒くなっちまうから」

 

 否定するも、提督は肯定する。なんでだよ。

 

「周りはそんなこと知らないし、知らないことは無いことと一緒だろ?」

 

 認知されないモノだと言うも、提督は自分が知っていると言った。あんたが知ってたって意味無いんだよ。

 

「これはただの自己満足……親切の押し付けだよ」

 

 周りからすれば害悪以外の何物でもないと言うも、提督は全員がそんな風に思ってないと言った。あんたがそう言ったって説得力なんか無いんだよ。

 

「試食会の時だって、皆はあたしじゃなくて提督を信じたんだ。意味無かったんだよ、結局」

 

 無意味だったと言うと、提督はお前がきっかけになったからこそ、曙や夕立、龍驤、長門、天龍、龍田、北上、そして艦娘全員が動けたんだ、お前のお蔭だ、と言った。あんたがそう言ったって、全くフォローになってないんだよ。

 

 

「だから―――」

 

「隼鷹」

 

 私の言葉を遮った提督は、いつの間にか視線を逸らしていた私の肩に手を置き、自分の顔が見えるところまで引き上げた。そこで、私は今日一番の嫌悪感に襲われた。

 

 

 あぁ、そうだ。私はそれが嫌なのだ。その、全部分かっているような(・・・・・・・・・・・)顔が、嫌で嫌で堪らないのだ。そんな私を他所に、彼はまた、私が嫌で嫌で堪らない言葉を吐いた。

 

 

 

「だから、『ありがとう』」

 

 

貴方じゃ意味が無いんですよ(・・・・・・・・・・・・・)!!」

 

 そこが限界だった。感情を押し殺すのが、取り繕うのが、貼り付けた笑顔でいられるのが、限界だった。

 

 

「貴方じゃ……貴方じゃ意味が無いんです!! 私が本当に欲しいのは貴方の(・・・)じゃない!! 聞きたいのは貴方じゃない!! 言われたいのは貴方じゃない!! 見て欲しいのも、認めて欲しいのも、貴方じゃないんですよォ!! ですから……ですから……」

 

 

 言った。言ってしまった。あれ程我慢したのに、あれ程押し殺したのに、本心を、本音を、言ってしまった。それも、彼が最も傷付くであろう『彼を否定する』言葉を、誰よりも何よりも私自身(・・・)が最も傷つく言葉を、それを浴びせられることを最も恐れ、逃げ続けた言葉を。有ろうことか、私が浴びせてしまったのだ。

 

 『怖い』――――顔を上げるのが『怖い』、彼の顔を見るのが『怖い』、彼の言葉を聞くのが『怖い』、彼に同じ言葉を浴びせられるのが『怖い』……最も『怖い』。それが、私が浴びせたことへの報復だとしても、それを受けるのが道理だとしても、『怖い』、『怖い』のだ。視線から逃れたいのだ、逃げ出したいのだ。

 

 

 

「分かってる」

 

 

 ふと、そんな声が聞こえた。それを発したのは提督、その声色は穏やかだった。突然のことに、思わず顔を上げてしまう。上げてしまった瞬間、後悔した。しかし、それも彼の表情を見たことで、別の(・・)後悔に変わった。

 

 

「分かってるよ、初めから(・・・・)

 

 

 もう一度、彼はそう言った。その表情は、苦笑いだ。彼の言葉通り(・・・・)、『初めから』、『全部』、分かっていた表情(かお)だった。それを見て、私はすぐに謝ろう(・・・)とした。でもそれは、提督の後ろから聞こえてきた別の声を聞いたことで、出来なくなってしまった。

 

 

 

 

「本当に、分かっているの?」

 

 

 私は、そして目の前の提督は弾かれるように身体を回し、声の方を向いた。そして、再び(・・)目を見開いた。

 

 

 その先には、大きく開け放たれたドア。そしてその先には今朝と同じ光景が―――少し俯き加減の大淀を従え、身を預けた車椅子の上で、真っ直ぐ私たちを見つめる加賀さんが居たのだ。

 

 

「加賀……なんでここに」

 

「『すぐ戻る』って言ったくせにいつまで経っても帰ってこないから、大淀と一緒に迎えに来たのよ。後、此処に来るなら秘書艦である私を従えないのは頂けないわ。それも込み(・・)で、分かっているのか聞いてるのよ」

 

 

 提督の言葉に、加賀さんは深いため息をつきながらそう返す。それと同時に、彼女の後ろに控えていた大淀さんが車椅子を押し、二人は部屋に入ってくる。その姿を、私は呆けた顔で見つめ、提督は気まずそうに視線を逸らした。

 

 

「え、いや、その……」

 

「……まぁいいわ。それで、『処分』は済んだの?」

 

「あぁ、お分かり(・・・・)の通りだ」

 

 

 提督の言葉に、加賀さんが鋭い視線を向けるも、提督はすぐに目を逸らすだけで何も言わない。しばらく、加賀さんはそんな彼を見つめるも、やがて諦めた様にため息を吐いた。しかし、次にその口から出た言葉に、私は耳を疑った。

 

 

「午後の執務、休んでも構わないかしら?」

 

「あぁ、良いぞ」

 

 

 加賀さんの言葉に思わず声が出そうになるも間をおかずに了承した提督の言葉に更に驚き、出掛かった言葉を飲み込んでしまう。そんな私を尻目に、提督は座っていた椅子を手早く戻し、加賀さんの後ろに居た大淀共々部屋から出て行ってしまった。

 

 

 あっという間のことに、未だに固まっている私、そして静かに佇んでいる加賀さんに、提督と大淀はドアを閉める直前でこんな言葉を残した。

 

 

『ごゆっくりどうぞ』

 

 

 その言葉を残し、二人は出て行った。残された私は、二人が出て行ったドアを見つめ続け、加賀さんは何も言わない。その十秒もない沈黙が、私には何時間のように感じられた。

 

 

「隼鷹」

 

 

 しかし、それも加賀さんに名前を呼ばれたことで破られ、私の身体も彼女の方を向く。そこに、真顔の加賀さん。だけど、その目は真っ直ぐ私を見据えており、見つめ返すのが辛かった。

 

 

 だから、無意識になってしまった(・・・・・・・)のだろう。

 

 

「どうしたんだよ加賀さん、そんな顔してさ。あ、執務中に何もされてないよな? 何かあったら言ってくれ、すぐに行くからさ……だから―――――」

 

 

「必要ないって言ったわよね、『それ』」

 

 

 だから、その言葉を投げかけられてしまったのだろう。その言葉に偽りの自分は、軽空母 隼鷹もすぐさま消え失せた。

 

 

「先ず、私との話が終わったら、一緒に提督に謝りに行きましょう。さっき言ったこと、後悔してるんでしょ?」

 

「はい」

 

 

 加賀さんの言葉に、私は素直に頷く。もし『処分』が無ければ私は何かと理由を付けて行かなかったと思う。でも『処分』があった今なら、彼と話して自分のやったこと、自分に非があることを痛感した今なら、素直に行ける。

 

 ちゃんと向き合って、ちゃんと目で見て、ちゃんと言葉でぶつかって、それだけやってから好きに語れ、ってか。これが曙の言う『経験』ってやつなのだろうか。なるほど、確かにそうだよ。

 

 

「そして、これからはちゃんと私と話してちょうだい。貴女の言う通り(・・・・)、今朝のことは『親切の押し付け』よ。申し訳ないけど、それが私のためだと言われても納得できないわ。私のためを思うなら彼同様、私とも向き合ってほしいわ」

 

「……はい」

 

 

 次の言葉、それは私を否定する言葉だった。だから、思わず語尾が掠れた。しかし、それは否定されたことが悲しくて掠れただけではない。

 

 

 その直後、顔の横に腕が伸び、そのまま顔を掴んだ。すぐさま下に引っ張られ、やがて視界は目を閉じる加賀さんで一杯になった。私のおでこに彼女のおでこが、私の鼻先に彼女の鼻先が触れるまで、加賀さんは私を引き寄せていた。

 

 

 

 

「『ごめんなさい』」

 

 

 そして、視界を埋め尽くす加賀さんの顔が、目が開き、頬が緩み、子供を見るような柔らかい表情に変わり、その言葉を零した。

 

 

「『ごめんなさい』。気付いてあげられなくて、あんな酷い言葉を言ってしまって、本当に『ごめんなさい』」

 

 

 違う。違うんだ、加賀さん。謝られたくなんか無いんだ。私が本当に欲しい言葉は、聞きたい言葉は 言われたい言葉は。それじゃないんだ。

 

 

 

 

 

「『ありがとう』」

 

 

 でも『その言葉』を、やっぱり(・・・・)その言葉を私に向けて語り掛けてくれたのは、私を見てくれた人、認めてくれた人、故に守りたい人、だから大切な人。

 

 

 純粋な、本当の、私の拠り所になってくれた加賀さん()だった。

 

 

 そんな彼女を前にして私は『また』、本当の私(同じ姿)を見せてしまった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「どうしました? 提督」

 

 

 隼鷹さんの部屋を後にし執務室へと帰る道中。目に見えて落ち込む提督を見て私は思わず聞いてしまった。

 

 

「いや……本当に分かっていたし、期待してなかったんだけどさ。こうも正面切ってハッキリ言われると……心に来るって言うか。いや、分かっていたんだけど」

 

「言い訳にしか聞こえませんね」

 

 

 彼の言い訳を断言して、更に肩を落として落ち込む提督。その姿にちょっとだけ笑いそうになるのを堪え、再び聞いた。

 

 

「と言うか、本当に分かっていたんですか?」

 

「……何が?」

 

「私たちがあそこに来ることですよ」

 

 

 私の言葉に提督は一瞬キョトンとした顔になるも、すぐに理解したのか何処か遠くを見つめるような目になる。その姿に、私は加賀さん(・・・・)が言ってたことが本当だと思った。

 

 

『多分、提督は私が来ると分かっている』

 

 

 そう語る加賀さんの顔は、少し嫌そうだった。普段、表情が変わらない彼女のそんな顔を見て私は表に出さない様心の中だけで驚いたのだが、今回(・・)は隠せなかった。

 

 

 

 

「いや、全然」

 

「は?」

 

 

 流石にその発言には声を抑えきれなかった。そこで固まる私を尻目に、やはり遠い目のまま提督は言葉を続けた。

 

 

「まぁ、隼鷹があんなことをした理由も、そこに加賀が居るってことも、あんな形じゃないと隼鷹も言ってくれないってことも、それを加賀が聞かなきゃいけない(・・・・・・・・・)ってことも、一応は分かってたんだ。だけど、最後のは加賀と別れた後に分かったことだからさ? どうしよっかってすげぇ焦ってたんだよ。このまま加賀を呼びに行くのもアレだし、隼鷹も加賀が居たら話してくれないだろうな~、って思ったからさ。だから、来てくれた時は本当に驚いたし、本当に助かったよ。でも――――」

 

 

 彼はそこで言葉を切り、苦笑いを向けてきた。

 

 

 

「来てくれるだろうなって、『思ってた』」

 

 

 その言葉、その表情、その姿に、私は彼に見入ってしまった。その視線に、彼が気付くことは無い。

 

 

あれだけ(・・・・)のこと言ったんだ。言った張本人が分からないわけないだろうし、アイツなら分からないと示しが付かないだろうし。だから、思ってた。自分で気づいて、やって来て、聞いてくれて、ああ言ってくれて、『欲しい言葉』を言ってくれているんだろうな、って、思ってた。ま、希望的観測だったけど」

 

 

 そう言って、提督は笑いかけてくる。その時、私は彼から目を背けていた。その理由を、私は何となく理解していた。

 

 

 

「それで良いんですか?」

 

 

 だから、聞いてしまった。その理由を知って、今の自分が彼と同じ立場(・・・・・・)だと、そう思ったから。すると、視界の外から彼の声が聞こえてくる。

 

 

「まぁ、あそこまで想われてちゃな……そこに入り込むのも無粋ってモンだし。それにあの二人に限らず、此処には互いを見ていなかったり、片方が気付いてなかったり、気付いているのに目を逸らしている奴らが多い。そう言った奴らは、俺が『理由』にならなくて大丈夫だ。だから、その代わりに俺はそんな奴の、互いを見る、気が付く、目を向ける。そんな――――」

 

 

 そこで提督は言葉を詰まらせた。顔を上げると、提督が見える。やはり、彼は苦笑いを浮かべていた。何処か悲しそうな、悔しそうな、苦しそうな、辛そうな。彼がここにやってくる前、いつも()で見ていた顔。

 

 

「『きっかけ』になれれば、それで良いかなって」

 

 

 

 金剛さん(あの人)が浮かべていた、それだった。

 

 

 

『分かってないですねぇ』

 

 

 

 そんな提督に、私はそう言いたかった(・・・・・・)。あの時と同じように、あの人と同じように、同じ言葉を言いたかった。でも、言えなかった。言えなかったから歩き出した。立ち止まっている彼の横を通り過ぎて。

 

 

「まぁ、()はそれでいいんじゃないんですか? じゃあ、先に帰っててください」

 

「え、えっと……何で?」

 

「加賀さんとの休憩からそのまま隼鷹さんのところに行って、どうせ疲れている(・・・・・)んでしょう? コーヒーでも淹れますよ」

 

「いや、休憩だったし。別に疲れてなんか」

 

 

 歩き出す私の背に彼がそう言ってくる。だから、立ち止まって振り返り、窘めるような顔を向けた。

 

 

「分かりますよ。あれだけ一緒に執務をこなせば、否が応にでも」

 

 

 それだけ言って、私は彼に背を向けて歩き出した。後ろを見ないように、前を見据えて。そんな私の耳に、彼の言葉が聞こえてきた。

 

 

 

 

「すまんな、大淀」

 

 

 その言葉に私は後ろを振り返らず、ただ手をヒラヒラとさせた。すると、後ろから床を踏みしめる革靴の音が聞こえ、段々と小さくなっていく。それを聞きながら、私は小さくこう溢した。

 

 

 

「それじゃないんですよ、欲しい(・・・)のは」

 

 

 そう溢した時、私の頭には、隼鷹さんの部屋に向かう道中、加賀さんの言葉がやっぱり(・・・・)本当だったと実感した。

 

 

 

『多分、提督は私が来ると分かっている、提督(自分)じゃ隼鷹(あの子)の『理由』になれないことも、分かっているんでしょうね。だから、敢えて私を置いて行った。どうやら、私は彼がそう分かる『きっかけ』にはなれたけど、彼がもう一歩踏み出す『理由』までにはなれなかったようね』

 

 

あれだけ一緒に(・・・・・・・)居たのに……『きっかけ』にすらなれないのか、私」

 

 

 そう溢し、眼鏡を外して袖で目元を拭い、再びかけなおした。おかげでぼやけていた視界がクリアになる。そのかわりに拭った袖は、ほんの少しだけ湿った。


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