新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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押し付けた『望み』

「ここか」

 

 

 ハチと別れた後、俺は潮が落とした道具を持ってとある部屋――――医務室の前に来ていた。

 

 艦娘が患うのは何も戦闘による外傷だけではない。人間と同じように風邪を引くこともあれば、金剛のように疲労で倒れること、精神的にすり減っていくこともある。そう言ったドックでは直せない身体の不調、心の不調を診るために設けられた場所だ。同時に後遺症を改善するためのリハビリも一括で担当してる。謂わば、『鎮守府の総合病院』だ。

 

 しかしこの医務室、当初は艦娘をバックアップする専門の人間が務めていたそうなのだが、初代に脅されたか結託していたかでまともな機能を果たしていなかったらしく、更にそこに務めていた人間も初代ほどではないが、やはり艦娘たちを道具のように扱っていたようで、艦娘たちも極力ここに近付こうとしなかった。そして初代が居なくなった直後、金剛が医務室も含めた人間全員を真っ先に追放したそうだ。現在は医術の心得がある艦娘が管理している。

 

 そして、此処にやってきた理由は、現在リハビリ中である潮に道具を返すためだ。まぁ、確実に居るかどうかは分かんないけど。

 

 そんなことを思いながらドアの前に立ち、軽くノックする。すると、中から「どうぞー」と言う何とも間の抜けた声が聞こえ、それを受けて俺はドアを開けた。

 

 

 その先には、白を基調とした壁に風に吹かれるクリーム色のカーテン、色々と薬品や包帯がしまわれているであろう身の丈以上は在る戸棚たちが壁際に鎮座している。その中心には大きめの机に綺麗に整頓されたファイル、そして座り心地がよさそうな椅子と対峙する背もたれの無い黒い丸椅子。『保健室』、と言った時に真っ先に思い浮かぶ光景そのものだろう。

 

 

 そんな中、その椅子に身を預け、コーヒーを飲みながら手にしたファイルを眺めている艦娘が一人。その恰好はいつもの緑を基調とした制服の上に彼女からすれば大き過ぎるであろう白衣を羽織り、その顔には黒渕のメガネが掛けている。そんな彼女の目が、俺に向けられた。

 

 

 

「あれ、提督じゃん。どったの?」

 

「北上、飲みながら話すなよ」

 

 

 緩い雰囲気を醸す艦娘―――――北上にそう言いつつ呆れた目を向ける。俺の言葉に北上はめんどくさそうな表情を浮かべてカップを机に置き、開いていたファイルを同じようなモノが立てかけられている棚にしまった。

 

 

 現在、この医務室を管理しているのは北上だ。

 

 

 と言うのも、北上はこの鎮守府で飛び抜けたの医療の心得があり、且つそれを使って初代の頃から密かに艦娘たちの治療を行っていた経歴を持っている。しかし、治療と言っても医療関係を管理する倉庫からギンバイしたモノを使い、且つ周りにバレないように応急処置程度しか出来なかったらしい。その代わりにメンタル面のサポートに力を注いでいたと聞いている。多分、夕立が秘書艦について聞きに行ったのもこう言った経緯があったのだろう。

 

 因みに、北上が持っている医療の心得の殆どは艦との同化をした際に身に付いたモノらしい。彼女曰く「人を運ぶために動かない子を直していた頃がある」とのことだが、彼女が名を冠した艦艇『北上』は、先の大戦終結後に工作艦として復員船に使われる艦艇の修理に携わった過去を持っている。

 

 そんな経緯で医務室の管理を引き受けている北上だが、主に動いているのは妖精たちで彼女は医療関係全般の情報管理と妖精たちの統括をメインで行っている。なので普通に出撃したり秘書艦をやったりしているが、最近はそっちに重きを置いてもらうためにその数を減らした。

 

 

 そんな、この鎮守府にとって貴重かつ有難い存在は今、「よっこいせ」とおっさんみたいなことを言いながら俺に身体を向けた。

 

 

「はいはい、これで良い……って言うか、執務はどうしたのさ?」

 

「加賀に休めって言われた」

 

「はぁ、どゆこと?」

 

 

 俺の端的な答えに眉を潜める北上。まぁ、これだけじゃ分かるわけないか。そんなことを思いながら、非番になった経緯を説明する。それを聞き、「あぁ……まぁそうだよねー」と北上は納得した様に頷いた。本当に無理してるわけじゃないんだけどなぁ。

 

 

「駄目だよ、提督は『人間』なんだから。艦娘(あたし)らみたいに入渠してハイ終わり、ってわけにはいかないの。そこんとこ、しっかり管理してもらわないと困るんだよねー」

 

 

 本来なら専門家の言葉なんだけど、加賀よりも軽い物言いだから重みが感じられない。相手を不安がらせないためってことなのかもしれないが、仮に真剣な物言いだった時は口調とか纏う空気とかが段違いなんだろうな。

 

 

「それで? せっかくの非番にこんなところに来た理由は?」

 

「あぁ、これを渡しに来たんだ」

 

 

 北上の問いに手に持っていたモノを見せる。それに一瞬北上の顔が強張るも、やがて察しがついたような顔つきになった。そしてそのまま俺から顔を背け、ファイルがしまわれた棚に手を伸ばす。

 

 

「生憎、まだ帰って来てないねぇー」

 

 

 棚を触りながら北上は疲れたような声でそう言い、その言葉に俺も肩を竦めた。まぁ予想はついていたから驚かないし、むしろ居ないんだろうなと思っていた。

 

 何せあれだけ盛大に道具をぶちまけたんだ。潮自身が気付かない筈がないし、必ず回収に来るだろう。でも、彼女が回収したいそれは俺の手にある。無くなっているのを見て誰かが持っていった、もしかしたら俺が持っていったと勘付くだろう。そして、潮は自身の容態を定期的に北上が報告しているのを知っている、となれば……まぁしばらくは医務室(ここ)に近付かないよな。

 

 何処かで道草食ってるのか、はたまた俺が出て行くのをどこかで見ているのか。そこまでは分からんな。

 

 

 

「んじゃ、待たせてもらうか」

 

「え、マジで言ってる?」

 

 

 俺の言葉に北上は棚から一冊のファイルを取り出す手を止め、その言葉と共に怪訝な顔を向けてきた。潮が俺を避けていることはこの鎮守府での周知の事実、しかもあの事件以降一番身近に居る存在が北上だ。この鎮守府の誰よりも潮のことを理解しているだろう。

 

 

「ちょっとだけ話があってな? これを渡すとき一緒に聞けば丁度良いだろ」

 

「……言伝じゃ駄目なの?」

 

「駄目」

 

 

 少し遠慮気味に問いかけてくる北上に、俺は笑みを浮かべてそう断言した。すると、北上も困ったように視線を逸らし、表情を微妙に変えながら何かを思案し始める。その間、俺は北上から少し離れたところにあるソファに腰を下ろした。

 

 

「ふっかふかだな、このソファ」

 

「前の人たちが使ってたのをそのまま使ってるからねぇ。どうせ予算をこっちに回したんでしょー」

 

 

 サラリと毒を吐く北上に苦笑いを向ける。それと同時に、目の前にファイルが差し出された。上を向くと、いつの間にか距離を詰めていた北上が居り、少しだけ真剣な表情を浮かべている。

 

 

「これ、読んで」

 

 

 そう言って、北上は差し出したファイルを揺らす。それを見て、俺は何も言わずにファイルを受け取り中に目を通す。

 

 

 北上が差し出してきたのは、潮の容態に関する報告書。あの襲撃、そして金剛の件の後、北上から定期的に上げてもらっており、そこには潮のリハビリ進行具合と彼女自身の様子などが記されている。そこから彼女が現場復帰をするタイミングを見計らっているわけだ。

 

 

 そして、差し出されたのは前回のモノ。そこには最新のリハビリ状況を記されている。だが、その内容は当然提出された時とは変わっていない。もっと言えば、この報告書の前、その前も、内容は一切変わっていないのだ。

 

 

 

 『身体的障害は見受けられず、完治と見てよい。しかし、まだ出撃は認められない』と。

 

 

「前の報告書だろ、これ。何で今更見せるんだよ」

 

「そこに、あたしたち(・・)の答えがあるよ」

 

 

 俺の言葉に北上は先ほどよりも強い口調で答える。その言葉に、差し出したファイルを再び開き、内容に目を通す。と言うか、北上の答えと言うヤツは彼女に言われる前に気付いていた。もっと言えば、初めてこの報告を受け取った時からずっと浮かんでいた疑問だ。

 

 

 

完治(・・)しているのに、何で出撃させないんだ?」

 

 

 俺の問いかけに、北上は先ほどまでの真剣な顔つきから一転、ふにゃりと顔を緩ませる。いつもの緩い雰囲気を醸し出すも、その目は笑っていなかった。

 

 

「潮が『まだ出撃したくない』って言うからだよ」

 

 

 その表情のまま、北上は言い切った。だけど、その瞳の奥に何かが見えた気がした。

 

 

「身体も問題なくて、演習の結果も報告書通り。あたしには実践投入可能だと見えるんだけど、本人がそれを拒んでる。理由を聞いてもただ曖昧に笑うだけで、本当のことを話そうとしない。まぁ、建前は『誰かさんに負い目を感じている』なんだろうけど、ぶっちゃけ『逃げてる』だけよね。ともかく、戦う意思のない奴が海に出ても沈むだけ、最悪僚艦にまで被害を及ぼす害悪だ。それを黙って見過ごすわけにはいかないでしょ」

 

 

 北上の言葉。それを聞いて、俺は潮が何故出撃しないのか、そして彼女が追い目を感じている『誰かさん』の正体が、憶測ではあるが理解した。前の俺なら、それで手を引いていただろう。でも今の俺にとって、それは改めて『俺がやらなくちゃいけない』と決意するきっかけになった。

 

 

「あとさ? 潮が何であそこまで提督を―――――『男』を毛嫌いしているのか、知ってる?」

 

 

 決意した直後に投げかけられた問い。何の脈絡もない突然の問いかけであったが、俺は何も言わずにただ首を横に振った。何故なら、北上の問いを受け止め、その意味を理解した瞬間、とある言葉が浮かんできたからだ。

 

 

 

『アイツはあんなこと言ってたけど、どうせ全部嘘!! 初めから曙ちゃんの身体目当てに決まっている!! 男の人(・・・)なんて所詮そのことしか頭にないの!! 本能の赴くままに女の子を襲う醜い獣なんだからぁ!!』

 

 

 

 これは着任2日目の朝にドックで曙と鉢合わせしたことを金剛に締め上げられた時、当時名前も知らなかった潮の言葉だ。今考えると、少々おかしいところがある。

 

 と言うのも、ここの艦娘が敵視しているのは人間、その中でも最も彼女たちに実害を及ぼした初代提督だ。現に金剛や間宮、大淀、隼鷹など殆どの艦娘は俺を『提督』として目の敵にしてきた。勿論、提督も男ではあるが、それ以上に『提督』と言う言葉、その存在を憎み、散々に罵ってきたのだ。

 

 そして、潮も彼女たちと同じであるなら、真っ先に俺を男ではなく『提督』として目の敵にするはずだ。しかし、彼女は初めて目のした俺を、『男の人』と罵った。『提督』ではなく『男』としてとらえていたのだ。彼女にとって『提督』への憎悪よりも『男』への憎悪の方が大きくなければこうはならないだろう。

 

 

 

 つまり、潮は初代提督から、『男』として最低なことをされた、と言うことになる。

 

 

 

「初代が艦娘(あたし)たちに課したモノの中で、『伽』があるのは知ってるよね? 出撃で失態を犯した子への罰として、そうじゃなくても日替わりで誰かが一人、時には複数人で提督の相手をしてたこと。多分、榛名さん辺りから聞いてると思うけど」

 

「あ……あぁ、聞いた」

 

 

 本当は大本営に出頭した際に中将から聞いたんだが、北上は榛名から聞いたと思い込んでいるためそのまま流すことにする。

 

 

「元々は全艦娘対象だったんだけど、駆逐艦や軽巡洋艦とか精神的苦痛に弱い艦娘を外すために金剛さんたちが説得したんだ。説得の経緯は省くけど、ともかく初代はその説得を受け入れた。そのことで、艦娘たちは安心したんだ。でも……」

 

 

 そこで言葉を切った北上。いつの間にか、その表情は先ほどの緩い表情から真顔に、その目は冷えたモノから熱を、怒り(・・)を帯びたモノに変わっていた。

 

 

 

「その日の伽に潮が選ばれた。それも無理やり連れ去って、今までの伽で最低最悪のコト(・・)を、一人にさせたんだよ。そのことに周りが気付くまで、優に一時間(・・・)。その間、ずっと一人で晒され続けた。多分、終わりのない地獄をずっと味わっているような感じだっただろうね」

 

 

 吐き捨てるような北上の言葉。それに、俺は自身の体温が一気に下がるのを感じた。初代が潮に何をさせたのか、想像できない。しかし、今までの潮の言動や表情から彼女がその時、その瞬間、どんな気持ちで、どんな表情で、どれほどの恐怖を味わったのか、何となくではあるが理解できた気がした。

 

 

「あたしたちが突入した時には潮は酷い恰好、特に顔が酷かった。憔悴を通り越して衰弱し切ってて、誰かが声をかけても反応せず、か細い声でひたすら謝り続けてた。その後、その後に約束と違うと初代に問い詰めた。駆逐艦たちには手を出さない約束した筈だ、と。そしたらなんて言われたと思う?」

 

 

 

 その問いと同時に、北上は目を向けてきた。そこに、先ほどの『怒り』は無い。それすらも通り越した、純粋な『殺意』が見て取れた。

 

 

 

「『確かに約束したが、それがいつから(・・・・)かは言われていなかった』って。ホント、ふざけてんのかって話だよ」

 

 

 そう零す北上は笑っている。嘲るような笑い、見下す様な笑い、侮辱するような笑い、それらの感情をぶつけるしか値しない相手に向けた笑い。例え、目の前の相手(それ)が死んでいても、同じ笑いを彼女は向けるだろう。

 

 

「まぁ、要するに潮は『男』に対する恐怖心を刻み込まれているの。提督に対するあの態度は、刻み込まれた恐怖を隠すための虚勢。そして、元々仲間想いの子だから誰かが提督の手にかかりそうならなり振り構わず助けに行く。例え、それが助けようとした子を巻き込もうとも、ね。それすら判断できないほど、とてつもない恐怖を抱いているってことさ……だから」

 

「『男』である俺が近づくな、ってことか?」

 

 

 北上の言葉を遮り、彼女が言おうとしたであろう結論を質問としてぶつける。すると、北上はバツの悪そうな顔になるも、無言で頷いた。しかし、その表情も次の瞬間には驚愕に変わる。

 

 

 

「嫌だ」

 

 

 俺がそう言った。少しも悪びれもせず、真顔でそう言い切った。その言葉に驚いた北上であったが、すぐにめんどくさそうな顔を浮かべてガシガシと頭を掻き始めた。

 

 

「聞いてなかった? 潮は『男』に恐怖心を抱いてるの。下手に近付かれるとこっちが困るんだよ」

 

「あぁ、分かってる。分かっている上(・・・・・・・)で話したいんだ」

 

 

 俺の言葉に、北上は白けた目を向けてくる。何言ってんだこいつ、とでも言いたげな、いや心の中で確実に言っているだろう。そんな視線を晒されながら俺は彼女に向けていた視線を自身の手に、正確にはその手が持っている潮の道具に落とした。

 

 

「コレ、見て欲しいんだ」

 

 

 そう言って、視線の中にあったスケッチブックをもう片方の手で抜き取り、北上の前で開いた。俺の言葉に北上は怪訝そうな顔をしながらも目の前で開かれたスケッチブックに目を通す。とはいっても、リハビリの一環としてコレを潮に渡した北上だ。多分さっきの俺同様、何も変わっていないモノを見せられて変な顔をするだけだろう。

 

 

 だから、そこに問いを付け加えた。

 

 

 

「これに描かれている花の名前って知ってるか?」

 

 

 その問いに、北上は呆けた顔になる。それも、俺の言っていることが微塵も理解できないような、本当に予想外過ぎて思わず浮かべてしまったであろうその顔を。そんな北上を前に、答えが無いだろうと判断した俺はスケッチブックの最後のページ、二本花が描かれたページを開き、そこに在る絵を指差した。

 

 

「この花、ミヤコワスレって名前だ。名前の由来は……この花を見れば都を忘れられる、って言われたことから。花言葉は『しばしの慰め、別れ』って言うんだ」

 

 

 とまぁ、名前の由来を端折った以外はまんまハチの説明をパクって説明する。しかし、北上にはあまりピンと来ていない様子。いきなり花の紹介をされればこうなるか? まぁ、お構いなしに進めるんですけどね、と思いながらもう一つの絵を指差す。

 

 

「んで、このミヤコワスレの横にあるのが、ヒロハノハナカンザシ。原産は海外で、ドライフラワーによく使われることから『永久不変の花』なんて呼ばれたりしてる。んで、花言葉が……」

 

 

 そこで言葉を切り、真っ直ぐ北上を見据える。次に、不思議そうな表情を浮かべた彼女が顔を上げ、俺と視線を合わせた。それを受けて、俺は口を開いた。

 

 

 

 

「『変わらぬ思い』、そして『終わりのない友情』」

 

 

 俺が言った、ヒロハノハナカンザシの花言葉。それを聞いたとき、北上の表情が変わった。不思議そうな表情から真顔に、そして何かを察したような顔に。それを見て、俺は改めてミヤコワスレを指差した。

 

 

「それを踏まえて、この花が()を指しているか、分かるか?」

 

「曙でしょ。髪留めに付いてる花の装飾、確かそのミヤコワスレってヤツだった筈」

 

 

 間髪入れずに飛んできた北上の言葉に、俺は何度も頷いていた。そう、俺がミヤコワスレを見てからずっと感じていた既視感の正体は、ここに着任して初めて出会った曙の第一印象が目に留まった彼女の髪留めに付いていた花だった。だから、ヒロハノハナカンザシの花言葉を聞いた時に同時に気付いたんだ。

 

 

 俺が今、北上に見せている絵はミヤコワスレとヒロハノハナカンザシが互いに寄り添うように描かれたモノ。そして、その片割れであるミヤコワスレは、同じ花の装飾がほどこされた髪留めを付けている曙を指している。また、もう一つの花であるヒロハノハナカンザシは、その花言葉を『変わらぬ思い』、そして『終わりのない友情』としている。

 

 

 最後に、この絵を描いたのが潮である。ここから推測される答えは、恐らく『一つ』しかないだろう。

 

 

 

「自分はヒロハノハナカンザシ(この花)だと、もしくはそうなりたい(・・・・・・)、って言いたいわけか」

 

 

 ポツリと、北上が声を漏らす。その言葉に、俺はニッコリと微笑んで頷いた。期待通りの答えが返って来て、そして理解してくれたことが嬉しかったから。

 

 

 恐らく、潮が出撃を拒んでいるのは曙への負い目を感じているからだろう。だが、それ以上にあの時の言い争い、そして自身を砲撃されたことが潮の心に深い傷を負わせた。だから出撃を拒んだ、まだリハビリ中であろうとした。それは、リハビリ中であることを理由に曙を顔を合わせる機会を減らすため、必要最低限にとどめるため、曙の前から逃げ続けるためだ。

 

 だけど、潮は分かってる。本当は向き合いたいと、前みたいにその隣に居たいと、それが自分の本心だと、分かっている筈だ。だから絵を描いた、あの花たちを描いた。花で表した、曙と自分が寄り添っている姿を、今最も望んでいる姿を。あの花を選んだのも、本心は変わってない、昔も今も、そしてこれからもずっと大切に想っている、と言うメッセージだ。まぁ、これだけだと潮からの一方的な押し付けにも見える。

 

 しかし、曙も解体申請書を持ってきた時の表情から、潮を恨んでないはずだ。むしろ心配していたから、曙自身も潮との関係を改善したいと思っているだろう。でも、傷付けてしまったことと己の状況を鑑みた時、アイツから潮に行くと言うのは考えづらい。

 

 つまり、今二人は顔を逸らして互いに互いを見ようとしないだけ。だから、互いが互いを見れるよう、誰かが二人の背中を押す必要がある。

 

 

 そう、『きっかけ』にしかなれない、ただ二人の背中を押すことしか出来ない俺がやるしかないのだ。むしろ、それだけしか出来ないからこそ何としてもやりたいんだ。

 

 

「……なるほど、でも、どうするの? 曙と引き合わせるの?」

 

「あぁ、まぁ、引き合わせるっちゃ引き合わせる。でもそれだけじゃない、引き合わせるだけの『建前』が必要だ。だから、こうしようと思う」

 

 

 そこで、俺は考えていることを北上に話した。多分、真っ当な方法ではないと思うし、失敗するかもしれない。それを見越したのか、北上の表情も何処か微妙そうだ。微妙と言うか、なんか憐みの目を向けてきている。

 

 

「……聞くだけで嫌になる程めんどくさくて回りくどいけど……まぁ、良い考えだとは思うよ? ただ、どっちに転んでも提督には何かしらの不幸が跳ね返ってくる気がする」

 

「そこは、まぁ……必要経費だから」

 

「自分を消耗品みたいに扱わないでよ」

 

 

 ジト目を向けてくる北上から視線を逸らしつつ、苦笑いを浮かべる。しばらくはその視線に晒されたが、やがて諦めたようなため息が聞こえ、顔を向けると北上が肩を竦めていた。

 

 

「やっぱり、潮はあたしに任せてくれない? 提督に降りかかる不幸はどうしようもないけど、その考えをなるべく達成させたいんなら、あたしから伝えた方が良いと思うんだよねぇ。ほら、あたしセンセーだよ? センセーが言うなら自然だし、受け入れてもらいやすいでしょ」

 

「や、でも」

 

「それに、曙も『自分だけ』なら許してくれるかもしれないじゃん。あれ、これ結果的に不幸も軽減されてる? 流石は北上様、今日もキレッキレだね~」

 

 

 俺の言葉も聞かず自分を褒めだす北上。確かに、彼女の言葉は一理ある。曙は良いとして、潮は俺の考えを伝えてもやってくれるか分からない。それ以前に話が出来るかが問題だ。その点、北上なら担当医としての立場から潮と話す機会が多く、且つその言葉なら潮も受け入れやすいだろうな。俺への不幸は良いとしても、可能性を上げれるのなら有りか。

 

 

「それにさ、あたしも担当医のくせに潮の絵のこと分からなかったじゃん? まぁメンタルはからっきしだし花言葉なんて微塵も知らなかったから、多分提督に言われるまで気が付かなかったと思うんだよー。だから、教えてくれたお返し、ってことで一つ手を打ってもらえないかなぁ?」

 

 

 何処か申し訳なさそうな北上の言葉。そこまで気にしなくていいんだけど、彼女自身がそう言ってくれるなら任せていいか。むしろ、こっちからお願いしたいぐらいだ。

 

 

「じゃあ、よろしく頼むよ」

 

「ほいさー」

 

 

 と言うわけで、潮は北上から伝えて貰うこととなった。そうなれば、俺がここに居て潮を待つ理由は無い。でも、北上が言うほどメンタル面がからっきしだとは思えないんだがな。

 

 

「夕立から相談を受けてたんだろ? 潮のことだって分かっていたんだし、それプラスで潮のリハビリと体調を崩した艦娘を一人で相手してたんだ。そんなに卑下することもないだろ」

 

「そんなんじゃないよ」

 

 

 俺の言葉に、北上はそう言った。言葉だけ見れば、手放しに誉められたことへの謙遜に映るだろう。でも、その声色は違った。先ほどまでの緩い空気と軽い口調は消え去り、胸を締め付けられるような圧迫感を孕む強烈な重さとそれ以上に低くどっしりとした口調だ。

 

 あまりの変わりように、思わず北上を見る。すると、そこには先ほどまでの緩い表情はない。有るのは、真顔。全ての感情を、彼女が帯びる熱すらも失ったような暗く、冷たく、一歩間違えれば生気すらも感じられない程、『無表情』だ。

 

 

 

「あたしは『あの子』の真似をしてるだけ。夕立だって元々は彼女に懐いていたし、誰もが真っ先に相談していたのは彼女だった。あたしはその傍に居て、出来ることをやってただけ、その姿を一番見ていただけ、その立ち振る舞いを真似ているだけ。ただ、それだけ。何も偉いことも良いこともやってない」

 

 

 言葉を捲し立てる北上。その姿に、俺は何も言えなくなった。だけど、頭では必死に言葉を探している。何を言えばいい、何を伝えればいい、目の前にかけるべき言葉は何だ。それだけのために、血管がはち切れそうな程頭を回し続けた。

 

 

 

「北――――」

 

「ごめん、提督は関わらないで」

 

 

 何とか言葉を絞り出した瞬間、北上がそれを遮る。その言葉は、先ほどのどっしりとした口調であったが、俺に言葉を飲み込ませるには十分だった。

 

 

「これはあたしとあいつの事だから、下手に首を突っ込まないで。まぁ、突っ込んだところで何が出来るか、って話だけどさ。先に言っておくけど、確実に無駄足、出来ることなんてないから。だから、そっとしておいて」

 

 

 それだけ言って、北上は口を閉じた。その表情は、先ほどのままだ。それを受けて、俺は口を開いた。

 

 

 

 

「『あいつ』って誰だ?」

 

 

 冷静に、淡々とした口調で問いを投げる。その瞬間、今まで無表情だった北上の顔に感情が宿る。『怒り』だ。

 

 

「言ったよね? 首突っ込まないで、って」

 

「『あの子』と『あいつ』って言ってたから、この二人は一緒じゃないんだろ? 『あいつ』って誰だよ」

 

 

 北上の言葉を無視して、更に問いかける。そのことに、北上は更に『怒り』を募らせる。

 

 

「提督には関係ないよ、そんなこと」

 

「『あの子』ってもう居ないのか? 彼女が居なくなったのは何でだ?」

 

「止めてっ言ってるんだけど」

 

「その原因に『あいつ』は関係しているのか? それとも『あいつ』が原因なのか?」

 

「やめろって」

 

 

 俺が言葉を発するごとに、北上の語気が荒くなり、その表情もどんどん変わっていく。だけど、俺は至って冷静だった。この空気を、つい先日感じたばかりだったからだ。だから、こう言えた。

 

 

 

 

「『あいつ』って、雪風のことか?」

 

 

 俺がそう言った。その瞬間、北上の身体が、その腕が動き出していた。上半身ごと腕を後ろに振りかぶり、そのまま勢いよく前に、俺目掛けて突き出された。それは、俺の頬を掠り、後ろの壁に思いっきり叩き付けられた。

 

 北上の手と壁が勢いよくぶつかる音が鼓膜を叩くも、俺はひるむことなく前を見続けた。その先では、手を突き出した格好で俺を見据える北上。その顔に見覚えが、と言うかそれはつい先ほど彼女が浮かべていた表情だった。

 

 

 『笑い』だ。先ほど、初代の言葉を口にした際に浮かべていた。

 

 

 嘲るような、見下す様な、侮辱するような、それらの感情をぶつけるしか値しない相手に向けた笑い。例え、目の前の相手(それ)が死んでいても、同じ笑いを彼女は向けるだろう。

 

 

「初めて会った時や『死神』の時、んでついさっきも思ったんだけどぉ。あんまりズカズカと人様の()に入り込まない方が良いよ? それが琴線に触れるかもしれない、信管に触れて爆発するかもしれないからさ。だから、これから気を付けなよ。あと……」

 

 

 その笑いのまま、北上は俺に目を向ける。その目は、初代のことを話していた時にあった、純粋は『殺意』を孕んだ目だった。

 

 

 

 

「ウザイ」

 

 

 

 抑揚のない声で、北上はそう言い放った。笑ったまま、殺意を孕んだ目を向けたまま、そう言ったのだ。その言葉に、俺は彼女の目を真っ直ぐ見据えた。

 

 

 

 

お似合い(・・・・)だな、今の俺に」

 

 

 俺の言葉に、北上の笑いが一瞬崩れる。笑いから呆けた顔に、呆けた顔から怒りに、怒りから悔しそうな顔に。目の前でコロコロと表情を変え、何か言葉を吐き出そうとする北上に、更にこう続けた。

 

 

 

 

「でも、そうしなくちゃ駄目なんだ。潮のように、ハチのように、誰かがそれを望んでいるのなら動かなくちゃいけない。例え出来ることが限られていても、ほぼ皆無に等しくても、その中で出来ることを見つけてやるしかないんだ。それに……」

 

 

 そこで言葉を切って、俺は北上に笑いかけていた。そう、無意識の内に微笑んでいたのだ。

 

 

 

「潮と曙のように、お前らも向き合って欲しい。そう、()が望んでいる」

 

 

 その言葉と同時に、北上の表情が固まった。それは真顔。目を大きく見開いて、俺を見ている。口も半開きで、頭の中が真っ白になっているのが分かる。しかし、その表情は彼女が俯いたことで、そして俺から離れたことで見えなくなった。

 

 

「勝手に押し付けないで。ウザイ、それ」

 

 

 不満げな様子の北上に、俺は苦笑いを向けた。しかし、北上は俺を見ることなく背を向け、先ほど腰掛けていた椅子に座って深いため息を吐く。その時、北上は手で顔を覆っていたため、その表情は見えなかった。

 

 

「取り敢えず、潮はあたしがやっとくから、提督は曙にやっておくこと。はい、この話はこれで終わり。さ、残り少ない非番を存分に満喫してきなよ。ほら、早く早く」

 

「お、おう……じゃあ、頼んだぞ」

 

 

 そう言って、北上は手で出て行けと促してくる。その間も、彼女は顔を隠したまま。それを受けて、俺は素直にその言葉に従った。

 

 突然投げやり気味になった北上の態度に疑問を持ったし、俺の質問に対する明確な答えを貰っていなかったから、ぶっちゃけまだまだここに居たかった。此処に居て、その理由や俺の質問に対する答えなど、いろんなことを話したかった。

 

 でも、それらが憚られる理由があった。正確にはあるモノを見てしまったから。

 

 

 

 それは、手で覆われたために表情が殆ど見えない北上の頬。そこで、ゆっくりと下へ流れていく一筋の涙があったからだ。

 

 

 


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