新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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向けられた『表情』

「えっ?」

 

 

 思わず声が漏れた。そう声を漏らした私の表情筋―――『本当の笑顔』を作り出していた表情筋はその機能を停止する。

 

 

 頭をバットで殴られたような衝撃と共に今まで抱えていた思考、感情の全てが瞬く間に叩き出され、頭の中は真っ白に――――いや、夥しい数の疑問符で満たされる。そこに状況を把握する余裕などなく、ただただ間抜け面を彼女に晒すことしか出来なかった。

 

 

 そんな間抜け面を向けられた曙ちゃんも、同じく呆けた顔を浮かべていた。先ほどの訝し気な表情も、私を叩きのめした時の表情も無い。文字通り、ただただ間抜け面(・・・・・・・・)だ。だけど、その目は忙しなく動いている。思考自体は停止しているのではなくむしろ働いており、そのためにそれ以外の機能を放棄しているのだろうか。

 

 

 ともかく、部屋は沈黙が走った。その沈黙を破ることなく、私たちは互いに互いの間抜け面を嫌と言うほど見つめ合う。その時間は、長かったのだろうか。それが長いのか、はたまた短いのか、それすらも分からなくなっていた。

 

 

 

 

「えっと、ねぇ……」

 

 

 その沈黙を破ったのも、曙ちゃんであった。その顔は先ほどの間抜けな面ではなく、こめかみに手を当て小さく唸り声を上げている。頭痛に悩んでいるようだ。

 

 

「今からいくつか質問をするけど、正直に(・・・)答えてね?」

 

 

 軽く唸り声を孕みつつ絞り出された彼女の言葉には――――と言うか、分かりやすく強調された『正直に』と言う言葉に何処か言い知れぬ重みを本能的に感じた。故に、私は首振り人形のように何度も頷くしか出来なかった。そんな私を見て、彼女の表情はほんの少しだけ緩んだ。

 

 

「先ず、あんたが解体されるって話は本当?」

 

「い、いいえ……」

 

 

 最初の質問。『正直に』と釘を刺されていた、または思考が止まっていた私に取り繕うことも出来ず、ただ言葉通り素直に答える。対して、曙ちゃんは小刻みに頷きつつブツブツ呟くも、すぐに私に向き直って再び口を開いた。

 

 

「次は、()が解体されるってことは聞いてる?」

 

「え、えっと……」

 

 

 次の質問。その間に少しだけ思考が戻り始めたため、私の頭には二つの答えが浮かんでいた。

 

 まず、北上さんから聞かされたこと。彼女は一度、私を砲撃したために砲門が出せなくなり、それを理由に解体を申し出た。だけど、それを彼女は取り下げ、今は間宮さんと中心に食堂を切り盛りしている。そのことは知っている。

 

 だが、彼女の口ぶりはまるでそれ以外に解体を申し出たと言ってるかのようであり、その場合は知らない。仮にそっちであれば、逆にその理由を問いただす気だ。だけど、そうであると言う確信がいまいち持てないのだ。

 

 つまり、彼女の口振りは前者と後者のどちらにもとることができ、かつどちらであるか判断がつかない。故に二つの答えが浮かび、どちらを答えにしようかと悩んでいるのだ。だけど、ここで変に話しをこじらせるのもあれなので、素直に答えた。

 

 

「……一度、取り消したってことは知ってる」

 

「……あぁ、そうね、そうだったわ。ありがとう」

 

 

 質問によって再び動き出した思考を元に答えを絞り出す。それに曙ちゃんは一瞬キョトンとした顔になるも、すぐに合点が付いたのか小さく息を吐きながら頭を抱える。だが、それもすぐに終わりを告げた。

 

 

 

「じゃああいつにどんな話をされたか、教えてくれる?」

 

 

 その言葉自体は、今まで聞いてきた彼女の声色でも柔らかい方であり、子供に語り掛ける母親のそれに似ていた。そして、その顔に浮かんでいる表情も今まで見ていた彼女の中でとても柔らかい笑みだ。

 

 

 その後ろに、鋭い光を放つ数々の刃物を携えた鬼の群れを従えてなければ。

 

 

 その光景に身も心も腰が引けてしまった私は、彼女の口に乗せられるままに話した、いや話してしまった。それが、私と北上さんとの約束、そして今の今までやってきたことを否定してしまう。そのことに気付いたのは、彼女に話し終わった後であった。

 

 

「そっかそっかぁ、そういうことかぁ……」

 

 

 私が話終わると、曙ちゃんはそう言いながら何故か頭を抱える。手の隙間から見える彼女の表情は、苦笑いとも、呆れとも、疲れているともとれる、なんとも複雑なモノ。

 

 それが意味するものは何か、私は戻ってきた思考を総動員し答えを導き出しにかかる。だがそれは、いきなり彼女に手を握られたことで強制終了した。

 

 

「えっ!?」

 

「よし、行くわよ」

 

 

 思わず声をあげるも曙ちゃんには聞こえていないのか、それだけ呟いて私を廊下へと続く扉へ引っ張り始める。彼女の中では何かしらの答えが出たのだろう、だけど私はようやく思考が戻ってきたばかり。その答えが何か、分かるはずもない。

 

 

「ど、何処へ?」

 

「執務室よ」

 

 

 だから、問いかけた。そして、後悔(・・)した。

 

 

 次の瞬間、そう答えた曙ちゃんの身体が一瞬後ろに引っ張られる。突然のことに彼女は一瞬驚いた顔をするも、すぐに何かを悟ったのか神妙な顔を後ろに、私に向けてきたのだろう(・・・)

 

 何故、『だろう』なのか。それは、向けられているであろう彼女の顔が見えないから、早い話私は自分の足元に視線を落としているからだ。

 

 

 彼女に握られていない手が血が止まって白くなるほどスカートを固く握りしめているからだ。そしてその手が、手が握りしめるスカートが、そこから伸びる足が、それを含めた全身―――私が小刻みに震えているからだ。

 

 

「どうし……あぁ」

 

 

 視界の外から曙ちゃんの声が、驚いた声色から何かを悟ったような低い声が聞こえる。だけど、それを聞いた私は言葉は愚か反応すら返すことが出来ず、ただただ足元に視線を落とすだけ。

 

 

 いや、その言葉に反応出来ないほど、『とある感情』に襲われているのだ。

 

 

 それを、私は知っている(・・・・・)。最後に感じたのはつい先ほど、何の前触れも無く曙ちゃんがやってきた時だ。その次は北上さんと話した時に、彼女の顔や声が曙ちゃんのそれに重なって見えた時。その次は、北上さんの口から『提督』の言葉が飛び出した時。

 

 

 その次はこの目でその姿を見た時。その次は大分前まで遡るが、あの事件の時――――曙ちゃんに砲撃された時、彼女に否定された時、彼女がその背中に背負われた時、彼女が手当てをされている時、彼女が私の手から引き剥がされた――――いや、その際に手を掴まれた時。

 

 

 倒れた曙ちゃんを庇う私に近付いてくる提督を見た時、私たちが逃げてきた演習場へと走っていく提督を見た時、その日の朝、食堂で彼の声を聞き、そして雪風ちゃんに引かれる形で近づいてくる提督を見た時。

 

 

 その前日、駆逐艦(私たち)の宿舎にて、榛名さんの陰から提督を見た時、自室に帰るため、そして榛名さんに駆け寄るために提督の横を通り過ぎた時、「雪風ちゃんを脅迫している」と思って殴り掛かり、それが避けられて対峙した時、雪風ちゃんと一緒に歩く提督を見た時。

 

 

 その日の朝、他の子に引っ張られながら提督の横を通り過ぎた時、金剛さんに選択肢を与えられ狼狽える曙ちゃんに詰め寄る途中に提督の姿が見えた時、手足を縛られて動けない提督の姿を見た時、曙ちゃんの悲鳴に急いで駆けつけ、そして床に伸びている提督を見た時。

 

 

 その前日、本部の中をうろうろする提督の姿を見た時、その前の前、目の前に散乱する泥まみれの荷物――――今しがた()が泥水を浴びせた提督の荷物を見た時、天龍さんに泥水で満たされたバケツを渡され、それを荷物にぶっかけろと言われた時、私の前で彼女がありったけの泥を荷物に浴びせた時、汚れていない荷物が新しくやってくる提督のモノだと、そして新しい提督がやってくると知った時。

 

 

 それよりも更に更に時間を遡り続け、そしてある記憶(ところ)で止まる。『お前らが居なければ良かった』と何度も口に出し、何度も拳を振り下ろし続ける提督、最初の提督だ。

 

 

 この『とある感情』はそこから始まったのだ。提督を含めた男性と言う存在全てに対して、怒りや危険視(仮面)の下に埋もれていた『恐怖』は、ついその時に始まったのだ。

 

 

 

 

「大丈夫?」

 

 

 視界の外から、曙ちゃんの声がした。言葉尻が上がっている、これは問いかけだ。いつまで経っても動こうとしない、ただ黙って震えている私に向けた問いかけだ。だけど、それに私は反応出来ない。その場から動けないのと同時に、全身が動かないのだ。

 

 その原因は恐怖。今の今まで在りもしない感情で塗り固め、自分を騙し続け、必死に抗い続けたそれが、仮面と言う歯止めが外れ、一斉に襲い掛かってきたからだ。ずっとずっと抑え込み続けた分、その勢いは私の意志を、思考を、身体の全てを駆使しても抑えきれないほど強大に、重大に、私の心の奥底に、その根底にベッタリと染みついているのだ。

 

 それを『染み』と言えるだろうか。いや、気付かない内に付いていた(・・・・・・・・・・・・)ではなく、まざまざと見せつけられながら打ち込まれた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)の方が正しい。『恐怖』と言う巨大な楔を、『苦痛』と言う巨大な金づちで何度も何度も、自分ではどうすることも出来ないほど根底に深く深く打ち込まれたのだ。

 

 

 だから、白くなった手を見ている。そこに、恐怖()が深々と突き刺さっているからだ。

 

 

 

 

「大丈夫」

 

 

 また、曙ちゃんの声が聞こえた。先ほどと同じ言葉だが、今度は言葉尻が上がっていない。これは問いかけではない、果たして何なのだろうか。と、言う思考はすぐに途切れた。

 

 

 視線を落としていた私の手を―――――楔によって動かせない筈のその手を曙ちゃんが取って、いとも簡単に持ち上げたからだ。

 

 

 手に視線を落とす、いや釘付けだった私の視線はそれが持ち上げられると同時に上を、前を、曙ちゃんを向いた。そして、彼女の顔が見えた。そこにあったのは、あの時の表情でも、申し訳なさそうな表情でも、キョトンとした表情でも、大量の鬼を従えた清々しい笑顔でもない。

 

 

 

 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ、片時も逸らさず、瞬きすらも忘れた様な、一点の曇りもない瞳。吸い込まれそうとか、澄んでいるとか、そう言った類いではない。ただ単純に私を、私の瞳だけを見つめている、そんな表情だ。

 

 

 突然現れたそれに、私は糸が切れた操り人形のように何も反応できない。そんな人形に向けて、曙ちゃんは口を開いた。

 

 

 

 

 

「今は、私が傍に居る」

 

 

 その口から聞こえた言葉。それと一緒に楔が突き刺さっている私の両手を、彼女の両手が包み込んだ。ぎゅっと、力強く、且つ優しく、暖かく、私の手を握りしめてくれた。

 

 

 

「あいつが怖いって、会いたくないって、逃げたいって、それは分かってる。だけど、今は私が傍に……ううん、()じゃない。これからずっと(・・・・・・・)、私が傍に居る。私が傍に居て、私が守る(・・)。あの襲撃事件であんたが私を守ろうとしてくれたように。また押し付けちゃうけど、艦艇時代(過去)に『駆逐艦 潮(あんた)』が『駆逐艦 曙()』を救ってくれたように、ね」

 

 

 まるで子供に語り掛けるような柔らかい口調で、曙ちゃんは語り掛けてくる。同時に、包み込んだ私の手を優しく撫でてくれる。

 

 

「だから、見て欲しい。初代(過去)じゃなくて、あいつ()をちゃんと見て欲しいの。大丈夫、怖かった私(・・・・・)に比べれば、あいつなんて余裕よ、余裕。私も傍に居るからもし万が一何かあってもすぐにぶっ飛ばすし、他の艦娘()も居るから安心よ。その時になったら、あんたもアイツの頬を思いっきり引っ叩いてやればいいわ。だから、見て欲しい。私がずっと傍にいるから、怖がらずに見て欲しい」

 

 

 彼女の言葉。それを聞いた瞬間、私の中で『何か』が動いた。同時にあれ程動かなかった足が、手が、全身が動くようになった、思考が再び動き出したのだ。それが何を意味するのか、その答えは曙ちゃんから外れた視線が捉えた私の手にあった。

 

 その手には、未だに楔が深々と突き刺さっている。だけど、それがほんの少しだけ、ほんの少しだけ浮いているのだ。あれだけ深々と、ちょっとやそっとじゃ抜けない程、私ではどうすることも出来ないあの『恐怖()』が少しだけ浮いている、動いているのだ。それこそが、動いた『何か』なのだ。

 

 そして、それを掴む細い、いかにも非力な手がある。それが誰の手か、もう分かるだろう。今私の目の前にいて、私の手を握っている曙ちゃんだ。私ではどうすることも出来ないそれを彼女が引き抜こうとしているのだ。

 

 その力は弱く、完全に引き抜くまでは時間がかかるかもしれない。でも確実に楔は動いている、着実に私から引き抜かれている。それがほんの数ミリでも動いているのだ、今まで動かなかったそれが動いているのだ。

 

 

 それこそが、『彼女が私の傍に居る』ことの証明なのかもしれない。

 

 

 

「うん」

 

 

 だから、その言葉に応えた。今度は後悔しない。何故なら、その言葉を受けた曙ちゃんの顔が戻った(・・・)から。今回の件、そして襲撃の件、それらよりももっと前、いつも(・・・)横に居た彼女の表情に戻ったからだ。

 

 

 だけど、その表情も唐突に顔に押し付けられた柔らかい布によって消え去った。

 

 

「わっぷ」

 

「流石にその顔で乗り込むのは問題よねぇ……」

 

 

 変な声を上げる私に構わず布を私に押し付けて、いや私の顔を拭う曙ちゃん。その声色は何処か呆れたようで、そして笑いを孕んでいた。それを聞いて、何故か大人しくなってしまった私は特に抵抗することも無く、されるがままになった。

 

 

 いや、本当はその声を聞いた瞬間、目頭が熱くなったからだ。

 

 

「取り敢えず拭える分は拭ったけど、やっぱり一回顔洗った方が良いわね」

 

 

 拭っていた布が離れ、開けた視界に一息つく彼女の姿が見え、そして彼女が手にしている何とも言えない色に染まる布に目を向け、思わず声を上げた。

 

 

「こ、これ!! お気に入りのヤツじゃぁ……」

 

 

 そう、それは彼女が大切にしているハンカチだ。それもここに配属される前、もっと言えば訓練生時代から愛用している、彼女にとっては沢山の思い出が詰まった大事なモノだ。それが私の顔を拭ったことで、何とも言えない色に染められてしまったのだ。その事実に、血の気が引いた。

 

 

「たかがハンカチ1枚よ? 構わないわ」

 

「で、でも制服も……」

 

 

 私の言葉に、曙ちゃんは自らの制服に視線を走らせる。そうなのだ、よくよく見てみると曙ちゃんの制服にも所々絵具が付いているところがある。特に、肩の所は大きく、離れていても結構目立つ。これはさっき私が彼女に身を寄せた時に付いたモノだろう。それに気づき、更に血の気が引いたのは言うまでもない。

 

 

「制服の心配よりも、あんたはその絵具塗れの顔をどうするか考えなさい。さ、それじゃあ殴り込みに行くわよ」

 

 

 私の言葉に、少しだけ語気が強い言葉が返ってくる。だけど、その言葉はイライラをぶつけていると言うよりも、私を言い含めようとしているような、そんな思いを孕んでいた。そして、それでも謝ろうとした私の言葉は、彼女に引き摺られる形で部屋を出たために口にすることが出来なかった。

 

 

 私を引きずって、曙ちゃんは廊下をズンズンと進んでいく。その後ろを、私はワタワタと危うい足取りで追い縋っている。この光景は、ある意味見慣れたモノであり、そして久しぶりに見れたモノだ。そのことに、私は何も言わない。ただ、自分の中にある楔がまた動いたような気がしたからだ。

 

 対して、曙ちゃんは何やらブツブツと呟きながら、何か考え事をしているようだ。その表情がコロコロと変わるのを、それも彼女の後ろで見ることも久しぶり。そのこともまた、楔を動かした。

 

 

 そのまま私たちは無言に近い状態で歩き続け、やがてお手洗いに辿り着いた。私は彼女の言葉通り、洗面台の蛇口を捻ってそこから出る水を掬い、何度も顔に浴びせた。石鹸が無いために水洗いしか出来ないが、それでもハンカチで拭ったままより幾分かマシになるだろう。水を浴びせ、その度に擦ることを何度か繰り返し、顔や手にまとまりつく絵具の感覚がある程度消えたところで蛇口の栓を締めた。

 

 ふと、そこで気付いた。今、私は顔を拭うモノを持っていない。制服で拭おうにも色移りしてしまう。そのことで頭を悩ましていると、横から何とも言えない色が若干薄くなったハンカチが差し出された。

 

 

「一応色移りしない程度にまで水洗いしたから、多分大丈夫よ」

 

「え、でも……」

 

 曙ちゃんの声が聞こえ、顔を上げると至極当然とでも言いたげな表情の彼女がいた。しかし、またもやそれを汚してしまうことに躊躇してしまう。すると、彼女は呆れるようなため息をこぼし、そして少しだけ目つきを鋭くさせた顔を向けてきた。

 

 

「どうせ汚れてるんだから関係ないわ。後、これ以上気にしたら怒るわよ」

 

 

 その言葉、そして鋭い視線に気圧され、私は彼女からハンカチを受け取った。だけど、受け取ったそれで顔の水気を拭く間、私の頭の中にはとある疑問というか、懸念があった。

 

 

「あ、あの……執務室に行くんだよね?」

 

「そうだけど、それがどうしたの?」

 

 

 ある程度拭き終わり、ハンカチを手渡すと一緒に問いかけると、曙ちゃんはそれを受け取りつつ不思議そうな顔を向けてくる。その表情にこの問いをしていいかどうか一瞬躊躇したが、その不安を頭の外に払いのけ思い切って問いかけた。

 

 

 

「さ、さっきからどんどん物騒な言葉が聞こえる気がして……執務室に行く(・・)んだよね?」

 

「そう、執務室にカチコミをかける(・・・・・・・・)のよ」

 

 

 私の問いに、曙ちゃんは更に物騒な言葉を零す。『そう』、じゃないよ。『行く』と『カチコミ』は全くの別物だから、明らかに暴力的な意味あいを孕んでいるから。それも『行く』から『乗り込む』、『殴り込む』、そして『カチコミをかける』って、悪い意味でどんどんアップグレードしちゃってるからそれ。

 

 なんて、次々浮かぶツッコミを言えるはずも無く、私はそれら全てをひっくるめた問いを絞り出した。

 

 

 

 

「お……怒ってる?」

 

「何で? 何であいつに怒らないといけないの? ほら、さっさと行くよ」

 

 

 私の問いに曙ちゃんは清々しい笑顔を浮かべてそう言い、再び私の手を取ってお手洗いを後にした。いや、確かに怒っているかと聞いたけど、『誰に対して』とは言ってないんだけどなぁ。まぁ、そこであの人が出てくる辺り、図星なんだろう。

 

 とまぁ、こんなツッコミとも感想ともとれるそれもやはり口に出すことは出来なかった。それは何故か、いや、もう言わなくたって分かるだろう。

 

 

 

 清々しいほどの笑顔を浮かべる曙ちゃんの背後に、ただならぬ雰囲気を醸し出す般若が浮かんでいたからだ。

 

 

 そのまま、私たちは歩き続ける。その間、曙ちゃんは笑顔を浮かべ、その背後に浮かぶ般若はその只ならぬ雰囲気を更に大きくさせている。それが見えてしまうから、私は何も言わずにただただ従うしかなかった。

 

 

 そしてやってきた執務室。私たちの前には執務室に続く扉が。曙ちゃんはやっぱりあの笑顔のまま、空いている手で扉を軽くノックした。

 

 

 

「どうぞー」

 

 

 すると、扉の向こうから声が聞こえた。だけど、それは男性の声ではなく明らかに女性の、それも若々しい声だ。そして何よりも、私も良く知っているある人物の声だった。

 

 

 だけど、それを思案する私の視界に、今しがた扉をノックした手を腕ごと大きく後ろに振りかぶっている曙ちゃんの姿が映った。

 

 

 

 次の瞬間、ダァン!! とシャレにならない程の音が響き、遅れて軽い突風が私の顔を叩いた。

 

 

 思わず目を瞑り、突風が過ぎ去った後に目を開く。すると、先ほどまで目の前に鎮座していた扉が消えていた。いや、扉自体は蝶番によって私たちと反対側、つまり執務室の中で小さく揺れている。なので、消えていたと言うよりも、開かれたと言った方が正しい。

 

 そんな、一歩間違えれば執務室の扉を破壊しかねないことをやらかしたのは薄紫の髪を振り乱し、先ほど後ろに振りかぶっていた腕を前に突き出している彼女だ。だけど、彼女は何事も無かったかのように腕を下げ、乱れた髪を簡単に整え、そしてこう言った。

 

 

 

「失礼しまぁーす」

 

 

 先ほどのことをやらかした人物とは思えないほど、柔らかい声色でそう言ってのけた曙ちゃん。だけど、その声には何処か棘と言うか、明らかに何かの感情を孕ませ、且つ誰にでも分かりやすいように見せつけているような雰囲気があった。

 

 

「あの……『失礼』の意味は知ってる?」

 

 

 また、声が聞こえた。今度女性ではなく、男性の声だ。その瞬間、私は視線を自分の足元に下げる。同時に、楔がまた深く突き刺さるのを感じた。ここでその声を出せるのは、たった一人だ。そして何より、その声の主こそが――――

 

 いや違う、彼じゃない。彼は初代ではない。分かってる、分かっている。だけど、それでも視線を上げられない。提督の顔を見るには、まだまだ楔が深すぎるのだ。

 

 

「勿論、入る前にノックすることでしょ?」

 

「いや、まぁ、そうなんだけど……いやいやいや、今はそうじゃなくて」

 

 

 私の視界の外で曙ちゃんと提督のやり取り、と言うか彼が彼女に言い含められるのが聞こえる。それだけなら、まだ大丈夫。楔が更に突き刺さることは無かった。だけど、おもむろに曙ちゃんが歩き出したことでそれは変わった。

 

 

 彼女に引かれていくこと、それは提督に近付くことと同義だ。つまり、楔そのものに近付くこと、それは今までにないほど強く、そして深く楔を突き刺していくだろう。そしてそれで、私はまた立ち止まってしまうだろう。

 

 だけど、私の足が止まることは無かった。それは歩き出したと同時に、私の手を握る曙ちゃんの手に力が入ったからだ。しかも、ただただ力強くではなく優しく包み込むような、そんな包容力と安心感があった。

 

 故に、私に突き刺さる楔は、一歩踏み出すごとに深く突き刺さり、すぐに曙ちゃんによって引き抜かれ、また踏み出して突き刺さり、またすぐに引き抜かれる、という状態にあった。だからこそ私に足は止まることが無く、そして私の視線はずっと足元に落としていたのだ。

 

 

 やがて、曙ちゃんの足が止まり、私も立ち止まる。視界の端に、机らしきものが見えた。今、目を上げれば机を挟んだ反対側に提督がいるのだろう。

 

 

「それで、ちょっと教えて欲しいことがあるんですよぉ」

 

「あ、あの……怒ってます?」

 

「当たり前でしょ」

 

 

 なおも物腰柔らかな口調であった曙ちゃんだったが、提督の問いに一変、明らかに不機嫌な声色になった。いや、今まで張り付けていた仮面を引き剥がしたと言った方が正しいのだろう。その証拠に、視界の外で誰かが生唾を呑み込む音が聞こえた。

 

 

 

「取り敢えず、先ずは私たちに嘘をついたことからね。何か弁面は?」

 

「う、嘘? な、何が?」

 

 

 不機嫌さ全開な曙ちゃんの問いに、提督が何故か歯切れの悪い声を上げる。明らかに心当たりがあるみたいだ。と言うか『嘘』とは何だろう、曙ちゃんは分かっているようだけど。

 

 

 

「あんたは言ったわよね? また私が解体申請をして、それを受理した体で行くって」

 

「えっ!?」

 

「えっ」

 

 

 曙ちゃんの言葉に私は思わず声を上げ、何故か提督も驚いた。彼との間に少しだけ間が空いているため、彼は曙ちゃんの言葉に驚いたのではなく、それを聞いて声を上げた私に驚いたのだろう。いや、そんなことはどうでもいいのだ。

 

 彼女がまた解体申請をしたなんて聞いてない。いや、予想外ではなかった。何せ先ほどの問いで可能性の一つとして挙げていたからだ。だけど、その可能性はほぼ無いと思っていた。でも、今考えると私の言葉に曙ちゃんはハッキリと答えなかった。もしかしたら、本当に解体申請をしたの?

 

 

 ん、待って……受理した『()』ってどういうことだ?

 

 

「そして、あんたもこうも言った。『これは()のリハビリだ』って」

 

 

 またよや飛び出した言葉。それを皮切りに、曙ちゃんの口は淡々と話を続けた。その内容はこうである。

 

 

 私が出撃を拒んでいるのは、曙ちゃんに少なくはない負い目を感じているから。だから私と顔を会わせて、話をすれば私がまた戦線に復帰するかもしれない。曙ちゃんには、その手伝いをしてほしいのだ。

 

 その設定(・・)はこうだ。先ず、曙ちゃんが再び提督に解体申請して、それを受理したことにする。そして、その話を私に流しておく。私は北上さんの薦めで絵を描いているから、解体される前の思い出として私に自分の似顔絵を描いてほしい旨を北上さんから伝えてもらい、私の方で準備が出来たら絵を描いてもらいに行く。

 

 絵を描くには色々と時間がかかる、つまり長時間同じ空間に入れる。その時間を利用して私と話し、そしてその負い目を払拭してほしい。だけど私は負い目を感じていると同時に曙ちゃんを怖がっているから、もし黙り込んでしまったら、曙ちゃんから話を切り出して欲しい。その所は彼女のしたいようにして良い。

 

 

 そして、これは曙ちゃんにしか(・・・・・・・)出来ない事である。

 

 

 彼女の話はこうだ。そして、何処かで聞いたことあると言うか、ほぼほぼそっくりと言うか。これって―――――

 

 

 

「私のと、逆だ」

 

「そう、逆なの。あんたが言ったことと潮に伝わっていたことの、私たちの立場(・・・・・・)が全くの逆だったのよ」

 

 

 ポツリと漏れた言葉。それを拾い、曙ちゃんは更に付け加えた。その言葉に、提督は反応しない。それは曙ちゃんが言ったことが図星であったのか、はたまたその話に理解が追い付いていないのか、彼の表情を見れない私に判断するのは不可能であった。

 

 

「しらばっくれるつもり? だから、潮には『私のリハビリに潮が協力する』っていう風に伝わっていたのよ」

 

「何で!?」

 

 

 曙ちゃんの言葉に、いきなり提督が大声を上げる。予想外のそれに私、そして曙ちゃんはビクッと身を震わせた。曙ちゃんに関しては、いきなり目の前で大声を上げられたこと、そして今しがた自分が話ことに対する彼の反応が予想外だったのだろう。

 

 

「な、何であんたが驚いてるのよ。考えたの、あんたでしょ?」

 

「え、いや、ごめん。ちょっと待って、は、話が読めないんだ……」

 

 

 曙ちゃんの問いに、提督は明らかに狼狽えている。それも、思惑が見透かされてどう取り繕うかを模索しているようではなく、予想外のことに頭が混乱しているように。その様子に曙ちゃんも「えっ、な、えぇ?」とこぼしながらオロオロとし始める。勿論、私も視界を下げながら絶賛混乱中だ。

 

 

 

 

 

「あぁー、逆だったかぁ」

 

 

 そんな中、明らかに場違いな程落ち着いている声が聞こえた。それに私は思わず顔を上げ、声が聞こえた方を見る。頭を上げることが出来たのは、その声を発したのが提督ではなく、且ついつも耳にしていた声だったからだ。

 

 

「まさか、お前……」

 

「ごめんごめん、私が間違えてたようだねぇ」

 

 

 視界の外で、提督の絞り出すような声が聞こえる。その言葉に、その声の主――――――北上さんだ。そして、曙ちゃんがノックした時に返した声は、まさしく彼女のモノだった。

 

 そんな北上さんはにへらと表情を緩ませ、心のこもっていない謝罪の言葉を零す。何より、彼女が悪びれもなく手をブラブラさせていることも謝罪の言葉を薄っぺらくさせているのだろう。

 

 

 だけど何故彼女が謝罪をするか、その意味を理解するのにそう時間がかからなかった。

 

 

「潮に嘘を?」

 

「やだなぁ、嘘なんて人聞きが悪い。私はただ間違えて伝えちゃっただけだよぉ」

 

 

 再び聞こえた提督の問い。それに北上さんは間違えたのだと、いやあくまで(・・・・)間違えたのだとのたまった。だけど、今この場においてその言葉を信じる者は私を含めていないだろう。

 

 

 今更ながら考えてみると、この話を持ってきたのが彼女であることが少し変だ。本来であれば、こういうことは提督の口から伝えるべきである。まぁ、それは私を考慮に入れたために彼女が出張ったと言うことなのだろうが。それであれば彼女が伝えてきたのは十分納得できる。

 

 だけど、同時にそれは私への情報網が彼女だけであることを示している。そして、今しがた発覚した私に聞かされたことが全くの逆、嘘であったこと。この事実を説明する際に真っ先に矢面に挙げられるのは北上さんだ。そして、彼女は「間違えて伝えてしまった」と言っている。

 

 

「なら今日の朝、潮の準備が出来たって私に伝えてきた(・・・・・・・)ことのは……どう説明するつもり?」

 

 

 そんな北上さんに、曙ちゃんが鋭い質問をぶつける。その言葉に、薄ら笑いを浮かべていた北上さんの表情が強張った。

 

 確かに、北上さんは私に、そして提督は曙ちゃんに()の準備が出来たら顔を会わせると話を進めており、その伝達をするのが北上さんの役目だ。そして、私はまだ心の準備が出来ていなかった。そして、そのことを北上さんに伝えていない。更に言えば、私は曙ちゃんから絵を描いて欲しいなんてお願いも聞いていない。なのに、曙ちゃんはやってきた。それも私が彼女のお願いを聞いた上でそれを了承し、そして私の準備が出来たと北上さんから聞いて、だ。

 

 これだけのことをするには、少なくとも北上さんが双方の情報を把握している必要がある。故に、間違えて伝えてしまった、という理由は成立しなくなるのだ。そして何よりも、曙ちゃんの指摘で強張った北上さんの顔が、バツが悪そうな表情に変わったことが、その答えを物語っている。

 

 

 

 

 

「面倒くさかったもん」

 

「ふざけんじゃないわよ」

 

 

 最後の駄目押しとばかりに、北上さんが自白した。その言葉に、曙ちゃんが小さく漏らして彼女に詰め寄る。その際、曙ちゃんは私の手を離してしまった。

 

 

「何でこんなことしたんですか?」

 

「だってぇー、小突いてやればすぐくっつく癖にどっちも動かないからさぁ? うじうじしてるその尻を蹴飛ばしたわけよ。こういうのは変に時間かけるよりも手っ取り早く済ませる方が良いし、その方が私も楽だし、後ろに建て込んでることもあるしぃ」

 

 

 曙ちゃんの問いに、北上さんは茶化しながら答える。だけど、彼女の口から零れたその答え、彼女の言い分に少しも納得できない。何せそれは全部彼女の認識下で判断されたこと、所謂彼女の都合を前提とした話であり、その中に私たちのことは一ミリも加味されていないからだ。

 

 

「そんな身勝手な理由で私たちを放り出したの? もしそれで――――」

 

「まさか、失敗すると思ってた?」

 

 

 何処か飄々としていた北上さんの口調が一変、冷え切ったモノに変わった。同時に柔和な笑みが消え去り、何の感情も伝わらない表情になる。その変わりように、曙ちゃんが言葉を詰まらせ、私は背筋に寒気を感じた。だが、その表情はすぐに消え去り、柔和な笑みに変わった。

 

 

「私は上手くいくって信じてたよ(・・・・・)? ちゃんと、二人とも見ていたからね。後は、その引けている尻を蹴飛ばせば良いって」

 

「だ、だから私たちの都合は……」

 

「それに、何もあたしは嘘しか(・・)言ったわけじゃないしねぇ」

 

 

 そこで言葉を切った北上さんは、詰め寄っていた曙ちゃんから私に視線を、いや私ではない。私から見て少し右、私の前方にいる人物に向けていた。

 

 

 

「ねぇー、てーとくぅー」

 

 

 北上さんの言葉に、曙ちゃんは彼女の同じ方向を向き、私の右方向からは「へっ?」と間の抜けた声が聞こえる。その瞬間、また楔が深く突き刺さり、私はその方を見ることが出来なかった。

 

 

「いや? ()は嘘だけどこれから(・・・・)本当になる、かな?」

 

「……あぁ、そういうこと」

 

 

 いつもののほほんとした口調でそう続ける北上さんの言葉に、横から小さなため息と共に感嘆が聞こえる。それに、曙ちゃんが訝し気な顔を更に歪め、その感嘆を漏らした人物を睨み付けた。

 

 

「どういうこと?」

 

「いや、本当はもっと時間を掛けてから二人(・・)に提案しようと思っていたんだが…………ちょっと強引すぎだ」

 

「提督だけには言われたくなーい」

 

 

 曙ちゃん、そして北上さんとのやり取りが、同時に横から何かを引っ掻き回す音が聞こえる。恐らく、何かを探しているのだろう。そして目的のモノが見つかったのか、引っ掻き回す音が消え、次に足音が聞こえ、それは段々私の真横から前へと移動していく。同時に、私の視線が足元に下がったのは言うまでもない。

 

 

「これなんだけど」

 

「そう、これこれぇ」

 

「何これ?」

 

 

 前方から、提督、北上さん、そして曙ちゃんの声が聞こえる。何やら、提督が探し当てたモノを三人で見ているようだ。それが何なのか、判明するのはすぐだった。

 

 

 

「これ、私宛の通達?」

 

 

 

 曙ちゃんの口から飛び出した言葉。『通達』――――それは演習参加の通達だ。そしてそれに聞き覚えがある、というか一週間前に北上さんから伝えられ、私が猛反発したモノだ。

 

 

「少し前……大体一週間前から北上と相談していたんだ。本当はもう少し固まってから見せようと思っていたんだけど……まぁこの際だ、ちょっと見て欲しい」

 

 

 曙ちゃんの問いに、提督はそう前置きを入れて説明し始める。全体の流れ、そして安全面の配慮は、まさにこの前北上さんが教えてくれた通りのものだ。彼女が言っていた、『これから本当になる』と言うのはこのことだったのか。

 

 

 いや、そんなことはどうでも良いのだ。

 

 

 問題は、それを提案したのが提督だと言うこと。そこに私は突っかかり、猛反発したのだ。提督の狙いである艦娘を、曙ちゃんを沈めようとしているのだから、それを見越していたから猛反発していたのだ。

 

 そして今、目の前でまさにそれが行われている。あの時と同じ、あの時よりも明確に問題視したことがあるではないか。今度こそ、私の手で終わらせなければ。今度こそ、曙ちゃんを守らなければ。

 

 

 

「そして、この担当艦を潮にやってもらいたいんだ」

 

 

 しかし、その思いは次に聞こえた彼の言葉によって四散した。同時に顔を前に上げた、視界が上がった、その先に驚いた表情の曙ちゃん、わざとらしく視線を外す北上さん、そして少しだけくたびれた白の軍服を身に纏い、私に背を向けている一人の男性――――提督が見えた。

 

 

 

「な、何で?」

 

「何でって、そりゃ曙の完治を少しでも早めるためだよ。それに、あの時言っただろ? 『頭が正当化しても、心が正当化しない』って。なら、曙のリハビリに置いて最も重要視すべきは『心』。そして、正当化しないのは今まで言った通りだ。そう考えた時、潮が傍にいてもらうのが『心』のリハビリに最適だと思ったんだ」

 

 

 提督の言葉。それは本心からの言葉であるか、それとも本当の狙いを隠す隠れ蓑であるか、それは分からない。いや、多分後者だ。少なくとも、今まで(・・・)の私ならそう断言しただろう。

 

 

 だけど、()はどうだろうか。

 

 

 そう断言することが出来ない。それは一週間前、北上さんとの問答にて散々に叩かれたことだからだ。そしてつい先ほど、曙ちゃんとの会話で導き出した『答え』があるからだ。いや、その『答え』自体、とっくの昔から導き出してた。とっくの昔に出している癖に、さっきまで見向きもしなかったのだ。

 

 

 

「潮」

 

 

 不意に、名前を呼ばれる。提督からだ。我に返ると、背中しか見えなかった軍服の正面が見えた、私の方を向いているのだ。その瞬間、私の視線は足元に落ちた。次に誰かの足音が前方から聞こえ、どんどん大きくなっていく。それが聞こえる度に、楔が深く深く突き刺さっていく。

 

 

「俺は是非ともやって欲しいんだけど……」

 

 

 その言葉と共に足音も大きくなっていき、目を開けることさえも耐えられなくなった私は固く目を瞑ってしまう。もう『答え』は出ている。昔から、そしてつい先ほどしっかり見据えた筈の『答え』が。だけど、それを言うには、提督に言うにはあまりにも楔が深すぎた。だから『答え』を伝えることが出来ず、ただただ黙ってしまった。

 

 

 でも、それを伝える必要(・・)は無かった。

 

 

 

 

「やりたくないか?」

 

 

 提督の言葉。それに、あれだけ固く瞑っていた目が開いた。驚いたからだ、彼の口からその言葉が出てきたことに。

 

 

「いや、『やりたい』?」

 

 

 再び提督の言葉。それに、あれだけ見ないようにしていた視界が上がった。驚いたからだ、彼の口からその言葉が――――――『答え』が出てきたからことに。

 

 

 『曙ちゃんの傍に居たい』、『曙ちゃんを守りたい』と。それを彼が知っていたことに驚いたからだ。

 

 

 現れた提督の顔。それに、何度も何度も突き刺さり続けていた楔がそこで止まった。見たからだ、そこに浮かんでいた表情を。

 

 

 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ、片時も逸らさず、瞬きすらも忘れた様な、一点の曇りもない瞳。吸い込まれそうとか、澄んでいるとか、そう言った類いではない。ただ単純に私を、私の瞳だけを見つめている、そんな表情を。

 

 

 曙ちゃんが浮かべていたその表情、提督が浮かべているのを見たからだ。

 

 

 

 次に、視界が上下に揺れた。それは誰かに強制されたのではない、私自身が頷いたのだ。それも、無意識ではない。私の意志で、頷いたのだ。

 

 すると、提督の表情が変わった。曙ちゃんが浮かべていた表情から、安心したような笑顔に。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 その口から、その言葉が漏れた。その瞬間、私の中で『何か』が、楔が動いた。それは更に深く突き刺さったのではない。逆、逆なのだ。深々と突き刺さっていた楔が、ほんの少しだけ浮いた(・・・)のだ。

 

 ふと、視線を提督から私の手に移してみる。やはり、そこには深々と突き刺さる楔があった。そして、それを掴む手が二つ(・・)。一つはとても細い、いかにも非力な手。そしてもう一つは、軍服の袖から伸びる、大きくて力強い、まさしく男性の手だった。

 

 

 その手が誰か――――その『答え』は今、私の前に広がっている。

 

 

 

「潮の了解は取れた。あとは曙だけど?」

 

「聞くまでも無いでしょ。あ、後で詳細をお聞かせ願えるかしら?」

 

「……あの、相談だよね? 間違っても説教とかじゃないよね?」

 

「何言ってるの? どっちもするに決まってるじゃない」

 

 

 片や、只ならぬ雰囲気を醸し出す般若を従えながら清々しいほどの笑顔を浮かべている。片や、その雰囲気に、そしてその言葉から降りかかるであろう災厄がどれほどのものであるかを察したのか、げんなりした表情で肩を落としている。

 

 そんな『答え』たちの向こうには、黙って『答え』たちを見つめる北上さんが。その表情は何処か疲れた様に見えたが、同時に何処か羨ましそうでもあった。何故羨ましそうなのか、それを考えることは出来なかった。

 

 

 

「そ、そうそう!! 仲直り記念に二人に渡すモノがあるんだ!!」

 

 

 説明を求める曙ちゃんに詰め寄られていた提督がわざとらしく声を上げたからだ。突然のこと、そして彼が発した言葉に曙ちゃんは一瞬動きが止まり、これ幸いとばかりに提督が逃れて机に近付き、またもや何かを探し始めた。

 

 その様子を、私や曙ちゃん、そして北上さんも不思議そうな表情で見つめた。やがて、彼はお目当てのモノが見つかったのか引っ掻き回していた腕を止め、ゆっくりと何かを持ち上げた。

 

 

 

 そこで気付いた。何故、彼が私の『答え』を知っていたのか。

 

 

 

「……何それ?」

 

「ミサンガ」

 

「いや、それがミサンガなのは分かるんだけど……」

 

 

 提督が取り出したのは2本のミサンガだ。夕立ちゃんが皆に配り歩くのを見てるからそれがミサンガと言うのであるのは分かる。曙ちゃんが聞いているのは夕立ちゃんが配っていたモノとは違う、そのミサンガにだけあしらわれている装飾のことだろう。

 

 

「何でミヤコワスレと……えっと」

 

「ヒロハノハナカンザシ」

 

「あ、うん、えっと……その花が付いているのよ?」

 

 

 何故か単語しか言わない提督、それを訝し気な顔を向ける曙ちゃん、そしてその二人を見て何故か笑いを噛み殺している北上さん。多分、北上さんも知っているのだろう。いや、今は件のミサンガだ。

 

 提督の手から垂れる二つのミサンガ、その一つには、一輪のミヤコワスレが、もう一つには一輪のヒロハノハナカンザシが付いているのだ。ご丁寧に手の動きを阻害しない程度の大きさで、よく見てみると茎の部分が固められている。

 

 

「ドライフラワーに加工した後に茎と壊れやすいところを蝋で固めたからちょっとやそっとじゃ壊れないし、そう大きくないから動きの邪魔はしない。大丈夫だろう」

 

「……何で花が付いているの?」

 

「そりゃ『特別』だからだよ」

 

 

 提督の言葉に「特別……」と呟いて、何故か曙ちゃんは顔を背けた一瞬だけ見えたその顔が赤かったのは見間違いではないだろう。そんな彼女を横目に見つつ提督はおもむろに歩き出し、私の前で止まった。

 

 

「ほい」

 

 

 そう言って、彼は私にミサンガを――――ミヤコワスレがあしらわれたミサンガを差し出したのだ。それに、思わず顔を上げて提督を見る。そこに浮かんでいたのは、何処か得意げな表情であった。

 

 

 そう、このミサンガは『特別』だ、私にとって『特別』なモノなのだ。そして、彼はそのことを知っている。私にとってその二輪の花が『特別』であると知っているのだ。

 

 

 それも、どちらがどちらである(・・・・・・・・・・)かさえも知っているのだ。そして何より、そうなってしまったのは紛れもなく自分の責任だと分かってしまったのだ。

 

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

 差し出されたそれを、私は受け取った。その時の顔は、それはそれは酷く無愛想であっただろう。彼がどうしてこんな無茶なことをしたのか、その答えが分かってしまったから。そして何より、『借り』を作ってしまったからだ。

 

 私が無愛想に受け取ったわりにその得意げな顔が変わらなかったのは、多分彼も同じことを思っているからだろう。それさえも見えてしまったから、心の中で借りを作ってしまった自分を非難した。

 

 

「あ、そうだ」

 

 

 思いついたように提督が声を上げたのは、私を尻目にまだ顔を背けている曙ちゃんにミサンガを渡した時だった。彼は先ほどの得意げな顔から、穏やかな笑みを浮かべてこう言った。

 

 

 

 

「一つ、絵を頼まれてくれないか?」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「何か……釈然としないわね」

 

「……そうだね」

 

 

 執務室を後にして廊下を歩く私と曙ちゃん。二人の顔にはいつにも増して疲労の色が濃かった。それもこれ、つい先ほど執務室で起こった出来事だろう。そして何より、そこにいた二人の人物にそれぞれハメられたからであろう。

 

 

「でも良かったの? 近々私の演習、そして出撃も始まるんだし。そこで一枚絵を描くのって負担にならない?」

 

「今まで描いてきたモノと変わらないし、描き上げるまでは出撃しなくていいらしいから大丈夫だよ」

 

 

 借りも返せるし……と言葉を飲み込みながら、心配そう声色で問いかけてくる曙ちゃんに私はなるべく労力を使わない笑顔を向けてそう答える。だけど彼女はなおも心配そうな顔を向けてくるので、大丈夫だよと言う代わりに微笑んでおく。それを見て、ようやく彼女は前を向き、私も前を向き、そして同時に息を吐いた。

 

 私は疲れからくる溜め息だ。対して、曙ちゃんは疲れからくる溜め息であったが、そのすぐ後に何故か笑みを溢した。

 

 

「どうしたの?」

 

「いや……何か普通に会話してるなぁ、って。さっきまで互いにしどろもどろしてた癖にさぁ?」

 

 

 曙ちゃんの言葉に、私は改めて自分たちを客観視した。確かに、あの部屋での私たちを考えたら、もの凄い進歩である。いや、進歩と言うか、元に戻ったと言った方と、いや、元も此処まで普通に会話できていなかった筈だ。だから、これは進歩だ。

 

 

「確かに、可笑しいね」

 

 

 その言葉通り、私は笑みを溢していた。これはあの二人のお蔭であり、また借りを作ってしまったわけなのだが、どういうわけか今この時は笑いが込み上げてきたのだ。

 

 

「潮」

 

 

 だけど、曙ちゃんは違った。その声色に笑いは無く、いつになく真剣な声色げあった。思わず横を見ると、彼女は居ない。後ろを振り返り、私から少し離れたところに立つその姿を見つけた。

 

 

「どうしたの?」

 

「いや、本当は私が最初に言いたかったことなんだけど……」

 

 

 私の問いに何故かそっぽを向いた曙ちゃんであったが、意を決したのか再び視線を私に向けて、口を開いた。

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 そう彼女の口から聞こえた。その言葉を、私は受け取った。しかし、受け取ったその言葉の真意を理解できなかった。その理由は、突然『とあるモノ』が生まれたからだ。

 

 それは私の胸の奥で生まれ、その奥をぎゅっと締め付け、同時にじんわりとした暖かさをも生まれた。

 

 

「実は、私もあんたが怖かったんだ。傷付けちゃって、そのことで拒絶されるのが怖かった。だから今までずっと行けなかった、だから今回のことに協力……いや、縋っちゃった。勿論、あの時言った言葉は嘘じゃないけど、設定を守りつつだったから本当の言葉でもない。だから、今ここで言うね」

 

 

 そこで言葉を切った曙ちゃんは、今までに見たことのないほど柔らかく、そして暖かい笑顔を浮かべた。それを見て、『とあるモノ』が大きくなった。

 

 

 

「私を受け入れてくれて、守ろうとしてくれて、傍に居てくれて、ありがとう……本当に、本当にありがとう」

 

 

 そう言って、曙ちゃんは深々と頭を下げたように見えた。だけど私はその姿に、そしてその言葉に何も言うことが出来なかった。

 

 

 何故、『ように』なのか。それは広がり続ける『とあるモノ』によって、私の視界がすっかりぼやけてしまったからだ。

 

 何故、『出来なかった』のか。それは広がり続ける『とあるモノ』によって、言葉にならない声が込み上げてきたからだ。

 

 

 

「だから、これからもよ―――――」

 

 

 そう言いながら私に下げた頭を上げる曙ちゃんの言葉が途切れた。何故、途切れてしまったのか。

 

 

 

 それは『とあるモノ』に――――――『安心』によって、今まで溜め込んでいた全ての感情が爆発した私が、獣のような声を上げて、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、曙ちゃんに抱き付いたからだ。獣のような声を上げてワンワン泣く私の頭に撫でられる感覚、自分の泣き声が響く耳にこんな言葉が聞こえた。

 

 

 

「これからもよろしくね」

 


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