新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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都合の悪い『最適解』

「久しぶりですな、明原提督(・・・・)殿」

 

 

 久方ぶりに呼ばれた俺の名字、それも役職である『提督』を付けて。目上の人に対しての呼称ではあるが、その前にある砕けた口調、それを発した男の顔には一切の敬意が感じられない。むしろ、目の前の人――――俺を蔑むような目をしているのだ。

 

 その言葉、そして明らかに蔑むその態度に対して俺は抗議出来る。その態度を叱責して部屋から出て行かせることも、その気になれば中将に具申して憲兵自体を変えてもらうことも出来るかもしれない。

 

 だけどそれをしなかった、厳密に言えば出来なかった。この生意気な憲兵を叱責して立ち退かせることよりも、何故彼がここに居て、彼が『ここに配属になった』と口走ったことが頭が衝撃過ぎたからだ。

 

 

「おい、挨拶の一つも返せないのか?」

 

 

 次に聞こえた憲兵の言葉。今度は侮蔑を隠しもせずに、そしてイラついているとのたまう様にわざとらしく語気を荒げている。その顔も、不機嫌そうに歪んでいる。

 

 そう、その顔(・・・)を、俺は見たことがある。それは遠い昔、まだ俺がここに配属された頃。演習中に襲撃を受けたことの弁明、及び俺は配属された本当の理由を聞かされた時。

 

 

 

 その時、俺を案内した憲兵――――――――朽木(・・) 林道だ。

 

 

 

「朽―――――」

 

「これが新しい書類だ。目を通しておけ」

 

 

 俺の言葉を掻き消すように朽木はわざとらしく声を張り上げた。それに言葉を詰まらせると、その間を使って奴が近づき、手持ちの鞄から大きな茶封筒を引っ張り出した。

 

 

 

その名(・・・)で呼ぶな」

 

 

 茶封筒を押し付ける際、耳元でそう囁かれた。それとともに人を黙らせるほどの眼力をもって睨み付けてくる。その眼力を、俺は学生時代に良く向けられていた。それはヤツに不都合な(・・・・)ことが起こった時に現れ、大概の人間はそれだけで黙ってしまう。

 

 そして、俺も例外に漏れず黙ってしまった。押し付けられた茶封筒を受け取り、中を検めもせずに茫然と林道の顔を見るのみ。そんな俺にヤツは訝し気な顔を向けるも、興味を失ったのかすまし顔で俺から視線を外し、あるモノを捉えて何故か鼻で笑った。

 

 

「『艦娘と逢引する』など、執務にない筈だが?」

 

 

 その言葉に、ヤツは俺の後ろに居るイクを捉えたのだと理解した。そして、言葉にならない小さな悲鳴が聞こえたことで彼女であり、尚且つ怯えていることを確信する。そして、次に舌打ち(・・・)が聞こえた。

 

 

「待―――」

 

 

 林道を引き留めようと声を上げその腕を掴もうと振り返った時。ヤツは既にイクの元に歩き出しており、その向こうに一歩後ずさる彼女の姿が見えた。

 

 

「上司同様、挨拶も無しか。これは見過ごせん」

 

「ぃ、ゃぁ……」

 

 

 俺に向けた皮肉を吐きながら手を上げる林道、そして近づいてくるヤツに怯え切るイク。その距離はどんどん詰められていく、彼女の顔に浮かう恐怖が色濃くなっていく。ヤツの手が彼女に触れるのも時間の問題であり、尚且つ二人の間に割り込める余裕もない。だから、声を張り上げて止めようとした。

 

 しかしその距離も、イクの顔に浮かぶ恐怖も、彼女に近付くヤツの手も、そして張り上げようとした俺の声も。時計の針を無理やり動かす様に進められたそれらは、唐突に止まった。

 

 

 

林道(・・)さん」

 

 

 そう、榛名がヤツの名前を口にしたからだ。そう発する前に俺の横を素通りし、発したと同時に林道の腕に自らの腕を絡ませてその動きを止めたからだ。

 

 いきなり腕を絡められて驚いたのだろう、林道は弾かれた様に榛名の方を向く。その向こうに居るイクも、ヤツと同じような顔を榛名に向けている。そんな二人の視線を向けられた榛名の顔は見えない。ただ、顔を向けられた瞬間、ヤツに絡みつくその腕に力が込められるのを見逃さなかった。

 

 

「申し訳ありません、彼女は提督以外の男性に慣れていないんです。私からも謝りますので、どうか許していただけませんか」

 

 

 何処か申し訳なさそうな声色で榛名はそう言い、更に絡みつく腕に力を込める。それは林道の腕を止めていると言うよりも、自らの身体を押し付けているようにも見えた。その姿に、俺の胸がチクリと痛んだ。それは先ほど俺が口にした言葉が思い浮かんだからだ。

 

 

 

 また『無理』をさせてしまった、と。

 

 

 

「俺からも謝る。申し訳ない」

 

 

 それが原動力となり、俺の身体は動き出した。今も林道に絡みつく榛名の横に立って彼女の肩を掴み、頭を下げながら彼女を離れさせようとする。しかし、榛名は離れたくないのか更に力を込めてきた。チラリと横目で彼女を見ると、そこには必死の形相があった。

 

 だがそれも、次の瞬間別のものに変わる。それと同時に、あれだけ抗っていた彼女の力が唐突に消えたのだ。

 

 

「もういい、離せ」

 

 

 そう吐き捨てた林道が、絡まれていた榛名の腕を振り払ったからだ。林道と言う支えを失った彼女の身体は、俺に引かれるままに後ろへ倒れる。それに俺は慌てて腕を背中に回して何とか支えた。そして、支えたことで正面から彼女と目が合う。

 

 

 予想通り、向けられたその目には怒り(・・)が込められていた。

 

 

「お前とその艦娘に免じて、今回は見逃してやる」

 

「助かる。それと詳しい説明をしてくれないか?」

 

 

 視界の外から聞こえる少しだけ狼狽えた林道の言葉に、俺はヤツに視線を向けつつそう問いかけた。尚も榛名の視線を感じるも、見て見ぬふりをする。勿論それだけではなく、俺の言葉にヤツの視線が何処に向かうのかを見逃さないためでもある。

 

 そして案の定、林道の視線は俺が抱き留める榛名、ヤツの後ろで震えているイクへと移る。これもまた、無意識に不都合だと思っている存在を見てしまう癖を知っていたからだ。故に、二人には聞かれたくない話であると分かった。

 

 

「榛名、悪いがイクを部屋まで送ってくれ」

 

「え……で、でも――」

 

「これは()()()()だ。速やかにイクを部屋に送ってくれ、良いな?」

 

 

 畳みかける俺の言葉に榛名は口にしようとした言葉を飲み込み、その視線をイクに向けた。俺も向けると、未だに震えてはいるがここから離れられると分かって安堵している彼女が見える。それを見て、俺はもう一度榛名に視線を向けると、何処か諦めた様な目を浮かべていた。

 

 

「はい……」

 

 

 明らかに意気消沈と言った声色でそう返事をした榛名は俺の手を離れ、林道を素通りしイクに近付く。俺から離れる際、初めから俺の手を触れたくなかったかのように振り払われた。

 

 

「イクちゃん、大丈夫?」

 

 

 そう言ってイクの手を掴み、もう片方はその背中を摩る。榛名が近くに来たことで安心したのか、イクの顔が若干緩む。それを見た榛名は小さな笑みを浮かべ、イクの手を引いて廊下へと続く扉へと速足に歩き出した。

 

 

「では、失礼します」

 

 

 彼女はそう言って俺たちに向き直り、頭を下げる。ある程度余裕が出来たイクも彼女に習って頭を下げ、二人は執務室を出て行った。それまでの間、榛名の視線が俺へと向けられることは一度も無かった。

 

 

 

「『提督命令』、か……似合わんなぁ?」

 

 

 ふと、林道からそんな言葉と共に蔑む目を向けられる。それを一瞥し、特に何も言わない。こんな安い挑発に乗るだけ無駄、そう斬り捨ててヤツが手渡してきた茶封筒を開けた。

 

 

「しかし二度も命令を下さないと従わないとは、上官に対する教育がなっていないではないか」

 

「生憎、そんな教育をする暇が無くてね」

 

「お前に才能が無い、の間違いだろ」

 

 

 更に繰り出される林道の挑発を適当に受け流しながら書類に目を通す。視界の端で何故か俺を睨み付けてくるが、書類を読むのに忙しいってことで無視する。流石のヤツでも自分に関する書類を読む邪魔をするのは気が引けたのだろう、睨み付けつつも言葉を発することは無かった。

 

 

 ともかく、林道は書類を持ってきた。取り合えずそこから色々と状況を把握していこう。

 

 先ず、俺が上層部の前で啖呵を切ったことで大本営としては俺と中将の二人に今回の件を任せた。しかし、そのことに納得しない一部の上層部がうちの鎮守府に連絡役を配属させることを提案。元帥以下上層部の面々もこれに賛同し、俺も金剛を秘書艦から外した際に大本営の正式な物資支援を行うことを条件にこれを呑んだ。

 

 しかし、大本営との決別を宣言したうちの鎮守府である。いつ何時、何の拍子に再び艦娘たちが反旗を翻すか分からない、仮に反旗を翻した際の責任は重く、それ以前にそうなったら真っ先に狙われるのは自分である、いわばいつ爆発してもおかしくない爆弾の傍にずっと居座るようなモノだ。

 

 更に、此処は大本営から目の上のたん瘤であり、出世を目指すエリート思考の人間には出征街道と正反対、今後の人生計画が崩壊してしまう。そんな貧乏くじも通り越したもう疫病くじじゃないかと言われそうな役目に誰が首を縦に振るだろうか。

 

 配属を求められた人間には悉く拒否されてしまったのだろう。また上層部と実際に派遣される人の間に立つ人間も、部下が失敗した際の責任を恐れて他人に押し付ける。それを受けた人間も他に擦り付け、この一件は散々たらい回しにされたのは明白だ。それが、今日まで配属が遅れた一番の原因だろう。

 

 勿論、そんな経緯などこの書類に書いてあるわけではなく、条件を呑んだ際に聞いたことと今日まで憲兵が配属されなかった事実を加味すれば、こんな裏話があっただろうと想像しただけだ。

 

 そんな経緯があってかは知らないが、取り敢えずすったもんだの末にようやく人員が決まり、配属準備も終わった。そして、本日その人員が派遣され、この件は一段落である。また、その人員と共にやってきた件の書類には配属理由が記された証明書と共に配属された人員の顔写真付き資料が添付されている。

 

 

 その顔写真、そして記載された資料と全くの別人(・・)が目の前にいる。これこそが問題なのだ。

 

 

「……本当にお前が配属されたのか?」

 

「あぁ、書類上(・・・)は彼だがな」

 

 

 俺の質問に、林道は涼しい顔で答える。その言葉に、俺は改めてその顔写真に映っているヤツではない『彼』を見る。その人物に見覚えはある。もう数週間前になるが、夕立が初めて秘書艦をやってくれた日、鎮守府の門でであったからだ。

 

 そして、彼もまた自身を書類上(・・・)の憲兵であると言い、後日本当の憲兵がやってくると言っていた。つまり、彼が言っていた本当の憲兵と言うのが、今目の前にいる林道なのだろう。

 

 

「確かに、彼も同じことを言っていたな。ならそれを踏まえて、何故お前がここに来たのかを説明しろ」

 

「おや、さっきと違って随分喧嘩腰じゃないか。なるほど、これが提督様の威厳ってや――――」

 

「御託は良い、とっとと説明しろ」

 

 

 安い挑発を続ける林道に黙らせるため、語気の強い言葉を吐いて睨み付ける。俺の言葉にヤツは何か言いそうになるも、視線を合わせた瞬間にその顔が何故かニヤリと笑った。

 

 

「イラつくとその目になるの、昔のままだな」

 

「『御託は良い』って、言った筈だ」

 

 

 なおもふざける林道にもう一度言葉を向ける。すると、ヤツはやれやれと言いたげに肩をすくめた。その仕草に込み上げてくる怒りを抑えながら、俺はヤツの話に耳を傾けた。

 

 

 林道の話は先ず何故憲兵が配属されることになったのかから始まり、そしてそれは俺が想像した通りのものだったので省く。取り敢えず、ヤツにこの話が回ってきた直前から始めよう。

 

 

 先ず、林道は父親である朽木中将の勧めで提督から一転、憲兵へと志願した。今まで提督となるべく勉強と訓練を行ってきた手前、畑が違う憲兵への転属は難しいらしいが、地頭の良さと中将のご子息と言う威光を背に無理矢理突き進み、無事憲兵隊所属となった。俺が大本営に呼び出された時は所属したばかりで、配属先を言い渡される前だったらしい。

 

 そして俺が鎮守府に戻ってからもうすぐ配属が決まる直前に、うちの鎮守府に憲兵を配属させようとしていると噂を耳にした。それを聞いて、何故かヤツはうちに配属することを上官に具申したのだ。上官からすれば、中将のご子息の身に危険が及ばないようにと慎重に慎重を重ねて決めた苦労を台無しにされるようなもので、更にあれだけたらい回しにされた役目にヤツを任命するなど自分の首を絞める行為である。故に、当初は難色を示しつつオブラートに包んだ非難を浴びたとか。

 

 

「何でうちに?」

 

「言っただろ? 『お前がやらかしたら真っ先に確保してやる』と」

 

 

 その理由を聞くと林道はまるで待ってましたと言わんばかりに声を張り上げ、その顔に笑みを浮かべながらこう言った。その言葉を聞いたのは、やはり大本営に呼び出された時だ。しかし、それだけ言うとヤツは口を噤んでしまう。同時にその笑みも失われ、いまいち感情が読み取れない顔になる。

 

 

 この表情は学生時代にも見たことがない。こればかりは判断がつかないため、取り敢えずは置いておこう。

 

 

 自身の上官に相手にされなかったため、そんな上官の制止を振り切り林道は上層部の一人に直談判した。それもうちの鎮守府に連絡役を配属させようと言い出した張本人に、だ。勿論、新人憲兵がそんなことをして許されるはずも無く、いくら父親の威光があっても同じく上層部に所属する人物に通用するわけがない。誰しもがそう思ったに違いない。

 

 

 だが、何故か林道の談判は通ってしまった。

 

 

「その理由は?」

 

「今言ったことをお話しした結果さ。このお話をさせていただいた時、大層お喜びになられていた」

 

 

 俺の問いに、林道は先ほどの顔から打って変わり、自慢げな笑みを浮かべた。自分の意見が通ったことが嬉しいのか、その上層部に喜ばれたのが嬉しいのか、いまいち判断がつかない。だが、今こうしてヤツがいるわけで、恐らくは何らかの理由でその上層部の一人が任命したのだろう。

 

 

 だが、それだと説明がつかないものがいくつかある。

 

 

「その上層部とやら直々の任命なんだろ? なら、何でこの書類はお前じゃないんだ?」

 

 

 先ず一つ、それは俺の手にある書類。林道の話を鵜呑みにするならこの配属は大本営が決定した正式なものだ。ならば、この書類も正式な情報が載っている筈である。だが、書類には林道ではなく以前うちにやって来た憲兵が記載されており、正式な書類を証明する印もある。普通なら書類の内容を優先し、ヤツの話は真っ赤な嘘になる。

 

 だが、林道は自身の話を真っ向から否定する書類を隠すことなく差し出してきた。更に、ヤツが口走った『書類上は』との言葉。これらを汲むと、本来配属される林道を書類上では別の人物であると偽装していることになる。

 

 

「そして、うちと大本営との連絡役は朽木中将が担っている。今回の件、あの人に通したか?」

 

 

 もう一つ、それは中将が今回の人事を把握しているかどうか。うちと大本営のパイプはあの召集以降中将が担っている。故に、うちに関わることは全てあの人が把握している。そして、俺が以前あの人に林道を憲兵隊に活かせた理由を聞いたとき、自分とは同じ苦痛を味わって欲しくないと、言った。息子を別の畑に向かわせるほど提督、そしてうちの鎮守府から距離を置こうとした彼がこの配属を見過ごすわけがない。

 

 しかし、現に林道は此処へ正式に配属されている。また、書類上で別の人物を据え置き偽装している時点で誰かを騙す必要がある案件であることだ。その騙さなければならない誰かが林道を鎮守府に配属させたくない中将であるとすれば、先ほどの書類偽装に筋が通る。

 

 

 さて、ここまでは物的証拠と憶測を交えたモノだ。が、次は完全な憶測の内である。しかし、もしこの憶測が正鵠を射ているならば、今までの話がグンと信憑性が増す。同時に、最大限の警戒を持ってことに当たらなければならなくなる。

 

 

 

「お前をうちに配属させた、その上層部の一人ってのは誰だ?」

 

 

 その問いを、一呼吸おいて林道に投げかけた。対して、ヤツの顔は今まで見せていた笑みを消し、感情が読めない表情になる。いや、それは俺が今までの問いを投げかけている間にその表情に変わっていた。あれだけ俺の質問に茶々を入れ、答える時は不敵な笑みを浮かべていたにも関わらず、今ではその表情のまま黙りこくっているのだ。

 

 そんなヤツに俺が構わず問いを繰り返したのは、一重にこの質問をぶつけるためである。

 

 今までの話、そして憶測を組み合わせてみよう。その人物とやらは、俺が信用できないとして直接的なパイプ役を提案した。更に彼は林道の直談判を受け入れ、その父親である中将を騙すために別の人物を書類を偽装したのだ。先ほどヤツが自らを『花咲』と言ったのも、少しでも身バレを防ぐための対策かもしれない。

 

 それだけのことを秘密裏に行った。それは俺と中将を信用していないから、つまり俺たちは彼から反感を買っているわけだ。そんな彼が、そこまでのことをして林道を送り込んできた目的は? 少なくとも、俺に都合の良いモノではないだろう。

 

 また彼も中将と同じ上層部の一員であり、中将同等の権力を持っている。故に書類上の偽装を行えたのだ。そんな彼が中将に対抗する戦力を保有していてもおかしくないし、持っていなくても権力を持って周りを纏め中将に対抗する可能性もある。

 

 そうなった場合、元々大本営に喧嘩を売ったうちである。大本営から不信感を買っている今、最大の支援者を絶たれたらそこで終わりだ。そんな事態の引き金が今目の前に立っているのだ、これを警戒しないわけにはいかないだろう。

 

 その目的が見えないにせよ、取り敢えずは中将に報告しなければならない。報告して、警戒を促さなければならない。勿論、林道もだ。その手を持ってここに配属されたなら、ヤツに何らかの目的を命じている可能性もある。もしくは、林道がいると分かれば中将側で何とかしてくれるかもしれない。こればかりは人任せだが、俺が手を出せる範囲を超えているから仕方がないだろう。

 

 ともかく、今はその人物の情報を聞き出さなければならない。林道は渋るだろうが俺の言い分に筋は通っているし、言わなくても報告と一緒に違う人員を申請すればいい。今ここでヤツが言う言わないにしても、中将への報告でこの件は片が付く。

 

 

 

「邪魔するぜ」

 

 

 だが、その流れは唐突に打ち切られた。その声の方を見ると、扉の向こうからいそいそと天龍が入ってくる。彼女の後ろには龍田も控えており、何処か申し訳なさそうな顔である。だがその顔も俺を、そしてその前に立つ林道を見て瞬く間に変わった。

 

 

 天龍はキョトンとした顔に、そして龍田は真顔に。

 

 

「貴様、ノックもせずに入ってくるとは何事だ!!」

 

 

 突如、林道が声を張り上げた。その語気は荒く、俺や天龍が身を震わせるには十分だった。ヤツは大声でそう言い放つと、わざとらしく足音を立てて歩き出す。その先は固まっている天龍、いや固まっているだけではない

 

 その顔は強張っており、その身体は明らかに震えており、そして何より彼女の目に光るもの(・・・・)が見えるのだ。しかし、次の瞬間、その姿は紫がかった黒髪に、次に真っ黒なモノに遮られてしまった。真っ黒なモノとは憲兵の真っ黒な制服、つまり林道の背中である。

 

 

 だが、おかしなことにその背中から下へと伸びるヤツの両足は、何故か宙に浮いていた(・・・・・・・)

 

 

「ぐっ!?」

 

 

 次の瞬間、林道の呻き声と共にその背中が床に思いっきり叩き付けられる。先ほどまでヤツの背中があった場所には先ほどの黒髪を振り乱した龍田がいた。その顔はやはり真顔である。だがその手は床に倒れ伏す林道の襟を掴んでおり、もう片方は高々と上に掲げられている。

 

 

 鋭く光る薙刀の切っ先を林道に向けて。

 

 

「やめろ!!」

 

 

 俺が声を上げるも、その言葉を無視して振り上げられた龍田の手は思いっきり振り下ろされる。同時に薙刀の切っ先は林道へと吸い込まれていく。

 

 

 

 

 

「たつ、たぁ……」

 

 

 だが、その切っ先は林道の目前でピタリと止まった。あれ程の勢いで振り下ろされていた、俺の絶叫にも動じなかった龍田の手が止まったのだ。止めたのは、蚊の鳴くような小さな小さな声だった。

 

 それを受けて、あれ程頑なに感情を浮かべなかった龍田の顔に、いつもの柔らかい笑みが現れる。その顔を、彼女は今しがら薙刀を突き立てようとした林道でもなく、彼女を止めようと声を張り上げた俺でもなく、ただ一人の人物に向けた。

 

 

 

 

「なぁに、天龍ちゃん?」

 

「や、やめ、ろ……」

 

 

 いつもの声色で龍田はその人物の名を呼び、呼ばれた天龍はつっかえつっかえながらも言葉を吐いた。いや、本当にその言葉を発したのが天龍なのかと疑問に思うほど、その言葉が弱弱しい。同時に先ほど見た彼女の様子から、更に酷くなっていた。

 

 

 顔は強張りを通り越し、明らかに脅えたモノになっている。同時に、大きく見開かれた目からは大粒の涙がいくつも零れその頬を、その上着をぐっしょりと濡らしていた。また、半開きになった口から歯がかち合う音が聞こえる。

 

 自らを庇う様に両肩に回された手は無数のシワを上着に刻み、その身体は先ほどよりも激しく震えている。辛うじて身体を支えているその足も立っているのが不思議なぐらい激しく震えていた。

 

 もし、今の彼女を一言で表すとすれば、誰しもがこう表すだろう。

 

 

 『恐怖』――――と。

 

 

 

「戻りましょう」

 

 

 そんな天龍を見た龍田は小さくそう言うと天龍の傍に屈み、その腕を自らの肩に回す。いきなり回された天龍の身体が盛大に震えるも、龍田はその腕を掴んで離さない。無理矢理天龍を立たせた彼女は、こちらを見ることなく扉へと向かう。

 

 

「待て!!」

 

 

 だが、そこに怒号が投げかけられる。発したのは林道、ヤツは上体だけを起こして後頭部を摩りながら鋭い視線を龍田たちに向ける。だが、彼女たちはそれに振り返らない。いや、天龍に至ってはヤツの怒号に小さな悲鳴を上げ、再びその場に座り込んでしまったのだ。

 

 

「だから待てと言ってるんだ!!」

 

 

 龍田は座り込んでしまった天龍の傍に再び屈んで、無理矢理引っ張り上げようとする。だが、そこに林道は更に追い打ちをかける。そのせいでなかなか天龍の身体が上がらず、龍田の顔から段々と柔らかい笑みが消えていく。

 

 

「おい、聞い――――」

 

「黙りなさい」

 

 

 何度目かの怒号を、龍田の一言が掻き消した。それは怒号ではなくポツリと呟くような一言だったが、林道の怒号を掻き消した。いや、正確に掻き消したのはその一言ではなく、龍田が向けた視線だろう。

 

 

 

「黙らないと壊すわよ(・・・・)?」

 

 

 そう告げながら、彼女はその視線を―――――一切の温度と感情を感じさせない、帯びている筈の殺気すらも感じさせない、久しぶりに見た兵器のような目、それを林道に向けたのだ。それに、ヤツの顔が強張る。だが、その次に現れたのは『怒』の表情だった。

 

 

「黙れとは何だ、黙れとは!!」

 

「言葉通りよ」

 

 

 龍田のあの視線を諸に受けても、林道は臆することなく声を荒げる。その反応に、龍田は隠していた筈の殺気を惜しげも無く表し、再度林道に言葉をぶつける。この時、彼女の手は天龍の腕を離れていた。

 

 

「大体、いきなり押し倒すとは何事だ!!」

 

「いきなり大声を上げて勝手に詰め寄ってきたのは貴方。私はそれに対処しただけよ」

 

「それはお前らがノックもせずに入ってくるからだろうが!!」

 

「ノックをしなかっただけ(・・)じゃない。危害を加えたわけでもないわ」

 

「なッ!? それは――――」

 

 

 目の前で龍田と林道による言葉のドッジボールが展開される。両者は一歩も譲らず、収まるどころか激しくなる始末。恐らく廊下や隣の部屋にも駄々洩れであろう。普段は飄々とした龍田、そして林道は完全に血が上っているのか、そのことに気付く様子はない。

 

 そして、龍田に手を離された天龍はその場で座り込んでいた。だがその顔は、『恐怖』と言う言葉を表したその顔だけは頭上を、林道に言葉をぶつける龍田を捉えている。そしてその手は龍田の制服を掴み、何かを訴えるように引っ張っている。

 

 

 明らかに、『無理』をしているのだ。

 

 

 

 

 

「お前ら、いい加減にしろ」

 

 

 それを見て、俺は声を漏らした。大して大きくも無い、普通の声だ。だが、その一言であれだけ激しかった二人のぶつかり合いがピタリと止まった。止まったと同時に、三人の視線が俺に集まる。そのうちの一つを除いて、俺はその視線たちと目を合わせる。

 

 

「龍田、何で執務室に来た?」

 

「……昨日の件、改めて提督に謝ろうとしました」

 

 

 その一つである龍田と合わせた時、そう問いを投げかける。それに龍田は俺から視線を外しつつ、ぶっきらぼうにそう答えた。昨日の件、俺を海に落とした事か。それは書類を工廠に持っていくことで手を打ったはずだが、わざわざ謝りに来てくれたのか。

 

 

「そうか、分かった。なら、彼にあんなことをしたのは?」

 

 

 その次に、彼女がやったことの理由を問う。だが、龍田は何も応えない。ただ、自分の制服を引っ張る天龍を一瞥するのみ。それだけで、何となく理由は察した。

 

 

「何とか言――――」

 

「なら、後で聞こう。じゃあ、今ここで互いに謝れ。一旦は終わりだ」

 

 

 黙り込む龍田に業を煮やした林道の言葉を遮りつつ、部屋に戻る様促す。その瞬間、三人の顔が一斉に俺に向けられる。今度はその全てに目を向けることなく、踵を返して机に向かう。だが、それは後ろから肩を掴まれたことで叶わなかった。

 

 

「俺は被害者だぞ!!」

 

「一旦は、だ。勿論、後で説明させる。それに発端は龍田でも、いきなり掴みかかったのはお前だ。少なくとも非はある(・・・・)

 

「だ、だが―――」

 

「申し訳ありませんでした」

 

 

 俺の言葉に食い下がる林道を尻目に龍田は澄ました声でそう言い、深々と頭を下げた。下から現れたその顔はいつもの柔らかい笑みではなく、先ほどの真顔だ。感情が籠っていない、ともとれる。そのせいか、林道は頑なに俺に食い下がり続けて謝る気配が無い。

 

 

「龍田、取り敢えず天龍を部屋に連れて行ってくれ」

 

「了解です」

 

 

 このままでは埒が明かないので、俺はさっさと主目的(・・・)に切り替えた。この場で一番ここにとどまりたくないのは天龍だ。だが、彼女は龍田が言い争いを終えるまで大々的に離れたいと言わずに待ち続けただろう。だから、何とかして話を纏めて天龍をここから離れさせようとした。まぁ、正直これ以上目の前で言い争いを続けられても困ると言う本音もあったが。

 

 龍田自身もそれを望んでいたのか、即座に反応して自らの制服を掴む天龍の手を取って立たせる。先ほどよりも幾分か力が入る様になったのか、天龍はぎこちないながらも立ち上がれた。そして、ようやく廊下へと続く扉に手をかけた。

 

 

朽木(・・)、こっちの話は終わってないぞ」

 

 

 その後ろ姿に食い下がろうとする林道に釘を刺しておくため、敢えてヤツの気を引く言葉(・・)を口にする。案の定、ヤツは龍田たちから俺に目を向ける。だが、その背後で扉が閉まった瞬間慌てた様に振り返るも、そこに誰も居ない。

 

 

 

「その名で、呼ぶな」

 

「すまん、つい癖でな」

 

 

 苦々し気な顔を向けながら言葉を吐き出す林道に適当に嘯いておく。それを受けて林道は何か言いたげな顔になるも、口を挟ませることなく俺は再度言葉をぶつける。

 

 

「でだ、お前をここに配属させたのは誰だ?」

 

「答えるわけないだろう」

 

 

 俺の問いに、林道はぶっきらぼうにそう返した。予想通り、と言うかそうとしか言わないだろうな。と言うことなら、他の問いも同じ答えだろう。此処で話は終わりだな。

 

 

「そうか」

 

「言っておくが、父上に報告しない方が良いぞ?」

 

 

 だが、次に聞こえたのは問いではない、忠告だった。それも、いましがた俺がやろうとしていたことへのだ。

 

 

「……いきなりなんだ?」

 

「アホか、お前があの答えで引き下がるわけがない。大方、父上に報告して対処してもらおうとか考えていたんだろう。だが、それをすればここは終わりだ」

 

「言ってる意味が分からん」

 

 

 俺が中将に報告したら、鎮守府が終わる。言っている意味が分からない。と、言いたいところだが、一つだけ予想していることがある。それは林道を送り込んだ人物の目的だ。あれほど高らかに信用できないと言い、そして正式な書類を偽装してまで林道を送り込んできたその人物が描く、それも最低最悪の事態を想定した際に導き出した、俺にとって都合の悪い最適解(・・・・・・・・)

 

 

 

 『うちの鎮守府を潰すこと』――――。

 

 

 

「察したか」

 

 

 思考が顔に出ていたのか、林道はそう言いながら不敵な笑みを浮かべた。その笑みが、一番考えたくないその最適解に現実味を帯びさせる。

 

 

「あの方は、もう既に(・・)準備を整えておられる。後は、此処に攻め込む大義名分だ。つまり、俺が『何かをされた』と一言報告すればそれだけでここは終わる。そう、俺の一言がお前らの運命を左右するのだ。なんなら、今しがたやられたことを報告しても良いんだぞ? それに、もし俺の目を掻い潜って父上に報告したとしても一から準備を整える方と既に準備を整えている方、どちらが先に動けるかは明白だろう」

 

「……どうすればいい?」

 

 

 最適解を前にして、俺は抗うことなくあちらの要求を知ることにした。此処で足掻いたところで、既に二歩先を言っている相手を抜き返すのは至難の業だ。慎重に慎重を重ねなければならない。

 

 

「無論、戦果だ」

 

「戦果……か」

 

 

 一体どんな要求をされるかと身構えたが、出てきた答えは意外にまともなものであった。予想外のことに思わず首を傾げると、林道の顔は笑みから一転、真剣な表情に変わる。

 

 

「お前が召集された際、元帥は戦果をお求めになられた。であれば、その言葉を無視するわけにはいかない。ただ、他の鎮守府のような戦果では駄目だ。他から頭一つ……いや、二つは飛び抜けた戦果を挙げなければならないだろう。そうだな……さしずめ、現状は北方海域への進出か」

 

「……北方海域、か」

 

 

 林道の言葉に、俺は頭を抱えた。ここ最近執務に明け暮れはしたものの、何だかんだ時間を作って各海域の情報を集めたりしていた。勿論、今のように戦果を要求された際に対処するためだ。しかし、個人的にまだ新しい海域へ艦娘たちを向かわせるのは早いと思っている。

 

 いや、早いと言うか、怖いのだ。未知の海域に彼女たちを向かわせるのが。これは執務に専念するために海域攻略ではなく現状維持にしていた、それに逃げていた俺のせいだ。それにまだ金剛が療養中である。出来れば、彼女のペースに合わせて海域攻略を始めたい。

 

 

「それに、一度大本営(われわれ)に決別した鎮守府だ。それが今更また傘下に入ります、なんて虫が良すぎる。地に落ちた信頼性を回復させるにはそれぐらいの戦果を挙げてもらわないと、お前に任せた元帥の顔に泥を塗ることになる」

 

「こいつらだって……好きで決別したわけじゃ……」

 

 

 林道の言葉に、俺は思わず反論を溢してしまう。それを目ざとく拾ったヤツは、いつになく真剣な顔を俺に向けてくる。

 

 

「好き嫌いなんぞ知らん(・・・)、重要なのは決別したと言う事実のみだ。そこにどんな感情が燻っていようが、やってしまったと言う事実だけで立場が明確になる。それが答えであり、組織を作り上げる規律であり、社会を安定させる法律だ。好き嫌いなんぞで国や軍隊が運営していけるとでも?」

 

「それは……」

 

「お前はたった一つのために何千何万を切り捨てるのか? 『個』と『その他大勢』、切り捨てるべきなのは言わなくても分かるだろう。もし『個』を守りたいと言うのなら、それだけの価値があることを証明するしかない。その証明できるものが、限りなく大きな戦果だと言うことだ。最適解が出ているのに他を探すのか? それこそ徒労だ」

 

 

 林道の言葉は、俺から見ても正しい。まさに軍隊と言う組織にとって最適解だ。多数決なんてまさにそうじゃないか。そうしないと意見がまとまらないし、先に進めない。ならば、時に片割れを切り捨てることだって必要だ。だから、母さんは――――――――

 

 

 いや、今それは関係ない。林道が言った通り、この鎮守府が存続するにはヤツに何らかの危害を加えずに、北方海域の進出を成し遂げなければならない。急ピッチではあるが期限を明言されてない以上、ギリギリまで戦力を整えて出来うる限り万全の体制で臨むしかない。

 

 

「分かった、善処する」

 

「まぁ、せいぜい気張れ」

 

「あ、あともう一つ聞いていいか?」

 

 

 話を終わらせようとした林道の言葉を遮り、俺はもう一つ質問を投げかける。

 

 

「何で中将と敵対する(・・・・)側についた」

 

 

 その問いを投げかけた時、林道の顔が今までで大きく強張った。予想していなかったのか、はたまた掘り下げられたくなかったのか、恐らくは後者だろう。何故分かるのか、それはこの反応が見られるのは後者の場合だからだ。

 

 それに、林道はその上層部の一人についている。そして彼は俺や中将が信用できないから今回のことを目論んだ、つまり中将とは事実上敵対しているのだ。そんな彼にヤツはついている。あれだけ自慢げに話していた父親だったのに、今は敵対する立場に身を置いているのだ。

 

 

「……父上の目を覚まさせるためだ」

 

 

 それは本心なのか、はたまた嘘なのかは分からない。だが、それだけ言うと林道はさっさと執務室を出て行ってしまった。その顔に、苦痛の表情を浮かべながら。

 

 だけど、俺はその顔を見て思ったのは同情ではなかった。

 

 

 

 それこそ『個』じゃないのか―――と言う、なんとも辛辣な言葉だった。


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