新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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都合の良い『御伽話』

 扉を開けると冷ややかな風が肌を撫で、それに思わず身を震わせる。只今の時刻は午前5時。身を刺す様な寒さだがちょっと体を動かせば体温で暖まり、逆に動かなければ瞬く間に熱を引かせる、身体を動かすには持ってこいの季節である。

 

 そう思いながら扉を抜けると、朝日が目を刺した。それは山裾から顔を出した太陽からだ。太陽の光で真っ白になる視界の中で、ほうっと立ち登る白い息がうっすらと見える。それもだんだんはっきりとしてくる。同時に、日差しに遮られていた山々が浮かび上がった。

 

 しかし、それに反して鼻をくすぐるのは潮の香りである。山に囲まれているのに何故潮の香りがとも思うが、現に俺の視界の端に朝焼けを受けてキラキラ光る水面がある。それは大海原へと繰り出す艦娘を送り出し、そして迎え入れる湾だ。そんな相反するものが隣に存在する場所――――対深海棲艦戦争の最前線である鎮守府だ。

 

 

「今日も早いな」

 

 

 そんな最前線では聞けるとは思えない朗らかな声が聞こえた。その声に俺は視線だけを向ける。その向こうには一人の女が手を振っていた。

 

 腰まで伸びた黒髪を短く束ねている。その身体は随分年季の入った半袖Tシャツにこれまた年季の入ったジャージに身を包んでいた。一見すればどこにでもいる普通の女性であり、俺と彼女が顔を会わせる時は決まってこの格好ともう一つの恰好だ。

 

 しかし、先ほど言った通り此処は鎮守府、最前線である。そんな場所に普通の女性がいるはずも無く、彼女もまた普通ではない存在、人間ではない存在、深海棲艦に対抗しうる兵器(・・)とされる存在。在りし日の艦艇の御霊を受け継ぐ存在、艦娘である。

 

 

「……あぁ」

 

「気の抜けた返事だなぁ、憲兵殿。寝不足か?」

 

 

 そんな艦娘に生返事を返すと、彼女は何所かとぼけた口調でそんなことを言ってくる。その言葉に俺――――花咲(・・)林道は返事の代わりに鋭い視線を投げかけた。しかし、その視線に彼女は特に気にする様子も無く、むしろ不敵な笑みを向けてくる。

 

 もし、彼女が普通の女性であれば、いや駆逐艦などの子供であれば俺は間違いなく怒声や罵声を浴びせただろう。しかし、彼女の笑みは有無を言わさぬ重み、そしてこちらの威勢を挫くほどの威圧感があった。流石、艦娘の中でも花型である戦艦を、それもわが国だけでなく世界にもその名を轟かせた『ビッグ7』である。

 

 

「どうした? この長門と朝を共にすることに、今更感動しているのか?」

 

「ふざけるな」

 

 

 そんな不敵な笑みのまま冗談をかましてくる艦娘――――長門に冷たい言葉を浴びせ、俺はいつも通りの準備運動を始める。そんな俺の言葉に彼女は何故か面白そうに笑うと、特に言い返すことも無く準備運動を始めた。

 

 

 俺がこの鎮守府にやってきて一週間ほど。その間、俺は任務をこなしてきた。それは憲兵として鎮守府内の風紀を取り締まり、やってくる前に蔓延っていた緩い空気を幾分か引き締めること。そして、上層部に極秘として受けた、この鎮守府を潰す大義名分を得ることである。

 

 

『どんな手を使ってでもいい、あの鎮守府を潰してくれ』

 

 

 それは俺が直談判した日、熟考の末に認めてくださったあの方から言い渡された言葉だ。言い渡された直後、その言葉の真意を理解しかねた俺であったが、そこから受けた説明にて納得するに至った。

 

 

 『新鋭』の言葉を体現するかのような異例の勢いで戦果を挙げ続け、膠着状態と言える現状を好転させるのではと期待されていた鎮守府。そんな期待の星であった鎮守府、そして初代提督からの報告がある日を境にぱたりと止む。そこから一方的に決別を言い渡し、何度も派遣した使節を問答無用で攻撃、敵対表明を露わにした艦娘たち。

 

 そんな爆弾たちを新米提督が上手く丸め込んだと思うも、蓋を開ければ艦娘(あちら)側に立っているアイツである。事態が好転するどころか悪化していると見えるだろう。更にその新米提督は大本営からの支援を要求してきた。もし艦娘が面従腹背だとしたら、もしあの新米提督が艦娘たちと結託していたら、仮にそうであったらその支援は敵に塩を送る行為に他ならない。むしろ、お返しに砲弾が文字通り飛んでくるかもしれない。

 

 そんな不確定要素しかない且つ反旗を翻る可能性が高いその鎮守府を味方陣営に組み込むなんて正気の沙汰じゃない。むしろ、安全を確保するために早々に潰すべきである。最善策は反旗の兆しを見せた艦娘たちが動く前に強襲し全員を捕縛すること。捕縛後は見せしめ(・・・・)か解体、他鎮守府へ転属させ、固まらないように離れ離れにさせる。

 

 それが無理なら殲滅する。文字通り、一体残らず。それは艦娘だけが対象ではない。あちら側に立った人間も容赦なくだ。仮に生き残っても軍法会議にかけられるだろう。

 

 正直、そこまでやるのかとは思う。だが、それで大本営が存続し、その傘下である鎮守府がまとまるのであれば、安い駄賃(・・・・)である。その駄賃に誤って(・・・)俺が含まれてしまってもだ。無論、そんなリスクは此処に配属される前から覚悟の上である。むしろ、俺の身に何かあれば被害を被るのは奴らであるため、どうにかして俺への被害を失くそうとするだろうから、リスクはないに等しい。

 

 

 それもあってを俺は快諾し、今日まで忠実にこなしてきた。そのおかげか、鎮守府内に蔓延っていた空気が張りつめたモノになり、俺に対する艦娘たちの、そして提督である(アイツ)の態度もどんどん硬化してきた。あと少し、もう少し突けば恐らく堪え切れない。何処かに綻びが生まれ、それを起点に瞬く間に崩壊していくだろう。

 

 だが、中には態度が変わらない存在もいる。それは昨日、俺を執務室から追い出した小柄な軽空母、そして今しがた目の前にいる戦艦だ。

 

 

 

「では、そろそろ行こうか」

 

 

 互いに準備運動が終わった頃を見計らって、長門はそう言って手招きしてくる。その姿、そしてその言葉に俺はほんの少し間を置いて、何も聞こえなかった(・・・・・・・・・)かのように彼女の横をすり抜けて走り出した。俺の耳には自身の足音だけが聞こえたが、すぐに後方から別の足音が聞こえ始める。そこからは常に二つの足音と息遣いが聞こえ、たまにそれらが合わさったりズレたりを繰り返すぐらいだ。

 

 

 この早朝ランニング。俺にとっては日課の一つである。それは此処に配属する前からずっと続けており、軍人としての身体作りが目的だ。対してこの戦艦も同じであったようで、俺がここにやってきた翌日の朝にはこうして二人でランニングをしている。

 

 だが、その日は他の艦娘がいた。元々は彼女を中心とした少人数でランニングを行っていたようであるが、俺と鉢合わせして以降艦娘たちは来なくなってしまった。だが、この戦艦だけは毎日欠かすことなくやってくるのだ。それも、『一緒に走る相手がいなくなったから、責任を取って私と走れ』と言い寄ってきたほどに。

 

 それに対する俺の答えは『勝手にしろ』だ。誰と走ろうがどうでも良いし、この戦艦が俺に危害を加えるような風にも見えない、むしろ加えたならこちらの思うつぼである。しかし、俺の責任で他の奴らが来なくなったなんて知ったこっちゃない。それは来なくなった奴らの責任である。だから拒否もせず承諾せず、ついてきたければついてくればいいと言うスタンスで返したのだ。

 

 

 そんなこんなでこの戦艦と早朝ランニングを共にすることになったが、その最中に話はしない。俺は話しかける必要もないし、あちらも話しかける気も無いようだ。ただ黙々と俺の後ろについてくるだけで、終わった後に話すことも無くあちらから一方的に「明日もまた」と言われて別れるのみ。

 

 それは、今日もまた同じだろう。そう考えながら、俺は黙々と歩を進める。山裾に居た筈の太陽は既にその全体を表し、空も夜明けから朝ヘと変わっていく。朝に変わっても、俺たちは変わらず歩を進める。

 

 

 だが、それは唐突に終わりを告げた。

 

 

「時に憲兵殿、貴官はうちの提督の知己か何かか?」

 

 

 不意に、後ろの長門がそう言い出したのだ。その言葉に、俺は黙々と進めていた歩が地面に縫い付けられた様にピタリと止まってしまった。俺の背後で「おっと」と言う彼女の声が聞こえ、同時に俺の横をすり抜けて前に出る彼女が見える。

 

 彼女は横をすり抜けた後、すぐに振り返って俺を見据える。その顔に不敵な笑みを浮かべながら。

 

 

「……いきなり何だ?」

 

「何、ここ数日の貴官と提督の会話を聞いていると、どうも役職以上の関係にある様に思えてな。以前、彼がここに配属する前に出会っていたのか、もしくは同じ釜の飯でも食っていたのかと、ふと気になってな」

 

 

 不機嫌であることを惜しげも無く晒すも、長門はその笑みを崩すことなく何処かおどけるようにそう言う。だが、その目にはおどけている様子も無く、何処か俺を見定めるような印象を受けた。

 

 

「知己じゃない。学生の時に知り合っただけだ」

 

「ほう、そうなのか。なら、当時の彼はどんな感じだった?」

 

「答える必要はあるのか?」

 

 

 続けざまに投げかけられた問いに、こちらも問いを投げかける。いや、投げかけると言うよりも投げつけると言うか、その問いに食い下がる様な言い方だった。

 

 

「私たちは此処にやってきた彼しか知らないからな。それ以前がどんな感じだったか気になるのも当然だろ?」

 

「それを知ったところで何がある。それを餌にヤツを揺さぶるのか?」

 

「誰もそんなこと言ってないだろう? 何、只の興味さ。それに……」

 

 

 そこで言葉を切った長門は不敵な笑みを崩し、何処か幼子を見るような表情を向けてこう続けた。

 

 

 

 

「何をイラついてる?」

 

 

 長門の言葉に、俺はその日最大(・・)のイラつきを覚えた。そう、俺はイラついているのだ。だから彼女の問いに食い下がった、だから余計なところまで問いかけた。

 

 それはこの戦艦がアイツのことを話題にしたからだ。

 

 

「イラついてない」

 

「いいや、貴官は彼の話になると目付きが鋭くなる。顔や口調もだ。まさに教えてもらった(・・・・・・・)通りだなぁ」

 

「黙れ」

 

 

 俺の言葉に長門はカラカラと笑いながらそんなことをのたまう。顔や口調が険しくなる、考えが極端になる。何処ぞの阿呆にも通じることではないか。いや、本人(・・)だからこそ教えたのかもしれないか。つまり、ヤツが今その問いをぶつけたのも、そしてこうして俺と共にランニングを続けること自体もヤツが関連しているのかもしれない。

 

 

「アイツの差し金か?」

 

「だったらどうする?」

 

 

 そんな図星を狙った問いを投げつけるが、彼女は涼しい笑顔で逆にこちらを煽ってきた。十中八九図星だと思っていた手前、あまりに余裕ぶった物言いに少しだけ驚くも、それを察知されないように努める。

 

 

「何、冗談だ。そこまで(・・・・)驚かれるとは思わなかったよ」

 

「っ」

 

 

 だが、それは何処かで漏れてしまったようだ。長門はそう言って笑い声をあげ、馴れ馴れしく背中を叩いてくる。感情に任せた言葉を投げつけたかったが、これ以上ボロを出すことの方が避けたい。だから、何も言わずに顔を背けた。

 

 

「大丈夫だ、貴官の思っているようなことはないから安心してほしい。第一、貴官がやってくる前から私たちは走っていた、その時点で彼が関与していないのは明白だ。それにあの提督がそこまで抜け目なく采を配するとでも? もしそれが出来ていたら、こんな所に左遷(飛ばされない)さ。多分、幸か不幸か聞けば間違いなく不幸だと言うだろうな」

 

 

 その言ってのけた長門は笑っていた。だけど一瞬、ほんの一瞬だけ、その目に陰りが見えた様な気がした。

 

 

 

「さて、いい加減話を戻そうか。私は此処にやってきた提督しか見ていない。その印象は『提督らしくない』、『軍人らしくない』だ。私たちを人間と言い、力を持たないくせに進んで戦場に飛び込み、逆に力を持つ私たちを危険に晒す、もしくは負担を強いることを避けようとする。今までの提督とは一線を引く、とにかく変な人間(・・・・)だ。それが生来のモノか、それとも此処にやってくる前に培われたモノか、知っておいて損はないだろう。だから、教えてもらいたいのだ」

 

 

 だが、それも先ほどの笑みを浮かべた長門によって問いかける機会を逃してしまう。いや、逃してしまうと言うよりも、俺の興味が移ったと言った方が正しい。

 

 なるほど、相も変わらず(・・・・・・)艦娘を人間だと言い張り、弱いくせに危険地帯に飛び込み、そのくせ艦娘たちにかかる負担を減らそうとしている、か。そうか、ヤツは懲りず(・・・)にそれをやっているのか。そうか、そうか……

 

 

 

 なら、好都合だ(・・・・)

 

 

 

「良いだろう、一つ話をしよう」

 

 

 俺の言葉が意外だったのか、長門は少し驚いた顔をした。しかし、すぐに表情を引き締めて真っ直ぐ俺を見つめてくる。いいだろう、教えてやろう。

 

 

 お前が抱いているヤツの姿。それが、全くの虚構(・・)だということを。

 

 

 

 

「あれは、兵棋演習の時だ」

 

 

 兵棋演習――――――それは数か月に一度、シミュレーター内に展開する海域を舞台に生徒たちを二つの陣営に分けて行う模擬戦闘だ。そこで生徒は一艦隊を率いる艦隊司令官と言える演習員、その演習員を統括する実質的な連合艦隊司令長官と言える統裁官の役目を与えられる。演習員は統裁官の指示に従い己の役目を全うしながらも戦局を鑑みた上での進言をする、統裁官は戦局を見ながら各演習員に指示をする、もしくは進言を取り入れることで自陣営を勝利に導くことで艦隊指揮能力や状況把握力を培う。

 

 その兵棋演習における統裁官と演習員は数か月の成績を元に選ばれる。明言されて無いものの統裁官に選ばれるのは成績優秀者であることは誰の目にも明らかであり、分かりやすい目標の一つとして生徒の殆どは統裁官に選ばれるために日々の訓練や講義に精を出した。

 

 その中で、俺は同期生中最も多く統裁官に選ばれた。当然、成績優秀であったためだが最初は親の七光りだと揶揄する奴らが多く、反抗的な視線に晒される時期もあった。しかし、それは初めて統裁官として臨んだ兵棋演習にて相手を完膚なきまでに叩きのめすことで虚偽であることを証明し、以後連戦連勝を続ける俺に周りは反抗的なものから好意的、更には多大なる敬意へと変わっていったのだ。

 

 

 そんな俺と(ヤツ)が顔を合わせたのは、組み対抗の兵棋演習である。

 

 俺とヤツとは元々所属していた組が違い、定期的に行われていた演習では対峙することも協力することも無く一切の関わりを持たなかった。しかし、その前から『他の組に問題児がいる』との噂は耳にしていた。

 

 何でもそいつは成績最底辺の存在であり、講義の度に「艦娘は人間だ」と教師に噛み付いては口論、取っ組み合い寸前まで食い下がる問題児。周りからは『異端児』、『厄介者』、『非国民』、『ロクでなし』などと呼ばれていた。当時、俺を含め殆どの同期生は即刻退学させるべきだとしたがとある提督の推薦状を携えて入学したため無碍に扱えないと言う上官の態度に、親の七光りならぬ提督の七光りを借る狐だと揶揄していたほどだ。

 

 俺はその噂を聞き、少しだけ興味を抱いていた。俺自身、『艦娘は兵器である』との方針に些か疑問を抱いていたからだ。元々は適性があった人間、そして深海棲艦に対抗しうる唯一の存在、艦娘は俺たち人類の生命線である。それを『兵器と言う道具』として扱うのはどうなのか、と。

 

 しかし、どのような形であれ戦うのは、そして犠牲になるのは人間である。勝利と言う大弾幕に隠されてはいるが、その下には数えきれないほどの屍が横たわっているのも事実。実際、艦娘が現れるまで深海棲艦と戦っていたのは多くの将兵であり、その殆どは今も海底深くに眠っているのだ。

 

 そして、艦娘は提督の指示を受けて戦闘を行う。彼女たちが扱う艤装、資材、拠点である鎮守府と戦闘を行う上で必要なものは大本営が用意し、そして途切れることなく供給している。艦娘の前線基地である鎮守府、そこを運営し指示を飛ばす提督、その母体となる大本営がいるからこそ艦娘は戦闘に赴ける。そう無理矢理落とし込めば、艦娘たちを戦争に勝つための道具、即ち兵器として扱うのも頷ける。

 

 俺はそこで何とか納得した。だが、ヤツはそれで納得していない。納得する気も無く、懲りることなく噛み付き続けている。

 

 何がヤツをそこまで駆り立てるのか、艦娘は兵器ではない確固たる証拠を持ってるのか、そしてそれをどう証明しようとするのか。それが非常に気になったのだ。

 

 そんな俺を尻目に、その噂を受け取った同じ組の奴らは『狐狩り』と言う言葉を掲げた。この演習で無能、役立たず、恥さらしの烙印を叩き付け、ヤツ()を退学に追い込もうとした。

 

 

 そして、結果は『敗北』だった。いや、狐に化かされた(・・・・・・・)のだ。

 

 

 だが、前に言った通り統裁官に任命されるのは成績優秀者。つまり、最底辺であるヤツが極々一部の例外を除いて統裁官にはなれないのだ。その極々一部の例外とは何か、それは提督の七光りを使って統裁官になった――――――わけでもない(・・・・・・)

 

 ヤツは連合艦隊を指揮する統裁官ではなく、そこに所属する一艦隊を率いる演習員の立場で俺たちを化かした。兵棋演習は一人一人が持つ視野、思考、判断の全てを結集して望む総力戦である。その中で、たった一艦隊のみで自陣営を勝利に導いた。

 

 であれば、ヤツが率いた艦隊はさぞ活躍をしたのだろう。一艦隊で連合艦隊をいなす巧みな指揮、戦局を読み切りその先までを見通す視野、絶妙なタイミングで状況をひっくり返す判断力、その全てを持ち合わせていたのだろう。

 

 否、違う(・・)違うのである(・・・・・・)。ヤツにそんな能力は無い、一切、欠片ほども。なのに俺たちは化かされた。能力も才能も無い、文字通り最底辺の狐に俺たちは化かされた。それは何故か――――――そんなもの、簡単(・・)である。

 

 

 それは、ヤツがその身を差し出した―――――――開始と同時に単騎突撃、自艦隊を生贄にした特攻(・・)を仕掛けたからだ。

 

 その動きに俺たちは出鼻をくじかれた。しかも恐ろしいことにその行動は敵の統裁官も予想外だったらしく、演習は大いに乱れ混沌を極める始末。結果、ヤツの艦隊を全滅させるも引っ掻き回された戦況を立て直すに至らず、俺の組は僅差で敗れた。『常勝』と謳われた俺たちが、たった一匹の狐によってその栄誉を剥奪されたのだ。

 

 

 終了後、俺は真っ先にヤツに詰め寄った。ヤツが起こした暴挙を問いただすためである。だが、それの他にもう一つ看過できないことがあった。

 

 

『何だ』

 

 

 俺が詰め寄った時、ヤツはそう溢した。あれだけのことをしておいてよくそんな言葉が吐ける―――――そう心の中で、そして口に出した上でヤツの胸倉を掴んで引き寄せた。ヤツの身体は抵抗することなく俺にされるがまま。まるで演習の時と同じように自ら身を差し出すが如く、いとも簡単に引き寄せた。

 

 そして、その目を見据えた。同時に、何故ヤツがこんな暴挙を起こしたのか、その理由の片鱗をおぼろげながら捉えた。

 

 その目が酷く濁っていたのだ。理想の提督、司令官を目指して日々切磋琢磨する学生とは思えないほど黒く、数えきれないほどの感情を押し殺し、蓋をかぶせ、『希望』、『未来』、『理想』と言った光の全てを排除し尽くした、『絶望』しか映っていない、とても酷い()をしていたからだ。

 

 その瞳を捉えた上で、俺はヤツに問いをぶつけた。何故あんな暴挙に出たのか、と。すると、ヤツは俺に注いでいた視線を下に向け、呟くようにこう漏らしたのだ。

 

 

『勝てれば良いだろ』

 

 

 その答えに、俺は納得した。なるほど、内容はどうあれヤツの起こした暴挙で俺たちは負けた。勝敗は時の運であり、泥を塗られたからと言って負けは負けである。喚いたところで変わる筈も無く、そのことをとやかく言うつもりもない。そしてその結果だけを見れば、ヤツは自分の身を捧げて自陣営に勝利をもたらした功労者だといえよう。その点は認めよう、その点は評価しよう。

 

 

 そう、その点だけ(・・・・・)は。

 

 

 

『じゃあ、勝利のために貴様の艦娘(・・・・・)を犠牲にしても良いと言うことか?』

 

 

 納得した直後に問いを、看過できないことをぶつけた。その瞬間、ヤツの時が止まった。黒く濁っていた目の中で渦巻いていた『絶望』が、感情の一切を押し殺していた顔が、延々と燻っていたであろう思考が、それらが示し合わせた様に止まったのだ。

 

 

 恐らく、いや確実にヤツの頭から抜け落ちていたのだろう。勝利の代償として犠牲となった自身の艦隊、それを構成するのは6()の艦娘であることを。自分は兵棋演習で勝つためだけに6人の艦娘を殺したと。

 

 そして、ヤツは再三艦娘は人だと言い続けている。人として扱うことを望み、対等もしくはそれ以上の存在であると高らかに宣言し、教師や周りの人間から散々罵詈雑言を浴びせられようとも決して撤回しなかった。

 

 そんな艦娘は人(・・・・)だと喚き続けている己が、艦娘を兵器(・・・・・)のように扱ったことを。ヤツは俺の言葉で気付いた。

 

 そう、俺はヤツが犯した凄まじい矛盾を――――能天気に晒していた狐の尻尾を容赦なく踏ん付けてやったのだ。

 

 勿論、これは実戦ではない演習、それもシミュレーターを使った疑似(・・)演習だ。俺たちが動かす艦隊、艦隊を構成する艦娘はただのデータ。意志を持たず、俺たちの指示を忠実に守る駒、演習に勝利するための道具、戦争とすればまさに兵器である。

 

 そしてデータであるが故に現実における損害は一切ない。例えヤツのように艦隊を全滅させても、それが影響しうるのは演習の勝敗だけで、演習さえ終われば何事も無かったかのように復活する、いとも簡単に塗り替えられる。だからこそ、俺たちの艦隊指揮の訓練として用いられるのだ。

 

 

 そう、割り切ればいいのだ。そう、言い返せばいいのだ。むしろ「これは戦争だ、何を綺麗事を」と吐き捨てればいいのだ。それ以外にも答えは無数にあり、その殆どは最適ではないモノの『正解』である。周りに散らばっているそれを一つ手にして、俺に投げつければ良かったのだ。

 

 

 だが、ヤツはそのどれもこれもをしなかった。いや、正確には何も選ばなかった。

 

 

 その問いをぶつけた後、ヤツは何も言わずにその場を立ち去ったのだ。何も言わなかったが、俺が与えた衝撃は相当なものだと分かった。何せほんの一瞬、その一瞬だけで示し合わせて止まったもの全てが足並みをそろえて動き出したからだ。

 

 燻っていた思考は再び激しく燃え上がり、押し殺していた感情が再び湧き出し、黒く濁っていた瞳が歪に歪み、そこから白く光るものがこぼれ始めた。

 

 

 『後悔』と言う感情を瞬く間に表し、振りかざし、ヤツの身体を、思考を、あらん限りの力で振り回し始めていたのだ。

 

 

 そして数か月後に再び組み対抗の兵棋演習が行われ、俺の組は文字通り完勝(・・)した。一艦隊も失わず、損害すらも出さずに敵を全滅させたのだ。勿論統裁官は俺であり、ヤツは相変わらず演習員。そして、前回特攻を仕掛けてきたヤツは開始から終了まで、一度も攻撃することなく(・・・・・・・・・・・)戦場を逃げ回り続けた。

 

 それは前回の演習で犯した愚行を顧みた結果なのだろう。自艦隊の艦娘を沈めないよう逃げる(・・・)ことに終始したのだろう。しかし、結果的にヤツの陣営は全滅。結局は前回と(・・・)同じように艦娘を殺したのだ。今度は矛盾すらなく、ただただ己の無能さを曝け出しただけだった。

 

 その演習で、俺はヤツに声をかけなかった。声は愚か視界にすらも入れなかった。それは前回の、そして今回の演習でヤツは何の考えも無くただ喚き散らすだけの男だと判断したからだ。関わっても何も利益もない、その辺に転がっている石ころと同じものだとしたからだ。

 

 

 

なのに(・・・)

 

 

 思わず漏れたその言葉に、俺は慌てて口を噤んだ。突然話を終わらせた俺に長門は首を傾げ、俺が望んでいない言葉を口にする。

 

 

「なのに、なんだ? 何と言おうとした?」

 

「何でもない、気にするな」

 

 

 その言葉に俺はそう吐き捨て、再び走り出した。数秒遅れて、長門も走り出す。

 

 

「しかし、そんなことがあったのとはなぁ」

 

 

 後ろから聞こえる言葉。ヤツの恥部を晒したことに対する感想であろう。しかし、その声色は俺の予想とは違い何処か朗らかであり、ゆったりとした口調であった。

 

 

「なら、益々支えてやらんとな」

 

 

 そして次に聞こえたそれは、独り言のようであった。何でもないようなこと、至極当たり前(・・・・)のことのように長門の口から零れた。

 

 その言葉は俺の足をまた再び縫い付けられた。だが、その言葉を発した本人は何事も無かったかのように歩を進める。俺の横を通り過ぎ、前に躍り出てなおその足は止まらない。俺を振り向くこともなく、黙々と進んでいく。

 

 

「待て」

 

 

 だから、そう溢した。そう溢し、躍り出た長門に詰め寄り、その腕を掴み、離れ行くその身体を引き留めた。引き留め、こちらに振り向かせた。あの時と――――あの演習後に詰め寄った時と同じように。

 

 

何だ(・・)

 

 

 そして、こちらを向いた長門はそう溢した。言葉まで同じ、まさか敢えて同じにしたのかと思うぐらい自然とその口から聞こえた。

 

 だが、その目は違った。明らかに違った。一寸の曇りも、濁りも、うす暗い影さえない。眩い光を帯びた、『信念』に満ち満ちた()であった。

 

 

「なんでそん、な、ことを……」

 

 

 だからか、それ以降の言葉に詰まった。その瞳を前にして、その『信念』を前にして、怖気づいてしまったのだ。

 

 

「なんで、とは……また可笑しなことを言う。彼は提督だぞ? 艦娘()が支えるのは当たり―――」

 

「何故見限らない(・・・・・)!!」

 

 

 その瞳のままそう語る。そんな長門に、俺は吠えた。言葉に詰まっていた筈なのに、何故かその言葉は詰まることなく、むしろ貯めに貯めた胆力を持って飛び出したのだ。

 

 

「ヤツは空っぽだ!! 何もない、何も出来ない空っぽなんだぞ!! 口先だけの空っぽな人間だ!! お前らの嫌いな人間(・・)なんだぞ!!」

 

 

 そうだ、ヤツは何もない。何もないくせに口先だけ耳障りの良いことを吐き、そのくせ何も出来ない空っぽの人間なんだ。空っぽなんだ、何もないんだ。なのに、何故『支える』なんて言える、何故そう思える、何故そんな真っ直ぐな瞳で言えるんだ。

 

 分かっている筈だ、証明したはずだ。この一週間、俺はヤツが空っぽであると証明し続けた筈だ。ここに来て真っ先にヤツが作り上げた空気を壊した、壊れた空気が戻らぬように常に艦娘たちに目を光らせていた、ヤツの考えを先回りをしてその対応を潰した。

 

 

 それは艦娘たちにヤツは何も出来ない人間であることを分からせるためだ。分からせて、失望させて、俺と同じように、その辺に転がっている石ころ程度に陥れるためだ。艦娘たちがヤツをそう思い、その制御下から離れれば後は簡単である。適当に挑発して、手を出させればいい。大義名分を得ればいい。

 

 それで、あの方の悲願を達成でき、且つ父上の目を覚ますことが出来る。石ころの価値を見誤り、捗らない、成果も挽回もしない、微塵も動かないこの鎮守府(ブラックボックス)に際限なくモノを投資するその滑稽な後ろ姿。いつまでも掴み、縋り続けるその手を振り払わせ、目の前で破壊する。そうすれば父上は目を覚ます。覚まさないにも、目の前で破壊した俺に目を向ける(・・・・・)だろう。

 

 

「なのに……なのに何故見限らない!! 何人もの提督を挿げ替えてきたくせに、何でヤツはそうしない(・・・・・)!! 何で今も担ぎ続ける!! 何で見続ける!!」

 

 

 ヤツがこの鎮守府で今も提督をしていること自体がおかしいのだ。ここは問題だらけ、ベテランの提督ですらも手こずるであろう鎮守府。アイツの前に何人かの提督が赴任され、姿を消している。そんな所に放り込まれたヤツはせいぜい使い捨て、触れてはならないパンドラの箱を開けるために、破壊するために数多派遣された人間の中で最も貧弱な、最底辺の駒だ。

 

 なのに、(ヤツ)は今も提督をしてる。身分不相応、才気に乏しく、無自覚に矛盾を犯し、その答えを導き出すことができないヤツが、足元にも及ばないであろう優秀な前任者が果たせなかったことを果たし続けている。それも、目の前にいる艦娘は『支える』と口走り、その瞳は濁るどころか真っ直ぐな光を携えている。

 

 

 何故、そんなことを言えるのか。

 

 何故、そんな瞳を浮かべられるのか。

 

 何故、()と同じように見限らないのか。

 

 何故、父上(・・)と同じように見続けるのか。

 

 何故――――――

 

 

 

見てくれない(・・・・・・)んだよォ!!」

 

 

 いつの間にか零れていた言葉。それはこの場に不相応であり、向けるべき対象もおらず、目の前にいる艦娘は全くもって関係ない。場違いで、見当違いで、勘違いも甚だしい。

 

 それを長門がどう受け取ったのかは分からない。彼女は何も言葉を発しないからだ。その代わりに、彼女は黙って俺を見つめている。その目には、訳も分からずいきなり叫んだ俺を訝しむモノでもなく、俺が自分たちに害をなす人間であると警戒するモノでもない。

 

 

 見たくないモノを見てしまった、そんな目だ。そんな目を、片時も離すことなく向け続けているのだ。

 

 

 

「……それが、『なのに』の続きか」

 

 

 次に発せられたのは、そんな言葉だった。それに、俺は思わず目を見開く。

 

 

「申し訳ない。私もそこまで()を見ていない、そして他の者たちの評価もおおむね『大本営の犬』だろうな」

 

 

 しかし、次に発せられた言葉によって、俺は長門から視線を外した。ほんの少し、僅かに抱いた『期待』、場違いにもほどがあるそれを真っ向から否定されたからだ。

 

 

「だが、君の彼に対する評価はあながち間違っていない。今の提督は以前の者たちに比べればその足元にも及ばないだろう。要領も悪く、艦隊指揮も取れない、提督としては最底辺。君の言葉通り、まさに『空っぽ』だ。それは私を含め、艦娘全員が抱いているだろう」

 

「じ、じゃあなんで……」

 

「それだから、だ。『空っぽ』だから彼を『支えよう』、と、私は思っている」

 

 

 『答えになっていない』、『真面目に答えろ』、そう心の中で吐き捨てた。何故、心の中か――――それはその言葉を吐き出した長門の表情がどう見ても冗談を言うようなものではなかったから、真面目に答えている(・・・・・・・・・)からだ。

 

 

「『支える』では意味が通じないか……であれば、『空っぽ』だから『繋ぎ止めよう』……これも違うな。『空っぽ』だと表現しにくいから、今は『真っ白』とでも言わせてもらおう」

 

 

 『真っ白』―――――まさに何もないと言うこと。意味は同じ、ヤツと言う存在を的確に表現した言葉だ。『空っぽ』と同じ意味を持つそれにわざわざ言い換えたのか、それを問いただすよりも前に彼女は再び口を開いた。

 

 

「彼は自分を『真っ白』だと思っている。『真っ白』故に、彼は染まる(・・・)ことを何とも思っていない。赤なら赤に、青なら青に、私たちの場合は汚れ(・・)と言った方が的確か。だが、彼はそんなこと考えてもいないだろう。そこで蹲っている存在が居れば、彼はそれが人間だろうが私たち(汚れ)だろうが躊躇なくそこに飛び込むだろう。その存在が泥だらけなら同じように泥だらけになり、埃をかぶっていたら同じように埃をかぶり、血まみれならば同じ血に塗れる。そこが絶対に踏み込めない、例えるなら光さえ届かい海底に座り込んでいても、彼は息の続く限り、体力の続く限り、その命が続く限り、永遠に届きのしないその手を必死に伸ばし続けるだろうさ」

 

 

 『何もないから何をするにも躊躇が無い』――――それは一見、長所のようにも聞こえるが、裏を返せば『際限なく自身を陥れ続ける』と言うことだ。そして、鎮守府を率いる提督として考えれば、傘下である艦娘にもそれを強いることになる。そこまで言えば、それが如何に愚かなことか分かるだろう。現にヤツは兵棋演習でそれを強いたじゃないか。

 

 

「しかし、困ったことに彼は今でも(・・・)自分を『真っ白』だと思い込んでいる。まぁ、そのおかげで彼は何度も(・・・)染まろうとするわけで、その度に蹲っていた者たちが立ち上がるから敢えて指摘することも出来ない。彼は今もなお真っ白な軍服に袖を通しているつもりだろうが、実際は袖の先から襟、更には内側まで汚れているわけだ。そんな彼を見て、立ち上がれた者(・・・・・・・)が歯がゆく思うのは当然であろう?」

 

 

 そう、歯がゆく思うのは当然であろう。自分を無かったことにされていると同じだからだ。そして、無かったことにされないように存在を主張し続ける。ヤツがやってきたことを―――――ヤツのお蔭(・・・・・)で自分がいることを分からせるために。

 

 

「簡単に言ってしまえば、彼女たちは今もなお『真っ白』だと思い込んでいる阿呆が飛び込み、染まり、そして立ち上がらせた証明(・・)――――今まで染まってきた『汚れ』と言うわけさ。それも水で濯いだ(・・・・・)ぐらいじゃ落ちない、とてもとても『頑固な汚れ』だ。勿論、全員がそうだとは言えない。中には未だに不信感を募らせている者、心を開いていない者、もしくは彼を利用しようとする者もいるだろう。だが、確実に『汚れ』は存在しているのだ」

 

 

 自分たちはヤツがここでやってきたことを証明する存在、だから離れることは無い。ちょっとやそっとの水で洗い流されようとも『汚れ』は残り続ける、存在を主張し続ける。

 

 

「そして、私は『汚れ』ではない。彼によって立ち上がった、彼のために存在を証明し続けている『汚れ(彼女たち)』を見ているだけの傍観者だ。ある意味、私は彼を利用している存在だと言えよう。それ故にここで彼が潰れてしまっては困るのだ、ここで押し流されてしまっては困るのだ。だから支える、彼を支える。この鎮守府のために、此処にいる未だ塞ぎ込んでいる者たちのために、彼を支え、繋ぎ止め、時にはその弱腰を蹴飛ばし、何としても歩いてもらう。何せ―――――」

 

 

 その時、一際強い風が俺たちを叩いた。俺の髪、上着を盛大に掻き揚げ、長門の上着、そして後ろでまとめられた黒髪が盛大に乱れる。その惨事に彼女は特に気にする様子はなく、見上げるように少しだけ仰いだ顔をこちらに向け、非常に穏やかな顔でこう言い放った。

 

 

 

「この鎮守府には、彼のような人間(・・)が必要なんだ」

 

『私には、彼のような人間(・・)が必要なんだ』

 

 

 

 その言葉は俺の耳に一つ、俺の頭に一つ浮かび上がった。だが、全く同じ意味の言葉なのに、それを発した声は全く別ものであった。

 

 耳に入ってきたのものは、今しがた目の前で長門が発した言葉だ。

 

 頭に浮かび上がってきたのは、今よりも幾分か古い記憶、場所は此処ではなく大本営(・・・)

 

 真っ赤な絨毯で覆われた床を踏みしめ、年季の入った机に身を乗り出し、目の前で煙草を燻らせる老練な男―――――父上に詰め寄った時に返された言葉だ。

 

 

 同時に、こう思った。なんて、なんて馬鹿馬鹿しいほどに都合の良い御伽話(・・・・・・・・)だろう、と。

 

 

「さて、憲兵……いや、流水(・・)殿。貴官が何を考え、どんな目的で此処に来たのか、この私には分からない。だが仮にこの鎮守府を乱すようなことをすれば、御身は只では済まないだろう。万が一それこそが貴官の目的であるのなら、この手(・・・)が向けられない内に此処を立ち退かれよ」

 

 

 そう言った長門は、おどけた表情で片手を掲げた。その腕にとてつもなく大きく、重く、冷たい黒い塊を――――戦艦の代名詞である砲門を携えているかのように。

 

 その姿に、俺は身体が動かなかった。それは任務を遂行するまたとない好機と捉えたわけでもない。まして、彼女が掲げた腕を向けられた時のことを思い浮かべ、恐怖に足が竦んだわけでもない。

 

 

 たった今聞かされた都合の良い御伽話、その主役が俺に背を向けて(・・・・・・・)立っているのが見えたからだ。

 

 

 

 

「だが、()の『なのに』に対する答えは、生憎その目的の先には無いだろう」

 

 

 しかし長門は――――都合の良い御伽話の語り部(・・・)は何故か俺に――――ただの脇役にそう言った。

 

 

「意味が分からない、と言う顔をしているな。そう、これは全くもって真実ではない。とっさに思いついて、口に出しているだけの法螺話だ。だが、敢えてさせてもらおう。その答えは此処(・・)にある、正確には此処にいる彼女たちが持っている…………かもしれない(・・・・・・)。こうやって断言しないのも、判断するのは私ではなく『君』だからだ。それを受け取って、君がどうするかは自由だ。目的を遂行するも良し、更に答えを求めるも良し、どちらを優先するのも君次第だ」

 

 

 彼女は断言した、これは法螺話である。だが、これを法螺話とするか、真実とするか、転ばせるのかは脇役()次第だと。そしてそれをどちらに当て嵌めてみろ、当て嵌めた上で好きをしろ(・・・・・)、主役のためだけに存在するこの都合の良い御伽話の綻びを突いてみろ、そう煽っているのだ。

 

 

 この脇役に、『主役』の座を与えようとしているのだ。

 

 

 でも、何故煽るのか分からない。一歩間違えれば、彼女が守ろうとしている此処を潰しかねないのに。何故か、彼女はその危険を冒してまで煽ってくるのだ。

 

 

「なんで、そんなことを……」

 

「ふふっ、やはりそう言うだろうと思った。だが、そっちの『答え』は()に言った筈だぞ?」

 

 

 俺の言葉に長門は可笑しそうに笑みを溢しながら、真っ直ぐ俺を見て(・・)こう言った。

 

 

 

「私は、利用する存在(・・・・・・)だ」

 

 

 彼女は言った、自らは利用する存在だ、と。

 

 彼女は言った、その理由は鎮守府のためだ、と。

 

 彼女は言った、鎮守府のために必要(・・)だから、と。

 

 

 

「さぁ、もう日も昇った。そろそろ戻ろうか」

 

 

 ポツリと、彼女はそう言った。その言葉通り、太陽は先ほどよりも高い所に浮かんでいる。口から漏れる息も白くはなくなった。ランニングをするには少々暑い、それ故の言葉だろう。

 

 その言葉を残して、長門はこちらを振り向くことなく走り出した。だが、何故だろうか。その背中に既視感を覚えてしまった。

 

 

 それはあの時――――――兵棋演習後に見送った『空っぽ』の背中に、よく似ていたからだ。


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