新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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『水』と『油』

 食堂から自室へと戻ってきた俺は、ベッドに身を投げていた。

 

 食堂であれだけやらかし、長門以外の艦娘から明確な殺意を向けられた。今後顔を合わせればいつ何時この命を狙われるかも分からない。普通なら一刻も早くこんなところから逃げるべきなのだが、長門の言葉がある手前そうも出来ない。かと言って、ここからどうすれば彼女の法螺話が終わるのかも分からない。まさしく八方塞がりである。

 

 

「終わっていない、か……」

 

 

 そうポツリと漏らした俺の頭は、長門が残した『まだ終わっていない』と言う言葉が浮かんでいた。

 

 彼女はまだ終わっていないと言った。だが、傍から見るとあの時終わる筈だった物語を無理やり続けた、と言った方が正しい気がする。まぁ、もしあそこで俺が物言わぬ肉塊になってしまえば、父上の息子を殺害したと言う大義名分を持って大本営は動くだろう。ある意味、この鎮守府のために動く彼女にとって是が非でも避けたいことだろう。

 

 だが、もしそうならあの時に俺の暴挙を止めた筈だ。あそこまでやってしまったのだ、艦娘との関係修復は不可能、今はただ殺されるのを先延ばしにしただけで、結果的には何も変わらない。しかし、彼女はそれを見過ごした。関係は修復不可能になったところでようやく重い腰を上げたのだ。

 

 

 何故そのタイミングで割り込んだのか、その理由が良く分からない。

 

 

 そんな思案に暮れていた時、いきなりドアを叩かれた。その音に身を投げていたベッドから身体を起こし、今しがた音を立てたドアに視線を向ける。

 

 鎮守府でドアを叩く存在は提督である楓か艦娘の二択、そして前者は先ほど声も出せない程ボコボコにした後だ。此処に来れるのはどう考えても後者である。更に言えば砲門の数々を向けられた、此処にやってくる理由も察する。

 

 

 要は、俺を殺しに来たのだ。

 

 

 もう一度、ドアが叩かれる。それは先ほどと変わらない、何の変哲もないノックだ。その『何の変哲もない』ことが警戒心を煽る。もし、俺を殺しに来たのならノックなどせずに砲撃すればいい。しかし、ドアの向こうに居る艦娘は二回目のノック以降、特に何をすることもない。部屋を壊すなと言われたのか、そのため外に連れ出すつもりか、生命の危機に思考が目まぐるしく回る。

 

 

「いらっしゃいますか?」

 

 

 しかし、その思考を止めたのはその普通の声だった。いや、正確には『普通』に務めようとしている声、平常心を保つことに腐心し、ドアの前で『人』の文字を掌に書いては飲む、それを何度も何度も、貪るように繰り返している様子が浮かぶ。そこまでして隠したいのだ、殺意(本心)を。

 

 そして、その声の主を俺は知っていた。知っているが故に必死に普通になろうと悪戦苦闘する彼女の姿が思い浮かび、その滑稽すぎる姿に思わず吹き出しそうになった。その笑える、ある意味微笑ましい姿に、先ほどまで目まぐるしく動いていた思考も、警戒心も解けた。

 

 

「あぁ」

 

 

 だからだろう、その声に対してとても穏やかな、余裕のある声で答えてしまった。まさか返ってくるとは思ていなかったのだろう、その声の主はドアの向こうで変な声を上げた。狼狽えているのが丸分かりである。それにまたもや噴き出しそうになった。

 

 これから死ぬかもしれない、なのに何故これだけ落ち着いていられるのだろうか。やりたいことをやり切ったからもう悔いが無いのか、それとも長門の言っていた御伽噺の続きが始まったからか。それどれもこれも分からない、分からないのだ。

 

 分からない故に『知りたい』のだ。御伽噺の続きを、退場劇が終わった後の物語を。そこにどれほどの爪痕を刻めたか、汚れ役()が存在できたか、知りたいのだ。

 

 

「し、失礼します」

 

 

 俺の言葉からどれほど間を置いただろう。ドアの向こうに居る艦娘は意を決した様にそう言い、それに呼応するようにドアが開かれた。その顔は何所か引きつっていた、その動きはぎこちなかった、全身で『普通』を装っていたがやはりにじみ出る殺意を隠しきれていない、まさに思い浮かんだ姿そのものであった。

 

 

「金剛型戦艦、3番艦の榛名です」

 

 

 その姿のまま、榛名は頭を下げた。その言葉、以前にも向けられたものと――――鎮守府にやってきた時と一緒だ。その時、俺は彼女を一瞥するだけで満足に返事も返さずその横を素通りした。素通りし、慌てて引き留めてくるその腕を振り払い執務室に向かった。つい先日の事である。

 

 

「何の用だ」

 

 

 そんな天丼を繰り返さない様、俺はその言葉に答える。目を向け、言葉を向け、身体を、意識を、俺が向けられるモノ全てを持って彼女に向き合った。対して、榛名はまたもや狼狽える、ことなく今度は特に戸惑うそぶりも見せず部屋へと踏み込んだ。相変わらずにじみ出る『殺意』に気付かず、必死に取り繕っているであろう冷ややかな目で俺と向き合った。

 

 ほんの少し、沈黙が部屋を支配する。互いが互いを見つめ合い、どう動くのか、どうするのかを測りかねている。双方の違いと言えば、纏う空気の重みぐらいか。片や溢れ出す殺意を押し込めるために平静を装うことに終始する重苦しい空気、片やおとぎ話の続きを待ち望んでいる何処か軽い空気。決して相居れることの無い空気を纏う両者が対峙する一時の矛盾に満たされた空間。

 

 それはまるでページの最後に残された煽り文。次のページに向けて読み手を高ぶらせる、その先に何が待っているのかを静かに暗示する、たった一言でその場にある視線の全てを釘付けにする。そんな、魔法のような言葉。

 

 

 

「殺しに来たのか?」

 

 

 それを、敢えて口にした。その瞬間、沈黙は破られ、今か今かと待ち望んでいた俺の手はページを捲る。この先、俺に向けられるのは何なのだろうか、そこに在るのは何なのだろうか、俺を待っている者は誰なのだろうか、知りたかったものがちゃんと在るのか、その不確定要素はその片鱗をようやく表した。

 

 

「はい」

 

 

 その答えを榛名は提示する。そして、彼女はおもむろに片腕を上げ、その先を俺に向けた。それが答えだ、彼女はそう示す。それを向けられた俺は、当然受け入れるつもりだった。

 

 

 しかし向けられたそれが砲門ではなく、きちんと折りたたまれた憲兵の制服であったならば、どうだろうか。

 

 

 

「着替えて下さい」

 

 

 その後、目の前に立つ艦娘からそう言われたら、どうだろうか。何も反応出来ないのが普通である。その例に漏れず、俺はただ茫然と榛名を見つめた。彼女は相変わらず殺意を滲ませている、そして俺の問いに彼女は肯定した。しかし、今彼女が向けているのは俺を殺すための砲門ではない、更に言えばその後に続けた言葉も俺を殺す暗示とも取れない。

 

 煽り文に乗せられてページを開いたら、また新たな矛盾があった。戸惑うなと言うのが無理な話だ。

 

 

「早くしてください」

 

 

 その矛盾を放り込んでおいて、その張本人は急かしてくる。その証拠に先ほどの殺意だと感じていたモノはいつの間にか不平や不満と言う類いのモノに劣化していた。その変化についていけず俺は呆けた顔を晒しながらも何とか状況を把握しようと再び煽り文を読み上げた。

 

 

「殺さないのか?」

 

「えぇ、榛名は(・・・)殺すつもりですよ。でも、それを決めるのは榛名じゃないので」

 

 

 読み上げた煽り文を榛名は再び肯定した。だが、最後に付け加えたその一文に俺はなんとなく察した。彼女は俺を殺す気なのだろう、その証拠にあの殺意と今の歯切れのいい言葉だ。しかし、同時に彼女に俺を殺す選択肢を与えられているわけではない。だから俺の言葉を肯定したのだ。

 

 そして、彼女が制服を寄こしたのは俺をその選択肢を握っている人物の元に連れていくためだろう。連れていき、改めて沙汰を下す。下されたそれが『俺を殺す』であれば彼女はその場で俺を殺す、そういうことだ。未だに何故ここで殺さないのか、何故改めて沙汰を下すのか、いくつか疑問は残るのだが大方そういうことなのだろう。

 

 

「なるほど、俺の命は(誰かさん)の掌ってわけか」

 

「非常に残念ですが、それは貴方(・・)の掌ですよ」

 

 

 納得した答えを、今度は真っ向から否定した。それに思わず彼女を目を向けると、とても残念そうな顔をしていた。いや、残念と言うよりも、何処か羨ましそうな顔だ。そして先ほどから感じていた不平不満はまた別のモノに変わっていた。

 

 

 

 それは士官学校時代、良く向けられたものであった。だから分かった、それが『嫉妬』であると。

 

 

「その前に……」

 

 

 その問いを投げかける前に、榛名はそう溢したと思うと何故か近づいてくる。途中差し出していた制服を俺のベッドに放り投げ、いきなりの行動に少しだけ身を引く俺にあろうことか顔を近づけてきたのだ。目の前に迫る彼女に気圧され、引いた距離すらも詰め寄られて、どうすることも出来ずに顔を背けた。

 

 

「こっち向いて」

 

 

 だが、榛名はそう言って背けた俺の顔を両手でつかみ、自分に向き直らせたのだ。目前に、視界目一杯に広がる彼女の端正な顔、その距離は鼻と鼻がくっつく距離である。普通であれば、緊張と気恥ずかしさ、更には息がかかるその距離に心臓の一つでも暴れ狂いそうなのだが、生憎俺にそんな甘いシチュエーションを感じれるほどの余裕は無かった。

 

 

「痛ッ」

 

「そのみっともない顔、どうにかしないとね」

 

 

 榛名が掴んだ場所がちょうど楓に殴られた場所であったからだ。そこを掴まれ、容赦なく押さえつけられれば痛みもする。更に言えばその物言いから彼女も敢えてそこを選んで掴んだ、と取れたからだ。その証拠に、彼女は掴んでいた片手を離し、スカートのポケットに手を突っ込んで何かを引っ張り出した。

 

 

「湿布ッ」

 

「動かないで」

 

 

 榛名が取り出したものの名を口にするも、彼女の言葉とわざとであろう腫れた頬を触られたことで遮られてしまう。痛みに呻く俺を無視して、榛名は湿布のフィルムを剥がすと慣れた手つきで腫れている患部に貼った。その際、わざとらしく押さえつけたのは彼女が滲み出している感情が原因だろう。

 

 

「これで楓さんも変に気を遣うことも無いでしょ……ほら、出ていくからさっさと着替えて」

 

 

 そう、何でもない風に溢した榛名の言葉に俺は疑問が解けると同時にまた新たな疑問を植え付けられた。彼女が連れて行こうとしているのは楓の元だろう。そこに連れていかれ、沙汰を下され、場合によっては彼女に殺される。

 

 が、先ほどの話からしてその沙汰を下すのは楓ではない。沙汰を下されるはずの俺だと言う、俺自身が自らの罪を裁くと言うのだ。そんなの出来レース、終わった筈の御伽噺じゃないか。これから続くのは法螺話じゃないのか、語り部が嘯いたはずの、在りもしないifの話ではないのか。

 

 

「あ――」

 

「早く」

 

 

 俺から離れて出ていこうとする榛名を引き留めようとするもその一言で、正確にはそれと共に向けられた視線に、『嫉妬』に塗れた子供のような目に、言葉を飲み込んでしまったのだ。その目のまま、彼女はドアを向こうに消えていった。

 

 しかしドアの向こうで彼女はいる、俺が着替えるのを待っている。イライラしているように足を動かしながら、やり場のないそれを向ける先を探す様に時折声を漏らしながら、俺を待っているのだ。

 

 

「まだ?」

 

 

 いつまで経っても出てこない俺に、榛名はそう問いかけた。今まで見てきた低姿勢は何処へやら、その言葉遣いも、ドアの向こうにいるであろうその姿も、まるっきり子供のそれに見えた。

 

 

 いや、まるっきり『俺』じゃないか。

 

 

 

「頼まれたのか?」

 

「は?」

 

 

 その言葉に返す形で、俺は問いを投げかけた。当然、榛名からの返答は意味を解していないものだった。そうだろう、いきなり突拍子もないことを聞かれればそうなる。だから、その問いに補足を付けた。

 

 

「俺を楓の元に連れてくることだ。頼まれたのか?」

 

「……自分から」

 

 

 付け加えた補足に、ドアの向こうから渋々と言いたげな返答があった。頼まれた訳ではなく自ら名乗り上げた、そうか。

 

 

「この湿布もお前が?」

 

「そう」

 

 

 再び投げかけた問いに、榛名は短く答えた。その声色に戸惑いはなく、ただただ面倒だと言う感情に溢れていた。湿布も楓じゃなく彼女が用意した、なるほど。

 

 

 

 

 

「点数稼ぎか?」

 

 

 その問いかけをした時、ドアの向こうからとてつもない殺気(・・)が身体を貫いた。同時に、ガコン、と言う腹の底に響く重苦しい音が聞こえた。

 

 

「図星か?」

 

「うるさい」

 

 

 もう一度補足を付けると、今度はちゃんとした返答が来た。それは面倒だと言う感情はない。あるのは『嫉妬』、それに塗れたなんとも幼稚な言葉だ。

 

 

「いつからだ?」

 

「黙って」

 

 

 今度は別の問い、それに榛名は食い気味にそう吐き捨てた。吐き捨てたのだが、俺はその問いの答えを知ることが出来た。

 

 

「何か得たか?」

 

「やめて」

 

 

 また問い、それに榛名は噛み付く。微かに歯を食いしばる音が聞こえた。今にも爆発しそうなその感情を感じた。その答えを知ることが、いや既に知っていた(・・・・・・・)

 

 

 

 

「意味があるのか?」

 

 

 だからその問いを――――――今の彼女を、彼女がやっていること、やってきたこと、その全てを『否定』する問いを投げた。

 

 そして、その返答はあった。だが、言葉(・・)ではなかった。

 

 

 次の瞬間、俺の耳に届いたのはすさまじい轟音だった。それは目の前、先ほど榛名が消えたドアの向こう。そのドアが勢いよく開けられたのだ。

 

 蝶番が外れかかったドアの向こうに居るのは榛名。短いスカートをものともせずに大胆に振り上げられた足から、彼女は開けたのではなく蹴破ったとだろう。彼女は振り上げていた足をすぐさま下ろし、そのまま俺に近付いてきた。

 

 その速さは先ほどよりも速い、『異常』ともいえるスピードだ。だが、それを前にして俺は身を引くことは無い。迫りくるそれを、ただ待ち構えた。

 

 ある程度近付いたところで、彼女はおもむろに片腕を上げた。先ほど手にしていた制服は彼女の手を離れベッドの上、湿布も既に俺の頬だ。では代わりに何があったか、もう一つしかないだろう。

 

 

 

 

「やめてって言ってるでしょ!!!!」

 

 

 そう、榛名は吐き捨てた。彼女の願いを叶える、俺の命を瞬時に刈り取るそれを、戦艦の名に相応しいその堂々たる砲門を携えた腕を突き付けながら。

 

 それと一緒に向けられたその目は『嫉妬』で溢れている。溢れて、塗れて、何も見えなくなった、見ることをやめた、望まない現実から目を背けた―――――脇役以下の(俺と同じ)目だった。

 

 

「……何も知らないくせに、知ったような口しないで。貴方に何が分かるの? 何を知ってるの? 何を根拠にそんなこと言えるの? そういうのが腹立つのよ……そういう知ったかぶりが頭に来るのよ……持ってないフリ(・・・・・・・)をされるのが一番虫唾が走るのよォ!!」

 

 

 榛名は吐き捨てる、叫び続ける。それは今までひた隠しにしていた本当の彼女、誰にも言えず、どうにか自分の中で落とし込もうとして、それが出来ずにずっとずっと胸の底に残っていた言葉かもしれない。

 

 

「榛名はあの人が此処にやってきた日から知ってる。金剛お姉様にやられたことも、食堂の件も、迫った時に見たあの怒りも、襲撃の後に向けてくれた笑顔も、その優しさも、大本営から帰ってきてから垣間見えた弱さも、今にも潰れそうな泣き顔(・・・)も……全部、全部知ってるの。だから榛名が……()がいないといけないの、()が支えないといけないの、()があの人の受け皿にならないといけないの、私しか(・・・)いないの!! なのに、なのにぃ!!」

 

 

 そう叫び続ける榛名の砲門を携えていない手はいつの間に顔に押し当てられていた。彼女が言葉を吐き出すごとにその手に力が込められ、それに握りつぶされるかのようにその顔は苦痛で歪み、嫉妬に塗れていた目にはいつの間にか光るものがあり、それは彼女の頬にいくつもの筋を残していた。

 

 

 

「なんで貴方が、『必要』なんですか……」

 

 

 最後にそう叫び―――――いや、そう泣き声(・・・)を漏らした彼女は俺に向けていた砲門を下げた。その砲門ですら彼女が言葉を吐き出す中で震えだし、その砲口も仮に砲撃したとしても俺に当たっていたのかと疑問に思うほどにズレていた。

 

 だが、逆にその姿にぴったりと当てはまるものがあった。スポットライトを求め続け、身分不相応の夢を抱き続けた、憐れな脇役以下()である。

 

 

「『必要』とされる貴方に……『必要』とされない、『不必要』とされる人の気持ちなんて……絶対分かりっこない、分かるわけがない、分かってほしくない。それも一度救い上げられた(・・・・・・・・・)上でその烙印を押され……違う、いずれ押されるだろう人間に、一度じゃ飽き足らず二度(・・)も押されるであろう私に。それを押されることが、面と向かってそれを言われることが怖くて、それから自らを守ろうと誰かの想いを、心を、葛藤を踏みにじってまで存在を証明しようとする私の気持ちを……」

 

 

 榛名はそこまで溢したところで吐き出してしまった本音(言葉)の意味に気付き、口を抑えた。その顔は苦渋に、後悔に、悲壮に満ちている。恐らく、誰にも漏らしたことがなかったのだろう、誰にも知られたくなかったのだろう、誰にも見せたことがなかったのだろう。

 

 

 そう、楓にも(誰にも)

 

 

「……取り乱してすみません。そして提督から『話がある、執務室に来て欲しい』との言伝を預かっております。お渡しした制服に着替え、執務室に向かってください。榛名がいないことを聞かれたら、体調不良で部屋に戻ったとお伝えください。よろしくお願いします」

 

 

 先ほどの取り乱しから一転、感情を押し殺した声で榛名はそう言うと、何事も無かったかのように部屋を出ていこうとする。その後ろ姿に思わず手を伸ばす。

 

 

「貴方も」

 

 

 それと同時に後ろを振り向いていた筈の彼女の顔がこちらを向き、こう言葉を残した。

 

 

 

 

「霧島と、同じことを言うんですね」

 

 

 榛名が残した言葉、その意味を今ここで解することは出来なかった。その言葉に何も言えない俺を、その後一瞥することなく彼女は出て行った。彼女が出て行ったドアは半開きのまま右往左往する。それはまるで、先ほど自らを『私』と呼称した一人の艦娘のように。

 

 だが俺は、またもや人を傷つけてしまった俺は何も出来なかった。彼女への罪悪感を放り出し、最後に残していった言葉を、非常に聞き慣れない言葉を噛み砕くのに精一杯だったからだ。

 

 

 

「『必要』、『必要』?」

 

 

 それは『必要』―――――榛名が残した言葉。それはなくてはならないモノに、どうしてもいなければならないモノに向けられる言葉。その言葉を向けたのはそれを発したのは榛名ではなく彼女が溢した人だ、彼女をここに寄こした人だ。

 

 

 それが『誰か』なんて疑問は、必要無い(・・・・)。必要なのは『何故』だ。『何故そんなことを言う』だ、『何故そんなことを考える』だ、『何故俺が必要なのだ』だ。

 

 

 語り部の法螺話は、俺の御伽噺は、終わった筈じゃないのか?

 

 

 

 いつの間にか、俺は自室の鍵を閉めていた。中からではなく外からだ。

 

 格好もホットチョコレートで汚れた制服ではなく榛名が用意した真新しい制服であり、誰かの血に塗れていた靴ではなく念入りに磨き上げられた真新しい靴である。

 

 

 汚れの無い、何も無い、真っ白な俺。汚れ塗れの誰かとは大違いだ。そのくせ汚れ以上に頑固で、一度や二度こすっただけじゃ落ちない、とてもとても厄介なそれ。塗れる(・・・)のではなく錆び付いた(・・・・・)と言った方が近しい、時と共に深く深く刻み込まれた『我が儘』と言う錆びに侵されて動くことすらままならない厄介者。

 

 誰にも見守られず、ただ朽ちていくだけの鉄屑である。枯れていく木でも咲き誇る花でも、まして()ちていく()でもない、何物でもない鉄屑である。

 

 

 そして、その鉄屑はそそのかされた。一滴の水を与えられ、その上で向こうに泉があると、いや梅林があるとそそのかされた。

 

 勿論、鉄屑はその言葉が嘘であると分かっていた。泉なんかない、それこそ梅林すらないと分かっていた。だが青々と実る梅の味を思い浮かべ、知らず知らずのうちに口に満ちていた己の唾を糧に歩んでしまった。

 

 そしてその唾すらも枯れ果て、いよいよ朽ちる時が来た。そう思った、そうなる、そうなる筈だと思った。

 

 そこに降って湧いた新たな一滴。それこそ梅林などではないれっきとした、向こうに湧いている泉からはじき出された(・・・・・・・)、その向こうに泉があると言う確固たる証拠だ。

 

 

 そして今、証拠を辿っている。

 

 その先に何があるのか分かっていながら、それを信じられないくせに。それが法螺話だと信じ切っているのに、目の前に現れた確固たる証拠を前にしたから。それが朽ちていく己を、錆び付いていた筈の己を動かしたからだ。

 

 

 語り部の法螺話()ではない、脇役以下の嫉妬()であったからだ。

 

 

 

 やがて、俺は辿り着いた。そこは自室よりも大きく、重厚なドア―――扉と言った方が良い。そして扉の向こうから複数の声が、同時に一人の悲鳴じみた声も聞こえる。その向こうには忌み嫌った、見たくもなかった光景が広がっているはずだ。

 

 だけど同時にその光景は、その光景の中心にいるヤツは――――弾かれた油が示した泉である。泉であり、鉄屑の俺を更に錆び付かせる筈の、正しく天敵とも言える存在である。

 

 

 そして、俺を『必要』とした存在だ。

 

 

「失礼する」

 

 

 ノックもせずに扉を開いた。その向こうには予想通りの光景が―――――数人の艦娘に介抱される楓の姿があった。俺の声と同時に艦娘たちは俺の方を向き、敵意むき出しの表情を向けてきた。先ほど提督を蹴り付け、罵った俺が何の前触れもなく入ってきたのだから当たり前だ。むしろ入ってきた瞬間俺に向けて砲門を、更には砲撃しなかったことすら奇跡と言える。

 

 

「待ってたぞ」

 

 

 いや、その大部分は楓がそう言ったからだろう。事実、その言葉に艦娘全員がヤツに顔を向けた。俺からは見えないが、恐らくその全ては『驚愕』に満ちているであろうな。

 

 

「ちょ、待ってたって……」

 

「そう、俺が呼んだ。あれ、榛名は?」

 

 

 薄紫髪の艦娘に至極当たり前のようにそう言い、同時に俺に向けてそう聞いてくる。予想通りの問いに俺はそっぽを向きつつ、伝えて欲しいと言われたことを口にした。

 

 

「体調不良で部屋に帰った」

 

「まさか榛名さんに!?」

 

「イムヤ、それはないよ」

 

 

 俺の言葉に血相を変えた赤髪の艦娘を楓が引き留める。イムヤと呼ばれた艦娘は楓に顔を向けるも、ヤツの至極真面目な顔に口をモゴモゴさせながら黙り込んだ。なんだ、押さえつけることが出来るじゃないか。ちゃんと教育……じゃない、『信頼』されているな。

 

 

「それと悪いんだが、憲兵殿と二人っきりにさせてくれないか?」

 

「え!?」

 

「本気!?」

 

 

 その後ぶちかまされた発言に、流石に二人は声を上げる。そんな二人を尻目に、楓はそのどちらでもない艦娘、今までの発言に微塵も反応しなかった一人の艦娘に目を向けた。

 

 

「大淀、曙とイムヤを……」

 

「……はぁ」

 

 

 何処か申し訳なさそうな楓の言葉に、大淀と呼ばれた艦娘は明確な返事をすることなくただため息を吐いた。だが、その身体は楓に言われて、いや言われるよりも前に動いていた。

 

 

「ほら、いきますよ」

 

「大淀さ!? う、嘘でしょ!?」

 

「いいの? このままじゃ……」

 

「本人が言っているんです、きっと大丈夫よ。あぁ、それと……」

 

 

 大淀は曙と呼ばれた薄紫髪の艦娘とイムヤの腕を掴み、ズルズルと引き摺って行く。その最中、ふと思い出したようにそう言って、俺に目を向けた。

 

 

 

 

「もし提督に何かするのであれば、それ相応のご覚悟を」

 

 

 そう口にした彼女の目は到底人に向けるモノではない、敵に向けられるであろう明らかな殺意に満ちた目で遭った。

 

 

「では、失礼します」

 

 

 その目を俺に向けたまま、大淀は今もなお暴れる二人を引きずって扉の向こうに消えていった。消えた後も暴れる二人の声が聞こえたが、それも姿同様すぐに消えてしまう。残ったのは俺と楓、そして沈黙だ。

 

 

「やっぱ、『提督命令』なんて似合わな……痛ッ」

 

 

 そんな沈黙を破ったのは、何故か苦笑いを浮かべた楓である。ヤツは自らの頬を、俺が蹴りつけて青あざが出来ている頬を掻いて痛みに呻いた。その姿に俺は自室から此処に来るまでずっと張り続けていた警戒を危うく解きそうになるも、此処に呼ばれた真意と向き合うべく何とか堪えた。

 

 

「全く、お前の言った通りだ」

 

「……いや、違うさ」

 

「なんか言った?」

 

 

 ヤツの言葉を――――いや、それは前にヤツに向けた俺の言葉を、俺は無意識に否定していた。その言葉は聞こえなかったのだろう、ヤツはきょとんとした顔をする。その顔に更に警戒が解けそうに、いやもう警戒することすら馬鹿らしくなってきた。

 

 

「何でもない。それで、何の用だ?」

 

 

 下手に根掘り葉掘り掘られても困るし、何よりそれは双方とも望まない筈である。それを断ち切るためにこちらから切り出す。俺の言葉に、楓はキョトンとした顔を引き締める。この表情は初めて、ではないか。此処に来た時に向けられた、俺が潜水艦に詰め寄ろうとして、榛名に引き留められ、その榛名を引き剥がしにかかった際に向けられたそれ。

 

 

 榛名(彼女)を守ろうとする表情だ。

 

 

 そのまま、楓は座っていた椅子から腰を上げた。その際チラリと見えた腕には痛々しく巻かれた包帯が、はだけた上着の隙間から見えた肩や腹にはテーピングでしっかり固定された湿布が、甲斐甲斐しく手当てを受けた跡があった。その殆どが大げさに施されたそれは、それだけ楓が心配されている証拠である。

 

 

「ホント、大げさだって言ったんだけどな……」

 

 

 そんな俺の視線に気付いたのか、楓は苦笑いを浮かべながら腕の包帯を摩る。その表情は自慢げなど無く、そして感謝とは少し違う。どちらかと言えば申し訳なさ、此処までする必要もない、此処まで心配されるようなこともない、と言うニュアンスを含んでいる。あぁ、確かに、これは骨が折れそうだ。

 

 

「まぁ、それはいっか」

 

 

 そう言って楓は立ち上がった椅子を離れ、机の横切り、ソファーの横を掠め、そして俺から少し離れた場所で立ち止まった。立ち話か、しかし距離が遠過ぎる。じゃあ食堂の報復か、しかし執務室は狭すぎる。その微妙な距離を取った真意を量っている時、ヤツの身体が動いた。

 

 

 その動きは食堂のそれと一緒であった。

 

 

 

 

「すまんかった!!!!」

 

 

 食堂のそれ―――――――土下座をしながら楓はそう叫んだ。だがその言葉、その姿、何より纏っている雰囲気の全てが食堂のそれと違った。

 

 ヤツの動きは食堂の時と比べ物にならないほど早かった。しかし機械のような正確さなど微塵も感じないぎこちない動きであった。

 

 ヤツの言葉は食堂の時と比べ物にならないほど軽かった。それは良い意味でも悪い意味でもある、提督としての言葉と言うよりも楓個人の言葉である様に思えた。

 

 ヤツの姿は食堂の時とは比べ物にならないほど小さかった。提督が晒すべきではない姿、ある意味食堂の時よりも醜い姿である。

 

 

「さっきは本当にすまんかった!! あの時は頭に血が上り過ぎてついカッとなってやっちまっただけで、いや勿論お前の言葉を肯定するわけでもないけど……本当の本当に殴る気は無かったんだ!! それとアイツらがやっちまったことも、本当にごめん!! こればっかりは俺の教育不足だ、文句言われたってしょうがない……だから、アイツらがやったことも俺の監督不行き届きってことでどうか咎めないでくれ!! 責任は全部俺が被る!! だから!!」

 

「ちょ、ちょっと待て」

 

 

 地面に額を擦り付けながらマシンガンのように謝罪と懇願を飛ばしまくる楓の口に歯止めをかける。すると、ヤツは擦り付けていた額を勢いよく上げ、不安げな顔を覗かせた。それはあの食堂で見せた周りを黙らせるほどの重厚感を漂わせた提督とは思えないほど、情けなかった(・・・・・・)

 

 

「何!? これじゃあ駄目!? あ、パンツ一丁になればいいのか!! じゃあなろうか!?」

 

「誰もそこまで言ってない!! って待て服を脱ぐな!! 目の毒にしかならんからやめろォ!!」

 

 

 下手に止めたせいでとんでもない方向に暴発しそうになる楓を一喝することで何とか押し留める。いつの間にか俺は仁王立ちで腕を組み、楓は土下座から上体を上げた体勢――――所謂正座している。傍から見れば俺がヤツに説教をしている構図になっていた。

 

 

「……ごめん、ちょっと焦り過ぎた」

 

「それはもういい。それで、何で頭を下げた? ゆっくり、順を追って、最初から話せ」

 

「……はい」

 

 

 俺の念押しに小さく返事をした楓はポツリポツリと話し始めた。

 

 先ず土下座の理由、それは俺が着任してから今までにあったこと全てだそうだ。着任初日にあった潜水艦と榛名、そして俺に矛を向けたあの軽巡洋艦、それを皮切りに俺が取り締まった艦娘たちのことも含まれ、最終的に先ほど食堂で起きたことまで、それら全てを提督(・・)として謝ってきたのだ。

 

 同時に今まで艦娘が俺にやってきたことは全て上司である自分の責任であるとも言った。だから、艦娘たちに責任を取らせるのはお門違いである、取るなら俺が全部被るのだ。そして、これから報告書を大本営に送るのだろう、その際俺が被ったことは全て提督である自分の監督不行き届きが原因だとして欲しい、そう懇願してきた。

 

 『言いたいこと』、『したいこと』、『してほしいこと』―――これら三つがあの土下座に含まれていると、そしてこれは提督として憲兵である俺に懇願していると楓は言った。つまり、ヤツは個人としてやって欲しいことを『提督』と言う職権を利用して叶えようとしている。これだけ見れば横暴だと言われよう。しかし、裏を返せばそうまでした叶えたいことなのだ、本心(・・)から思っていることなのだ、とも言える。

 

 その強引すぎる手段が、ヤツの言葉が本物であると信憑性を持たせるのだ。そのせいか今の姿、そして向けてくる表情に『提督』の威厳など無く、『明原 楓』と言うただただ一人の人間であるのだ。

 

 

「……何故そこまでする?」

 

 

 楓の話を一通り聞き終わった俺は真っ先にそう問いかけた。ヤツはただ此処に配属させただけ、それ以外に縁もゆかりもない、ましてそれ以前の提督たちが消息不明となった場所である。普通なら是が非でも回避したいはずだ。

 

 だが、ヤツはそうしない。そして今、己の名誉を損じてまで艦娘たちを、赤の他人を守ろうとしている。それが解せない、どうしても解せない。『これが主役なのだ』と言われても、そんなご都合主義(・・・・・)じゃ納得できない。

 

 

「守りたいからだ」

 

 

 その問いに、楓はそう答えた。今度は焦りもなくはっきりと、ゆっくりと、言葉を絞り出すように、本心を溢す様に。その目に、真っ直ぐな光を携えながら。

 

 

「俺たちはどう足掻いても艦娘に守られる存在だ。深海棲艦を撃破する手立ても、奴らの砲火からアイツらを守れる盾にもなれない。出来ることとすればアイツらのサポートだけ、その中でも生活環境の改善、人間関係の修復しか俺は出来ない……後者に関しては出来ているかどうか分からないけど、あとは『提督』の立場を利用することぐらいだ。俺がアイツらに出来ることは片手で数えられる程、ならその少ない中で足掻くしかないんだよ。出来る手数でやりくりするしかないんだよ。もしそれでアイツらの安全がほんの僅かの時間でも保たれるなら、そのきっかけになれるなら、()を天秤にかけることぐらい造作もないさ」

 

 

 そう、真剣な顔で楓は言い切った。ヤツの言葉はこうだ、艦娘に守られることはどうしようもない。なら守られる存在なりに出来ることをしたい、そのためなら己も差し出せる。その対価がどれほど小さくても良い、些細なきっかけでも、むしろそれになれれば良いと。

 

 あぁ、やはりコイツはあの時と――――兵棋演習の時と変わらない。短絡思考しか出来ない、目の前にある現状しか見えない……馬鹿だ、大馬鹿だ、大馬鹿野郎だ。

 

 

 もしお前がここを去ったら一体誰がその責務を負う? そんな罰ゲーム、誰が引き受けようか。

 

 仮にお前以外の人間がやってきても艦娘たちが従うのか? 無理だ、お前と言う前例を越えられる奴なんているわけがない。

 

 万が一に艦娘が従ったとして彼女たちを守れるか? 有り得ない、此処はお前だから今の現状を保てているんだ。より良くなる補償は無いに等しい。

 

 

 端的に言おう、お前がやろうとしていることはお前が守ろうとしているものを壊すことに等しいんだよ。それに考えてみろ、これはお前の御伽噺、お前が主役なんだ。物語の途中で主役が退場するなんて、許されるわけがないだろうが。

 

 

「なんて言った手前なんだけど、それは逆効果だって分かってる。分かっていると言うか教えられたと言うか……頼まれたと言うか。とにかくそれが墓穴を掘ることだってことは理解している。でも『守りたい』のは本当で、違うのはその手段(・・)だ。そして、さっき言ったことは最終手段。もしお前が受け入れてくれなかった時(・・・・・・・・・・・・・・・・・)の、な」

 

 

 その妙な言い回しに、俺は再び楓を見る。そこに居たのは楓である。だけど、それは楓ではない(・・・・・)。正確に言えば、今までのヤツではない。

 

 

 

 

「力を貸してほしい(・・・)

 

 

 そう、楓が力強く言い放った。そして、その言葉を発したのは楓個人(・・・)でも提督(・・)でもない。まして『提督』と言う身分不相応の地位を押し付けられた、ただの落ちこぼれでもない。

 

 

「さっき言った通り、俺が出来ることは少ない。そしてお前が此処にやって来た時に言った『戦果を上げる』なんてのは俺じゃ―――――俺だけ(・・・)じゃ無理だ。だからお前の力を、兵棋演習で見せてくれた(・・・・・・)お前の指揮能力、常套手段や奇策、言い方は悪いが小手先の策も、全体を見渡した戦略の構築、その他諸々含めて『戦果を上げる』(それ)を達成しうるための全体構想(グランドデザイン)を描く手伝いをお願いしたい。本来、提督として振る舞う筈だったその才能を、どうか貸してほしい」

 

 

 そう言って、『ソイツ』は再び頭を下げる。その姿は、脇役以下()に懇願しているとは言えないほど堂々としていた。そこに付いている『提督』と言う肩書が、なんとも粗末な(・・・・)モノであろうかと思えた。

 

 

 

「俺には、提督は愚か『艦娘を守りたい』なんて大層な夢を叶えられるほどの力量を持ち合わせていない俺には――――――」

 

 

 その言葉を、俺は心の中で吐き捨てた。嘘をつけ、戯言を言うな、どの口が言っている、誰がそんなことを言っている、何様のつもりだ。なぁ――――――

 

 

 

 

「お前が必要なんだ」

 

 

 そう、『ソイツ』は――――――――この物語の主役(・・・・・・・)は顔を上げ、俺の目を真っ直ぐ見据えて言い切った。その目に一切の迷いも、淀みも、先ほど揶揄した短慮もない。

 

 あるのは『自信』――――何も出来ない自分だけでは無理である、そのために俺の力を借りなければならない、己の夢を叶えるために俺が必要であると信じて疑わない、何とも情けない自信(・・・・・・)だ。

 

 楓は紛れもなく主役である。だがその実、中身は脆い。一度触れてしまえば崩れてしまうかもしれない、小突いただけで壊れてしまうかもしれない。それをヤツは知っている。むしろ、その弱点を逆手に取っている。その弱点を補うために周りに――――俺に助けを乞うているのだ。

 

 そして今、俺は――――『脇役以下』は助けを乞われた、『必要』だと言われた。退場劇も無理矢理延ばした悪あがきも終え、あとは誰にも見えない所でひっそりと消えるはずだった『汚れ役』は。

 

 お門違いな嫉妬を向け、心底忌み嫌い、脇役たちの目前で醜態を晒させた筈の主役にまた自分の御伽噺(舞台)に立ってはくれないか? そう誘われたのだ。

 

 

 そう、救われてしまった(掬われてしまった)のだ。

 

 

 なるほど、確かに艦娘たちの気持ちも分かる。自分を救ってくれた筈の恩人がこれでは支えたくもなる。恩人自身が前を向かず、且つそこから立ち上がろうとも歩き出そうともしない。ただ周りを立たせて、歩き出すその後ろ姿を座って(・・・)見ているだけなのだから。

 

 歩き出せたヤツは後ろで座り込む恩人に近付き、その手を取る。何を座っている、一緒に行こう、と。そしてなんとか立ち上がらせようと、一人一人と傍に集まってくる。老人や老婆、果ては犬や猫まで駆り出されて引き上げられる、あの大きなカブのようではないか。

 

 

 さて、これはどうしたものか。周りにはヤツをなんとか引き上げようと躍起になっている艦娘が数人見える。そしてヤツは彼女たちの方を見ることなく俺に顔を向けている、自分を差し置いて俺に立ち上がれと急かしてくる。そんな間抜けな光景が広がっているのだ。

 

 このまま艦娘たちと一緒に引き上げるのか、はたまたこれを放置して離れていくのか、選択肢は無数に存在する。

 

 

 

「それはあれか? 『毒を食らわば皿まで』ってことか?」

 

 

 それを見定めるために、いやこれは『汚れ役』として、ひねくれものとしての足掻きである。

 

 俺と言う毒を鎮守府内に入れてしまい、そしてここを潰すには十分な程の失態を犯してしまった。このまま野放しにするのは危険だからいっそのこと自陣営に取り込んでしまえ、と言う腹積もりなのかもしれない。俺なら、そう考える。何故なら今のアイツの立場上、これが最も安全な解決策だからだ。最も、その言葉の前に『小手先の』と付くかもしれないが。

 

 

 

「へ?」

 

 

 そして、その問いに答えは無かった。正確には俺の問いを理解していないと言ったところか。つまり、そんなこと考えもしなかった(・・・・・・・・)、そんな結論と共にアホ面を晒す主役、と言うにはいささか威厳が足りない(カブ)が居た。

 

 

「何でもない、気にするな」

 

「え、あ、うん……」

 

 

 俺の言葉に生返事を返す。恐らく問いの真意を測りかねているのだろうか。ホント、そういうところが『落ちこぼれ』なんだよ。

 

 

 そう心の中でため息を溢した時、ふととある艦娘たちのことを思い出した。

 

 

「お前、榛名のことはどう思っているんだ?」

 

 

 俺の問いに、思案に暮れていた楓の顔に何故か哀愁が漂い始める。その変わりように目を丸くしていると、ヤツは疲れた様な声色で話し始めた。

 

 

「えっと、正直どうすればいいのか分からないんだ。いや? 秘書艦とかよくやってくれるし、手際も良いからめちゃくちゃ助かってはいる。好ましい形じゃないけど、榛名のお蔭で他の艦娘との距離も縮まっているのは確かなんだ。ただ、なぁ……」

 

 

 そこで言葉を切った楓は何処遠くを見るように、そして申し訳なさそうにこう続けた。

 

 

 

「無理、させちゃってるんだよなぁ」

 

 

 その言葉に、俺は特に驚きもしなかった。それは何故か、身を持って知っている(・・・・・・・・・・)からだ。

 

 

「榛名が俺に近付く時、大概無理してるんだよ。多分俺と艦娘の溝を早く埋めるためだと思うけど……背負い過ぎと言うか、別にそこまでしてくれなくてもいいよ、ってところまでやってくれるからさ。しかもそれがやりたくてやっているようには見えなくて、どちらかと言えばやりたくないこと(・・・・・・・・)を無理してやっているようにしか見えないんだ。それも最近は特に顕著になってきたと言うか、周りの艦娘たちと話せるようになってから一気に増えたと言うか……」

 

 

 楓の言葉に、俺は心の中でその言葉を否定した。違う、そうじゃない。そうじゃないんだ。ズレてるんだ、お前らは。

 

 榛名も―――――いや戦艦榛名となった『彼女』もまた主役によって救われた一人なのだろう。だが、彼女は救われた存在ではなくその先を、『汚れ』以上を欲したのだ。主役を支える存在、主役の傍に、最も傍に居る存在、所謂『メインヒロイン』と呼ばれるとても大きな役を欲したのだろう。それを欲したために彼女は主役に近付こうとしている。それが身分不相応だと言うことを知らずに、いや知っていてもなお近づこうとしているのだろう。

 

 そして案の定(・・・)、楓は彼女を他の『汚れ』たちと同じようにしか見ていない。彼女の言葉通り、一度救い上げて、前を向かせたと思い込んでいる、もしくはその自覚すらないのだろう。だから榛名が此処まで献身的に、無理をしてまで尽くしてくれる現状に戸惑っているのだ。

 

 片方だけが相手の真意を知ってなお無理して(・・・・)近づこうとしている。それは相手の為でもなく、ただ自分がそうなりたいがために。そしてもう片方は真意が分からない、その不自然過ぎる行動が本来なら見えるべきモノまでも曇らせてしまう。これでは堂々巡りも良いところ、悪化することはあれど改善は絶対にしないだろう。

 

 

 それを彼女は知っているのか。いや、そもそも彼女自身(・・・・)も見えていないのではないだろうか。

 

 

 

「話の腰を折って悪いんだけど……実は俺も気になるヤツが居るんだ」

 

 

 そんな俺の尻目に、今度は楓がそう声を上げる。その顔は主役のそれではなく、カブ頭と笑い飛ばしてしまうほどに情けない顔だ。そして、その口から一人の艦娘の名が出た。

 

 それに俺は驚かず、むしろ予想通りであった。だって俺が思い出した艦娘たち(・・・・)の中に、彼女の名前があったからだ。

 

 

 

 

 

「『天龍』の……あの、初日にあった軽巡洋艦たちの件なんだけど」

 


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