新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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『悪役』の役目

「だから」

 

 

 そこで、私の言葉が途切れた。誰かが口を挟んだわけでもない、私自身がその話を打ち切ったのだ。突然、黙り込んだ私に周りの視線が集中する。一つは黙り込んだ私を真顔で見つめる提督の視線、もう一つは黙り込んだ私を、もしくはそれ以前から苦虫を噛み潰した顔を向けてくる天龍ちゃんの視線。

 

 

「だから、何だ?」

 

 

 そしてもう一つは、黙り込んだ私をまるで何事も無かったかのように、もしくは慣れた(・・・)ように続きを促してくる憲兵の視線、そして言葉、最後にその表情。

 

 

 何処か懐かしむ(・・・・)ような表情だった。

 

 

 

「だ、だから……」

 

 

 その表情に私は先ほど吐き出した言葉をもう一度溢し、そして再び打ち切った(・・・・・)。今度こそ、誰もが困惑の視線を送ってくるだろう。同じところで二回、それもそこから初めてすぐである。息が続かなかったや話し疲れたなどの言い訳は通用しない。

 

 では、何故そこで打ち切ったのか。それ以降に続く言葉が無かったからわけでもなく、その言葉が見当違いなものでもない。今までの私を総括し且つ端的にまとめて、更にこれ以上に私を表現した言葉はないと言えるほど、決して否定されず、絶対に肯定されるであろう言葉を用意していた。

 

 

 だからこそ、出したくなかった(・・・・・・・・)のだ。

 

 

 

「質問を変えよう。お前がやってきたこと(・・・・・・・)は何だ?」

 

 

 それを憲兵は見抜いていた。だからこそ質問を変えた、ありとあらゆる言い訳で塗り固めた私の言葉を、ずっと口にはせずに心の中で何度も言い放った言葉を、誰にでもなく自分(・・)に向けて吐き捨てていた言葉を。

 

 それを引っ張り出すために、口にさせるために、対外的に認めるために。自己完結していた、自己嫌悪していた、誹謗中傷に乗せ、散々に投げ付け、踏み付け、押し付けていたそれを。

 

 

 今もなお犯し続けている最大級の罪(それ)を。

 

 

 

 

()の……ただの……我が儘、です」

 

 

 遂に私はそれを口にした。絶対に肯定させるであろう、肯定される(・・・・・)ことを頑なに避け続けた、一つ(・・)の肯定で私の全て(・・)を否定してしまう言葉を、自己完結と言う枠組みにずっと押し込めていた事実を、夥しい数の虚言、戯言、雑音、曲解によって作り上げられた―――――

 

 

 (咎人)の首に下がっている、咎人()が書き綴った断罪文だ。

 

 

 

 

「そうだ。お前のやってきたことは、全部(・・)我が儘だ」

 

 

 その言葉を憲兵は全肯定―――否、それを持って私の全てを否定したのだ。

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、体温が下がった。心臓を掴まれた様に胸の奥が痛んだ。呼吸を忘れ、血の気も引き、目の前に、真っ向から、容赦なく、躊躇なく、一切合切全てを無に帰する。私の身体を、精神を、心を、私を構成する全ての要素を全否定だ。

 

 そうなると分かっていたから、出したくなかったのだ。是が非でも避けたかった、誰にも否定されたくなかった、犯してしまった罪の全てを私の中だけで落とし込み、人目に触れぬようひた隠しにすることで、これ以上傷を増やしたくなかった。

 

 

 だが、()にはそんなことなど関係なかった。

 

 

「何の関係も無い部外者が『可哀想だから』というだけで加害者を糾弾するのと一緒だ。もしかしたら被害者側にも何か落ち度があるかもしれない、加害者がそれに及んでしまった深いわけがあるかもしれない、そういった詳細を知らず勝手に抱いた思い込みだけで加害者を徹底的に叩きのめす。酷いときはあることないことを付け加え事実とは全く無関係な加害者像を作り上げ、それが部外者(自分たち)が加害者を攻撃する『正当性』と高らかに掲げる。その下にあるのは『安全圏から誰かを攻撃したい』という醜悪な欲望だ。それを『正当性』という紙に包んで投げ付けて、当たっただの外れただのと楽しんでいる(・・・・・・)だけ。それと何が違うのだ?」

 

 

 彼の言葉、それは今まで私がしてきたことの全て(・・)だ。彼は先ほど私の全てを否定しておいて、今度は私の全てを言い当てた。当たり前だろう、何せ彼が今発しているのは彼自身の言葉ではなく私が話した事なのだから。咎人がしたためた罪状を一つ一つ読み上げているだけなのだから。 

 

 同時に、彼はその一つ一つを私目掛けて投げ付けてくる。それらは私に触れ、絡みつき、固まり、そのまま枷となる。何もかもが私の身体に触れ、当たって、痛みを与えて、枷となり、動けなくする。

 

 差し詰め、此処は処刑場。私は受刑者、彼は執行人、そして現在進行形で罪状を読み上げている。一つの読み上げる度に私の身体に罪と言う名の枷をはめている最中だ。それはこの場から逃げられないようにするため、今までの罪をここで清算させるためだ。

 

 

「仮に被害者がそこに口を挟んだとしよう。自分はそんなことをされていない、それは言い過ぎだ、事実無根の虚言だ。しかし部外者はその言葉に耳を貸さない、何せ両者の目的は根本的に違うからだ。被害者は加害者にある程度(・・・・)の罰を与えればいい、つまり納得できるまでとの際限がある。だが、ただ攻撃したい(・・・・・・・)部外者には際限(それ)が無い。有るとすれば『飽きたら』なんていう身も蓋もないモノか……だから事態は収束することなく、加害者は何時まで経っても晒しもの、被害者は何時まで経っても体のいい神輿、両者は常に部外者の掌で転がされることとなるわけだ。まぁ、お前らの場合は加害者と部外者が同一人物(・・・・)と言う特異性があるが」

 

 

 そこで執行人は言葉を切った。同時の彼から―――――――本物の部外者(・・・・・・)からの視線を感じる。見ているのだ、私を。足枷、首枷、腕に手に腹に髪―――――ありとあらゆる枷を身にまとい、ただ茫然と立ち尽くす受刑者を。

 

 改めよう、憲兵()は執行人ではない。彼は部外者だ、執行の時を今か今かと待ち望んでいる野次馬だ。だからこそ、彼は好き勝手言える。だからこそ、奴は容赦なく言える。だからこそ、コイツは一切の慈悲なく加害者を徹底的に叩きのめすことが出来る。

 

 その言葉が私を押し潰そうとしても、私を支えているものを延々踏み付け続けていても、それで私がどうなろうと、知ったこっちゃないのだ。

 

 

「要は、お前は自らが犯した罪を肩代わりさせてしまった。その罪悪感を少しでも払拭するためだけ(・・)に、こいつにかかる負担の全てを肩代わりし続けている(・・・・・・)わけだ。全くもってくだらん……いや陰湿(・・)だな。部外者(自分)が許せないから加害者(自分)を責めて、それを強いる正当性だけを被害者(他人)に押し付ける、しかも自分が納得する気もなければ飽きる気配もない。自己完結しか出来ないくせに完結しようとしない、堂々巡りの末がまさかの自傷行為……全く、押し付けられた奴は本当に気の毒だ」

 

 

 最後に付け加えられたそれに、私の身体は大きく震えた。それは何故か、彼の前口上が終わったからだ。罪状の全てを読み上げ終えれば、その次に待っているのはもう刑の執行しかない。そして、その刑を執行するのは部外者ではないもう一人――――被害者だ。

 

 『やられたらやり返す』――――その言葉通りに加害者は被害者の手によって刑を受ける、罰される。これほどまでに真っ当な裁判はないだろう。しかも、私が最も避けたかった―――――『最大級の罪を被害者の手を持って受ける』である。誰もが口を挟むことも無く、誰もが納得する結末だ。

 

 

 だが一人だけ、(加害者)だけは納得しない。展開だけを見れば彼女だけが糾弾され、天龍ちゃんには何も降りかからない。全て予定通りであり、望んだものそのものである。だけど、それを前にして納得しない加害者。

 

 望んだ展開なのに、それが自らではない誰かの掌で転がされたものだと知っているから。今までが全て自らの掌だった故に結末も落ちも思うままだったのが、誰かの手に渡ってしまえばどこにどう転ぶか分かったものではない。更に言えば今回は優しいお姉ちゃんではなく、全くもって関係の部外者が握っている。そして、今しがた目の前にしている最低最悪の展開へと舵を切ろうと、いや切ってしまっている(・・・・・・・・・)

 

 

 ずっと掌で転がし続けた代償が、ツケが回ってきた、そう落とし込めばいいのに。それに慣れてしまったためにいざそこに放り込まれる恐怖を、初めて(・・・)恐怖を前に己の外聞を捨てて泣きじゃくる、愚かな我が儘な妹に。

 

 

 お姉ちゃんからの全否定(最大級の罰)を受ける、そんな最低最悪(最高)の結末を。

 

 

 更に付け加えよう、被害者は以前から何度も私に語りかけてくれた。それは怒号でも罵声でもない、裁判において何の意味を持たない言葉をずっとかけ続けてくれた。

 

 そして、それから私はずっとずっと背け続けた。向けられた顔も、かけられた言葉も、差し出された手さえも無視し続けた、時には気付かないフリをした、振り払いもした、してしまった(・・・・・・)

 

 やがて、それはいつの間にか私の前から消えてしまった。見えないフリに徹する私の視界から、本当に見えなくなってしまった。

 

 

 それが意味するコト、『こんな妹、ほとほと愛想が尽きた』ということだ。

 

 

 

 

「なぁ、そう思――――――」

 

 

 そこで、部外者の言葉は途切れた。

 

 同時に、いつの間にか低くなっていた私の視界。部外者の言葉によってその場にへたりこんでしまっていた私の前に、彼女(・・)は現れた。

 

 

 

 

「黙れっつってんだよォ!!!!!」

 

 

 そんな勇ましい咆哮を上げ、へたり込む私に背を向け、いつの間にか大きく振りかぶっていたその腕を、その先で固く握りしめられた拳を前に――――部外者の頬に思いっきり叩き込んでいたのだ。

 

 大胆に振りかぶられた腕に引かれ、その制服がフワリと揺れる。その隙間からスラリと伸びる足は何故か(・・・)震えていない。制服に包まれたその背中も、挙動不審に忙しなく動いていたその頭も。『何故か』、そうではなかった。

 

 次の瞬間、けたたましい騒音と共に部屋が揺れる。一人の成人男性が勢いよく床に叩き付けられ、転がったのだから当たり前だろう。だが、それもほんの一瞬で終わる。残ったのは沈黙ではなく、一つの荒い息遣い。

 

 その息遣いはいきなり動いたことで出遅れた身体を待つためのものではなく、今にも飛び出してしまいかねない言葉を押し留めるためのものだ。故に、その息遣いは瞬く間に消えていった。同時に、それ(・・)は次の言葉を吐き出した。

 

 

「これ以上俺の―――――いや、あたしの妹(・・・・・)を責めんじゃねぇ!!!!」

 

 

 

 そう、『それ』は―――――――私を守る様に立つ天龍ちゃんは、そう言ったのだ。その身体は、声は、彼女が醸し出す殺気は、一切微動だにしない。そこにいつも(・・・)の彼女は、私が守るべき『弱い天龍ちゃん』は、況してや『艦艇の天龍』はいない。

 

 

 

「おねぇ……ちゃ、ん……」

 

 

 龍田()の口から漏れた『それ』―――――――初めて出会った筈の、悠久の時を経て再会した、『本当の姉』が居たのだ。そして、私の漏らした言葉を聞いた天龍ちゃん(お姉ちゃん)が浮かべていたのはどんな顔だったか、龍田()には見えなかった。

 

 

「お前の言った通り、あた……()は被害者だ。それは初代にキズモノにされたこと、そして妹に自傷行為を強いるための理由にされたことにただ指を咥えて見るだけで、今もなお祭り上げられている。お前から見れば、俺も(・・)哀れな被害者だろう。だけど、それは一概に俺が『弱い』からだ。俺が弱かったから今も傷を引きずり、そのせいで妹に背負わなくてもいいものを背負わせちまった。だから(・・・)……」

 

 

 まるで一つ一つ絞り出すようにお姉ちゃんは自分に責任があると、自ら犯した罪を語り始める。その語気は憲兵を殴り飛ばした際の荒々しさを孕みつつも、言葉を吐き出すごとに徐々に小さく、弱くなっていく。そして、()と同じ場所で打ち切った。

 

 

「……だからあの時、妹がお前にやっちまったことも一重に『弱い』俺を守るため、ひいては俺の責任だ。それだけじゃない、さっきお前に切りかかったのも、提督を海に叩き込んだのも……全部、全部俺の責任だ。俺が弱かったせいだ。だからどうか妹を責めないでくれ」

 

 

 だけどお姉ちゃんは、私と違って強い(・・)お姉ちゃんは、ちゃんと自分でその続きを引き出した。その続きを引き出し、その全てを認め、また(・・)『肩代わり』をした。しかし今の私に、弱い(・・)妹にそれを止める術はない。

 

 

 あぁ、これじゃあまた、振り出し(一緒)じゃないか。

 

 

 

「だ、だから!! 責めるならそれを強いちまった俺に……可愛い妹すら守れない弱いままの姉に!!」

 

「阿呆」

 

 

 勢いよく捲し立てるお姉ちゃんの言葉を一蹴したものがいた。それは彼女に殴り飛ばされた憲兵だ。しかし、その言葉に怒りは感じられない。更に言えば彼は自らの頭から離れた帽子に手を伸ばし、まるで何事も無かった(・・・・・・・)かのように埃を払っていたのだ。

 

 

「全く、『此の妹にして、此の姉あり』か」

 

 

 そう愚痴のような言葉を溢し、憲兵は埃を払い落とした帽子を深々と被り直した。その際、真っ赤に腫れ上がる頬が映る。そして「おっと……」と言葉を溢しながら彼はフラフラと立ち上がった。それは、つい先ほどの一発による影響だととれる。

 

 

「天龍、さっきの話を聞いていなかったのか? 今回は加害者が『部外者面』して自分を糾弾し、それを被害者に押し付けただけ、言わば加害者の独りよがりだ。そして、今お前はその『責任』とやらを全て(・・)被ろうとしている……今のお前はどっち(・・・)だ? お前ら(・・・)、いい加減『部外者面』するのはやめろ」

 

 

 ふらつく身体のまま、憲兵はお姉ちゃん(天龍ちゃん)に、いや()に。違う、姉妹(私たち)に向けてそう問いかけた。『責任』を全て被ろうとするのはどちらの立場なのかと、『部外者面』をするなと。

 

 

 

 

「もう、飛べるんだろう?」

 

 

 その時が初めてだろう。こんなにも柔らかい(・・・・)、こんなにも温かい(・・・)、まるで妹を見るような表情の、そう優しく(・・・)語り掛ける憲兵を見たのは。

 

 

 

「たつたぁ……」

 

 

 次に聞こえたのは天龍ちゃんの声だ。そして目の前にあったのは、涙でぐしゃぐしゃ顔を惜しげもなく浮かべて私に抱き付くお姉ちゃんだった。

 

 

「もう、背負わないでくれ……」

 

 

 泣きそうな声で、泣きそうな顔で、お姉ちゃんはそう語り掛けた。なのにその手は、私の頭を撫でるその手は弱さなど感じない、初めて出会い、手に入れた手段(もの)全てを駆使して泣き喚く私に差し出してくれた手と同じだった。

 

 

「俺が弱いせいで、余計なものまで背負わせたのは本当に悪かった……だけど、もう大丈夫。今の提督はそんなことしないし、誰も強要しない、もう昔のことなんだ。だから、もうあの頃に縛られないでくれ。あの頃の俺はもう居ない、あの頃のお前ももう居ない、今のお前があの頃に背負わされたものも、もうとっくの昔に消えてるんだ」

 

 

 その言葉とともに、お姉ちゃんは私を抱き締め、その頭を撫でてくれた。まるであの時と同じ、初めて出会った時と、そして私の『肩代わり』をした時と同じだ。

 

 しかし、その時とは違う。今、彼女は私を否定してくれた。あの時は肯定も否定もせず、ただ誤魔化しただけの彼女が。今はハッキリと、しっかりと否定(・・)してくれた――――『必要ない』と肯定(・・)してくれたのだ。

 

 

 加害者(咎人)が必死に書き連ねた断罪文を、被害者(執行人)がその手を持って破り捨てたのだ。

 

 

 

「それでも、まだ背負わなきゃって思うなら、それは俺が弱いせいだ。なら俺が強くなればいい、お前が安心できるくらい強くなれば……いや、なる、必ずなる、なってみせる。だから、もう背負わなくてもいい、もう守らなくてもいい」

 

 

 その次に発せられた言葉。それは私が今のままでずっと背け続けた、無視続けた、もう二度と向けられないだろうと思っていた言葉―――――――否、ずっと向けてくれた(・・・・・・・・・)言葉。

 

 

 

「もう、良いんだよ」

 

 

 それを受けて、いやそれ以前に受け続けたその言葉が、もう、既に、とっくの昔に、私の『肩代わり』が終わったことを教えてくれた。

 

 

 加害者(咎人)の身体に下がるありとあらゆる枷を、執行人(被害者)がその一言を持って終止符を打ったのだ。

 

 

 

「っぁ」

 

 

 その後、私の口から漏れたのは言葉だったのか、声だったのか、音だったのか、それは分からない。何故なら、それはほんの一部(・・・・・)だからだ。

 

 龍田が人の器を得た様に、得たもの全てを持って表現した様に。私は意志を、感情を、声を、涙を、用いることのできるモノ全てを持って、『私』と言う人間を表現した。

 

 対してお姉ちゃんはそんな私を、あの時と同じく泣き喚く妹をただ抱き締め、優しくあやしてくれた。手慣れた様に、且つ懐かしむように、私の頭を撫でてくれた。

 

 

 自分勝手な我が儘は既に優しいお姉ちゃんが受け入れていたことを、()は知った。それも、お姉ちゃん(被害者)でも(加害者)でもない。

 

 

 

 『とある部外者』の手によって。

 

 

 

「手のかかる妹だ」

 

 

 そう、何処からか声が聞こえた。同時に、私を抱き締めていたお姉ちゃんの身体が動く。正確には私の身体を抱き締めていた腕が離れ、それは何かを掴んだ。

 

 

「なんだ?」

 

 

 その『何か』とは、黒い制服の裾だ。そして、それを身を包み、私たちの横を通り過ぎようとしていた()はそう言って立ち止まった。

 

 

「……まだ、お前を殴ったこと、終わってない」

 

「ほう」

 

 

 そう、鼻声で呟くお姉ちゃん。その言葉に憲兵はそう溢しながら小さく笑みを浮かべた。その表情、その言葉、そこに込められた意味、それら全てをひっくるめた答えが出た。その瞬間、私は天龍ちゃん(・・・・・)を抱き締め、彼から引き離そうとした。

 

 

 

「「そこに居ろ」」

 

 

 だが、同時に投げかけられた一つの言葉。それは意味も言葉自体も同じであるが、それが飛び出したのは違う口―――――『お姉ちゃん』と『憲兵』の口から、異口同音に飛び出したのだ。

 

 

「理由はどうあれ、俺は憲兵殿を殴った。その落とし前をつけてくれ」

 

「『つけてくれ』ということは、『俺にして欲しい』ってことか。で、お望みは?」

 

「……望むもクソも、此処(・・)では一つしかないだろ」

 

 

 憲兵の言葉にお姉ちゃんはそう吐き捨て、固く目を瞑り頬を差し出した。その差し出された頬が意味することは、鎮守府(此処)にいる誰もが知っている、知らなくても今しがた私が語って聞かせた。今この場でそんなもの知らない、と言ったところで嘘を付くなと言われるだけだ。

 

 それを心得ている、いや心得ている筈の憲兵は頬を差し出すお姉ちゃんを―――――次に襲い掛かるであろう衝撃と鈍痛に身体を震わせている彼女を黙って見つめるだけだった。

 

 やがて、その片手が動いた。それはゆっくりと上に持ち上がり、彼の肩を、顔を、その頭よりも上に掲げられる。後は、その力なく揺れている指を折りたたみ、渾身の力を込めて差し出された頬に振り下ろすだけ。

 

 

 それで、終わる筈(・・・・)だ。

 

 

 

「楓」

 

「あいよ」

 

 

 次に聞こえたのは、唐突に植物の名前を口にする憲兵の声。そして、その声に待ちくたびれたとでも言いたげに返事をした提督の声だった。

 

 次に見えたのは、返事をした提督が今まで身を置いていた執務机の陰から何かを取り出し、それを憲兵に向けて放り投げた姿だった。

 

 次に現れたのはパシッと言う軽い音と共に提督が放り投げたそれを掴み、今もなお固く目を瞑るお姉ちゃんに差し出す憲兵の姿だった。

 

 

「ぇ?」

 

 

 いつまで経っても拳が来ず、かつ見えない視界の中で二人のやり取りを聞いていた天龍ちゃんは素っ頓狂な声を上げ目を開き、差し出されたそれに視線を落とした。

 

 

「何、これ」

 

「どう見ても、竹刀だろ」

 

 

 何処か呆けた顔でそう問うお姉ちゃんにさも当たり前のように言葉を返し、今しがた口にしたそれを―――――差し出している竹刀の柄を軽く揺らす憲兵。その姿に、そしていきなり差し出された竹刀に開いた口がふさがらない彼女を見て、彼は何処か小馬鹿にする顔を浮かべた。

 

 

「生憎、憲兵()は陸軍畑。何でもかんでも鉄拳で済ませる野蛮な奴らと違って、迅速で効率よく、スマートに物事を進めるのがモットーだ。確か、天龍型の艤装には得物があったはずだろ? 実はちょうど(・・・・)剣術鍛錬の相手を探しているところでな……お前にその相手をさせれば俺は鍛錬が出来る、そして『相手をさせる』と言う罰を与えることが出来る。まさに我ら陸軍のモットーに則した、理想的な解決案だ」

 

「で、でも……」

 

 

 流水の如く現れる憲兵の言葉に、お姉ちゃんは言い淀む。彼の言っていることは間違ってはいない、筋も通っている、まさに諸手を上げて賛成できる、都合の良い解決案だ。彼女はそれが、それほどまでに都合よく整い過ぎた彼の言い分が恐ろしいのだ。都合の良い話の裏には必ず何かがある、そう疑わざるを得ないのだ。

 

 

 

「強くなりたいんだろ?」

 

 

 だが、その()を憲兵は惜しげもなく披露した。確かに、都合の良い話だ。表は憲兵にとって、その裏はお姉ちゃんにとって。互い都合を絶妙に組み込み、落とし込んだ、これ以上ない完璧(スマート)な解決案だ。

 

 

「そう、だな……良い(・・)な、それ……めちゃくちゃ良い!! 最ッ高じゃねぇか!!!!」

 

 

 その言葉に、そして掲示されたその意味を咀嚼し、呑み込み、落とし込んだ彼女の顔に、いつもの虚勢は無い。

 

 

 そこにあったのは、『とびっきりの笑顔(太陽)』だった。

 

 

 

「いこう!! 今すぐいこう!! なぁ、すぐやろうぜ!!」

 

「ちょ、ちょっと待てって」

 

 

 興奮した様にはしゃぎ、憲兵の袖を掴む天龍ちゃん。ほんの少し前、そんなことをすれば身を震わせ、腰砕けになっていた筈なのに、そんな姿を感じさせない程に彼女が浮かべる笑顔は美しかった。そんな彼女に袖を掴まれ、ズルズルと引き摺られる憲兵の顔には、何処か懐かしむような表情を浮かべている。

 

 

 

龍田(・・)

 

 

 そんな彼からいきなり名前を呼ばれる。それに思わず身を震わせ、涙で腫れた目を彼に向ける。そんな私を見つめ返す彼の顔は、憲兵ではなかった。

 

 

「お前も、飛びたくなったら来い」

 

 

 泣き疲れた妹をあやす、そんな『兄』の顔だった。

 

 

 それだけ言い残し、彼は出て行った。その姿に、そして言い残した言葉に、私はただ茫然とするしかない。いきなり向けられた『飛びたくなった』との言葉。ぱっと見、いきなりそれを向けるのは不自然だ。しかし何となく、何となくだが、そのニュアンスは辛うじて受け取れた。

 

 

「いや、分からないだろ」

 

 

 しかし、それを察せないだけでなく何とも無神経な言葉を溢した存在が居た。それに私は目を向けることなかったが、何故か『不快』と言う感情が芽生えた。

 

 

「『空気』の癖に読めないんですかぁ?」

 

空気(それ)に徹するだけで精一杯だったからな」

 

 

 思わず漏れた毒づきに、提督は皮肉を込めてそう返してきた。その言葉に、私は改めて彼に目を向ける。そこには、ずっと座り続けていたがために固まった腰を叩く、何とも情けない我らが提督が座っているだけだった。

 

 

「と言うか、あの人に色々吹き込んだのは提督ですよねぇ? 場合によってはその舌を切り―――」

 

「負け惜しみにしか聞こえないぞ」

 

「うっさい」

 

 

 なんとかこちらにペースを持っていこうとするも、的確に図星を突かれて思わず反論してしまう。それにしたり顔を向けてくる彼に更に『不快』になり、思わずそっぽを向いた。

 

 

「あいつな? 天龍を『鳥』に例えたんだ」

 

 

 そんな私を無視して、いや話す気がないことを察してか、提督は独り言のように語り出した。その声に耳を塞ぎたくなったが、そうしてしまえば彼の思惑通りになってしまう。それだけは何とか逃れたかったから、聞こえないふりに徹した。

 

 

「鳥は飛べなくなるほど深い傷を負い、同時に飛ぶことを怖がるようになった。そんな鳥を見て、飼い主(・・・)はこれ以上怖い思いをさせまいと甲斐甲斐しく世話をし、何時しか鳥かごに閉じ込めるようになった。でも鳥は飛ぶことが本能の一つだ。だから―――――」

 

 

 その後続いた言葉に、私は聞こえないふりをしながら心の中で何故か(・・・)安堵していた。それは、今しがた提督が話したこと――――あの憲兵が話した例え話が、私が辛うじて受け取ったニュアンスと、全く一緒(・・・・)だったからだ。

 

 

 

「いくら怖くても、飛びたくない(・・・・・・)わけじゃない」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「で、何処でやる? 工廠前か? 広場か? 俺、実は良い場所(とこ)知ってんだよ!! そこにするか!? なぁ!?」

 

 

 俺の後ろからついさっき泣きじゃくっていたとは思えないほど明るく、心底楽しそうな声が聞こえてくる。チラリと振り返ってみると、先ほど手渡した竹刀を遊ばせながら満面の笑みを浮かべる天龍が軽やかな足取りでついてくる。まるで親の後ろを歩く雛鳥のようだ。

 

 まぁ、それはその姿と言うよりも、留まることなくあれこれ喋りまくる姿が忙しなく鳴く雛鳥にそっくり、と言った方が近いな。

 

 

「なぁ……なぁ!! 聞いてんのかぁ? おい!!」

 

「そう何度も叫ぶな、誰かに聞かれたらどうする?」

 

 

 叫ばなくても聞こえる距離で大声を出し、いまいち反応しない俺の背中を何度もバシバシ叩く。いい加減鬱陶しくなったので、視線を向けつつそう諭した。すると、天龍はすぐに叩くのをやめ、代わりに不貞腐れた顔を向けてくる。

 

 

「……んなの、お前が反応しないからだろうが。それに誰かに聞かれたって、問題ないだろ?」

 

 

 急にすね始めた天龍に、なかったらこんなこと言わないだろう? と言う言葉を向けかけたが、何とか飲み込む。今は時間が惜しい、悠長なことを言ってられない、そんな言葉が次々と浮かび、それらも同じように飲み込んだ。

 

 

「今日の鍛錬は中止だ」

 

「はぁ!?」

 

 

 それら全てをひっくるめて出た結論(・・)を、俺は口にした。すると案の定、真後ろから今日一番の怒号を浴びせ掛けられる。

 

 

「何言ってんだ、さっきやろうって言ったばかりじゃねぇか!!」

 

「俺は『やろう』なんて一言も言ってないぞ? 言い出したのはお前で、俺は『ちょっと待て』って言っただけ、一度たりとも同意してない」

 

「んなもの屁理屈だろ!! 第一竹刀を寄こした時点で言ったも同然だ!!」

 

「それこそ、お前の思い込みだ。それに俺の立場(・・・・)を考えてみろ」

 

 

 俺の言葉に、ようやく天龍は口を噤んだ。やっと察してくれた、と言うべきか。今の俺に、さも親し気に接することがどれほど危険なことなのかを。

 

 

 今、俺はこの鎮守府に居る殆どの艦娘から『敵』と認識されている。昨日、大勢の前であれだけのことをやらかし、最終的にはその場にいた艦娘全員から砲門を向けられた。その場は長門のお蔭で切り抜けられ、更に俺が必要だと言った楓のお蔭で出会い頭に砲撃、と言う事態は避けられている。正直、今も近くに天龍が居るから飛んでこないだけだ。

 

 そして、そんなあからさまな『敵』に一人の艦娘が親しくしていたとする。それを見た周りはどう思うだろうか。少なくとも、良い印象は持たない。最悪、裏切り者扱いされかねない。此処は鎮守府、そして彼女は深海棲艦に唯一対抗できる艦娘。彼女たちが仲間割れをする、それはそのまま人類の敗北に直結するかもしれない。

 

 そんな愚を、深海棲艦側でもない限り犯せようもない。だから、俺と親しくすることは出来るだけ避けねばならない。そして、今この場を誰かに見られては非常に不味いのだ。

 

 

「だ、だったら……その立場を変えれば……」

 

「先ず変える理由が無いし、こっちの方が都合がいい(・・・・・)。それに今から変えられるとでも? それこそ気味悪がられるだけだ。それに……」

 

 

 そこで言葉を切る。同時に、今まで背を向けていた天龍に向き直り、おもむろに手を伸ばした。無言で伸びる先は天龍である。先ほどまで口うるさくのたまい、噛み付き、背中を容赦なく叩いていた、その顔に笑顔を浮かべていた彼女。

 

 

 そう、先ほど(・・・)まで。

 

 

 

お前(・・)が、まだ無理だろ?」

 

 

 今、俺の手が伸びる先にいる彼女に向けてそう問いかけ、その手に握られていた竹刀を掴む。掴んだ竹刀を引けば、恐らく面白いように彼女の手から離れるだろう。否、手だけではない。先ほどまで散々に捲し立てていた口も、俺の背中をバシバシ叩いてきたその腕も、俺の後を雛鳥のようについてきたその足も、何もかもがその場に縫い付けられた様に止まっているのだ。

 

 

 動いていたのは一つだけ。それは天龍の身体、小刻みに震える(・・・・・・・)その身体だけだ。

 

 

「…………っぇ」

 

 

 その口から音が漏れた。声ではなく音である、何故そう断言できるのか。それは彼女が声を発しようとして漏れたものではなく、全身の震えによって偶然零れ落ちたものだから。

 

 

 それが、今もなお彼女を蝕み続ける深い深い(トラウマ)であったからだ。

 

 

 大方、執務室でのあの態度はカラ元気だ。肩代わりをさせ続けた妹に対して、伝えたかったことを口に出来、そして俺の提案が自分の求めていることと合致したから、だからこそあの場は動けた。だからこそ俺の袖を掴み、外に出ようとした。妹にカラ元気だとバレる前に、一刻も早くあの場を後にしたかったのだ。

 

 どんな万能薬だろうと傷口を瞬く間に直すことは……いや、高速修復材(バケツ)があったか。しかし、あれも少なからず時間がかかる。そして、なによりトラウマ(彼女の傷)に対して微塵も効果が無いのだ。だからこそ、天龍は今こうして目の前で震えているのだ。

 

 だが、彼女の傷には万能薬がある。それは時間、または経験、そして彼女自身の強さだ。それは身体的な強さではなく、天龍型の性能でもない。天龍型一番艦、天龍となった一人の少女が持つ、人としての強さだ。そして、同時にその強さはいくらでも鍛えられる(・・・・・)

 

 

 そして、鍛えるのは誰でも(・・・)出来るのだ。

 

 

「鍛錬の日程はお前に任せる。お前のペースで、お前の都合で、お前が『出来る』って思った時でいい。その時は、キッチリ相手をしてやる。だから―――」

 

「何をしている?」

 

 

 不意に視界の外から声が聞こえた。その声色は明らかな怒気を孕んでおり、恐らくその艦娘は俺が天龍に何かを強要しようとしているように見えただろう。

 

 

 なら、都合がいい(・・・・・)

 

 

 

「何、こいつが以前提督の慰めモノになっていたと聞いたからな」

 

「ばッ!?」

 

 

 俺の言葉に、今しがた固まっていた天龍が声を上げる。同時にその艦娘から新たな視線を、尋常ではない殺気を向けられた。

 

 

「今すぐ天龍から離れろ」

 

「あぁ、邪魔者のせいで興が冷めた」

 

 

 ドスの利いた声を受け、俺は素直にその言葉に従った。掴んでいた竹刀をそのまま押し込み、竹刀ごと天龍を突き飛ばしたのだ。いきなり押された天龍は背中から床に叩き付けられ、それを前にしたその艦娘は―――銀色の髪を振り乱した駆逐艦は彼女に駆け寄る。

 

 

「今日はこのくらい(・・・・・)にしといてやる」

 

 

 そんな二人に向けて、そう様々意味に取れる言葉を吐き出した。すると二つの顔が同時に俺に向けられ、一つは信じられないと言う顔、もう一つは『敵』に向ける顔を。

 

 

 

「待っているぞ、天龍(・・)

 

 

 その二つの顔に向けてそう言い放ち、俺はクルリと振り返って歩き出した。その言葉に込めた意味は二つ、一つは天龍に向けた、鍛錬の相手になってくれるのを『待っている』と言う意味だ。もう一つは、これまた天龍に向けた、慰めモノ(・・・・)になってくれるの『待っている』と言う意味だ。

 

 勿論、後者のことなんか微塵も思っちゃいない。恐らくそれは天龍も承知しているだろう。だが、そこにいる駆逐艦はどうだろうか。恐らく、十中八九今の言葉を後者に取るだろう。それでいい、それでいいのだ。そう都合よく勘違いしてくれればいい。

 

 

 それこそが俺の狙い―――――楓の正反対(・・・)に立つためだ。

 

 

 

「楓に足りないもの、それは『冷徹さ』だ」

 

 

 天龍達の姿が見えなくなったところで、俺は独り言を漏らした。

 

 

 そう、士官が持つべきモノ中で一際重要な『何かを切り捨てれる力』である。そして、今、俺たちが立っているのは戦場、戦争の真っただ中だ。そして、戦争は得ることよりも失うことの方が圧倒的に多い。沢山のことを失って、何も得られなかったなんてザラだ。何かを得たとしても、失ったことを庇い切れずに最終的に何もかも失ってしまうことも、普通に有り得てしまう。

 

 そんな渦中に於いて、奴は何もかもを手に入れようとする。奴が握りしめている選択肢に『切り捨てる』が無いのだ。だからこそ身の丈以上のものを抱え込み、その手からこぼれ落ちようものならそれを拾おうと手を伸ばし、その視界の外で取りこぼしたものに気付かない。その結果、奴が本当に守りたかったものごと何もかもを失いかねないのだ。

 

 今はまだ辛うじて、本当に辛うじてだが保っている。それは一重に楓が救い上げた艦娘たちがいるからだ。彼女たちが周りに居て、奴が取りこぼしたものを片っ端から掬い上げているからだ。勿論、そうなったのは楓が『冷徹さ』を持たず、何でもかんでも手に入れるために己自身を惜しげもなく差し出したからだろう。その身を投じた献身に彼女たちは感化され、今は保っているのだ。

 

 だが、それもやがて限界が来る。その綻びは楓なのか、その周りにいる艦娘なのか、はたまた俺のように大本営から送り込まれる部外者か。それは分からないが、だが確実の何処かに綻びが生じるだろう。それは一度零れてしまえば取り返すことはまず不可能――――所謂、『覆水盆に返らず』と言うやつだ。

 

 

「それを補う役目がまさか俺とは……皮肉以外の何物でもないな」

 

 

 俺の役目はその綻びをいち早く見つけること、覆水を掬い上げる(・・・・・)ことだ。別に救い上げる(・・・・・)のは頂点に立つ提督であり、要は提督の目に映る範囲に覆水を持っていくこと、そしてその中で覆水の最大量を見極める――――そのまま捨てる水(・・・・)を計ることだ。

 

 それは奴がもっとも嫌うこと、奴の楽観的思考を真っ向から切り捨てる、場合によっては奴の周りにいる艦娘(誰か)を切り捨てる。彼女たちから見れば血の涙もない冷酷な選択肢を突きつけるのと同義である。

 

 故に、今の立場は――――その役目を担うには最適なのだ。冷酷非道な選択肢をあげ、それを強要させる。それを違和感なく行えるのは、『敵』に近しい存在なのだ。今しがた、あの目を向けられている俺にこそ相応しいのだ。

 

 

 あぁ、そうか。だから、それを担う存在のことを人々はこう呼ぶのだろう。

 

 

 

「『汚れ役』、随分と板に付いてきたもんだろ? なぁ、『語り部』さん?」

 

「……バレていたか」

 

 

 そう口に出し、俺は横に目を向ける。そこは天龍達が居た廊下から少しだけ離れた、誰も居ない筈の踊り場。だが、俺の言葉に応えるように彼女は―――――自身を『語り部』と称した艦娘は、曲がり角から気まずそうな顔を浮かべた長門が現れた。

 

 

「いつからだ?」

 

「俺が執務室を出てから、だ」

 

 

 気まずそうな長門の問いに面と向かってはっきりと言ってやった。その言葉に彼女の顔が強張る。今しがた発していた『独り言』の時、だとでも思っていたのか。生憎、お前のそのデカい図体とそれに似合わないおどおどした様子に気付かない方が可笑しいと言うものだ。

 

 

「差し詰め、『煽ったはいいが俺が自分の思い通りに動くかどうか不安だったから見に来た』と、言ったところか?」

 

「……いやぁ、敵わんなぁ」

 

 

 更なる俺の言葉に、長門は苦笑いを浮かべた。更に付け加えれば、あの食堂の件も予想外だったのだろう、だから今回は俺が変なことをしでかす前に止めに入ろうと構えていた。まぁ、これ以上彼女を惨めにするのは止そう。

 

 

「それで? 今回は描いた通り(・・・・・)か?」

 

「それだったらこうして後を付けていない――――と言いたいところだが、まぁ『結』としては相違ない。ただ、君の立場が……なぁ?」

 

 

 困った顔を向ける長門。彼女の『結』――――起承転結の『結』か。恐らく俺が楓と和解し共にこの鎮守府を盛り立てていこう、なんて結末だったのだろう。そして俺は軍事顧問兼対外交渉役、そして楓と双璧を成すもう一つの存在となることか。奢っていると言われようが、正直それぐらいしか思いつかない。

 

 だが、俺はその立場とは正反対になった。艦娘たちにとって楓が『味方』であれば、俺は『敵』。正しく真逆の立場に立ったのだ。楓が「右」だと言えば真っ先に「左」だと言い張り、楓が「NO」と止めていたことを「YES」と無理矢理押し進める。一見邪魔者でしかないが、使い方によっては楓を正当化するための体のいい理由である。

 

 それに同じ立場の神輿(・・)が2つもあってみろ。遠くない内に片方ずつの神輿を担いだ派閥が出来るだけだ。それこそ運営に支障がきたす。対極に神輿があるからこそ、微妙に違う意見でも無理矢理一つにまとめられるのだ。

 

 

「俺と言う『不義』がいるからこそ、楓と言う『大正義』が纏まる。お前の目的である、『この鎮守府のため』と言う点に関してはこれで十分だろう。その後の、仮に奴が掲げる『大正義』が不正解(・・・)に進もうが『不義()』には関係ないこと、後は『汚れ達(お前ら)』で何とかすればいい話だ。最も、そこまで面倒を見るつもりはない」

 

「なるほど、天龍たちに向けたのあれは君の『不義』に含まれる面倒(・・)と言うわけか」 

 

 

 俺の言葉に、長門はしたり顔でそう問いかける。彼女にとって、それは余裕ぶっている俺を窘めるため言葉だろう。彼女は執務室から出てきた俺たちを見ていた、だからこそ俺が天龍にかけた言葉も、その後乱入した駆逐艦に向けた言葉も、それが敢えて勘違いさせるようしむけたことも知っているのだろう。

 

 

「あぁ、そうだ」

 

 

 だからこそ、それを肯定した。本来であれば否定するべきことを俺は肯定した。『不義()』であるが、『正義』がする行いを――――『正道』を認めたのだ。恐らく、今日一番に驚いたのだろう。今まで見たことのない間抜け面を晒した語り部殿に、俺はこう告げた。

 

 

 

「だってそれ、『男』なら誰でも(・・・)出来るだろう? いや――――」

 

 

 そう、天龍のトラウマを解消し以前の状態に戻すことはぶっちゃけ『男』であれば出来ることだ。そして、その条件を満たすのは『大正義()』と『不義()』だけ。更に言えば、楓は提督と言う大きな役目があり、覆水に目を向けることはまず不可能。そして俺の役目は覆水を掬い上げること、もう分かるだろう。

 

 

 

「『(悪役)』の役目だ」

 

 

 そう、これは『悪役』として『大正義』に対する初めて(・・・)の反抗。『不義』として、最初に課した、誰でも(・・・)出来る、且つ俺しかやれる存在が居ない、とてもとても重要な役目だ。

 

 そしてそれは、主役に救われたところで最初に担った役目からは逃れられない、ある意味一つの『呪い』ともとれる『汚れ役(それ)』に馴染んでしまった自分への皮肉かもしれない。もしくは、『否定』でしか人を動かせない役立たずの強がりかもしれない。

 

 それか、『主役』の弱点を見つけて狂喜乱舞し、いつ何時その弱点を晒しても良いようにその傍で虎視眈々と機会を伺う―――――――『悪役』かもしれない。いや、恐らくそうなのだろう。

 

 

 何せ俺は、『汚れ役』の言葉では庇い切れないほど、どうしようもなく悪辣なのだから。

 

 

 

「そして、その面倒にはお前も含まれているからな?」

 

「え?」

 

 

 突然、悪役()に矛先を向けられた長門は珍しく固まってしまう。なるほど、やはりずっとその立場に甘んじていただけあって、こういう場合(・・・・・・)に慣れていないようだ。そうだろう、やはり今までやってきた奴らじゃ此処まで頭が回らなかったのだろう。無論、それは楓も含まれている。

 

 だが、生憎俺はそこまで頭が回る、回ってしまう。だからこそ今、此処で、甘んじている(・・・・・・)その立場から引きずり下ろすことを宣言しておこう。お前もその『肩書』を持つ艦娘、登場人物なのだから。

 

 

 

「いつまでも『語り部』に胡坐をかくなってことだ。なぁ、ビッグセブン様(・・・・・・・)?」

 

 

 俺の言葉に、長門は再び固まった。だが、その表情は予想していたモノと違う。俺の予想はキョトンとした顔の後、何処か恥ずかしそうに顔を赤らめる姿だ。

 

 本来、彼女は俺や楓以上に活躍の場を与えられた登場人物、所謂メインキャストだ。それが今の今まで『語り部』と言う立場に甘んじ、そこからいきなりスポットライトを浴びたわけである。心の準備、演技、身支度など、全てが整わない内に放り出され、醜態を晒したわけだ。

 

 

 そこに無理矢理放り込んだ俺を恨めし気に睨み付けるはず(・・)だ。

 

 

 

 

「そっか……そう言えば、私はビッグセブンだったな」

 

 

 だが彼女は――――『ビッグセブン』と煽った長門は怒ることも恥ずかしがることも無く、ただ投げつけた言葉を咀嚼するだけであった。そして、思い出したかのように納得するだけだった。ある意味、それは語り部に徹し過ぎて本来の役柄を忘れていただけかもしれない。

 

 だがどうも、どうもその姿は『それ』とは少し違う。

 

 

 

 それは、まるで初めて(・・・)名前を与えられた無名役者(モブ)のようであった。


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