新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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Episode5 失敗
『提督代理』の真意


「…………」

 

 

 沈黙が支配する中、俺の唸り声だけが微かに響いている。それ以外の音は無いに等しい、と言うよりも俺の耳に入ってくるのが自分の唸り声だけと言った方が正しいだろう。

 

 しかし、此処は執務室。当然俺以外にも人はおり、実際に此処には俺を含め四人もいるのだ。だが、その中で音を響かせているのは俺だけ。後の三人は沈黙を守り、一人唸る俺に視線を注ぐのみだ。

 

 

 まず一人、それは大淀だ。俺の横で姿勢よく立ちつつもその上体を傾け、何処か不安そうな顔を俺に向けている。その心中は俺と同じであろう。一応昨日のうちに話を聞き動じないようにしっかり構えていただろうが、やはりいざ目の前にすれば動揺を隠せない様子。いや、それは開口一番であれをかまされたのだからしょうがないだろう。

 

 次の一人、それは北上だ。彼女は執務机の向こうに立ち、いつも通り気だるげな顔で俺を見ている。恐らく、何時まで経っても固まっている俺に呆れているのだろう。彼女が動じていないのは、この話を持ってきたからだ。そして、今目の前にいる彼女(・・)の様子についても、ずっと接していたために慣れたのだろう。

 

 

 そして、最後の一人。

 

 

 

「許可してくれますカ? テートク」

 

 

 誰かが沈黙を破る、それは彼女(・・)だ。その言葉に、俺は今まで釘付けになっていた書類――――――彼女について書かれたカルテと出撃申請書(・・・・・)から目を外し、ゆっくりと前に向ける。

 

 

 すると、書類の陰からその一人が――――――金剛型戦艦一番艦、金剛が現れたのだ。

 

 

「what? ワタシの顔に何かついてますカ?」

 

 

 自らの言葉に視線を寄こしたくせに黙っている俺に、金剛は首を傾げながらそう問いかける。その仕草はとても可愛らしく、この仕草一つで多くの男を釘付けにしただろう。ただ、それは『彼女のことを一切知らない』と言う必要条件を添えて、だが。

 

 

「……本当に、金剛なのか?」

 

何と失礼な(How rude)!! 何言ってるんですカ、正真正銘の金剛デース!!」

 

 

 俺の失礼極まりない問いに、金剛はわざとらしく驚いた後に片手を腰に据え、もう片手を前に突き出しながら元気よく答える始末。その異様なまでのテンションの高さに俺と大淀は唖然とするしかない。そんな俺たちを見て、北上は面倒くさそうにため息を吐き、頭を掻き始めた。

 

 

「えぇーっと、まぁ……そんなわけで、本人はこう言ってまーす」

 

「いやいやいやいやいや主治医さん? この人本当に金剛さん? 本当? 本当に? それか何処ぞで頭をぶつけたとか、変な薬飲ませたとかそういうのはないんですか? あなた主治医さんでしょ、ちゃんと説明しろくださいませ」

 

「落ち着いてください提督、北上さんは主治医ではなく軽巡洋艦です」

 

「違うそうじゃない」

 

 

 なんともやる気の無さげな北上を言葉を持って捲くし立て、横の大淀から的外れな指摘に突っ込むミニコント劇場を開催。いや開催するつもりじゃなかったんだが結果的にコント染みたやり取りになってしまった。それだけ俺と大淀が混乱していることだ。

 

 そしてこんなくだらない場面を金剛に見せたところで、大方「……what?」と言う氷点下を優に下回る声色とそれ以上に冷たい視線を向けられること必至なのだが。

 

 

 

「プッ……なぁ~に可笑しな(・・・・)ことしてるデース」

 

 

 今目の前にいる金剛(らしき人)は小さく噴き出した後、笑いを堪えながらそんなことを溢した。え、今の可笑しかった? 多分、他の艦娘たちの前でやったら失笑すら誘えないぞ、これ。そんな心の声を最大限に乗せた視線を北上に向けるも、向けられた本人は我関せずと言いたげに顔を逸らすだけ。

 

 

 

 よし、一旦落ち着こう。落ち着くために状況を整理しよう。

 

 

 事の発端は一週間、まだ林道が過剰な巡回を続けていた頃だ。因みに巡回自体は今も続いているが前までのいちゃもん染みた絡みはなく、目に余るものはその場で注意し後日報告書で俺に届けられる。そして、それを持って制裁自体は俺の名で下されることとなり、そこに林道の意見も取り入れる形になっている。

 

 だがその報告自体がそこまでなく、今は出撃における編成や演習内容についての相談役として頼らせてもらっているわけだ。そして林道のお蔭で編成における被害も減り、演習も新しいことを取り入れたために若干の戸惑いがあるも初めてやることばかりで艦娘たちの士気は高いと聞いている。まぁ、林道の意向でそれら全て俺の名で行っているため、手柄を横取りしているようで非常に複雑な気分ではあるが……。

 

 

 話を戻そう。ともかくその時に榛名がファイルと共に持ってきた言伝が発端である。因みにファイルの内容は林道に対する艦娘たちの不満について。そしてその言伝とは北上からで、金剛に関することであった。その翌日、早速北上に言伝を聞きに行き、そして相談されたのが金剛の復帰についてである。

 

 金剛は俺が此処に着任する前まで提督代理を担っており、俺は食堂の一件で彼女をその座から引きずり下ろした。その後、心の整理とそれに費やす時間が必要だとして無期限の謹慎処分と言う名の療養を言い渡していたのは、何処か遠い昔のことに思うので念のため述べておこう。また、その際謹慎を解くタイミングは客観的に可能ではないと判断しない限り本人の意思を尊重することも伝えている。

 

 それ以後、俺はこちらから彼女が療養する私室を訪れたことは無い。引きずり降ろした張本人が引きずり降ろされた側に気軽に挨拶できるほど肝が据わっている方ではないため、何度か廊下の窓から彼女の後姿を見たぐらいだ。

 

 その時の金剛は出会った当初のような覇気もなく、無気力な目を浮かべたままフラフラと歩く抜け殻のようであった。たまに吹雪と一緒にいるときはちゃんと表情を浮かべてはいるものの、一人の時はいつも決まって無表情なのが割りとメンタルに来たのを覚えている。まぁ、それを意識しないために執務を片付ける原動力にしたこともある。正直、薄情な提督だと思う。

 

 

 ……話が逸れた。北上から持ち掛けられた金剛の復帰について、俺は最初に北上の見解を聞いた。金剛には自分で大丈夫だと思ったら近くの艦娘に伝えて欲しいと言ったため、恐らく発起人は金剛だ。そして、それを受け取った北上は近くの艦娘、つまり身近にいた存在であり療養開始からずっと彼女を見てきた訳だ。そんな北上から最初と今がどう映ったのかを聞いたのだ。

 

 

「……えっと、見れば分かるよ」

 

 

 そんな北上から返ってきたのが、なんとも判断に困る答えだった。その意味を聞いても、『口では説明できない』、『今伝えても余計混乱するだけ』、『聞いたら後悔する』などとのたまい濁されるばかり。今思えばこの返答も頷けるが、当時は堂々巡りに埒があかないと判断した。

 

 その後に戦闘面で問題が無いのかを見るために演習場の使用許可を出した。元々曙のように戦闘面が原因で療養していたわけではないため、航行、砲撃、回避などは問題ないと思う。まぁ、提督代理をする前はこの鎮守府の主力を担っていたわけだからその技術に問題があるわけないのだが、如何せんブランクと言うモノがある。それを見るための演習である。

 

 そんな突貫工事で金剛の演習をねじ込みそこに立ち会う筈であったが、その夜に林道に散々ボコボコにされる事案が発生。当初は普通に立ち会う予定であったが、ボロボロの姿を見て金剛が気の迷いを起こす可能性があると北上に指摘され、更に絶対安静と頑なに譲らない曙とイムヤの猛反対に遭ったために俺の代わりに林道が立ち会うこととなった。因みに翌日起きた龍田たちの件は二人に内緒にしていたため、後日こっぴどく叱られてしまう。

 

 しかし、一つ難点がある。それは現在の林道の立場だ。食堂であれだけのことをしでかしてたせいで、下手をすれば俺以上に危険な目に遭う可能性がある。なので現場に立つのではなく遠巻きにその様子を眺めることにしようと言ったら、それは間近でしか分からないこともあると本人に一蹴された。それに食い下がったら、いざとなったら覚悟しとけと脅迫染みたことを言われるも、金剛は自分を害することで被るデメリットを重々承知しているだろうし、何よりそこまで気を回せるほどの余裕もないだろうとのことだ。

 

 

「多分、俺が……」

 

 

 それは俺が林道の説得に渋々了承した時、その口から漏れた独り言。それこそが林道をここまで頑なに動かした要因なのだろうが、それを拾うことは出来なかった。そんなわけで俺が立ち会う筈だった金剛の演習は林道に代わってもらい、立ち会うために空けておいた時間は何の予定もない休日となった。案の定、それは鬼の形相で突撃してきた曙たちによるお説教タイムとなったのだが。

 

 そんなすったもんだを経たが、意外と演習は恙なく終わった。自業自得とは言え俺はこっぴどく叱られたせいでげんなりしたが、何故か立ち会った林道は俺以上にげんなりしていた。よっぽど演習の結果が悪かったのかと心配になり、いざ演習の様子を聞いたのだ。

 

 

 

「あ、うん…………立ち会えば、分かる」

 

 

 そして、返ってきたのがまたもや判断に困る答えだった。それに目を丸くし、詳しく問い詰めても北上と同じことを溢すばかり。林道から得られた情報は、戦闘自体は問題なく出撃してもなんら不安点はないこと、そして金剛と接すると疲れる(・・・)ことだ。後者は全く意味が分からないが、理由を聞いても頑なに濁されるばかりだ。

 

 ……ここまで来たら、もう直接会うしかない。そういうわけで、復帰の最終確認と言う名目で彼女を呼び出したのだ。最終確認と言っても、事前に北上や林道から金剛の様子を詳しく聞いており、出撃になんら問題は無いことは把握している。後は本人の確認とその許可をする、ある意味出来レースではあるがこれまで二人がひた隠しにした点の解明も含まれていた。

 

 また、この面会でよっぽどの問題が無ければこのまま出撃してもらうことになっている。目標は北方海域のモーレイ海哨戒だ。既に何度か哨戒を試し、此度の出撃を持って攻略に踏み切ろうと算段を付けている。勿論、復帰直後が最前線で不安ではあるが、北上経由で金剛の希望を優先すると言ったことを盾に押し切られた。なので、不安を解消すべく彼女と共に出撃する艦娘たちはこの哨戒作戦に最も従事してきた面子を取り揃えた。

 

 僚艦たちには事前に連絡を入れ、一人一人に直接話をした上で了承も得ている。更に、今日この日に向けてローテ組や資材、休息の管理とモーレイ海における情報の洗い出しから分析、留意点の確認、編成と僚艦の立ち回りなど、想定できるありとあらゆる面に対しての対応策を検討しておいた。勿論、後者に関しては林道や大淀、実際に出撃する艦娘たちにも聞いた上でだ。俺一人で考えるよりも精度は抜群だろう。

 

 そんな出来うる限りの手を尽くし、出来る範囲で万全と言える体制を整え、あとは送り出した彼女たちを無事迎えるだけ。正直やり過ぎだとは思うが、それは提督としてではなく一人の人間として、酷く傷つけてしまった金剛へのお詫びだろう。

 

 

 そんな自責を胸に秘めながら、俺は個人としても提督としても非常に重要な日を迎えた。

 

 

 

 

「グッッッド、モォーニィーング!!!!!!」

 

 

 そんな挨拶とも叫び声とも咆哮ともとれる『おはよう』で、堅固であった決意も無いなりに醸し出そうとしていた威厳も、この日の為に用意した何もかもが木っ端みじんに吹き飛ばされてしまったのだ。

 

 

 

「テートク? 何時まで黙っているつもりデース? そろそろ飽きてきたヨー」

 

 

 自分を落ち着かせるために大分時間を費やしてしまったのだろう。目の前に立っていた金剛はそう言いながら突き出していた手を腰に据え、覗き込むような体勢で俺にふくれっ面を向けてくる。うん、落ち着いたには落ち着いたけどここからどう進めていくのかを考えていなかった。だから状況は一切変わっていない。

 

 

「……えっと、失礼を承知で聞くんだけど、頭打ったりとかしてないよね?」

 

「してないですヨー!! これが本当のワタシデース!!!!」

 

 

 何も思いつかなかったために失礼極まりない質問を再度投げかけるも、金剛は苦言を漏らすことなく元気よく答えてくる。あの、本当に、本当に金剛さんなんですか。あの、本当は別の鎮守府の金剛さんとかじゃないんですかね。

 

 

「俺が此処に着任した翌日しでかしたことは?」

 

「曙の入渠(bath time)に乱入したネー」

 

「よし、正か―――」

 

 

 本物なのかを調べるために投げかけた質問の答えは完ぺきだった。彼女は間違いなく金剛である。因みに、俺の言葉が途切れたのは大淀から強烈なチョップを喰らったからだ。

 

 

「多分、テートクがくれた時間で気持ちの整理がついたからかもしれませんネー。おかげで色々と吹っ切れましタ……thank youデース」

 

 

 チョップからの尋問に移ろうとする大淀を押し留める俺に、今までの彼女なら絶対に口にしないような言葉を次々と吐いてくる。その姿に大淀すらもポカンと口を開ける始末、まぁそのおかげでその魔の手から逃れられたのだが。

 

 さて、これで今目の前にいる金剛が本物であると証明された。しかし、それでもまだ信じられない。いくら気持ちの整理がついたとか吹っ切れたとか、理由を並べても、今までの彼女を見て、触れてきた身にはただの詭弁にしか聞こえないからだ。それと同時に、それらが詭弁であると言う確固たる証拠がない上に逆にそれが本心であると言う証拠もないのだ。

 

 

 いや、一つ。あるにはある。それはそれらを真実だと決定づけるには及ばないものの、それを匂わせるだけのものはあるのだ。

 

 

 それは、今しがた金剛が浮かべている笑み(・・)

 

 

 俺は今まで彼女の笑顔を見てきた。それは初対面に砲撃をかまされた時、食堂の一件以降解体してくれと懇願した時……よくよく考えたらこの二回しかないが、まぁそれでも見てきた訳だ。そしてその時は笑顔(・・)であり、今しがた彼女が浮かべている笑み(・・)ではないわけだ。

 

 

 これらの違いは一つ。無理矢理(・・・・)浮かべているか、自然と(・・・)浮かんでいるか、だ。

 

 前者は笑顔、その場を取り繕うために取り敢えず浮かべるそれ。例を挙げるなら榛名。彼女は常に笑顔を浮かべており、たとえどんな時でもそれを絶やさなかった。しかし、あくまでも笑顔は仮面だ。その下にツライ、苦しい、嫌、逃げたい、それら全ての感情を押し殺し、『無理している』ことを隠すために、嘘をつくために浮かべるのが笑顔である。

 

 逆に後者は笑み、無意識の内に浮かんでしまうそれを指す。例を挙げるなら雪風。彼女は特に素直であり、ちゃんと喜怒哀楽全ての感情を表す。その中で『喜』や『楽』の時に浮かべる自然と零れる感情と共に現れるのが笑みなのだ。

 

 そして、今しがた目の前にいる金剛はこの『笑み』に該当する。満面の笑みではなく柔らかな笑み、恐らく意識の外にあるからこそ浮かぶ自然の笑みだ。この鎮守府には『笑顔』を浮かべる奴らが多い分、そっちの目は肥えていると自負している。その点から、今しがた彼女が浮かべているのが笑顔ではないと分かるのだ。

 

 それをもう一度、注意深く、最終確認としてじっくりと観察する。その視線に、金剛はやはり笑みをうかべたまま不思議そうに首を傾げるのみ。それ以外に変化は、ボロもほつれもない。正しく、真っ当な笑み。

 

 

 完璧な(・・・)笑みなのだ。

 

 

 

「分かった、許可しよう」

 

 

 それを踏まえて、俺はそう伝えた。すると金剛の笑みが花が咲き誇る様に明るくなり、彼女の手が俺の手を取って固く握りしめてくる。やはり、明るくなった笑みもまた、完璧なそれだった。

 

 

「ありがとございマース!!」

 

「ただし」

 

 

 心底嬉しそうな金剛に冷や水を浴びせるように鋭い言葉を向ける。するとその笑みが一気にしぼみ、不安そうな顔になる。その変化はとても自然であり、やはり取り繕っているようには見えない。大体、取り繕っている奴はこういう突拍子もないところでボロが出るんだが、その様子もないか。

 

 

「今回は哨戒任務だ。艦隊全体を乱す独断行動は禁止だ。そしてお前はあくまで僚艦、酷い言い方だが今回の任務上戦力に数えていない。だから極力戦闘は避けること、もしやむを得ない場合でも絶対に無理するな、自分の限界を越える行為は控えろ。そして何より旗艦の指示には絶対に従うこと。この三点を留意してくれ。今回の出撃によって最悪の場合許可の取り下げも検討する。それも覚えておいてくれ。そして―――――」

 

「『変な気を起こすな』、ですカ?」

 

 

 留意点を並べていた俺の言葉を、金剛はその言葉で遮った。それに俺は思わず呆けた顔を彼女に向ける。そこには、やはり笑みを浮かべた彼女が立っていた。

 

 

 そう、やはり完璧な(・・・)笑みを浮かべた彼女が。

 

 

「ワタシのためにテートクを含め色んな子達が走り回ってくれたんですから、それを裏切る行為なんて絶対にしませんヨ!! それに、もうこれ以上誰かの想いを踏みにじるのは止めると決めましタ……だからNo problemデース!!」

 

 

 そう捲し立て、これまた元気よく宣言する金剛。その時もまた一切変わることがない完璧な笑みを、一定の笑みを浮かべている。それが要因となった。いや、正確にはとある事象と一致し、その事象が特異的だったためだ。

 

 

 それは何時、何処で、何があり、どのような結果になろうと、ずっと笑顔を浮かべている(・・・・・・・・・・・・)と言われた雪風、だ。

 

 

 

 やはり取り止めるべきか―――そう思った瞬間、扉をノックされる。その音にその場にいた全員が扉の方を向き、うち何人かは身構え、内一人は時計に目をやり、一人は笑みを浮かべながら扉を開いた。

 

 

「Hi、吹雪。出撃準備は済みましたカ?」

 

「え……あ、は、はい!! 終わりました!!」

 

 

 扉の先には吹雪が立っていた。そして、いきなり開いた扉とその先に居た金剛に驚き、思わず敬礼しながら勢いよく応える。その姿に、金剛は小さく笑うと敬礼をする吹雪の額を小突いた。

 

 

「何かしこまってるデース。貴女は旗艦、今はワタシの上官なんですからそんなことする必要ないヨ」

 

「え、え」

 

「あ、テートク」

 

 

 いきなり額を小突かれて唖然とする吹雪を尻目に、金剛は思い出したように俺の名を口にして、顔を向けてきた。

 

 

「実は貴方が着任してからずっと渡しそびれていた資料がありまして、此処に来る前に貴方の部屋の前に置いておきました。そして此処に着任する上で重要な資料を今まで渡さなかったこと、本当に申し訳ないデース。また、時間がある時に確認してくれると助かりマース」

 

 

 やはり、そこにあったのは笑みである。だが、先ほどの笑みとは全く違う。何処か血の通った人間が浮かべているようなモノとは思えない、とても冷たい笑みに見えた。

 

 

 

「『絶対に帰ってこい』」

 

「ハイ」

 

 

 だからこそ俺はその言葉を、先ほど最後に言おうとした言葉を、今まで散々取り繕ってきたもの全てを引き剥がした末に残った、俺の願い(・・・・)をぶつけた。そして、その言葉に金剛は間髪入れずに肯定した。

 

 だが、その『ハイ』には一切の感情は愚か心すらも感じられなかった。まるで、決められた文を淡々と話す、いや文字を発する機械のような。

 

 

 そんな言葉を、やはり完璧な笑みを添えて。

 

 

 

「失礼しマース」

 

 

 その言葉を残し、金剛は執務室を出て行った。残された面子は誰一人として声を出さず、沈黙に支配される。だが、それも一つ咳払いをした北上によって破られた。

 

 

「もう時間が無いんだから、さっさと準備したら?」

 

「そ、そうですね」

 

 

 北上の一言に吹雪は戸惑いながらも無線の周波数を調整し始める。その姿に大淀が我に返ると彼女に近付き、同じく調節を始めた。本来すぐにその輪に入って同じく調節をすべきなのだが、それは北上の言葉によって遮られた。

 

 

 

「もうちょっと、提督らしいこと言えたらよかったね」

 

 

 その言葉を残し、北上は手をヒラヒラさせながら執務室から出て行った。そして、その言葉は俺へのアンチテーゼであり、提督に向ける言葉ではない。提督の地位を脱ぎ捨て、いとも簡単に自分の願いを吐き出した俺に対する、もっと提督の自覚を持って、と言う注意だ。

 

 

 だけど何故だろうか。その言葉を残した北上本人の顔が、何処か羨ましそうな顔をしていたのは。

 

 

 

「提督」

 

 

 そして次に俺の名を呼んだのは、吹雪であった。大淀との通信を終え、残るは俺との通信だけ。それをするために近付いてきたのだ。だが、俺を見るその目は、それ以外の感情が宿っていると感じた。

 

 

「そんな当たり前(・・・・)のこと、言わないで下さい」

 

 

 その感情はその言葉に出ていた。何処か投げつけるような、俺を非難するような、とてもぶっきらぼうな言葉だ。だがその言葉と同時に俺の胸を小突いた彼女の握り拳には、小突きながらも向けてきた彼女の目には、『非難』という色は見えなかった。

 

 

 あったのは『任せておけ』とでも言いたげな、自信に満ち溢れた目だった。そんな自身に満ち溢れる吹雪の言葉に、俺は自信無く無言で頷くしかなかった。

 

 

 俺との通信を終えた吹雪は出撃する旨を高らかに宣言し、旗艦の名に恥じぬ見事な敬礼を残して出て行く。その後ろ姿がとても頼もしく見える反面、そんな姿を出来る彼女が、いや彼女たちが羨ましく思えた。何せ、人間である俺には絶対に出来ないことだから。

 

 だが、ここで意気消沈している暇は無い。今日までの色々なことを今日の出撃に絞って調整してきたため、やはり所々無理が生じている場所がある。金剛たちが帰ってくるまで気が抜けないが、今のうちに出来ることを進めておくべきだ。そう心機一転、心を入れ替えて挑んだわけだが。

 

 

 

「……提督、いい加減にしてください」

 

 

 そんな苦言と共に丸めた没書類で俺の頭を叩く大淀。それを甘んじて受け入れる俺、それもその筈執務を初めて一時間、溜まっていた執務は愚か今日の分すらも満足に進んでいない。それは一概に俺のミスが原因である。

 

 書き損じに始まり、消印ミス、表記ミス、書類の取り違え、紛失などなど、普段では絶対にしないようなミスまでやらかしている状態。それによって大量に発生した没書類は大淀によって簡易海軍精神注入棒となり、もう何回目かも忘れたぐらい俺に注入しているのだ。しかもその注入が役に立った試しは、もう彼女に聞いた方が早いだろう。

 

 

「……すまん」

 

「謝るくらいならミスをしないようしっかり確認してください。と、言いたいところですが、どうせ意味もないんでしょうね……なら、一休みにしますか」

 

「さ、流石にそれは……」

 

 

 まだ執務が始まって一時間しか経ってないのに一休みは早すぎるだろう、と捲し立てようとしたら何故か目前に大淀の手があり、そのまま勢いよく額にデコピンを喰らった。痛みに呻く俺を尻目に、大淀は机に広げられた書類を纏め始める。

 

 

「そんな状態で続けたところで余計悪化するだけです。取り敢えず三十分ぐらいの短い休憩をとりましょう。これなら、外に出れます(・・・・・・)よね?」

 

 

 俺から視線を外しつつ大淀はそんなことを、特に最後の方は念を押す様に問いかけてくる。その言葉に、俺は彼女が少なからず俺の心中を察していることを悟った。それに思わず目を向けるも、彼女は何処吹く風と言いたげに書類を纏めるのみ。いや、その耳がほんのり赤くなっていたのは気のせいだろうか。

 

 

「ごめん」

 

「だから、謝るんじゃないっての」

 

 

 だが、それを問いかける余裕もなく、俺はそう断りを入れるとすぐに執務室を出る。俺の耳には、何処か不服気にそう呟く大淀の声が聞えたが、生憎それも聞き流すほかなかった。

 

 

 廊下を早足で駆け抜け、階段を一段飛ばしで駆け上がり、目的の場所へと向かう。息が少しずつ荒くなっていくが、それもやがて感じなくなる。視界には飛ぶように後ろへ流れていく風景、それが目的の場所へと近づいていくという証拠として映るのみ。

 

 やがて、たどり着いた。そこは何の変哲もないドア、いつも見ている俺の私室だ。そして、その中でドアの足元に見慣れないものが置いてある。それは古びた二つのファイル。

 

 

 

 そのボロボロの表紙には、『所属艦娘一覧』と記されていた。

 


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