新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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埋め合わせていく『存在』

 辺り一面真っ青に満たされた空間。頭上からは足元のその先へと垂れさがる真っ白なカーテンが揺れと、時折下から上へと白い気泡が走り抜けていく。それを前方に、後方に、左右に、遠方に、至近に、時には前に現れては消え、再び視界は真っ青に満たされるのだ。

 

 

 そんな真っ青な空間――――――キス島を右手に大きく北回りの航路をひたすら突き進むのは私、伊168率いる潜水艦隊である。

 

 

 提督の名のもとに発動された救出作戦は現在、私たちを含めた複数の捜索隊がキス島沖に展開する第一段階だ。私たちの他に長門さん率いる戦艦部隊、加賀さん率いる空母機動部隊、天龍型姉妹率いる水雷戦隊もおり、その規模は広大である。

 

 それら主目的は『金剛さんと吹雪の捜索』であるが、担う役割はキッチリと住み分けされている。戦艦、空母部隊には敵哨戒部隊の襲撃による本作戦時に向けた露払いを。水雷戦隊は小規模艦隊によるキス島沖侵入方法の模索と敵補給艦隊襲撃による敵補給線の破壊工作を。

 

 そして、私たちが担うのは金剛さんが引き連れていったとされる『重雷装航空巡洋戦艦』の捜索である。

 

 

「潜水艦の皆さん、提督がお呼びです」

 

 

 大淀さんからの言伝を受けた時、私たちは部屋の中で今日の非番をどうするかを相談していた。自主トレや訓練、あるいはひなたぼっこや読書、散策、遊覧航行とやれそうなことを一通りやってしまったために持て余していた時間をどうしようか、と思案に暮れていたのだ。

 

 そこに飛び込んできた呼び出し、それを受けた私たちはすぐさま執務室に向かった。ほんの少し前は、こうもすんなりと執務室に向かうなんてことは絶対にありえなかった。呼び出しと言えば大概『罰』であり、誰がその毒牙にかかるのか、と言う不安と恐怖で一杯だったからだ。しかし、そう動けたのは彼女のおかげである。

 

 

「了解、すぐに行くのね」

 

 

 その呼び出しに返答したのはイク。それがある度真っ先に悲鳴を上げていた彼女が、今や誰よりも早く、そして力強く答えたのだ。その姿に私をはじめゴーヤにハチも目を丸くするも、その次に現れた彼女の言葉にその全員が動き出せたのだ。

 

 

 

「行こう、提督(・・)を助けるの」

 

 

 『提督を助ける』――――提督は私の、私たちの恩人だ。いや、私たち以外にもたくさんの子にとっても恩人だ。そんな人から呼び出しがあった。何か問題を起こしたことは無く、呼び出されるいわれはない。私たちに理由がなければ、提督(あちら)側にあると言うことだ。

 

 そして、提督はあまり周りに頼らない。いや、誰かに頼れるような環境ではないと百も承知だが、それを抜きにしても彼はなかなか頼らない。何か問題があれば自分の中で片づけて、そのためなら埃をかぶるのも、泥を啜るのも、火の海に飛び込むのも、自分の身を削ることを一切厭わないのが彼だ。

 

 

 そんな彼が、何か理由を持って私たちを呼び出した。彼が、私たちを『必要』としている。だからこそ、イクは『助ける』と言ったのだ。

 

 

 彼女に率いられた私たちを待っていたのは、普段通りの提督であった。いや、普段通りに振る舞おうと務めている、明らかに『無理』をしている彼だ。そんなことなど気付いていない彼は非番に呼び出した事への謝罪とその理由――――――金剛さんたちが行方不明である状況とその情報取集に私たち潜水艦たちも協力して欲しい、と頼んできたのだ。

 

 彼は私たちの上官。上官が私たちに下すのは命令であり、言ってしまえばこれもそれに当てはまる。だが彼は『命令』ではなく『希望』を、『下す』のではなく『頼んで』きた。彼は自分を私たちと同等、或いはその下に位置付けたのだ。

 

 これは鎮守府と言う組織を維持する上での『最悪手』である。下手すれば艦娘の中から良からぬことをしようと息巻く輩が現れるかもしれない、現にここの艦娘は『提督』に散々虐げられたせいでその可能性は十分ある。そんな危険を孕んだ手だ。

 

 だが、生憎そんな輩がいない(・・・・・・・・・・)此処では『悪手』に留まる。そしてその『悪手』を『好手』、最低でも『妙手』にまで昇華させるのが私たちの役割だ。

 

 

 良いだろう、見せてやろうじゃない。提督(貴方)が今立っている場所を、その場所にいる私たち(・・・)を。

 

 

 その思考は、視界の端に現れたハチによって断ち切られた。

 

 真っ直ぐ潜航をしながら、視線だけをハチに向ける。その視線を受けたハチは上半身を私に向け、両手を忙しなく動かす。

 

 

『前方に濃霧を確認。まもなく突入する』 

 

 

 彼女の手を動き―――――手信号(ハンドサイン)にてもたらされた情報を受け取る。今回はあくまで情報収集を目的とした出撃であり、限りなく戦闘を避けることが第一。それに対して、私たちは無線傍受を可能な限り避けるために艦同士の情報伝達は手信号を用いているのだ。元々潜航が前提である私たち潜水艦は訓練項目の中に無線以外に意思疎通を行う手段の確立があり、今回はその一つであるこれが日の目を浴びることになったわけである。

 

 

 そして、ハチがもたらした情報である『濃霧』――――このキス島沖は昼夜問わず濃霧が発生する特殊な気候なのだ。だがその濃霧は海域全体を覆い尽くす規模はなく、小さな濃霧の塊が海域のあちこちに点在していると言った方が良いだろう。

 

 更に言えば一つの濃霧は数時間程度で現れては消えるを繰り返しており、その移動スピードも極端に速い。であるため、キス島沖に関する完璧な海図を作るのはほぼ不可能だ。出来るのは海域の概要くらいであり、それもまた途方もない時間を要するのだ。そんな複雑奇怪な海域を生み出すのは、これまた複雑奇怪に混ざり合う海流のせいである。

 

 キス島周辺は海上海中問わず小規模な岩礁があちこちに点在しており、それらが海流の流れを滅茶苦茶にしている。そのため一見すれば何もない穏やかな海も、一歩踏み込めば複雑に絡み合う海流に足を取られるのが殆ど。ほんの一瞬でも気を抜けば知らず知らずのうちに海流に流されあらぬ方向へと向かってしまう。恐らく、これは艦の排水量が多ければ多いほど強く影響を受けるだろう。

 

 そしてそれは海上艦であり、海流をかき分けて進む潜水艦はそれ以上に影響を受けるのは言わずもがな。そのため、私たちは流れに身を任せて何処へ行き付くのかを試している。だが、この条件下だと私たちが行き付く先に排水量が多い艦―――――戦艦や空母などが駐留している可能性が高い。

 

 

 そして、私たちが探しているのもまた戦艦と思わしき深海棲艦。この先にいる可能性は高いだろう。

 

 

 ふと、今まで海面から垂れていた白いカーテン―――――日光が消え去った。濃霧に突入したのだろう。濃霧を頭上に従えた潜航、ただでさえ見つけ辛い私たちが見つかる要素は完全に排除された。哨戒、及び偵察としてこの上ない好条件である。しばらくはこの濃霧に紛れて進むことにしよう。

 

 

 

 

 という思考は、唐突に聞こえた爆発音(・・・)によって吹き飛んだ。

 

 

 その音に思わず上を向く。恐らく、皆も同じだろう。だが頭上は濃霧に覆われているため何も確認できない。自らを隠す隠れ蓑は同時に視界を制限する遮蔽物でもある。そのことを失念していた。だが、それは視界の中に飛び込んできたハチによって新たな情報がもたらされた。

 

 

 

『偵察機が撃墜された。付近に敵艦有り』

 

 

 そう、片手で手信号で伝えてくるハチはもう片方を耳に当てて顔をしかめていた。恐らく撃墜された際の通信が途切れた音が大きかったのだろう。だが、これでようやく状況が掴めた。

 

 先ほどの爆発はハチが放った偵察機が撃墜された音であり、この付近に敵艦載機、及びそれを放った敵艦が居るということだ。つまり、あちらに私たちの存在がバレてしまった。早急に退却する必要がある。だが、私たちはまだ何も情報を得ていない。このまま戻ったらただ時間を無駄にしただけ、提督の作戦を滞らせるだけだ。であれば、多少のリスクを背負ってでも情報を得なければならない。

 

 尚且つ、今私たちは存在を気付かれたがその居場所までは気付かれていない。今もなお濃霧は私たちを隠し続けているのだ。下手に動けばせっかく身を隠せる濃霧が無駄になってしまい、それこそ敵に居場所を教えてしまう。そして此処は海流に身を任せている道中、排水量の都合を考えれば此処に潜水艦を攻撃できる敵はいない。見つかってもそこまで脅威と言えない、わけではないが出会い頭に攻撃を受ける可能性は低いだろう。

 

 

 そう方針を決め、後ろに向かって手信号を出すと3人は頷いてくれた。それと同時に、何故かにやけ顔のゴーヤが手信号を送ってくる。

 

 

 

『無理しないで』

 

 

 それは素直に(・・・)解釈したものだ。彼女的には『怖くなったら帰って来ても良いぞ』とか『へっぴり腰を見ていてやる』とか、そんなニュアンスを孕んでいただろう。だが、それを表現できるほどのバリエーションがない手信号では、それに近い意味のものを拾い上げるしかない。つまり、それが彼女の本音(・・)なのだ。

 

 

『ありがとう、58(ゴーヤ)

 

 

 後ろを見ずに、そう手信号を返す。後ろの方から何やら大きな音が聞こえたが、それも次に現れた鈍いエンジン音によって意識の彼方へと行ってしまった。顔が引き締め、同時に再度手信号で後方の3人に指示を飛ばし、潜航スピードを少し緩めた。

 

 音は前方からゆっくりと近づいてくる。大きさを見ると、恐らく大型艦だろう。戦艦か空母、最小でも重巡だ。致命的な攻撃を受ける心配はないが、それでも海中目掛けて砲弾を放り込まれると海流が乱れて隊列が崩れてしまう。ここは潜水艦の本分通り、潜んでやり過ご――――

 

 という思考は、目の前に飛び込んできた泡の弾幕によって断ち切られた。突然のことに私は緊急停止をした、いやしてしまった(・・・・・・)

 

 

 その泡に紛れて目の前に漂う一回り小さな、掌サイズほどのドラム缶のようなもの―――――爆雷である。次の瞬間、目の前が真っ白に染まった。

 

 

 四方八方から強烈な衝撃を受け、痛覚は許容範囲を超えた。

 

 爆雷の直撃を喰らった視界は真っ白から真っ黒に――――何も見えなくなった。

 

 爆発による海流の急激な変化に揉まれ、平衡感覚を失った。

 

 衝撃、激痛に襲われ、その他諸々の感覚を失い、意識も飛びそうになった。

 

 だが、辛うじて意識を繋ぎ止めた()がいた。

 

 

 

「ミィツケタァ……」

 

 

 それは海流にもみくちゃにされている最中に私の首を的確に掴み、それだけで私を海中から引き揚げ、身を刺すような北風に晒された私の耳に届いた、おおよそ人とは思えない奇怪な声である。

 

 その声は長年声を発していなかったのか酷く濁っており、その口調も『言葉』と言うよりもただ『文字』を発しているだけのような片言なものであった。ただ、その中でも一つ一つのイントネーションは合っており、それにとっては慣れ親しんだ言葉であることも何となく感じた。

 

 

 いや、そんなことはどうでも良い。もっと重要視すべきなのは、『それ』が今立っているのが大海原の真ん中であり、確実に人ではない何かであることだ。そして、この大海原に立っており、そして私たちを攻撃する存在なんて、深海棲艦以外いないじゃないか。

 

 

「偵察機トソナーノ反応ヲ辿ッテ正解ダッタヨ」

 

 

 『それ』は何処か安心したような口調でそう言う。視界が真っ黒であり、痛覚も機能を失ったせいで敏感になった私の聴覚は、何故かそんなことまで拾い上げてくれる。おかげで、『それ』が一方的にこちらを潰しに来たわけではないと分かった。

 

 

 だからこそ、『対話』と言う手段を取れた。

 

 

「あんた……」

 

「ン? 喋レルノカ?」

 

 

 喉の筋肉をフル稼働させ、言葉を絞り出す。すると、深海棲艦から驚いたような声色が返ってくる。

 

 

「それ、は……こっち、の、台詞よ……」

 

「……ッハハハハハ!! ソリャソウダ!! オ前ラカラスレバ、私ノ方ガヨッポド可笑シイダロウサ!!!!」

 

 

 思わず零れた言葉に、深海棲艦は豪快に笑い飛ばした。戦場に立っているとは思えないほど自然に笑い声を上げるそれに、私は更に言葉を続ける。

 

 

「それ、よりも……あんた、何……?」

 

「アァ、何言ッテンダ? コンナ場所デ、艦娘(オ前ラ)ヲ襲ウ時点デ答エハ出テンダロ?」

 

「違う……もく、てき……」

 

 

 深海棲艦の呆れた言葉に、私は問いの続きを口にした。それが何かなんて、もう出会ったその時に分かっていた。だからこそ、私はその問いを口にする。そして、その問いもまた向けられた側にとっても分かり切ったことであろう。

 

 

「アッハハハハハハハ!!!!!」

 

 

 やはり、と言うべきか、深海棲艦は先ほどよりも大きな笑い声を上げた。本当に可笑しかったのだろう、本当に笑えたのだろう。だからこそ、それは必死に笑いを押し殺しながら、こう言ったのだ。

 

 

 

 

「ッァ、ッハハッ……ソ、ソンナ……ソンナノ……オ前ラヲ沈メルタメサ」

 

 

 最後の言葉は、一切笑っていなかった。まるでスイッチが切り替わったかのように冷たく、機械染みた声だった。それと同時に、私の首を掴む力が一気に強まり、私は気管を潰されまいと必死に空気を吐き出した。

 

 

「全ク、折角コッチカラ攻メル好機ダッタノニアノ駆逐艦ノセイデバレチマッテ、仕方ナク挟撃デ墜トソウトシタラ戦艦ノ突出デコッチガ墜トサレルワ、単騎デイッタラ取リ逃ガスワ、全ク散々ダヨ……マァ、コウシテ網ヲ仕掛カケタラマンマト掛ッタワケダガ」

 

 

 深海棲艦は何処か疲れた様に愚痴を吐き続ける。その間、なおも私の首は絞められていく。私は絞められていく首に必死に抗うだけで何もしなかった。それをどう受け取ったのか分からないが、深海棲艦は更に言葉を続ける。

 

 

「オ前ラモ大変ダナァ? タカガ戦艦ト駆逐艦ノ為二コンナ所ニ放リ出サレテ……潜水艦ナラ危ナクナイト思ッタンダロ? 残念、私ハ対潜モ出来ルノサ。ムシロ潜水艦狩リノ方ガ得意ダッタリスル……トイウ訳デハナイケド、露払イ程度ハ出来ル。戦艦ガ対潜ナンテ普通考エナイカラ、オ前ニ非ハ無イサ。ダカラ―――――」

 

「そう、分かったわ」

 

 

 自らを戦艦と称した深海棲艦の言葉を、唐突に遮る。すると、驚いたように息を呑む音が聞こえる。私が喋れる余裕が無いとタカを括っていたのだろうか。生憎、私は『出来なかった』わけではない、『しなかった』のだ。

 

 

 何故しなかったのか、それは当初の目的があったからだ。

 

 

 

「『取り逃がした』ってことは、まだ金剛さんたちは沈んでないのよね」

 

「……ソレヲ知ッテ如何スル? オ前等ヲミスミス逃ガス訳無イダロ」

 

 

 私の言葉に、その戦艦はさも動じていない口ぶりで問いかけてきた。戦艦の話を鵜呑みにすれば、金剛さんたちは戦艦の手を逃れたことになる。その信憑性はその話と今こうして戦艦が網を張っていた事実である程度保障される。そしてそれは私たちにとって重要な情報だ。これを持ち帰れば、次の作戦に移れる。

 

 そう、『金剛さんたちの情報を集める』と言う私たちの目的は達成されたわけだ。そして、それを簡単に口にした戦艦は自らの不用心さを嘆くだろうが、それも伝わらなければなんら問題ない。

 

 

 更に言えば、その情報を持っているのは今自らが首を締め上げているボロボロの潜水艦のみ。締め上げる力を籠めれば、潜水艦は簡単に息絶える。仮にその手を逃れたとしてもボロボロの潜水艦を沈めることぐらい造作もない。同時にゴーヤたちの存在も把握しており、そちらもソナーと艦載機を使えば簡単に落とせる。最悪は私を使うだろう。つまり口封じはいくらでも出来てしまうわけだ。だからこそ、戦艦は余裕を保っているのだろう。

 

 この状況を打開するにはこの戦艦に被害を、最低でも艦載機を発艦できない中破状態にまで被害を与えなければならない。もしくは著しい機関部への損傷を与えるか。余裕ぶりから、この戦艦は装甲の分厚さにも自信があるようだ。恐らく、たかが潜水艦の魚雷を喰らった程度ではビクともしない程だろう。

 

 

 この現状は私たちの『戦艦は対潜攻撃が出来ない』と言う慢心が招いた結果である。

 

 もう一度言おう、この現状(・・・・)は『私たち』の慢心が招いた結果である。

 

 

 

 ではこれから(・・・・)は、『どちら』の慢心が招く結果だろうか。

 

 

 

「私の僚艦、舐めんじゃないわよ」

 

 

 そう呟く私の耳には―――――視覚、痛覚を手放し聴覚がより敏感になった私の耳には聞こえていたのだ。水流を切り裂きながら虎視眈々と迫りくる3つ(・・)の音を。

 

 

 次の瞬間、強烈な爆発音が鼓膜を叩いた。同時に足元がフワリと浮き上がる――――爆風に押し上げられたのだ。

 

 

 

「ガッ……」

 

 

 それに一拍遅れて戦艦が呻き声を上げる。だが、それも立て続けに起きた2回の爆発によって完全に掻き消された。同時に、私の首を掴んでいた力も爆発が起きる度に弱まっていき、3回目にはボロボロの私でも容易に振りほどけるほどだ。

 

 足元から押し上げる爆風を利用し、私は戦艦の手から逃れた。そのまま爆風に身を任せ、次の瞬間背中から海面に落ちる。海中に飛び込んだ衝撃で意識が飛びかけるも、すぐさま何者かに手を掴まれたことで手放すに至らなかった。

 

 

 

『こちらゴーヤ。旗艦イムヤの保護に成功、これより戦闘海域からの離脱を図る』

 

『こちらイク。発射した魚雷3発の機関部命中。敵戦艦の著しい速力低下を確認。牽制にもう3発を発射する』

 

『こちらハチ。進行方向に巨大な濃霧を確認、敵艦載機の攻撃を避けるために突入する』

 

 

 

 耳元の無線から三人の声が聞こえる。誰一人焦ることなく、己の役割を着実に遂行してくれる。何とも頼もしい、心強い。本当に、私なんかにはもったいない。

 

 

 

作戦(・・)成功』

 

 

 そんな彼女たちに、私は無線で声をかけた。

 

 

 そう、これは私たちが事前に決めていた作戦。作戦と言っても事前に話し合ったわけではなく、発端はつい先ほどエンジン音が聞こえた直後だ。

 

 

 

『私が囮になる』

 

 

 そう、短く伝えただけ。そんな作戦なんて言えない只の大博打である。成功する見込みはほぼゼロに等しかったが、そこは皆が何とかしてくれるだろうな、なんて思っていた。まぁ最悪の場合も考えてはいたが、それに陥ることは無いだろうと確信していた。

 

 

 先ずはイク。元々、彼女は私たちの中で最も戦果を挙げていた子であり、特に雷撃の命中率は頭一つ飛び抜けていた。それは初代の頃も変わらない。故に戦闘における被害が最も少なかったと言える。

 

 次にゴーヤ。彼女は持ち前の幸運である。ここぞと言う場面では必ず戦果を挙げ、こと敵の攻撃を避ける回避能力は尋常ではなかった。撤退する際も彼女が殿となることが多く、今回も()に次ぐ危険な役割を担った。

 

 最後にハチ。彼女はその知識の豊富さと鋭い洞察力。この海域に入る前に濃霧の発生条件を艦隊に提供し、海域に入ってすぐに海流の複雑奇怪さを見抜き、それが濃霧の発生源であると言い当てたのだ。また、彼女が偵察機を飛ばしていたのも、情報を最も扱えるのは彼女だからである。

 

 

 そんな僚艦たちが揃っている。だからこそ私は大雑把な作戦をぶち上げるだけでよく、躊躇なくこの身を囮に差し出せる。彼女たちならきっとやり遂げてくれる、というあちらからすれば何ともはた迷惑な『信頼』を寄せられるのだ。

 

 

 私の無線に、最高の僚艦たちは異口同音にこう答えた。

 

 

 

『『『ばかイムヤ』』』 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

『軽巡ホ級の轟沈を確認、これにより敵残存兵力の殲滅完了だ』

 

 

 無線から聞こえる天龍の声に、私は構えていた砲門を下げる。同時に張りつめていた殺気を解くと、ドッと疲れがのしかかってきた。

 

 

「大丈夫、響ちゃん?」

 

「……うん、大丈夫だよ」

 

 

 疲れにふらついた私―――――響を、心配そうな顔の潮が支えてくれた。その言葉、そして支えてくれた手を受け、私は何とか倒れずに済む。久しぶりの長期戦だから、ちょっと気が抜けちゃったか。最近、ずっと遠征ばかりだったからだろう。

 

 

「疲れたなら、帰投するか?」

 

「バカ言うんじゃないよ。何も得てないのに帰れるかい」

 

 

 ふらついた私を見て天龍が少しおどけた様に問いを投げかけ、それをピシャリと否定する。非常事態ではあるが、気を張りつめ過ぎるのはよくない。それゆえに空気を緩めるような発言をするのは彼女の良い所だ。

 

 まぁ、そんなこと言う天龍は常に目を光らせており、気を抜いているわけではない。傍らの龍田も黙っているもののその得物は手の内にあり、視線に至っては常に臨戦状態だ。

 

 

 北方海域の中でも特に複雑奇怪だと言える海流の渦中に浮かぶ島――――キス島。おまけに濃霧に塗れ、艦隊の進撃もままならない。守るに易く攻めるに難し、周辺海域全体が難攻不落の牙城だ。本来であればありとあらゆる対策を講じた上で気運、天運を計り、全てが揃った瞬間を狙わなければ、先ず落ちない。

 

 しかし、今回は攻略作戦ではなく救出作戦である。勝利よりも各艦の帰投を第一、僅かな時間をその目標一辺倒に注力させた。これもまた奇怪な作戦だと思えてしまう。そしてこれを掲げたのが司令官だと言うのも、正直耳を疑いたくなるほどだ。

 

 だが、私はこの作戦になじみがある。何の因果か、この作戦は私にとって『4回目』。1回目(・・・)はあまりいい思いではないかな……作戦中に攻撃を受けて前部を損傷、前進できずに後進で何とか帰投した苦い苦い思い出だ。その時、帰投まで私を守ってくれたのが「レディー、レディー」とうるさい姉だったね。

 

 

 

『絶対に守るから、お姉ちゃんに任せなさい』

 

 

 そう、前が見えない私に何度も何度も語り掛けてくれた。その声、その言葉、その暖かさに、私は何度も救われた。その時、そしてそれ以降、更には今の私(・・・)になってからも。変に背伸びするよりも自然体でいる方がよっぽど大人っぽいのに、と人知れず思っていたが、結局言えずじまいだったなぁ。

 

 

 ねぇ、暁。私はちゃんと、『お姉ちゃん』になれたかなぁ……

 

 

 ……駄目だね、思い出話に花を咲かせている場合じゃない。とにかくこの海、そしてこの『救出作戦』に一家言を持つ私は司令官に捜索部隊を志願した。そしてその言は受け入れられ、今はキス島を左手に大きく南回りで進出している。このルートは、2回目に似ているな。

 

 航行して分かったけどが、やはり一回目とは少々海流が変わっているみたいだ。あの時よりも流れは少しだけ緩和してるね。これなら戦艦でもある程度までなら奥へ行ける。濃霧の乱立は相変わらずだけど、ここまで早かったかな。逐一気付いたことはまとめておかないとね。

 

 

「そうか、ならこのまま行―――」

 

「天龍ちゃん」

 

 

 私の軽口を流した天龍の言葉を、傍らの龍田が遮った。いや、それよりも前に天龍が言葉を止めたのだ。彼女だけではない、この場にいた全員が天龍と同じ方を―――龍田が指す方へ目を向けたのだ。

 

 そこには、黒い煙を上げる何かが近づいてきていた。こんな大海原、黒い煙を上げることが出来る存在は限られている。それは艦娘(自分)たちか、深海棲艦()かだ。

 

 

「吹雪……なわけないか」

 

「えぇ、深海棲艦ね」

 

 

 刃物のような視線で自らが吐いた希望的観測を否定する天龍に、龍田がその答えを上げる。それは今この場に居る全員の一致した見解だ。そのため知らず知らずのうちに全員が戦闘態勢を整えていた。しかし、それは数秒もしない内に解かれることとなる。

 

 

 

「補給艦……?」

 

 

 その発端は目を細めて凝視する潮である。彼女の言葉通り、煙を上げているのは敵の補給艦であった。金剛たちの捜索と同時に敵補給路の寸断を担う私たち水雷戦隊にとってまさに格好の獲物である。それを確認した私が天龍に目を向けると、彼女は無言で頷いてその補給艦に近付いていく。それに全員が戦闘態勢のまま後に続いた。

 

 

「んだこれ、補給艦の残骸じゃねぇか」

 

 

 だが、それも彼女の素っ頓狂な声によって張りつめた空気は一気に緩んだ。必要最低限の態勢を保ったまま、私たちは天龍の元へと急ぐ。彼女に近付くと同時に、その目の前に漂ってるのが航行能力を失った補給艦の残骸であると確認できた。

 

 

「何でこんなところに……」

 

「さぁな、他の部隊が打ち漏らしたのがここまで流れてきたのかもな」

 

 

 補給艦の残骸をマジマジと見つめながら、天龍が一つの可能性を上げる。確かに、私たちが見逃した補給部隊が他の部隊とかち合い、打ち漏らしがここまで流れてきたと言うことも考えられる。

 

 

「だけど補給艦は艦自体だと積載した物資の重みで沈んじゃうでしょ? まぁ積載した物資が減っているのなら話は別だけど……」

 

 

 その可能性を龍田が否定した。補給艦は物資を運ぶ専門の船だとしても、その積載量はエンジンの馬力も含まれている。仮にエンジンを稼働させずに最大積載量を乗せれば、その重みで艦自体が水没してしまう恐れがある。まして煙を上げているのだから、耐えうる積載量も大幅に低下している筈だ。

 

 

「龍田さんの言う通り、物資は殆ど残っていません」

 

 

 その答えを、その残骸を手早く調べた潮が上げてくれた。これで残骸が此処まで流れてきた理由までは把握できた。では、私は一つ気になったことを聞いてみることにしよう。

 

 

「目測で良い。減った(・・・)物資の量は分かるかい?」

 

「えっと……ちょっと待ってくださいね」

 

「何でだ?」

 

 

 不意に投げかけた問いに潮は戸惑いながらも従ってくれ、彼女を含め私以外が浮かんだであろう問いを天龍が投げかけてくる。それを受けて、私は補給艦の残骸を指差しながら答えた。

 

 

 

「もしかしたら、これは金剛たちへの手がかりかもしれない」

 

「本当か?」

 

 

 私の言葉に、天龍が真剣な顔でそう言ってくる。周りを見回すと、補給艦を調べる潮以外が同じ目を向けていた。同時に、潮の作業スピードも幾分か早くなる。

 

 

「これは深海棲艦の補給艦。同時に航行機能を失うほどの損害を受け、そして積載していた物資が残っていない。このことから襲撃者の目的は物資を奪うため(・・・・・・・)だと言える。そして現状、深海棲艦を襲える存在は艦娘(私たち)だけだ」

 

「つまり、この補給艦は金剛さん、損傷報告的に吹雪ちゃんが襲った可能性が高いってことね」

 

 

 私の説明に龍田が結論を述べてくれたので、頷き返す。あくまでこれは可能性が高いと言うだけだ。絶対ではないけど、金剛たちがこの海域に潜伏しているかもしれないと信頼できる証拠ではあるだろう。さて、不確定要素を孕んではあるが報告すべきかな。

 

 

「強ち、間違いじゃないかもしれませんよ」

 

 

 思案に明け暮れた私に、何処か確信染みた声色で潮がそう言った。その言葉に目を向けると、何故か彼女は補給艦の残骸、正確にはその船体に穿たれた弾痕を指差していた。

 

 

 

「この弾痕、恐らく10cm連装高角砲のものと思われます」

 

 

 潮の一言で、可能性が一気に現実味を帯びてきた。10cm連装高角砲は対空装備であり、特に対空に優れた艦娘に配備されている。そして、うちの鎮守府で最も高い駆逐艦は吹雪だ。逆に深海棲艦側で何らかの理由により同士討ちをしたとしても、あっちの装備は全て『inch』だ。その微妙なずれを見逃すことはない。

 

 

「物資数は?」

 

「目測ですが駆逐艦2、3人分、もしくは戦艦1人分程度です」

 

 

 極めつけがこの解答だ。もっと言おう、今この補給艦は航行不能に陥る程の損傷を受け、沈まなかったのも物資を奪われたからだ。更にこの残骸は煙を上げていた、つまり火の手が上がっていたわけだ。襲撃からそこまで時間が経っていないことを示している。

 

 

「こいつは何処から流れてきた?」

 

「海流の流れ的にもう少し先の方だろう」

 

「……行くか?」

 

「待って」

 

 

 私の答えに進撃を選択しようとした天龍を龍田が押し留める。その目は私が指し示した先、海域の奥に注がれている。その先に全員が視線を向けると、同時に全員が戦闘態勢を整えた。

 

 

 

「……数は?」

 

「1隻。駆逐艦ね。距離的に追いつけなくはないけど、奥に踏み込まないといけないわ」

 

「攻撃の意志は?」

 

「……無し、ね。偵察っぽいけど、こっちが気付いても特に反応なし。ずっと様子を見てるわ」

 

 

 天龍姉妹のやり取りを聞きながら、私は遥か彼方に見える1隻の駆逐艦を凝視する。真っ青なキャンバスに落とされたインクの痕のように、この大海原にたった1隻だけで、こちらが気付いても構わず静止しているのだ。

 

 偵察にしては不用心すぎるし、ここは囮と判断した方がよさそうか。更にこの残骸を襲撃したのが吹雪だとすれば、その音を聞きつけて敵が集まってきているかもしれない。あの駆逐艦は囮兼先遣隊の一部、ということもある。下手に踏み込むのは危険だ。

 

 

「……帰ろう」

 

「だな、下手に刺激しない様少しずつ離れていく。龍田、後尾に回れ」

 

「了解」

 

 

 私の言葉に天龍が同意し、私たちは撤退を開始する。有益な情報を手に入れた、後はこれをどう生かすか。そこは司令官にかかっている。しかし、たかが駆逐艦一人が大勢を動かせるはずもなく、出来るのはこの情報を無事に鎮守府まで送り届けることぐらいだ。

 

 とはいっても、一つ腹案があった。有るにはあるが、恐らく採用されないだろう。何せ、彼の命令に則してないからだ。

 

 

「……さて、どうしたものか」

 

 

 撤退中、一人頭を捻ってみる。採用されないにしても、どうにかこの腹案を彼に伝えたいからだ。天龍に吹き込むか、長門や加賀に伝えるか。方法はたくさんある。この帰投中に思いつけばいい。

 

 そんな思案に明け暮れたせいで、私は気付かなかった。それは様子見の駆逐艦が私たちの撤退と同時に近付いてきていたこと。

 

 

 そしてその反応が補給艦の残骸に到達した瞬間、範囲外へと消えてしまったこと。


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