新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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致命的な『失敗』

『……振り切れたね』

 

 

 無線の向こうから北上さんの声が聞える。だけど、私の視界に彼女はいない。むしろ、彼女は愚かその他僚艦たちの姿も見えない。私たちは今、数m先の水面さえ見えないほど白い霧に包まれているからだ。

 

 同時に無線の外から聞こえる5つの波を切り裂く音がその存在を辛うじて保証しているのみ。その音に私の――――曙の足元から聞こえる音も入っているため、実質的に存在が保証されているのは4人だけだ。私たちは6人で母港を出撃しているため、本来ならこの音はもう一つ存在している筈。

 

 だが、どれほど耳を澄ませてもそれを拾うことは出来ない(・・・・)。そのことに誰も触れない、触れられない。触れてしまえば終わってしまうから。人によってはそんな余裕がないと言って逃げるだろうが、その胸中は皆同じ。誰もその口火を切りたくないからだ。誰も認めたくないからだ。

 

 

 

 『ケ』号作戦、通称『キス島撤退作戦』。同名を冠した先の作戦が『奇跡の作戦』と謳われ、それにほぼ同一の状況故にそれにあやかって名付けられた本作戦――――――その頓挫(・・)を。

 

 

 ケ号作戦、その本番と言うべき作戦は現在、暗礁に乗り上げた。その発端は救出部隊として切り込んだ私たち水雷戦隊が哨戒部隊と思わしき敵艦隊に急襲を敢行した際、不意に現れた艦載機群である。事前情報に航空戦力の皆無、そして隠密故に軽量編成を優先した水雷戦隊と言う航空戦力を無視した編成、前提を元に立ち上げた作戦要綱は突如現れた艦載機群によって瞬く間に窮地へと追いやられた。

 

 その時点で作戦は失敗した。だが、私たちはそれを『失敗』とは言わず、『暗礁に乗り上げた』と言葉をすり替えた。と言うのも私たちは現在、濃霧の中を進んでいる。艦載機の羽音はなく銃撃も砲撃もない、敵影さえも見えないかつ攻撃されることなく進んでいるのだ。つまり、艦載機群から逃れることに成功したのだ。

 

 

 成功せしめた要因は3つ。

 

 1つはこの濃霧だ。艦載機群の奇襲を受けた際、周辺海域をスッポリ覆ってしまえるほどの巨大な濃霧が発生したのだ。おそらくは艦載機群の襲来によって気流が大いに乱れたせいで局地的に強い上昇気流が発生、それに煽られて巨大な濃霧が発生したと考えられる。理論的にはそう考えられるが、正直あの時、あのタイミングで、あれ程の濃霧が都合よく発生するとは到底考えられないため、ある意味幸運だったと言えよう。

 

 もう1つは私が背負っていたドラム缶――――金剛さんと吹雪の修復用資材とバケツを積んだドラム缶だ。輸送船兼索敵艦として出撃した私は背負っていた電探とドラム缶2つ、そのドラム缶には戦艦一隻と駆逐艦一隻分を修復するために必要な燃料、鋼材、バケツを双方に同量になるように詰め込んでいたのだ。その理由は戦闘で狙われた際、ドラム缶の片割れを放棄しても作戦を続行できるようにである。

 

 その本作戦とも言うべきドラム缶は今、私の背中にない。それは濃霧が発生した際にドラム缶1つを外して敵艦隊と艦載機群目掛けて投げつけ、それを狙撃して誘爆を起こしたのだ。可燃物である燃料は膨大な量の爆薬は濃霧の一部を食い破る程の爆発を起こし、装甲を形作る筈だった鋼材は大小様々な鉄片となって敵艦隊を強襲、数機の艦載機を道連れに敵艦隊全体に深刻な混乱を与えた。そしてその混乱に乗じて、私たちは濃霧の中に逃げ込んだのだ。同時に私は背中に残っていたドラム缶を機動力と積載スペースを確保するために放棄する。

 

 

 

「うぅ……」

 

 

 唇を噛み締める私の耳に、か細い声が聞える。その言葉に、私は間髪入れずに後ろに回していた手に力を込める。思考の海に落ちていたせいで、その身体を支える力が疎かになっていたのだ。故にすぐさまその力を込め直し、今にも零れ落ちそうな()を抱え直した。

 

 

 最後の1つ。それは今私の背中で声を上げた存在――――――大破した雪風だ。

 

 

 話は私たちが艦載機の急襲を受け、爆風によって潮から引き離されてしまったところに戻る。その時、私は全身を海面に打ち据えた激痛によって動けずにいた。そしてそこに示し合わせた様に頭上から爆弾が投下されたのだ。当然海面でぐったりとしている、ましてドラム缶の所為に機動力を著しく落とした私に回避行動をとることなんて不可能。直撃は確実と思われたその瞬間、横から滑り込んできたのが雪風であった。

 

 自身が出せる限界のスピードで私と爆弾の間に割り込んだ彼女は海面でぐったりしていた私の服を掴み、突っ込んできたスピードを利用してその場から遠くへぶん投げたのだ。再び空中に投げ捨てられた私は再び海面に叩き付けられる――――ことはなく、間一髪のところで雪風同様滑り込んできた潮によってキャッチされた。キャッチされた直後、私は潮の腕の中で首を動かし雪風を見る。

 

 だがその姿を直視する前に爆弾が彼女に着弾。とてつもない轟音と共に顔を叩く爆風、髪を焦がさんばかりの熱に襲われ思わず目を閉じてしまう。無意識に犯してしまった愚を取り戻そうと無理矢理目を見開くと、目の前に広がる黒煙、それにまかれて宙を舞うボロボロの雪風が見えた。

 

 

「雪風!!」

 

 

 その名を叫び、私は潮の手から飛び出して全速フルスロットで宙を舞う彼女を追った。急激な速度に艤装が悲鳴を上げるのを無視し、そのまま突進。しかしドラム缶を背負っていたせいで瞬間的なスピードを出せず、私の手に触れることなく雪風は着水。その身体は爆風の勢いを受けてた目一杯投げられたボールのように海面を跳ね、その度に彼女の艤装から金属片が零れた。

 

 

 何度目かの着水に何とか間に合い、私はボロボロのその身体を抱いた。爆弾の直撃、それも駆逐艦ならそれだけで轟沈してしまうであろう強力なそれの直撃を受けた彼女は意識を失い、同時にその身体が酷く傷ついていた。生傷、切り傷、火傷、打撲、見えないだけで脱臼や骨折もしているかもしれない。誰がどう見てもその姿は致命的な損傷―――――大破であった。唯一の救いは外傷は酷いものの五体満足でいたことぐらい。しかし彼女の呼吸は今にも止まってしまいそうな程弱く、早急に入渠させなけばならない状態であるのは明白であった。

 

 だが、それを見逃す敵ではない。雪風を抱き留めた私に目掛けて数機の艦載機が猛スピードで突っ込んできた。大破状態の駆逐艦と迎撃能力を持たない駆逐艦など敵からすれば恰好の餌だ。逃れることはまず不可能、そうと分かっていても私は無我夢中で艤装を再び全速にする。

 

 再び艤装が悲鳴を上げ、私たちの身体は前へと押し出される。だが、その瞬間雪風の手が私の肩に回され、同時に後ろからカチッと言う軽い音、そして今まで全身の片側にかかっていた重みが一気に消えたのだ。突然のことに重心が崩れて視界が大きくぶれた時、見えた。

 

 

 背負っていたはずのドラム缶、その一つが私たちの背後に広がる海面に浮かんでいるのを。そして、意識を失っていた筈の雪風が腕を突き出し、そのドラム缶に砲口を向けている姿を。

 

 

 その直後、一つの砲撃音と共に巨大な爆発が起こる。その爆風に背中を押され私たちはすぐさまトップスピードで艦載機から離脱。同時に砲撃を行ったであろう雪風が再び意識を手放したため、私はその身体を振り落とさないよう力を込める。しかし、艦娘一人を背負うには荷が多すぎた。それに気付いた私はすぐさま背中に手を回し、先ほど彼女が外したホック―――――ドラム缶を繋ぎ止めていたそれを外した。

 

 再び訪れた重みの喪失と共に抱き留めていた雪風の身体を大きく持ち上げ、そのまま背中に回してガッチリと背負い込む。それと同時に、まるで示し合わせた様に目の前に巨大な濃霧が現れた。

 

 

「16時方向に巨大濃霧を確認!! 全艦、退避ィ!!!!」

 

 

 無線に向かって私はそう吠え、そのまま全速力で濃霧に突入。

 

 

 

 ―――――そして、今に至る。

 

 

 結果として雪風は私たちを、私に至っては直接的に救ってくれた。あの巨大な濃霧も、もしかしたら彼女が呼び寄せた幸運かもしれない。しかし、同時に彼女はこの作戦を暗礁に乗り上げさせてしまった。

 

 まず、彼女が咄嗟に外したドラム缶。これがなければ金剛さんと吹雪の修理が出来ず、二人を曳航して撤退と言う多大なリスクを背負わなければならない。しかし工作艦の役割を担う北上さんが居たとしてもドック以外で艦娘の修復を出来るかどうかすら怪しく、仮にできたとしても不具合が起きる可能性が高い。

 

 あくまでドラム缶は乗せられる艦娘がいたからついでに持って来たと言う色が強く、持って行って修復出来たらラッキー程度だ。私たちは元々二人を曳航するつもりで出撃しているため、ドラム缶を失ったところでそこまで痛手ではない。

 

 

 そして次に、というかこれこそが作戦続行を阻んでいる最大の障害――――雪風の大破である。

 

 初代の頃、私たちは幾度となく大破した僚艦を率いて進撃しその度に多くの艦娘が轟沈した。その経験、というかもう事実として大破した艦娘を抱えたまま進撃すればほぼ確実に轟沈してしまうのだ。敵艦に今にも沈みそうな艦が居れば真っ先に狙うのは私たちも向こうも同様である。

 

 そして、ここにいる殆どは知らないのだろうが、あいつはこの作戦で先ず何よりも全艦娘の帰還を目標と―――――――そう願っている(・・・・・)。『誰一人として失わない、必ず全員帰ってくる』、これが加賀さんが口にしたあいつの願いなのだ。これがあいつがミサンガに込めた願いであり、加賀さんによって引き千切られた願いなのだ。私たちが叶える願いなのだ。

 

 故に大破した雪風を率いたまま進撃することは出来ない。これはあいつの願い関係なく私たち全員一致の答えだ。そこに付け加えてドラム缶の喪失による応急修理が出来ない点を挙げて、母港に撤退することもできる。もしくは榛名さんたち後詰艦隊に雪風の護衛と鎮守府より新たな資材を持ってきてもらえば撤退しなくても大丈夫なのだ。

 

 

 だが、そこに降りかかるのは『時間を消費する』と言うリスク。もし撤退をすれば鎮守府に帰投し、入渠させ、補給を済ませてもう一度出撃するまでにどれほど早くとも一日はかかる。その間他の艦娘が救出部隊として出張ればそのリスクもある程度軽減するかもしれないが、それでもやはり時間はかかってしまう。

 

 時間の経過=金剛さんたちの生存率低下であるため、最優先に避けねばならないリスクだ。また応急修理の関係上北上さんが連続出撃となるため、彼女の負担が増えることも出来れば避けたい。それらを考えると、このまま進撃する選択肢となる。

 

 

 このまま進撃すれば本作戦の成功が最も高くなるが、その代わり雪風が轟沈してしまうリスクが発生する。

 

 このまま撤退すれば雪風以下負傷した艦娘は帰投しもう一度万全の状態で作戦を決行できるが、その代わりに主目的である金剛さんたちの生存率が格段に下がる。いやこうして迷っている今も下がり続けている。

 

 

 故に此処で迫られた選択は、『どちらを取るか』。駆逐艦1隻と戦艦と駆逐艦の2隻、『どちらを捨てるか(・・・・)』。

 

 合理的に考えればこのまま進撃するのが正答である。しかし、感情的にはこのまま撤退をしたい。もうこれ以上仲間を沈めたくない――――――そう私たちは願って、そしてあいつもそれを願っている。だが、その願いを叶える選択肢はない。そして選択しなければ待っているのは最悪の結末。

 

 だからこそ、願っているからこそどちらも選択できない。選択できる勇気がない。選択した責任を取れない。いや私たちに責任を取ることは出来ない、取ることができるのは提督であるあいつだけなのだ。

 

 

 

 あいつに全てを押し付けなければならないのだ。

 

 

 

『皆、一回集まって』

 

 

 その時、無線から北上さんの声が聞えた。その声色は重苦しく、嫌々なのがヒシヒシと伝わってくる。その声に無線の向こうから『了解』と言う声が聞え、それに続いて私も電探に表示される点たちが集まっていく場所に向けて速度を上げた。

 

 そこは濃霧の中で一か所、ぽっかりと開いた空間であった。上からは太陽の日差しが差し込むも、周りは濃霧の壁に囲まれている。こんな現象が起こるなんてまずありえないのだが、これもまた幸運なのだろう。そう切り替え、少し離れたところに見える北上さん以下僚艦たちの下に近付く。

 

 離れた所から見ただけでも、皆の損傷は軽度と言う言葉では済まされない程傷付いていた。

 

 パッと見、夕立と潮は中破、北上さんと響は中破に近い小破。特に潮に至っては魚雷発射管はなく、主砲もひしゃげているために攻撃能力は失われているように見える。恐らく雪風の次に重症なのは彼女だ。そして夕立は深紅に染まった瞳のまま平気な顔でケロリとしているものの僅かに身体がふらついており、現在はスイッチが入っているだけでそれが切れてしまうと一気に衰弱してしまうと予想される。

 

 北上さんと響は損傷こそ少ないものの潮たちを見て表情を歪ませている。彼女たちの中でも撤退が第一案だと見受けられた。そこに現れたほぼ無傷の私と大破した雪風。私たちを見てその表情が攫い歪んだのは言うまでもない。

 

 

 

「さて、改めて状況を説明する……までもないね。手短に聞くよ……此処で撤退するか進撃するか、意見を聞きたい」

 

 

 北上さんの重苦しい言葉。旗艦である彼女はその責務を全うすべくその問いを―――――作戦の頓挫を認め、それを踏まえて今後をどうするか、本来であれば責任を負うあいつに向けるべき問いを私たちに向けてきた。彼女は艦隊の総意を固めるためにそう聞いてきたのだ。いきなりあいつに意見をぶつける前に、先ずは当事者の意見を纏めたいのだろう。

 

 だがその問い以降、誰一人としてその答えを発することは無かった。私たちの意見は満場一致で撤退であるからだ。この状況で進撃したところで救出作戦が成功するとは到底思えない、であれば此処は撤退して再起を計るのが上策である。その下に自分が助かりたいからという身勝手な理由があるかもしれないが、そう考えてしまうのは普通だから誰も非難することはない。まして生き残ることを徹底してきた私たちだ、リスクを回避するのは当然の結果である。

 

 

 

 

「進撃です」

 

 

 だが、問いに対する第一声は固まっていた総意に反するものであった。それを聞いた一同の目が私に注がれる。そのどれもこれも信じられないような目をしていたが、その中で北上さんが向けてくる目だけはそこに内包された感情が一切読めなかった。いや、読めなかったのはその目自体が私に向けられていなかったからだ。何せ、それを口にしたのは私ではなかったから。

 

 

 

 

「撤退なんて駄目です、進撃しましょう」

 

 

 

 そう、更に言葉を添えたのは私の背中で意識を失っていた筈の雪風であったからだ。意識を取り戻した彼女は私の背中で顔を上げ、しっかりとした口調でそう進言した。そこに、いつもの彼女はいなかった。いつもの笑顔を、いつもの柔らかな雰囲気を、その他『いつも』の彼女が纏っていたもの全てを捨て去った雪風がそこに居た。感情の全てを捨て去って、ただ淡々と言葉を発しているかのような、まるで感情を持たない兵器のような彼女が居たのだ。

 

 

 

「……進撃するリスクは理解している?」

 

「はい、雪風が沈むだけです」

 

 

 北上さんの重苦しい問いに、雪風は至極当然のように答えた。当たり前の答えを吐き出し、それが選択されるだろうと信じて疑わない。『進撃』と言ってしまえば今すぐにでも海面に足を付け、そのまま進んでいってしまうのではないかと思うほどに。

 

 

「あんただけじゃない。潮や夕立、軽微とはいえ私と響も損傷している。この状況で進撃して全員無事に帰ってくる可能性は……」

 

「敵は雪風が引き付けるので大丈夫です」

 

 

 北上さんの言葉を遮る様に雪風は声を上げた。その言葉に、やはり感情はない。ただ淡々と、己の役割を述べるのみ。後は述べたそれを忠実に遂行するだけだ。

 

 

「考えてみてください。目の前に傷付いた敵艦隊が現れた時、真っ先に狙うのは誰ですか? 味方かの被害を抑えるために戦艦や空母の大型艦を狙いますか? 機動力が売りの軽巡洋艦、駆逐艦を狙いますか? それこそ無駄に弾薬を浪費するだけです。雪風なら仕留めやすい(・・・・・・)のを狙います。特に火力に乏しい水雷戦隊なら頭数を減らすために狙うでしょう。つまり、必然的に敵の目は雪風に集中します。それで……」

 

「それで他の艦は沈まないって?」

 

 

 雪風の話を、今度は北上さんが遮る。先ほどの感情の無い声色ではなく、何処となく刺々しい、弄んでいた刃物を突き付けるような鋭さがあった。だが、その剣幕に雪風は動じることも無く、感情の一切を削ぎ落した表情を向けるだけだ。

 

 

「勿論、全てを引き付ける自信はありません。少なからず皆さんにも火の粉がかかるでしょう。ですが今までの経験上私たちは沈むのは大破状態で進撃した場合、言い換えれば大破していない艦娘はある程度の進撃は可能だと言うことです。恐らくは妖精さんの懸命な応急措置だと思いますが、少なくとも沈んでいった艦は雪風の知る所大破状態での進撃が殆どだったと記憶しています。このことから皆さんが沈むことは無いと判断します」

 

「でも、それって雪風ちゃんが……」

 

 

 そこに割って入ったのは夕立である。ボロボロであるものの、その目は元の色に戻っている。スイッチが切れ始めた証拠だろうか。その証拠に先ほどの不敵な笑みを浮かべた彼女ではなく、少し不安げな表情である。その言葉に雪風は北上さん同様の顔を向けた。

 

 

「だから『雪風が沈むだけ』と言ったじゃないですか。進撃した場合、落伍する可能性があるのは雪風だけです。それだけ(・・・・)で成功に導けるんですよ? 万が一このまま撤退すれば金剛さんと吹雪さんが戻らない可能性が跳ね上がりますよ? 良いんですか?」

 

「でも現状、金剛を吹雪を修理して撤退するのが前提だった資材が無い。このまま進撃したところで意味が無いじゃないか?」

 

 

 次の話を遮ったのは響である。彼女は落伍者ではない別の点を、金剛さんたちの修理に必要な資材の喪失を上げてきた。それを聞いた瞬間、私の胸中に鉛のような重圧がかかったのは言うまでもない。

 

 

「元々資材が有れば修理できる保証なんて無かったはずです。仮に出来たとしても何処かで不具合が起きる可能性もあった。資材の有無は本作戦の根本ではないのですから、それで撤退を選ぶのは愚策かと。それに一つは爆発四散しましたがもう一つは行方知れず、響さんたちの報告では吹雪さんが補給艦を襲撃したとありました。運が良ければ(・・・・・・)敵が回収し、それを金剛さんたちが奪取してくれるかもしれませんね」

 

 

 響の問いを否定し、余裕とばかりに机上の空論を述べる雪風。だが何故だろうか、その空論を述べる彼女の顔がほんの一瞬、ほんの一瞬だけ苦痛に歪んだのは。

 

 

「さぁ、もういいでしょう。しれぇに通信を」

 

 

 一通りの意見を、というか雪風との舌戦はあちらに軍配が上がったのを持って雪風は北上さんにそう促した。それを受けて、北上さんは無言で私たちを見回す。その視線に晒されるも、誰も口を開くことは無かった。それは雪風の意見に賛同すると同義である。

 

 

「通信を開始する」

 

 

 全員を見回した後、北上さんはそう口を開く。その瞬間、無線の向こうからノイズが走り始めた。艦隊と鎮守府を結ぶ無線はとても強力な電波を使用しており、旗艦だけでなく僚艦全員の無線にも聞こえるようになっている。無論、傍受される危険を孕んでいるため、通信の認可は旗艦の判断だ。

 

 

「降ろしてください」

 

 

 通信が繋がる間、背中の雪風がそう言う。その口調は口答えをさせない重さがあり、それを受けた私は素直に彼女を彼女を下ろした。私の背中から着水した彼女は大破しているとは思えないほど滑らかだ。その見事なまでの着水にほんの一瞬大破しているのだろかと疑問に思ったが、次に移ったボロボロの彼女を見てその考えは露と消えた。

 

 そして、彼女の視線はまたもや自身の手首に下がるミサンガに注がれる。爆撃をもろに受けたせいで、彼女のミサンガは今にも千切れそうなほぼボロボロであった。だが辛うじて、本当に辛うじてだがまだ繋がっている。それを見て、私は彼女がまた苦痛に満ちた表情を浮かべると思った。

 

 

 

 だが、その予想に反して彼女が浮かべたのは安堵した表情だった。

 

 

『皆、無事かッ!!』

 

 

 次の瞬間、無線の向こうから悲鳴のような怒号が鼓膜を揺さぶってきた。その場にいた全員がそれに思わず耳を抑える中、一人ミサンガから目を離した雪風はすぐさま無線に語り掛けた。

 

 

「はい、誰一人として損傷艦はいません」

 

『そ、そっ―――』

 

「んなわけないでしょ」

 

 

 力強い雪風の発言に安堵の言葉を漏らすあいつに、北上さんがすぐさま否定する。同時に北上さんが雪風にもの凄い剣幕を向けるも、当の本人はすぐさま視線を逸らして知らんふりだ。そんな一色触発の雰囲気であったものの、切迫した事態故に北上さんが矛を収める。

 

 

「今のは無視して。本隊は進撃中に敵艦載機群の奇襲を受けた。被害は雪風が大破、夕立と潮が中破、私と響が小破。また金剛たちの修復資材積んだドラム缶は両方とも喪失、以上が現状の報告だよ」

 

『な、何で艦載機が……』

 

 

 北上さんの報告に、あいつは至極当然の問いを溢した。艦載機群が居ないことを前提に決行された作戦だったのに、其処に現れた大規模な艦載機群だ。この事実はこの作戦の頓挫を意味している。

 

 

「残念だけど原因は分からないし、今それを議論する余裕はない。提督には現状、進撃するか撤退するかの判断を」

 

『そ、そんなの撤退に決まってるだろう!!』

 

 

 北上さんの問いに、あいつはすぐさまそう叫ぶと思った。しかし、その予想に反し返ってきたのは息を呑む音だけ(・・・・・・・)だ。その変化はあいつが人としてほんの少し成長したと言う証拠である。本来なら息を呑むのはこちらであり、場合によっては手を叩いて喜ぶことだ。

 

 

 だが残念なことに、非常に残念なことに、今この場に居る誰もがその変化を恨んだ。

 

 

 

『……撤退したら金剛たちは?』

 

「無論、助かる可能性が低くなります。今こうして悩んでいるだけで、お二人の生存率は絶望的になりますよ」

 

 

 あいつの問いに容赦なく答えたのは雪風である。その天秤に己の命がかかっていると分かっているのか疑問に思うほど、バッサリと切り捨てたのだ。それを受けて、あいつは再び黙り込む。その状況を私は歯を食いしばりながら見るしかなかった。

 

 

 もし、もしあいつが今までのままであったら、北上さんの問いにすぐ『撤退』を選んだだろう。あいつは目先のことにすぐ行動を起こす、提督としてはまさに欠点とも言うべき部分である。だが、それは場合によっては上手く転ぶこともある。それは今まであいつがここでやってきたことを見れば証明されるだろう。

 

 また時にはその欠点を艦娘(私たち)が利用することもあり、今回はまさにそれを利用しようとしたわけだ。

 

 今までのこと全てを棚に上げて言うが、私たち艦娘は所有者である提督の命令を絶対に聞かねばならない。それは旗艦だろうが僚艦だろうが、あいつが提督を務める鎮守府に所属する艦娘全てに適応されるもの。だから、あいつが示したこの作戦を私たちは成功させる義務がある。つまり、現状のままでは作戦成功の条件である『金剛さんたちを救出すること』が最優先となり、私たちはどんなに傷付いていようと進撃しなければならないのだ。

 

 だが、あいつはその場の勢いで選択を変える欠点がある。もしあいつが一回でも『撤退』を選択すれば、それを大義名分に私たちは撤退することが出来るのだ。雪風は暴れるだろう、金剛さんたちは助からないかもしれない、だがこの状況で、この状態で進撃をすれば成功は愚か二次被害が出る可能性が高い。その最たるものが雪風の轟沈、最悪の場合は救出部隊の全滅だ。

 

 これは戦いであり、殺し合いである。生き残るかどうかは運。誰が殺し、殺されようと、結局は『運が無かった』で片付けられてしまう世界だ。その世界で私たちが足掻けることは運に左右される対象を絞ること、被害を最小限に抑えることぐらい。ならば、盛大に足掻くのが当然であろう。

 

 

 だからこそ、その欠点を欲したこのタイミングであいつが成長してしまった(・・・・・・・・)ことが、何よりも恨めしいのだ。

 

 

「ほら、何黙り込んでいるんですか? 早く進撃しましょう。こうして黙っている時間がもう無駄なんですよ。今この時、金剛さんたちが襲われているかもしれないんですよ。それをただ指を咥えて見てるなんて、それこそ愚の骨頂ですよ? 分かっていますか?」

 

 

 黙りこくるあいつに対して、雪風は進撃しろと捲し立てる。その口調は私たちに向けてきた、淡々と事実を述べつだけのモノとは違っていた。その言葉の節々から見えたのは焦りだ。それは金剛さんたちが助からないことへの焦りだと思われる。だが、どうも私には――――ミサンガを見ていた彼女の横顔がちらつく私にはそう思えなかった。

 

 

 

『……し、進撃した……場合は?』

 

 

 ようやく、あいつは口を開いた。それは散々捲くし立てた雪風の進言に対する問いである。いや、『問い』と言うよりも『反抗』と言った方が良いだろう。何故ならその覚束ない口調があの時と―――――試食会の時に私たちの前で喋っていた時と全く同じであったからだ。

 

 

「そんなものな―――」

 

「金剛たちに加え、私たち救出部隊の全滅」

 

 

 あいつの問いを鼻で笑うかのように否定しようとした雪風を遮って、北上さんが事実を叩きつけた。それに雪風は今まで見たことがない程鋭い剣幕で北上さんを睨み付ける。刃物、というには生易しいほど鋭利な剣幕だが、北上さんは先ほど自分がされたことをそのまま返すかのように無視した。

 

 

「本隊の被害状況は報告した通りさぁ。その状況で進撃したら、私たちは何人帰ってこれるかね~……無論、進撃(その選択)で金剛たちの無事も保証されることは無い」

 

 

 いつもの緊張感の抜けた口調から一変。北上さんは白々しく背けていた視線を動かし、今もなお剣幕を向け続ける雪風へと向ける。その時、彼女たちが浮かべていたのは、とても味方に向けるものとは思えなかった。

 

 

 

「絶対に、無い」

 

 

 そんな剣幕を―――殺意を込めた目を向けながら、北上さんは断言する。それを受けて、雪風は何も発しない。ただその向けられた殺意に満ちた目に対して、彼女は同じように目を向けていた。だが、彼女が向けている目には北上さんのそれとは少しだけ違っていた。

 

 

 それは何処か申し訳なさそうなものだったから。

 

 

 

「さぁ、提督。どっちか(・・・・)決めなよ」

 

 

 その時間を切り上げたのは北上さんである。これ以上時間を割くことを嫌ったためだろう。何故なら、彼女は今この場を進展させる最終決定権を有する存在に匙を投げたのだから。

 

 

「そうですしれぇ、早く決めて下さい」

 

 

 それに続き、雪風も自身の匙をあいつに委ねた。自身がどれだけ騒いだところで、結局は上司(あいつ)の一言で決まってしまうからだ。むしろ相対する北上さんが決定権を丸投げしたことで自身の独壇場から引きずり降ろされてしまったためでもあるだろう。ともかく、彼女も早々に決着をつけたいがためにあいつに押し付けたのだ。

 

 

『…………』

 

 

 押し付けられた側であるあいつは二人の言葉を受け取った後、ただ沈黙を貫いていた。恐らくその頭は、感情は、心は、あいつを構成する全てが悲鳴を上げているだろう。何せあいつが望んだのは誰一人として沈まない『未来』なのに、望まれたのは『誰かの命を捨てる『選択』なのだから。

 

 勿論、その『未来』を知っているのはあの時執務室に居た私と響だけ。選択を投げつけた二人、そしてその周りにいる子達の殆どは知らない。あいつが望んでいることを、私たち以外誰も知らないのだ。そして投げつけられた選択肢はどちらもその『未来』を否定するもの。つまり、あいつ自身の手であいつの『未来』を潰せと言っているのだ。

 

 それがあいつにとってどれほど酷なことか、正直分からない。ただあの時、執務室で盛大に取り乱したあいつの姿を見た私にはその選択肢は拷問にほかならない。どちらも想像を絶する痛みを、苦しみを、一重に死んでしまいたいと願ってしまう、それを受刑者であるあいつにわざわざ選ばせているのだ。

 

 

 これほど酷いことがあるか、これほど非道なことがあるか。

 

 

 これほど許せない(・・・・)ことがあるか。

 

 

 

 

「ちょ―――」

 

「待って欲しい」

 

 

 いつの間にか声を荒げていた私を遮ったのは、北上さんでも雪風でもない。先ほど雪風に論破され、それ以降沈黙を貫いていた響であった。

 

 

「何です?」

 

「まぁそう言わないでくれ。少し、先人の話を聞いてくれないか?」

 

 

 突然口を挟んだ響に雪風が邪魔をするなと言いたげに語気を荒げる。だが響はその勢いに気圧されることなく、飄々とした口調で彼女を諭し、そして自身を『先人』と評した。彼女が本隊に選ばれたのは、今作戦の名をなぞられた『奇跡の作戦』に従事したからだ。そんな彼女が敢えて自分を先人と評したと言うことは、これから彼女が語ることは先の作戦についてであろう。

 

 その言葉を受け、北上さんは雪風に向けていた視線を響に向けた。その目は雪風に向けていたものからは幾分か和らいでいたものの、未だにその鋭さは健在であった。まるでその話は口を挟むに値するものか、と問いかけているようだ。

 

 

「まず最初に、私は『撤退』を支持する。これは私たちの戦況を一切無視した上での判断だ。別に自暴自棄になったわけじゃない。元々、この作戦自体が不明瞭な前提を無理やりこじつけて組み上げた、いわばお粗末な(・・・・)作戦だ。正直、何処で綻びが生じるだろうか、とは思っていた。そして案の定、綻びが生じたわけだ。これはもうどうしようもない事実、潔く受け入れるしかない」

 

 

 元々無理があった作戦、それを馬鹿正直に実行し、当然のように頓挫した。端的に言えば、彼女はこの作戦を実行した私たちを馬鹿にしたのだ。無論彼女もこの作戦を立案した一人であり、ひいては自分を馬鹿にしているこことになる。

 

 だが、どうも彼女の言葉からそのような空気は感じ取れなかった。

 

 

「……話は変わるが、私が従事したあの作戦は当初、成功が見込まれない無謀な作戦だと言われたそうだ。何せ敵の展開範囲からその性能、レーダーが向けられている方向、乗員の視線の向き、その視力、更には天候と濃霧の濃さと範囲、発生から消滅までの時間、こちら側の艦の向き、海洋の状況、装備の機能と乗員のコンディション、大小様々な要因が複雑に絡み合っていて、そのどれか一つが欠落すれば救出部隊共々全滅の恐れがあったからだ。司令官はそのどれもが噛み合うタイミングを、針の穴を通すような僅かな瞬間を見定めなければならない。見定めたら間を与えず、一気呵成に動かなければ成功しない。相当の胆力、決断力が無ければまず成功しなかっただろう。だからこそ『奇跡の作戦』だって呼ばれているわけであり、それは一度撤退した(・・・・・・)上での成功でもあったからね」

 

 

 響の口から現れた言葉で、私は彼女が言わんとしていることが分かった。つまり、彼女は『奇跡の作戦』と謳われたキス島撤退作戦も一度撤退(・・・・)をしていることを伝えようとしたのだ。

 

 それはその司令官が周りの反対を押し切って下した決断である。当時、彼以外の人間すべてが撤退を反対したが彼はその全てを押し切り、あと一歩で到達しようとしていた海域から反転、離脱した。その撤退によって、司令官は各方面から痛烈な批判を受けることとなる。臆病者、愚者、無能等々、ありとあらゆる罵詈雑言が彼に向けられた。

 

 だが、彼はその全てを意に返することは無かった。何故なら、その時自身が下した決断が間違っていたなど、微塵も思っていなかったからだ。それと同時に誰もが失敗だと断じた作戦を彼は諦めずに、ただひたすらに時機を待ち続けた。

 

 そして再び決行された第二次撤退作戦。その作戦でも、同艦隊は第一次と同じ状況に立たされることとなった。これに船員はまた引き返すのだろうと司令官を侮るも、彼はただひたすらに機会を、成功への道しるべを待ち続けた。そしてそれが満を持してやっていた瞬間、怒涛の勢いで進撃を開始。無謀な作戦と、そして失敗を犯した愚鈍な司令官が無理矢理決行したその作戦は、犠牲の殆どを払わずに成功した。

 

 

 成功は絶対にありえないと断言できてしまえる状況下で光る司令官の決断力、全ての条件を揃えた『幸運』によってもたらされたからこそ、この作戦は『奇跡』と呼ばれたのだ。

 

 

「それに君は言った筈だ、この作戦は様々な条件が揃わなければ成功しない、まさに『幸運の女神』を味方に付けなければならない。だからこそ君は雪風を起用し、彼女が受ける寵愛を頼みとした。そして雪風自身も言った筈だ。『運が良ければ(・・・・・・)喪失した資材を敵が確保し、その敵を金剛たちが襲うかもしれない』と。君自身も己が寵愛に身を委ねた。ここまで委ねているんだ、今更一つ二つ委ねたって変わりっこない。もう一回(・・・・)ぐらい『幸運』に委ねてもいいんじゃないかな?」

 

 

 彼女は今この時、この時こそ先の作戦で言う『撤退』を選択すべき場面であると。今こそ合理的に考えられる範疇を越えた、『幸運』と言う不明瞭なものに身を任せる時だと。

 

 

「そしてね、司令官。私たちが撤退した時、司令官が周りを説得するときに言った言葉があるんだ」

 

 

 その言葉とともに響は何処か語り掛ける様に言葉(それ)を口にした。それは『奇跡』を起こしたもう一つの要因である司令官の決断力を。今ここでそれをあいつに求めている。それもただ押し付けているだけではない。何も見えない真っ暗な道を、『前例』と言う松明で照らした上で。闇雲に進むしかなかったあいつに対して、道しるべを向けたのだ。

 

 

 

「……帰ろう。帰れば、また来ることができる」

 

 

 

 同時に、『彼女』の前で絶対に言ってはいけない言葉(・・・・・・・・・・・・・)を。

 

 

 

 

 

 

「あはッ」

 

 

 それを響が口にした時、彼女(・・)はそう声を、笑い声を上げた。その笑い声に、その場にいた全員が彼女に目を向けた。そのどれもこれもが驚きに満ちている。この緊迫した状況、そしてようやく今後の見通しが出来たところなのに、呑気に笑い声を上げられるほど無神経な精神を持つ者は存在しないと思っていたから。

 

 

「ッぷ……くぅ……そうですか、そうですか……」

 

 

 彼女は込み上げる笑いを無理やり殺しならが、そう言葉を続ける。その言葉が向けられていると思っている(・・・・・)響はポカンと口を開けて彼女を見るだけ。そう捉えるのはしょうがないし、間違っているわけではない。どちらかと言えば、誰もが向けられていると勘違いするほど溢れ出るそれが膨大過ぎるだけだ。

 

 

「そうかぁ……そうですかぁ……ははッ、そっか!! そうだよねぇ!!」

 

 

 それを無視して彼女は大きくそう叫ん後、一転した静かになった。突然の沈黙に周りの視線が彼女に集中する。勿論その中に響も含まれており、その表情は訝し気に首をかしげているた。彼女のシナリオからすれば、このまま撤退する運びとなっていた筈だからだろう。そして、何より撤退を支持できる理由を――――彼女が撤退に必要不可欠だと伝えたからだろう。

 

 だが、その表情も次の瞬間に消え去ってしまう。訝しげだった表情は強張り、瞳孔はキュッと締まり、額から汗がにじみ出ていく。何故そうなったのか、答えは目の前にある。

 

 

 

「その言葉、よりにもよって『あたしたち』に言っちゃいますかぁ」

 

 

 そう、何処か楽しそうに笑う雪風(彼女)に詰め寄られたからだ。

 

 

 いきなり詰め寄られた響は思わず一歩下がるのを、詰め寄った雪風は一歩進んでその差を埋める。

 

 縮められた差を取り返そうと身を引くも、制服の襟を掴んだ雪風が強引に引っ張ってその差を埋め、今後広がらないようにする。

 

 距離を取れなくなった響が視線だけでも逸らそうとするのを、その透き通る宝石のような明るさは見る影もない黒く歪んだ瞳を向けて釘付けにする。

 

 

 

「そう言えば、あなたはあの時入渠していたから知らないんですね。なるほど、それなら仕方がありません。その言葉を『あたし』に向ける意味、特別に教えてあげちゃいます」

 

 

 そう、彼女は嬉々としてそう語り始める。その様子はある意味、いつもの雪風に近い振る舞いにも見えた。だが、その実彼女がまとう雰囲気は全くの別物である。

 

 

 それを言葉で表すなら、何が適切だろうか。

 

 

「実は()が入渠している間、雪風は夜間の強襲任務に参加しました。そこで敵巡洋艦、駆逐艦数隻を攻撃し、撃沈させました。だけどその戦闘であの人(・・・)は航行不能になってしまい、雪風たちは曳航することも出来ずその人を置いて一時撤退しました。そして再びその場に戻ってきた時、その人は既に沈んでいたんです。貴女の言う通り(・・・・)にしたら、その人は沈んでいたんですよ」

 

 

 雪風が淡々と話すのは、恐らく彼女自身ではなく先の大戦での記憶。駆逐艦 雪風が経験したことだ。だからこそ、彼女は自身を『雪風』と称した。

 

 

「そして……これは最近(・・)ですね。しれぇの命令で沖ノ島海域の攻略に向かった時……あたしを庇って大破したあの人を助けようと言う通り(・・・・)にした結果――――」

 

 

 そこで言葉を切った彼女は響の襟を掴んでいた手を離し、その手で自身の胸元を握りしめた。そのままひき千切らんとするように、その下にある己の心臓を握りつぶしてしまおうとするように。

 

 

 

 

「この手で、沈めました」

 

 

 

 己の心臓を潰さんばかりに握りしめ、その顔に笑顔を張り付けた泣き顔を浮かべた彼女は、『幸運艦』とは程遠いもののように思えた。そしてその姿が、不意にあの時(・・・)と重なった。

 

 

 

 目を剥かんばかりに輝く太陽を背景に、一人ぽつんと海面に佇む雪風。

 

 

 彼女の前方で、ちょうどいま立ち上がったばかりの大きな水柱が。それを前にして微動だにしない彼女の背中にある魚雷発射管は、魚雷2本分が抜け落ちている。

 

 

 そしてその2本分が命中した際に立ち上がる水柱が、ちょうど今しがた立ち上がる水柱と同じぐらいだった。

 

 

 

 

あたし(・・・)は、雪風(・・)は…………あたしたち(・・・・・)はその言葉で、その言葉であの人を――――――」

 

 

 そこで顔を上げた彼女たち(・・・・)は笑っていた。泣いていた筈のその顔を完璧な笑顔に変えた彼女たち(・・・・)を、こう呼ぶのだ。

 

 

 

 

 

「「比叡さんを、二度も殺したんです」」

 

 

 

 『死神』―――――と。

 

 

 

 彼女たちがそう言い終えたと、沈黙のみが流れた。誰一人としてその後に話を続けようとする者はおらず、ただひたすらに待った。

 

 

「これで響さんの作戦は下策であることが証明されました。さぁしれぇ、早く決めて下さい」

 

 

 その一人である雪風もまた、待っていた。いや、待ち侘びた(・・・・・)のかもしれない。ここまで御膳立てしたのだから、当然自分が望む答えが返って来ると。

 

 しかし、何時まで経ってもその答えは来ない。彼女がそう声を発して以降も、誰も声を上げないのだ。

 

 

「しれぇ、何考えているんですか? 答えはもう決まっているでしょ? 進撃、進撃です、進撃しかないんです。こんなとこで時間を浪費する暇じゃないんです。ほら、言っちゃえばいいんですよ。ほらぁ!!」

 

 

 その声色は柔らかいものの、徐々に徐々に荒くなっていく。彼女の中で、当然来るべきものが一向に来ないからだ。

 

 

「……まさか雪風以外が沈んでしまうのでは、とお考えですか? 心配ありません!! 雪風の経験上、沈んでしまうのは大破した艦娘だけです。潮さんや夕立さんは中破ですから、絶対大丈夫です!! だから……ね? 進撃しましょうよぉ?」

 

 

 答えが返ってこない理由を察したのか、雪風は自信満々に答えた。その考えは的を射てるようで、実は外してる。それを彼女は分からないのだろうか、いや分かってやっているのだ。それは少しでも答えを得やすくするために。

 

 

「しれぇ、いい加減にしてください。今ここで撤退すればしれぇの守りたいものを失っちゃうんですよ? 良いんですか? こうして黙り込んでいれば、何もかも全部失っちゃうんですよ? 良いんですか? しれぇが今まで大切に守ってきたものが、こんなしょうもない判断一つで消えちゃうんですよ? 良いんですか? それがほんの少し、たった一隻(・・)だけで守れるんですよ? 良いんですか? どちらを選ぶか分かっていますよね? だからさぁ……早く、決めろって……」

 

 

 最後は語りかけると言うよりも吐き捨てるに近かった。それだけ雪風の中で限界が近づいているんだろう、それだけ彼女も焦っているんだろう、それだけ彼女は求めているんだろう。

 

 

「たかが駆逐艦1隻(・・)だけで戦艦と駆逐艦2人(・・)の命を救えるんですよ? どちらを取るか、子供でも分かりますよ。だからほら、早く決め……あぁ、もう!!」

 

 

 

 遂に我慢の限界に達した雪風は胸元に付けていた無線のマイク部分をひったくり、口元に近付け盛大に吠えた。

 

 

 

 

「さっさと雪風(あたし)を捨てろって言ってんですよ!!!!」

 

 

 その咆哮は無線を通して私の耳を、そして空気を通して直接私の耳に突き刺さった。その言葉ほど、残酷なモノはないだろう。そう思えてしまうほど、彼女の言葉は重く、鋭く、容赦が無かった。

 

 それでようやく反応があった。それは息を呑む音でもなく、覚悟を決めて吐く息の音でもない。

 

 

 

「ぅ」

 

 

 

 小さく小さく、本当に小さく聞こえた、あいつの声だ。それは言葉ではなく音、突然突き付けられた重責に思わず漏れてしまったあいつの悲鳴だ。多分、それがあいつが絞り出せた唯一の声だ。

 

 

 

 

 何故なら、それ以降無線の向こうから声が発せられることは無かったからだ。

 

 

 

「もう、良いです」

 

 

 不意に雪風がそう呟き、同時に私の無線から何かが途切れたノイズが走った。雪風は今まで自身の耳に入れていたイヤホンを引き千切り、海に捨てたのだ。それはまるで、今後無線の向こうから聞こえてくる声を遮断するかのように、今までの関係を絶つかのように。

 

 

あなた(・・・)は」

 

 

 イヤホンを捨てた雪風はまだ機能しているマイクを口元に近付け、先ほどの大声から一転し、囁くようにこう言った。

 

 

 

 

 

あたしのしれぇ(・・・・・・・)じゃ、ありませんでしたね」

 

 

 

 そう言い残し、雪風はマイクを捨てる。同時に上体をかがめ、その瞬間その足元からエンジン音が鳴りだした。

 

 

「まっ?!」

 

 

 

 それが何を示すかを瞬時に理解した北上さんが咄嗟に手を伸ばす。しかし一気にフルスロットルを上げた雪風の艤装が悲鳴と共に発生させた突風に阻まれ、その手をすり抜けた雪風の身体は私たちの一団から一気に離れた。離れた雪風はそのまま方向を変え、フルスロットルで濃霧の壁に突っ込んでいった。

 

 その進む先は先ほど私たちが逃げてきた方向―――――キス島方面。

 

 

 

 そう、独断で進撃を強行したのだ。

 

 

 

「夕立!!」

 

「行きますッ!!」

 

 

 雪風が消えていった壁を見ながら北上さんが叫ぶと、その意図を理解した夕立がフルスロットルで濃霧の壁に突入する。それを見届けた北上さんはすぐさま無線に口を近づけた。

 

 

「『死神』が進撃を断行、私らも後を追って進撃する。早急に後詰を寄こして。あいつを取っ捕まえ次第、帰投する。それと……」

 

 

 そこで言葉を切った北上さんは、マイクを握りつぶさんばかりに力を込めながらこう続けた。

 

 

 

「いい加減、提督らしいこと言えよ」

 

 

 そう吐き捨て、彼女もまた雪風の後を追って濃霧の壁へ突っ込んでいった。残されたのは私、潮、響、の三人。潮はこの事態にどうすれば良いのか分からずオロオロしている。響は先ほど雪風に言われたことにショックを受けているのか、苦虫を噛み潰した顔をしている。

 

 

 

「ねぇ、クソ提督」

 

 

 ()は今まで触れなかった無線のマイクを手に取り、口元に近付けてそう問いかけた。この言葉に周りの二人も反応する無線を解しているため、二人にも私の声が聞える。だけど私が語り掛けたのは二人ではなく、無線を介した向こうにいる存在。

 

 決して手では触れない距離にいて、そのくせ無線の向こうからしっかり声が聞える。だけど、私の問いにあいつが答えることは無かった。そして、それも私は分かっていた。

 

 

 だからこそ、こう続けた。

 

 

 

 

「大丈夫。皆、無事に戻ってくるって」

 

 

 そう無線に、その向こうでどんな顔をしているか分からない人に、私はそう語り掛けた。周りの二人から視線を感じる。だが、それに意を返す気は無い。

 

 

「大丈夫。誰一人欠けずに戻ってくる」

 

 

 もう一度、同じことを伝える。この言葉がどれほどの意味が、価値が、重みが、現実味が。もしかしたら何の意味もないかもしれない。だけど、仮にそうだとしても、仮に何の証拠もない嘘八百だろうと、私は同じことを伝える。

 

 

「大丈夫、全員必ず帰ってくる」

 

 

 あの時の加賀さんがそうであったように。あいつの顔を上げさせ、前を向かせ、その背中を押す存在に、あいつを動かす理由が必要だ。

 

 加賀さんの話しぶりからして、彼女はあいつのことを知っていた。彼女だけしか知らなかったことが―――――誰も沈めたくない、というその願いを、それが込められたミサンガだと知っていた。だからこそ、あの場でああ言えたのだ。艤装を装備すれば戦闘を行える彼女だからこそ、ミサンガの願いを背負えた。

 

 じゃあ、今の私は何がある。知っているのは加賀さんが明かしたあいつの願い、そしてそれに固執したあいつが導いてしまった最悪の現在、雪風や北上さんに散々に打ちのめされたボロボロの姿。

 

 これだけ、これほど(・・・・)私は知っている。見えている、分かっている、揃えている。これだけあれば、もう理由なんてどうでもよくないと言えないか。

 

 

 ……あぁもう、面倒くさい。こんな屁理屈をこねたところで私の意志は変わらない。だからもう一度、もう一度だけ伝えよう。伝えさせて欲しい、宣言させて欲しい。

 

 

 

 もう一度、言わせて。

 

 

 

「私が、何とかするから!!」

 

 

 務めて明るく、はきはきと、胸を張って、自信たっぷりに。顔の見えないあいつに向けて、とびっきりの笑顔で。

 

 その言葉に根拠なんてない。成功する見込みなんかある筈がない。戯言と、狂言と、無責任な言葉だと罵られるだろう。でも、そんなの別に良い。むしろ現実的か現実的じゃないかとか、この際どうでもいい。あるのはそう、ただそうしたい(・・・・・)と言う思いだけ。

 

 

 

 あの時―――――執務室であいつが取り乱した時、何も出来なかった私だけど。

 

 こんな―――――砲撃も出来ず、資材を守り抜くことすら出来ない私だけど。

 

 そんな―――――艦娘としての能力を失っても見捨てずに、あまつさえ潮と一緒に居られる様にしてくれた。

 

 

 そんなあなた(・・・)だから、あなただからだと。

 

 

 私はその願いを、今しがた踏みにじられた望みを、あなたが託したこのミサンガに、(私たち)が叶えなければいけない願いを。

 

 

 

 私が叶えたい、叶えてあげたい、『私とあなた』の大切な願いだと。

 

 

 

「だから、待ってて」

 

 

 

 そう無線の向こうに――――『大切なあなた』にそう伝え、私は通信を切った。

 

 


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