新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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彼を見ている『三人』

 海を駆ける、髪が靡く、巻き上がる飛沫を浴び、分厚い霧を切り裂き、前へ前へと進んでいく。

 

 身体が軽い、足取りも軽やか、痛みなんかとうの昔に何処かへ置いてきた。あるのは高揚感、優越感、達成感。大小様々な『好感』のみ。

 

 この先に待っている。待ち焦がれたもの、待ち遠しかったもの、口惜しかった、名残惜しかった、待ち望んだそれが。ようやくこの手に納まる。その日が、その時が、その瞬間が、この先に待っているのだ。

 

 

「ハハッ」

 

 

 それを前に、あたしの口からそんな声が漏れる。歓喜に満ちた、満ち満ちた、両手に余るほどの『幸せ』を抱え、両脚が羽を得たかのように軽やかに、祝福の歌を奏でる口を携え、あたしは進むのだ。

 

 

「アハハッ」

 

 

 またもや漏れる。それは沸き上がる幸せを、幸福を、幸運を、幸運の女神に愛されたあたしにもたらされた千載一遇のチャンス。それを両手いっぱいに握りしめ、噛み締め、飲み干し、腹の底に落とし込んだそれ。本来なら両手を振り上げ、万歳を繰り返し、心より祝えてしまう、そんな感情をもたらすそれを。

 

 

「はッ、ははッ……は……」

 

 

 だから嬉しいのだ、嬉しいはず(・・)なのだ。待ち焦がれたはずなのだ、待ち遠しかったはずなのだ。口惜しかったはず、名残惜しかったはず、待ち望んでいたはず。言葉では尽くせないほどに渇望したそれが今、たった今手に入った。

 

 だから嬉しい、幸せ、幸福、幸運。今こうして両の目から零れる涙はきっと感激の涙なのだ。今こうして口から漏れる嗚咽は感嘆の嗚咽なのだ。

 

 

 

「あ……あぁ……っぁ……」

 

 

 

 今あたしが浮かべている泣き顔(・・・)、いやこれは笑顔(・・)満面の笑み(・・・・・)、幸福に満ちた顔。その根源たる『それ』――――――全て、全て、何もかも、例外なく、寸分の狂いもなく、間違いなく、違えることない願い、あたしの願い、長年の願い、積年の願い、あたしたちの願い。

 

 

 

 雪風(あたし)の願いなのだ。

 

 

 

『やめて』

 

 

 そんな中、あの子は――――いつも傍にいてくれた妖精(この子)は性懲りもなく叫んでいる。先ほどまでは頭の上で口うるさく叫び、あたしの頭を足蹴にし、そして後ろ髪を思いっきり引っ張っていた。それを露ほども気に掛けなかったせいで、今はあたしの耳元でこう叫んでいるのだ。

 

 

 

 『帰ろう』と。

 

 

 『戻ろう』と。

 

 

 『生きよう』と。

 

 

 

 そんな言葉、もう聞き飽きた。やり尽くした、選び尽くした。帰ってきたし、戻ってきたし、生きてきた。散々に選びつくしたそれらを今更選択しろなんて、一体全体何を言っているんだ。あたしは飽きた、飽きたのだ、それら全てに、雪風は飽きた。

 

 

 

 『生き残る』ことに、飽きたんだ。

 

 

 

「うるさいなぁ」

 

 

 その声は先ほどのように嗚咽を交えていなかった。ただ淡々と、機械のように、声のトーンからイントネーションに至るまで、全てが一定だった。それを溢したあたしの目はこの先に待っているものではなく、自身の手首に下がったそれ――――――――ミサンガに注がれていた。

 

 作戦の成功を願って鎮守府一同が願掛けた代物。発案者は夕立さん(・・)、以前ミサンガを渡して回っていたからその答えはあっている。そしてそれを許可し全員に広めたのはあの人。彼にとってその申し出は渡りに船だっただろう。彼が堂々と一同の前で言った―――――あたしを本作戦に抜擢した理由を見れば分かる。

 

 

 『お前の幸運で、本作戦を成功に導いてくれ』

 

 

 前途多難な作戦に置いて最も重要視される『運』。それをこちら側に引き寄せるために幸運艦と名高い雪風を起用した、と。そうハッキリ言ったじゃないか。

 

 だからあの時、進撃か撤退かの選択を迫った時も言ったじゃないか。進撃したところで沈むのはあたしだけ。それ以外は沈まない、むしろ沈ませないと。そのためにあたしがいる、デコイがいる、囮がいる。『幸運艦と名高い雪風が囮になる』それだけで十分ではないか。それの何処に心配する所があるのだ。

 

 それにこうも言った。もし運が良ければ放棄したドラム缶を吹雪ちゃんたちが回収し、自分たちで修復して、何処かで合流できるかもしれない、と。これを言った時、周りからは特に何も反論が無かったがその表情を見れば誰もが『有り得ない』と思っていたことぐらい分かった。普通なら有り得ないことだろう。普段ならそんな戯言の天秤に誰かの命を乗せることなんてしない。

 

 だけど理由(そんなもの)はどうでもいい。むしろ、正当な理由がないと動けない、なんて甘いこと言っていられないだろう。いつも安全第一を選択していたら、せっかくの機会を逃してしまう。時には博打が必要だ、時には勝負をかけなければいけないのだ。虎穴に入らずんば虎子を得ずの通り、時には危険を冒さなければ何かを手に入れることなんてできないのだ。

 

 そこにかけられた命はあたしだけ。大破した駆逐艦1隻を失ったところで鎮守府にとって痛くもかゆくもない。それで金剛さんと吹雪さん(・・)―――――北上さん、夕立さん、潮さん(・・)、響さん(・・)、曙さん(・・)、そして加賀さんたちも無事に戻れるのだ。それだけの命が助かるのだ。お釣りどころではない莫大な資産が、メリットが、戦略的、戦略的、完全勝利(・・・・)があるのだ。

 

 

 なのにあの人はそれを手に取らなかった。何故か、何故なのか。自身の口でそう言っておいて、それに即した選択肢を手にしなかった。あの人が雪風に求めたのは『幸運』、作戦を成功に導くための幸運の女神、それに愛された『雪風』と言う()だったはずだ。

 

 

 

 

 『あたし』なんて、どうでもいいのだ。

 

 

 

 その瞬間、痛みが走った。大破しているのだから当たり前だがつい先ほどまで一切感じなかった筈。なのに、ほんの一瞬だけ痛みが走ったのだ。その痛み(・・・・)なんかとうの昔に置いてきたはずなのに。だが、それもほんの一瞬であり、その出所を知る前に何処かに消え去ってしまった。同時にその痛みへの関心も消えた。

 

 

 その時、あたしの手はそのミサンガにかけられていたからだ。

 

 

 

「あたし、はッ……」

 

 

 そう漏らして、手を真横に振り切った。その手には白と黒の紐で結ばれていたミサンガが。あの人、そして鎮守府一同の願いが込められた――――――作戦の成功を祈願したミサンガがあった。

 

 

 故意に切られたミサンガ、そこに込められた願いは成就しないと聞いた。だがこの願いはあたし以外のミサンガに込められている。そのうちの一つや二つ、事故(・・)で切れたとして意味はない。

 

 そして、今あたしが握りしめているミサンガは何の願いも込められていない。同じ願いを込めるのは駄目でも、別の願い(・・・・)なら問題ない。そう思ってか、あたしの手は今しがた断ち切ったミサンガを再び手首に結び付けた。同時に先ほどよりも若干緩く、強い衝撃を受けたら自然に(・・・)切れてしまうのではないかと心配になる程緩く結んだ。

 

 今、これに込めた願いはあたしだけだ。それが成就する確率は低い。現状ならそれは間違いなく成就すると思われるが、緩めに結んだのは少しでも確立を上げるためのズルだ。仮にも幸運艦がしていいことではないと重々承知しているが、生憎あたし(・・・)は幸運艦ではない。ただ単にその名を冠してしまっただけの存在。

 

 

 だから、その成就を願い、 水面に映る自分の顔を――――――今にも泣き崩れそうな顔を踏み付け、言の葉に乗せた。

 

 

 

「沈め、たいのッ……」

 

 

 

 ヒュン

 

 

 その時、耳に聞こえた音。妙に高い、一瞬と言える短さ、小さいながらも存在感を持つ音。それを捉えた瞬間、あたしの身体は大きく動いていた。上体を真横に逸らし、顔を背け、目線だけをその音に向ける。

 

 それと同時に、風に靡く髪を食い破る様に何かが顔の横を通り過ぎた。一瞬、ほんの一瞬見えたのは黒々と光る丸みを帯びた塊―――――すなわち弾頭だ。顔の真横擦れ擦れを掠めた砲弾は後方すぐの海面に突き刺さり、その瞬間轟音と共に大きな水柱を上げた。

 

 

 それを、あたしは耳で確認した。同時に次々に迫りくる無数の弾も。

 

 

 

 

「あぁぁあああああああ!!!!!!!」

 

 

 雄たけびを上げながらあたしはその場を大きく旋回する。水面にはあたしが引いた白波の線が刻まれるも、次の瞬間それらは無数の水柱によって食い破られた。それはあたしの背中を追いかける様に次々と、迅速に、正確に、淡々と蹂躙されていく。

 

 体勢を立て直す暇もなく足の艤装を最大出力にした途端、あたしの身体は勢いよく前に飛び出した。出力だけを最大にしたのだ、着水姿勢なんて言ってられない。投げ捨てられたピンポン玉のように水面を跳ね、その度に身体のあちこちから金属片が飛び散る。

 

 装甲か、砲身か、弾倉か、ギアか、バルブか。どれがどの部品で、稼働に必要か不要か、攻撃に必要か不要か、航行に必要か不要か。その一切合切が分からない、分かるわけがない、分かりたくない。ただ確実に喧しく叫ぶ艤装の断末魔の勢いが段々と弱くなっていくことだけは分かった。

 

 

 何度目かの着水時、あたしの目にようやく敵が見えた。

 

 

 戦艦ル級1隻、重巡リ級2隻、軽巡ホ級1隻、駆逐艦ロ級後期型2隻、計6隻の水上打撃部隊。戦艦を先頭に単縦陣を敷き、砲撃を繰り返しながら猛然とこちらに接近してきた。砲火を上げるのは戦艦ル級と重巡リ級たち、このまま接近を許せば軽巡と駆逐艦も砲火を上げ、弾幕が分厚くなる。それは今でさえギリギリの回避が更に難しくなることを意味していた。

 

 これ以上の弾幕を受けないために何度目かの着水時に体勢を立て直し、再びフルスロットルで敵船団から離れる。それに呼応するように砲戦が激しくなるも、その全てを音を頼りに着弾地点を割り出して辛うじて回避していく。

 

 同時に目を走らせて周りの天候状況を把握する。濃霧があればそこに突っ込み身を隠すためだ。キス島の海域に発生する濃霧は巨大であり、駆逐艦1隻を隠すことなんて造作もない。敵も標的を定めない限り砲撃を加えることはない。濃霧に入れば単艦のこちらに分がある。そのわずかな差を利用してここから逃げなけれ―――――

 

 

 

 

「いや、なんで逃げるの」

 

 

 

 水柱によって立ち上がった塩水を頭から被りながら、あたしはそう自身に問いかけた。同時に、今まで自身が取った行動の全てに疑問符を、今も回避しようとする身体に向けて問いかけた。

 

 言ったじゃないか、『沈めたい』って。あたし(お前)の願いは『沈むこと』だろ? であれば、何故敵の弾頭を避けた、何故その場で立ち尽くさなかった、何故迫りくる『死』を受け入れなかった。自身が望んだ結末が目の前に現れたのに、何故目を逸らした、何故今も避ける、何故今も生きようとする。

 

 

 また真横を砲弾が掠めた。水柱が立ち上がり、それによって大きく体勢を崩されたあたしは視界すらも覆い尽くされてしまう。それを逃さぬように一つ、もう一つ、もう一つと砲弾があたしを掠めていく。今度は向こうの誤射、しかし夾叉弾であるため次の砲撃までの時間はない。このままここに立っていれば、お望み(・・・)の直撃弾がやってくるだろう。

 

 だが、またしてもあたしの意志に反して身体は動き出す。崩れた体勢を立て直し、艤装に鞭打って水柱の影から飛び出す。

 

 

 

 だが飛び出した瞬間、すぐ横に大口を開けたロ級が居た。

 

 

 強い衝撃と共に右腕を万力に掛けられたかのように激痛が走る。ロ級に喰らい付かれたのだ。右腕には砲撃可能であった砲門一基があり、本来なら一瞬で食い千切られいたであろう右腕を寸でのところで守ってくれた。しかし、込められるロ級の力と容赦なく腕に食い込む砲身が生み出す痛みは言葉にすることが出来ず、食い千切られてしまった方がマシだと吐き捨てたくなる程だ。

 

 

 だが、それを飲み込ませたのは脳裏に走った言葉―――――動きを止められてしまった、と言う事実だ。

 

 

 

「あぁああああああ!!!!」

 

 

 喉が張り裂けんばかりに叫び声を挙げ、ロ級に喰らい付かれた腕を引き抜きにかかる。力を込めるたびに激痛が増し、耳に何か軽いものが折れ、何か柔らかいものが避け、その度にポタポタと水の音がひっきりなしに聞こえ続けた。段々と右腕の感覚が消えていくとともにその音は大きくなっていく、痛みも既に許容量を超えた、その代わりというようにあたしの口から吐き出される叫び声は、悲鳴はどんどん大きくなっていく。

 

 

 

 『帰りたい』――――飽きた。

 

 『戻りたい』――――飽きた。

 

 『生きたい』――――飽きた。

 

 

 『生き残ること』―――――――それら全てに飽きた、飽きたのだ。飽きたからああ言った、飽きたから飛び出した、飽きたからここにいるのだ。

 

 なのに、何故あたしはそんな悲鳴を上げている。何故泣いている。何故嗚咽を漏らしている。満身創痍の身体に鞭を打ち、望んでいる筈の『死』を届ける砲弾を避け、望んでいる筈の『死』から逃れようとしている。

 

 

 そんなの、そんなのまるで、まるで――――――

 

 

 

 

見つけた(ひふへは)

 

 

 

 その時、そんな声が聞えた。同時にロ級で一杯だった視界に何かが割り込む。

 

 金色の髪を靡かせ、所々焼け焦げた黒色の制服を翻し、いつも穏やかな光が籠る翡翠色だった瞳をギラギラと激しく光る深紅の瞳へと変えた一人の艦娘(・・)

 

 そして、その口には真っ白な歯を剥き出しに意地悪く笑う顔が刻まれた弾頭、今にも発進してしまうのではと思うほど真っ赤に染まる尾部舵、そんな異様な魚雷があった。

 

 

 その艦娘は今にも右腕を食い千切ろうとするロ級の口に取り付き、無理矢理こじ開け始める。突然現れた彼女に動揺し且つあたしに夢中だったロ級は何も対応することが出来ず、ただ口を開けられまいとするだけであった。

 

 だが、その艦娘の力は駆逐艦(・・・)のそれをはるかに凌駕していた。徐々に右腕の圧力が弱くなっていき、やがて消えた。

 

 

「あぁッ!!」

 

 

 怒号のような悲鳴を上げてあたしはロ級から右腕を引き抜き、水面を転がりながら距離を取った。それを見届けた艦娘は今も無理やりこじ開けているその口に顔を近づけ、咥えていた魚雷を離す。

 

 

 

「おやすみ」

 

 

 そう呟くとロ級の口を力づくで閉じ、そのまま素早く離れる。離れた瞬間、ロ級の目に新たな魚雷が二本突き刺さっていたのを見た。だがそれも、次の瞬間盛大な爆音と突風と黒煙を上げ、大きな火柱となる。

 

 至近距離での爆風を受けるも、その艦娘が距離を取る際にあたしを引っ張ってくれたおかげで巻き込まれることは無かった。しかし、彼女は引っ張る際に右腕を――――――肘から先が真っ赤に染まるボロボロの腕を掴んだせいで、更なる激痛に見舞われることになったが、同時に実感することが出来た。

 

 

 

 まだ(・・)、『生きてる』と。

 

 

 

「立って」

 

 

 しかし、その実感は彼女の口から漏れたそんな言葉と共にいきなり海面に投げ出されたことで意識の外に行ってしまった。不意に投げ出され、さらに右腕が使い物にならないせいで盛大な水しぶきを上げて着水。着水の衝撃に顔をしかめながら、あたしは首だけを前に―――――その前に立つ艦娘に向けた。

 

 

「早く立って」

 

 

 もう一度彼女は―――――――夕立さんはそう言葉を漏らす。その目は真っ赤に染まっている。充血とは違う、完璧に染まり切った、真っ赤な血のような赤。それ以外はいつも通り、いつも通りなのだ。『いつも通り』だからこそ、その変化が際立ち、同時に本当に『いつも通り』(そう)なのかと疑いたくなるほど彼女が纏う雰囲気が違うのだ。

 

 

「ゆうだち、さん……」

 

「そうだよ。ほら、早く立って」

 

 

 その違いに思わずその名を呼ぶと夕立さんは特に意に介することなくそう返答し、更なる催促をしてくる。ただそう言うだけで手を差し出すことも、肩を貸そうとする様子もない。ただ淡々に「立て」と言うだけ。『無表情』と言う真っ暗闇の中に怪しげに光る真っ赤な瞳だけが浮かんでいるかのようだ。

 

 だが、次の瞬間その能面のような顔は突如として消え去る。代わりに現れたのは豪快に舞い上がる彼女の金髪、そしてそれを食い破るかのように擦れ擦れを通り過ぎた砲弾。それは瞬く間に彼女の頭上を通り越し、後方の海に水柱を上げた。

 

 

 そう、彼女は砲弾を避けた。背後から正確に彼女の頭目掛けて放たれた砲弾――――『死』への招待状を。後ろを振り返ることなく、表情の一切を変えず、完璧なタイミングで、必要最低限の動きで、いとも簡単に避けたのだ。

 

 

 

「邪魔」

 

 

 そんな彼女は回避体勢をいつの間にか元に戻し、魚雷の一切を放り出し片腕の砲門一基を前方に向けた。その向こうには砲撃直後のホ級。直撃必至と思われた一撃を避けられ、さらには驚くべき速さで反撃体勢を整えた夕立さんに動揺したのだろう。回避行動をとるわけでもなく、迎撃態勢をとるわけでもなく、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 

 もしかしたら回避、立て直し、砲撃構え、までの一連の流れの美しさに見惚れていたかもしれない。しかし、その姿も夕立の砲門から放たれた無慈悲な砲弾によって爆炎の中に消えてしまう。

 

 ゼロ距離での取り付きによる魚雷で駆逐艦ロ級を一隻、ノールック回避からの流れるような反撃で軽巡ホ級を一隻撃沈。駆逐艦一隻のみの戦果とすれば目を疑いたくなるような大戦果を瞬く間に挙げた夕立さんであるが、まるで興味がないかのように特に反応することもなく、再びあたしに『無表情(それ)』を向けた。

 

 

 おおよそ味方に向けるべきでない――――――敵に向けるべき表情()を。

 

 

 

「……いつまで座ってるの?」

 

 

 それはついに言葉にまで伝播する。彼女の口から漏れたそれは明らかな棘を持ち、どう都合よく解釈しても友好的ではないと結論付けてしまうほどに冷たかった。同時に、向けられたその真っ赤な瞳がまるで獲物を見つけた獣のように怪しく光る。

 

 今の彼女にとって、深海棲艦とあたしの違いはさほどないかもしれない。一歩間違えればその獰猛な牙を剥かれると、そう身構えてしまうほど彼女が纏う空気は異常であった。

 

 

「早く、帰ってください……」

 

 

 だからこそあたしはそう言った。沈むことを望んでいるあたしは、その牙に倒れることを善しとした雪風は、あえてその眼下に身を晒したのだ。だが夕立さんは―――――獰猛な獣はそれに喰いついてこない。ただ見るだけ、食われようとする獲物を見るだけだ。警戒するわけでもなく、飛び掛かるチャンスを見計らうわけでもなく、ただ見るだけ。

 

 

「敵艦は幸いにも混乱しています。このまま雪風が囮になりますから、夕立さんは戦線離脱を。北上さんたちと合流後、この付近を迂回してキス島に向かってください。その間なら雪風も持ちこたえてみせます……だから――――」

 

立つ(・・)の? 立たない(・・・・)の?」

 

 

 あたしの話を遮る様に、夕立さんは再度同じことを、いやこれが最後通告とでもいう様に静かにもう一度問いかけてきた。同時に、彼女の手にある砲門からガコンという低く鈍い音が鳴る、紛れもなく砲弾が装填された音だ。今一度彼女がその砲口を向ければ、何が待っているかは容易に想像がつく。

 

 

 そして、それこそあたしが望んだこと。その砲火によって水面に沈みゆく、素晴らしい切符が目の前にある。それに手を伸ばしている。

 

 掴み取ってしまえば最後、最期(・・)さいご(・・・)サイゴ(・・・)、そこで終わってしまう、幕を閉じてしまう、完結してしまう、()くなってしまう、()くなってしまう、消え(なくなっ)てしまう。

 

 

 『あたし』と言う存在そのものが抹消されてしまう。

 

 

 

「立たないな―――」

 

 

 次に続いた夕立さんの言葉は途中で途切れた。同時に爆発音、同時に突風、熱風、衝撃波、飛び散る火の粉、鼻を刺す火薬の匂い、まとわりつく焦げた匂い、風に乗って舞い上がる黒いリボン、舞い上がる金髪。

 

 

 

 夕立さんが砲撃されたのだ。

 

 

 

「夕立さん!?」

 

 

 声を張り上げ、喉がはち切れんばかりにその名を叫ぶ。しかしそれに応える声はなく、目の前には黒煙を背中から燻らせながら前のめりに倒れてくる彼女。透き通るような金髪は乱れ、前髪を纏めていたリボンは火の粉と共に水面に落ちた。

 

 その姿に思わず駆け寄る。身体に鞭を打ち、痛みに顔を顰めながら、ボロボロの右腕で彼女の身体を抱き留める。

 

 

 

 

 

()が沈んじゃうよ?」

 

 

 同時に、抱き留めた彼女がそう囁いてきた。その言葉を吐いた彼女は不敵な笑みを浮かべている。ついぞ直撃を受け、中破状態から大破になったばかりなのに。砲弾の直撃と言う想像を絶する痛みを抱えているはずなのに、彼女は笑っていたのだ。

 

 

「囮になるんでしょ? 攻撃の一切を引き受けるんでしょ? なら、こんなところで座っていたら駄目っぽい。こんなところでへたり込んで、何も考えずにボケーーッとして、ただ私が沈むのを指を咥えて見てちゃ駄目っぽい」

 

 

 そこで言葉を切った夕立さんは寄り掛かりながらもその腕であたしの襟を掴み、自身の顔にグイっと近づけた。その時彼女が浮かべていた表情―――――今まで見たことないほど険しい表情だ。

 

 

「立て、立ち上がれ、両の足で地を、この水平線を踏みしめろ。駆けて、翔けて、足を止めるな、ハンモックを張れ、四肢が動く限りこの海を縦横無尽に、この戦場を自由自在に駆けろ。避けて、避けて、掻い潜って、敵の砲弾を、雷撃を、迫りくる『死』を避けろ。囮として走り回ると言った、そうすれば誰も沈まない(・・・・・・)と言った、そう豪語した。ならその言葉に全精力を、胆力を、根気を、精神力を、全生命力を、生命活動の全てを捧げろ。そうしないと私が沈むよ? 金剛さんが沈むよ? 吹雪ちゃんが沈むよ? 北上さんや響ちゃん、潮ちゃん、曙ちゃん……誰もかれも何もかもが沈んじゃうよ? 貴女のせい(・・・・・)で亡くなっちゃうよ?」

 

 

 そこまで言い終わり、彼女はあたしの身体から離れた。その手にひしゃげかけた砲身を携え、手に一杯の魚雷を持ち、既に限界を超えているであろう艤装に鞭を打ちながら。

 

 

 その顔に笑みを浮かべて。

 

 

 

「もう自分のせい(・・・・・)で、誰かを沈めたくないんでしょ?」

 

 

 彼女はそう言い、その笑み(・・・・)を向けてくる。笑っている筈、微笑んでいる筈なのに、まるで刃物を突き付けられるような感覚が、言葉を一つでも違えれば容赦なく喉を切り裂かれるのではと感じてしまう恐怖があった。

 

 同時にその言葉を、その言葉を。この状況下において最低最悪の帰結を、雪風が恐れている言葉を、あたしたちという存在に刻み付けられた忌々しい幸運(それ)を口にした。

 

 

「だから早く囮になるっぽい。幸い私も大破してるから狙いは分散されるから、ヘマしない限りどちらかに砲撃が集中することはないわ。ただ、その代わり動き続けないと私に集中する。貴女が動き続けなかったせい(・・・・・・・・・・・・・)で私が砲撃を一身に受ける、下手したら沈むっぽい。その次は貴女かもしれないけど、私は貴女のせい(・・・・・)で沈むっぽい。どれだけ奮戦しようが、どれだけうまく立ち回れようが、 私が沈めば(・・・・・)全部貴女のせいっぽい。少なくとも、貴女はそう思うっぽい」

 

 

 そう言って、彼女はあたしに背を向けた。目前に敵がいる、それ故にだ。むしろ、今までこちらに顔を向けていたこと自体が自殺行為だ。

 

 

「さぁ、ここから私たち二人の勝負。私が沈めば貴女の負け、貴女が沈めば私の負け、二人とも沈んだら私の勝ち(・・・・)。最初から敗色濃厚な出来レースなんて思っても駄目だよ? だって貴女自身が選んだことだもん。その責任はしっかりとってもらうから覚悟して。それにこれは貴女があの人に強いたこと(・・・・・・・・・・・・)だ、文句なしだよ」

 

「ぇぅ……」

 

 

 彼女の言葉に、思わず声が漏れた。それは悲鳴かもしれない、嘆願かもしれない、幾年も音を発しなかった喉から絞り出したあたしの言葉(・・・・・・)かもしれない。

 

 しかし、今の状況ではただの言い訳しかならない、ただの我が儘にしかならない。何の意味を持たないモノでしかない。それを示すように、夕立さんはこちらを振り返ることなく再び言葉を続けた。

 

 

「そんな声出したって駄目っぽい。それもこれもみんな貴女(・・)が悪い。もっともらしい理由を並べて、自分が欲しい言葉だけを求めて、それ以外は容赦なく叩き潰して、あの人(・・・)の弱みに付け込んで、選択肢を奪った上で強要して、最後は勝手に捨て置いてさぁ…………私、本ッ当に怒ってるんだからね? いや、貴女だけじゃない。北上さんも、響ちゃんも、潮ちゃんも―――――――勿論、自分にも(・・・・)怒ってる。あの時何も言い出せなかった、いつまでもお利口さんのまま、お利口さんのフリをしている自分にさぁッ!!」

 

 

 彼女の声が途切れる。それと同時に肌を焦がさんばかりの熱風と衝撃波が。その直後に彼女の手にあった砲門が黒煙を上げながら後方に飛んでいき、目の前には砲門を持っていた腕を大きく振り上げる彼女がいる。

 

 再び襲ってきた砲撃を彼女は文字通り叩き落とした。ただでさえ少ない攻撃手段の一つを手放すことで、敵の砲撃を無力化した。

 

 

「みんな好き勝手に言いたいことを言ってやりたいことをやって……皆自分のことばかり。誰も周りを、誰も『あの人』を見てない。その中で私もお利口さんのフリをしている、フリで我慢(・・)している。そんなの釣りに合わないもん、我慢するだけ損だもん、それで『あの人』を守れないなんて本末転倒だもん。だから私も好き勝手に動くことにした。私のやりたいように、したいように、動きたいように、望むように、叶うように、守りたいものを守るために」

 

 

 そこで言葉を切ると、彼女はこちらを向いた。顔だけでなく、身体全身をあたしに向けたのだ。それは敵に背を向ける行為であり、今ここで砲撃されれば今度こそ無事では済まないであろう。しかし、彼女はそのリスクを犯してこちらを向いたのだ。

 

 

「貴女のこと、全部知っているわけじゃない。あの日一人で帰って来て、その後提督さんと何があったのかも、知らない。それから笑うだけ(・・・・)になったのも、その下にどんな想いがあるのかも、知らない。いや、今の私には関係ない(・・・・)。私は守りたいものを守るために貴女を、貴女の過去を、貴女の想いを利用する。どれだけ残酷だろうと、残忍だろうと、どれだけ薄情だろうと、それでしか守れないなら……私はその罪を犯すし、その業を背負うし、喜んでこの身を差し出す」

 

「何で……」

 

 

 彼女の言葉を遮る様に、あたしはそう問いかけてしまった。それに彼女はキョトンとした顔を浮かべる。だけどすぐに表情を崩した。それは先ほどの敵に向ける表情でも、仮初めの笑顔でもない。いつもの彼女が浮かべるであろう、人懐っこい苦笑いだ。

 

 

 

「提督さんが、好きだからだよ」

 

 

 

 その苦笑いのまま、彼女はそう言った。同時に照れ臭そうに頬を掻きながら、それでも芯の通った声で、その言葉が本心から思っているものであると。今までの彼女らしからぬ言葉は誰かの口調を当て嵌めて、少しでも凄味を持たせようと、無理をして紡ぎ出した言葉であるならば。

 

 

 この言葉こそ、今彼女が発する言葉こそ、本当の本当に彼女の想いなのだろう。

 

 

「それに提督さんは私を、夕立(・・)を見てくれた。最初は出来ないことを出来るようになるまで待ってくれた、出来たときは目一杯に褒めてくれた、日々頑張った夕立を認めてくれた、ちゃんと()を見てくれた。あの悪夢に紛れて薄くぼやけてしまった夕立を、過去と現在の境目でもがいていた私を、『二人』ともをしっかり見てくれた。そんな提督さんは今、出来ないこと(・・・・・・)に襲われている。海を駆けることも、砲を撃つことも、貴女を守ること(・・・・・・・)も出来ない。それらに襲われ、脅えて、泣いている。だから、私たちがそれをする(・・)んだ。提督さんの代わりに、提督さんの守りたいものを……」

 

 

 そんな彼女は苦笑いを消した。残ったのは真剣な顔、しかしどこか自慢げで、胸を張っていて、何処までも自分に自信を持ち、やり遂げてやるぞと言う強靭な意志を感じる顔だ。

 

 

「そして提督さんを――――明原(・・) ()さんを守る。それが私たち(・・・)の――――『駆逐艦 夕立』と『私』の願いだから」

 

 

 それこそ『彼女』なのだろう。

 

 

 ボロボロの身体で、痛々しい火傷が目立つ四肢で、瞬きの間に消えてしまうほど程弱弱しい姿。そんな有様でもなお水面に立ち、両の手に目一杯の魚雷を携え、真っ赤に染まる瞳に、ボロボロの身体に、その魂に。自身を飲み込み、焼き焦がし、朽ち果てさせんばかりの熱い、厚い、篤い、猛々しく燃え盛る炎のような願いを宿して。

 

 

 驚くほど真っ直ぐで、呆れるほど実直で、羨ましいほど正直な、『駆逐艦 夕立』と『彼女』の願いなのだ。

 

 

 

 

 

 

「ぃぃなぁ」

 

 

 

 

 いつの間にか、あたしの口からそんな言葉が漏れていた。無意識に漏れた言葉を彼女は拾ったのか、一瞬驚いたように目を見開いた。

 

 

「本当の本当に酷いことを言うけど、言いたいことはちゃんと言った方が良いよ? っぇ?」

 

 

 何処か神妙な表情でそう言った彼女も、次の瞬間弾かれた様に耳に手を当てた。

 

 

「どうしたの? え、さっきの聞いてた? 本当ぉ!? えッ、あ、うぇぇ………………まぁ、いいや。それで、ご用はなぁに?」

 

 

 先ほどの堂々たる立ち振る舞いは何処へやら。今の夕立さん(・・・・)は年相応に取り乱し、妥協して、何処か投げやり気味な物言いで無線の向こうに言葉を投げかけている。

 

 どうしてだろう、何故だろう。この絶望的な状況に、勝機の欠片すら見当たらない戦場において。彼女はとてもとても柔らかく、そして暖かい。まるで家にいるかのような安心感に満ち溢れた表情を浮かべていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――はい、はい、分かりました」

 

 

 執務室との通信が終わり、私―――――潮は無線から手を離した。

 

 それと同時にため息を吐く。ここは北方。気温が低いためか、私の口から漏れた息は白い霧となって空気中に躍り出るも、その姿は瞬く間に後方へと消えていく。消え去る霧の向こうには、一人の艦娘がいた。

 

 彼女は無線に耳を当て、静かに佇んでいる。恐らく、今は行った通信を―――――――提督の言葉を聞いていたのだろう。それに対して、彼女は何も反応を示さなかった。かける言葉が無かったのか、そもそもかける必要が無かったのか、どちらかは分からない。

 

 

 ただ、これから彼女が起こすであろう行動は一つだ。

 

 

 

「今更、何だよ……」

 

 

 そんな中で一人毒づくのは北上さん。私の前方で同じように無線に耳を傾けており、彼女もまた特に何も反応を示さなかった。しかし通信が切れた途端、こうやって毒を吐く。今の彼女を表すなら、『卑怯者』と言う言葉が当てはまるだろう。

 

 

「北上さん」

 

 

 そんな彼女に声をかけたのは先ほどの艦娘―――――――曙ちゃんだ。彼女は無線から手を離し、真っ直ぐ北上さんを見ていた。その姿に、北上さんはただ冷めた目付きで見つめるのみ。言葉を発する様子はない。

 

 

「旗艦が持つ権限、全部私に頂戴」

 

「……何言ってんの? この状況下、旗艦の権限なんて意味ないじゃん」

 

「あんたに無くても、私にはあるの」

 

 

 北上さんの何処か侮るような言葉にも、曙ちゃんは動じることない。そこに焦っている様子もなく、まるで忘れものを借りるような感覚で話を続けた。

 

 

「無線が自由に使えて、艦隊を自由自在に操れて、何より各艦から情報が一挙に集まってくる。索敵機が無い私にとって、情報の集積地である旗艦(ここ)は最適なのよ」

 

「……何企んでるの?」

 

「いいからさっさと寄こしなさい。そして、行くわよ」

 

 

 そこで言葉を切った曙ちゃんは一度息を吐き、無線に手を当てながらこう言った。

 

 

 

「キス島撤退作戦、二度目の出撃(本番)をね」


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