新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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死神の 『贖罪』

『沈めたい』

 

 

 そう、何度口にしただろうか。気付いたら口にしていた、気付いたら言葉にしていた。その度に周りからおかしな目を向けられ、『どうしたの?』、『大丈夫?』、と声をかけられた。

 

 それが自然な反応だ。目の前に誰か(・・)を沈めたいと溢したものが居れば、誰だってそう声をかけるだろう。そう語り掛け、寄り添い、手を握ってくれる。そうだった、そうしてくれるはずだった。そうされるのが当たり前だと思っていた。

 

 だけど『貴方』はそうしなかった。いや、それ以上(・・)のことをしてくれた。だからあたしは貴方に付き従ったのだ、だからあたしは貴方の命令を忠実に遂行したのだ、だからあたしは貴方のような人を求め続けたのだ。

 

 

 『あたし』には貴方が必要だったんだよ、しれぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『雪風』

 

 

 強運艦、幸運艦、異能生存艦。途方もない海原を駆け抜け、数多の戦場を駆けずり回り、多大な戦功を挙げ、微々たる損傷のみで絶望的な状況を走り抜けた。『奇跡』の名を欲しいままにした稀代の駆逐艦。

 

 その名は数十年たった今でも語り継がれるほど人々の記憶に刻み付けられている。色あせることのないその功績に誰もが目を輝かせるだろう。ある人はそんな船をこの手で生み出したい、ある人はそんな船をこの手で指揮してみたい、もしかしたらある人はその名を背負いたい、そう思っているかもしれない。

 

 だが、そんなのまるっきり()だ。嘘、虚構、狂言、妄言、出来もしない(・・・・・・)ことをただ口にしただけの『音』に過ぎない。出来るはずがない、あり得ない、不可能だ。その嘘を確約させる言葉が湯水のごとく溢れ出てくる。とにかくそれは嘘だと断じてしまえた。

 

 その理由は『雪風(この艦)』が持つもう一つの異名、いや蔑称(・・)が物語っている。先ほどは途中で切ってしまったが、今ここで改めて続けよう。

 

 

 多大な戦功を挙げ、微々たる損傷のみで絶望的な状況を走り抜け、数多の最期を看取り(・・・・・・・・・)数多の命を取りこぼし(・・・・・・・・・・)数多の味方を沈め(・・・・・・・・)夥しい命の上で悠々と生を謳歌した(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 それはただ『幸運』と言う綺麗事で己を隠しただけだ。その実全てを奪い去り、『不幸』というオブラートに包んだソレ(・・)を周りに押し付け、その命を以て対価とし、他者を蹴落として『生』を貪る不届き者。他者の命を弄び、踏みにじり、飽きたら容赦なく切り捨てる業深き者。雪風(それ)が本当の姿を現した時、人は口を揃えてこう言ったのだ。

 

 

 『死神』と。

 

 

 だが、この『雪風(死神)』と言うのは生真面目と言うか律儀と言うか、何故か今まで自分が切り捨ててきた命の全てを覚えていた。それがせめてもの償いとでもいうかのように、自らの行いを正当化するための道具にするかのように、取りこぼしてきた命全てを己に刻み付けてきた。

 

 

 そして、あろうことかその全てを押し付けてきたのだ。

 

 

 怒号、悲鳴、金切り声に呻き声、恨み、辛み、痛み、哀しみ、悲しみ、虚しさ――――人が持ちうるありとあらゆる感情をひとまとめにし、凝縮に凝縮を重ね、絞りに絞ったその一滴。常人では耐えきれないほどの、一人では抱えきれないほどのあらゆる『それ』をあたしに押し付けてきたのだ。

 

 艦娘になるとは艦と同化すること、つまり艦そのものになること。オカルト的なことを言えば艦の魂を自身に降ろすこと、自分自身を艦に譲渡すること、自らの存在を艦に書き換えることを示すだろう。

 

 勿論、その程度は各々によって異なる。人間であった頃の記憶が色濃く残っていたり、当時の性格がそのまま残っていたり、或いは記憶すらも塗り替えられてしまうこともある。人の頃に名乗っていた名前、『真名』は覚えているという一応の共通項はあるものの、一律に艦娘には艦の影響を強く受ける。だからこそその身に砲門を宿し、艤装を背負い、大海原を駆け抜けられるのだ。

 

 そしてあたしに降ってきた一滴。『死神』が犯した罪、重ねた業、捨て去った命等々、心を持たぬ艦が際限なく刻み付けてきたもの全てだ。それを押し付けられ、飲み込まされ、刻み付けられ、染め上げられる。いつしか自分が見えなくなり、あたしそのものが失われていく。完璧なまでに『雪風』になっていく。

 

 

 それを痛感させられた出来事(こと)、今も覚えている。

 

 

 あれはあたしが『雪風』になり始めて間もない頃。確か、次の訓練に向けて移動していた時だ。

 

 

 当時、あたしは『雪風』から押し付けられたそれによる弊害を被っていた。毎晩悪夢に苛まれ、幻覚に惑わされ、その度に悲鳴を上げ、その度に逃走を図り、やがて意識を失っては自室に担ぎ込まれることを繰り返した。そのせいで常に軍の人間があたしの傍に張り付いており、何かあればすぐに取り押さえられるようになっていた。

 

 

 ともかくそんな状態で移動していた時、3人の少女たちとすれ違った。

 

 

 一人は狐色のセミロングを大きなリボンでツインテールにまとめ、溌溂とした表情が特徴の少女。

 

 もう一人はピンク色のセミロングをリボンの飾りを施したゴムでポニーテールにまとめ、鋭い目付きが特徴の少女。

 

 最後の一人はやや銀色がかった黒髪のボブヘアーに左のこめかみ部分に金色の髪留めを付け、柔和な笑みが特徴の少女。

 

 

 彼女たちは和気あいあいとした雰囲気で歩いている。恐らく知り合い、友人だろう。そして、少女たちがここにいる理由なんて一つしかない。彼女たちも候補生、それか適性を持った少女。恐らくそのどちらかだろう。

 

 因みにあたしは彼女たちを、また彼女たちもあたしを知らない。今ここで初めて顔を見たばかりの、赤の他人だ。

 

 

 

 

姉さん(・・・)!!」

 

 

 

 その筈だったのに、あたしはそう叫んでいた。それもすれ違った後にわざわざ足を止め、あろうことか振り返りってけ寄ろうとした。しかしそれは軍の人に引き留められて叶わなかったが、駈け寄れない口惜しさに思わず叫んでしまったのだ。

 

 この行動を、あたしは知っている。同化以降、よく起こる『奇行』。自分の意志とは関係なく身体が勝手に動いてしまう、あたしではない『雪風』が起こしたものだ。恐らく『雪風』にとって彼女たちは、彼女たちが持つ適性の艦は何らかの関係があるのだろう。同化の影響が凄まじいためにまだ人間である彼女たちに反応してしまったのだ。

 

 だが、それはあたしだけ。向こうは何も分からない。それゆえに突然叫んだあたしに怪訝な顔を向け、逃げる様にその場を去った。

 

 

 そして数日後、あたしは再び彼女たちに出会った。それは最初に出会った時と同じ、訓練のために移動していた時だ。

 

 

「やっと会えた!!」

 

「ひっ」

 

 

 そう背後から声が上がり、その直後に後ろから頭を撫でられる。突然のことに思わず悲鳴を上げてその手を振り払い、あたしは前に飛び退いて後ろを振り向いた。

 

 そこに少女が立っていたのは狐色の髪、三人組の中でリーダー格だった少女。前に見た時はパーカーにTシャツ、膝下丈のパンツとラフな格好だったが、今は白シャツに黒ベスト、胸元に緑色のリボンという制服(・・)を纏っていた。

 

 彼女はあたしが払いのけた手を空中で遊ばせながら驚いた顔をしていたが、すぐに人懐っこい笑みを浮かべてあたしに話しかけてきたのだ。

 

 

久しぶり(・・・・)、雪風!!」

 

 

 その言葉。それ自体におかしなところは無かった、何処にも矛盾が無かった。強いて言えば、彼女とあたしが出会ったのは数日前で、数日顔を会わさなかっただけで『久しぶり』というのは少し大げさだとか、その程度だった。

 

 

 だけどその時、その時のあたしはそう感じなかった。むしろそれ(・・)しか感じられなかった。

 

 

 数日前に彼女から向けられたあの目は、確かに赤の他人に向けたものだった。恐らく、その時彼女は人間だった。適性があるだけの人間だった、ちゃんと赤の他人(・・・・)だ。

 

 そんな彼女が今、あたしに笑いかけている。あたしの頭を撫でようとした、あたしに声をかけてきた。まるで知り合いかのように、まるで姉妹(・・)のように馴れ馴れしく接してきたのだ。

 

 恐らく、今の彼女は艦娘なのだろう。適性検査を受け、制服を受け取り、その身に艦を宿した艦娘なのだろう。そして艦娘になったせいで、赤の他人(あたし)にこうやって声をかけているのだろう。

 

 もしこれが彼女とあたしではなく、艦娘と『雪風』であれば全てに辻褄がある。その艦娘と『雪風』は何らかの関係があったのだろう。そして、彼女もまた『雪風』の犠牲になったのだろう。だから久しぶりと言った、長い年月を経て少女の身体を介してようやく再会できたから、『久しぶり』と言ったのだ。

 

 つまり、今こうして親し気に接している彼女は―――――――陽炎型1番艦『陽炎』はあたしに―――――陽炎型8番艦『雪風』に笑いかけている。そこに人間(彼女)とあたしのことなんて、何もない(・・・・)のだ。

 

 

 その事実に対し、あたしは嫌悪感(それ)しか抱かなかった。

 

 

「いやぁ!?」

 

 

 

 不意に伸ばされていた彼女の手。それをあたしはそう叫んで払いのけていた。これは『雪風』ではない、あたしだ。あたし自身の意志で払いのけたのだ。あたしの行動に、今度こそ彼女は――――陽炎は目を丸くする。頬が引きつり、驚いた顔であたしを見つめる。それ以外、互いに何もしなかった。

 

 

「もぉ~急に走らんといてぇなぁ……」

 

「全く……陽炎(・・)、誰かいたんですか?」

 

 

 そんな陽炎の背後からそんな声が聞えてきた。その姿を見るまでもなく、『雪風』がその二人について教えてきた。恐らくは陽炎であった彼女と一緒に居た二人だ。

 

 ピンク髪のポニーテール少女は陽炎型2番艦『不知火』。

 

 黒髪のボブヘアー少女は陽炎型3番艦『黒潮』。

 

 その二人が固まる陽炎の背後から近づいてきていたのだ。あたしに近付いてきていたのだ。姉妹艦と呼ばれる艦娘が、『雪風』が叫んだ『姉さん』が、『雪風』の『姉』たちが。

 

 

 先ほどよりも更に強烈な『嫌悪感』を連れて。

 

 

 それからあたしは逃げた。陽炎に、他の2人に背を向けて全力で逃げたのだ。訓練なんか知ったことか、艦娘なんか知ったことか、『雪風』なんか知ったことか。

 

 

 あたしはあたし。『雪風』なんかじゃない、ちゃんとあたしなんだ。

 

 

 

 『艦娘(雪風)』なんかじゃない『人間(あたし)』なんだ―――

 

 

 

 結局、その逃走も今まで同様周りの人間に阻まれる。同じように捕まり、同じように連行され、同じように訓練の場に引っ張り出された。だが不思議とそれ以降、悪夢に苛まれることも幻覚に惑わされることも無くなった。

 

 それはあたしが『雪風』を否定したからだろう。あたしが『雪風』になることを拒んだからであろう。だから『雪風』はあたしから目を離した、『雪風』はあたしから手を引いた、『雪風』はあたしを見限った。

 

 

 もう、あたしが『雪風』である理由が、艦娘である理由がなくなってしまった――――そう思っていた。

 

 

 だけど、あたしから『雪風』を剥奪されることは無かった。素行不良、逃走癖、上官への反逆行為、おおよそ『不可』の烙印を押されることはとことんやり尽くした。一つ間違えれば反逆罪で逮捕されていたかもしれない。周りから見てもあたしは異端児だっただろう。何故こんな奴が艦娘なんかに、何故上はこいつを排除しないのか、そう思われていただろう。

 

 しかし、あたしは何時まで経っても残っていた。多分、あの『雪風』の適性を持つ人間なんて殆ど居なかったのだろう。その名が持つ伝説を、その『奇跡』を信じて手放さなかったのだろう。そのために苦渋を舐めても厄介者を引き留めていたんだろう。

 

 

 そう、思っていた(・・・・・)

 

 

 

「おめでとう、此処まで適合率が高いのは君が初めてだ」

 

 

 

 それは候補生の修了過程を終え、正式に艦娘となったとき。訓練所のお偉いさんから修了証書と共に向けられた言葉。それは学校の卒業式よろしく名前を呼ばれて前に進み、お偉いさんから証書と共に賜われたありがたいお言葉だったはず。

 

 その言葉を向けられた時、あたしは思わず口を開きかけた。もし止められなかったらその胸倉に掴み掛り、嘘を吐くなと迫っただろう。あたしは『雪風』じゃない、あたしは人間だ。そう心の中で何度も何度も叫んだ。だが、その実贈られた言葉はそれを完全に無視したものであり、後に送られてきた通知表という名の『事実』がそれを裏付けた。

 

 

 ―― 陽炎型駆逐艦8番艦『雪風』 卒業席次(ハンモックナンバー) 3位 『雪風』適合率 93% ――

 

 

 それが、あたしに下された結果。いや、あたしではない(・・・・・・・)。優秀な成績を修めた『雪風』候補生に、その名に刻まれた伝説を、幸運を、この闇に包まれた未来を照らす光となると、そう信仰される奇跡の駆逐艦『雪風』に下された結果だ。

 

 

 ここでもまた、『あたし』は無きモノにされたのだ。

 

 

 

 

 ……それが、あたしが痛感した時、あたしが無きものにされた時。『雪風』と書き換えられてしまった時だ。

 

 

 

 だけどそれでも、それでも一人だけ。たった一人(・・)だけはあたしを見てくれた。

 

 

 

 

「あの……雪風……です、よね?」

 

 

 それは卒業後に配属になった鎮守府(ここ)。しれぇとの顔合わせを終えて自室に戻ろうとした時に声をかけてきた一人の艦娘だった。

 

 栗色の短髪に独特な形をした黄色のカチューシャを付け、大胆に肩を露出させた巫女服のような制服。彼女はあたしに声をかけてきた時、何故か人懐っこい笑みを浮かべていた。その表情、そして声色からして、何処か好奇心に駆られているように感じられた。

 

 だけど、あたしは違った。何故ならその声で誰か分かってしまったから、その姿でその目的が分ってしまったから。その表情で、彼女が私に向けた感情を読み取ってしまったから。

 

 

 彼女は金剛型戦艦2番艦 『比叡』――――雪風がこの手で雷撃処分した艦。

 

 

 そして、彼女はその『償い』を要求しに来たのだ。

 

 

 その言葉を、声を、姿を、感情を向けられた時、あたしは逃げ出していた。それは今までとは違う、明らかに違う、疑いようもないほどに別の理由(・・)だ。

 

 

 雪風と比叡――――先の大戦では、雪風と彼女の関係はほんの一時だけ。ほんの一時だけだが、その一時が雪風に与えた影響(もの)は多大なモノであった。

 

 それはあの夜、あの海で行われた大夜戦。悪天候の中無理矢理進軍した彼女たちは、目と鼻の先程の距離で会敵した。確かその場には暁さんと夕立さんも居たはず。暁さんは探照灯の斉射によって会敵僅か15分程度で、夕立さんは単艦突撃を断行し約30分間暴れに暴れ回った後で、双方ともに水面に沈んでいった。

 

 彼女も例に漏れず敵艦との殴り合いを敢行し、敵側の探照灯に晒されその砲火を一身に受けた。主砲、副砲、機銃など、敵側がもつありとあらゆる攻撃手段を以て彼女を攻撃し、その全てを受け止めた彼女は巨大な黒煙を立ち上させながらも、ただ操舵機能を失ったのみに留めた。

 

 そんな彼女を曳航せよと命を受けたのが雪風たちだ。雪風はいち早く彼女の元に駆け付け粘り強く曳航を試みた。他の駆逐艦も合流し、皆で彼女を曳航すれば何とかなると、そう思っていた。しかし皆が揃った時、既に空は白み始めており、同時に敵の艦載機が彼女に止めを刺すべく意気揚々とやってきたのだ。

 

 我が方も艦載機を迎撃に向かわせた。確か、この時制空権確保を担っていたのは隼鷹さんだったか。彼女も懸命に力を尽くしてくれたが、元々敵の飛行場を砲撃するために移動していた所で鉢合わせした海戦である。近くに敵の飛行場があるのは当然であり、数の暴力に押し切られてしまう。同時にそれは彼女とあたしたち救助艦隊もその戦火に晒されることとなった。

 

 敵の戦火に雪風以下救助艦隊にも損傷が蓄積、そして操舵機能の喪失が致命的な要因となり軍は彼女の放棄を決定。彼女を助けに来た筈のあたしたちに、あろうことか彼女を雷撃処分せよと命令を下してきたのだ。

 

 だが、それは後に撤回された。そして撤回されるまで誰も雷撃を行わなかったために、この手で味方を沈めるという最悪の事態は免れたのだ。しかし、それでも放棄の決定は覆ることはなく、彼女が乗せていた船員は私たち救助隊に乗り換え、浮島となった彼女を残して私たちは撤退した。

 

 その後、同海域に再び乗り込んだものの、遂に彼女の姿を見ることはなかった。彼女は私たちに見棄てられたまま、たった一人で沈んでいったのである。

 

 戦争は命のやり取りだ。誰が殺られるなんて日常茶飯事であり、その一つ一つに感情を露にしていたら身が持たない。そう割り切ることを求められるため、決してこの選択は間違ってはいない。それに一度命令が下ったとはいえ、雪風が直接的に手を下した訳でもない。

 

 そう、どうしようもない。どうしようもない状況だった。彼女を放棄して撤退する以外、有力な選択肢が無かった。だから気に止むことはない。そう、何度も何度も言い聞かせた、言い聞かせたはずだった。

 

 だけどやはり、少なくとも、万が一でも救える状況であったのに。雪風はそれを無視して撤退してしまった、見殺しにしてしまった。

 

 

 雪風(あたし)が、彼女を沈めたのだ。

 

 

 

「捕まえました!!」

 

 

 だけど、またその声が聞こえた。先ほど逃げ出してある程度離れたことであたしが息を整えていた時、その声と共に後ろから抱えられたのだ。

 

 彼女は高速戦艦だが、さすがに陽炎型駆逐艦の速さには及ばない。だからあたしは振り切ったと思い込んでしまった。だが航続距離は彼女の方が上であり、それは身体能力に直結する。そのせいで遅れながらも彼女に追い付かれてしまった。それもこちらの体力が戻る前に、だ。

 

 

「は、離して!!」

 

「はぁーい、暴れない暴れない。戦艦の馬力に勝てるわけないんですから、大人しく連行されてくださいねー!!」

 

「連行って何処にぃ!?」

 

 

 抱っこの状態から脇に挟む抱え方に変えられ、まるで暴れる動物を抱える飼育員のような格好で歩き出した比叡さんにあたしはそう抗議の声を上げる。だがそれに彼女が意に介した様子はなく、「ハッハッハ!!」と笑いながらそのままとある場所に連れていかれたのだった。

 

 

 連れていかれたのは食堂だった。

 

 

 時間はちょうど夕食時、他の艦娘も各々食事を採っていた。そこに勢いよく扉を開けた比叡さん、その脇に抱えられたあたし。周りの目は一様にあたしたちに向けられたのは言うまでもない。ズカズカを進んでいく比叡さんとその脇でじたばたもがくあたしを周りは奇妙な目で見るものが殆ど―――――いや、そんな目で見つめるものは誰一人としていなかった。

 

 では憐れむような目か、違う。好奇心に満ちた目か、違う。これからあたしに降りかかる未来(地獄)を想像し同情を向けたのか、違う。どれもこれも違う。

 

 そこに在るのは『無』。『無』関心なのだ、関心が無いのだ。誰もがあたしたちを一瞥に、次の瞬間興味を失ったかのように目を逸らす。しかも、それは単純に興味がないとか、関心がないとか、そう言った類いのモノではない。

 

 『目を向けるほどの余力がない』―――――そう言った、類いのモノだった。

 

 

 そんな彼女たちが一様に口に運んでいるものは黒い液体、鉛色の塊、茶色の塊、そして黄土色の先端が尖ったもの――――弾薬だ。それを彼女たちは何の躊躇もなく口に運び、含み、咀嚼し、飲み込んでいる。

 

 誰もが同じ『無』表情で、同じ仕草で、同じ行動をひたすら繰り返しているのだ。まるで機械のように、まるで家畜のようにただ目の前にある食事とは呼べないものを摂取していた。

 

 

 

それが、『補給』と呼ばれるものだった。

 

 

 

 

「……」

 

 

 その光景にあたしは暴れるのも忘れて唖然とするしかなかった。急におとなしくなったあたしを適当な席に座らせ、比叡さんは何処かに行ってしまう。今、まさに逃げ出すチャンスなのに、あたしの身体は動かなかった。

 

 

 確か……確か、艦娘は3つ(・・)のことが可能になると習った。

 

 1つは艤装を背負い、大海原を駆け抜け、その身から砲身を具現化して敵を滅ぼすことが出来る。深海棲艦に対する唯一の攻撃手段を有すること。

 

 2つは戦闘による損傷を受けても専用の修復液とある程度の時間を使えれば完治すること。例えて足をもがれようが、全身やけどを負おうが、呼吸一つ、首の皮一枚繋いでさえいれば何事も無かったかのように治ってしまうこと。

 

 3つは食事を必要としない。勿論何かを摂取しなければ衰弱してしまうのだが、その『何か』が人間(あたし)たちが食べていた食材ではない、今こうして彼女たちが口にしている資材でも賄えてしまうこと。

 

 

 それこそが、艦娘になった現実を突き付ける根拠たちだ。

 

 

「お待たせしました」

 

 

 そんな折、頭上から比叡さんの声が聞えた。見上げた先には先ほどの笑顔から一転して何処か真剣な表情を浮かべる彼女、その両手にはトレイがある。彼女はその表情のまま、あたしの前にそれを置いた。

 

 トレイの上には、やはり周りと一緒。弾薬、燃料、鋼材、ボーキサイト、資材だ。あるものは平皿に無造作に転がされ、あるものは深めの皿に注がれ、あるものは直に転がされ、そこになけなしの箸やフォーク、スプーンがある。

 

 到底『食事』と呼べるモノではないこれらを家畜のように直接口を付けるのを避ける様に、最低限のラインをギリギリ超えないように。むしろ既に超えているものをどうにかして誤魔化そうとするように。

 

 

 その子供騙しな誤魔化し様が。滑稽で、愚かで、惨めで、みっともない、人間(あたし)人間(あたし)だと思い込む艦娘を―――――――

 

 

 

 『お前は艦娘(兵器)だ』―――――先ほど、司令官(・・・)から投げかけられた言葉であった。

 

 

 

「    」

 

 

 

 だから、だから。次の瞬間、あたしはその手を払いのけていた。その時、何かを口走ったか、どんな暴言を吐いたか、どんな醜い表情を向けたか。

 

 

「    」

 

 

 分からない、分からない。自分がやったことなのに、自分が起こしたことなのに、自分が抱いた感情なのに。その全てが理解できなかった、把握できなかった、察することが出来なかった。

 

 

 

 

 

「良かったぁ」

 

 

 そう払いのけられた比叡さん(・・・・)が、安堵の表情を浮かべるのを。

 

 

「ぇ」

 

「『あなた』は、あの雪風じゃないんですね」

 

 

 

 その言葉、その表情に目を見開く。だけど、それは同時に視界の殆どを覆い尽くす前髪によって阻まれた。頭上に置かれた手がくしゃりとあたしの前髪を乱したからだ。

 

 

 その言葉、その手、その温もり。どれもこれも、何もかも、与えられたもの全て。初めてだった。

 

 

「今まで会った雪風たち……まぁ訓練所でですが。彼女たち全員、初対面の私に最初『ごめんなさい』って謝ってきたんですよ。その後はもう謝罪のオンパレードで……『気にしてない』って言っても聞かなくて、会うたびに頭を下げられて、一緒に訓練しようものなら庇われて、無茶されて、やめてって言うと泣きそうな顔を向けるし……とにかく大変でした」

 

 

 彼女はそう話しながら、本当に疲れた表情を浮かべる。その様子から、こちらを気遣っての言葉ではなく、本当に辟易していると分かった。

 

 他の雪風はそんなことを……いや、当然だ。彼女たちも、あたしと同じように雪風から『あれ』を押し付けられたのだ。『あれ』に蝕まれている中で見殺しにした彼女が目の前に現れればそうなるだろう。

 

 しかもそれが自身を蝕むものを和らげる罪滅ぼし()であれば、なりふり構わずやるだろう。もしあたしが雪風を受け入れていたら、同じようにしただろう。

 

 

 

「だから今日うちに雪風が配属されると聞いたとき、正直憂鬱でした。ここは只でさえ酷い環境なのに更にあの(・・)雪風が来るなんて……って、本人を前に言うことじゃないですね、ごめんなさい……でも、あなた(・・・)で良かった」

 

 

 彼女はそう言うと頭を下げた。その姿にあたしは、雪風は動いた。彼女に頭を上げろと言おうとした、下げられた頭よりも更に深く頭を下げようとした。だが、それはあたしの頭に置かれている彼女の手が阻んだ。

 

 

「それにあれは雪風(あなた)のせいじゃない、私自身が選んだ結末です。むしろあなたはそれを覆そうと必死に頑張ってくれたじゃないですか。この比叡、粉骨砕身してくれたあなたに感謝こそすれ、恨むなんて恩知らずじゃありませんよ。それも我々帝国海軍の誇り、最上級武勲艦である駆逐艦『雪風』を……そして何より、『雪風』は『比叡』を残してくれた(・・・・・・)じゃないですかぁ」

 

 

 そう言って、彼女はその言葉を続けた。

 

 

「よくぞ最後(終わり)まで走り切ってくれました、よくぞ比叡()を覚えていてくれました、よくぞ比叡()の最期を後世に伝えてくれました。歴史の波に消えてしまうはずだった比叡()を、よくぞ刻み付けてくれました。比叡()たちは本当に、本当に心の底から感謝しています。だから(・・・)―――」

 

 

 そこで言葉を切った比叡さんはあたしの頭から手を離し、今度は両手であたしの顔を包み込むように触れ、その指であたしの目を、そこに溜まった涙を拭き取る。

 

 そのまま視線を――――頑なに彼女と視線を合わせようとしなかったあたしの視線を持ち上げ、真正面から微笑んだ。

 

 

 

 

「ありがとう、雪風」

 

 

 

 彼女はそう言葉を続けた。そして頬を撫でる。割れ物を触れる様に、愛しい人に触れる様に、優しく、柔らかく、暖かく、撫でてくれた。

 

 その言葉は、()に向けたものだろうか。その表情は、どれ(・・)に向けたものだろうか。その思いは、どっち(・・・)に向けたものだろうか。

 

 

 

 そのどれでもない両方(・・)へ。あたし(雪風)たちへ向けたものだ。

 

 

 

 

「もう、泣き虫なのは一緒(・・)ですねぇ」

 

 

 

 そんな言葉が、頭上から聞こえた。何故頭上からか、何故つい先ほどまで視界にいた彼女の姿が見えなくなったか。

 

 

 

 その理由を裏付ける様に、食堂に一つの泣き声(・・・)が響いたのだ。

 

 

 

 

「しっかしこの髪……流石に長すぎますね」

 

 

 胸の中でわんわん泣き叫ぶあたしの髪を弄びながら、比叡さんはそんなことを呟く。先ほど視界を奪われたのも、この好き放題にさせていた前髪のせいである。

 

 そして記憶にある中で、あたしが髪に目を向けたのはこの時が初めてだろう。恐らく艦娘になってから一度も気に掛けたことはない。とは言っても伸ばしっぱなしと言うわけではなく、誰かが適当に切り揃えていたのだが。

 

 

「取り敢えず前髪をこうして、量を梳いて、ちょっとまとめて軽くウェーブもかけて……ん~、悩むなぁ」

 

「……な、何か、楽し、そう、です、ね?」

 

 

 比叡さんの何処か楽し気な声に、あたしは涙でぼやけた目を向けつつそんな問いを向ける。すると、ぼやけた中で比叡さんはキョトンとした顔を浮かべ、次に砕けた笑みを浮かべてきた。

 

 

 

「えぇ!! だって私、美容師になるのが『夢』なんですから!!」

 

 

 

 そんな呆気からんとしたことを、彼女は口に出したのだ。

 

 

 その言葉にあたしは、そしてその場にいた他の艦娘全員が動きを止めた。同時に、全員が可笑しなことをいう彼女に目を向けたのだ。

 

 そうだろう、そう見るだろう。だってあたしは言われた。そして周りも、何より彼女も言われたはず。艦娘は人間ではないと、艦娘は兵器だと、そう言われたはずだ。

 

 

 

「この戦争で一度は終わっちゃった夢だけど、諦めたわけじゃない。いつか、この戦いが終わったら(・・・・・・・・・・)もう一度勉強して美容師になる、それが私の『夢』――――――いや、『目標』かな? まぁ、この戦いが終わったらだけどね」

 

 

 それなのに彼女は『夢』を語った。兵器では絶対に持ちえないであろう、人でしか持ちえないであろう『夢』を。

 

 そして、彼女は()を見ていた。この状況ではないその先を――――戦いの終わりを、戦争の終結を見ていた。その世界で自分が歩んでいく未来を捉えていたのだ。

 

 そして何より、そう楽しそうに話す彼女の口調は先ほどよりも少しだけ砕けていた。それは比叡さん(・・・・)ではない、戦艦比叡になった一人の女性(・・・・・)としての言葉だったのだろう。

 

 だからこそその言葉に(しん)があった、(こころ)があった。()からその夢を、その目標を掲げていた。

 

 彼女は誰よりも、何よりも、『人』であった。人であることを否定されてもなお、劣悪な環境下でもなお、常人なら狂ってしまうだろう倫理観の欠落したこの戦場であっても、彼女は常に人で在り続けた。

 

 

 そして彼女は、自身を依り代とした戦艦『比叡』をも受け入れていた。

 

 

 

『ねぇ聞いて下さい!! 今日、初弾で命中弾を出しました!! しかもそれで敵を沈めたんです!! 凄くないですか!!』

 

 

 比叡さんが帰投した際に食堂にいたあたしに真っ先に駆け寄り今日の戦果を自慢げに話す彼女。

 

 

『よし、今度は見捨てられないように頑張りますよぉ~!!』

 

 

 敗走した敵艦を追撃せよとの下知を受け、日が傾き始めた空を仰ぎながらそう声高に吠える彼女。

 

 

『雪風? どうしま……そう、あの子が……ほら、こっちに来てください。一つ、歌でも歌ってあげましょう』

 

 

 廊下をフラフラしていたあたしを見つけてそう声をかけ、子守唄を口ずさみながら泣き声を漏らすあたしと一緒に居てくれた彼女。

 

 

 

 自身が挙げた戦果に一喜一憂する価値観(ものさし)

 

 自身を奮い立たせる理由(わけ)

 

 あたしに安らぎを与えるために用いた(もの)

 

 

 それら全て、戦艦『比叡』が持っていたものだ。

 

 

 それを彼女は敬遠することも否定することもせず、彼女の一部として完璧に落とし込み、振り回されることなく乗りこなしている。手足のように『比叡』という船を操っているのだ。

 

 それがどれほど難儀なことか、あたしを見れば分かるだろう。

 

 艦娘が人間であろうとすれば、必然的に艦であることを否定してしまう。少ないながら過ごしてきた人生の中に全く別の心が宿るのだから当然だろう。

 

 しかし最終的には艦に同調する、悪い言い方をすれば艦に侵されてしまう。ある意味、あたしみたいになおも否定し続ける存在も珍しいのだが、比叡さんはそれ以上に稀有な存在なのだ。

 

 彼女はそういう『才』を持った存在だ。それは人として、艦娘として、そのどちらに対しての。完璧に乗りこなし、隔たりなく両立させ、そして周りにも多大な影響を与えるほどの。まさに『天賦の才』と呼べるほどの。まさに人として、艦娘として、完璧な存在だった。

 

 

 

 だが神様は、残酷な女神様(・・・)は、完璧な彼女にそれ(・・)を与えた。

 

 

 

 

 『運命』を。

 

 

 

 

 その日(・・・)、あたしたちは沖ノ島海域にいた。

 

 

 つい先日、この海域で赤城さんが没した。それを知った加賀さんが倒れ、両足が使えなくなった。それからさほど日が立っていない頃。赤城さんの、そして捨て艦として散っていった駆逐艦たち(みんな)の命と引き換えに手に入れた情報―――――『敵空母群が多数展開している』を元に決行された『第二次(・・・)沖ノ島海域攻略作戦』。

 

 空母ヲ級flagship率いる機動部隊に対して、こちらは索敵に優れる駆逐艦、一撃で空母を中破に追い込む火力を持つ戦艦の水上打撃部隊を送り込む。

 

 駆逐艦の索敵により海域の全体像を浮き彫りにし、各敵空母群の配置を把握。更に敵の索敵範囲外から遠距離砲撃、混乱する中に突撃し砲雷撃によって更なる被害を与えることを目的とした。

 

 

 あくまで攻略ではなく敵戦力の減少、及び敵制空権の縮小、あわよくば奪取を目的とした作戦である。

 

 

 その作戦、結果だけ言えば『成功』だ。

 

 

 敵空母群を撃滅とまではいかないものの主力空母に損害を与え、敵の立て直しに時間を要する状態にさせた。そして何より海域に点在する渦潮の存在を確認。広大な海域を誇る沖ノ島海域で貴重な燃料、弾薬を投棄しなければならない渦潮の存在は厄介そのものだ。それを早々に発見できたおかげで、道中の無駄な消費を抑えられた。

 

 しかし『渦潮を発見した』ということは、裏を返せばそれだけ渦潮に引っかかったということだ。渦潮に引っかかれば乗り越えるために無駄な燃料を費やし、身軽になるために貴重な弾薬を投棄しなければならない。その日は運が悪い(・・・・)ことに渦潮に何度も何度も引っかかり、その度に貴重な資材を投棄したのだ。

 

 雪風のように身軽な艦娘はそこまでの量を投棄する必要はないが、比叡さんはそれ相応の量を投棄しなければならない。また戦闘に置いて戦艦は主戦力であるため、弾薬の放棄はそのまま艦隊の戦力低下を招く。更に言えば、戦艦は敵の攻撃を受け止めることを前提にしているため、耐えうるだけの装甲を供えている。避けられるならそれに越したことはないが、攻撃力を低下させてまで確保する必要もない。

 

 故に、彼女は渦潮を踏むごとに燃料を優先的に投棄した。そして道中の戦闘で彼女は減少した燃料を節約するために回避ではなくダメージコントロールで敵の攻撃を防いだ。それ故に、彼女の装甲は既に穴だらけであった。

 

 そして、敵機動部隊との戦闘。彼女は砲戦を駆使して敵を屠り続けた。しかし幾多の戦闘、渦潮のせいで艦隊全体の回避力が著しく低下していたため、彼女を含め僚艦たちの損害が酷くなってくる。小破のものはおらず、殆どが中破、または大破に近い中破だ。中には弾薬が底を尽き、ただデコイとして走り回る者もいる劣悪な状態だ。

 

 

 

「撃ちます、当たってぇ!!!!!」

 

 

 その中で、彼女の主砲が火を噴く。その砲弾は音速を越えるスピードで飛んでいき、空母ヲ級flagshipに突き刺さり爆発を起こした。損害は中破、彼女はそれ以降艦載機を発艦できなくした。だが、そこから放たれた艦載機が比叡さんを強襲、彼女もまた大破に追い込まれた。

 

 

 しかし敵も相応の損害を被ったためにそのまま撤退していき、そこで戦闘は終了した。あわよくば追撃を、という無茶なことをいうものは誰も居ない。誰もが作戦完了を感じ取った。旗艦が無線を飛ばし、しれぇに作戦完了と損害を報告し、その間あたしたちは帰投の準備にかかる。

 

 

「ははっ、無茶しちゃいました……」

 

 

 苦笑いを浮かべながら、彼女は()と共にそんな言葉を吐き出した。その身体はボロボロで、艤装のあちこちから黒煙が噴き出しており、足元の艤装はつんざくような金切り声を上げている。主砲もひしゃげ、攻撃手段は残っていない。あるのは彼女の脇に身体を滑り込ませ、今にも倒れそうなその身体を懸命に支えている雪風(あたし)だけだ。

 

 

「もう……無茶しないで下さいよ」

 

「いやぁ、まぁそこはご愛敬ぉ、ってて痛ててててて、わわッ脇腹抓らないでぇ~お願いぃ!!」

 

 

 ボロボロの比叡さんに肩を貸しながら、あたしは半目で彼女をにらむ。その視線にいたたまれなくなったのか、彼女は苦笑いを浮かべながら視線を逸らす。そんな彼女の脇腹を抓りながら、あたしは安堵の息を漏らした。

 

 

 

 誰も犠牲にせずに帰投できそうだ、と。

 

 

 

 

「進撃、ですか」

 

 

 

 だが、それは辛くも崩れ去った。その原因たる言葉を発した存在は―――――しれぇとの通信を行っていた旗艦だ。彼女は顔面蒼白で茫然としていた。彼女自身、そして私たちの誰もがもう帰投すればいい、という頭でいたからだ。だから、まさかここからまた進撃せよと言われるとは思っていなかった。まさかの事実に、あたしたち僚艦は彼女に近付いた。

 

 

「待ってください!! 私たちは敵空母群に損害を与えました!! もうこれ以上本作戦を続行する意味が……は? 撤退した空母が残っている? それを沈めれば作戦完了とする? そ、そんな無茶な!! 私たちにはもう燃料も弾薬も無いんです!? こんな状態で進撃すれば敵に損害を与えるどころか、下手したら全滅します!! 私たちに『死ね』と言うんで……ぇ?」

 

 

 無線に向かって声の限り吠えていた旗艦は、不意に声を落とした。その顔は先ほどの激昂から一変鳩が豆鉄砲を喰らったよう顔に、次にその顔に絶望が浮かんだ。

 

 

 

()……だった?」

 

 

 そして何故彼女がそんな顔になったのか、その口からその理由が発せられた。それと同時に、彼女の手から無線が滑り落ちる。

 

 

「っと」

 

 

 それを、比叡さんが寸での所で掴んだ。そのままイヤホンを耳に入れ、無線に向けて声を発した。

 

 

「司令、説明してくれますか?」

 

 

 至って冷静な声色で発せられた比叡さん。その顔も冷静であった。しかし無線を握るその手には力が込めらており、その下に激しい感情を湛えることを示していた。

 

 

 そして彼女の口を通し、しれぇが立ち上げた本当(・・)の第二次沖ノ島海域攻略作戦。その全容が明らかになった。

 

 

 先ずあたしたちは先行部隊(・・・・)であり、目的は最初に述べた通り敵戦力を出来る限り減らすこと、そして同時に敵の目を引き付ける(・・・・・・・)ことだ。空母群に敢えて航空戦力皆無な水上打撃部隊を向かわせたのも、敵が目の前の餌に食らいつくと目論んでいたためだ。

 

 そして美味しい餌(あたしたち)が海域の深部まで進み出来うる限り敵の目を引き付けたら、満を持して本隊(・・)を出撃させる。第一次で持ち帰った情報の中に、最深部で待ち受ける敵主力部隊は空母群ではなく戦艦を中心とした部隊とあった。

 

 ここに空母機動部隊(本命)をぶつける。旗艦は加賀さんである。練度は言わずもがな、其処に赤城さんの仇を討つと、一航戦の名を轟かせると息巻いているために士気も高い。それをぶつけることでこの海域を攻略する。

 

 

 先行部隊(あたしたち)を―――――『囮部隊』が敵空母群を引き付け、その隙に本命を送り込み海域を攻略する。それがしれぇが描いた青写真(・・・)

 

 そしてこの意図は囮部隊(あたしたち)、そして本隊(加賀さんたち)も伝えられていない。あたしたちが知り得たのもたまたまだ。

 

 もしこのままあたしたちが沈めば加賀さんたちは先行部隊が全滅したと知るだけで、ただ(・・)討つべき仇が増えるだけ(・・)で終わってしまう。まして彼は大破進撃を平気で行うため、結果的に彼への評価は変わらない。誰もその意図を察することが出来ずに、真実は闇に葬ってしまえる。

 

 もしこのまま生き残ったとしても、この事実を流布したところで意味はない。そういう手を使うんだという認識だけで、彼自身は気にも留めないだろう。もうこの作戦は完遂しかかっている。

 

 

 

 あたしたちが全滅しようがしまいが、既に(・・)青写真は現像しているのだ。

 

 

 

「―――――だそうです」

 

 

 そこまで話し終えて、比叡さんは一息ついた。周りの艦娘は全員、その場でへたり込んでいる。今まで必死に戦い、激戦を潜り抜け、ようやく帰れる―――そう思っていた筈。しかし、其処に叩き付けられたのは大破進撃、そして元々自分たちは捨て駒だったこと、自分たちの命すらしれぇに握られ、そして既に(・・)捨てられていたと言う事実。それだけで、彼女たちの心を折るには十分だった。

 

 

 

 

「では端的に聞きます。進撃か撤退か、どっちが生き残れますか(・・・・・・・)?」

 

 

 だけど彼女は、比叡さんはそう問いかけた。その言葉に、その姿に、誰もが目を見張る。そんな視線を受けてもなお彼女はその姿勢を崩さない。その表情を変えない。その瞳を変えない。

 

 

 彼女はこの絶体絶命な状況でも、『生きる』ことを選んだのだ。

 

 

「まだ私たちの任務は完了していません(・・・・・・・・)。私たちが生き続ければ、それだけ敵の目を引き付けられます。それだけ本隊が敵を殲滅する可能性が上がるじゃないですか。私たちは『生きたい』、司令は『この海域を攻略したい』、目的(・・)は違えど進んでいる向き(・・)は一緒です。本隊が完全勝利できるよう、せいぜい無様に逃げ回って見せますよ。まぁそんなこんなで……とっとと教えろ(・・・・・・・)

 

 

 恐らく最後の言葉(其処)で限界だったのだろう。彼女は敬語を取っ払い、沸き上がる憤怒を込めてその言葉を吐く。同時に平静を装っていた表情を崩し、その下にあった憤怒を表した。その表情に、へたり込んでいた艦娘たちの顔が変わる。

 

 

 

 絶望の淵で泣き崩れていた表情(モノ)から、『生き残ってやる』という執念に満ちた表情(モノ)に。

 

 

 

「なるほど、ではまた(・・)

 

 

 そしてその返答を受け取ったのだろう。比叡さんは短くそう返しながら通信を切った。そして無線から手を離し、あたし達を見据える。その視線の先には、生き残る覚悟を決めた僚艦たちが立っていた。

 

 

「司令から、生き残るなら進撃(・・)が良いと言われました。本隊は既に母港を発っており、私たちの進撃ルートから外れる様に進んでいるようです。仮に撤退した場合、ルートが被らなければ彼女たちと合流することは難しく、護衛なしでの撤退になるだろう。それなら同じゴールを目指した方が合流できる可能性は高く、空母の索敵にも引っかかりやすいだろう、と。その代わり敵地に進撃するわけですから、会敵する可能性は必須でしょう」

 

 

 彼女の口から投げかけられた選択肢。それはしれぇの見解を元にした提案だった。私たちの死を織り込んだ作戦を立てながら、その提案は意外にも合理的であった。彼からすれば、私たちが沈もうが沈むまいが状況に大した変化はないため、はっきり言ってどうでもいいからだろう。

 

 

 

「……このまま留まっているのは?」

 

「私たちは既に敵に発見されており、そして空母を逃がしています。此処に留まるのは悪手でしょう」

 

「じゃあ進撃……か」

 

「この状況で敵に突っ込んでどうするの!? 絶対撤退です!!!!」

 

「で、でももし合流出来なかったら……」

 

 

 

 僚艦たちが口々に議論を展開する。進撃か撤退か、意見は半々だ。比叡さんは自身が口を挟むと数に関係なく結果が傾いてしまうため、敢えて黙している。やがて議論が堂々巡りに落ちた時、周りの視線があたしに向けられた。

 

 

 

「雪風は、どっちがいいですか?」

 

「え、あ、その……」

 

 

 急に問いを向けられ、いや選択を迫られたあたしは言葉を濁す。

 

 正直、どちらも選択したくない。勿論、この言葉であたしたちの命がかかっているからだ。

 

 そして何より、あたしは『雪風』だ。

 

 こういう場面を幾度となく潜り抜け、そして生き残った『奇跡の駆逐艦』。その名前が一人歩きしているだけで、(あたし)にはそんな大層なものはない。むしろ、あたしの決定がそのまま正解にされかねない。

 

 

 何せ、彼女たちは知らないからだ。その下に、夥しい(ソレ)が横たわっているのかを。

 

 

 

「雪風」

 

 

 不意に名前を呼ばれた。顔を上げる。そこに居たのは比叡さん。その顔は真剣そのもの。だけど柔らかい。だけど暖かい。そして、親愛に満ちた顔をしていた。

 

 

『あなたは、あの雪風じゃないんですね』

 

 

 同時に、彼女の言葉が浮かんだ。

 

 

 そう、そうだ。あたしは雪風じゃない。『あの雪風』じゃない。自身の命と引き換えし沢山の僚艦を沈めたわけじゃない。沢山の命を手放して、逃げることしか出来なかった、憐れな艦ではない。

 

 

 ただ一人、ただ一つ。あたしはあたしだ。この選択は誰かを殺すためではない、誰かを生かすためだ。そして、これはそれを示すのだ。

 

 

 雪風ではなく、雪風としてではなく。

 

 あたしはあたしとして、あたしが歩んでいくため。

 

 

 そう、これこそが艦娘(あたし)としての第一歩なのだ。

 

 

「撤退を、支持します」

 

 

 そう決意し、意気揚々と踏み出した一歩。

 

 

 

 その一歩を以て、あたしはそれで自分の存在を認識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嫌ぁ、嫌ぁ!!! 沈みたくない!! 沈みたくない!! 誰か助―――――」

 

 

 そう叫んでいた彼女が、夥しい砲弾の雨に飲み込まれた。

 

 

「くそ、クソォ!! やっぱ撤退するんじゃなかった!!! 糞がァ!!!!」

 

 

 そう喧しく喚き散らした彼女は胸にあらん限りに魚雷を抱えて敵艦隊に突撃、その身を散らした。

 

 

「ハハッ、ハハッ、やっぱり無理だったんだ!!!!! やっぱり生き残るなんて出来なかったんだ!!!! わたしたちはもう死ぬ運命だったんだ!!!! ハハッ……痛ゥ、痛い、痛いよォ……痛いよォ!!!!! やめてぇ!!!!」

 

 

 そう狂ったように笑い声を上げていた彼女は数隻の駆逐ロ級に囲まれ、その身体を文字通り(・・・・)食らいつかれ、何時しか声が聞えなくなった。

 

 

「あんたのせいだ!!!! あんたが撤退なんか選んだから!! だからこうなった!!!! やっぱり進撃した方が良かったんだよォ!!!!!!」

 

 

 そう、進撃を支持していた彼女は自身を引きずり込んでいく艤装の重みに抗いながらあたしにそんな罵声を浴びせ、やがて水面にその消えていった。

 

 

 

 

 数多の悲鳴、断末魔、罵声、怒号、恨み節――――全て聞いた、聞いてきた。()も、()も、きっと未来(・・)も。同じだろう、同じに決まっている、どうせ一緒に決まっている。

 

 

 やっぱり無理だった、やっぱり一緒だった。やっぱり変えられなかった、抗えなかった、覆せなかった。ようやく巡ってきたものを、ようやく挽回できるはずだったものを、またもや同じことを、同じ愚を、同じ結末を辿ってしまった、辿らせてしまった、迎えさせてしまった。

 

 

 

 

 

 

「私を置いて、行ってください」

 

 

 彼女も―――――――――比叡さんもまた、同じ結末を迎えてしまった。

 

 

 

 彼女はもう助からない。先ほどの敵襲によって航行機能を失い、燃料が漏れだし、弾薬もそこを尽いた。もう彼女が出来ることはない。ただその身を水面に晒し、やがてやってくるであろう『死』を静かに待つだけ。

 

 彼女を曳航しようにも、当に僚艦たちは海の藻屑と消えた。そして今もなお、加賀さんたちは見つからない。索敵機すら見つからない。こちらは索敵機を飛ばせない。仲間を呼ぶことも、敵から逃げることも出来ない。

 

 

 

 何から何まで、あの夜と一緒だ。

 

 

 

 いや、あの夜(・・・)とは違う。

 

 あの夜は、今まで(・・・)は、ここまで被害を出さなかった。艦隊の壊滅はあっても、雪風の他に帰れた艦も居た。雪風以外全滅なんて、今までの戦い(・・・・・・)ですらならなかった。

 

 

 そう、『今まで』とは違う。『今まで』よりも酷い、『今まで』よりも残酷で、『今まで』よりも夥しい命が散っていった。

 

 

 

 

 

 そして『今』――――――その際たる命が一つ、『今まで』と同じように(・・・・・)失われようとしている。

 

 

 

 

「雪風ぇ? 早く行ってください。あなただけでも、生き残ってください」

 

 

 そう促す比叡さん。彼女は笑っている。ちゃんと、しっかり、笑顔を浮かべて。そこに偽りはない、憤りも、後悔もない。あの時と同じように、腹をくくった比叡(彼女)がそこにいた。

 

 

 それを前に、あたしは立ち尽くした。今まで(・・・)と同じように立ち尽くしていた。雪風(彼女)が浮かべていた表情を、あたしも浮かべているのだろうか。それはどんなものか、どれほど酷いものか、どれほど醜いものか。それを知るのは向けられている比叡さんだけだ。

 

 

 そして、あたしの手が動いた。その姿に比叡さんは一瞬驚いた顔を浮かべるも、やがて何処か悲しそうな表情に変え、こう口に出した。

 

 

 

そこまで(・・・・)……しなくていいん、ですよぉ……?」

 

 

 そう語り掛ける比叡さんに向け、あたしは腕を突き出していた。いや、腕ではない。正確にはそこから伸びる黒々と光る砲身だ。その砲口を彼女に向けているのだ。

 

 

 

 『見捨てないで』

 

 

 この言葉は比叡さんが良く口にしているものだ。それは比叡が沈む際、誰にも看取られずに一人静かに沈んでいった。その恐怖が今もなお彼女を蝕んでいるからだろう。

 

 現に自分を置いていけと言った彼女の言葉は震えていた。本当は彼女も怖いのだ、何せまた同じ苦しみを、同じ運命を辿るのだから。『死』の恐怖を、しかも同じものを二度も味わうのがどれほど怖いか、恐らく彼女にしか分からないだろう。

 

 だからこそ、その恐怖を少しでも和らげるために。少しでもその運命を捻じ曲げるために、その帰結をずらすために。

 

 

 

 そのためにあたしは、雪風(あたし)は、あたし(雪風)たちは。

 

 

 

 

 比叡さんを、もう一度(・・・・)殺すんだ。

 

 

 

 そう思った時、あたしは砲口を下げてそのまま彼女から距離を取った。そして背負った魚雷発射管を下ろし、両手で抱え、その矛先を比叡さんに向ける。

 

 

 確実に、比叡さんを殺すために。

 

 

 

 

「雪風」

 

 

 

 その時、比叡さんがあたしの名を呼んだ。視線だけを彼女に向ける。そこには申し訳なさそうな顔の比叡さん。

 

 

 

 

「    」

 

 

 

 その口が動いた。同時に手に持った発射管が鋭い音を立て、魚雷を2本吐き出す。その音のせいで、彼女の声は聞こえなかった。

 

 

 だが、その口の動きは見ていた。そして彼女が何と言ったのか、後に分かった。

 

 

 

 

「ごめんね」

 

 

 

 

 そう言ったと―――――――最期の言葉(・・・・・)を知った時、あたしの視界は大きな水柱が立ち昇る光景で一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、あたしは廊下を歩いていた。

 

 

 誰かに手を引かれている、誰かに引っ張られている。

 

 傷もない、痛みも、疲れもない。確かにあった傷も、身を裂かんばかりに襲ってきた痛みも、泥のように眠ってしまうだろう膨大な疲れも、無い。

 

 

 まるで、今までのことが無かったかのように。『夢』を見ていたのかもしれない、そう勘違いしてしまうかのように。何もかもが、違って(・・・)見えた。

 

 

 そして手を引く誰か(・・)。白い軍服が見える。それを身に纏う存在を、あたしは一人しか知らない。

 

 

 やがて、何処の部屋に放り込まれた。そこは暗い、窓もカーテンも閉め切られた部屋。ただベットと本棚、そして机が置いてあるだけの簡素な部屋だ。そこに放り込まれ、茫然と立ちつくすあたしの後ろで鍵が閉まる音が聞こえた。

 

 

 

 

「雪風」

 

 

 何秒、何分、何時間経っただろう。もはや時間すらどうでもよくなっていたあたしに、誰かは『その名』を呼んだ。名を呼ばれて振り返る。そこには軍服姿の男が立っていた。

 

 彼の目はいつも通り冷たい。心の奥まで見透かされているかのように、透き通るような瞳だった。その瞳を見た、その瞳に移る自分を―――――『死に損ない』を見た。

 

 

 

「しれぇ」

 

「お前に罰を与える」

 

 

 あたしがその名を。名前なんか知らない、その役職目を口にする。するとしれぇはそう言ってあたしから目を離し、本棚に近付いた。その後ろ姿を、あたしはただ黙って見る。

 

 

 罰、罰とは何だろう。むしろあれ以上の罰があるのか、もしそうなら見て見たい。そんな虚勢に塗れた余裕を、あたしは心の中で溢した。

 

 

 

 

 

 だけど、すぐに後悔した。

 

 

 

 

 

「ここに、ヤツの最期(・・)を記せ」

 

 

 

 そう言って、しれぇは一冊の本を差し出した。それはこの鎮守府に所属する艦娘の名簿だ。そして、彼はただそれを差し出したわけではない。

 

 

 とあるページを開き、其処を指差しながらそう言ったのだ。

 

 

 

 

 

『金剛型戦艦 二番艦 比叡』

 

 

 

 その名前と共に、人懐っこそうな笑みを浮かべた比叡さんがいた。

 

 

 その言葉に、あたしは悲鳴を上げた。もう、何もかも、何もかも捨て去ってもいい。何もいらない。この場から逃げられるのなら何だってする、何だって差し出す、この命でさえも差し出そう。

 

 

 

 

奴を忘れないように(・・・・・・・・・)、お前の記憶に刻み込め」

 

 

 

 だが、それはしれぇの言葉によって簡単に阻まれた。同時に、しれぇはページを指していた筈の手を離し、あたしの頭に置いてきた。

 

 

 

「そして今後『雪風』が沈めたヤツは、全て俺が沈めたことにする」

 

 

 

 しれぇの言葉。それはあたしにとって、いやあたし(雪風)にとって、『救い』の言葉だった。

 

 

 雪風は幾多の戦いで仲間を沈めてきた。勿論意図せずだが、遠縁ながらもその要因であったのは確実(・・)だろう。何せ、雪風は幸運だからだ、周りの運を吸い取っていたからだ、自分の代わりに仲間を沈ませたからだ。

 

 だからこそ、雪風はその命を背負った。そして、それをあたし(雪風)に押し付けてきた。同じ苦しみを味わえと、これが幸運だ、これが『幸運の代償』だ、と。

 

 お前も雪風だから背負え(・・・・・・・・・・・)と。意志を持たない船でさえ誰かに押し付けるほどに膨大なソレ。

 

 

 

 

 (ソレ)を、このしれぇは全て肩代わり(・・・・・・)してくれると言うのだ。

 

 

 

「だがそいつだけは、お前が沈めた(・・・・・・)比叡だけは背負え。そのために、その最期を書き記せ」

 

 

 

 それと交換条件にしれぇは比叡さんを背負えと言った。これもまた、『救い』の言葉だ。

 

 

 雪風は比叡の最期をしっかり記憶し、そして後世に伝えた。そして比叡になってしまった『彼女』の最期を知るのも、あたし(雪風)だけなのだ。彼女は後世に消え失せなかったことを喜び、その橋渡しをした雪風(あたし)を感謝していた。

 

 

 

 比叡さん(彼女)も、それを望んでいる筈なのだ。

 

 

 

 

 

「分かりました!! そこの机をお借りしてもいいでしょうか!!」

 

 

 

 いつの間にか、雪風はそう応えていた。先ほどの衰弱は何処へやら、元気よくはきはきとした声で。完璧なまでの敬礼をしれぇに向けた。

 

 それにしれぇは特に反応せず、黙って名簿を押し付け机へと促した。

 

 

 

「ありがとうございます!!!!」

 

 

 しれぇにお礼を言って、雪風は机に向かって歩き出す。机の上に名簿を開け、傍にあったペン立てから羽ペンを一つ拝借し、椅子に座った。ペンにインクを浸し、黒く染まったその先を名簿の上に押し付けた。

 

 スラスラとその戦歴が刻まれていく。彼女が挙げた戦果は膨大である。それを一つ一つ漏らすまいと、キッチリ書き込んでいく。

 

 

 

 

 

『第二次沖ノ島海域攻略作戦にて、駆逐艦を庇い轟ごめんなさい』

 

 

 

 そう書き記した時、その文末にぽたりと涙が落ちた。

 

 

 口から嗚咽が漏れた。

 

 

 頬を伝い涙がぼたぼたと落ちた。

 

 

 名簿を抑えていた手に力がこもり、クシャリと頁に深い皺を刻む。

 

 

 でも、それでも雪風はペンを走り続けた。決してペンを離さなかった。決してその名簿から、その言葉から目を離さなかった。

 

 

 これを書き上げれば雪風は許される(・・・・)

 

 

 もう彼女以外、誰も背負わなくていい。もう、誰かに謝る必要もない。

 

 だって、しれぇが全部背負ってくれる。しれぇが全部肩代わりしてくれる。

 

 

 全部全部、しれぇのせい(・・・・・・)に出来る。

 

 

 

「もういい」

 

 

 不意にそんな言葉が聞こえ、雪風の手から名簿が奪われた。奪ったのはしれぇだ。彼は奪った名簿を一瞥し、今しがた雪風が書き記していた頁を見せた。

 

 

「気は済んだだろう」

 

 

 そう言うしれぇが見せているページには比叡さんの戦歴、そしてそれ以外にビッシリと書き詰め込まれた『ごめんなさい』の文字たち。

 

 

 

 それこそ、雪風(雪風)最期の贖罪(・・)だった。

 

 

 

 

 それ以降、雪風は何も感じなくなった。

 

 

 勿論、それらは痛覚、味覚、視覚、触覚などの五感を失ったわけではない。

 

 出撃すれば疲れるし、被弾すれば痛いし、お腹もすくし、補給すればお腹いっぱいになるし、眠くなるし、寝れば疲れもとれる。いつも通り、生命活動に則するもの全ては今まで通り、今まで通りだ。むしろ()になったことで、逆に新鮮に感じていた節さえある。

 

 

 

 雪風が失ったのは、『感情』だ。

 

 悲しい、空しい、嬉しい、楽しい、嬉しい、好き、嫌い――――――――等々、それら全ての感情を失った。

 

 出撃で誰かが活躍しようが、誰かが危険を犯そうが、誰かに感謝されようが、誰かに非難されようが、庇おうが、庇われようが、誰かが傷付き、衰弱し、そのまま沈もう(・・・)が、何も感じなくなった。

 

 

 

 だって、あの瞬間から今までに至るまで、何もかも、全て、全部、一切合切、しれぇのせい(・・・・・・)だからだ。

 

 

 誰かが傷付いたらしれぇのせい、誰かが悲しんだらしれぇのせい、誰かが怒ったらしれぇのせい、誰かが沈んだらしれぇのせい。

 

 しれぇのせい(・・・・・・)で誰かが傷付き、しれぇのせい(・・・・・・)で誰かが悲しみ、しれぇのせい(・・・・・・)で誰かが怒り、しれぇのせい(・・・・・・)で誰かが沈んだ。

 

 その『誰か』に当て嵌まるのは天龍さん、龍田さん、隼鷹さん、長門さん、潮さん、曙さん、イムヤさん、ゴーヤさん、ハチさん、イクさん、榛名さん、加賀さん、金剛さん―――――この鎮守府にいる艦娘全員だ。彼女たち全員『しれぇのせい』であんな風になってしまった。そこに雪風は一変たりとも関係ないのだ。

 

 それは間違いない事実だ、捻じ曲げられない、変えることのできない真実だ。

 

 

 

 だけど、どうもその道理にそぐわない人もいた。

 

 

 

「おい!!!!」

 

 

 あれは何時だっただろう、何処かの海域に出撃し帰投した時か。

 

 いつも通り母港に降り立ち、艤装を下ろした時。一人の艦娘がそう怒鳴りつけてきた。その方を向くと、腰に大きなポケットの付いた濃い目の緑色のセーラー服を着た黒髪おさげの艦娘が、鬼の形相で雪風に近付いてくる。その目は赤く純血しており、頬に薄っすらと筋が伺えた。

 

 多分、泣いたの――――

 

 

 

「よくも、よくも大井っち(・・・・)を!!!!」

 

 

 雪風の思考は、再び怒号を上げて襟を掴みかかってきた彼女――――――北上さんによって途切れた。いつもの飄々とした彼女はおらず、まるでヒステリックに陥った少女のようであった。彼女は雪風の襟に掴み掛り、強引に締め上げてくる。

 

 『このまま絞め殺してやる』――――清々しいまでの殺気を向けながら、北上さんはそれ以降訳の分からない(・・・・・・・)暴言を向けてきた。

 

 彼女が口に出した大井っち―――――恐らく、彼女の姉妹艦である『球磨型軽巡洋艦四番艦 大井』その名を冠した大井さんを指しているのだろう。確か、今日の出撃で一緒だったか……だが、辺りを見回してもその姿はない。そして心なしか、一緒に帰投した僚艦たちの顔が暗い。

 

 特に駆逐艦に至ってはわんわんと泣き喚いている。記憶が正しければ、彼女は大井さんにべったりだったような。

 

 

 そっか、そう言えば―――――

 

 

 

 

しれぇのせい(・・・・・・)で、大井さんが沈んだんですね」

 

 

 そんなことを、雪風は声に出していた。自分でも思わず漏れてしまった、失言だ。それを聞いた、それも目の前で聞いた北上さんは一瞬呆けた顔を浮かべる。

 

 

 

 だが、次の瞬間、その顔は『憤怒』で染め上げられた。

 

 

 

 

「     」

 

 

 何か、北上さんが怒鳴る。それと一緒に掴まれていた襟ごと思いっきり突き飛ばされた。突き飛ばされた雪風の身体は勢いよく後ろの壁に激突し、身体が軋み、肺から無理矢理空気を絞り出される。全身に痛みを感じながらも、雪風の思考はそこで終わった。

 

 

 だって、大井さんが沈んだのは全部しれぇのせいだ。仮に、万に一つ、億に一つ、彼女が雪風を庇って沈んだとしても、それも(・・・)全部しれぇのせいなのだ。

 

 しれぇの指示で渋々雪風の盾となって沈んでいったとしても、全部しれぇのせいなのだ。

 

 しれぇの指示を無視し、自らの意志(・・・・・)で沈んでいったとしても、全部しれぇのせいなのだ。

 

 

 そのどちらでもないとしても、やっぱり全部しれぇのせいなのだ。

 

 

 

「     」

 

 

 また、北上さんが何か叫ぶ。そして再び雪風に掴み掛ろうとするも、周りの艦娘に取り押さえられる。母港内での乱闘騒ぎ、それはしれぇにとって艦娘に厳罰を言い渡す格好の餌だ。故に此処で事を荒立てるのは北上さんにとって悪手でしかない。だからこそ周りは止めたのだ。

 

 それは無論、雪風にとっても悪手だ。まして雪風はしれぇの指示通り任務を遂行しただけだ。何も失敗したわけでもないし、それで誰かに糾弾される云われもない。

 

 雪風はしれぇの言う通り、言われたことをただこなしただけ。それだけでいい、求められたことを忠実にこなせばいい、着実に完遂すればいいだけだ。

 

 

 裏を返せば、完遂するためなら何をしてもいい(・・・・・・・)と言うことになる。もし仮に、大井さんの死が完遂に必要だとしたら、北上さんの言う通り雪風のせいなのだろう。しかし、その下敷きはしれぇの命令がある。

 

 そうなれば、結局そうするしかなかった雪風に非は無く、そうするしかない状況にさせたしれぇに責任が向く。結局のところ、やっぱりしれぇのせい(・・・・・・)になるのだ。

 

 

 

 

「この、『死神』がァ!!!!」

 

 

 だけど、そんな北上さんの罵詈雑言の中で、その言葉を雪風は拾い上げた。それは何故か、懐かしかったからだろう。何せ今まで散々浴びせ掛けられたものの中で、最も多く(・・・・)ぶつけられた蔑称だからだ。

 

 

 

 

「『死神(それ)』、雪風(あたし)にお似合いですね」

 

 

 そう、腐るくらいぶつけられた言葉を。ただ黙って耐えるしかなかったその忌々しい蔑称を。あたし(雪風)が、雪風(雪風)が、人の依り代を得て、数多の存在を犠牲にして、時には血反吐を吐いて、それでも無理矢理進んだ先で。

 

 

 

 ようやく一矢報えた、『唯一の反撃』だった。

 

 

 

 

 

 そして『今』―――――あたし(雪風)はようやく終焉(・・)を迎えた。

 

 

 全身にのしかかる水の重さ。身にまとっていた制服、艤装、何もかもが雪風(あたし)を―――『死神』を下へと、海の底へといざなっていく。其処(・・)()へ、闇よりも深く、光の届かない世界へ誘っていく。そのどれもこれもが雪風(あたし)の『理想郷』と重なった。

 

 

 死神は意志に関係なく周りに悪影響を、最悪の場合を『死』をもたらす。その例が比叡さんだ。故に死神(あたし)が存在している限り周りにいる存在全てに悪影響を―――――『死』を招いてしまう。

 

 これは宿命(さだめ)なのだ。あたしが存在している限り、逃れられない宿命、呪い、幸運艦であり続け、最後の最期まで走り抜けた『雪風』と言う船が背負った『幸運の代償』なのだ。

 

 それを背負って、雪風が沈む。これ以上、誰かをその代償とやらにさせないために。これ以上、雪風のせいで誰かを『不幸』にさせないために沈むのだ。

 

 そう、雪風はずっと、『雪風』はずっと、あたし(雪風)たちはずっと、願っていた。

 

 

 

 『雪風(自分)を沈めたい』、と。

 

 

 ずっとずっと、そう願い続けていた。雪風になってから、『雪風』となってから、願い続けてきた。その途中に比叡さんを、そし大井さんを、沢山の艦娘に『幸運の代償』とやらを払わせてきた。だから何時か、何処か、何かで、その『代償』を自ら払わない(・・・・・・)といけないと、そう思ってきた。

 

 

 そして『代償』に見合うもの―――――その帰結が『雪風(自分)を沈めたい』と言う答えだった。

 

 

 あたしが存在する限り、周りのその代償を負わせてしまう。多分、その因果関係は覆すことが出来ない大きな力のせいだ。

 

 雪風(・・)はそれを『幸運の女神のキス』だと言い張った。 自分は幸運の女神に愛されている、目を付けられている(・・・・・・・・・)。だからこそ今まで己が払ってきた代償を『幸運の女神』に押し付けてきた。そうすることで己の存在を、犯した罪を、犠牲にした戦友を、何もかもを『幸運の女神』のせいにした。それで己自身を保った。

 

 それと同じように(・・・・・)、あたしはその全てをしれぇに押し付けた。向こうが拒まなかったから、好き勝手に捻じ曲げて擦り付けた。だが結局の所、何の解決にもならなかった。ただただ責任を延々と擦り付け合うだけだった。根本的解決に結びつかなかった。

 

 

 だから、その堂々巡りと言える無駄な流れを、あたしの轟沈()をもって断ち切ろうと言うのだ。

 

 

 あたしが沈めばこれ以上誰かがその『代償』とやらにならなくて済む。あたしの死をもって脈々と続いてきたこの呪いに、ようやく終止符を打てるのだ。

 

 これはあたしに、『雪風』に、『雪風』になってしまった艦娘に。その中でも最も雪風に近い(・・・・・・・)あたしに課せられた贖罪なのだ。

 

 あたしにはこれを負う責任がある。況して今まで『代償(それ)』を押し付けてきたんだ、それぐらい背負って当然だ。これが『雪風』となったあたしの宿命(・・・・・・)なんだ。

 

 今この時、雪風(あたし)が沈む。それでこの世界の辻褄が、因果関係が、この世界の善悪が、全てが真っ当に整うのであれば。

 

 

 それで、これ以上(もう)、いいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ダメだよ』

 

 

 そう耳元で囁かれた。同時に、背中を何者かに押された。

 

 

『帰って』

 

 

 

 そう後ろで囁かれた。同時に、背中を押した何者かを見た。

 

 

 

『戻って』

 

 

 

 そう語り掛けてきたのは、青の法被に身を包んでだ一人の少女。額にねじり鉢巻をし、片手には黄色いドリルのようなものを持っていた。

 

 

 雪風は―――――――あたしは、彼女に身に覚えがある。

 

 

 いつも雪風の側にいたあの子、雪風と一緒に居続けてくれたあの子、そして先ほどまで散々に喚き散らし、暴れまわり、やがて耳元で喧しく叫び倒していたあの子―――――妖精さんだ。

 

 同時に、彼女の格好にも見覚えがある。古い記憶だ、訓練時代のものか。それを手繰り寄せて、紐解いて、ようやく答えが出た。

 

 

 『応急修理要員』、その最上級たる『応急修理女神』だ。

 

 

 次の瞬間、雪風は真っ白な泡に包まれる。その泡は雪風の身体に、正確には戦闘でボロボロになった傷口や損傷した艤装、果ては疲労によって棒のようになってしまった手足までもを包み込む。

 

 そして泡が消え去ると、それら全て跡形もなく消え去っていた。目を背けたくなるような傷も、航行機能に支障をきたすであろう損傷も、何もかも全てが綺麗さっぱり直っていた(・・・・・)

 

 視界から泡が消え去ると、今度は上に上に身体が持ち上げられる。泡たちが雪風の身体を押し上げているのだ。水面に向けて、『生』に向けて。

 

 その最中、雪風は女神に―――――ずっとずっと側にいてくれた友達(・・)に手を伸ばし続けた。

 

 今までずっと側に居てくれた。彼女だけは居なくならず、ずっとずっと側にいてくれたのだ。だから、これからも側にいてくれる。必ずこの手をとって、一緒に来てくれるはず。そんな幻想(・・)に縋った。

 

 だけど彼女は手を伸ばすことなく、ただ悲しげに微笑むだけだ。そしてその身体は雪風と正反対に下へ下へと沈んでいく。『死』に向けて。役目(・・)を果たすために。

 

 

  

 『応急修理女神』の役目――――轟沈した艦娘を無傷の状態で復活させ、その身代わりとして沈んでいく。

 

 

 その事実を前に、あたしはなおも手を伸ばす。

 

 

 必死に、懸命に、死に物狂いで、醜い獣のように。がむしゃらに手を伸ばす。

 

 だがそれは叶わない。伸ばし続けても一向に届かない、その距離は離れていくだけ。

 

 女神が悲しそうな笑みを浮かべ、そこにシワを深く刻んでいく姿を見るだけ。

 

 

 やがて、微笑むだけだった彼女の口が動いた。

 

 

 

 

『生きて』

 

 

 

 そう、その口がそう動いた。それを見届けた瞬間、あたしの視界は真っ白な泡に包まれた。

 

 

 

 

 重苦しい水の重圧が消えた。

 

 

 鼻や口を覆っていた水の層が消えた。

 

 

 耳を塞いでいた水の蓋が消えた。

 

 

 呼吸が出来た。

 

 

 照り付ける太陽を見た。 

 

 

 肌にまとわりつく髪、制服、時に優しく、時に激しくうち据えてくる海風を感じた。

 

 

 

 そして何より、声を聞いた。

 

 

 

「雪風ぇ!!」

 

 

 

 その名を、依りにもよってその名を。課せられた呪いを、背負わされた重圧を、その根元たる存在そのものを。

 

 

 同時に突きつけられた現実を、事実を、結末を、『代償』を。

 

 

 どうやら、あたしはまた――――――

 

 

 

 

「沈め、なかった」

 

 


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