痴物語-シレモノガタリ-   作:愚者の憂鬱

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俺ガイルに物語シリーズ要素をぶっこみました。
考えれば考えるほど、ヒッキーとこよみんは似通ったところが多すぎるよね。
折角なんで比企谷くんにも、阿良々木君にとっての忍ちゃん的ポジを用意しました。

幾つかの作品を書いていて分かったのですが、僕は書けない時はどうしても書けないし、勢いがついても一月保つかどうか、みたいな体質のようです。
なので皆様、是非とも気長にお付き合いください。



あざみウルフ
其ノ壹


 青春とは嘘であり、悪である。

 青春を謳歌せし者たちは常に、自己と周囲を欺き、自らを取り巻く環境を肯定的に捉える。彼らは青春の二文字の前ならば、どんな一般的な解釈も社会通念も捻じ曲げてみせる。

 彼らにかかれば嘘も秘密も罪科も失敗さえも、青春のスパイスでしかないのだ。

 仮に失敗することが青春の証であるのなら、友達作りに失敗した人間もまた、青春のど真ん中でなければおかしいではないか。

 しかし、彼らはそれを認めないだろう。

 全ては彼らのご都合主義でしかない。

 

 これこそ、俺こと比企谷八幡が、曲がりなりにも十七年という歳月の中で見つけだした、『青春』とは何かという永遠の謎に対する『解』。

 普通に生まれ。

 普通の家庭で育ち。

 普通に友達が出来ず。

 普通に弾き出され。

 普通に後ろ指を指され続けた俺が、普通に考え出した最適解。

 今でもそれを、間違ったことを言っていた、とは思わない。

 だけど。

 あれほどまでに濃密で、文字通り『異常』な時間を過ごした高校二年生の春休みは、それまで揺るぎなかった俺の価値観を根本から覆すには、いかんせん十分過ぎたのだ。

 

 白面金剛隠神刑部(はくめんこんごういぬがみぎょうぶ)四狼正宗之薊姫(しろうまさむねのあざみひめ)

 

 数多の『異常』を引き連れた彼女は、夜の帳と共に突如眼前に現れ、様々な改変を俺に与えた。

 しかし、その結末は悉く凄惨たるものだった。

 後に俺と彼女との間には、切っても切れない幾つもの縁が複雑にに絡み合い、多くの禍根が残ることとなる。

 一心同体。

 表裏一体。

 今や互いを抜きに語ることはできないその『縁』。

 今回は、漠然とそんなことについて語ろうと思う。

 さて、本来なら前述の『解』は、「砕け散れ」という捨て台詞に近い文言で締めくくる予定であったが、ここは敢えて、ことのあらましを全て知っている現在の俺が、俺なりに考えた新しい文言をもって、この長い自分語りのオチとしよう。

 さぁ、青春を楽しむ愚か者ども、

 

 露と消えるがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あざみウルフ 其ノ壹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参月弐拾伍日

 

 長期休暇。

 果たして世界に、これほどまで俺の心を踊らせる四字熟語が他にあるだろうか。

 自由登校。

 臨時休校。

 やだ、結構ある……。ていうかどんだけ学校いきたくないんだよ。

 高校一年生の春休み。一年前の入学式から、特に何か良い思い出ができることもなく。ビックリするほどの平常運転で時が過ぎた。

 世間一般には、新学期に向けた準備期間とされるこの数日だが、言うまでもなくそんなことに時間を浪費するつもりはない。そもそも三年生になるわけでもないのに、机に齧りついて勉強する気にはならない。何かするにしても、専ら昼寝といったところだろう。

 今朝も六時過ぎには目が覚めていたが、心地よい肌寒さもあって惰眠を貪り続け、気付けば時計は十時を過ぎていた。しょうがないよね、春休み初日だし。

 寝巻きのままベッドに寝そべり、枕元に置いてあった中程まで読みかけの文庫本を手に取る。中身は今時珍しくもない推理モノだが、これが結構面白い。惜しむべくは、上下巻を一度に買わなかったことか……面倒だけど、今度買いに行くかな。

 まぁ、その『今度』が一体いつ来るのかは俺のみぞ知る。

 暫く読んでから、腰に不快な負担を感じた俺は、ベットに横たえた体をゆっくりと起こす。思い切り伸びをし、背骨を小気味良く鳴らして、部屋に一枚だけ備えられた窓を見ると、そこにはうっすらと俺の姿が映っていた。うん、いつも通りの腐った目。今日も良い感じにチューニングあってるね。

 髪は伝説の戦闘民族みたいになってるけど。何よコレ。悟◯の初お披露目でもこんなに逆立ってなかっただろ。もうあと一眠り決めればヤ◯チャくらいの戦闘力は手に入るかも……いや、しないけどね。

 

「……流石に風呂には入っておくか」

 

 そんな独り言を呟いてから、溢れ出る気を鎮めるために俺は部屋を後にした。

 階段で一階に降りて、リビングのドアを開ける。一風呂入る前にお茶でも飲もうかと思ったのだが、どうやら先客がいたようだ。

 

「おはよ」

 

「んー、おはよー」

 

 マイスウィート妹こと比企谷小町。流石だぜ、ソファに寝転がってテレビ見てるだけなのにどこか気品を感じさせる。やってることは中年主婦と同じなのになぁ……。年齢が生む見栄えの差って残酷。

 キッチンに入り冷蔵庫を開けると、真っ先に目についた紙パック麦茶を取り出す。適当に収納から取り出したコップに、その透き通る茶色の液体を注ぎ込んだ。

 まぁ美味い。しかしどうしても、パンチが足りない感じが否めない。

 本来なら、朝一発目はMAXコーヒーでがっつり決めたいところだが、なにせ糖分含有量が洒落にならないからな、アレ。用法用量を守らなければ。

 

「あ、そう言えばお兄ちゃん。今日家に小町の友達呼ぶから、嫌なら外出を倍プッシュするよー」

 

 お前は最強の雀士か何かか。

 ざわ…ざわ…ざわ…。

 ふん、聞き慣れてるぜそんな喧騒。何故なら俺が何か変な行動をしでかす度に教室がそんな感じになるからな!

 まぁそんなことは置いておいて、家に友達か……。

 

「マジかよ。そりゃあ俺も外出倍プッシュだわ」

 

 最早友達がいない事に誇りすら持っている末期ぼっちである俺に比べ、小町の対人コミュニケーション能力は一味違う。

 普段は一人の方が動きやすい、だから一人。でも友達がいないというわけでもなく、寧ろクラス内では人気者の部類にすら入るという。中学二年生にして新進気鋭のハイブリッドぼっちである。

 なにそれ超憧れちゃう。俺の妹は世界一ィ‼︎ でももし一つ言うことがあるとしたら、勉強はもう少し頑張ろうね。一緒の高校行こ?

 

「……つってもなぁ。外出したところでやることが全くないんだが」

 

「そこらへんは小町管轄外だし」

 

「まぁそうなんだけどよ」

 

 仕方ない。せっかくだから、例の本の下巻でも買いに行くか……ついでに昼でも食おう、サイゼで。

 これから押し寄せるであろう退屈な時間に、腐った目を更にに腐らせながら、のろのろとした足取りで風呂場に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最寄駅から数駅。

 適当な外着に着替え、我らが千葉県中心の地、千葉駅に降り立った俺は、駅前で最も大きい書店に向かう。飲食店からブティックまで幅広く揃えている、総合ビルのフロアの一つである。

 家を出た時は様子見がてら薄めのパーカーを着ていたが、春先とはいえ思いの外肌寒い。周りを見回しても、厚着の人々が目立つ。これは早めに屋内に入らなければ、風邪で貴重な春休みを全損する可能性も出てくるな。

 やや早足気味でいつもの道のりを行く。すると数分後には、目的の本屋が見えてきた。

 ガラスの自動ドアを潜り、暖房の効いた店内に侵入する。俺が侵入とか言っちゃうと軽犯罪感半端ないな……自分で言ってて悲しくなってきた。

 店内には、本屋独特の、真新しい紙の香りがほんのりと漂っていた。

 

「……おっ」

 

 陳列棚をくまなく探し回り、一周半。ようやく見つけた御目当ての本に、俺はつい感嘆の声を上げてしまった。恥ずかしい、誰かに聞かれてないよね。

 旬を若干外しているその本は、レーベル別にずらりと並べられ、広い店内でも随分奥まったところで背表紙を覗かせていた。やはり、隠れた名作といったところか。俺と同じだな。まぁ俺の場合陳列場所が分かりにくすぎて店員にすら気付かれないまである。

 ……さっさと買って帰ろう。

 そう思った瞬間、俺はすっかり忘れていたある事実に直面した。

 そもそも俺はなんで部屋を出たのか。春休み初日の絶好の惰眠日和に、わざわざ、この俺が。

 妹の友達と鉢合わせるのが嫌だからだろう。何事も直ぐに帰宅優先に考えるのは、エリートぼっちの悪い癖だ。

 まずは、この先何で時間を潰すかのプランを考える。本を買うのは、その後でいい。

 しかし、俺の逡巡が生んだ僅かな隙に。

 ぼーっと間抜けた顔で棚を眺める俺の面前で、突如視界の端から現れた腕がお目当ての本に向かって伸ばされ、その指ががっちりと背表紙をホールドした。

 

「あ、」

 

「あ、」

 

 思わず口を突いて出た、たった一文字の母音。腕の主もまた、俺のそれに対し、奇しくも全く同じ反応を示した。

 

「あっ……と、その」

 

 ぼっち特有のアドリブへの脆弱さを前面に押し出し、しどろもどろになりながら横を向く。

 そこには、今までテレビの中でしか見たことがないような、絶世の美女がいた。

 抜けるように白い肌。薄いメイクしかしていないのに、パッチリとした目元。薄いピンクの唇は、天井の蛍光灯が反射して艶やかな輝きを放っている。

 肩までの黒髪を靡かせ、美女も俺と同じく真横を見て、その先でバッチリと視線が交差した。

 年は、俺よりも少し年上だろうか。思わぬ出来事に相手も多少驚いているのか、クリクリとした目が何度か瞬きをしている。それでも、視線は俺と合わせたままだ。

 硬直したままの空気に気付いた俺は、現状の微妙な雰囲気を打開するため、先に美女に切り出した。

 

「あの、それ、どうぞ持って行ってください。俺は他の店舗で買うんで……」

 

 一瞬棚の本に目をやって、すぐに視線を戻す。

 しかしその一瞬で、眼前には劇的な変化が起きた。

 美女の顔が、キョトンとした自然体の驚きから来たものから、底冷えがするほどの『形作られた』微笑みをたたえたものになっている。

 なんだ、この女は。一体どんな生活を送ったら、あんな強化外骨格のような表情を組み上げられる。

 

「いいえー、どうぞどうぞ。先に見つけたのはあなたですから」

 

 そんな純度百パーセントの人工笑顔で言われたって、何も響くものはない。むしろ怖い。世の中の男は、この笑顔にあやかっただけで飛び跳ねて喜ぶのかもしれないが、俺には精々表情筋をひきつらせることくらいしかできない。

 

「いっ、いえ……。何事もレディファーストだと、母ちゃんからキツく躾けられてますから……」

 

 麻痺した感覚の中でも、辛うじて口角を釣り上げてみる。今の俺は、きっと酷い顔をしているだろう。

 そんな俺の姿を見かねたのか、それとも俺が『見破った』ことを『見破った』のか。女は一瞬含みのある笑み──この時の俺は、それがどんな意味を含んでいるのかを全く察することができなかった──を浮かべて、予想外の言葉を切り出した。

 

「面白いね、君! よし、ちょっとそこらでお姉さんと一息つかない?」

 

「……は?」

 

 またも思わず、間の抜けた声が飛び出してしまった。今日の俺口元緩すぎ……お口チャック‼︎

 

「お言葉に甘えてこの本は買わせて頂くけど、それじゃあ私の気が済まないし、コーヒーでも奢らせてよ」

 

「いえ、お気持ちだけ受け取らせていただきます」

 

「まぁまぁそう言わずに」

 

 ずぃ、と。ただでさえ近かった距離が、女の歩みでさらに縮まる。強烈に魅力的な上目遣いも同時に炸裂するが、俺に対しては効果が薄い。

 それを女も察知したのか、むぅ、とつまらなそうな顔をすると、すぐに上体を起こして俺を真正面から見据えた。

 見れば見るほど綺麗だなこの人。怖いけど。

 

「大丈夫だって。とって食ったりはしないからさ」

 

「……」

 

 やはり、俺の怯えは既に察知されていたらしい。なにこれ超恥ずかしい。

 

「上のフロアの喫茶店でいいかな?」

 

「いや、あのですね……」

 

「いいかな?」

 

 有無を言わせないプレッシャーを感じる……。それは提案ではなく勅令です、陛下。

 しかし、この人は何を考えているんだ。とって食わないというのなら何をするつもりだ。通報か?

 同じ本選んだだけで豚箱行きとか、流石に笑えないだろ……。

 でも、逃げられそうなないのは事実であって。

 

「……はい」

 

 ごちゃごちゃ考えるのはよそう。

 俺は覚悟を決めて、軽やかな足取りでエレベーターに向かう女の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喫茶店に入ってすぐ、俺たちはテーブル席に着いた。現れた店員に、雪ノ下さんがコーヒーを注文し、メニューを開くのも億劫な俺は「同じのを」とだけ告げる。

 こうして、奇妙な一行の会話が幕を開けた。

 

「私は雪ノ下陽乃。大学生ね」

 

「比企谷八幡……高校生です」

 

「突然だけど、比企谷くんは幽霊とか見たことある?」

 

「はい?」

 

 さっきチャックかけた側から……。もう俺の口は壊れかけなのかも知れない。今度修理を請け負ってくれる業者を探そう。ついでに目も直してくれないかな……。

 ありきたりな自己紹介から始まったかと思えば、雪ノ下さんが突然言い出したその謎の文言を、俺は未だに飲み込めないでいた。まさかとは思うけど、このまま変な流れで壺とか買わされたりしないよね?

 

「あー、ごめんね。ちょっといきなり過ぎたか」

 

「……はい、まぁ……」

 

 てへ、なんて言いながら。ちろりと舌を出して、わざとらしい反応をしてみせる雪ノ下さん。あざとい……。ただ何をしたって様になるから美人は得である。

 つーかわざとだな、この人。全部、俺がびっくりするのが面白くてやってるんだろう。まぁそんなのに逐一いい反応しちゃう俺も悪いんだろうけど。

 

「別に怪しい話とかじゃないんだよ? ただ、なんて言うのかな。私、所謂『そういう』系の話を集めるのが趣味だったりするんだよね。あとは、簡単な『占い』とか得意だったり」

 

「そういう、ってのは、妖怪とか、そういったものですか?」

 

「そうそう、飲み込み早いねー。流石だね!」

 

「いや、飲み込みとかそんな感じの話じゃないですし、流石とか言うほど親しくもないじゃないですか」

 

「うん。ツッコミのキレもいいね」

 

 終始この人のペースだな、会話が。おかげさまで俺の方から全く話を切り出せない。いや、そもそも家族以外との会話で自分から切り出すことなんて滅多にないけども。

 それにしたって、依然謎が多い人である。

 白いコートに、高そうな宝石のイヤリングにネックレス。喫茶店に入ってからは上着を脱いで、下に着ている黒のタートルネックのセーターが、彼女の豊満なボディラインをくっきり浮かび上がらせている。本来なら俺も盛大に鼻の下を伸ばしていただろうが、そんな思いも彼女が讃える笑顔を見ればすぐに収まる。本当の顔が見えてこない。美人といるのにこんなに心踊らない状況は初めてだ。

 しかも彼女は、現代の女性らしい洗練された服装をしてるのに、オカルト趣味があるという。怪しいブレスレットとか数珠とか、そういった小物は見た感じ何も身につけていないのだが。

 

「そんな見るからに嘘くさいものは着けないよ?」

 

 図らずも全身を舐め回すようになった俺の視線に、雪ノ下さんは面白そうに笑いながらいった。俺はアレか、思っていることが文字となって顔に浮かび上がる能力者なのだろうか。全然学園都市で生き残れそうにない。

 

「さては君、オカルトを全く信じない人種かな」

 

「ええ、見えるものしか信用しない主義なんで」

 

 絆も友情も愛も、全部目視できないからな。

 

「……いるよ」

 

 雪ノ下さんは微笑みを崩さない。それでも先ほどまでとは違う、どこか深刻な雰囲気で放たれたその言葉に、俺は言外の説得力を感じ取った。

 

「見えないだけで、ちゃんとそこに在る。私や先輩たちは、それを『怪異』と呼んでる」

 

 様々な疑問が、俺の中で一斉に浮かびあがる。

 正直なところ、多分に信じかねることを言われてはいるが、はたして目の前にいるこの人がそんなくだらない嘘を、見ず知らずの男子高校生に吐くだろうか。

 では一体何故、そんなことを俺に教える?

 どうして教えるべきだと思った?

『怪異』とはなんだ?

 先輩とは誰だ?

 この人は、何者なんだ?

 

「うーんそうだね、とりあえず一つずつ答えよっか」

 

「…………」

 

 なんでもないかのように、彼女はそう言う。

 今、確信した。『怪異』だかなんだか知らないが、少なくとも彼女は俺の心が手に取るように分かるのだ。当てずっぽうでも、読心術でもなんでもない。科学でこの謎を証明するには、あまりに彼女の力が正確すぎる。

 どこまでも得体の知れない存在に、俺が思わず押し黙っていると、店員がコーヒーを二つ運んできた。まだ席に着いて間もないはずだと思い時計を見るが、すでに入店から五分近く経っていた。

 知らぬ間に、俺の時間感覚は大きく乱されていた。

 雪ノ下さんは、優雅な動きでコーヒーを口に運ぶ。何気ないその仕草からは、彼女の育ちの良さが節々に滲み出ていた。

 一口だけ飲み込んで、ゆっくりとカップをソーサーに戻し、雪ノ下さんは微笑んで語り始めた。

 

「まず一つ目の疑問。『何故、こんなことを君に教えるのか』、だけど……そうだね、有体に言ってしまえば忠告。敢えて強く言うなら、警告、かな」

 

「……」

 

 俺は、何も言えない。

 

「二つ目。『どうして教えるべきだと思った』かは、さっきの警告って言葉から大凡察してくれるでしょう?」

 

 比企谷くん、文系には強そうだし。戯けた調子でそう続ける。

 

「……」

 

 俺は、何も言えない。

 

「三つ目。『怪異について』。正確に言うなら、さっき君が言った『妖怪』とかのイメージとはちょっと違う。人間が生み出した都市伝説、信仰、畏怖、といったものによって形作られた存在。見える人には見えるし、見えない人には見えない。この点は確かに幽霊と似てるね」

 

「……」

 

 俺は、何も言えない。

 

「四つ目。『先輩たちにかんして』はそうだね……。君は、ここから電車を乗り継いで五、六時間したところに、『直江津』っていう土地が在るのは知ってる?」

 

「……いいえ」

 

 俺は、小さくそう答えた。

 

「今、その先輩の一人がそこに滞在してるんだよね。なんでも、『怪異』絡みで厄介ごとがあるんだとか。まぁそうだね、私よりも凄い人たちだってことだけかな、今言えることは」

 

「……」

 

 俺は、何も言えない。

 

「よし、じゃあ最後の質問ね。『私は何者なのか』……か」

 

 俺は小さく喉を鳴らした。気が付けば、握って膝の上に置いていた両手のひらに、うっすらと汗をかいている。

 

「私は……」

 

 自分でもよく分からない緊張感に飲み込まれて、言葉の続きを待つ。

 

 

「君の味方、かな」

 

 

 存外、間の抜けた回答に、俺は膝から崩れ落ちそうになった。おっと、今座ってるんだった。

 いや、そうじゃなくて。

 

「いや、そうじゃなくてですね」

 

 心の声が漏れていた。もういいや、八幡のお口はガバガバの大洪水よ。どうにでもな〜ぁれ!

 

「なんか、君『友達』って言葉に謎の拒否反応持ってるみたいだし。他にいい言葉が思いつかなかったんだもん」

 

「だもん、でもなくてですね……」

 

 そう言って、またわざとらしく下唇に指を当てて戯けてみせる。何やっても本当綺麗だなこの人は。一周回って嫌いになりそうだわ。

 俺としてはもっと、相手の心が読める力についてとかの説明が欲しかったのに、ザックリとしすぎだろ。

 いや、もっと根本的な話。

 

「俺にこれから起こる出来事を、確実に回避するための助言とかは……無いんですか」

 

 俺の言葉を受けた雪ノ下さんは、一瞬静かに何かを考え込むが、すぐに明るい調子に戻る。

 

「何かしたところで、私にはどうにもできないことなんだよね。全ては君の選択にかかっている、みたいな?」

 

「みたいな、って……」

 

「私はあくまで、『君』のことが分かるだけであって、『未来』のことが分かるわけではないの。それに、『専門家』でもない人にこんなことを話すのは、あまり褒められたことじゃないし」

 

 余弦さんにまた怒られちゃう、と小さく漏らしたのを、俺は聞き逃さなかった。余弦とは、例の先輩のうちの誰かだろうか。

 

「ま、『味方』って意味は、もしかしたらすぐに分かるかもよ」

 

 口を吐く言葉全てが謎を生んで、最早薄ら寒さが収まらない。でも、目の前にいるこの人、雪ノ下陽乃さんが『悪い人』ではないことだけはなんとなく分かった。にわかに信じ難いとはいえ、見ず知らずの人間に危険を教えて、注意を促すくらいには、この人は世間一般レベルの良心を持っている──ということだと思って、いいのか。

 そんな俺を傍目に、雪ノ下さんは懐から取り出したペンで、テーブルに置かれたレシートの裏に何かを書き始める。

 完成したのは、誰もが一度は目にしたことのある数字の列だった。

 

「これ、私の携帯番号。用があったら電話して。あ、やっぱり用がなくても電話していいよ。お姉さんが大人な感じに遊んであげよう」

 

「かけませんよ……」

 

 危ない危ない。思わず十代の欲情のおもむくままに携帯をポチるところだった……。流石は三大欲求の一角、一筋縄じゃいかないぜ。

 

「そ、残念」

 

 つまらなそうに唇を尖らせて、陽乃さんがペンをしまった。

 

「それじゃあ、私帰るね」

 

 もう用は済んだし。そう言って、雪ノ下さんが席を立つ。

 またしても俺の口が小さく驚嘆の声を上げそうになるが、今度は抑え込めた。八幡、やればできる子。

 コートを着て、レジに立ち手早く会計を済ませた彼女は、店に入った時と同じく軽やかな足取りで出口に立った。

 正直なところ、もう少し話を聞かせて欲しい。漫画や小説でも、謎をばら撒くだけばら撒いて去っていくキャラクターというものには、どうしてもやきもきさせられるものだ。

 怖い怖い。マジで怖い。

 今日は小町に迎えに来てもらおうかしら。

 

「お気を付けて。比企谷八幡くん」

 

 ひらひらと手を振る雪ノ下さん。

 その時の顔を、俺は未だに忘れられない。

 彼女は。

 雪ノ下陽乃さんは。

 きっとあの時、仮面を外した本当の顔で。

 

 笑っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの後、俺も雪ノ下さんを追うように喫茶店を出たが、辺りに彼女の姿はなかった。ちょっとテンプレすぎるだろ。

 結局、夕方まで時間を潰そうと入った漫画喫茶に入ったものの、静寂と暗闇が怖くて漫画の内容が全く入ってこなかった。そんなこんなで気が付けば十九時。店を出ると、太陽はとっくにビル群の影に潜り込んでいた。

 行きは電車を使ったが、満喫の店先である現在地からだと地下鉄の方が近いと判断し、早足に駅へ向かう。暗いとはいえ、何度か通ったことのある道だ。それでも、辺りをキョロキョロ見渡しながら高速で移動する目の腐った謎の生物を、通行人はよく通報しなかったものだ。……なんか新種のUMAみたいだな。捕まえたら賞金とか貰えるの?

 やがて、駅入口が見えてきた。

 地下に続く長い階段を、何度か見た駅名の掲示を確認してから降りていく。夜の帳が下りた外と違い、駅の中は無数の蛍光灯が全てを照らし出してくれる。

 ようやく俺はそこで一息ついて、張り詰めていた警戒心を解いた。

 どうやら俺は、なんだかんだで相当参っているらしい。

 

「……」

 

 思えば、知らぬ間にオカルトを信じきっている自分がいることに気が付いた。

 確かに、雪ノ下さんが見せた読心術のような力は、全く得体が知れない。だが、よくよく考えれば、『それだけ』のことである。俺の目の前に、本物の『怪異』とやらが現れたわけではない。

 彼女の言い分が正しいのなら、都市伝説の類い、つまり口裂け女や人面犬は、実在してもおかしくないということ。

 なんて馬鹿馬鹿しい。

 今時そんなの、小学生だって信じまい。

 そうだ、そうだと、どこか無理矢理自分を納得させるようにひとりごちる。

 なんだか怖かったので、自分の足元だけを見たまま、タッチ式の改札を通る。不思議と人の目は気にならず、何もないままホームに着き、そこでようやく視線をあげたのだった。

 ここで俺は、初めて異変に気付く。

 嗚呼、なんて愚か者なのか。

 こんな目に見えた変化に気が付かないなんて。

 

 ホームには、俺以外の人間が一人も存在しなかった。

 

 辺りには、人っ子一人居ない。ほんの僅かな音もない。俺が今立っているホームも、向かいのホームも。ただ異質な雰囲気だけが濃密に満ち満ちていた。

 下を向いて歩いていた時、俺は視線が気にならなかったのではない。そもそも人間が俺以外に存在していなかったのだ。

 いや、思えばもっと前から変化は起きていなかったか。俺は街中で、果たして俺以外の人影を見かけていたか。

 これはもうダメだ。

 巻き込まれないようにしていたつもりが、全く出来ていなかった。

 完全に『怪異』とやらに先手を打たれたのだ。

 

「嘘だろ……」

 

 軽いパニックに見舞われた俺は、震える手でポケットから携帯を取り出す。電源ボタンを押して電波の入りを確認しようとするが、勿論アンテナは一本も立っていない。

 さらに言えば時刻表示すら、午前二時二十二分というありえない時間を表示していた。

 

「まさか……まさかだろ。本当にこんな……」

 

 そんな馬鹿な。確かに確認したはずだ。

 駅の満喫を出た時、携帯は午後七時ちょうどを示していた。

 懸命に辺りを見渡す。何かないかと動き回るが、目に付いたのは電車の運行状態を示す電光掲示板だけ。天井から吊るされたそれは、すべての表示が真っ黒に塗りつぶされていた。

 何もかもが『異常』。

 突如非日常のど真ん中に放り投げられた俺は、ただ情けなく震えることしかできなかった。

 

「何か……、明確な何かが起きる前に、なんとか……!」

 

 自らの拙い想像力では、これからどんな『怪異』が現れるのか、全く予想できない。

 あれだけ警告されたのに、と過去の自分を糾弾するが、そんなことでは現状をどうにもできない。

 今は取り敢えず、認めるべきだ。

 これから俺の身に、超常的な何かが起こる。

 起こってしまう。

 

 コツン、と。

 遠くで何かの足音がした。

 

 俺は音が聞こえた方に、弾かれたように振り向いた。

 音は断続的に響き、だんだんと大きくなっていく。

 それが、厚いブーツを履いた人間のものだと気付いたのは、ホームのずっと向こうに、ヨレヨレのロングコートにハットを被った男が佇んでいるのを見つけた後だった。

 革のスーツケースを提げた男は、悠然と歩いて俺の方へ向かってくる。

 しかし、俺は慌てふためいて泣き叫ぶわけではない。不思議と俺は、その男が『怪異』ではないことが分かったからだ。寧ろ、心のどこかでわずかに安心していた。

 俺の目の前で立ち止まったその男は、日本人ではなかった。目深くハットをかぶっていたため分かりにくかったが、おそらくラテン系の四十から五十代といったところだろう。顎には無精髭が伸び放題になっており、長くウェーブしている黒の長髪は後ろで一本に結っている。

 

「失礼、道を尋ねたいのだが……」

 

 厳つい雰囲気の顔とは対照的に、優しい声色で男はそう尋ねてきた。綺麗な日本語だ。

 俺は呆然としたまま、首を縦に一度振った。

 男は、ありがとう、と言って暗い線路の先を指差した。

 

「直江津という街に向かいたい。方向はこっちで良いのかね」

 

 直江津? どこかで聞いた単語だったが、脳が未だパニックのままなせいで、しっかりと思い出せない。

 思わず俺は、なんの要領も得ないまま再び首を縦に振った。

 男はまた、ありがとう、と言って、ハットを深くかぶり直し、目元を隠した。

 

「そうか……君は迷い込んでしまったのか……」

 

「……は?」

 

「いや、なんでもない。こちらの話だ」

 

 そう言って男がハットのつばを上げた時、そこには温かい微笑みがあった。

 

「ここで出会ったのも何かの『縁』だ。願わくば、君に幸があらんことを」

 

 そう言って、空いている方の左手を差し出してきた。黒い皮手袋に覆われていたが、見ただけでゴツゴツとした質感が伝わってくる。

 なんとなく、俺も左手を差し出すと、男は力一杯俺の手を握ってきた。思わず声を上げてしまいそうなほど強い力だったが、なんとか堪える。

 彼が何のために、こんなところを徒歩で移動しているのかは気になったが、生憎そんなことが聞けるほど今の俺のSAN値に余裕は無い。

 結局、その男とは何もないまま別れた。

 トンネルの暗闇に消えていく後姿には底知れない不安を感じたが、それでもかすかに聞こえていた足音がついに消え入った時、そんな思いも無くなった。

 

「……何だったんだ、あいつ……」

 

 正直、想像してた『怪異』の感じと違いすぎてかなり混乱しているんだが……。人間のおっさんと握手させるとか、そういったタイプの『怪異』なのだろうか。いや意味わかんないし。

 ほんの少しだけ平静を取り戻した俺が、男を見送ったトンネルから踵を返そうとしたその時。

 新たな物音が、駅構内に反響した。

 しかし、今度の音は、足音なんて生易しいものではなかった。

 

 強烈な力でコンクリートを砕き割るかのような、正しく轟音。

 

「うぉっ……⁉︎」

 

 一際大きなその音が鳴り響き、先刻の男がきた方向のトンネルから、大量の土煙が流れ込んできた。細かな塵の中には、飛び出しては線路の上で二、三回跳ねてから転がる小さなコンクリート塊もある。

 数秒遅れて。

 闇の中から、白銀に輝くシルエットが浮かび上がってきた。

 ホームのずっと奥。

 深緑色の軍服に身を包んだ女が佇んでいる。

 その姿は依然薄い闇に覆われているが、頭部から流れる銀の長髪が、僅かな蛍光灯の光も反射していた。

 何もかもが現代日本では見かけることのないであろうその女の出で立ちだが、そんなものを差し引いて、最も彼女の『異常』を際立たせているものがあった。

 全身に深く刻まれた裂傷である。

 それは服を焦がし、その下にある肉を抉り、場所によっては骨にすら届いているであろうものも見受けられる。

 

「お……い、あんた……」

 

 あまりに痛々しいその姿に、俺は思わず言葉に詰まった。

 いや、これが『怪異』である事は分かっている。今目の前にいる生き物が人間ではないことが直感でわかるが、果たしてこれはどうなのだろうか。

 いくら『怪異』と言えど、これほどの傷を負っては流石に命に関わるのではないか。

 

「だいじょうぶ…なのか……?」

 

 女との距離は大分離れているが、それを考慮した声量で言葉を投げかける。

 女の返事はない。

 ただ一つ分かったことは、ゆっくりとこちらに向かってくる女の体が、小刻みに震えているということだった。

 片足を引きずりながら、女は一歩一歩近づいてくる。俺は思わず後退しようとする足を、無理やり押しとどめた。

 ついに、女の全身が蛍光灯の下に躍り出た。

 遠くからも見て取れた傷はより痛々しく存在を主張し、床にも届きそうな銀の髪は爛々と光を放つ。

 その姿は、ゾッとするほど美しかった。顔を構成するパーツは、完璧な比率で整えられた彫刻を連想させる。豊満な体はやはり生きているのが不思議なくらい損壊しており、大量失血によるところもあるのか、衣服の端から覗く肌は生きているとは思えないほど白く、所々に鮮血が飛び散っていた。

 そして、頭頂部。

 

 一対の獣の耳が生えていた。

 

 髪の色と同じ、銀の毛並みの耳。

 それが、わずかに震える彼女の体と一緒になって、ぴくぴくと痙攣している。

 安い作りの贋作ではない。明確な人間との相違点を目視した俺は、鋭く息を飲んだ。

 

「やっぱり、お前……『怪異』……」

 

 ついに、俺は膝から力が抜け落ちるのを感じた。ドスンと尻から地面にへたり込んで、目の前の現実を反芻するために、呆然と時間を食い潰す。

 ようやく俺の頭は『パンク』することができたようだ。

 

「……貴様………………」

 

 女の震えが大きくブレる。

 その震えが彼女の『怒り』に起因するものだと気付いたのは、そのすぐ直後だった。

 

「貴様がァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

 

 ボゴン‼︎ と、筋肉が内側から急激に膨張し、女の右腕が自身の胴回りより太く肥大化する。爪が伸び、銀の体毛が生えたその腕は、まさに獣のそれである。

 怒りの咆哮とともに、駅構内には暴風が吹き荒れた。風は俺の髪をかき乱し、服の裾をなびかせる。

 トンネルの中には、けたたましいサイレンのような反響音が鳴り止まない。

 本当なら、俺も絶叫して逃げ出したいところだが、今や腰が抜けて立ち上がることもできない。

 女が唸り声をあげながら、片足を引きずってこちらに近づいてくる。右腕はミシミシと軋んだ音を上げ、ありったけの膂力がそこに凝縮されていくのが目で見ても分かった。

 もう、俺が何をされるのかは明白だった。

 

「待て……待て待て待て待て! お前は何か勘違いをしてる!」

 

この女と、俺は確実に初対面だ。

ここまで印象的な見た目の存在を、俺が今まで忘れているはずもない。

だがたった今、俺は初めてあった女に、殺されようとしている。

何故、何故俺を殺す。

何故そんなに憎しみが込められた眼で俺を見る。

 情けない話だ。ここまで追い込まれているのに、まだ腰に力が入らない。自分はきっと往生際が悪い方だと思っていたが、いざ現実に『死』を目の当たりにした時は違う。負け犬根性が染み付いてしまっていたのだろう。

 

「俺は何もしてない! あんたのその傷は──……!」

 

当然分かりきっていた。

言葉を交わす気など、相手には毛頭無いことを。

 問答無用。

 犬歯の鋭い歯を食いしばって。

 美しい相貌を険しく歪めて。

 無慈悲の一撃が放たれた。

 風船が割れるかのような、軽快な炸裂音が反響する。

 

「……───────────あ、」

 

 ぼやけた視界で俺が最後に捉えたのは、宙を舞う、無数の赤い光。

 小さい頃どこかの河原から見た、大きな花火のようなそれが、蛍光灯の光に透かされてキラキラと光を放っていた。

 嗚呼。

 キレイだな。

 

 それが、バラバラに弾け飛んだ俺の五体だったということを知るのは、

 

 俺がこのまま、一度死んだ後の話だ。

 


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