痴物語-シレモノガタリ-   作:愚者の憂鬱

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忍ちゃんかわいいよ、忍ちゃん。
どのサイズでもかわいいよ。
皆さんは傷物語、もう見ましたか?


其ノ貳

 瞼の隙間から差し込む光が痛くて、俺は目をを覚ました。

 大の字になって寝ていたらしい。

 思わず腕で両目を覆ってから、あやふやだった意識をゆっくりと鎮めていく。

 ……何だったけ。

 確か……俺は……。

 

「────────⁉︎」

 

 濁流のように押し寄せてきた記憶の破片が、たちまち頭から溢れ出す。まるでバネのついた玩具のように、俺は上体を跳ね起こした。

 男!

 女!

 怪異!

 化物!

 そんな単語が頭蓋の内側でひしめき合って、めきめきと骨を軋ませる幻聴すら聞こえる。

 呼吸が、上手くできない。

 

「一体……何が起きた……⁉︎」

 

 とりあえず落ち着け。落ち着くんだ。

 辺りを見渡すと、そこは意識が途切れる前と変わらず地下鉄の駅構内だった。依然、人は俺以外に誰も居ないし、電光掲示板は真っ暗で機能していない。

 ブツブツと震える声で、自分でも聞き取れないほど小さく独り言を呟きながら、膝を立てて立ち上がろうとした時、ぬるりとした何かに足を取られ、肩から床に激突した。

 

「──ッなんっ……だ……コレ」

 

 血だまり。

 床一面を染め上げる赤黒い液体。その衝撃が、肩の痛みなどすべて吹き飛ばした。

 正円に拡がったそれは、ホームの際からはみ出し、線路へと滝の様に滴っている。

 いや、それだけじゃない。

 もう一度しっかり周囲を見渡せば、血飛沫はありとあらゆる場所にこびり付いていた。

 自動ドア。

 壁の広告。

 ベンチ。

 最早考えるまでもない。

 これらは全て、俺の血だ。

 記憶が途切れる最後に見た光景。あれはやはり、バラバラに引きちぎられた俺の体だったんだ。

 

「うっ……‼︎」

 

 そう認識した瞬間、抑えきれない不快感が喉から込み上げて来るが、なんとかそれを飲み干す。

 余計に上がってしまった息を整え、ようやく『まとも』な平静を取り戻せたのは、それから数分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぐるぐると右肩を回す。

 特に異常もないので、今度は左肩。

 そうやって全身の関節の駆動を確認してから、俺は首の回る範囲で目立つ外傷が無いかを調べた。

 これも無し。

 ……バラバラになった体と同時に、衣服も治ったのか……。

 俺の体に付着していたのは、先刻横たわっていた血だまりの染みだけだった。

 そうだ。

 俺は悪い夢でも見ていたんだ。

 これはどこかのテレビ局のドッキリだ。

 そうやって無理やり自分を納得させようとも考えたが、それも不可能だった。

 そもそも、何があって千葉県在中の一般ぼっち民がドッキリの対象にされるだろうか。

 ズボンのポケットを探ると、カサリと音がする。雪ノ下陽乃さんから貰った、彼女の電話番号が記されたレシートだ。

 生憎これで、この一連の超常現象は現実だと、ほぼ正解に近い証明がなされてしまった。

 雪ノ下陽乃は実在していて、

 俺は地下鉄を使い、

 怪異に巻き込まれ、

 男と出会い、

 女と出逢い、

 一度バラバラの肉塊になって、

 何故かこうして元に戻った。

 くそ、頭がクラクラする。

 ふらつく視界で真っ赤に染まった足元を見ると、俺はある違和感に気づいた。

 半ば固まりかけた血の海の上に、後から何かが引き摺られた様な跡がある。それは、辺りを埋め尽くす赤の例外に漏れず、真紅の線となって、ホームを超えた向こう。線路が続く暗いトンネルの奥に続いていた。

 言い知れない恐怖を感じる。

 きっとこの奥には何かが居て、それは俺の理解の外にある存在だ。

 しかし、俺は意を決して、ホームの端に備え付けられた鉄の柵を乗り越えた。懐から携帯を取り出し、懐中電灯モードをオンにする。少し進むとホームはそこで途切れており、真っ暗なトンネルの奥に、線路と埃まみれの脇道が続いていた。

 携帯の光を当てて確認すると、血のラインもまたそれに沿って引かれ、遠く闇の向こうに消えていた。

 直感的に推測する。

 きっと、『あの女』が通ったのだ。

 先刻の肉片花火──酷いネーミングだ──の光景が脳内でフラッシュバックして、肌にじわりと汗が滲む。

 確かに俺は、一度あの女に殺された。本来ならもう二度と関わりたくはないし、関わるべきでもない。今まで通り、嫌なことには背を向けて、無かったことにしてしまうのが最善だ。

 だけど。

 それだと、一度死んだ俺がなぜ生き返ったのかが謎のままだ。

 俺は家族に対して、単純な損得感情で行動したりはしない。迷惑かけても、かけられても、恩着せがましく対価を求めたりしない。それが俺たちにとっての普通であり、日常だから。

 でももし、相手が何でもないただの他人なら。

 俺だってそれなりに思うところがある。

 息を飲んで、俺は一歩を踏み出す。

 血を頼りに。

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 五分か、

 十分か、

 方向感覚もあやふやになるほど進んだ先、壁に無造作に取り付けられた扉が見えた。

 見ると、床の血痕もその扉の下に吸い込まれている。

 ドアの前に立ち、俺は大きく深呼吸をした。

 落ち着け。落ち着けよ。

 もうさっき一度死んでるんだ。流石にその直後また死ぬなんて展開は無いはずだ。少なくとも漫画や小説ならまず無い。

 心でそんな減らず口を叩いてから、俺は勢い良くドアノブに手をかけ、わずかな逡巡もしないようそのまま一気に引いた。

 ギィ、と錆びた蝶番がわななく。

 中には、トンネルと同じ密度の闇と、

 その奥にぼんやりと浮かび上がる、二つで一対の眼光があった。

 そっと室内に入り、扉の横に備え付けられた電気のスイッチを手探りで見つけ出し、押した。

 一瞬にして、オレンジ色の人工的な光が部屋を照らし出す。そこは、使い古された狭い用具室のようだった。

 

「……来るのが遅い、この痴れ者が……」

 

 

【挿絵表示】

 

 既に予想していた、光る双眸の正体。

 銀髪の女は、部屋の奥に置かれた鉄の棚に背中を預けて、正面から俺を睨みつけていた。

 深緑色の軍服を着た全身からは力が抜けきっており、両足を地面に投げ出して座り込んでいる。

 血は未だに止まらないらしく、全身の至る所から赤い筋となって垂れ落ちて、ホームに残る俺のものとは別に、室内に新たな血だまりを形成していた。

 彼女の口ぶりは、まるで俺がここに現れることをあらかじめ予期していたかのようだ。やはり、俺が置かれた現状について何か重要なことを知っているのか。

 というか、いきなり高圧的だなオイ……。

 お前には色々聞きたいことがあるんだっつの。

 

「……どうした、何を黙りこくっている……」

 

 気付けば、額から滴り始めるほど汗をかいていた。緊張か、恐怖か。まるで喉だけが金縛りにあったかのように、せり上がってくる言葉が詰まってしまう。

 強がってみたものの……やっぱり怖いものは怖いな。

 とうとう痺れを切らしたのか、女はそのぞっとするほど美しい相貌をくしゃりと歪めて、感情のままに喚き散らした。

 

「『親』を助けるのが、『仔』の使命であろうがっ‼︎‼︎ はようせんか‼︎‼︎」

 

 その気迫が、ビリビリと俺の全身に打ち付ける。女の口から、声と共に赤黒い液体も飛び散った。

 正直言っていることは殆ど耳に入らなかったが、恐怖と畏怖が体を勝手に突き動かし、反射的に、俺は女に駆け寄っていた。

 しかし、近づいたはいいが、そこから何をしたものか分からない。

 

「あー……っと……」

 

 女は鋭い犬歯を剥き出しにして俺を睨んだままだ。また怒鳴られるよりはマシだろうと思い、意を決して本人に尋ねることにした。

 

「俺は……何をしたら……」

 

 案の定、俺の言葉を聞いた女は息を吸い込んで何かを叫ぼうとするも、途中で苦悶の表情を浮かべて黙り込んだ。

 傷は相当に深いようだ。

 

「我輩の傷口から、血を吸い出せ……」

 

 隙間風のように弱々しい声で、女はそう言った。体力的な問題もあるのだろうが、その声色はどこか後ろめたさも孕んでいるように聞こえる。

 え? というか何それ。こんな超絶美人の肌に吸い付けって?

 どんなご褒美ですか。

 

「傷が……傷が塞がらないのだ……。おそらく毒か何かが弾丸に仕込まれている」

 

 なんだかよく分からないことを言っている。

 そう。

 結局のところ、何がどうなっているのかを俺は全く把握できていないのだ。

 何事も、訳が分からないまま事を成してしまうのは軽率である。……いや、ここまで来てしまった俺が言えたことではないとも思うが。

 場合によっては『この女』をここで助けないことが、現在俺が置かれた状況と謎を解決する最適解という可能性もある。

 俺が次に取るべき行動について考えていると、痛みに耐え兼ねたのであろう女は苛立たしげに、自分の足先あたりにしゃがみ込んだ俺に対して、あらん限りの憤激をぶつけた。

 

「嗚呼、糞っ‼︎ 鈍間な奴め‼︎ はよう我輩の服を脱がせよ‼︎ 毒を吸い出せ‼︎ 患部も見んで何が傷の処置だ‼︎」

 

 喚き散らす口元から飛び散る血の量は、先ほどより多くなっている気がする。

 なんだこの女……。身動き取れない癖になんでこんなに偉そうなの。俺が性犯罪者とかだったら今頃どうなっていたことやら。

 というか何気に爆弾発言も聞こえた。ふ、ふふふ服をぬぬぬぬ脱がせる?

 できるわけないでしょ、童貞にはハードル高い。

 別に俺がヘタレとかそういう話ではない。

 さっきから口ばかりで、思いの外危険度が低いと判断した俺は、自分でも知らないうちに気が大きくなっていたのか。相手の要望を無視して、私情を優先することにした。

 

「その前に、お前に聞きたいことがあるんだが……」

 

 女の耳、頭頂部に生えた美しい毛並み──最も、今は血まみれで見る影もない──の獣耳が、ピクリと揺れた。

 

「喧しい‼︎ まずは我輩が先だ‼︎ 生意気を言うな‼︎」

 

 ヒステリックに怒鳴り散らす女。

 しかし、これほどまで口はエキサイトしているというのに、首から下は変わらずピクリとも動かしていない。どうやら、毒とやらで身動きが取れないのは本当のようだ。

 俺は、一連の不思議体験で募った恐怖と苛立ちをぶつけるように、ありったけの気持ちで引きつった笑みを浮かべ、見下すように女を見据えた。

 

「ものを頼むなら、それ相応の態度ってものがあるだろ」

 

 初めて、女の顔が攻撃的なものから、眉を八の字に歪めた悲壮なものに変わった。

 きっと今彼女の中では、苦痛と矜持がひしめき合っていることだろう。

 だが、俺にも譲れないものがある。一度殺されてやってるんだから、それくらいの権利はあるはずだ。

 しかし、譲れない何かがあったのは相手も同じだったようで。

 

「うぅ……うううぅっ…………」

 

 女の口から漏れる苦悶の声がだんだんとその質を変えていく。

 やがてそれは明らかな嗚咽となり、

 遂には、号泣へと変化した。

 

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…………」

 

「え、ちょっ……」

 

 俺も思わず声を上げてしまう。

 キャラ変甚だしいな、泣かれたら俺が悪いみたいになるだろうが。

 あああああ、と女は涙を流し続ける。

 

「痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ」

 

 赤子のように思ったことをただ喚き散らし、口元から飛び散る血の中に、今度は透き通る雫が混じった。

 元の凛とした顔立ちは水分でぐちゃぐちゃで、母親の胎内から生まれて間もない赤子を彷彿とさせる。

 でも俺は、それでも決して『助け』は求めないところに、彼女の強い在り方を感じ取った。

 それと同時に、心の何処かで、目の前の『人間』を哀れむ気持ちもふつふつと湧き出す。

『怪異』とは、こんな風に感情を曝け出すものなのか。

 痛みに耐え兼ねて。

 葛藤して。

 苦悶して。

 みっともなく泣き散らしてしまうのか。

 それでは、ただの人間じゃあないか。

……はぁ。

 俺が誰かを心配するなど、家族以外にここ最近あっただろうか。

 

「……分かった、俺が悪かった」

 

 最終的に折れたのは俺だった。

 ほら、なんかもういいかな、的な。

 ドSキャラはどうにも肌に合わない。

 女の子に泣かれちゃうと、自動でお兄ちゃんスキルが発動してしまうのは、こんな状況でも平常運転か……。

 啜り泣く女にさらに詰め寄って、胸元のボタンに手をかけた。なんかいかがわしい感は否めないが。

 

「…………………………」

 

 女の方も、突然の変化に驚いたのか、一瞬痛みを忘れたかのように茫然としていたが、直ぐに静かになった。俺を受け入れる体制になったのだろうか。

 頬が少し熱くなるのを感じながら、一個、また一個とボタンを外していく。

 乳房が溢れない程度に──本当はめっちゃ見たい──胸襟を開くと、現れたのはシャツではなく、そのまんまの素肌だった。こいつ、裸軍服とかレベル高いっすわ……。

 まず目がいくのは、その肌の白さ。生きているとはとても思えない、神々しいまでの美しさに頭がフリーズするが、生々しく刻まれた傷跡が即座に俺を現実に引き戻した。

 絶え間なく流れる血のせいで見えにくくなっている傷口は、円形の穴であることが辛うじて分かった。間近で見る生々しい肉の断面に思わず目眩がする。

 右鎖骨の下。

 胸の中心。

 左脇腹。

 臍の真上など、

 同じように赤黒い虚淵が顔を出している。これ普通に当たったら即死のところとかあるんだけど……。

 その道のプロとかでは無いから、なんとなくとしか分からないが、恐らくこの女を傷付けた武器は銃火器の類、散弾銃か何かだろう。

 今一度女の全身を眺めると、ざっと見ただけで上半身は四、五箇所被弾しているが、下半身の目立つ外傷は右太腿の一箇所だけだ。

 優先すべきは、やはり上半身。

 

「後から文句言うなよ……」

 

 何故わざわざ『吸い出せ』と言ったのか、その根拠までは分からない。

 ただそう言うからには、何か正当な理由や考えがあるのだろう。

 命を救う緊張感とわずかな羞恥を抱いて、

 俺は女の胸元、豊満な乳房の谷間の傷口に唇を当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなもんか」

 

 結局。

 上半身で五ヶ所、下半身で一ヶ所。弾丸が体内に残ったままの傷があった。いっそのこと傷口に指を突っ込んで強引に弾を引きずり出そうかとも考えたが、お互いのSAN値が持ちそうにないのでやめた。

 天才外科医、ヤングヒキガヤ・ハチマン。

 ……初回で医療ミスとかやらかしそう。

 口の中に残った鉄の味がする唾液を最後に床に吐き出して、口を拭う。

 よし、こんなもんだろう。

 毒だと言うからには、俺が何かの間違いで飲んでしまうことも避けるべきだしな。

 パーカーの袖と口周りは血まみれのままだけど。

 要領を得てからは正直傷のことより、強めに吸った時の痛みを堪える女の声の方が俺的にはヤバかった。美人を見るたび毎回言っている気がするが、やはり美人は何をしても魅力的である。

 俺が一息ついて腰をあげると、小さく、本当に小さく、女が何かを呟いた。

 

「……ありがとう…………」

 

 掠れていてほとんど聞こえなかったし、俯いた顔は彼女の長い銀髪に隠れて伺えないが、大体どんな顔をしているかは分かる。

 ……だから、キャラにもなさそうなことするなよ、ギャップ萌えが激しいから。

 

「別に、気にするな」

 

 なんだか気恥ずかしくなって、俺も同じくらい小さな声でそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後の患部。

右太腿の傷を、女の軍服を千切って作った包帯で覆う。そのまま見よう見まねでぐるぐると巻きつけて、とりあえずの処置を終えた。

結果として女の上半身はほぼ全裸に近く、大変俺の体──どことは言わないがな──に悪い装いとなっている。

 

「ぬし、名はなんという」

 

 涙も血も流しきった女は、気を取り直した調子でそう問いかけてきた。顔には、本来あるべきだった凛とした美しさも戻っている。

 俺が突然のことに言葉を詰まらせていると、女はさらに口を開いた。

 

「先刻はまぁ、我輩も取り乱していた。ぬしの名前を聞きたいのだ。……それとも、先に謝れと言うのなら……どうしてもと……言うのなら」

 

 女を真正面に見据えた位置。出入り口扉に背中を預け、床に胡座をかいた俺の今の視線は、女とほぼ同じ位置にある。

 俯き気味に、やはりまだプライドが捨てきれていないのか。そんな提案をする女の顔は翳っていた。

 ……まぁ、俺も調子に乗って、変に気が動転していたということもあるし、そもそも女に謝られること自体あまり気持ちの良いものでは無いしな。

 

「別に、気にするな。つーかお前ももうさっきのことは忘れろ、俺はもう忘れた」

 

 そう言うと、俯いた女の顔が、わずかに微笑んだのが見えた。

 なんだ、なんかおかしかった?

 もしかして口周りの血が髭みたいになってるとか?

 

「なんというか……ぬしは我輩が今まで出会った人間の中でも、初めて見る種類なのでな。ついおかしくなってしまった」

 

「まぁな、ナンバーワンよりオンリーワンをモットーに生きてきたもんで」

 

「そら、そういうところだ」

 

「……うっせ」

 

 そう言った女の顔があまりにも美しくて、俺は思わず目線を斜め下に逸らす。

 やめろよ美人に免疫無いんだから。危うく勘違いして告白して振られた上にまた殺されるところだった。つーか振られるのかよ。もっと言うと殺されちゃうのかよ……。自分の死すら既にネタとして昇華した俺のバイタリティを誰か褒めてくれ。

 

「我輩の名は、『白面金剛隠神刑部四狼正宗之薊姫』。『人狼』である」

 

 女は、琴の音のように晴嵐な声色で、自身の口上を名乗った。

 ちょ、え?

 長い長い長いって。俺そんな瞬間暗記能力とかないからね。

 好きなようにって、しろうまさむね〜位からしか覚えられなかったんですけど……。

 ……というか、それよりも。

 

「『人狼』って、どういうことだ……」

 

「言葉通りだ。我輩は『人狼』の姫。悠久の時を生きる『怪異』なのだ」

 

「……なるほど」

 

 全然なるほどじゃねぇし。

 ……まぁ、今さらって感じはあるけどな。はじめから人間じゃないことは分かりきっていたし。

 さて、他に何か聞かなきゃいけないことは……。

 

「あっ‼︎」

 

「なっ、なんだ脅かすな」

 

 びくりと体を揺らす、しろうなんたらさん。

 さっきまで泣いてる姿を見てた所為もあってか、お姉さん系の美人なのに何処か年下みたいなおどおどした雰囲気も感じてしまう。

 さっきの話が本当なら、こいつは俺の何歳年上なのだろうか。

 

「そうじゃなくて、俺の体。 一回バラバラにされただろ、お前に。俺はあの時死んだのか?」

 

 すっかり治っていたから思わず忘れかけていたが、ほんの少し前まで、俺はまさしくきたねぇ花火と化していたのだ。

 

「今までの口ぶりからすると、俺を殺したのもお前だが、直したのもお前だろ。俺に何をしたんだ」

 

「なんじゃ、そのことか」

 

 なにその軽い反応。

 怪異と人間の異文化ギャップなのか、単なる年の差からくるジェネレーションギャップなのか。

 いや、今は相手の話を聞こう。

 

「そうだな。……我輩が治したというよりかは、ぬしが治したと言った方が良いかもしれん」

 

「? いまいち話が見えてこねぇな」

 

「ぬしは、ついさっき我輩と同じ『人狼』になったのだ」

 

「……はい?」

 

 なん、だ。

 それは。

 

「我輩が、バラバラになったぬしの肉から頭と心臓を見つけ出して、強引に『眷属』に変質させた。つまり今のぬしは我輩にとっての『仔』だと言える。正直上手くいくかは神のみぞ知る、と言ったところだったが……良かったな、ぬしは幸運だ」

 

「それは……本とか映画とかでよくある、狼男に咬まれるとそいつも狼男になるっていう、あれか」

 

「左様。我々は人間の信仰、願望から生まれる存在。人間が定めた在り方を持つのは至極当然であり、それこそが自然な形であろう」

 

 じゃあ俺は今、満月の夜に毛むくじゃらになって、この女と同じように銀製のものにめっぽう弱いとか、そんなことになっているのか。

 全然自覚ないんだけど。

 だけど。

 そうか。

 今の俺は、もう人間ではないのか。

 

「まことに癪ではあるが、『人狼』が持つ不死性は、総合的に似たような性質を持つ『吸血鬼』のそれと比べれば多少見劣りする。だが我々には、奴らを上回る身体能力と、生命活力がある。今回ぬしが再生に成功したのは、そのことが大きいかもしれん」

 

「……」

 

 さりげなくショッキングな新事実に、俺の心はぐらんぐらん揺れ動いていたが、今はそんな場合ではない。真っ先に、はっきりとさせなければいけないことがまだまだある。

 

「良かったな。ぬしの前に現れたのが、あの高飛車金髪吸血鬼ではなくて」

 

「……おう」

 

 誰のことを言っているのか全く心当たりは無いが、しろうなんたらの苦虫を噛み潰したみたいな表情から察するに、その人物とはあまり上手くいっていないようだ。

 

「まぁ、そんなことはいいんだ。じゃあ次に聞くが、お前は何で俺を殺した。後から生き返らせるくらいなら、もっとやり方があったんじゃないのか」

 

 俺はついに、自身が最も知りたい謎についての話を切り出した。

 話せば話すほど、俺はこの『人狼』がそこまで悪い奴には思えなくなかっていく。ダメだな、こうやって俺は悪女にも騙されるのか……。嘘が見抜けるサイドエフェクトが欲しい。

 しかし、待てども待てども、しろうなんたらは重苦しい雰囲気のまま言葉を発しない。

 俺の方から呼びかけようとした時、ようやく彼女は話を始めた。

 

「……男が、この町に訪れた」

 

 しろうなんたらはそう言って、天井を仰ぎ見た。たったその一言だけでは、いったいどんな話が始まるのかまるで想像がつかない。これから語られる話は、いつ、どこで、俺の死に繋がるのか。

 わずかに細められた彼女の双眸には、いったい何が映っているのだろうか。

 ──しかしだな、と上を向いたまま、可憐な唇が音を紡いだ。

 

「ここから先を聞いたからには、ぬしにはやり遂げればならぬ大きな使命が発生するやもしれんぞ」

 

 俺に視線を戻した彼女の表情は、いつの間にか恐ろしく冷たいものになっていた。

 思わず息を飲んだ俺に向かって。

 彼女は。

 

 ──ある人間を殺して欲しいと、

 

 そう言った。


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