痴物語-シレモノガタリ-   作:愚者の憂鬱

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誠にお待たせいたしました。
待っていたぞうと言う方、そうでもねーよと言う方、お前の作品なんぞ二度と読みたくないわと言う方。全ての方々に深くお詫び申し上げ、厚かましくも再びここに戻ってきた私をどうかお許しください。
実はここ最近文章を全く書いておらず、所謂スランプというヤツだったのですが、少しずつ(本当に一行ずつくらい)あーでもないこーでもないと悩みながら、漸く一話分とカウントしてもいいかな、という分量に達したところですので、シレモノガタリを更新させていただきます。
と言ってもかなり少なめです。
もう一話分もそろそろ仕上がりますので、続けてそちらも投稿させて頂きます。


其ノ漆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはあまりにも壮大で。

 どこか幻想的な光景でもあった。

 ビルの合間から見上げる夜空に、大きな亀裂が走っている。

 パキパキ、ピシピシ、と。

 樹木のように枝分かれしていく亀裂は、次第に全天を覆っていく。

 やがて。

 捲れ上がった粉雪のような空の欠片が、俺達の下にゆっくりと降り始めた。

 

「──馬鹿な、私の結界が……!」

 

 俺はこの時始めて、眼前の男──カテゴリーキラーが、明らかな動揺を見せた様を目撃した。ハットの下の碧い瞳がまざまざと見開かれ、口元は半開きのまま固まっている。

 そう、俺たちの狙いは最初から『コレ』にあったのだ。

 俺は結界の制限を受けずに人狼の力を解放し、雪ノ下さんは、存在するだけで『世界そのものに大きな悪影響を及ぼす』厄介な結界を処理できる。

 それは、雪ノ下さんにしかできない酷く専門的な技術であり、怪異を始めとする『超常現象の漏洩』を嫌う彼女達『専門家』からすれば、至極当然の行動であった。

 簡単なことだ。

 これだけの長時間、夜間とはいえ、人口過密国日本の市街地が、電気も交通も人の流れすら停止させられ続ければ、いつか結界の外に誤魔化しきれない『ズレ』が生じる。

 催眠や洗脳紛いの力で、人間の意識を操作できたとしても、現実に発生する違和感までもは、流石にカバーしきれまい。

 雪ノ下さんは、専門家の一員としての責務を全うするために、俺とカテゴリーキラーの勝敗よりも、結界の破壊を優先した、ということだ。

 

「……しかしまぁ、何をどうしたらこんな馬鹿デカい結界を壊せるのか、気にはなるけど」

 

 大方、あの時入っていったビルの屋上かどこかで、怪しげな術でも使っているのだろう。

 俺は、未だ底が知れない雪ノ下さんの手腕にげんなりとして──それから、正面に立つ男をキッと睨んだ。

 自身に向けられる鋭い敵意に、奴──カテゴリーキラーも目ざとく反応し、俺を睨み返してきた。その表情には、依然余裕がないように見える……どうやら、結界が壊されたことが相当堪えているようだ。

 

「……さて。言ったとおり、これでもう俺の勝ちは大方決まったぞ。どうする」

 

 暫しの静寂。

 降りしきる空の破片だけが、俺たちを包むように舞い散って、輝きを放つ。

 その間にも、俺は自らの内側で渦を巻いて沸き立つ血流を感じ始めていた。間違いなく、結界が効力を失ったことで、俺に備わった本来の人狼の権能が戻りつつある。

 ──今の俺は、きっと誰よりも強い。

 そんな根拠のない──ついでに言えば、柄にもない言葉が、脳裏にふわりと浮かび上がる。

 カテゴリーキラーは俺の挑発的な言葉も意に介さず、ゆっくり俯いてから、ハットのつばを摘んで、目深く被り直した。

 

「──嗤えるね」

 

 真っ暗な影に飲まれた奴の口元から、力の篭った声が返ってきた。

 僅かにハットのつばから覗く碧い瞳は、憤激と憎悪──それから、確かな焦燥を、それぞれ僅かながら内包しているように見えた。

 

「素人があまり調子にのってはいけないよ。言っただろう、私は専門家……君のような狗畜生なんて、数え切れないほど屠ってきたのさ」

 

 カテゴリーキラーは、肩に担いだ巨大なオブジェクト──銀の十字架に手を掛け、身を大きく捻ったかと思うと。

 カンフースターが振るうヌンチャクのようなスピードで、かつ空気が爆発するほどの威力を内包したまま、胴回りを軸にぐるりと回転させた。

 

「十全な力が使えるようになったところで、私と君の間に広がる経験値の差は埋まるまい」

 

 吹き荒れる余波が、空気の波となって俺の頬を撃つ。

 

「私の仕事は変わらない。君を殺して、人狼の姫も殺して、それから吸血鬼の女王も殺す」

 

「……そうかよ」

 

 見かけによらず強情な奴だ。

 何をするにしてもどこか業務的なコイツなら、わざわざ負け戦に臨むなんてことはしないと高を括っていたが──或いは、そうせざるを得ない事情でもあるのだろうか。

 自分の命より大事な。

 仕事の先にある、成就すべき願いが。

 ──いや、まさかな。

 こんな人間のクズに、そんなものが存在するはずもない。現に俺は、奴の身勝手な行動で、一度命を落とす羽目になっているではないか。

 ともかく……然るべき報いを与える必要がある。

 その不敵な笑みを。

 男前な顔立ちを。

 どこか余裕を感じさせるその立ち姿を。

 全部めちゃめちゃに歪めて、泣きながら詫びてもらおう。

 ──それに。

 

「…………………悪イ、もウ我慢でキねぇ」

 

 そろそろ、俺の理性が限界を迎えそうだ。

 

「…………ッッグ、ゔヴゔヴヴヴあああッ‼︎」

 

 突如、体を内側から破裂させる勢いで、俺の中の血流が暴れ狂い出した。俺の元から制御が離れた手足が、落雷に撃たれたかの如く痙攣し、意識は既に半ば以上が真っ白に染め上げられ始めている。

 間違いない。

 人狼の力が、暴走しかけているのだ。

 薊が、余程のことがない限り人狼が自らの力に飲まれることはない、と言っていたのを思い出す。しかし、思えばそれは一般的な人狼の話、生まれたてで未熟者の俺ともなると、こういうとこもある──のだろうか。

 

「グ……るるるルルルルルァァ……ッッ」

 

 体の芯が焼き尽くされるような滾りに、思わずうずくまる。それでも俺の全身は、みちみちと音を立て、一回り、また一回りと、脈動に合わせて肥大化を始めた。

 カテゴリーキラーはそんな俺を見て目を丸くしながらも──やはりそこはプロ。明らかに当人も予期せぬ事態を迎えている俺を、一撃で仕留める絶好のチャンスと見たのだろう。

 

「獣の本能が理性を焼いているのか……さぞや苦しいのだろうね」

 

 折り曲げた膝で辛うじて地面に立ち、燃え上がる体を冷まそうと胸板に爪を立て、狂ったように掻き毟る。

 苦しい。

 苦しい。

 苦しい。

 眼球が裏返ってしまうほどに。

 熱い。

 熱い。

 熱い。

 まるで火達磨にでもなったかのようだ。

 

「──ア……アァ……が……」

 

 もはや俺の肺は、隙間風のように掠れた音しか出せない。

 それでも、そんな俺の事情など知らないと言わんばかりに、内側に籠る熱で霞む視界──その隅で、奴の両腕が大きく振り抜かれたのが見えた。

 一瞬の後。

 轟音を引き連れて、銀十字が俺に殺到する。

 

「もう、楽におなり」

 

 憐れみか、それとも嘲笑か。

 カテゴリーキラーがどんな声色でそう言ったのか、既に俺には分からなくなっている。

 

「ガァァァァァッッ‼︎‼︎」

 

 激突。

 迸る衝撃波。

 鳴り響く破砕音。

 道路の端に植えられた木々が、ざわざわと騒ぎ立て。ビルの窓ガラスが方々で、ひとりでに砕け散る。

 ただし、そんな破壊の渦の中で。

 俺は何の痛みも感じていなかった。

 

「──……な……ん…」

 

 辛うじて捉えられたのは、カテゴリーキラーが浮かべた、本日二度目の、動揺の表情。

 ……まぁ、そりゃあ驚くだろうな。

 俺は、飛来する大質量の金属塊──十字架の先端を、右手五本の指を半ばまで突き立て、しっかりと握り込んで威力を殺し、完全に受け止めていた。

 自分でも、現状の俺がそんな精密な動きをできる状態に無かったことは分かる。

 しかし身体が、俺の意思とは裏腹に、まるで別人の意識が神経に乗り移って、勝手に動かしてしまったかのように。カテゴリーキラーの攻撃を、無傷の内に受け切っていたのだ。

 

「……規格外だ…………」

 

 カテゴリーキラーの動揺が、明らかな焦燥に色を変えていく。謀らずして武器を取り上げられてしまい、フリーになった奴の両腕は、腰に掛けてあった二丁拳銃を掴んだ。

 

「……人狼の姫、その仔………いや」

 

 未だ、皮膚を焼く滾りは消えない。

 それでも、体だけが意識を離れて一人でに動き出す。一歩、また一歩と前へと踏み込み、その分だけカテゴリーキラーがじりじりと後退する。

 その光景を俺は、まるでテレビの向こう側をぼーっと眺めるかのように。

 

「──人狼の、王」

 

「オオオオオオオオオオオオォォォォッッ‼︎‼︎」

 

 画面の向こうの俺が、雄叫びをあげた。

 それはどこか、オーバーヒートを迎えたエンジンから吹き出される排気ガスを彷彿とさせる。

 剛腕が、握りこんでいた十字架を出鱈目に放り投げた。ただそれだけの動きで、砲弾をも凌ぐ速度の鉄塊と化した十字架は、ビルの壁面を突き破り、瓦礫に埋もれていった。

 ふと、俺は俺の掌を見た。

 真っ黒な体毛。両手10本の指には、それぞれアーミーナイフのような爪が鈍く光を放っている。

 今度は少し首を捻って、ビルのガラスに映り込んだ自身の姿を見た。

 やはり全身を覆う黒の体毛。首から上は、完全に獣──人間社会に慣れ親しんだ『犬』とは違う、禍々しいまでの野生を感じさせる狂相。

 一回り以上大きくなった身体は、身に纏った衣類を内側から裂かんばかりに怒張している。

 吹き荒ぶ暴風がカテゴリーキラーにもぶつかり、奴のハットを空高く舞い上げ──窶れた西洋人の素顔を露わにした。

 ──蹂躙が始まる。

 カテゴリーキラーは、恐らく俺に歯が立たないだろう。

 潰され。

 砕かれ。

 壊される。

 ここに、俺の目的は果たされるのだ。

 ──そんなことを、他人事のように思いながら。俺の意識は、俺自身の体から、だんだんと遠退いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あと数話で、あざみウルフは漸く完結となります。
今度もまた、行けるところまで勢いで進みますので、どうか皆様も片手間にお待ちください。

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