「あ、あの!も、もう少し……ゆっくり歩いて……!」
肩で息をしながら前を行く男の子から離れない様に必死に追いかける。引っ越し用の大きな荷物は明日引っ越し業者の人に持ってきてもらうからそこまで大きな荷物はないけれど、それでもお出かけするには大きすぎる荷物を持っているからあんまり速く歩かれちゃうと私としてはすごく辛い。
だからもう少しゆっくりと歩いてほしいと声を掛けたら、一瞬だけちらりとこっちを見て歩く速度を落としてくれた。良かった。無視されたらどうしようかと思った。
「………………」
「………………」
それにしても沈黙が痛い。さっきからこの人、一言もしゃべらない。私は私でさっきまではついていくので精一杯だったから喋る余裕がなかったっていうのもあるんだけど。それにしたって本当に喋らない。一応、ご近所さんになるんだからもう少しあいさつ代わりの世間話位した方がいいと思うんだけど……
なんて思っても私も何を話したらいいかちっとも思いつかない。何か話さなきゃ、と思えば思う程何を話したらいいかが分らなくなって結局無言でついていくことだけしかできなかった。
それでもこの人を見つけられた時は嬉しかった。初めての一人暮らしってことで勇んで実家から飛び出してきたのはいいんだけど、地図を読み間違えたのか何時まで経ってもアパートに辿り着かなくてたまたま見つけた公園で途方に暮れていたところだったから。
どうしようもなくって気を紛らわせようと自分の好きな歌を歌っていたんだけど、ふと気が付いたら視界の端に誰かがいたような気がした。とにかく道を聞きたかったから慌てて後を追いかける途中で財布を見つけて、今に至る訳なんだけど……
ちょっとホントに沈黙が痛い。もしかして私って避けられてるのかな。……まあ、道に迷ってるんだから面倒だなってくらいは思われてても仕方ないとは思うんだけど。
結局それから一言も会話をすることもなく目的地に着いた。すると前の方からさっきの男の子じゃない人の声が響く。
「あぁ、天川君!見つかったかい?」
見つかったかい、という問いかけを目の前の男の子がされているということは当たり前だけど探されていたみたい。そりゃあ本当だったら2時間近く前に着くってことになっていたんだから当然だ。
(あれ、じゃあこの人は私のことを……?)
もしも大家さんの言葉通りなら、この目の前の『天川』と呼ばれた人は私を探しに来てくれたってことになる……のかな。
「見つかりましたよ。この人でいいんでしょう?それじゃあ俺はこれで」
そういって天川君は私の前からどいて、そのまま自分の部屋へと向かって行ってしまった。
「あっ……折角だから初音さんとあいさつ位……全く、そんなに嫌がらなくてもいいだろうに」
「……」
「おっと、待たせてごめんね。初音未来さん……で、いいかな?」
「はい。今日からお世話になります、初音未来です」
自己紹介をして頭を下げる。そんな私に大家さんはあははと笑った。
「そんなに固くならなくていいよ。まだうちも出来たばかりだし、入居者は初音さんとさっきの男の子しかいないからね」
「さっきの子って……」
天川と呼ばれた男の子が去っていった方に目をやる。もう自分の部屋に入ってしまったのか、そこに彼の姿はなかったけど。
「天川君っていうんだ。あの子もついこの間越してきたばかりでね。今年から高校に進学するっていうんだけど、実家から離れてるみたいだから友達もいないらしいんだ。ちょっと不愛想だけど悪い子じゃないから良ければ仲良くしてあげてな」
「はい。頑張ります」
それから少しアパート生活について説明された後、部屋の鍵を渡された。私に鍵を渡すと大家さんは自分が101号室にいることを告げてゆったりとした足取りで自分の部屋へと歩いて行った。
そんな大家さんの姿を目で追いながら、私はさっきの天川君のことを考えていた。
(あの人……今年から高校ってことは私と同い年ってことだよね。同じ高校なんだろうし、仲良く……出来たらいいなあ)
第一印象は不愛想な人。アパートに着くまで結局一言も話してくれなかったし、大家さんとのやり取りからもそんな印象を受けた。少なくともフレンドリーな人でないのは確かだと思う。
大家さんには仲良くしてくれって言われたけれど、正直ちょっと自信ない。だけど、なんとなく……なんとなくだけどあの人とは仲良くなれそうな気がした。根拠なんてない。ただ本当に直感的にそう感じているだけ。
(とにかく、一通りのことをやったら挨拶しに行こう)
初めての一人暮らしで、不安なこともたくさんあるけれどきっと何とかなる。そう自分を勇気づけて、私はこれから我が家となる部屋の扉を開けた。
まさか本当に帰り道に大家さんが探していた新しい入居者とやらに出くわすとは思っていなかった。神様っていうのがいるんなら、随分と悪趣味な悪戯をされたもんだと小さくため息をつきながらスーパーで買ってきたものを冷蔵庫に入れたりする。
その最中、あの綺麗な青緑色の髪をした女の子のことを思い出す。腰まで届きそうなほどのツインテールに女を見る目のない俺ですらも分かるほどの可愛い顔。そして聞いたものを引き込むあの歌声……
他人、特に女子なんて今までこれっぽっちも気にかけたことがないというのに、妙に印象に残っていた。まるで一目惚れでもしたみたいだ。
(ハッ……馬鹿馬鹿しい。んな訳ねえだろ。あほらし)
自分で馬鹿らしいことを考えて即座に否定する。俺が誰かに好意的な感情を向けることなんて、この先一切ないだろう。そんなことをしたところでロクな目に合わないっていうのは中学時代に嫌という程思い知らされたんだから。
パッと見たところ気が強そうには見えないし、かといって裏でこそこそと何かをしようとするような人には見えなかったから彼女自身は悪い人じゃないのかもしれない。が、まあ別に彼女が俺を嫌おうがそうでなかろうが恐らく彼女の取り巻きが俺を嫌ってくるんだろうからそんなことは関係ない。迎える結末が変わることはない。
俺が努力をすればもしかしたら――なんてことを考えようとも思ったけれど、今までそういう類の努力は裏目に出るかまともな結果を出せずに終わっていることを思い出してすぐに止める。考えるだけ無駄なことに時間を使っても空しくなるだけだ。
(そういえば、あの人は一体いくつなんだろうか。パッと見俺と同じくらいに見えたけど)
飲み物を買いに行ったついでに買ってきたポテトチップスの袋を開け、バリボリとむさぼりながらぼんやりとそんなことを考えてみる。年が離れていればそこまで付き合う必要もないだろうが、同年代だとすると少々厄介だ。同年代だとするとこの時期に引っ越してくるということは十中八九俺と同じように進学してきたということだろうし、何よりこの辺りに高校は一つしかない。
となれば同じ学校に進学する新入生同士となるわけで、さらに運が悪ければ同じクラスになるかもしれないということだ。まぁ、そんなことは天文学的な確率だと思ってるからあまり心配はしていないが。
とにかく、同じ学年ということは図らずも学校で顔を合わせなくてはならないということで、それはそれで面倒なことになりかねないということだ。同じアパートに住んでるからと言って面倒に巻き込まれないことを切に願う。俺が吹っかけなくても、相手の方から吹っかけてくる可能性は決して低くない訳だし。
そう思ったら、ついつい大きくため息をついてしまう。トラブルというものは厄介で、こちらが避けようとしていても向こうからぶつかってくるのである。
高校ではひっそりと植物のように静かに過ごしたいな、などと思うが果たしてそう上手くいくだろうかとも思ってしまう。現に中学時代は――
ピンポーン……
中学時代の忌まわしい思い出を思い出しそうになったところで、来客を知らせる気の抜けたチャイムの音が部屋に響き渡った。
一体誰が、と考えておおよそ大家さんあたりだろうと思い玄関に向かう。特に問題行動をしたわけではないはずだから、なんか文句を言われるようなことはないはずだと言い聞かせつつ扉を開けた。
しかし、そんな俺の予想を大きく裏切って目の前に立っていたのはあの女の子だった。そういえば名前を知らないからなんて名前なのかわからない。
それにしたっていったい何の用事でここにいるのだろうとやや困惑していると、女の子が少し気まずそうにしながらおずおずと話しかけてきた。
「あ……さっきはありがとうございました。隣の104豪室に引っ越してきた初音未来です。これから色々とよろしくお願いします」
つまり彼女はわざわざお隣さんである俺に挨拶しに来たということか。とても礼儀正しいその様は評価に値するしご苦労なことだとも思うが無駄なこった。どうせ顔を合わせても話すことはなくなるのだから。
が、まあわざわざ挨拶しに来てくれたので最低限の対応はしておく。
「どうも。天川っす。よろしくお願いします」
「天川君か……もしよければ下の名前も聞かせてもらってもいいですか?」
目の前の少女……初音さんの意図が分らず思わず眉をひそめてしまう。下の名前を聞いたところでどうしようというのだろうか。俺の名字は決してありふれたものでもないはずだから、俺という個人を指し示すための認識票としては名字の天川だけで十分だと思うのだが。
しかしまあ、たかが下の名前だ。それに同じ学校に通うかもしれない以上、いつかはばれる。今教えても早いか遅いかの違いだけだろう。そう考えた俺は何ということもなくただ文字を読み上げるように名乗った。
「
「駿君……いい名前ですね」
「…………」
別に自分の名前が嫌いな訳じゃないが、かといって好きなわけでもない。なのでいい名前だねと言われてもああそうなんだ程度にしか思えない訳で。それを表に出すのもなんだか失礼かなと思うわけだから結局のところ俺にとれるリアクションは黙り込むというものしかなかった。
そのおかげでものすごく気まずい雰囲気になる。俺は俺でどうしてくれんだこの空気、もう閉めてもいいかな。なんて思い始めてるし向こうも向こうで地雷を踏んでしまったか!?みたいな焦った顔になっている。いやまあ原因は俺なんだろうけど。
そんな状況をどうにかしようと動いたのは初音さんの方だった。
「あ……えっとぉ……天川君は最近引っ越して来たって大家さんに聞きましたけど、もしかして今年から高校生……?」
「まぁ、そっすね」
「ホント!?それじゃあ同い年なんですね!」
私も今年から高校生なんですッ!と嬉しそうに笑顔を作る初音さん。そりゃそうか。自分の故郷から出て一人暮らしするってことは中学時代の友達なんかはほとんど周りにいない訳だ。普通は寂しいだろうし不安で一杯なんだろう。俺はむしろ清々してるけどな。
それから二言三言言葉を交わして、お互い同じ高校に進学するということ(同い年と発覚した時点で確信していたから驚かなかった)、入学式当日は一緒に行こうという誘いを受けた(正確には頼み込まれた)ので一緒に行くことを約束して別れた。
やっとのことで玄関を閉めると、なんだか急にどっと疲れが出てくる。途中からうすうす思っていたけれど、初音さんは俺が苦手とするタイプの人種らしい。一緒にいると無駄に疲れるというか、振り回されるというか。もう既に植物のように静かに過ごすということが出来なさそうで頭が痛くなりそうだった。
とにもかくにも、下手に関わり合いにならないほうがお互いの為だろうし入学式の朝だけ一緒に登校して後は基本的に顔を合わせない様に動こうなんて考えながら俺は再び部屋でポテチをむさぼり始めた。
先ほどのやり取りを思い返しながら、どこか満更でもないと感じている自分がいたような気がしたが気のせいだと決めつけてさっさと忘れた。