次回行進は未定ですが、早めに上げられたらと思います。
初音さんから逃げる様に帰り道を外れた俺は、当てもなく辺りをさまよっていた。何も考えず、ただただ分かれ道に突き当たる度に右へ左へと曲がっていく。
そんなことをしている内に、俺の目の前には長い階段が現れた。階段の横には『有賀島公園』と言う木で出来たありふれた立札が立っている。
階段の両脇には桜の木が大量に植えられており、文字通りの桜のトンネルを作っていた。そよ風が吹くたび、枝が揺れて花びらが舞っている。
そんな光景を目にして何となく右手を出すと、一枚の花びらが俺の手に乗りそうになる。かと思ったが、花びらは指をすり抜けて落ちて行ってしまった。
「あ……」
花びらが指の間をすり抜けて落ちていったのを見て、思わず小さく声が漏れる。空に向かって開かれた俺の手のひらには、何もない。
地面に落ちた花びらをもう一度見て、それからまた空っぽの手のひらを見つめる。まるでそれは、これからの俺の人生を象徴しているような気がした。
ふっと息をつき、空っぽの右手をグッと握りしめる。それから、上へと続いているであろう長い階段を見上げた。
桜のトンネルで彩られたその階段は、まるで天国へと続く階段のようにも見えた。もしかしたら、ここを昇ってみたら本当に天国へと行けるのかもしれない。
そんな馬鹿げたことを考えながら、ゆっくりと階段を昇っていく。一段一段、ゆっくりと。
綺麗に整備された階段は、特に足を引っかけそうなところもなく昇りやすい。桜の時期というのもあって、足元は常に桜の絨毯で埋め尽くされている。
そんな桜色の階段と、ピカピカの革靴を眺めながら俺はゆっくりと階段を昇っていく。
そうして昇り続けているうちに、桜の絨毯が敷かれた階段は唐突に終わりを迎えた。階段を昇り終えたのだ。
階上に待ち受けている光景を見るべく、俺は顔を上げて前を見る。
そこには桜色に染め上げられた空間が存在していた。地面も、植木も、ベンチも、全てが桜色に染まっている空間だった。
そんな光景を目の前に、俺は言葉を忘れて立ち尽くすしかなかった。具体的な言葉なんか思いつかない。ただただ『綺麗だな』という感想が思いつくだけだ。
けれど、驚くことにその空間には俺一人だった。こんなに綺麗な場所に、俺一人しかいなかった。辺りに響くのは小鳥のさえずりと、そよ風が木々を揺らす音だけ。
だから俺は、ふらりとした足取りで奥へと進んだ。もっとこの美しい空間に溶け込んでいきたかった。他に誰もいない今なら、それが出来るだろう。
階段から少し進むと、唐突に視界が開ける。一か所だけ、桜の木々がないエリアがあった。どうやら展望台の様で、そこからは有賀島町が一望できた。
学校も、駅も、商店街も全てが見渡せた。きっとあそこでは色んな人がいつも通りの日常を送っているのだろう。時間やお金、仕事、課題、色んな物に追われた人達がせわしなく動いているに違いない。
しかし、この場所だけは違う気がした。人々の生活と切り離された特別な場所。ここに来れば何もかもを忘れていられるのではないか。そう思わずにはいられなかった。
とにかく、今は学校やその他のことなんて何も考えずにゆっくりとしたかった。そう思い、振り向くと丁度いい具合にベンチがあった。このベンチも他の物と同じように桜色に染め上げられている。
自分の座るスペースの分だけ、ベンチに広がった桜の花びらを払ってゆっくりと腰を下ろす。背もたれに背中を預け、ゆっくりと目を閉じる。すると色々な物が感じ取れた。
遠くから聞こえる町の喧騒、頬を撫でる優しい風、木々の隙間から俺に降り注ぐ暖かな太陽の光。全てが心地よく感じられる。
やがて、それらがゆっくりと遠ざかっていって、俺の意識は緩やかに闇の中へと落ちていった。
・
・
誰かに呼ばれている気がした。
聞き覚えのある、澄んだ綺麗な声。
「……君! 天川君!」
「ん……?」
重たい瞼を少しだけ開ける。途端に眩い光が俺の視界を埋め尽くした。
「うっ……」
突然強烈な光を目にしたことで驚いた俺は、思わず俯いて瞬きを何度かしながら軽く頭を左右に振る。
その後、ゆっくりと顔を上げるとそこには太陽を背に立つ初音さんがいた。
一度家に帰ったのだろう。服装は赤い上着(カーディガンというのだろうか)にチェック柄の洋服(トップスとボトムスで別れていないところを見るにワンピースなる物)を着ている。
「あ、やっと起きた」
「あぁ……?」
とにかく状況が呑み込めない。いや、この状況的に初音さんが俺を起こしたのだろうけれど、どうして都合よく彼女が俺の目の前にいるというのだろうか。
そんな疑念が顔に出ていたらしい。初音さんは小さくため息をついて、今の状況を説明してくれた。
「あの後いつまで経っても帰って来る気配はないから、散歩がてら歩いていれば見つけられるかなと思って歩いてたの。そしたらここで天川君を見つけたってわけ」
「……あぁ、そう」
随分と不確実な方法で探そうとしたものである。いくらそこまでの都市ではないとはいえ、歩いて移動するには有賀島市は広すぎる。確率で考えれば会えない方がずっと高い。
最も、初音さんも『散歩がてら』と言っていたから本気で探す気はなかったのだろう。むしろ本気で探されたらこっちが困る。
「こんなところでお昼寝なんて……いくら春になって温かくなったっていっても……」
「人の心配より、自分の心配をしておけよ」
「っ……!」
傍にある鞄を手に取りながら立ち上がって出した声は、自分でも驚くほど冷たく低い声だった。
それは本気の拒絶を示す声。中学の時、何度となく他人に向かって使った俺のたった一つの
どうやらその
驚きと、戸惑い。そして気まずさだろうか。目を見開き、それから泳がせる。
何かを言おうとして、結局何も言えずゆっくりと閉じられる半開きの彼女の唇。
何も言えない自分への失望、
それでもこの場を立ち去ろうとせず、何かを言おうと模索している。
こんな反応をされたのはいつ以来だろう。余りに久しぶりに見る反応に、思わずこちらが動きを止めてしまう。
だって今まで、この
唯一たった一人だけ、例外がいた。
親父だ。親父だけは、他の奴らとは違っていた。
不器用で、気の利いた言葉なんて言えるような性格でもないくせに、必死になって何か言おうとしていた。
結局口にしたのは『なんかあったら俺に話せよ』なんてバカみたいなセリフ一つだけ。
初音さんはそんなこと言わないだろうし、言えないだろうけど。
どうしてだか、あの時の親父に被って見えた。
それがなんだか俺をモヤモヤした気分にさせる。今すぐここを離れたいという気持ちをより追い立てる。
だから俺は、逃げるように初音さんに背を向けて歩き出した。
後ろから俺を呼び止める声が聞こえる。無視をした。
歩く。歩く。どこへ向かっているのか自分でも分らない。
とにかく曲がり角があれば曲がり、分かれ道が来れば迷うことなくどちらかの道を選ぶ。
気が付いた時には、自分の部屋の前についていた。
思わず、隣の――初音さんの部屋の玄関に目をやってしまう。
ぴたりと閉じられた扉は、既に住人を招き入れた後だろうか。それとも、未だ帰らぬ住人を待っているのか。
どちらにしても、物言わぬ扉は俺に何を教えてくれるわけでもない。
視線を前に戻し、ポケットから部屋の鍵を取り出して鍵を開け、扉を開けつつ部屋の中へと足を踏み入れる。
「ただいま……親父ィ、飯の……」
そこまで言ってから自分が何を言っているかに気付き、氷漬けになったかのような錯覚を覚える。
驚きの余り、開いた口が塞がらない。誰に言い訳するわけでもないのに、勝手に目を泳がせてしまう。
どうしようもなくなって、肺の中に残っていた酸素を絞り出すように息を吐き出す。
そのままフラフラと部屋の中心に敷いてある布団の方へと歩いていき、どさりと腰を下ろした。
なんというか今日一日だけで、ものすごく疲れたような気がする。というか、実際すごく疲れた。
公園のベンチで眠ったくせに、また眠気が襲い掛かってきている。
制服にしわをつけるわけにはいかないから、寝間着に着替えはするけれども、着替えたらすぐに眠ってしまいたいくらいには眠い。
着替えたら、寝よう。疲れた、というのも事実だし、それ以上に精神的になんだか大分参っているみたいだから。