入学式が終わり、一週間が経った。
あれから初音さんとは一言も言葉を交わしていない。
いや、初音さんから話しかけてくることは何度かあった。けれども、それをことごとく俺が無視をしたのだ。
悪い、とは思わない。確かに彼女にとっては辛いことだろうけれども、これからの高校三年間を考えればそんなもの一瞬だ。
俺と関わり合いになった奴は、ろくな目に遭わない。俺自身としても、誰かと関わればろくな目に遭わない。
だから、誰かと関わることは絶対に避けなければならないのだ。関わったとして、せいぜい学校行事の時に最低限会話をするくらいか。
そうすれば自然と周りは俺との関わろうとは思わなくなる。そして皆が嫌な気分になることも無くなるはずだ。
だというのに。
「あ、天川君!」
俺はそう言うシナリオで高校生活を過ごしたいと願ってやまないのに。
「ねえねえ、一緒に学校行こう?」
初音さんは俺に声をかけることを止めなかった。
「今日はいい天気だね」
どれだけ無視をされても、俺がどんなに関わるなと言っても。
「今日って、数学の課題の提出日だよね?」
初音さんは変わらず、笑顔で俺に話しかけてくる。変わらず、花が咲いたような笑顔で。
「私、数学って苦手なんだ。どうしてもこう……好きになれないっていうか」
どうして彼女がここまで俺に関わろうとするのか、理解ができない。
「天川君はどう?」
俺は別にアラブの石油王とか、どこかの王子様だったりとかするわけじゃないのに。
「…………」
ただの、疫病神だっていうのに。
「……そ、そういえば、今日はグループ実習があったんだっけ」
周りに何を言われても、彼女が俺に声をかけることを止めることはなかった。
「同じ班になれるといいね!」
どうして、彼女は俺に屈託のない笑顔を向け続けられるのだろう。
既にクラスの中では俺は孤立しつつある。そうなるように俺が行動した、努力の成果とも言えるだろう。
だが、初音さんはその努力を無駄なものにしようとでもいうのだろうか。平穏無事な高校生活を、俺に送らせるつもりがないというのだろうか。
「……川君? 天川君!」
「ッ…………」
そんな思考の海に沈んだ俺を、初音さんの声が現実へと引き戻す。辺りを見渡せば、既に学校の校門前までやってきていた。
「学校ついたよ。早く行こう?」
綺麗な花が、その手のひらを俺の目の前に差し出す。俺にはあまりに綺麗すぎる、その手のひらが眩しくて。
「どうして俺に構うんだ。ほっといてくれ」
彼女の横を通り過ぎると同時に返したものは、ドブを流れる汚水のように濁った言葉。それはズルズルと心の中に染みこんで、俺の心も腐らせる。
でもそれでいい。元より俺の心など腐った果実みたいに崩れかけている。それに、いっそ崩ちまった方が楽になれる。
鉛のように重たくなった体を引きずるように、俺は自分の教室へと向かう。そんな俺の近くに、初音さんの姿はない。
それでいいんだ。そうあるべきだともいう。そうすれば、もうあんな地獄は味わうこともないのだから。
自分の教室へ向かう途中にすれ違う奴、追い抜いていく奴、たくさんの学生とすれ違うけれど、誰一人俺を見ることない。大勢の人の中に、たったヒトリ。
願ってやまない、俺の理想郷。最高じゃないか。
握りしめられた拳と噛み締められた奥歯を無視するようにそう言い聞かせて、俺は教室の扉を開いた。
入学式の日から一週間と少し。あれから天川君とはほとんどお話ができていない。
あの日、放っておいてくれって言っていた天川君がどうしても気になって散歩がてらとは言ってもあちこち歩き回りながらあの人のことを探し回った。
しばらく歩き回っていたら、太陽も西に傾いた頃ようやく丘の上の公園で天川君がベンチで眠っているところをみつけられた。
いくら春になって暖かくなってきたといっても、太陽がなければまだ肌寒いんだから風邪でも引いたら大変だと思って彼を起こしたけれども……
今思い出しても胸が痛くなるほど私のことを拒絶する声色に、何もできなかった。
それから何日かは登下校のタイミングとかで話しかけてみたけれども、私の話に付き合ってはくれなかった。結局、いつものとおり放っておいてくれと冷たく言われただけ。
正直に言って、かなり傷ついた。私自身、別に自分のことを人付き合いが上手なタイプだと思ってるわけじゃない。
けれどもここまで拒絶されることは初めてだった。
嫌われることはあっても、拒絶されるということはほとんどなかった。だから、辛かった。
今日も私は一人で登校している。天川君はもう学校についているのかな。あの人は私と違って朝はしっかり起きられる人みたいだから、遅刻するってことはあまりないと思うけれど。
「みーくちゃん! おはよう!」
ボンヤリとお隣さんのことを考えていたら後ろから元気な声が聞こえて、ポンと肩をたたかれた。
「あ、白川さん! おはよう!」
声の主は昨日学級委員長に決まった
白川さんは明るくて優しいし、意外と物をハッキリという強いところもあって憧れているところもあるかな。できることなら卒業までずっと仲良くしていたい。
「ねえねえ未来ちゃん。未来ちゃんはもう学校生活慣れた?」
「んー、まあまあかな。白川さんみたいな良い人とも友達になれたし、滑り出しは好調って感じ!」
白川さんの問いかけに小さくガッツポーズして見せる。天川君のことは残念ではあるけれど、少なくとも私は今一人じゃない。それは素直に嬉しいことだった。
そんな私の言葉に満足してくれたのか、白川さんは太陽のような笑顔を浮かべてくれた。
「そっかそっか! 委員長としても友達としても楽しい学校生活送れてることが分かって私は嬉しいよ!」
このまま素敵なクラスを作るぞ、と一人気合を入れている白川さんを見て思わず頬が緩んだ。
それから白川さんと他愛のない会話を交わしながら学校の近くまでやってくると、何やら校門の辺りが騒がしい。
「んー? 何かあったのかな?」
「さあ……」
一体何があったんだろうと思いながら近寄ってみると、校門の目の前にリムジンが止まっていてそこからレッドカーペットが昇降口まで敷かれていた。
「え、来る学校間違えたかな?」
そう呟いた白川さんは何も間違っていないと思う。正直私ですら目の前の光景が信じられなくて同じことを思ったから。
でも、校門の横にある『有賀島高校』と書かれたプレートが現実であることを示していた。
「……なんかすごい人が来るみたいだけど、遅刻しそうだから急ごう?」
どうしてこんなところに来てまでこんなものを見なくちゃいけないんだろう。私は、こういうのを見るためにここに進学したんじゃないのに。
「未来ちゃん? 大丈夫?」
余り思い出したくない少し前のことを思い出して気分が沈みかけたところで、葵菜ちゃんの声が私を現実へと引き戻してくれた。
「あ……うん。大丈夫。ほら、早く教室に行こう? 遅刻しちゃうよ」
「え、あ……ちょっと未来ちゃん!?」
葵菜ちゃんの手を引いて校門前で物珍しそうにリムジンやレッドカーペットを眺める他の学生を押しのけるように昇降口へと歩く。
こんなことなら、髪の毛を黒染めにでもしておけば良かったかもしれない。
そんなことを考えつつ、どうかこのリムジンで送り迎えをされている学生と出会いませんようにと祈った。