ここは鶴賀学園の保健室。
入学式当日だというのに、早速一人の生徒がお世話になっていた。
「ついてねぇ……」
不機嫌そうに眉を顰め、藤村 初日(ふじむら はつひ)は零した。
「そんな顔しないの。あなたすごい表情してるわよ」
左手首にシップをテープで固定しながら保険医の女性が注意する。
初日が備え付けられている鏡を覗き込むと、不快感を露わにした自身の顔が映っていた。
やさしそうな印象を他人に抱かせるやわらかな曲線を描いている瞳と眉、ショートボブに揃えられた黒髪もまた丸いフォルムである。
そんなどこか小動物を連想させる様なかわいらしい顔つきのせいで、半泣きになっている様にも見えた。
「はい、終わり。自分の教室の場所はわかる?」
「……大丈夫です。ありがとうございました」
自分の運のなさはいったい、いつから始まったのか。
その答えは――生まれたその日と決まっている。
一月一日。それが彼女の誕生日。その名前は初日の出から取ったものだと両親から聞いた。
これを聞くと、大抵の人は「へえ、縁起のいい日に生まれたんだねぇ」という感想を持つ。
しかし、彼女はその日に生まれるためだけに一生分の運を使い果たしたのではないかと信じていた。
鶴賀学園入学式の当日、藤村家の前にはどこからか大量のカラスが現れ、たむろしていた。
ゴミ収集所が近いという訳でもないのに、一体何の用事があるというのか。不吉である。
初日は玄関先からその光景をどこか達観した様子で眺めていた。
(わかっていたけど、こっちでもあたしはこうなのか……)
靴を買った当日に靴ひもが切れる、週に一回は茶碗が割れる、などというのは日常茶飯事。
茶柱など一度も立った試しがない。
今も昔も藤村初日はとにかくツイてない少女だった。
この体質はどうやら母から受け継いだらしく、母が自身と同じ様な不吉な事態に直面しているのを何度も見てきた。
「初日~! ゆっくりしていると間に合わないわよ~!」
「わかってる! いってきます!」
少しボーっとしていると、玄関先から急げと言う母の声が聞こえた。
初日は駆け足で玄関を潜り、学校へと向かう。
(少し感傷に浸っていただけなのに……。ま、仕方ない)
入学式は父に車で送り届けてもらう予定だった。
しかし、なぜかタイヤがパンクしており、入学式の朝をのんびり過ごすという計画は破綻。
のんびりするどころか、朝食を流し込む様に掻き込むことを強要された上、その後にはランニングと来た。
(ついてねぇ……)
初日は汗だくになりながらも何とか遅刻を免れた。
しかし、入学式に備えピカピカに磨かれた体育館の床で悲劇が起きた。
「のわっ!」
ツーっとまるでスケートリンクの上に立っているが如く、初日の足は滑る。
足を滑らした彼女は思わず床に手をついてしまい、無事? 捻挫を果たす。
結局入学式には参加できず、保健室へ直行となった。
入学式を保健室で過ごすという輝かしい高校デビューを飾った翌日、初日は麻雀部の部室へと足を運んでいた。
(よし! がんばろう!)
高校デビュー、嫌でも気合いが入る。
ドアをノックして、どうぞという返事を聞いて中に入った。
部屋では自動卓を三人の女性が囲んでいた。
一人は薄紫色の髪をした少女。切れ長の瞳が知的な印象を与えた。
もう一人は濃いピンク色の髪の小柄な少女。笑顔の似合う大らかなイメージを持たせるタイプだった。
どちらも部活説明会で見た顔である。
自身と同じく入部希望者と思われるのは黒髪をポニーテールにしている少女。この娘は一緒のクラスの津山睦月、それなり以上に整った顔立ちの隠れ美人である。
「君は入部希望者で良いのかな?」
そう口を開いたのは薄紫色の髪の少女。
その問いにYESと答えると「立ったままでは落ち着かないだろう、空いている席に座ってくれ」と言われ、初日はその指示に従った。
「ワハハ、二人目かー。初日から入部希望者が来るとは嬉しい誤算だなー、ユミちん」
「ああ、あと一人で団体戦にも参加できるな」
(ちょっ、団体戦には五人必要だから……部員はここにいる4人だけかい!)
入部希望者が来たにも関わらず、誤算というのはどういった意味なのだろうか。
無茶苦茶だと初日は思わず突っ込みたくなったが、以前通っていた学校の様に廃部になっているよりはマシかと思い直す。
ゼロより一、一より二、二より三、それよりもさらに条件は良くここは四なのだ。
「あ、奈良産のドジっ娘だ。左手は大丈夫?」
睦月がからかう様な目線で話しかけてきた。
ニヤニヤとしたその笑みは人によっては大層腹立たしく見えるだろうが、睦月がすると不思議と絵になっている。
美人は卑怯だと初日は口をとがらせながらも、大丈夫だよと左手をひらひらとさせた。
「ちょっと痛いくらいで麻雀は問題なく打てるよ。でもドジっ娘は止めて、津山さん」
派手に転倒して入学式をスルーするという荒技を見せた初日はクラスでドジっ娘認定をされていた。
知り合いがいればまたいつもの不幸かとスルーされるのだが、あいにく高校入学と同時に越してきた長野に知り合いはいない。
「津山とは知り合いなのか? なら都合が良い。説明会でも自己紹介したからもう知っているかもしれないが、私は二年の加治木ゆみだ、よろしく頼む。こっちが……」
「同じく二年で部長の蒲原智美だ。ワハハ、よろしくなー」
薄紫色の髪の少女が加治木、小柄で濃いピンク色の髪の少女が蒲原と名乗った。
「一年の藤村初日です。よろしくお願いします」
「なら早速入部届に署名を……と言いたいところだが、なあユミちん」
蒲原は意味ありげに途中で言葉を切って、加治木に流し目を送る。
すると加治木は好戦的な笑みを浮かべ、初日達にこう言った。
「ん、そうだな。せっかく4人揃ったんだ。麻雀部員らしいことをしようじゃないか」
東風戦 アリアリ 喰い替えなし 25000点持ち30000点返し
東家 蒲原智美
南家 津山睦月
西家 加治木ゆみ
北家 藤村初日
東一局0本場 ドラ:{3} 親 蒲原智美
一巡目蒲原手牌
{二三六八③⑥⑦⑧2367白} ツモ{3} 打{白}
(ワハハ、ドラ2枚にタンピン三色まで伸びそうな好配牌。部長としていいとこ見せるぞー)
麻雀部設立から約半年、その間は自身の相棒と二人っきりの時間が多かった。
待ちに待った新入部員。それが二人も来てくれたのだ。
否が応でも蒲原に気合いが入る。
二巡目蒲原手牌
{二三六八③⑥⑦⑧23367} ツモ{赤5} 打{③}
自身の気持ちに牌が応えてくれているのか。
そう思えるくらいにツモも良かった。
三巡目蒲原手牌
{二三六八⑥⑦⑧233赤567} ツモ{四} 打{2}
(最低でもオヤマンはもらったぜい、ワハハ)
嵌{七萬}待ちでタンヤオドラ3聴牌。
出和了りなら40符4翻、ツモ和了りなら5翻でどちらにしても満貫。
8索引きで三色、五萬引きで一四七萬の3面待ちに移行できる良型の牌姿。
(リーチはいらないなー)
あまり良い待ちとは言えないし、リーチをかけなくても打点は十分。
東風戦で親の満貫を和了れば、その後ノー和了でも一位になれる事も少なくない。
しかし七巡目、{赤五萬}を引いた事で蒲原は考えを改めた。
七巡目蒲原手牌
{二三四六八⑥⑦⑧33赤567} ツモ{赤五}
(リーピンドラ4で親ッパネ確定。{四七萬}ならタンヤオが付いて一発かツモで親倍。これを和了って東風戦でまくられることはない! ……たぶん)
三面張、その内二種では倍満もありえる絶好の待ち。
この場面で確実性を取るのが本来の蒲原の麻雀だが、今日ばかりはそのスタイルを崩す。
「リーチ!」
心なしか強めに{八}が河に置かれた。
捨て牌
東家 蒲原智美 {二三四赤五六⑥⑦⑧33赤567}
{白③21⑥南}
{横八}
南家 津山睦月 {■■■■■■■■■■■■■}
{西北九9一二}
西家 加治木ゆみ {■■■■■■■■■■■■■}
{②①發東86}
北家 藤村初日 {■■■■■■■■■■■■■}
{西北東5⑤南}
睦月 {⑥}
加治木 {1}
初日 {2}
(全員現物切り……。親リーに突っ張ってくれるわけないか。なら自分でツモるだけだ!)
山へと手を伸ばす。
高鳴る胸の鼓動が心地よかった。
「一発くるかなー?」
するりと牌の腹へと親指を滑り込ませる。
伝わってくる感触は複雑怪奇な彫り込み。
(ワハハ! マジで来た!)
蒲原は笑みを深めた。
これは萬子で間違いない。
「ツモ! リーヅモ一発平和ドラ4、裏は……なし。8000オール!」
八巡目蒲原手牌 ドラ:{3}
{二三四赤五六⑥⑦⑧33赤567} ツモ{一}
蒲原智美 49000(+24000)
津山睦月 17000(-8000)
加治木ゆみ 17000(-8000)
藤村初日 17000(-8000)
東一局1本場 ドラ:{東} 親 蒲原智美
一巡目初日手牌
{二五八①②⑦⑨59南西白中} ツモ{白} 打{南}
(麻雀牌の感触が懐かしい……)
藤村家は家族全員が麻雀を打てるものの、父が母との同卓を頑なに拒否する。
その為、通っていた麻雀教室が潰れて以降は、ネット麻雀をたしなむ程度だった。
二巡目初日手牌
{二五八①②⑦⑨59西白白中} ツモ{一} 打{西}
(しかし、ついてねぇ……。いきなり32000点差か。こんな理不尽は久々だ……)
不思議な力の作用しないネット麻雀では、東パツにここまで離される事はあまりなかった。
だけど、実際に牌を触り、その空気を吸うこのリアルの対局というのは魅力的だった。
ここまで不利に立たされていても――でも、やっぱりおもしろい。そう感じ、初日は思わず口元が緩めていた。
奈良に住んでいた頃(といっても牌を握っていたのはさらに昔になるが)、しばしばこんな苦境に立たされていた記憶があった。
三巡目初日手牌
{一二五八①②⑦⑨59白白中} ツモ{九} 打{5}
『ツモ! ツモドラ7、8000オールです!』
最初に自身を麻雀教室に誘ってくれたドラ爆女を思い出した。
本当に良い精神訓練になったものだ。
しかし、あの先生はリハビリ代わりにと言っていたが、逆に症状を悪化させたのではないかと勝手に心配した。
四巡目初日手牌
{一二五八九①②⑦⑨9白白中} ツモ{9} 打{五}
『そんなオカルトありえません!』
『確率の偏りです!』
次に、そう言って理不尽に憤慨していた一つ年下の友人の姿を思い出す。
小学六年生とは思えないすばらしい「おもち」をお持ちだったピンクブロンドの少女。
(そういえば長野に引っ越したんだっけ……。案外近くに住んでいたり)
丁度一年前、あっさりとした別れを済ませた。
彼女は親が転勤族らしく、引っ越しは慣れていたらしい。
そして、田舎育ちの初日は友人が遠くに行ってしまうという経験がなく、どうにも現実感が湧かなかった。
五巡目初日手牌
{一二八九①②⑦⑨99白白中} ツモ{三} 打{中}
(でも、あの娘は中三。中学と高校では接点がないからなあ……って余計なことを考えとらんで対局に集中せんと)
六巡目初日手牌
{一二三八九①②⑦⑨99白白} ツモ{七} 打{②}
七巡目初日手牌
{一二三七八九①⑦⑨99白白} ツモ{白}
{①筒}切りで白チャンタ聴牌。
ツモなら満貫、出和了りなら5200。リーチをかければ一発ツモで跳満になる手だ。
(嫌な予感がする……。大抵トントン拍子に手が進むときはどこかに落とし穴がある)
あぶれた牌が他家の当たり牌だったというのは良くあること。
初日はあらためて河を眺める。
捨て牌
東家 蒲原智美 {■■■■■■■} {横②③④} {横546}
{南北⑨④⑨⑤}
{西}
南家 津山睦月 {■■■■■■■■■■■■■}
{⑨9④5④1}
{中}
西家 加治木ゆみ {■■■■■■■■■■■■■}
{北21發89}
{9}
北家 藤村初日 {一二三七八九①⑦⑨99白白白}
{南西五中}
蒲原は2フーロで喰いタン濃厚、睦月は字牌と萬子が河に少なく染め手の気配。
この二人に{①筒}はほぼ間違いなく通るし、{⑧筒}を掴めば出す可能性は高い。
加治木は公九牌と辺張の処理をしている最中に見える。
初日はそう判断した。
(いざ――勝負!)
千点棒を取り出し、{①筒}を曲げて河に置いた。
「リーチ」
しかし、それに待ったの声が加治木から発せられる。
「ロン」
「へ?」
「東混一ドラ3、12000の1本場は12300」
加治木手牌
{①①②③⑥⑦⑧⑧⑧⑧東東東} ロン{①}
({①筒}-{④筒}の両面だけど{④筒}は4枚切れだから、実質{①筒}単騎待ち……)
「この待ちなら蒲原か津山が吐き出してくれると予測していたが……お前から出てくるとは」
初日は項垂れながら加治木に点棒を差し出した。
(ついてねぇ……。そもそも{⑧筒}全部持たれとる……)
蒲原智美 49000
津山睦月 17000
加治木ゆみ 29300(+12300)
藤村初日 4700(-12300)
東2局では睦月が4000オールをツモり、続く1本場では加治木が500・800をツモ。
東3局は加治木が11600を蒲原に直撃させるが、続く1本場で蒲原が5500を加治木から取り返した。
そしてオーラスに突入した。
蒲原智美 38400
津山睦月 28200
加治木ゆみ 33200
藤村初日 200