南四局0本場 ドラ:{四} 親 龍門渕
衣配牌
{二三五六④⑤⑦6788西北} ツモ{四}
(征くぞ……)
衣の配牌はタンピン系の軽い手。
待ち受けは広いし、第一ツモでドラを引いた。
和了れば勝ちの確定する条件としては、かなり良い牌姿と言えるだろう。
勝利へと突き進む為に、不要である字牌は初日の自風牌となる{}北から先に落とした。
(衣は当たり前の事を忘れていた……)
思い出すのは在りし日の母親の言葉。
『長期的自己実現で福楽は得られない。幸せは刹那の中にあり』
(母君……衣は幸せだ)
二巡目衣手牌
{二三四五六④⑤⑦6788西} ツモ{2} 打{西}
(配牌の良し悪しに一喜一憂し)
三巡目衣手牌
{二三四五六④⑤⑦26788} ツモ{③} 打{2}
(有効牌を引いて顔をほころばせ)
四巡目衣手牌
{二三四五六③④⑤⑦6788} ツモ{1} 打{1}
(不要牌を掴んでしかめっ面を浮かべる)
五巡目衣手牌
{二三四五六③④⑤⑦6788} ツモ{①} 打{①}
(和了って破顔一笑する事もあれば)
六巡目衣手牌
{二三四五六③④⑤⑦6788} ツモ{8}
(時には振り込んで慟哭する。……そんな刹那のやりとりに興ずるのが――麻雀)
{⑦}切りで平和ドラ1、{一四七}待ちを聴牌。{四七}ならタンヤオが付き、{四}ならさらにドラが増える。
和了れば勝ちが確定する状況ではダマで構えるべきだろうが、
「リーチ!」
衣は{⑦}を曲げて、千点棒を取り出した。
(仮初めの勝利は必要ない……! 衣はこの手で掴んでみせる――真なる勝利を!)
一見、無益に映るリーチ。
だが、衣にはそうしなければならない理由があった。
六巡目初日手牌
{一九⑨1289東南西北白發} ツモ{七}
(一歩……いや、三歩遅かった)
引いてきた{七}の姿を目にして、初日は眉を寄せた。
今の手牌は国士無双の二聴向。
しかし、当たり牌である七萬を掴まされた以上、国士無双の和了り目はゼロも同然だった。
逆転するには三倍満以上の直撃かツモが必要。リー棒が一本出たとしても焼け石に水、逆転に必要な翻数に変わりはない。
(でも……諦めない。残り十一巡、四暗刻に大三元、小四喜なら聴牌できる可能性がある)
初日は{2}を捨てながら河を眺め、役満成立に必要なだけ牌が残っているか確認した。
都合良く二枚以上切れている字牌は存在しない。
面子の一部を当たり牌で埋められたとしても、四暗刻ならそのまま流用すればいいし、大三元なら八枚分、小四喜なら十枚分残っていれば成立させられる。
(あたしの麻雀を貫いて、そして行くんだ……全国に!)
八巡目衣手牌
{二三四五六③④⑤67888} ツモ{七}
『龍門渕高校天江選手、見事掴みました――っ! 決勝戦に進むのは風越・城山商業・裾花そして龍門渕となった……』
打{七}
『模様です……えっ!? 天江選手、何故か{七}をツモ切りしました……』
――観戦室。
今日何度目になるのか数えるのもバカらしくなる透華の金切り声が、静寂を破った。
「何してますのーっ!」
ツモった当たり牌を衣は平然と河に捨てた。
その光景を目の当たりにした透華は、額に青筋を浮かべ立ち上がった。
「満貫ツモじゃ足んねぇからなぁ……」
「足りる足らないの問題じゃなくて、うちは断然の首位ですのよ!?」
「トータルならな。でも、大将戦だけの収支だと」
「……+46000で鶴賀がトップ」
得点推移を良く見てみろよと、純は顎で促し、智紀がフォローを入れた。
「そっか、衣は+27600で二位なんだ」
一は衣の真意に気が付きなるほどねと頷いた。
その差は18400点。
ドラ:{四}
{二三四五六③④⑤67888} ツモ{七}
この牌姿だと、タンヤオ、平和、ドラ1にリーチ、ツモが付いて親の満貫。
それでは12000-(-4000)=16000。2400点届かない。
衣が初日を逆転するには9600以上の直撃か、跳満以上のツモ和了りが必要である。
{}七なら一発ツモが必須条件だったのだ。
「がんばれ……衣。お前は今、まさに麻雀を打っているんだ」
画面に映る衣を、力強く暖かい視線で眺める純の姿は、さながら父親の様であった。
――観戦室の最前列。
「ワハハ、どうやら敵さんは完全な形での決着をお望みの様だなー」
「試合よりも勝負を取ったか。その気高さには敬意を表するよ。私ならツモの宣言をしていただろう」
敵ながらあっぱれだと、蒲原と加治木は目を細め、賞賛の声をあげた。
「これでフリテンだから……」
「うむ。おかげで初日が、引かされた当たり牌を捨てられる……!」
一年生コンビは現金なもので、逆転のチャンスが生まれたことを純粋に喜んでいた。
佳織は目をキラキラと輝かせ、睦月は拳を握り締めた。
八巡目初日手牌
{一一七九⑨19東南西北白發} ツモ{中}
(どうして和了り放棄したのかはともかく、追いついた……っ!)
初日は高ぶる心を静める為、目を閉じて深く深呼吸をした。
六巡目にツモった{七}、七巡目にツモった{一}、それぞれの情報から考察するに、衣の待ちは{一四七}の三面張だと初日は考えた。
捨て牌
龍門渕
{北西21①横⑦}
{八七}
岡山第一
{四七二一南①}
{中⑦}
篠ノ井西
{一②七⑧四⑥}
{①發}
鶴賀学園
{五623⑧2}
{8}
その内、{一}は初日の元に二枚、他家の河に二枚、{七}は初日の元に一枚、他家の河に一枚ずつと全て目に見えている。
残る{四}はドラ――初日には掴むことができない幸運の塊。
そこまで順序立てて考えれば、初日にもだんだん相手の意図する所が分かってきた。
(……誘っとるんかな?)
どうやら相手はこちらの性質を看破して、手袋を投げつけてきた様だ。
初日はドラを引けない――だからこそ、ドラ待ちで聴牌すれば、初日に当たり牌を全て握られる事はない。
(めくり合い……か)
{一四七}の三面張ということは、{二三四五六}の面子が存在しているはずだ。
{四}が二枚河にある以上、山に最大で一枚しか残っていない。フリテンの衣は、他家に握られていればその時点でジ・エンドだ。
対する自身の{①}も同じく残るは一枚だけ。これだけ国士無双を匂わせる捨て牌をしていれば、出さない可能性も高い。
それでも有利なのは初日だ。初日は自身がツモる他にも、衣がツモった時にも和了れる。
しかし、衣は自身でツモれなければ和了れないのだ。
(この娘……アホなのかな?)
そう考えながらも、初日の胸の奥からは、マグマのように赤く熱く煮えたぎった闘争心がふつふつと溢れ出ている。
(でも……あたしもアホなんだよね)
初日は獰猛に口元を歪める。
こちらが有利なのに関わらず、背を向けて逃げるという選択肢をとるのは卑怯者の様な気がしたのだ。
(その決闘――受けて立つ!)
そして、
「リーチ!」
河に力強く{七}を捨てた。
――観戦室の最前列。
「何をやってるんだあいつは……」
加治木は思わず手で顔を覆い天を仰いだ。
「青春って感じがしていいじゃないか。負けたらカッコワルイけどなー」
まあその時は、部室の掃除当番一カ月ってところが適当か、と蒲原はいつもの様にワハハと笑った。
「二人とも山に残るのは後一枚……」
大丈夫かなあと不安げに漏らす睦月に、佳織は自信満々に答える。
「大丈夫だよ! 最高についてねぇ初日ちゃんだもん!」
九巡目
衣 ツモ切り{②}
初日 ツモ切り{九}
もう誰も止める事が出来ないめくり合い。
十巡目
衣 ツモ切り{⑥}
初日 ツモ切り{⑨}
常識的に考えれば、フリテンで出和了りの封じられた衣が圧倒的に不利。
十一巡目
衣 ツモ切り{3}
初日 ツモ切り{東}
しかし、衣が抱いた感情は絶望ではなく、歓喜だった。
十二巡目
衣 ツモ切り{1}
初日 ツモ切り{南}
(もっと)
十三巡目
衣 ツモ切り{五}
初日 ツモ切り{西}
(もっと……)
十四巡目
衣 ツモ切り{5}
初日 ツモ切り{北}
(もっと……!)
十五巡目
衣 ツモ切り{⑥}
初日 ツモ切り{⑨}
(――麻雀を打ちたい!)
止むことのない渇望が、アドレナリンを分泌させ、衣の体を突き動かす。
十六巡目
衣 ツモ切り{4}
初日 ツモ切り{白}
叶うことならば、このままいつまでも続けていたいくらいだった。
だが、麻雀というゲームに引き分けはない。
必ず勝者と敗者で分けられる、残酷で非情な遊戯なのだ。
十七巡目
衣 ツモ切り{西}
初日 ツモ切り{中}
――そして迎えた十八巡目、衣の最後のツモ。
(海底は{四萬}でも{①}でもない……つまりこれがどちらかの――当たり牌)
自然と心臓の鼓動が早まる。
緊張からか、歓喜からか、はたまた恐怖からか、正真正銘最後の一牌を目前に、様々な思考が入り乱れ、不思議と手が震える。
――もうここで終わりなのか。
呼吸を落ち着け一拍置くと、衣は山へと手を伸ばし、しっかりと牌を掴んだ。
(全て王牌に入っている可能性もあるが……何故だろう、この局で全てが決すと思ったのだ)
ゆっくりを牌を手牌の上に置いて、その柄を確認すると
(そうか、そうきたか)
――静かに手牌を閉じた。
そして、衣は河に牌を置く。
(これもまた、麻雀)
その瞬間、上家から気持ちの良い透き通る様な声の和了宣言が流れた。
「ロンッ! 国士無双、32000!」
初日手牌
{一一九⑨19東南西北白發中} ロン{①}
(――衣の負けだ)
終局時
一位190600 鶴賀学園(+33000)
二位159900 龍門渕(-33000)
三位31600 篠ノ井西
四位17900 岡山第一
終局後、あいさつも早々に篠ノ井西と岡山第一の選手はその場を去った。
そして二人残された初日と衣。
先に口を開いたのは初日だった。
「何であの時、{七萬}で和了らずに勝負してきたの?」
その疑問に、何だ気が付いていなかったのかと、きょとんとしながら衣が答えた。
「確かに、然すれば龍門渕高校としては勝ちだっただろう。……だが、一人の打ち手、天江衣としては負けだった。お前が+46000で衣は+27600、跳満ツモが必要だったのだ」
だから、あれは和了らなかったのではない。和了れなかったのだ。そう続けて衣は初日の目を、まんまるなサファイアの様に蒼い瞳で真っ直ぐに見つめた。
そして、さらに言葉を続ける。
「また、衣と麻雀を打ってくれないか?」
「もちろん!」
初日の快諾に、衣はパアっと表情を明るくさせた。蛍光灯の光を反射して煌めく金の髪はあまりにも幻想的で、ファンタジー世界から抜け出して来た妖精の様だった。
そして、少し逡巡しながらも絞り出す様に、恐る恐る言葉を投げ掛ける。
「じゃあ……衣と友達になってくれないか?」
「大歓迎だよ!」
月がいくら美しい造形をしていようと、恒星の存在がなければ人はその目で捉える事はできない。
月の少女――天江衣。
彼女にも照らしてくれる誰か――友達という名の恒星が必要だった。
しかし、その心配はない。
そもそも彼女の周りには、光り輝く恒星がいっぱいあったのだから。
対局室の入り口には龍門渕高校の麻雀部員達(光り輝く恒星)が集結していた。
「何か入り辛ぇな……なぁ透華」
お~い、オレも混ぜてくれよ~、とか言いながら突入しようとしたものの、不思議な暖かい空気の流れる空間を目に、足がすくんでしまった。純は居心地悪そうに頬をかく。
そして後へと振り向くと、ハンカチを目にあてがい、ぷるぷると体を震わせている透華の姿があった。
「衣が……衣が自分から友達を……」
「うぅ……透華が泣くからボクにまで涙が出てきたじゃないか……」
その隣で一まで目をこすっていた。
「……よかった」
一番後に控えている智紀は優しそうな微笑みを浮かべ、その様子を見守っていた。
さらにその後に控えていた鶴賀学園の麻雀部員達は、突入するタイミングを逃して棒立ちになっていた。
「何かアレ……ここで初日ちゃんの元に行って喜ぶのは鬼畜ってレベルじゃないよね……」
ぽろっと佳織の口から零れた台詞が全てを表していた。
天江衣を取り巻く事情を知らない彼女達には、悔し泣きしている他校の生徒が入り口にたむろしている様にしか見えなかったのだ。
「観戦室に戻るか……」
いつもの様にワハハと笑うことなく、蒲原が呟いた。