インターハイ県予選が間近に迫る、五月下旬のある日。
「これよりインターハイ県予選に向けミーティングを開始する」
加治木はホワイトボードの前に立ち、上部にデカデカと目指せ優勝と書き込んだ。
一方、他四人は長机に横に並んで座っている。
蒲原と睦月はついにきたかと緊張した面持ちで固まっていた。
ここに居るメンバー以外と打ったことがない佳織は緊張半分楽しみ半分という様子。
自分が負けるとは毛頭思っていない初日はわくわくしていた。
「まずは机の上に置いてある大会ルールに目を通してくれ」
加治木のその声で全員が手元のプリントの束を覗き込む。
「まずは一枚目を。団体戦は100000点を全員で持ち回す。一、二回戦は半荘一戦ずつ、決勝戦は半荘二戦ずつを行うことになる。個人戦は25000点持ち30000点返しで東風戦を二十戦。その上位六十四名が決勝進出。決勝では半荘を十戦。その上位三名が全国大会出場となる。まあこれが大まかな流れだ」
「100000点を持ち回し……つまり、最終的に点棒が最も多いところが勝ちになるのでしょうか?」
佳織の率直な疑問に加治木が答える。
「そうだ。他の競技では三勝二敗なら勝ちとなるだろうが、麻雀ではそうとも限らない。むしろその二敗の部分で大きく点を失っていたら最下位すらあり得る。逆に一勝四敗でもその一勝で点を稼いでいれば勝つことができる」
「これぞ本当の総力戦という感じだなー」
「うぅ……ちょっと緊張してきた」
自身の一敗がチームに致命傷を与えるかもしれない。
そう思うと胃がキリキリと痛む。
佳織は青い顔をしてお腹をさすった。
「飛ばなければ他の四人でカバーできる。気にしすぎることはない」
佳織の入部から既に一月の時が流れた。
部員達の熱心な指導により、同じ卓を囲んで打っている分にはとても初心者だとはわからない程度までレベルアップさせることに成功した。
打ち筋にはまだまだ荒さが残るが、それは牌譜を見なければ解らない程度。
「大体理解して貰えただろうか。二枚目以降は細かいルールの説明になっている」
一同納得し、プリントをめくる。
「大三元大四喜四槓子のパオあり。役満の複合なし。ダブロンは頭ハネ。トリロン、四人リーチは流局、親の連荘とする……」
つらつらと気になる部分を読み上げていく睦月。
その傍らで初日と蒲原は安堵の息を吐いた。
「赤ドラなし、国士無双の暗槓和了りはあり。……助かりました。あたし向きのルールです」
「ワハハ、赤ありで初日とやると相手の打点がおかしいことになるからなー」
初日は自身の性質上ドラをツモることができない。
赤ありならドラは都合八枚。
つまり、対局者に和了時二~三翻のアドバンテージを与えるのと同じである。
それに槓ドラが加われば、途方もない数のドラを他家に集中させてしまうことになってしまう。
「ああ、初日の幺九牌ばかり引くという特性は安牌を抱えやすく、本来は守備にも向いているはずだ。しかし、ドラを引けないという制約がある為、赤ドラがあるといまいち目立たなかったが……」
この条件なら思う存分その力が振るえるだろう。
そう加治木は締めくくった。
「大体理解して貰ったところで団体戦の布陣を発表する」
加治木は背を向けホワイトボードに名前を書き込んでいく。
先鋒 蒲原智美 三
次鋒 妹尾佳織 五
中堅 加治木ゆみ 二
副将 津山睦月 四
大将 藤村初日 一
「名前の横の数字は部内の対戦成績の順位だ。さて、色々異論はありそうだが……。反論は私の説明を聞いた後にしてくれ」
蒲原は苦笑いを隠し切れない様子、意味することがよく分かっていない佳織はとりあえず愛想笑いを浮かべている。
睦月は困惑を顔全体で表しており、初日は当然でしょと胸を張っていた。
「まず先鋒の蒲原だが、この中で一番麻雀歴が長く、経験に基づく押し引き判断の巧さは部内一だ。最強者の初日は特殊だし、私は蒲原と比較して勝率も高いがラス率も高い。安定感がある蒲原がこのメンバーの中で一番先鋒向きだろう。各校のエースクラスが相手となるが、お前なら安心して任せられる」
「ワハハ、ユミちん照れるなー」
加治木の言葉に蒲原は頭をかいた。
「次鋒はエースの後となるだけに守備能力に秀でた比較的堅実な打ち手が置かれることが多いポジションだ。だからこそ五位の佳織はここ据えるのが最善のはずだ。それなりのレベルに仕上げたつもりだが、まだまだ単純なミスもある。しかし、守備型の打ち手が相手なら大量失点の可能性は低くなるだろう」
「うぅ……ごめんなさい」
自分が情けなく感じられた佳織は消え入りそうな声で答えた。
「気にすることはない。そもそも佳織が居なければ団体戦に出られていないんだ。私はお前が入部してくれたということ、ただそれだけでも幸せだ」
「うぇっ!?」
加治木の言葉に佳織は顔をリンゴの様に染め上げてうつむく。
かわいいやつめと加治木は口元をほころばした。
「そもそも団体戦の条件なら、大量失点さえしなければ
「全校まくりきって見せます!」
初日は立ち上がって誇らしげに答えた。
「ビハインドでのスタートをだけ前提にするなよ。大量リードからの逃げ切りを任すこともある」
全く失礼なヤツだと口では言いつつも、その心行きや良しと加治木は満足げに頷く。
「中堅に戻るが、私をここに置いたのは不測の事態が生じた場合を考慮したからだ。先鋒が別格の相手だったり、次鋒に攻撃型の選手が配置されていたりで大量失点をするとかなりの重圧がのしかかる事になる。そんなポジションに後輩を置くというのは忍びないからな」
遠回しにだが睦月に中堅は務まらないという内容を少し気まずそうに加治木は話す。
「ありがとうございます。私は……私なりの精一杯で初日に繋いで見せます」
自分には蒲原の様な経験や、加治木の様な読みの鋭さ、まして初日の様な特異性はない。
だが、それでもできることをするだけだと睦月は固く誓う。
「ワハハ、みんな頼もしいな。ユミちん、戦いに向けて音頭を取って気合いを入れるかー」
「あ、今の台詞すごく部長らしかったよ智美ちゃん」
「そ、そうかー照れるな……」
それ普段は部長らしくないって言ってる様な物だよねと他三人は思ったが当人達が気にしてない様なので黙っていた。
「んんっ、そこの二人そろそろ良いか?」
「ワハハ、すまんすまん。頼んだユミちん」
「今年のインハイ――全部勝つ!」
「オーッ!」
加治木のその声に一同は右手を挙げ答えた。
――行くぞ、全国まで。
インターハイ県予選の前日。
一年生トリオの姿が藤村家に揃っていた。
(おっきい初日だ……)
(大きくなった初日さんです……)
睦月と佳織の目の前で変化自在のヘラ捌きでお好み焼きを焼いている女性を見て、二人は心を一つにした。
成人女性としては若干低い方に分類されるである身長、そしてどこか小動物を連想させる様なかわいらしい顔つき。
自身達の対面に座る少女と見比べても、髪型こそ大きい方がセミロング、小さい方がショートボブという違いがあるが、くりくりとしたかわいらしい目といい、身長にそぐわない胸部装甲の厚さといいそっくりだった。
「あら、どうしたの? もしかしてお好み焼きはそんなに好きじゃなかった?」
あまりにもじっと眺めていた為か、大きい方が手を止めてこちらに目をやって話しかけてきた。
「あ、いえ! こんな本格的な作り方をするとは思ってなかったので、ビックリして……。お店みたいですね」
「す、すみません……」
「うふふ、そんなに期待されたら照れちゃうわ睦月ちゃん。佳織ちゃんも今日は自分の家だと思ってもっとリラックスしてね」
まさか、「あなたの顔を観察していました」とは言えないのでとっさに言い訳をするが、言われた本人はうれしかったらしく顔を大きくほころばした。
しかしそれにしても、
(初日に似てるなあ……)
(初日さんに似てます……)
――同日の鶴賀学園麻雀部の部室内。
「さて、いよいよ明日からインターハイ予選が始まる。現状で出来る限りのことをやったつもりだが、私達には後一つ何が何でもやらなければならないことが残っている」
真剣な表情でやり残したことがあると語る加治木。
一同はツバを飲み込む。
「それは……初日をどうやって会場に送り届けるかだ」
「へ? あたし!?」
自分を指さして驚愕の表情を浮かべる初日を尻目に加治木はさらに続ける。
「こいつの持っているドジっ娘属性と運のなさを鑑みると……一人で向かわせて無事にたどり着けるとは毛の先ほども思えん。道中でバナナの皮に滑って転び、骨折しました。などというギャグ漫画みたいな話があってもおどろけない」
そう言って大げさに頭を抱える加治木に初日以外の三人はうんうんと同調した。
「さ、さすがにそこまでついてねぇことはないと思います!」
初日は必死に否定するが、
「うむ。転んで入学式を欠席したドジっ娘のエリートはどこの誰だったかなぁ」
「ワハハ、今から五回ジャンケンをして初日が勝ち越したら考えてやるぞー」
「ご、ごめんなさい」
という三人の意見に押し黙った。
睦月と蒲原はニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべ、佳織は心底悪そうに謝った。
加治木はコホンと咳払いをして仕切り直す。
「そこでだ……睦月と佳織に頼みがある。当日、こいつと一緒に会場に向かって欲しい。私達は先に向かってオーダーの登録を初めにすることがたくさんあるからな」
そこから先の話は早かった。
場所の確認の為に三人で初日の家に向かうと、偶然にも買い物に出かけようとした藤村母と遭遇。
事情を説明するや否や、「なら家に泊まっていけばいいじゃない」という初日の母の案が三対一の多数決で採用され(もちろん反対票の一は初日)、睦月と佳織は一時帰宅。
そして、着替えと荷物を持参して再登場となった。
夕食を終え、入浴を済ますと三人は初日の部屋へと移動していた。
まだ眠るには早すぎる時間帯。
睦月と佳織は他人の家で行う暇つぶしランキング、第一位アルバムあさりを開始していた。
「初日さん、これいつ頃の写真ですか?」
佳織が取り出してきた写真には初日を挟む様に左右に二人ずつ、合計五人の少女が並んでいた。
「ん? ああ、それは中学入学直後かな」
「あっ、私にも見せて。麻雀クラブにて……ってことはここが初日が言ってた初心者の心を全力でへし折りにかかる麻雀教室?」
「大当たり。加害者は……この娘。『ツモ。ツモドラ7、4000・8000です』って具合に」
そう言って左端の黒髪ロングの少女を指さす。
「へー、どちらかというと優しそうな印象を受けるんだけど……。人は見かけによらないというやつか」
実際、優しく頼りになる面倒見の良い娘である。
だが、ドラ爆被害に遭った初日は睦月の勘違いを訂正せず、受け流した。
「主な被害者が……この娘」
今度は右端のポニーテールの少女に初日の人差し指が伸びていた。
「すごい格好……。この娘、ジャージの上しか着てない様に見えます」
「……露出狂?」
「世の中には……知らない方が幸せなこともあるって」
初日は放心状態の二人の肩に手を置いてこれ以上追求しない方が良いと諭した。
「このお姫様みたいな娘は?」
佳織は初日の右隣に写っているフリフリの服を着たピンクブロンドの少女が気になる様だ。
「『確率の偏りです!』とか言いながら良く直撃を貰ってた……。でも、この中で一番麻雀は上手だったと思う。確かあたしより一足早く長野に引っ越したよ。案外近所に住んでるかも」
「な!? マズイじゃないか、麻雀を続けているとしたら敵として出てくる可能性がある」
この中で一番上手だったという部分に反応して睦月は険しい顔になる。
「大丈夫、この娘一つ年下だから……今は中三のはず」
「え!? ってことはこの写真の彼女は小学六年生? 智美ちゃんがかわいそうだよ……」
大きく盛り上がっている少女の上半身の一部を凝視し、ありえないという顔をして佳織が呟いた。
「そんなおっぱいありえません……」
「それ……部長に直接言ったら絶交されるレベルだと思う……」
ナチュラルに黒い発言をする佳織に睦月は顔を引きつらせた。
その後、左隣のツインテールの少女に話が移っていたところで、コンコンと部屋のドアがノックされる。
「ねえ、県予選の前に腕試し、やってみない?」
そこには麻雀マット持った初日の母がいた。
「え、あたしは良いけど……」
思えば母と卓を囲むのはこれが初めてになるのか。
藤村家は家族全員が麻雀を打てるものの、父が母との同卓を異常なまでに忌避する。その為、麻雀を教えて貰ったことこそあれど、勝負したことはなかった。
そう思い返しつつ、初日は二人はどうなの? と睦月と佳織に流し目を送る。
「うむ。よろしくお願いしたい」
「よ、よろしくお願いします」
鶴賀学園は大会にすら出場したことのない弱小校ということもあり、練習試合の類が全く組めなかった。
貴重な部員以外との対戦、睦月と佳織は一も二もなく了承した。