【前回のあらすじ】
撮影初日の朝。
2年F組の教室に現れた黒髪の少女。
こんな時期に転入生?
果たして、その黒髪の少女の正―『やっはろー!』
・・・。
そんなこんなで、撮影初日もなんとか終わり・・・。
今日も一日が終わろうとしていた。
俳優などと言う、ぼっちにとっては拷問ともいえる仕事をさせられ、その上荷物運びまでさせられたのだ。
身も心もすっかり疲れ切っているのは当然であろう。
そんな心身共に疲れ切った体を、浴槽一杯に貯められた適温のお湯に沈めたら・・・
「ふぃ~」
という声が出てしまうのは、至極当然のことであり、いわば自然の摂理であると言えよう。
このまま、お湯と一体化しても良いかもしれない。
目指せ!シンクロ率400%オーバー!
なんて、しょうもないことを妄想していると・・・。
「お兄ちゃん!結衣さんから電話!携帯鳴りっぱなしだよ!」
という、小町の声で現実に引き戻されてしまった。
後ろ髪を引かれる思いで風呂場を出て、簡単に体を拭いてから携帯を手に取る。
「もしもし?」
『あ、やっと出た。こんばんわ、塚原です。』
電話の相手は、由比ヶ浜では無く塚原さんだった。
「塚原さん?えっと、どうしたのですか?」
『明日の事で連絡したかったんだけど、比企谷君の連絡先知らなかったから結衣ちゃんに電話借りたの。』
それで小町の奴、由比ヶ浜からの電話だと勘違いしたのか。
「そうですか。で、明日の事ってなんですか?」
『明日の朝に、登校シーンの撮影があるから7時くらいに学校に来て欲しいんだ。』
「7時に学校ですね。わかりました。」
『それと、カメラとかは私が持って行くから、それ以外の荷物を結衣ちゃんの家から運んでもらえないかと思って。』
「じゃあ、由比ヶ浜の家に寄ってから学校へ向かうようにします。それでいいですか?」
『ごめんね。そうしてもらえると、とても助かるよ。』
「では、6時半くらいに着くように向かいますので、由比ヶ浜に伝えてもらえますか?」
『OK。結衣ちゃんに伝えておくよ。それじゃあ、おやすみ。』
「お、おやすみ・・・です。」
なんか、変な締め方で通話が終わってしまった。
でも、しょうがないじゃん!女子(小町を除く)と夜に会話することなんて無かったんだから!
・・・。
さぁ、明日は早起きしないといけないし、早めに寝るか。
× × ×
火曜日
今日は何と朝の5時半に起床である。
千葉県の2月中旬の日の出時刻はおよそ6時半。
当然、目覚めたときは窓の外は依然として暗いままであった・・・。
ああ、気が滅入る。もう一回寝ようかなぁ。
6時に家を出て、車も人も疎らな道を高ケイデンスを維持して疾走する。
気分は小野田坂道君である。そう言えば、彼も最初はぼっちだったっけ・・・。
そんなこんなで、約束の時間よりも10分早く由比ヶ浜の家の前に到着してしまったのである。
「朝も早いし、呼び鈴鳴らすのも失礼だよなぁ。」
どうせ10分待てば、塚原さんと由比ヶ浜が出てくるはずである。
それまでここで待っておこうかと思ったとき、前から聞き覚えのある犬の鳴き声がしてきた。
鳴き声がした方を見てみると、一匹のミニチュアダックスフントが飼い主らしき女の子を引っ張りながらこちらに向かってくるのが見えた。
「サ、サブレ!待って!いきなり走り出してどうしたの!?」
飼い主らしき女の子の鳴き声・・・もとい、声も併せて聞こえてきた。
「ああ、由比ヶ浜。おは――ムグッ!」
挨拶をしようとした俺の口は、熱烈なディープキスによって塞がれてしまった・・・まぁ、相手はサブレなんだが。
「ヒッ、ヒッキー!?ど、どうしてここに?」
「今日は7時から撮影があるからって塚原さんに言われたんだよ。で、荷物を取りに来たわけ。」
執拗に顔をなめ回すサブレをどうにか引きはがし、由比ヶ浜に手渡しながら言葉を続けた。
「そっか、それでえーりんは先に行っちゃったのか・・・。」
「えっ?塚原さん、もう学校に?」
「うん、あたしはサブレの散歩が終わってから学校に行くつもりだったから・・・あっ!ヒッキー、ごめん!」
「いきなり、どうした?」
「いやぁ、ヒッキーの制服にサブレの毛が・・・。」
由比ヶ浜に指摘されて自分の身体を見てみると、さっきまでサブレが抱きついていた制服のコートには犬の毛がいたるところに付着していた。
「ちょっと待ってて!コロコロ取ってくるから!」
そう言って家の中に戻った由比ヶ浜は、すぐに粘着テープ式のクリーナを手にして玄関から飛び出してきた。
良かった、コロコロと言うから分厚い少年漫画雑誌を持ってくるのかと思ったよ・・・。
あと、『コロコロ』はニトムズ社の商品名だそうだ。これ豆な。
「ああ、サンキュー。」
由比ヶ浜が手にしているクリーナーに手を伸ばす。
だが・・・
「ヒッキー、じっとしてて。」
由比ヶ浜はそう言って、俺の方に近づくと手にしたクリーナーを胸の辺りで転がし始める。
ただ、それにしては由比ヶ浜の距離がとても近く、ふと漂った香りに昨日の雪ノ下にネクタイを直してもらったシーンがフラッシュバックする。
「あ、あとは俺がするから・・・。」
「ヒッキー、動いちゃダメだって言ったでしょ!」
そう言いながら膨れっ面で顔を上げた由比ヶ浜と目が合ってしまう。それも至近距離で。
目のやり場に困り必死になって視線を動かしていると、開かれた玄関ドアから興味深そうにこちらを見ていた女性と目が合った。
その女性は、後ろにまとめたお団子髪を揺らして朗らかに微笑み、数年後の由比ヶ浜の姿を思わせるような雰囲気を持っていた。
「なぁ、由比ヶ浜。お前、お姉さんいたのか?」
「へ?あたし、一人っ子だよ・・・って、ママ!?」
俺の声で振り返った由比ヶ浜が驚きの声を上げる。
「まぁ、ヒッキーくんったら、お姉さんだなんてお上手なのね~。」
一方の由比ヶ浜のママは・・・ママなの!?てっきり姉かと・・・ゲフンゲフン
一方の由比ヶ浜の母親は、楽しげに笑いながら言葉を続ける。ってか、由比ヶ浜家では俺の呼び方は「ヒッキー」で統一されているのかよ・・・。
「結衣、早くしないと約束の時間に遅れるわよ。」
「あ、そうだった!ヒ、ヒッキーちょっと待っててね!」
由比ヶ浜は玄関に駆け込み、
「ママ、ヒッキーくんに結衣のお姉さんだって間違われちゃった~。」
「そーゆーのいいからっ!」
と、喜んでいる由比ヶ浜マ(言いにくいなぁ)の背中を押して家の中に押し込むと玄関のドアを閉じてしまった。
由比ヶ浜宅の玄関先で呆然と立ち尽くす俺を、寒風が吹き抜ける。
火照った顔も一気に冷え、寒さに震える俺であった。
「うぅ、寒ぃ・・・。」
由比ヶ浜宅の玄関前で待つこと15分。
そろそろ出発しないと約束の7時に間に合わなくなってくるが、由比ヶ浜が出てくる気配は一向に無かった。
催促すべきかどうか迷っていると、玄関のドアが開き由比ヶ浜の母親が手招きしているのが見えた。
どうやら、家に入って待って欲しいということなのだろうか。
ここは、お言葉に甘えさせていただくとしよう・・・。
× × ×
「はい。ヒッキーくん、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
玄関の上がり框に腰掛けていると、由比ヶ浜の母親が暖かいお茶が入った湯飲みを手渡してくれた。
「寒いところで待たせちゃってごめんなさいね。」
由比ヶ浜の母親が申し訳なさそうに言うと、家の奥から駆け寄ってきたサブレを捕まえて抱きかかえた。
「そういえば、ヒッキーくんはこの子の命の恩人でもあるのよねぇ。」
「い、いえ。それは偶々というか、その偶然というか・・・そういうものですから。」
全くその通りである。
もし、入学式の日に家を早く出なかったら・・・。
俺の、サブレの、由比ヶ浜家の、そして由比ヶ浜の、雪ノ下の・・・多くの人達の人生は大きく変わっていたのかもしれない。
少なくとも、同級生の女子の家の玄関でお茶を啜っていることなんて、まずあり得なかっただろう。
「・・・それで、結衣ったら2年生でヒッキーくんと同じクラスになったって大喜びして、それからは毎日ヒッキーくんの事ばかり――」
俺が物思いに耽っていた間も、由比ヶ浜の母親は話を続けていたらしい。
それにしても、同級生の母親から自分の事を聞かされるというのは、とても恥ずかしいことなんだなぁ・・・。
そんなことを考えていたら、ドタドタという足音と共に由比ヶ浜が駆け寄ってきた。
「マ、ママっ!余計なことは言わなくていいからっ!」
そう言って由比ヶ浜は手に持っていた荷物を俺に手渡すと、
「ほらっ!えーりんも待ってるし!早く行くよ!ヒッキー!」
俺の背中をぐいっと押して、家の外へ押し出す。
「ヒッキーくん、次は結衣のアルバム用意しているから、いつでも遊びに――」
由比ヶ浜の母親が何かを言っていたようだが、その途中で由比ヶ浜が玄関のドアを閉めてしまったので、最後まで聞くことは出来なかった。
「ヒッキー早く!」
由比ヶ浜は俺の自転車に駆け寄り、自転車の荷台に座る。
ってか、そこにお前が座ったら、俺が両手で持っている荷物はどこに置けばいいんだよ。
「そもそも、自転車の二人乗りは法律違反――」
「小町ちゃんは何度か乗せているくせに。ほら、もう6時50分だよ!」
由比ヶ浜に急かされて時計を見ると・・・まずい、押して歩いていたら間に合わない時間になってる。
こうなったら仕方が無い。前カゴに荷物を突っ込むと自転車に乗りペダルを力強くこぎ出す。
「う、うわわっ!」
急な加速に驚いた由比ヶ浜が慌てて俺の腰にしがみついた。
その結果、背中に圧迫感が・・・。うん、今が冬で良かった。ブレザーと厚めのコートがあるおかげで由比ヶ浜の温かみを感じることは無い。
これが夏だったら、ワイシャツ1枚隔てて・・・いや、今は考えないでおこう。無心になれ・・・無心に・・・。
むくむくと湧き上がる煩悩に抗うように無心にペダルをこぎ続け、7時ちょっと前に学校の校門の近くまで到着した。
いつもなら、このまま通用門まで自転車で乗り込むのだが、俺はその手前で自転車を止める。
「ヒッキー、こんな所に止めてどうしたの?」
「いや、他の連中に見られたらマズいだろ。」
「なんで?」
なんでって、俺と二人乗りして登校しているところを見られたらどうなるか・・・そのくらい察しろよ。
「その、なんだ。誤解されて変な噂流されたら嫌だろ?」
一瞬某ゲームのヒロインの名台詞から『一緒に登校して、友達に噂されると恥ずかしいし』が思い浮かんだが、以前一色相手に使ってスルーされた事を思い出し、あえて普通の言い方にしておいた。
「誤解とか、変な噂とか・・・そんなこと無いのに。」
この台詞も良くなかったのだろうか。由比ヶ浜は不機嫌な表情でぶつぶつと文句は言っていたが、それでも不承不承の態で自転車から降りると、
「ヒッキーのバーカ!ケチ!ベーだ!」
ひとしきり悪態をついた後、正門の方に駆け出していった。
って、自転車に乗せてやったのに、あまりにも理不尽じゃないですか?
モゴモゴと口の中で恨み言を呟きながら、俺は自転車置き場へと急いだ。