運命とは、はじめから定まっているものだろうか。
それはわからない。だが、「何の因果でこんな目に遭うんだ」といったことは、往々にして起こりうるものだ。
それでも、因果が渦巻く、不条理な世界で生きていくしかない。
たぶんそれを、
序章 理(ことわり)/一章 魔法社会へのいざない 一学年九月
一章 魔法社会へのいざない 一学年九月
ガタンゴトン、ガタンゴトンという音が響く汽車の車両のコンパートメントのひとつで、小柄で青い眼、長い赤毛をポニーテールにしたレベッカ・バーンズは所在なげに座っていた。
これから入学する学校――ホグワーツ魔法魔術学校への、不安と戸惑いからだった。
†
父とふたりで住んでいるアパートにホグワーツの職員がやってきて、レベッカが魔女だと告げ、入学許可証を持ってきたのは、十一歳の誕生日を迎えてしばらく経った時だった。
魔法など御伽噺の世界のものだと思っていた親子にとって、職員の言うことは信じ難かった。だが一方で、これまでの親子の知識では説明のつかない現象が起こっていたのは確かだった――それもレベッカの周りで。
小学校でいじめっ子たちに追いかけられていた時、ふと後ろから何かが落ちる音がして振り返ると、いじめっ子のひとりが頭を押さえており、その近くにはロッカーの上に置かれていたはずのバケツが転がっていた。また、同級生と口論になっていた時、不意に、ドーンという音が響き、その音の方を見ると、立っていたはずのロッカーが前のめりに倒れていた。――もちろんどれも、レベッカが意図してやったことではない。強いて言うならば、追いかけられていた時はどうやったら振り切れるかと必死に考え、口論をしていた時は感情が少し
そうした不思議な出来事の数々を話すと、職員は、それはレベッカの中にある魔力――魔法を行使する力だと、それが制御できない、あるいはレベッカ自身が無意識にそれを使ったために、そのような現象が起こったのだろうと言った。自分たちの学校では、そうした力を制御し、自分の意思で行使するための勉強をするのだと説明し、レベッカにはその資格があるということだった。――そうしてレベッカは今、ホグワーツへ向かう汽車の中にいるのである。
†
「そこ座ってもいい? 他はどこも空いてなくて」
回想に耽っていたレベッカの思考は、突如耳に飛び込んできた声によって、現実へと引き戻される。
声の方を見ると、いつの間にかコンパートメントのドアが開いていた。ホグワーツの制服の黒いローブを着た少女が立っている。
――わぁ……綺麗な子。
この車両にいるということは一年生だろうか。それにしては同年代の女子よりもかなり背が高い。両顎にかかる程度のさらさらしたショートカットの黒髪に、長い
「駄目?」
少女がそう言うと、レベッカはようやく、はっとする。
「あ、ううん! 駄目じゃないよ。……どうぞ」
レベッカが慌てて言う。少女は「ありがとう」と言って、レベッカの向かいに腰掛けた。ローブの内ポケットから文庫本を取り出して開き、長い脚を組む。
二人が言葉を交わすことはなく、沈黙が流れた。
――……この子もホグワーツ入学ってことは、もしかしてお父さんやお母さんも魔法が使えるのかな? もしかしたらホグワーツや魔法社会のこと、少しは聞けるかな?
レベッカは緊張しながら、しかし意を決して口を開く。
「……あの」
少女が本から顔を上げる。
「何?」
「えっと……お父さんやお母さんって、魔法使いと魔女だったりする?」
「そうだけど……どうしてそんなこと訊くの?」
レベッカは言葉を選びながら、慎重に言う。
「私はその、お父さんもお母さんも――お母さんは私が小さい頃に死んじゃったんだけど……両親のどっちも魔法が使えない、魔法社会で言うマグルで……謂わばマグル出身ってやつなんだよね。だから、その、ホグワーツのこともそうだけど、魔法を使う人たちのこととかも、全然わからなくて……教科書とかも読んでみたけど、いまいちピンと来なくて……だから、魔法社会やホグワーツについて、聞ける人がいないかなーって、思ったんだけど……」
少女がレベッカを見つめる。しばらくして、本を閉じる。
「それで?」
「え?」
「何が訊きたいの?」
「え……教えて、くれるの?」
「答えられる範囲でなら」
「あ……、それで、十分だよ! ありがとう! えーと、じゃあ……ホグワーツに入学する時って、入る寮を決める、組分けの儀式があるって聞いたんだけど……一体どんなものなの?」
「組分けの前に、組分け帽子って呼ばれる帽子が、それぞれの寮の特徴を表した歌を歌うの」
「歌う!? 帽子が喋るの?」
「そう。で、歌が終わったら、名前を呼ばれた順に帽子を被るの。そしたら帽子がその新入生の入る寮を叫ぶって、私はお父さんやお母さんからそう聞いたよ」
「へぇー……じゃあ、ホグワーツって四つの寮があるって聞いたんだけど……グリフィンドールとハッフルパフと、あとえーと……」
「レイブンクローとスリザリン」
「そうそう、それそれ。その入る寮を決める時の基準とかって、何かあるのかな?」
「どうだろう……組分けは家系で決まるっていう説も聞いたことはあるけど……」
「家系?」
「うん。ある家系はグリフィンドールの人が多かったり、またある家系はスリザリンの人が多かったりみたいな」
「……それじゃあ私にはその説は当てはまらないね。だって元々魔法使いの家系ですらないんだもの」
「それはそうだね。……まあ、そんなこと言ったら、私だってどうなるかわからないけど」
「え? どうして?」
「私の場合、お母さんの家系はお母さんや、おじいちゃんやおばあちゃんも含めて、レイブンクローの出身の人が多いけど、お父さんはハッフルパフの出身だから」
「それはつまり……お父さんの家系がそうってこと?」
「いや……お父さんの義理のお兄さんがハッフルパフの出身だって聞いたことはあるけど……私が生まれた時にはその人も含めて、お父さんの家族はほとんどいなくなっちゃってたみたいだから……」
思いもよらない言葉に、レベッカはどう言えばいいか一瞬迷った末にこう言った。
「……えーと、その……なんか、ごめん」
「なんで謝るの」
「いや、なんかマズイこと訊いちゃったかなー……って」
「別に。気にしてないからいいよ」
その時、ドアが開いた。食べ物を積んだカートを持った丸っこい中年女性が、にこにこしながらこちらを見ている。
「車内販売よ。何かいりませんか?」
言われてレベッカが腕時計を見ると、十二時半近くを回っていた。
少女は立ち上がってカートへ向かい、蛙チョコレートとパンプキンパイを注文した。
「買わないの?」
少女が尋ねる。
「あ、私はいいよ。どんなのかわからないし、お父さんがお弁当を用意してくれてるから………うーん、でもせっかくだし……」
レベッカはカートに近付き、商品を眺める。
「蛙チョコだけでも買おうかな……ひとつください」
「はい、ありがとう」
蛙チョコレートを渡しながら、女性が言う。
支払いの時、少女の革袋からジャラリ、という音と共に金貨一枚と銀貨数枚が現れた。もしかしてお金持ちなのだろうか、とレベッカは思った。
弁当を食べ終わったレベッカが、蛙チョコレートの封を開けようとした。その時、少女が声を上げた。
「それ、開ける時気をつけて」
「え? ――きゃあ!」
開いた封からチョコレート色の蛙が飛び出した。本物の蛙さながらに壁をよじ登りながら窓へ近づき、外へ出ていった。
「……びっくりした……まさか動くなんて……」
「どんなのを想像してたの」
「いや、その……単に蛙の形をしたチョコレートかと……」
少女がパンプキンパイの一切れを差し出す。
「なら、パイでも食べる? これなら動かないから」
「いいの?」
「いいよ。というより少し買いすぎたかもしれないから、食べてくれると有り難いんだけど」
「ありがとう」
パンプキンパイを受け取りながら、レベッカが言う。
少女は「どういたしまして」と答える。
「そういえば、どこの寮に入りたいとかってある?」
パイを食べ終えた時、レベッカが尋ねた。
「いや、まだ決まってないけど。キミはあるの?」
「うん。私はハップルパフかな。と言ってもすごくそこに行きたいとか、そういうのじゃなくて、漠然とした希望だけど」
「どうして?」
「えっとね……」
レベッカは汽車に乗る以前のことを話した。
†
入学許可証が届いた後日、レベッカと父はふわふわ散らばった髪につぎはぎだらけの帽子、ずんぐりした小柄な女性――ホグワーツで薬草学を担当するポモーナ・スプラウト教授に案内され、ダイアゴン横丁を歩いていた。
スプラウト教授に案内されたのは小さなみすぼらしい店で、扉にははがれかかった金色の文字で『オリバンダーの店――高級杖メーカー』と書かれていた。中に入ると、古くさい椅子にやや小柄で、両耳が半分隠れる長さに切り揃えられた黒髪に、長い睫毛に縁取られた黒い眼をした童顔の男性が座っていた。男性はこちらを見ると立ち上がり、「スプラウト先生」と声を掛けた。
スプラウト教授は男性に気づくと、おや、という小声を上げた。
「グレイではありませんか。いえ、今はユルスナールでしたね」
「お久しぶりです」
レベッカは「あの……」と割って入り、スプラウト教授に尋ねる。
「お知り合いですか?」
「ああ。彼は昔ホグワーツの学生で、私が寮長を務めるハッフルパフの卒業生です」
男性はレベッカを見、挨拶をする。
「こんにちは。君も杖を買いに来たの?」
「はい」
男性は申し訳ないという顔になる。
「あー……ごめんね。僕の娘の杖選びがまだ終わってなくて……。もうしばらくしたら空くと思うから」
「そんなにかかっているのですか?」
スプラウト教授が尋ねる。
「ええ。何でもオリバンダーさんいわく、稀に見る難しい客とのことでして……」
フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に戻って父と合流し、しばらくそこで立ち読みした。三人で再び『オリバンダーの店――高級杖メーカー』を訪れると、先ほどの男性の姿はなかった。
もう帰ったのかな。そう思っていると不意に「いらっしゃいませ」という柔らかい声がした。
声の方を見ると、月のように輝く淡い色の大きな眼をした老人――店長のオリバンダーが立っていた。
「スプラウト先生、こちらはホグワーツの新入生ですかな?」
オリバンダーはレベッカを指して尋ねる。
「ええ。今日はこの子の杖を見に来たのです」
「はじめまして。レベッカ・バーンズです」
レベッカは少し緊張気味に挨拶をする。オリバンダーはレベッカに向き直って言う。
「オリバンダーと申します。ではバーンズさん、拝見しましょうか」
オリバンダーはポケットから銀色の目盛りが入った長い巻尺を取り出して尋ねる。
「杖腕はどちらですかな?」
言葉の意味がわからず、レベッカはスプラウト教授を見る。スプラウト教授は「利き腕のことですよ」と言った。
「えっと、右利きです」
「腕を伸ばしてください……そうそう」
オリバンダーはレベッカの肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、頭の周り、と寸法を測っていく。
レベッカは気になっていたことを尋ねた。
「あの、さっきのお客さん、杖決まったんですか?」
「おお。もちろん、決まりましたとも。いやはや、非常に難しいお客様でございました」
測りながら、オリバンダーは満足げに答える。
「どんな杖ですか?」
「胡桃にユニコーン(一角獣)のたてがみ、三十センチ、しなりにくい。かなり珍しい組み合わせでしてな。なかなか持ち主が現れなかったのです」
「持ち主が現れなかった? 杖ってその、お客さんが選ぶんじゃないんですか?」
オリバンダーはきっぱり「そうではございません」と答える。
オリバンダーは続けた。
「杖というのはお客様が選ぶのではなく、その杖が持ち主を選ぶのです。オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持ったものを芯に使っております。ユニコーンのたてがみ、ドラゴンの心臓の琴線、不死鳥の尾羽。ユニコーンもドラゴンも不死鳥も、皆それぞれに違うのですから、オリバンダーの杖にはひとつとして同じものはございません。他の方の杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないのです」
測り終えると、オリバンダーは棚の間を行き交い、杖が入った細長い箱をいくつか取り出した。
「ではバーンズさん、これをお試しください。梨にユニコーンのたてがみ、二十七センチ、振りやすい」
レベッカは差し出された杖を受け取り、振ってみる。次の瞬間、天井近くまで積み上がっていた箱の山のひとつが雪崩のように崩れ落ちた。
「ご、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。あまりよろしくないようですな。では次は……」
二本目を試してみる。が、振り下ろすか振り下ろさないかのうちに、オリバンダーは杖をひったくった。
「これもいかん。さて次は……」
それからいくつか試してみたものの、合う杖は見つからなかった。少し不安になるレベッカとは対照的に、オリバンダーはどこか嬉しそうにしていた。
「今年は難しい客が多いようじゃの。何、心配なされますな。必ずぴったり合うのをお探しいたしますので」
「あの、さっきのお客さんは決まるまでにどれぐらいかかったんですか?」
「正確な数は覚えておりませんが、少なくとも三十本以上は試されたかと」
「さ、三十本もですか?」
レベッカは驚きの声を上げる。オリバンダーはうなずき、店の奥へ視線を向ける。
「奥にあるのは作ったはよいもののなかなか持ち主が現れず、未だこの店に眠ったままとなっているものです。先ほどのお客様が買われた胡桃の杖も、長い間眠っていたもののひとつでございました」
レベッカは父とスプラウト教授の方を見る。どうやらふたりも同じ気持ちだったらしく、眼を見開いていた。
オリバンダーはまたいくつか箱を取り出す。
「さて次はどうするか……そうじゃ、これはどうでしょう。柳にドラゴンの心臓の琴線、二十九センチ、ほどよくしなる」
「振る前に訊いてもいいですか?」
「何でしょう?」
「自分に合ってるかどうかって、どうやったらわかるんですか?」
「それは人によって様々です。先ほどのお客様の場合ですと、杖の先から青白い光の玉がいくつも出て、店内を照らしていかれました」
「つまり、振ってみるまではわからないと?」
「そういうことですな」
気が遠くなりそう……。レベッカは内心そう感じながら、差し出された杖を受け取る。すると、妙に手に馴染む気がした。
――もしかして……
緊張しながら、上から下へ振り下ろす。杖の先から小さな玉がいくつか出る。次の瞬間、それらは色とりどりの花火となって弾けた。
「
オリバンダーは感嘆の声を上げる。
「どうやらその杖が、あなたにぴったりのようですな。いや、見つかってよかったです」
茶色の紙で包装された杖を受け取り、代金を支払う。オリバンダーのお辞儀に見送られ、三人は店を後にした。
†
「……スプラウト先生は親切だったし、オリバンダーさんの店で会った男の人も優しそうだったから、そういう人が多いなら安心かなって」
少女は沈黙する。が、やがて「……そう」とひとこと言った。
そうこうしているうちに時間は過ぎ、日が暮れてきた。
「もうそろそろ着くかな?」
レベッカは窓の外にちらりと眼を遣る。少女が答える。
「かもね。心配ならローブを着た方がいいんじゃない?」
「そうだね。えーと、ローブは……――」
車内に声が響く。
「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は別に学校に届けますので、車内に置いたままにしてください」
――言ってるそばから!?
レベッカは慌てて荷物からローブを取り出し、頭から被る。袖を通して少し経つと、汽車が停まった。
コンパートメントの外に出ると、通路は人でごった返していた。人ごみでもみくちゃにされながら、どうにか外に出た。ふと見ると、はぐれてしまったのか、少女の姿はなかった。
「
声の方を見ると、レベッカは一瞬、どきりとした。
――この人も、魔法使い……なのかな? ……それにしても……
大きい、と思った。身長は一般男性の二倍、横幅は一般男性の三倍はあろうかという体格に、もじゃもじゃした黒い長髪と髭をしている。
ホグワーツの森の番人、ルビウス・ハグリッドがランプを片手に、笑いかける。
「さあ、ついて来いよ――あと
――すごい……これがホグワーツ?
自動ドアならぬ、自動ボートに乗り、湖を渡りながら、レベッカは学校――高い山の頂上にある、様々な大きさの塔が立ち並ぶ壮大な城に、息を呑んだ。
「頭、下げぇー!」
ハグリッドの掛け声に合わせて、頭を下げる。ボートがツタのカーテンをくぐる。崖の入口から暗いトンネルを進み、船着き場へ到着する。ボートを降り、ごつごつした岩の路地を歩く。石段を登ると、樫の木で造られた扉の前に出た。
ハグリッドは全員がいることを確認すると、扉をノックした。
(2016/10/04)誤字指摘ありがとうございます。修正しました。