ラビュリントスの肖像   作:*Lycoris

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  注釈
 ※作中では、魔法社会の通貨を以下のように換算する。

 ・ガリオン金貨
  一ガリオン=十七シックル=四百九十三クヌート
  一ガリオン=約五ポンド十二ペンス=約八百七十円

 ・シックル銀貨
  一シックル=二十九クヌート
  一シックル=約三十ペンス=約六十四円

 ・クヌート銅貨
  一クヌート=約一ペンス=約二円
                 (出典:ウィキペディア)


六章 陽だまりと三日月 一学年九月

 ソファに座ったレベッカの前に、ティーカップが置かれる。甘く、爽やかな香りが鼻を突く。

「いい香りですね」

 レベッカが感想を漏らすと、ビーチェは説明する。

「ピーチティーだよ」

「ピーチティー、ですか?」

「そう。フレーバーティーのひとつ」

「へえ……」

 レベッカは手にしたカップの中を覗き込む。

「こういうのは初めて?」

「はい。ウチにはこういう、何と言うか、お洒落なものはないので……」

「そう? ティーバッグでもふつうに売ってると思うけど……」

 茶を口に含むと、優しい甘さと瑞々しさが広がる。

 ――それにしても……

 レベッカは向かいに座るビーチェに眼を遣る。

 ビーチェはいつものローブ姿ではなく、白いポロシャツを着ており、紺のミニスカートから綺麗な長い脚が覗いている。

「どうしたの?」

 レベッカの視線に気づいたのか、ビーチェが尋ねる。

「あ、いや……ローブじゃないと、何か雰囲気違うなって」

 ビーチェは、ああ、という小声を上げる。

「今日から週末だから、昼頃には一旦家に帰る予定なの。ローブを着てもいいんだけど、まだちょっと暑いから」

 ビーチェはカップを傾ける。ローブ姿ではあまり目立たないグラマラスな体の線に眼が行きそうになり、レベッカは慌てて視線を自分の分のカップに向ける。

 ――おっさんじゃないんだから。

 レベッカはふと脳裏に浮かんだ疑問を口にする。

「そういえば、どうしてさっき私に声掛けてきたんですか?」

「ああ、よくシオンと一緒にいたり、話したりしてるのを見かけるから。シオンと仲良くしてくれて、ありがとう」

 ビーチェはにこっと微笑む。その屈託のない笑顔に、レベッカは思わず照れてしまう。ビーチェが柔らかい陽だまりなら、シオンは闇夜を淡く、静かに照らす三日月といったところだ。

「いや、仲良くというよりはお世話になってるといいますか……」

 これは本当だった。シオンが助言してくれなければ、今も魔法社会で右も左もわからないままだっただろう。マグル出身のレベッカにとっては理解に苦しむ部分もあったが、それでもシオンは根気強く教えた。

「あら、そう? シオンはまんざらでもなさそうだけど……」

 そうだろうか。レベッカは、改めてシオンの様子を振り返る。

 基本的には簡潔な物言いで、態度も素っ気ない。が、訊かれたことに対しては誠実に答えてくれる。

 ――そういえばシオンに質問して、嫌な顔されたことってないかも。

「そういえば、私に何か話したいことがあるんじゃなかったっけ?」

 ビーチェの言葉にレベッカは、はっとする。危うくここに来た目的を忘れるところだった。

「あ、はい。実は……」

 レベッカは魔法薬学の授業で眼にした不思議な現象、それをシオンの言葉と照らし合わせた際に浮かんだひとつの可能性について話した。

 数秒の沈黙。やがて、ビーチェが口を開いた。

「残念だけど、それに関して私からは何も言えない。ただ気になるなら、シオンに直接訊いてみたら?」

 やっぱりそうなるか。レベッカは内心ため息をつく。

「ですよね……。ただ……」

「ただ?」

「……こんなことシオンに訊いたら、失礼というか、嫌な顔するんじゃないかって、思ってしまって……」

 ビーチェはレベッカを見つめる。やがて、カップを置きながら言う。

「確かに、怖いよね。人の気持ちを知るのって」

「先生にも経験あるんですか?」

「そりゃああるよ」

「どんなことですか?」

「どんなこと……うーん色々あるけど、一番よく覚えているのは、やっぱり夫に告白しようとした時かな。どんな反応されるかなとか」

「そうなんですか……」

「でも、人との関係を発展させたかったら、相手のことを知らなきゃ始まらないし、時には気持ちを確かめるってことも、やっぱり必要になるんじゃないかな。もちろん焦る必要はないし、自分がそうしようって思えた時にするのが、一番いいんじゃないかって思うけど」

 ビーチェの言葉に胸に巣くっていたわだかまりが、すっと消えるような気がした。

「……そうですね。ありがとうございます」

 レベッカは茶を飲み干す。

「ごちそうさま。お茶、おいしかったです」

「そう? よかった」

「もしよかったら、このお茶のティーバッグ見せてもらえますか?」

「え? あー、私の場合、ティーバッグじゃないんだけど……」

 ビーチェは立ち上がり、部屋の奥へ移動する。少しして戻ってくると、その手には茶葉の袋があった。

「お茶っ葉から淹れてたんですか」

 道理でおいしいわけだ、とレベッカは納得する。

 レベッカは尋ねる。

「これ一袋でいくらですか?」

「そうだね……ピンキリもあるけど、大体一ガリオンくらいあれば十分じゃないかな」

 レベッカは、しまった、と思った。

 ――両替する時にお父さん説明受けてたけど、覚えてない。

「……ポンドに直すといくらですか?」

「ポンドって?」

「え……、ポンドを知らないってことは、まさかペンスも?」

「うん。……それって、マグルの人たちのお金?」

「はい」

「あー……ごめん。私マグル社会のこと、ほとんど知らないんだ」

「そうですか……」

 レベッカの声が少し残念そうなのを見て、ビーチェは言う。

「今度夫に一ガリオンってマグルの人たちのお金に直すといくらか聞いてこよっか?」

「え? 旦那さんってマグル出身なんですか?」

「いや、正確にはマグル出身じゃないけど、結婚する前はマグルの人たちがいる地域で暮らしてたから、私よりずっとマグル社会のことには詳しいの」

 なるほど、とレベッカは思う。

「でも、いいんですか?」

「構わないよ。聞いてくるだけだし」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ビーチェは柔らかく微笑んだ。

 

          †

 

「朝一番から魔法薬学なんて、ツイてないなあ」

 廊下を歩きながら、赤毛にそばかす、長身で細身のグリフィンドール寮の二年生、ロン(ロナルド)・ウィーズリーがこぼした。

「でも、もしかしたらユルスナール先生に会えるかもしれないよ」

 小柄で細身、明るい緑の眼にくしゃくしゃの黒髪、額に稲妻形の傷跡が薄く残っている同じ寮の二年生、ハリー・ポッターが慰めるように言う。

 スネイプの助手を務めるビーチェは、時折授業で使う大鍋やビーカー、試験管、フラスコなどの準備をしており、その際に姿を見かけることがあった。

 ロンが言う。

「それもそうか。それだけが救いだよな。でもなんであの人が教授じゃないんだろ? スネイプなんかよりよっぽど先生に向いてると思うけどな」

「ロン、あなたは単にあの人が美人だから、そんなことを言っているだけよ」

 栗色の髪がふさふさと広がった同じ寮の二年生、ハーマイオニー・グレンジャーが割って入る。

 すかさずロンが言い返す。

「君だって人のこと言えるのかい? ロックハートの肩を持ってるくせに」

 ギルデロイ・ロックハート教授は今年から闇の魔術に対する防衛術の科目を担当することになった人物で、教科書である自身の著作に書かれている功績と、そのハンサムな容姿で、主に女性層の人気を集めていた。

 ハーマイオニーが顔を赤らめる。

「それは……、ロックハート先生は本に書いてあるように、あんなにすごいことをやっているじゃない。それに比べたらユルスナール先生は未知数だわ。スネイプと同じぐらい魔法薬作りの腕が優れているかどうかもわからないじゃない。それなのにちょっと美人だからってみんなでれでれして……」

「悪かったね。うちの母がでしゃばってて」

 ハーマイオニーの言葉は、背後から聞こえた冷たい声に遮られる。振り向くと、ビーチェの娘・シオンが鞄を後ろ手に持ちながら立っていた。

「あ、シオン、これは……その……」

 ハーマイオニーはしどろもどろになって言う。シオンはハーマイオニーを見下ろす。

「そのでしゃばっている母の娘から忠告しておくよ、グレンジャー。あまり人をとやかく言わない方がいいよ」

 シオンは背を向けて、その場を立ち去る。ショートカットの黒髪が、さらさらと揺れる。

 ハーマイオニーは何かを言おうとしていたが、やがてしゅんと肩を落とした。

「……顔はそっくりだけど、中身は真逆だよな」

 ロンの言葉にハリーはうなずいた。

 

 ――まったく、くだらない焼き餅もほどほどにしてよね。ま、お母さんにとっては痛くも痒くもないだろうけど。

 心中で呟きながら、シオンは廊下を歩く。ついでに言うならば、ロックハートなどと母を同列に見ないで欲しいと思った。

 教科書の内容を取り上げて大仰に話すだけで、実践的な呪文などは何ひとつ教えない授業など、つまらないのひとことに尽きた。ロックハート自身も、シオンからすれば薄っぺらな人物に見えていた。

 ふと、話し声が耳に入る。壁の影に身を隠し、様子をうかがう。廊下の向こうに人影が見えた。ひとつはビーチェ、もうひとつは波打つ金髪に鮮やかな青の眼――ギルデロイ・ロックハートだった。

 話を聞く限り、どうやらビーチェは校医のポピー・ポンフリーに頼まれた薬の材料を持っていく途中でロックハートに出くわしたようで、手には薬草らしき植物が入った籠があった。

 ロックハートの声がする。

「……なるほど。そういうことでしたら私もお手伝いしましょう」

「あ、いえ、大丈夫です」

 ビーチェが困ったような声で言う。しかしロックハートは構わず続ける。

「どうぞ遠慮なさらずに。これでも私は魔法薬学についても心得があります。ポンフリー先生に、より効果的な薬を作るアドバイスぐらいはできますよ」

「いえ、本当に大丈夫ですので……」

 シオンは内心舌打ちする。

 ――うざい……。マクゴナガル先生がいればな……びしっと言ってくれそうなのに……

 そこまで考えて、シオンは思い直す。

 ――いや、マクゴナガル先生がいても、アレはものともしないか……。

 放っておこうか。そのうち自分で何とかするだろう。シオンは向きを変える。だがその足は、意思に反して動かない。

 シオンは逡巡する。が、やがて再び向きを変えた。

 

「いい加減にしてください、ロックハート先生」

 背後の声に、ロックハートが振り返る。近くにいたシオンがロックハートを見上げる。

 ロックハートは少し驚いたような声を出す。

「ミス・ユルスナール、いつの間に……」

 シオンが即座に言い返す。

「先ほどから母は言っているではありませんか。ひとりで大丈夫だと。あなたの専門分野は闇の魔術に対する防衛術であって、魔法薬学ではないはずです。それに母はスネイプ先生の助手もしているんです。あなたも教授でしたら、こんなところで油を売っている余裕などないのではありませんか?」

 ロックハートが狼狽する。言葉に迷っていたようだが、やがて口を開いた。

「ああ、えー……そうです、ね。では次の授業の準備がありますので。ユルスナール先生、ご機嫌よう」

 ロックハートはそそくさとその場を後にする。シオンはビーチェにちらりと視線を投げると、足早に去っていった。

 

          †

 

 深夜。レベッカが眼を覚ますと隣のベッドにシオンの姿がなかった。

 朝に起きるとシオンがいつの間にかいなくなっていることは、これまでにも何回かあったが、自分や他の同室の生徒たちよりも早く起きているのだろうと思い、気にしなかった。だが深夜に部屋から姿を消しているのはこれが初めてだった。

 同室の生徒たちを起こさないように部屋を出て、トイレに向かう。が、そこにもシオンはいなかった。

 ――どこに行ったんだろう?

 深夜に校内を歩き回るのは規則違反であり、シオンがそうしたことをするとは思えなかった。

 トイレを出たレベッカはもしやと思い、談話室へ向かう。ドアを開けると、部屋の中心あたりにあるソファのひとつに人影が見えた。近付いてみると、パジャマの上に薄手の黒い上着を羽織り、肘掛けを枕にしてすうすうと寝息を立てているシオンがいた。

 なんでこんなところに? 一瞬戸惑ったものの、冷静さを取り戻したレベッカはシオンの寝顔に視線を向ける。端正で少々近寄り難くも見える横顔が、いつもよりずっと無防備に見えた。

 レベッカは少し迷ったが、ひとまず起こすことにした。

「シオン、聞こえる? シオン」

 長い睫毛が僅かに動く。やがてうっすら眼を開ける。

「何なの、こんな時間に」

「こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ?」

「大丈夫だよ。上着着てるし」

「いや、大丈夫というか……いいの、こんなところで寝てて?」

 シオンは上体を起こす。

「ひとりで横になって寝られればどこだっていいの」

「……そうなの?」

「部屋の外に出ちゃいけないなんていう規則はないでしょ。寮の外に出なきゃいいだけの話なんだから」

 言われてみればそうか。レベッカは妙に納得する。だがシオンの長身にこのソファは窮屈ではないだろうか。

 ふと、レベッカは考える。

 ――これって、もしかしたらチャンスなんじゃ?

「まだ何か用?」

 シオンが尋ねる。

「あ、用というか、その、話したいことがあって……」

「話したいこと?」

 レベッカはうなずく。「実は……」

 以前ビーチェに聞かせた内容を話した。

 シオンはレベッカを見つめる。やがて、口を開いた。

「それが本当だって言ったらどうする?」

「え、じゃあスネイプ先生は……」

 シオンはうなずく。

「その通り。スネイプ先生は私のお父さんの腹違いのお兄さん、つまり私にとっては伯父さんにあたるってわけ」

 あっさり答えるシオンを前に、レベッカは拍子抜けする。どう反応していいかわからなかった。

 レベッカから眼をそらさずに、シオンは言う。

「それで、正解に辿りついた感想は?」

「え、感想? うーん……ああ、そうだったんだ、みたいな?」

「それだけ?」

「うん」

「……そう」

「……どうしたの?」

「……てっきり、嫌われるかなとか思ってたから、ちょっと拍子抜けしたというか」

「ええ? なんで?」

「いやだってスネイプ先生、みんなに嫌われてるから……。キミにはいずれ話そうと思ってたけど……どんな反応されるか不安で……」

 ようやく意図がわかった。何のことはない。シオンも自分と似たようなことを考えていたというだけのことだったのだ。拍子抜けしたのはむしろこちらだとレベッカは思った。

「私は、気にしないよ。たとえスネイプ先生と血が繋がっていたとしても、シオンとスネイプ先生は別の人間だもの。むしろ、これからもその、色々教えてもらえたり、助けてもらえると、有り難いなー、と」

 沈黙が流れる。やがて、シオンが優しく微笑む。月明かりに照らされたその微笑は、ビーチェにそっくりだった。

「喜んで。……ありがとう」

 

          †

 

 共同研究室の奥のソファで、ビーチェは研究所から届いた資料に眼を通していた。部屋の中央には魔法薬の調合に使われる器材が置かれたテーブルがあり、それを挟んだ左右にスネイプとビーチェ、それぞれの机があった。

 ノックの音に顔を上げる。立ち上がって資料を机に置き、ドアを開けるとシオンが立っていた。

「シオン? どうしたの?」

 シオンは少しためらいがちに、口を開いた。

「……この前は、ごめん。ひどいこと言って」

 ビーチェはシオンを見つめる。それから首を振り、ふんわり抱き締める。

「ううん。私こそごめんね。シオンの気持ち、汲み取ってあげられなくて」

 シオンは気恥ずかしそうに心持ち身じろぎしたが、振り払うことはなかった。

 ビーチェは娘を離すと、にっこり笑う。

「あの時はありがとう。助かったよ」

「どういたしまして」

 シオンはローブの内ポケットからメモを取り出す。

「これ、伯父さんに渡しておいてくれる?」

「セブルスに? いいよ」

「ありがとう」

 ビーチェがメモを受け取ると、シオンは「それじゃ」と言い、部屋を後にした。

 メモに眼を通す。次の瞬間、ビーチェは噴き出した。それとほぼ同時にスネイプがドアを開けて入ってきた。

「どうした?」

「あ、セブルス、丁度よかった。ついさっきシオンが来て、これキミに渡しておいてって」

「シオンが?」

 スネイプがメモを受け取り、眼を通す。途端、面食らったような表情になった。

 メモにはこう記されていた。

 

 ――伯父さんへ

 お父さんを呼んでくれて、ありがとう。

                                   シオン

 

 ビーチェがくすくす笑う。

「セブルスはバレないようにやったつもりだろうけど、シオンにはバレバレだったみたいね」

「……勘がいいのは母親である君に似たのかもしれんな」

「そう? 勘のよさならキミだって負けてないと思うけど?」

 スネイプは複雑な顔をする。ビーチェはまたくすくす笑った。

 ビーチェがくすくす笑う。

「セブルスはバレないようにやったつもりだろうけど、シオンにはバレバレだったみたいね」

「……勘がいいのは母親である君に似たのかもしれんな」

「そう? 勘のよさならキミだって負けてないと思うけど?」

 スネイプは複雑な顔をする。ビーチェはまたくすくす笑った。

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