その日のうちに学園艦内5ヶ所にて備蓄食料の配給の開始を発表。次の日までには各家庭に配給時に必要な番号が通達された。
「……疲れましたね……」
生徒会室で小山が目の下にクマを作りながら椅子に深く座り込む。
「だね……流石に3万人分の暗証番号を1日で作るのはキツかったか……」
「それに配給場所に番号チェック用の名簿を作って自転車で届けたりしましたし……」
3人はそれぞれの椅子の背もたれにもたれる。
「幸いだったのはインターネットが使えなくてもWordとかExcelは使えたことですね。手書きでやるとなったらどれほどキツイか…」
「うわぁ……そりゃやだね。まあ、生徒会で良かったね。学園…宿泊証と短期休学届けを直ぐその場で発行できたし……」
「他の生徒会の皆さんにも苦労をかけましたから、今日くらいは配給担当以外お休みをとってもいいのではないですか?」
「うん……そうしてあげて……」
その言葉を最後に3人の会話は止まった。華が生徒会の皆に休みを与えて生徒会室に戻ると、2人はすでに寝息を立て、華も椅子に倒れこむように座り、いつの間にか気を失っていた。
唐突に鳴った電子音によってふと目を覚ました角谷は1回天井に向け腕を伸ばし、隣の部屋に歩いて行った。
「ふぁい?生徒会です。」
「あ、どうも、船舶科の長坂です。」
「ああ、今の時間長坂ちゃんの時間か。ふあぁ。」
「あ、はい。……大丈夫ですか?」
「まぁ。それで、何のご用事?」
「あれ?会長はご存知ないのですか?」
「何をだい?」
「近くに学園艦が居るんですよ。」
「……」
無線機の前で、角谷は口を半分開きながら立ち尽くしていた。
「はぁ⁉︎」
ここが過去だ、という予想がバケツからひっくり返される感覚とともに角谷の眠気は吹っ飛んだ。
「ど、どういうことだい?」
「いや、居るってだけです。規模は我々の学園艦より大きいです。」
「……通信とれる?」
「今やってます。」
「じゃ、取れたら連絡ちょうだい。」
「分かりました。もう直ぐとれるはずです。」
角谷は無線機のボタンを押して会話を終わらせた。部屋に戻り再び椅子に腰掛け、2人を起こさないように瞑想にふける。
(もしこの世界に学園艦が居るとしたら、それは『我々の世界から来たもの』か、『この世界が我々の世界の過去ではない』かのどちらかだ。
後者だとしたら我々にも今後の予測がつかない。つまり、交渉の材料が1つ減る、という事だ。前者ならこう言って……)
前者、後者それぞれの場合の指示を頭を掻きながら纏めると、瞑想を一回止め、お茶を持ってきた後、干し芋をつまむ。
時折歯に付く切れ端を舌で取ろうとするが、今日は何故か下唇の裏に入ったのがなかなか取れずに不快感が生じる。それをやっとこさ取り、干し芋1枚食べ終わったころ再びあの電子音が聞こえてきた。
「会長、学園艦が何か分かりました。」
「ああ、長坂ちゃんか。で、何だったんだい?」
「……聞いて驚かないでくださいよ。あれ、知波単学園艦です。」
「知波単?んで、それは……」
「ご安心ください。我々の事もご存知でしたから、我々と同じ世界から来たもので間違いありません。」
「……今、何処だっけ?」
「えっと……館山沖ですから、東京湾口の辺りです。東京湾の水深が浅いため、これ以上入れないみたいです。」
「長坂ちゃん!日本から物資が受け取れているか知波単に確認して、イェスなら知波単の口添えでウチらも物資貰えないか交渉してみて。」
その言葉を聞き、角谷は直ぐに纏めていた指示を出した。
「私がですか?そんな事無理ですよ!第一私は学園艦の艦長の1人に過ぎないんですよ!」
「私も今からそっち向かうから予備交渉して、着いたら手ごたえを教えて!」
「えー……まぁ、あまり期待しないでくださいよ。」
「とにかく頼んだ!」
返事も聞かずイヤホンを投げ捨て、手早く準備を整える。
「あ……会長、おはようございます。」
その音でか、小山があくびしつつ背筋を伸ばす。
「小山、ちょっと出掛けるから何かあったらよろしく。」
「あ、はい。分かりました。艦橋ですか?」
「そう。もしかしたら補給が貰えるかもしれない。」
財布をポケットに突っ込み、部屋から出ようとする。
「んん〜、これだけですかぁ……まだまだたべられますよぉ……」
椅子の上で眠る華の寝言が角谷の動きを一瞬止める。
「……五十鈴ちゃんは好きなだけ寝かしてあげて。あ、ちゃんと配給担当の時間は守った上で。」
「会長もお気をつけて。」
小山は柔らかく包むような微笑みを華にかけたあと、時計でそろそろ配給の準備を始める時間だと確認し、指示関連の書類の整理を始めた。
校門の前の車通りは確実に減っている。なにせ燃料もこちらで管理しており、海水淡水化装置の稼働のため供給量をこれまでの3割程度まで減らしているのだ。ガソリンの値段も無論跳ね上がる。そんな中で不要不急の行動をする人はいないだろう。
しばらく待って、1台のタクシーを拾った角谷は行き先を告げて乗り込み、運転手は無言で車を走らせ始めた。
到着すると角谷は手の中に用意していたコイン4枚をトレーに置くが、運転手はそれを取ろうとしない。疑問に思って前を見るとメーターが20円上増しされていた。
「ああ、倹約体制のせいでガソリンが値上がりしましてね。倹約体制の間だけの特別処置ですからご協力ください。」
角谷は小銭をもう2枚トレーに置くと、運転手はやっとドアを開け、角谷を降ろした。
階段を駆け上がり、操舵室に飛び込む。
「長坂ちゃんは何処だい!」
「会長!長坂さんは部屋を出て左に3つ目の部屋にいます。」
船舶科の者からに軽く礼を言って、再び駆け出す。言われた部屋の前に着いた角谷は深く深呼吸した後、軽くノックし扉を開いた。
「長坂ちゃん、いる?」
「会長、どうも。」
返事した長坂はヘッドホンを外した。
「それで、首尾は?」
「知波単は取り敢えず交渉で日本から援助をもらっているようです。ですが、こちらが物資を貰えるように、との交渉はとにかく話のわかる人物を呼んでほしいの一点張りで……」
「相手は?」
「学園長の西条、という方です。」
「変わってくれ。」
長坂から手渡されたヘッドホンを頭に付け、無線を繋いでもらう。
「こちら大洗女子学園、大洗女子学園。どうぞ。」
『こちら知波単学園です。』
「私は大洗女子学園生徒会長の角谷と言います。学園長にお繋ぎ願えますか?」
『……分かりました。』
相手が変わるまでに少し時間がかかったので、その間に言うことを纏める。
『知波単学園長の西条といいます。角谷さん、よろしくお願いします。』
「こちらこそ。さて、日本から情報が入っていると思いますので、少し質問してもいいでしょうか?」
『何についてでしょう。』
「この世界、についてです。私はこの世界が我々のいた時代の過去だと思っています。」
『当たりですね。こちらが確かめたところこの世界の今日は1935年10月10日です。』
「日付けだけ同じですか。」
『そうですね。上陸交渉時の日本の様子やここ数日で手に入った国際情報から鑑みてもそう見るのが妥当でしょう。』
「ありがとうございます。それで、我々の希望と致しましては、水と食料の安定供給、あと洋上停泊の許可さえ頂ければこちらは如何なる条件でも飲みましょう。既に日本との関係を構築なさっている貴校にはその仲介をとって頂ければ幸いなのですが…」
『……非常に申し上げにくいが、恐らく貴校が日本から長期的な援助を受けられるようにするのは無理だ。』
「!」
『日本は我々の援助だけで恐らく精一杯だ。何せ今の日本政府の注目は東北地方の震災、凶作による農業不況に向けられている。今回の我々も東北に現保有物資の3分の2を無償譲渡する。
失礼を承知で言うが、貴校にその同量を求めるとなれば学園艦がスッカラカンになってしまうだろう。』
「それでも構いません。学園艦に安定がもたらされるのであれば。」
『しかも、それだけでも無理だ。我々はそれに加え現在保有している八九式中戦車、九五式軽戦車の全てを譲渡し、更に九七式中戦車開発に向けて旧型を1輌譲渡し、戦車道隊員を全てその搭乗員として帝国陸軍に入らせている。それだけのことが貴校に出来るか?』
「……貴方は戦車道の少女達を中国の大地に、ノモンハンに送り込むおつもりですか?」
『それだけではない。研究者としてかなりの数の教員が引き抜かれた。さらに日本政府が学園の運営にも関わってくる。自治権も大幅に縮小された。
……貴校がこれと同等の要求を飲めるというならば交渉してもいいが、我が校としては貴校に日本にいて欲しくはない。』
「……検討はしてみますが、日本にいて欲しくない理由は?一応お伺いしましょう。」
『……この世界が過去ならば、我々の未来は分かっているだろう。この世界にいつまでいるのかは知らないが、もし10年以上いるならば、その頃に知波単学園艦が海の藻屑と化していても可笑しくはない。
我々は生憎食糧の備蓄が殆ど無くて日本以外に行けず、この要求をのむ他なかったが、貴校には出来るだけ大東亜共栄圏の外に出てもらいたい。それが貴校にとって一番良い選択だろう。』
「なるほど……では早急に話を纏めてご連絡致します。」
『分かりました。大洗が助かることをこちらも願っております。』
長坂の方を向いた角谷は右手で左の掌をチョップし、無線を切ってもらう。長坂がスイッチを切って無線を止めると、角谷は席を立ちながらヘッドホンを外し、それを両手で握りしめた後それを何かを抑えるようにそっと台の上に戻した。
「会長……?」
「……畜生……」
「えっ?」
「何でもない。急いで小山達と話し合ってくる。今後交渉の要請があってもまだ話が纏まっていないと断っておいて。」
「……はい。」
「あっそうだ。ウランの稼働状況確認して、あとどれくらい移動出来そうか教えてくれる?」
「了解です。」
角谷はさっと上着を羽織って、学園に戻る為に早足で艦橋部から下っていった。
その日の昼
「えっ!」
「練習時間の削減ですか!」
午後の戦車道の授業のためいつもの倉庫の前に集まった皆の前には小山と華がいた。その2人から通告された言葉に皆困惑を隠せない。
「……申し訳ないけど、本当に補給船のあてが無くてかなり厳しい状況なの。倹約体制の間だけ、練習時間を週1の授業だけ、放課後の自主練は禁止。予算を半分に削減させてください。」
「半分って……現在でもかなり整備とかカツカツでやっているのにさらに削るんですか!」
頭を下げた小山に対しツチヤが訴えかける。
「実際皆さんの生活用の電気と水道を維持するので石油などは精一杯なんです。そこから何とか週1で訓練を行える石油を回したんです。ご理解を……」
華も隣で頭を下げる。
「とにかく、倹約体制の間だけです!水産科とか農業科はフル生産体制に向け授業時間や休憩時間を削ってまで作業をしてくれているんです!お願いします!」
「あの……どうしてそんなに補給船が来れないんですか?」
手を挙げたのは澤だ。
「南の島の方で唯一の港の機能が停止していているんです。それの復旧の目処が立ってないので……とにかく、すみませんがお願いします!」
二人か再び頭を下げ、周りの者も小山の説明に一応納得したようだ。
「西住さん、すみませんがその形で練習を行ってくれますか?」
「は、はい……」
「では、次の仕事があるので……」
そう言って2人は皆に背を向けて走り去った。照る太陽のもとに残された者たちは顔を見合わせる。
「……仕方ないんだよね。」
沙織が真っ先に口を開く。
「そうだな。実際食糧は戦時ドイツの如く配給制となっているし、ガソリンも大幅に値上がりしている。その食糧とエネルギーを一括で管理しているんだから、生徒会の方々が大変でない訳がないだろう。
だからこそ、生徒会の仕事の経験のある五十鈴さんを引き抜いた、といったところだろうな。」
エルヴィンがまともな考察を述べる。
「はぁ……早く倹約体制解除されないかなぁ。」
「ですよねぇ……」
「全くだな。配給が2回のうち朝早くに1回あるせいで取りに行けない。」
「それは麻子が毎朝遅刻するだけでしょう。」
ため息をつく者も見られるが、どうにもならないことなど分かっている。
「ところで西住隊長。今日は何するんですか?」
「車輌の清掃にしましょう。整備はこの前したので、磨くくらいにしておいてください。」
「分かりました!」
その指示を受けて、戦車道履修者は雑巾とホースを取りに向かっていった。
生徒会室に戻った2人は配給しなかった残りの量を受けてどれくらい追加で配れそうか計算する。
「2日は現在の備蓄を使って追加で配れるかな?」
「ですがもらっていない方はこちらからお配りしないといけませんね。えっと……あ、このお年寄りの方まだ配給受けてません。」
「どこの方?」
「学園艦の中央の右側の方です。」
「ちょっと誰かに行ってもらわないと。その近くで他に配給受けてない人いる?」
「えっと……」
華が書類を漁っていたその時、生徒会室の扉が音を立てて大きく開かれた。そこにいたのは、角谷だ。
「あ、会長!」
「会長さん。」
気付いた2人が声をかけるが、角谷はピクリとも反応せず、真っ直ぐ自分の椅子に座る。机の上の干し芋の袋を手に取り、乱暴に開けて中から数枚取り出して一気に口に押し込む。
その様子を2人はただ黙って目で追っていた。それをお茶で流し込んだ角谷は拳で机を叩きつけた。
「会長……?」
「……日本から安定した物資供給は恐らく受けられない。」
「えっ?」
「それを受けるならば、我々は破滅しかねない。」
「会長さん。どのような条件を出されたのですか?」
「……この近くには知波単学園艦がいる。」
「知波単ですか!ここは1935年のはずじゃあ……その頃にはまだ知波単は無いはずです。」
「どうやらウチと同じ理由らしい。そこが日本から補給を受けているんだが、その条件が過酷なのさ。とてもウチで受け入れられるものではない。」
「な、何が……」
「物資全部没収。戦車譲渡。自治権剥奪。」
「!む、無茶な……」
「知波単は更に戦車道履修者を全員帝国陸軍に入隊させられているらしい。これらを知波単が呑んでるんだ。我々がこれ以下の条件を出して日本が呑んでくれると思うか?」
角谷の目には悲哀が見える。自分達の学園艦の経済力、乗員の6割を学生が占めている、それを嘆いているのだろうか。
「……日本は呑んではくれないでしょう。受け入れてもらうには更にこちらが学園艦を空っぽにする勢いで物資や情報を与えなくてはいけませんね。」
「……無理です!そんな条件を受け入れたら学園艦の経済は破綻しますし、それが住民の皆さんに知られたら生徒会の腰抜けとか言われて学園の求心力が落ちます。
学園の緊急事態である今、求心力が失われれば学園艦は無秩序状態になります。そうなったらどうしようもありません。」
「……でも、これを飲まなければならない可能性もある。日本以外に行けない場合だ。」
「エンジンの稼働状況が悪い、ということですか?」
「エンジンの大規模改修とかは寄港しないと出来ないからね。」
「無ければ……」
「呑む他無いな。また西住ちゃんとか戦車道のみんなとか、学園艦の人々に本当に苦労かけるけど。」
3人はただ俯く。そうなって欲しくないと願うが、どうにも出来ない。
「……早く、帰れませんかね……元の世界に。」
ぼやくように小山がつぶやく。
「……我々は我々に出来ることをやろう……学園艦の存続、住民の生存が一番だ。」
そうは言ったが、我々はただ頭を悩ますことしか出来ない。
「……小山さん、作業の続きをしましょう。」
3人は沢山ある業務をこなすことで、一時的にこれを忘れる事にした。
しばらく先程までの作業の続きが行われた。名簿で配給を余り受け取れていない人をチェックしそれをリストアップすると、その人数は300人にのぼった。無論これに麻子が入っていたのは言うまでもない。
「で、これを配りに行かなくてはならないんだけど……」
「次の配給の準備がそろそろ始まってしまいますね。」
時計は3時を示している。五時から配給だから食糧の輸送などの準備を考えるとそろそろ準備をしていた方がいい。
「私、次の時間窓口担当だ……」
小山がポケットから取り出された小さく折りたたまれた紙を開く。窓口担当は配給の準備とそこまでの食糧輸送と片付けを行わなければならないのだ。
「でしたら、私窓口担当ではありませんし、その間に配布に行きましょうか?」
「お願いしても良い?」
「はい。」
「じゃあ、配給を受け取れてない人が多い地域は…ここね。」
小山が纏めてあったリストと机の上の地図を見比べ、地図上の一地域を指し示す。
「麻子さんの家の辺りですか?」
「そうね、ここら辺に10軒纏まっているからそこにお願い出来ます?」
「他の地域はいかがしましょう?」
「他の手が空いてる人に頼むわ。」
「分かりました。では配給の始まる前に済ませてきます。余り分はどちらに?」
「えっと……確か校舎裏の倉庫に入れてあるはずよ。それだけ箱に違う色で印つけてあるから分かると思う。」
「ありがとうございます。」
住所の書かれた書類を携え、華は生徒会室を出ていった。2人はそれをじっと見送る。
「……本当にありがたいですね。頼んだことはしっかりこなしてくれますし、意見はしっかり言ってくれますし。」
「だね。まあ西住ちゃんにとってのかーしまみたいな感じかな。」
「確かに言えてますね。……本当に、何時になったら帰れるんでしょうね……」
ぼやくように小山はまた繰り返した。
「親に会えないのは辛いか?」
「……むしろ、永遠の別れになってしまわないか、という恐怖の方が強いです。」
「……やれる事をやる、学園艦存続はそれでなんとか出来た。しかし、今回ばかりはそうもならないかもしれない。」
「……」
角谷の頬を汗が流れる。やはり彼女も一人の人間。いつもは飄々としているが怖いものは怖いのだ。
「というより、小山、そろそろ配給の準備をやった方が良いんじゃないのか?」
「……ああ!そうでした。すみません。失礼します!」
小山も慌てて生徒会室を飛び出した。部屋には角谷だけが残される。
「……確かに、小山の言う通りなんだよなぁ…」
椅子の背もたれに寄りかかって天井を眺める。天井の色と筋は変わらない。家族と会える、話せる、特に後者はケータイさえあればすぐに出来た。これらがいかに幸せか、これがいかに有限なものなのか、心に何本も突き刺さる。
「何で私たちこんな所にいるんだか……」
これが運命なのか。神が物事を決めているとしたら、神は大洗を何としても無くしたいと決断しているのだろうか。角谷は神に祈ってみた。胸の前で両手を合わせてみた。困った時の神頼みと言われるだろう。
しかしそれでもそうしなければならない程彼女も追い詰められていた。ところが思いの外早くこの願いは神に通じてしまったのだ。
研究室に入ると、文系の辻にとって視界が訳の分からん機械で埋め尽くされた。
「これが『バミューダ』か。」
「はい。」
辻の言葉に白衣の研究者が答える。しかしそれが茶に染まりつつあることからも激務の様子が伺える。
「これで、過去や未来に行けるのか?」
「まあそうですね。正しく言えばパラレルワールドに行くんですけれども。」
「どういうことだ?」
「過去や未来についた途端、その世界は現在の時の流れと分離されます。その為今までの歴史が変わることはありません。」
「それはありがたい。」
高谷が顎に指をかけながら頷く。
「それで、辻くん。大洗には何年行ってもらうんだい?」
「キリスト教で嫌われている数字にちなんで13年で。」
「君も結構酷いねぇ。」
高谷は奥歯で笑いをかみ殺す。
「それでは、行った先の9月30日から14年後の1月1日まで、戻ってくる時間も2026年でいいですか?それの方がこいつの故障のリスクが減るので。」
「ああ、構わない。」
「それと、いつからになさいます?」
「うーん、そうだなぁ……戦車道やってるし、第二次世界大戦が始まる前くらいにしたいから……」
「1935年くらいで良いのではないか?気分だが。」
「良いですね。そうしましょう。」
「分かりました。」
「それで、君は大洗だけを行かせる気かい?」
「まさか。」
すました顔で辻は答える。
「では君、すまないがこの7校もお願いして良いか?」
用意していた紙を高谷が手渡す。研修者はその紙をじっと見て、数度指を折ると高谷の顔を見て答えた。
「構いませんが、ちょっと仕事が増えるので送るのが10月8日になってしまいますが、よろしいですか?」
「OKです。」
「では、頼んだぞ。」
そう言うと2人は研究者に手を振り去っていった。研究者は立って礼をした後背中をじっと見送っていた。2人が部屋から離れたのを確認すると、彼は再びキーボードを弾く。
(もはやこれを使うことは避けられない。これは核兵器と同じくらい使ってはならないものなのに。せめて、私に出来ることはないだろうか。向こうで生活に困らない為に出来ることは……)