この小説を書くのに必要なこと。
授業後、みほは自宅のボコられグマの棚の下にカバンを置くと、日が出ている空の下で靴の踵を整えた。長袖では若干薄手な気もするが涼しさや寒さは感じない。配給開始までに一つ用事を済ませたい為、少し早足で目的地へと急いだ。
住宅街を進んだ先の酒屋の隣、目立つ門のところが目的地のカバさんチームの住むシェアハウスだ。門の向こうから中を見てみると広い庭の奥の縁側には帽子の上からゴーグルを着けたボーイッシュな人、エルヴィンが腰掛けている。
だがこちらには気づいておらず、どこか力無げに、古文での『ながむ』が妥当な表現だろうか、そのような視線を出している。
「お、隊長。よくいらっしゃった。上がってくれ。」
紅いマフラーが映えるこの家のリーダー、カエサルが引き戸を開けてみほを迎えた。手に誘われるままに門を開け家の中へお邪魔した。玄関も結構広く、二人が同時に履物を脱いでも問題ない。
「エルヴィンは一昨日くらいからずっとあんな調子なんだ。昨日の練習は迷惑かけてしまってすまない。リーダーとして代わりに謝ろう。」
「いえ。皆さんも……何と言いますか……それで、どうしてああなってしまったか、ということは皆さん知っているのですか?」
「いや、何かあったとは思うんだが、聞いても答えてくれなくてな。」
「皆さんにですか?」
「ああ、こんなことは初めてだ。金曜日にグデーリアンがウチに駆け込んできて以来何故かあんな感じなんだ。」
「グデーリアン?優花里さんがこちらにいらっしゃったのですか?」
「ああ、何やらアメリカの戦闘機に関して資料を見に来たんだったかな?それにしては様子がおかしかったが。」
「おかしい、とは具体的には?」
「そうだな、何かに追い立てられている、さながら……」
「武田に追われる徳川といったところだ。」
「左衛門佐さん。」
「もんざか。おりょうはどうした?」
「ここにいるぜよ。隊長よくいらしたぜよ。すまんが我らではどうにも出来ぬぜよ。」
「何せあのエルヴィンが縁側であんな感じでボーッと日本茶を飲み出したからな。」
他の二人からも頭を下げらならばやるしかあるまい。ここに来る以前は躊躇いがあったがそれを取り払った。
「分かりました。」
みほは広間を渡り縁側に向かう。対応する方法は沙織に聞いたものを実行すればいいだろう。エルヴィンとは人一人分間をとってみほも縁側に座った。庭は庭のままだ。隣から小さく茶を啜る音がする。
「エルヴィンさん。西住です。」
「隊長か。」
小さな声の返事を得られた。
「今日は暖かいですね。」
「そうだな。」
「やはりここの家の庭、広いですね。」
「だろう。この庭は我々の自慢なんだ。」
さらに話を続けたが時間に余裕があるわけでもないため、性急かとも思ったが本題に入ることにした。
「何かあったんですか?」
「何が?」
「この前の練習の時です。」
「……」
「流石にあの練習はエルヴィンさんらしくありません。」
「……久々の練習で気が抜けただけだ。」
「いいえ。私はこう見えても10年以上戦車に触れている人間です。ああいう時は悩みや苦痛がある時の行動。私もそうでしたから。話せることだけで大丈夫です。話して頂けませんか?」
「……」
「私は何を言われようとも最後まで聞きます。どうか……」
それでも窓の外を向く視線はこちらへ動こうとはしない。やはり待つべきだったかとも思ったが、やってしまったものは仕方ない。このまま続ける他ない。
「優花里さんと」
「時間とは、存在するのか?」
「はい?」
やっと来た小声の返事は、全く以ってこれまでの話の流れからは想定不可能なものだった。
「時間とは、存在するのだろうか。」
「時間、ですか?」
「いや、おそらく『しなければならない』のだろう。」
「?」
顔は変わらず庭に向けられている。みほに向けて話しているのかさえ分からない。
「確かに現在の24時間システムは人間が考えたものに過ぎない。フランス革命歴などがそういうものであることを示している。
だが、時の流れ、というものは恐らく存在するのだろう。私がさっき『た』と口にした瞬間と『し』と言った瞬間には絶対的なタイムラグがある。それを同時には行えない。
仮に私が全く動かない状態で二つの瞬間の間いたとしても、必ずこの世の中の何処かで変化がある。
この世が全く動かない状態だったとしても、その間を何者かが知覚することが出来るならば、時間は存在するのだろう。」
訳が分からない。もしこれが原因なのだとしたら、これの何れがエルヴィンをこうさせているのか。
「えっと……」
また一口、茶を口に含む。
「真実とは残酷だ。」
ぼそりと発されたその言葉を最後に、エルヴィンは何も話さなくなった。みほが何かを言っても返事がない。
暫く隣に座っていたが、これ以上は無意味だと考えられたことと、時間的にそろそろ配給の受け取りに動こうと思案したみほは手をついて立ち上がり、再び広間経由で玄関の方へ急いだ。
「隊長。」
「はい?」
部屋を出ようとしたところをカエサルに呼び止められる。
「何を話していたんだ?」
「えっと……時間は存在する、とかなんとか。」
「時間か?」
「ええ、私もよく分からなかったのですがそんな感じでした。」
「時間が存在していなければ我々の趣味の根本が崩れてしまうじゃないか。時間の流れが無ければ歴史は繋がらないからな。」
「……そういうことなのでしょうか。」
「そうなんじゃないか?さて、その様子を見るにエルヴィンから聞くのは無理そうか?」
「うーん……かなり厳しそうですね。これからも時々来ますので、その時はよろしくお願いします。」
「うむ、分かった。」
「では失礼しました。」
みほは玄関で両足のかかとに指を入れ、一礼してこの大きな家を去った。
「……時間か。」
「それとアメリカの戦闘機に深い関連があるとは思えんぜよ。」
「だが現にエルヴィンがああなっているんだから、グデーリアンとの関係も含めて何かあるんだろうな。そうだ、そろそろ配給行ってくるぞ。」
「もんざ、よろしくぜよ。」
「イタリアンを久々に食べたいものだが……」
「贅沢言うな。オリーブオイルなんて配給される訳無いだろう。」
みほは一度家に戻り、配給を貰う袋を片手に再び靴を履いて貰うものを貰いに行く。一人分なので少し並んだものの受け取り自体はカードを見せれば終わりだ。そうでもしないとこの数を捌けないのだろう。
しかしみほはそのまま帰る訳ではない。もう一ヶ所行くべき場所がある。陽は傾いているがまだ街灯は灯っていない。まだ帰っていない可能性もあるのでのんびり街を眺めながら歩く。
移ってから半年以上が過ぎ、土地勘もジョギングなどで順調に育まれていた。この時間先程のエルヴィンみたく物思いにふけるのも有りかと考えたが、とりあえず状況を纏めてみることにした。
まず現在学園艦には統制体制が敷かれ、そのせいで食糧は配給制になり、筆記用具なども数が制限され、おまけにコンビニを眺めることさえ出来ない。
次に麻子さん。沙織さんの家に来て無線機を急に借りたいと言い、さらに絶望しているとか言って、その後生徒会に協力しているみたいだ。
そして華さん。生徒会に呼ばれてそのまま仕事をしている。優花里さんは風紀委員に呼び出されて、そして練習の時、思わず強く言ってしまうほど危なっかしかった。安全装置はそれほど恐ろしいものだから。
そして私たちが気づいたのは、学園艦が一時期西を向いていてさらに沿岸部を通っていながら寄港出来なかったこと。華さんの助言のおかげで戦車道の練習は出来るだろう。だが戦車道は何が出来るか。現実は何なのか。
そんなことを考えていたら正面から電柱に頭をぶつけた。みほにとっては稀によくあることであるが。頭を撫りながら一つの寮の前に来た。ここに居る者が目的である。この寮は朝早くから外に出られる為に一部の人間から人気があると言われる。
事情をそこそこ言えばそこの管理人はみほを部屋まで案内してくれた。どうやらみほがゆっくりしている間に早くも帰って来ていたようだ。その部屋の主である磯辺はみほの顔を見ると一瞬顔を歪ませたが、すぐに何時もの顔になってみほへの応対をした。
結論から書くと、このみほと磯辺の会話で得られたことは殆ど無かった。というのも練習時のことについて話をし始めると、磯辺が返答を頑なに拒否したからである。
ただ一つ得られたのは、動揺の原因があまり良くはないことだった。
次回予告
手を結ぶ時