広西大洗奮闘記   作:いのかしら

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どうも井の頭線通勤快速です。

長く続いたこの作品も最終回です。

どうか最後までお楽しみください。


広西大洗奮闘記 90 願はくは(終)

荷物を言われた部屋に持ち込み、壁のスイッチで明かりを灯した。

白熱電球の橙に近い明かりが部屋を照らし出す。

その部屋は広いが、その隅はただパイプ椅子があるのみだ。

まぁ寝る気は無いので構わないのだが。

間も無く冷泉ちゃんも後ろからやって来て、私のものの脇に荷物を置いた。

「それでどうするんだ。」

「私はこのまま勉強して待つつもりだけど、冷泉ちゃんは?」

「そうだな……もう少し外を見てくる。

ここにいてもやることないからな。」

「準備は済んでるようだけど、邪魔にならないようにね。」

「あいよ。」

部屋から冷泉ちゃんの姿が消えると、私は参考書を手に取り、椅子に腰掛けた。

椅子に包容力はなく、ギシリとバネが歪む。

場数を踏んでもやはり広東語の習得は上手くいかない。

やはり単語の抜けが目立つ、特に日本と漢字の意味が違うもの。

やはりまだまだ何を言うかを先に考えてしまい、出だしが遅れる。

というより最早ネイティブ顔負けクラスで習得していて、おまけに上海語にも対応出来ている秘書が化け物なだけなのだが。

ここの隅っこなら音読していても問題はないだろう。

 

しばらく経った。

とはいえどまだ1時間どころか30分すら経っていないはずだが、足音が近づいてきた。

「どうしたんだい?

長坂ちゃんにもう乗っとけって言われた?」

冷泉ちゃんである。

参考書を閉じながら応じる。

「いや、会長、貴女にお客さんだ。

私の天敵がやってきた。」

露骨に顔を歪ませる。

「……なるほど、行ってくる。」

手に持っていたものを椅子の上に置き、私も再び金属板の上の方へと戻る。

銀色の金属に囲まれた通路を通り抜けた先の船の足元には確かに人が2人いた。

予想していたが、予想していなかった。

「園ちゃんか。」

「お久しぶりね、角谷会長。」

「ついさっきその肩書きは捨てたよ。」

私はまたこの地を踏みなおした。

「風紀委員会新委員長の園みどり子よ。」

「副委員長の佐渡暁美です。」

「新委員長なのか。」

「今回小山副会長の要請でまた就任することとなったわ。

まずは会長ご退任おめでとう。

この先付き合いがあるなら、対応は私たちが行うこととなることを伝えておくわ。」

「付き合い?

私は暫くこっちには戻ってこないけど。」

「では小山会長から聞いた件はあの方の独断ということ?」

「とりあえず暫くはそっちとの関係は無いと思うけど、その件ってどんなの?」

向こうが耳元に顔を寄せてきて、小声で話しかけて来る。

「……ちょっと人目につくところは避けたほうが。

内容が内容なのよ。」

「ふーん……じゃ、船の中来る?

まだ暫く出ないみたいだし、その前に降りれば大丈夫でしょう。

私と冷泉ちゃん以外私たちのいる場所の近くには人いないし。」

「冷泉さん……。

寝坊、止まってる?」

「そんな訳ないじゃん。

私もいつも仕事前起こすの苦労してるよ。」

「それは指導が必要ね。

お邪魔するわ。

サド美、貴女はここで待って事情を伝えておきなさい。」

「了解しました。」

「じゃ、行こっか。」

私は彼女を船にあげた。

 

「成る程、実力部隊か……」

部屋にあげた時またさっきと同じ顔をした冷泉ちゃんも、渋々席につきながら新委員長の話を聞いている。

無論小言を言われた後だ。

「そう。

向こうの主な指導者2人は軍人なのよね?」

「それはその通りさ。」

「だとしたらその中で少しでも権力を得るとしたら、直属の実働部隊が要るのは事実じゃないの?」

「しばらくは無理だと覚悟してるよ。

そもそも私にあるのは発言権だけだ。

多数決に参加する権利さえない。

それに向こうの軍事、政治体制はほぼ維持されるから、私が口出しできる隙がないしね。

私は単に月に一回政務委員会の総会が開かれて出席するだけさ。」

「ずいぶん暇そうね、それだけなら。」

「無論それだけじゃない。

書類への署名や押印は山ほどあるし、政権の顔や人気取りの役目も担わされるみたい。

国内、国外両面においてね。

会合とか宴会とかも増えるから、太らないことを切に願ってるよ。」

本当にはんぺん型となった自分など未来永劫勘弁願いたい。

「こっちは必要な食料を手に入れるのに手一杯なのに、良い身分ね。

それより、さっきの件についてはどう考えているの?」

「時期尚早。

まず私が政権内でどうなるかも分からないし、下手に動くとリアルで首が飛びかねないからね。

傀儡に身を置いて様子を見るよ。

冷泉ちゃんはどう思う?」

「可能性はほとんど無いだろう。

そもそも風紀委員会を治安組織としても、武装は鉄の棒、上手くいって拳銃だろうな。

機関銃と大砲に敵う訳ないだろう。

本当に南シナ海に浮かぶことになるぞ?」

「……そう、なら良かったわ。」

顔はそれが真意だと物語っているように見えた。

組織の長として部下が死なぬよう願うのは妥当だろう。

「そういえば風紀委員会の分裂どうなった?」

「あぁ、あの件ね。

あれなら出ていった奴の鎮圧に成功して、私が新委員長になった後、向こうについた担当長と一時収監してた時の行動を見て、問題無いものは復帰させてるわ。」

「大丈夫なのか、それは……下手したら生徒会に反対しても許されると考えられてしまわないか?」

「でも担当長は例外なく収監を継続してるし、お陰で人員は倍増したから、何かあった時の対処はしやすくなったわ。

向こうについた者たちの方が鉄の棒の使い方が上手いのよね。

社会の不安定化による風紀悪化と反乱は必ず抑え込むから、心配いらないわ。」

身を乗り出してくる。

膝の上の拳が意思の硬さを示すなら、信じるに足るだろう。

「そのための代償も軽いものじゃなかったけどね。

医薬品はそもそも抗生物質がまともに無いときたし、備蓄もかなり使っちゃったし。」

「将来的な生産も視野に置いてるとは聞いてるわ。

実際に行われるなら、積極的に支持するつもりよ。

いずれにしても、私たちは学園都市のみに集中していて構わない、ということでいいかしら?」

「OK」

「出航まですぐのようだし、失礼するわ。

また会いましょう、角谷委員長。」

「それも大陸に帰ってからだけどね。」

彼女は私と固く握手を交わし、船を去った。

にわかに船の中が騒がしくなってくる。

この部屋にも待機組と思われる船舶科がぞろぞろと踏み込んできて、我々による独占状態は崩れた。

後10分。

 

 

椅子の下が揺れていた状態から前進へと変わった。

私たちは船長とともに、船が前方右に見せてきた港の全容を眺める。

私が帰ってきてから乗り換える船が反対側で待機し、この船がいたところには大きな空白が生じている。

そして昨日とは異なり、2本の旗が港湾事務所の脇から翻っていた。

1本は無論大洗の旗。

もう1本は国民党の青天白日旗。

私が乗った船に載せてあったものを、要人歓迎の印として掲げたらしい。

暫く先まで掲げておくという。

空気しか発せない私が要人とは。

 

船舶科の者らは前方に警戒しながら、面舵に転舵させる。

ここから8時間私たちはこの船と運命をともにするのだ。

すなわち暇だ。

音読しに戻ろうにも、先ほどの部屋では交代要員が仮眠を取っていたして、とてもそう出来そうな雰囲気ではない。

「長坂ちゃん、船内の雰囲気は良さそうだね。」

小声で語りかける。

「ええ、何とか。

自分たちが学園を支えている気がより感じられるという話はよく聞きます。」

「いい感じだね。」

「しかし変な噂も流れたりしてますし、このやる気がいつまで続くかも読み切れません。」

「変な噂?」

「はあ、それがなんともウチの船舶科の一部が向こうの軍人相手に売ってるって話でして。」

「売ってるって……」

「そういうことです。

まぁ流石に向こうの人間もそこまで金が有るようには思えないので、根も葉もないものでしょうが。」

「それならそれでいいんだけど、問題はその噂がなぜ立ったか、だね。」

「おそらくそれだけ食事がギリギリだからでしょう。

現状非難の意味もあるかもしれません。」

「何とかなりそう?」

「やはり水資源の確保が急務です。

どのような開発を行うにしても、それが必須であるのは疑いありません。

実際にこの先は住民の残っている荷物と装備品の輸送に切り替わるのですが、その際も淡水化装置及びその為の発電装置を優先的に運びます。」

「そうしてくれると助かるよ。

電気が十分手に入れば生活の幅も広がるからね。

工学科には頑張ってもらわないと。」

「我々はその為にいつでも船を万全の状態に保っておきます。」

「そうしてくれると助かるよ。

というか、さっきの話ここでしちゃって大丈夫なの?

下手に広東の軍人に伝わったら面倒なんじゃ?」

「大丈夫ですよ。

さっきの話はもう結構広がってますし、こっちの人間は向こうの航路の人間とは暫く関わってないので、伝わることはないと思いますよ。

何か秘密の話はここでなさっては?」

「そんな必要ないよ、本当に。」

「本当ですかぁ?」

「本当だって。

隠して何か出来るほど私力ないもの。」

 

流石に話をし続けるのも悪い。

相手は仕事中だ。

というわけで音読もまともに出来ない部屋に戻ってきた。

「冷泉ちゃん、起きてたのかい?」

「折角なら横になって寝たい。」

「贅沢な。」

「だって周りもそうしているじゃないか。

それで、ここは本音で話せそうか?」

「多分、向こうの航路の人間とは付き合いないって船長が言ってたから。

それにこっちにいるのも仮眠とってる人だけでしょ?

いけるいける。」

「そうか……さっきの話は本音じゃないよな?」

「……半分は本音。

実際あの2人には逆らえないよ。

逆らったら私は傀儡どころかその地位からも引き摺り下ろされかねない。

こっちのそういう動きは、私を受け入れた以上敏感になってるだろうしね。

だが向こうの改革、ひいては民政を狙いたいのは本当。」

「そうだろうな。

現在も広東省政府の庁舎には女子トイレが来客用に一つあるのみ。

男女格差の改善もやった方がいいかも知れないな。」

「まぁそこは私が顔役やれば多少は改善されると踏んでるけど……民政移管は如何ともしがたいね。

あとは風紀委員の本土導入も。」

「その機会はあると考えているぞ。

戦争時だ。

つまり本土から兵を引いた時、そこに治安維持の空白が生まれる。」

「向こうも読んでる気がするけどねぇ。」

「逆にそこで何も出来なければ、貴女はずっと傀儡のままだ。

あ、あと一応西安事件に介入するって手もあるな。

どういう道に行くかはともかく。」

「……とりあえず考えとくよ。

まずは広東語話せないとどうにもならない。」

話はそこでやめた。

ここで話し続けてどうにかなるものでもないと思う。

 

 

ハッと気がつくと、私の足元には参考書が表紙と背表紙を上にして転がっていた。

眠っていたようだ。

しかも目と鼻の先の人員が交代したのに気づかないほど。

隣もしっかり熟睡している。

時計を確認すると、あと1時間半。

腹が鳴った。

しかし渡されているのは水滴を集めた水が入ったペットボトルのみ。

これも島では貴重品らしい。

口の中の酸っぱい干からびたみかんの皮を何とかまともにする為、それを一口飲み、暫く口の中で転がす。

何となく甘い。

無条件に口の中の害悪を吸収したそれは、喉の奥へと吸い込まれた。

参考書を手に取り鞄に仕舞う。

少しページに折り目がついてしまったが、しょうがないと割り切ろう。

椅子から立つと、なんとも私の身体は単純に出来ているかを知覚した。

水を飲んだらトイレに行きたくなるとは。

 

トイレから帰ると、船長が部屋の前にいた。

私を待っていたのか、会うとすぐに私に甲板に来るよう誘った。

この輸送船Aは残り2隻よりでかく、甲板も水面より結構上にある。

その分船内も広いため、荷物の輸送にはもってこいなわけだ。

学園艦と比べてはいけないが、甲板に着いた時私の息は上がっていた。

運動してないせいもあるんだろうな。

「こっちです。」

「はぁ……一体何さ……」

船首の方に向かうと、水平線よりは手前にあるが、進行方向にずっと行ったところが丸く明るいのに気づく。

「あれは……?」

「学園艦の最期の火です。」

「どういうこと?

イカ漁には向いてそうだけど。」

「学園艦のエンジンの原子力発電が作っている電気を止まる前に消費させているんです。

まぁ、あと1週間もせずに消えますが。

明るいでしょう?」

「成る程、動かなくなった分使わないといけないわけか。」

「あのまま原子力発電を回し続けるのも不安ですし、何より発電量が減りつつある中で使わないと電流が強くなって、電線が発熱とかして危険なんですよ。

電線も回収されていってますし。

住んでる人もいるにはいるので、発電が長く続いてくれた方がいいんですけどね。」

「魚とか採ってないの?」

「遠すぎるんで無理ですよ。」

「勿体ないねぇ。」

赤色巨星のような炎は、みるみるうちにこちらへと近づいていった。

 

学園艦のドックへの入り口は開いている。

港に入り込むのは定刻通り。

そして鋲を降ろすのも定刻通りだ。

再び金属板が設置されて、私は土ではなく鉄製の桟橋の上に降り立った。

ここには生徒会の者が学園艦駐在担当として一人残されている。

そしてその者と残り3人が我々の到着を迎えた。

「お久しぶりです、角谷さん、で良いんでしょうか?」

「なんか微妙だけど、まぁいいか、三崎ちゃん。」

「大洗女子学園学園艦へようこそにゃ。」

「ようこそなり。」

「ようこそだっちゃ。」

「アリクイさんもこっちにいたのか。」

「力仕事を手伝ってもらってます。

ここまでの人材は他にはいませんから。」

「照れるもも。」

 

 

港で船舶科と三崎ちゃんが話し合っている。

ここから最後の住民輸送が行われる。

しかし運び終わるのは住民のみだ。

家財道具や電力関連、鉄鋼や淡水化装置などはまだまだここから運び出される。

無論この船の空きスペースにも載る。

明々後日からここは広東省政府の所属になるが、鉄鋼輸送の名目で船も送り込めるし、内容確認の名目で万山港に寄港もさせられるから、輸送に支障はない。

住民の輸送を急いだのは、早急に配給を一本化するためというのが大きい。

出港は今夜2時、6時間後だ。

その間私は鍵をもらい暫くの別れをすることにした。

 

甲板の上までエレベーターで戻って、人も殆どいないのにいつもよりも明るい道を、自宅に向けて歩く。

まれに人とすれ違ったが、彼らが最後の住民であろう。

学生寮もそのまま、入り口も通路も目がやられそうなほど煌々と輝いていた。

部屋に入ると何もない。

仕事で生徒会室で寝泊まりしたこともある身であったが、ワンルームの空間がやけに愛おしく、広く見えた。

スペアキーを寮長さんが持っているから、売却品として全て持っていったのだろう。

食器類とか棚とか新居に持ってっちゃだめだったのか。

だめなんだろうな。

自分だけ、なんて許されるはずもない。

床の木の上に靴下のまま上がりこむ。

コンロのスイッチを押しても、ただカチカチと音がするのみ。

窓の向こうも徒らに明るいだけ。

息を大きく吸って吐いてから、私はここを後にした。

 

生徒会室。

広い。

絨毯の色の奥にある机とその周りのものだけが残っている。

他の机なども全て向こうに輸送してるか、ドック近くの倉庫にあるのだろう。

ここには靴のまま堂々と侵入する。

そこの机は三崎ちゃんのものらしい。

料理も自分でしているような形跡がある。

 

隣、元私の机は綺麗にされた上で机の上に折られた紙が載っていた。

そこに書かれていた言葉が、その席が「元」私の席だということを痛感させた。

こっちにも他に机はない。

どうやら向こうからの担当者も一人と通訳のようだ。

確か今の間に向こうから島に来て、そしてこれが戻った後、折り返しこれに乗ってくるという。

僻地任務なので誰が行くかギリギリまで揉めたのだろう。

その方と生活する三崎ちゃんは英語が出来るからまだマシだろうが、頑張ってその人たちと付き合い、ここで生活して貰うしかない。

 

帰り道、肩に何かが触れた。

いや、乗った。

「久しぶり、ヨウムさん、だっけ?」

「その通りだ、こちらこそ久しぶり。

人がみるみる減って君が来た、ということはこれはみんな揃って移住した、ってところかな?」

「鳥頭とは思えないくらい良くやるね。」

「失礼な。

それで、私も移住していいのか?」

「さあね、私は島の動きは知らないよ。

行ってから考えれば?」

「次の船の甲板にでも乗っかるか。

流石にゴミも漁れないんじゃここでは生きていけん。」

「懸命な判断だと思うよ。

向こうもご飯は少ないだろうけど。

あと、あの話は本当に嘘じゃないんだね?」

「当たり前だろう。

嘘を言って何になるというのだ?」

「それもそうか。」

「では失礼、また会おう。」

鳥は肩から離れた。

白い光の中で灰色はしばらく目立ち続けた。

普通は小汚く見え好きになれそうにないその色が、何故か格好良い気がした。

 

 

エレベーターの重厚な扉が音を立てて開く。

目の前もすごく明るいが、先ほどよりかは暗く見える。

ドックに戻ってきた。

せわしなく荷物が積み込まれている。

どうやら太陽光発電のパネルやそれ以外のものも一斉に運んでいるようだ。

桟橋に近づいていると、一人待つ者がいる。

「何しに行っていたんだ?」

「ちょっとお別れにさ。」

「折角なんだから私も連れて行ってくれていいじゃないか。」

「こんな夜遅くに人を叩き起こす趣味はないよ。」

「もうこれからは出かけられないか。」

「まだ出航まで3時間あるし、いいんじゃない?」

「じゃあ、折角だし家に行ってくる。」

「行ってらっしゃい。」

しかし奥のエレベーターは上に向かってしまっているのが横の表示でわかる。

「こりゃしばらく来ないね。

おそらく住民か誰かでしょ。

じゃ、私先帰るから。」

私は桟橋の方へと戻る。

 

だがその前にやっておきたいことがある。

少し手の空いてそうな三崎ちゃんに、磁石があるかを尋ねると、倉庫のあたりにあるのでは、と帰ってきた。

何かするのですか、と聞かれたが特に大したことはない。

仕事は船舶科に任せられるからと付いてきたので、折角だから見ていてもらおう。

 

磁石は丸いものだった。

近くの鉄壁に当てると、結構しっかりくっつくようで、爪を隙間に差し込んでやっと剥がせた。

「良いね。」

「何をするんです?」

「ちょっと意気込みを残しておこうかな、って。」

「へー。

向こうの人間らしく漢詩かなんかで残すんですか?」

それには答えず、私はポケットにあらかじめ入れていた白紙を開き、近くの平そうな壁に当てて書き始めた。

 

願はくは

鉄の大船

また踏まん

而立を超えし

師も駆ける頃

 

これを貼り付ける。

カチンと小気味好い音とともに、それは引いても動かなくなった。

「和歌ですか。

これって、西行のパクりじゃないですか。」

「馬鹿、本歌取りと言ってよ。」

「しかも『鉄の大船』って素で書いちゃってる時点であまり上手くありませんよ、これ。」

「仕方ないね。

和歌なんて読んだことないもん。

あ、あれ剥がさないどいてね。」

「まぁ位置的にも邪魔にならないからいいですけど……」

「それじゃ船に戻るよ。」

私はそれに手を二回叩いて礼をして、背を向けた。

「高木様、こちらへお願いします。

荷物等は後日お渡ししますので。」

「おーい、この電線の束は何処に置けばいいんだ?」

「こっちはタンス一つなり。」

「パネル20枚だっちゃ。」

「載せちゃっていいから船内で聞いてくれ。」

私は荷物と新たな人が乗り込むのを横目に船へと進む。

化け物じみた量の荷物を持っている3人もしっかり協力しているようだ。

片足を金属板に載せる。

私の両足は暫くここに付かないだろう。

右足のつま先が、そこを離れた。

数歩進んで船に乗る。

そして中の通路を進んで鞄の側に戻り、電気を灯して参考書を手に取った。

而立のため一語でも多く頭に叩き込む。

 

 

汽笛とともに鉄の大魚から、一つの都市と四匹の動物、そして一つの実と果肉が産み落とされた。

それらの、そしてこの世界の運命を私は知らない。




読んでくださり本当にありがとうございました。
あとがきは活動報告の方に後ほど載せますので、見ていっていただけると幸いです。

寒くなってきましたので、体調にはお気をつけください。

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