「お疲れ様でしたー!」
僅かに疲労を感じさせるが、明るい声で挨拶をする人物ーー天海春香は、今や人気急上昇中のトップアイドルの一人である。
持ち前の元気さと邪気のない笑顔は、自然とスタッフ達の顔を綻ばせた。
ーー時刻は午後6時28分。天海春香、グラビアの撮影を終える。
「お疲れ、春香ちゃん」
「お疲れ様です!今日はこれで終わりだから張り切っちゃいました」
「いつも元気じゃんか」
「見てるよー、生っすか」
「えへへ、ありがとうございます!……っとと、失礼しまーす」
春香は時計を見るなり、そそくさと現場を後にする。
ーー今日はもう仕事はないし、久々に一人でどこかに食べに行こう。
先ほどから、春香のお腹の警報が空腹を訴えている。
早急に対処せねばならない重要事項だ、そう春香は判断し…現場近くの中華街へと繰り出した。
この時間帯はまだ人通りは少なく、歩いている通行人の数もまばらだ。
しっかりと眼鏡と帽子で変装しながら、夕焼けに照らされる街並みを歩く。
さて、今宵はどのような食が待っているのだろうか。そんな期待に胸を膨らませながら店を探して……。
「焼売のお店かあ…」
ーー駄目、今の私は焼売でお腹を膨らませるだけの余裕はないの。
ーー今日は仕事で疲れたから、女の子らしさをかなぐり捨てた、ガッツリしたご飯が食べたい気分!
そう自分に言い聞かせながら、焼売の誘惑を振り切る。
お腹を空かせた時の中華街は魅惑たっぷりだ、油断しているとふらりふらりとお店の中に誘われてしまう。
ここはしっかりと、何が食べたいのか考えなければならない。
ーー私は今、何が食べたいんだろう?
焼売、ビーフン、餃子、炒飯、鱶鰭、小籠包、焼豚、麻婆豆腐、らぁめん…じゃなかった、中華麺。
ーーううむ、一通りレシピを並べてみたはいいものの、特に気になるものは見当たらないなぁ。
むむむむ、時間が経てば経つほどお腹は減っていく一方だというのに…何を食べればいいのかわからない。
ーー焦っちゃ駄目。しっかり考えるのよ春香、貴女は今何が食べたいの?
「じゅるり……」
店頭に並べてある食品サンプル。
その中でも一際目を引くのは…「から揚げ定食」のサンプル。
ーー春香の頭の中で、天使と悪魔が喧嘩を始めた。
ーー確かにこれなら、ガッツリと食べられるわよ春香!
ーーいやいや、から揚げなんていつもお弁当に入ってるって。食べ飽きてるし。もっと中華っぽいの食べようよー
ーーいつも食べてるからこそよ!レトルトのから揚げばかりじゃなくて、たまにはお店の本格的なから揚げも食べるべきなのよ!
ーー天使が勝った。
食品サンプルの魅惑のボディには耐えられず、天海春香はその店の中へと入る。
「いらっしゃいませー」
感じの良いご主人のお出迎えに、春香は思わず笑みを浮かべる。
ーー中身は、普通の定食屋さんっぽいね。お酒を飲んでる人がいなくて、ほっとひと安心。
夫婦経営らしく、にこやかな奥さんに連れられて席へと案内され、水が運ばれる。
ーーうーん。いい感じ。初めて来たはずなのに、ただいまと言ってしまいそうな安心感が身体を包んでくれる。
周りを見渡すと、メニューに「から揚げ定食」の文字。横には「大人気!!」とデカデカと書かれてある。
ーーほらー、やっぱり私の目に狂いはありませんでしたねっ!
「ご注文は?」
「から揚げ定食で!」
「ーーうーん、いつも酷いことばっかり言ってるのに、最期に弟を庇うシーンはやっぱりかっこいいなあ…」
春香はご飯が来るまでの繋ぎに目に入った漫画を読みふけっていた。
こういった年季の入った店には昔の名作漫画が何冊か置いてあるのが常である。
たまに一巻抜けていたり、ページが破けて黄色くなっていたりするのはよくある事だ。
「ーーお待たせしました。お味噌汁は熱いから気をつけて飲んでね」
さて、今回のメインキャストのご登場だ。
まるで玉座とも言わんばかりに、キャベツの上に乗っかるようにして、から揚げがその存在感を露わにしていた。
白米と味噌汁も決してから揚げの引き立て役ではなく、ホクホクと湯気を漂わせるその姿には食欲が湧いてくる。
「ーーまずは、から揚げから」
パリッ、とから揚げの衣を噛むこの感覚。そして肉汁のエキスが飛び出し、鶏肉のジューシーな肉へとたどり着く。
「…はむ、…はぐっ…ほむ………」
ーーああ、揚げ物界で一番のお肉はやっぱり鶏肉だね。
ーー外はパリパリしてるくせに、中はプルプルとボリューミィ。
つい勢いにまかせて、一気にまるまる一個分食べてしまった。次いで、清算するようにご飯を掻き込む。
「はふ……はふっ………あむっ」
ーーご飯は本当に万物を受け止めてくれる奇跡の食べ物だよ。油っこい揚げ物だろうと、ご飯と食べると美味しさは何倍にもなっちゃう。
ーーそういえば子供の頃は、ご飯はよく噛んで食べなさいって言われたっけ。うんうん、よく噛んで味わって食べないと美味しくないからね!
「おっとと…キャベツを忘れるところだったよ」
肉との最強コンビ相手であるキャベツを口へと運ぶ。みずみずしいキャベツは程よくから揚げの油が染み込んでおり、それがまた食欲を倍増させる。
ーーお肉と一緒に食べるキャベツの千切りは格別。お肉の下のキャベツも、見えてるからねー!
お次はお味噌汁。定食屋のお味噌汁って、どうしてこんなにも心が落ちつくのだろう。
「…ずずず……ふぅ」
一口飲むだけで、心が満たされた気分。
お腹も心も温ませてくれる味だ。
長年作り続けてきたからこその味に舌鼓を打ちながら、再びから揚げへと箸を伸ばす。
ーーうん、うん。じんわりと疲れた体に染みていってる。定食屋さんのから揚げって、何でこんなにも心が安らぐんだろう。
から揚げを食べ、ご飯を噛み、味噌汁をすすり、そしてまたから揚げを食べる。
この幸せのサイクルの中に飲まれてしまった春香は、もう箸を止める事はできなかった。
「ーーご馳走様でした!」
時間も忘れて夢中で箸を動かすと、意外とすんなり食べられるものだとしみじみ思う。
春香はから揚げ定食をぺろりと平らげてしまった。
ーー美味しかった!
「750円になります」
食事をした後の幸福感に包まれながらお代を払い、店を後にする春香。
思えば、最近は仕事で忙しくてロクに趣味のお菓子作りさえする時間がなかったため…時間を忘れて食事に勤しむのは久しぶりだった。
ーーご飯を食べるって、こんなに幸せな事だったんだなぁ。忘れてたなぁ、私…
…中華街だし、事務所のみんなにお土産でも買っていこうかな!
ーー明日は今日よりももっと頑張れそうだ。
暖かい気持ちを胸に…春香は前へと歩き始めたのだった。
並行して執筆しているBLOODY!の方もよろしくお願いします。
続きは…私が何か美味しい物を食べたら書く予定です。