今回はエージェント夜を往くを聴きながら見てくださると宜しいかと思います。
ーーせっかくのオフだというのに、少女…菊地真の表情は暗くなるばかりであった。
今朝ジョギングをした時は、晴れ渡る青空に比例して明るい顔だったというのに、今となっては曇天のような顔つきだ。
「ーー女の子らしい料理って、なんだ……?」
菊地真が、このような疑問にぶち当たってしまったのには理由があった。
ーー明日は結婚記念日だから、ちょっと旅行に行ってこようと思う。
ーー真、明日のご飯は何か買って食べなさい。
そんな父親の言葉が放たれたのは、昨夜の食事後の事だった。食事前の空腹感から食事後の幸福感へ移行していた真の心は現実に引き戻された。
旅行って、そんな急に…と思わなくもなかったが、結婚記念日というのなら娘の私は素直に祝福してあげるべきだ。
そう思って今朝は元気に二人を見送った後…真は料理の準備を始めた。
「へへっ、女の子らしいお昼ご飯を作ってやるぞ…!」
そう真は誰に言う訳でもなく意気込んだ。
何を作るか考えて10分後。
「女の子らしい料理」はどれも手間がかかる上、お昼ご飯に食べるには量が足りない事に彼女は気がついた。
「どっ、どどどどうしようっ…!ショートケーキとか、ティラミスとか、シュークリームとか、女の子っぽい食べ物はいっぱいあるっていうのに!…全部おやつだよぉ!!」
ーー真の考える女の子像は、世間一般の女の子達とはかけ離れている。
彼女が少女漫画好きというのもあるだろうが、彼女の理想の女の子は花畑の真ん中で綺麗なフリフリのドレスを着てでっかいチョコレートケーキを食べているようなキャピキャピのお嬢様、というイメージなのだ。
しかしチョコレートケーキを作る技術は真にはないし、春香あたりに教えてもらうにしても彼女は今日は仕事が入っている。
それにチョコレートケーキは喫茶店などの洒落た場所でコーヒー片手に食べるような物で、ランチタイムにバクバク食べるような物ではない。
彼女もアイドルのはしくれ、いやそれ以前に女の子だ。流石に自分の体型を膨らますのには抵抗があった。
「でもなぁ、せっかくだし料理はしたいし…けど、オムライスとかチャーハンとかカレーとかは簡単だし女の子っぽさは…うーむ…」
菊地真は親に隠れてこっそり料理の練習をしている。今回も、女の子らしさを磨くために料理の練習を兼ねて作ろうかと思っていた。
しかし彼女は気づいていなかった。
女の子っぽい料理を作るから可愛いのではなく、女の子が料理をするから可愛いのだという事に。
「うーーーん………女の子っぽい、可愛い料理……!!」
菊地真17歳、その真実に辿り着くには彼女はまだ青かった。
「うんうん、我ながらよく出来てる!」
真は満足気な様子でその物体を皿に乗せる。
こんがりと焼き目がついたそれは、彼女の食欲をかきたてた。
ーーその名はホットケーキ。
恋と欲望弄ぶ詐欺師にして、愛と幻想すり替える道化師。
一口食べれば愉悦のひととき。情熱快楽の解放を待ち望むのみ。そう、狂える悦びを、乱れる悦びを。
この身のかぎりに激しく燃やして出来上がったのがこの一品だ。
ふわふわとした甘い生地の料理で、朝の食事からおやつにデザート、大きめの生地の昼ごはんとして食べられる事もある料理だ。
その起源を知るには古代エジプトまで遡る必要があるほど歴史のある料理だ。
主に、生地を薄くしたものがパンケーキ、その薄い生地で苺やらぶどうやらクリームやらを挟んだ物がクレープとされる。
ともあれ、真はふわふわとした生地にナイフを通す。
「最初は、何もかけずに…いただきまーす!はふ、んっ……うん…ほぃし…」
柔らかな甘味が口の中で溶け、一噛み毎に彼女をとろけさせる。
焼き立て熱々のホットケーキは、それだけの美味しさを秘めている。
(うん、ちょっと焼きすぎたくらいがボクの好みなんだよね…)
喫茶店のホットケーキは、たいていが焦げ目のないふわふわとした当たり障りのない物が多いが…自分で作るときは、ちょっと焦げたくらいがグッドだ。
特にホットケーキの外側の結構カリカリしている部分は…ふわふわの生地に良い感じのアクセントとなる。
(それにしても、豆腐の味が分かんないな…まぁ、豆腐の味って言われてもピンとこないけど)
今回のホットケーキは豆腐を混ぜてある。ホットケーキに豆腐とは、意外に思われるかもしれないが、味を崩さず、尚且つ厚い生地の豆腐ホットケーキは中々の美味だ。
真だけが使えるテクニックで溶かしつくして混ぜ込んだのだ。
「さてさてお次は…蜂蜜をたっぷりかけて…マーガリンも混ぜて……!はむっ、むぐ…う〜ん!」
ホットケーキの妖精が、真の心を掴んで離してくれない。
すっかり可愛らしい女の子の顔つきとなった真は、ホットケーキにナイフを通す手を止められなかった。
…今回はナイフとフォークで食べているものの、お好み焼きよろしく箸で食べる事もある。もっともお好み焼きの本場ではヘラで食べるようだが。
ーーさて、真は大食いだ。トッピングしないと食が進まないものの、人よりは食べる方だ。
ーーそんな真はホットケーキにもトッピングを加えた。
「冷蔵庫のブルーベリージャムをトッピングに…!………んっ、はふ、はむ、うん……ん〜〜!」
ブルーベリーの酸味とホットケーキの甘味が惹かれあい、そして調和する。
美味しさをもっと高めて、果てなく心の奥まで染みこんでくる味。
今宵(昼ごはんの時間だが)だけの夢に真の心は激しく踊る。世界の色が幸せの黄色に染まる。
「あ…もうなくなっちゃった…」
真はまだまだ食べられる。
もっとホットケーキを味わいたいという、この身を苛む煩悩。
ーーもっと食べたい焦燥感に耐えられないなら、ホットケーキミックスと卵と牛乳と豆腐の料理を確認するのだ。
どんな時も万全に応えられるように、材料はたくさん置いてある。
ーー漏れるホットケーキの空想繋ぎ止めたいから、オーバードライブを今は外さない。
ほんの不安一瞬に吹き飛ばして、真はホットケーキの二枚目を焼き始める。
ーーさて、真の父親の菊地真一はプロレーサーだ。
そんな彼が旅行に行くとなれば、やはり鈴鹿サーキットのある三重。
揚げ物は天むすや味噌かつ、麺類なら伊勢うどんなどが有名だが、菓子に目を向ければ長もちやシェル・レーヌ、いといん煎餅に安永餅、そして何と言っても赤福。
まぁとにかく、美味しい物が目白押しの所なのだ。
だから、当然お土産も沢山あるわけで。
「ついでに愛知にも寄ってきたぞ。特に昼ごはんに入った店が面白いメニューを置いててなぁ。スパゲティだけでも小倉抹茶スパとか、イチゴスパとか、おしるこスパとか、とにかくまぁ色々置いてあったよ。かと思えばワンコインでハンバーグカレーが食べられたりな。デザートは小倉パフェにしようと思ったんだが、他にも美味しそうなのが…」
「あ、あはは、あはははは……」
目の前のお土産の山に真は辟易としていた。
ーーこんなの食べられない、お昼にあれだけホットケーキを食べたのに、もっと食べるなんて無理。
明日の朝は小倉トーストよ、という母の言葉に真はうへぇと唸る。
豆腐ホットケーキはふっくらしている分腹持ちが良く、お腹に溜まる。調子に乗って何枚も焼いた真のお腹は、何も入らなさそうな程に限界だった。
(もう無理だ…仕方ない、今日の夕ご飯はパスで…)
「今日のご飯はきしめんよー」
「はうっ!?」
後日、真はダイエットに悩まされたとか。
小倉トースト美味しかったです。
でもダイエットはキツかった…。