カタッ…カタッ…………カタッ…………カタッ…
辿々しいながらもキーボードを打つ音が狭い室内に響く。この音の発生源は卓袱台に置かれているノートパソコンからなのだが、それを操作しているのは俺ではない。ひょんな事から一時的に我が家に居候する事となった小生意気な吸血鬼が、俺のノートパソコンを操作しているのだ。
エヴァンジェリンはノートパソコンを使って個人的な調べ物を行い、一方の俺はベッドに横たわってノートパソコンの操作に四苦八苦しているエヴァンジェリンを観察しながらスマホを操作している。
「チッ…また打ち間違えた。なんでキーボードの配列がアルファベット順じゃないんだよ。一体全体何処の馬鹿が造ったんだ?」
慣れない作業をしているのかエヴァンジェリンから舌打ちが漏れる。それもその筈で、本人の話を信じるとエヴァンジェリンは今から100年近く前に生きていた人なのだ。当然ながらノートパソコンの存在を知ったのは今日が初めてであり、操作するのも今日が初めだ。俺から言わせれば動かしているだけでも充分な事だと思うのだが…
「なぁ、やっぱり俺が操作しようか?」
「お前の助けなんか必要ない」
エヴァンジェリンに助け舟を寄越したのだが見事に撃沈された。パソコンの操作に慣れている俺がベッドに横たわり、今日初めて見たパソコンをエヴァンジェリンが四苦八苦しながら操作しているのはこういった事が原因だ。500年という長い年月を独りで生きてきたエヴァンジェリンは、人に助けを求めるという事を知らず異様なまでにプライドが高いのだ。
「ケケケ、コウイウ時ノゴ主人様ハ梃子デモ動カネェゼ。気ガ済ムマデホットケバイインダヨ」
卓袱台の上に座ってテレビを眺めている人形が呟く。人形の名はチャチャゼロといい、よく分からないがエヴァンジェリンが造った自動で動く人形らしい。此方の感覚ではオーバーテクノロジーなのだが魔法を使えばそれ程難しくないらしい。
「そういうもんなのかね」
「ソウイウモンナンダヨ」
「七篠、チャチャゼロ、気が散るから黙ってろ」
「へいへーい」
「ヘイへーイ」
「お前等の仲の良さが無性に腹立つ……」
エヴァンジェリンが紅茶を飲みながら咎める。別に俺とチャチャゼロは仲が良い訳ではない。エヴァンジェリンを攻撃する為になんとなくお互いの雰囲気に合わせているだけに過ぎない。
「エヴァンジェリンが魔法使いなのは疑う余地がないとはいえ、この世界に魔法なんて摩訶不思議なモノが存在しているとは思えないんだが…」
幻覚で右手を斬られ、チャチャゼロという存在を知ってしまえばエヴァンジェリンが魔法使い(齢五百歳の吸血鬼についてはまだ疑い中)だというのを認めざるを得ない、のだがこの世界に魔法なんてモノが存在しているのは流石に認められない。
「お前の意見など当てになるものか。気が散るから黙ってろ」
エヴァンジェリンが卓袱台を叩く。ノートパソコンとチャチャゼロがガタガタと揺れた。仕事道具も兼ねているのでもうちょっと大事に扱って欲しいものだ。
「あ~もう目がチカチカする。何なんだよこの光は…」
「光を軽減する眼鏡があるけど使うか?」
「あるなら最初から貸せ!気が利かん奴だな」
掛けていたブルーライトカットの眼鏡をエヴァンジェリンに手渡す。相変わらず礼の一つもない。
「それにしてもよくやるよ」
「…何か言ったか?」
「いいや、なんにも」
エヴァンジェリンがここ迄必死になって調べているのは「この世界が何処なのか」という情報だ。
チャチャゼロの話によるとエヴァンジェリンは400万ドルの賞金首をかけられる程の大悪党らしく、賞金稼ぎもしくは仇討ち目論む者にしょっちゅう追われていた。齢五百歳の吸血鬼(加えて真祖と呼ばれる吸血鬼の上位種との事だ)伊達ではなく、殆どの敵は瞬殺…だったのだが、とある一人の青年が死に際に発動した「不死身を消す魔法」をまともに喰らってしまい、気が付いたら100年後の現代に飛ばされていたのだ。どういう術式で、飛ばされた先が俺の自宅だったのかも今のところ不明だ。
そんなエヴァンジェリンが調べているのは、とある青年が死に際に放った「不死身を消す魔法」が「対象をはるか未来に飛ばす魔法」なのか「対象を別の平行世界に飛ばす魔法」という点だ。つまりは歴史的事実や魔法の有無で前者か後者かの判断を下すのだ。
「で、エヴァ的にはどっちが望ましいの?」
卓袱台に二人分の新たな紅茶とクッキーを置く。
「人の名前を勝手に約すな」
エヴァンジェリンが紅茶を飲みながら話す。
「エヴァンジェリンとか長くて言い難いじゃん」
「…私は寛大だし。それぐらいの洒落は許してやる。その代わりに敬意を込めて呼ぶ事だ」
「ういうい、えばぁ」
「次やったらトンデモナイ目に合わすからな」
クッキーを口にしながら適当に答える。
エヴァのどこら辺が寛大なんだか…
どちらかと言えば俺の方が寛大だろ…
「それで、質問に対する返答は?」
「あぁ…どっちが良いのかって質問だったな。そりゃ当然別の世界に飛ばす魔法だな。ここが別の世界だったら私がこれ以上襲われる必要はなくなるからな。あいつ等はウザくて敵わん」
随分とあっさりと答えるものだ。誰にも頼らずに独りで生きていたっぽいし、未練なんて欠片もないんだろうな。エヴァの闇は深いな…
「ここがエヴァの知っている世界だとしても、100年近く世に出てなかったら死んでると思われてるんじゃないか、懸賞金とか取り下げされてたりするんじゃないのか?」
「普通の賞金首ならそうだろうが、私は不死身の吸血鬼だから取り下げはありえない。まぁ魔法世界ならいざ知らず、旧世界の私の認知率はそこ迄高くなかったから、普通の魔法使い達の間では忘れ去られているかも知れないな。因みにネットで私の名前を調べても何も出なかったので、世間一般の認知率はゼロだと思っても良さそうだ」
「魔法世界」と「旧世界」という重要そうなワードがさらっと出たけど、面倒臭そうな雰囲気がしたのでスルーする。
「因みに賞金稼ぎ達がエヴァを見つけ出す事は可能なのか?」
「魔法を使っての索敵が可能って意味か?
索敵系の魔法があるにはあるが、アレは索敵範囲が限りられる。対象が何処に居るか分からない状態で対象を見つけ出すのは不可能に近いぞ」
「つまりは魔法以外に気を使えば、エヴァが外に出ても大して問題にならないって事か…」
魔法以外の存在とは人伝やインターネットを媒介しての目撃情報の事だ。エヴァの容姿はこの国では目立つ。通行人がおもしろ勝手に写真を取りインターネットに投稿されるだけで、見つかる可能性が出てくる。まぁ変装すれば済む話なのでそこ迄深刻ではない。
「そういう事だ。見た目よりも理解が早くて助かるよ」
「一言余計だ。大事なスポンサー様なんだから敬意を示せ」
「はっ!」
鼻で笑いやがったぞコイツ。
いつか絶対に泣かす。
「取り敢えず外に出れそうって事だな。エヴァがこの部屋で一生を終えるのかと思っていたから素直に良かったよ。おめでとさん」
「この部屋で一生をって、どんな地獄だよ……」
「地獄言うな賃貸とは言えマイホームだぞ。
……話は戻ってパスポートの関係で国外へ行くのは難しいけど、国内なら一回ぐらい資金を融資してやってもいいぞ。行きたい場所とかあるか?」
「……そうだな、折角だから京都に行ってみたいな」
少しだけ考える素振りを見せてから答えた。京都か…選択が些か渋いな。新幹線を使えば遠い距離ではないな。確か直通で行ける筈だ。
「そっか、じゃあ近いウチに手筈は整えて置くから適当な日に行ってきなよ」
エヴァの顔が突然引き攣った。
「おいコラ待て、もしかしてお前は来ないつもりなのか?」
「行くわけないじゃん。俺は引き篭もりだぞ」
「私一人で京都に行けと言うのか?」
「まぁ……そうなるな。社会常識については京都に行く前に街に出て教えるつもりだし、エヴァには通話用の携帯を持たせるから多分平気だろ」
「あぁ、もう!話の分からん奴だな!!」
何が不満なのかエヴァが唸り声を上げ、ベッドに飛び上がって仁王立ちになった。ベッドの上で仁王立ちになられたので、必然的にエヴァを見上げる形となる。
「お前も付いて来い」
「嫌だ」
「付いて来い」
「嫌だ」
「付いて来い」
「嫌だ」
「よし分かった。殺す」
「お伴させて頂きます!」
これ以上拒否すると冗談抜きで殺される気がしたので、あっさりと軍門に下った。断ったら殺すってどんな戦国武将だよ。
「京都とかマジで興味ねぇよ。中学の修学旅行の時だけでお腹いっぱいだわ…」
「は!たかだか一回行っただけで満足とは片腹痛いわ」
「お前は京都のナニを知ってんだよ…」
エヴァのテンションが妙に高い。
ここ迄喜ばれては中止にするのは可哀想だ。
運命だと諦めて一緒に行ってやるか……
「日程とか泊まり先については俺が決めておくから、何処の観光名所を回るかはエヴァに任せる」
「任せておけ」
「へいへい、期待してるよ。
それでエヴァ、パソコンまだ使うのか?
京都関係で揃える物があるから使いたい」
我が家にはノートパソコンが一台しかない。
「いいぞ。大事に使えよ」
エヴァからノートパソコンを渡された。俺の所持物なんだけど…早い内に新しいのを買った方が良さそうだな。エヴァが使っていたブラウザとは別のモノを開き、目当てのページを開く。エヴァとチャチャゼロが興味深そうに此方を窺う。
「それはなんだ?」
「Amazon…って説明しても分かんないか。大雑把に説明すると、このサイトに表示されているモノはパソコンで買うことが出来て、買ったモノは後日運んで貰える。つまりは家に居たままでショッピングが出来るって事、伝わったか?」
「ここにあるものは何でも買えるのか?」
興味を持ったのかエヴァが身を乗り出す。
「物を買うのに金が必要だけどな。使ってもいいけど相談なしで物を買うなよ。フリじゃねえからな。勝手に高い物を買ったら絶対に許さねぇぞ」
「善処しよう」
そこは誓ってくれよ。なんとなく金遣いが荒そうなので信用出来ん。購入にはパスワードが必要だが、念には念を入れてカード会社の方でも制限を付けた方が良さそうだな。
「んじゃ、このサイトでエヴァの服を買うぞ。そしてその服を着て、京都行きの服を買う為に街へ繰り出そう」
「服なら腐るほどあるんだが?」
エヴァが革張りのウエストポーチを指差す。あのポーチはエヴァが「前の世界」から持ち出した唯一の所持品である。ドラえもんの四次元ポケットみたいに物理法則を無視した収納性があり、色々な物品が収納されている(チャチャゼロもそこに収納されていた)。エヴァの言う通り様々な服があったのだが…
「エヴァの私服はセンスがキツい…」
「喧嘩売ってるなら買うぞ?」
「売ってねぇから買うな」
エヴァの私服は悪の幹部みたいなキレッキレだったり、歳相応の服を着ろと説教したくなるぐらい際どいものしかなかったのだ。仮装の粋だ。そんな服で近所を出歩かれては悪目立ちが確実なので現代と歳相応に合った服を選んで欲しいのだ。
「この私が見た目相応な服を着る羽目になるとは、なんという屈辱…」
「嫌なら止めるか?金出すの俺だしぶっちゃけ買いたくない」
「なっ、別に嫌だと言ってないだろが!勝手に決めるな!」
「じゃあどっち?買うの?買わないの?」
「買うに決まっている!私が直々に選ぶから早く退け!!」
エヴァに足蹴にされ、お互いの位置を交換。エヴァの背後から簡単な操作方法を教えた。エヴァはかなり頭が良いみたいで俺が二言三言教えただけで問題なく閲覧を行えた。ダブルクリックとタイピングは相変わらず辿々しいけど…
「エヴァが何を考えているのか俺には分からん」
熱心にサイトを閲覧しているエヴァを見て呟く。
「嬉シインジャネェーノカ?」
「嬉しなら素直に嬉しいって言えよ…」
「五月蝿い!」
エヴァが一喝するが様になっていない。
「さてと…それじゃあちょっと外出して来るわ」
「何しに行く気だ?」
「近所のスーパーで買い物。エヴァ用の歯ブラシとかシャンプーとかその他諸々の日用雑貨、あと俺用の布団一式を買ってくる。留守番頼むな」
歯ブラシやタオル類は当然として、洗顔やシャンプーに関しては家にあるのが成人男性用と、肉体年齢が10歳のエヴァには刺激が強過ぎるので専用のを買う事にした。あとエヴァがベッドを占領しているので、自分専用の寝具も買う。
「身体、ちょっと軋むな…」
身体を解しながら小さく呟く。
昨夜はマジで床で寝るとは思わなかった。
お陰様で体の節々が痛む。
「他に欲しい物とかあるか?」
「ワイン」
「それは駄目………だろ?」
エヴァが吸血鬼と知り、強く否定は出来ない。
「吸血鬼の再生能力なら、アルコールを浴びる程飲んだって後遺症は出んさ。別に問題なかろう」
それはそうなんだろうけど、倫理がな。
……でもエヴァには色々と我慢を強いているので、
酒ぐらいは許さても良いのかもな…そうするか。
「それじゃあ適当なのを一本だけ買っとくぞ。他には?」
「何もない。さっさと行け」
エヴァの視線がパソコンの方に移動する。これ以上話すことも無いのでスーパーへ行く事にした。
温厚とまでは言わないが、俺は基本的には平和的な性格の持ち主であり、人に対して暴力を振るった事は記憶を頼りにすると一度もない。そんな俺がエヴァに対して現在ブチ切れ中だ。直接的な暴力に訴えなかったのは、エヴァの幼すぎる見た目と、やり合っても魔法という不可思議な力によって負けてしまうだろうという予測があったからだ。
「現在ブチ切れ中なんだが、理由は分かるか?」
「さっぱり分からん…腹が減っているのか?」
元凶はエヴァなのだが、しれっと答える。
「Amazonカートの総合金額が20万超えてんだよ!」
エヴァが何を選んだのかと興味に思い、スマホのAmazonアプリでカート内を覗いてみれば総額20万。服を買いに行く為の服を買うだけでこの有様だ。まさか服一組だけで20万は行かないだろうと思って見てみれば、エヴァのアホ野郎は案の定、関係ないものをカートに入れていやがったのだ。
エヴァの姿に合った服一式は今回の趣旨に合っているので多少値段が高くても文句は言わないが、問題はそれからだ、エヴァが着るには10年は早そうな成人女性の服一式。極め付きは何の用途に使うのか意味不明な巨大な球体のフラスコ、本体9万円、送料5800円だ。
「永遠ロリのお前がレディース服とか無用の長物だろうが買ってどうするんだ?飾るのか?そういうモノは自分で働いてから買えよ馬鹿!あとこの謎のフラスコは何!?マジで何に使うの!?」
エヴァに詰め寄る。
攻められた本人は今にもキレそうだ。
キレたいのはコッチの方だよ。
「こっちは大蒜と十字架のアクセサリー、銀のフォークまで持ってるんだからな!今までの無礼と積年の恨みを此処で晴らす!」
スーパーに行った理由は生活必需品の購入だけではない。エヴァをコテンパンにする為に吸血鬼が苦手そうな物を色々と買ってきたのだ。因みに銀のフォークは5000円もした。手痛い出費だ。
「……言っておくが真祖の吸血鬼相手には気休め程度にしかならんぞ」
エヴァの説明に唖然とする。
真祖の吸血鬼って普通の吸血鬼と違うの?
「全く違う。天と地ぐらい違うぞ」
「……弱点とかはないのか?」
「分かりやすい弱点があったらとっくの昔に死んでるわ。それで…やるのか?」
「くっ…今回だけは許してやる。だがAmazonのパスワードだけは絶対に教えぬ。世間知らずのお前に教えといてやるが、金は無尽蔵にあるわけじゃないの、だから無駄な物を買う余裕はないの、分かる?ってか分かって下さいお願いします」
無趣味の一人暮らし故に同世代よりも貯金額は多いが、所詮は頭一つ抜けている程度だ。このペースで消費してしまえば破産コースまっしぐらだ。
「それぐらいは知ってるよ。
これでも私はお前に気を使っているんだぞ
故に私は無駄な物を買った覚えはない」
「……謎の巨大フラスコは?」
「成功するかどうか分からんから秘密だ」
「それで納得しろと…金払うの俺なんだが」
「私を信じろ。絶対に悪いようにはしない」
「詐欺師の常套句じゃん。昨日今日の関係でほざくなよ………」
交渉が膠着状態になった直後、第三者から意見が出る。
「ナナシノ、俺カラモ頼ンデモ良イイカ?」
「チャチャゼロがそう言うのなら仕方がない。今回だけだぞ!」
「早っ!私の時と態度が違うぞ!?」
「日頃の行いじゃないか?それでレディース服は?」
「着るんだよ。馬鹿かお前は?」
「鏡見ろ」
「幻覚で大人になれば着れるんだよ!!」
魔法ってそんなに万能なのか?
確かめる為にチャチャゼロに意見を求める。
「マジダゼ」
「本当かよ。一回やってみろよ」
「酒の席じゃないんだぞ……」
愚痴愚痴と文句を言うエヴァであったが、聞き慣れぬ言語を唱えた。魔法の詠唱を始めたのだ。エヴァの姿が霧に包まれ、次第に晴れていった。
「…………どうだ、欲情したか?」
幻覚で大人になったエヴァの姿はとてつもなく綺麗だった。人間離れした程に整った顔。一本の縮れ毛のない絹の繊維みたいな金色の長髪。すらっと長い四肢に、シミ一つないきめ細やかな真っ白な肌。内臓が何処に詰まっているのか不思議に思う程細いお腹、それとは反比例に程よく膨らんだ乳房。どの部位をとっても美しく、あらゆる時代、国家の女性が裸足で逃げ出す程に美しい。美しいのだが……
「コンプレックス丸出しで此方が恥ずかしい…」
美しい姿は所詮は幻覚であり、ロリ体型のエヴァが望んで求めた姿である。それを知ってしまうとどんな美女であっても萎えて憐れに思ってしまう。
「あぁ!?」
青筋を立てた大人エヴァが掴み寄って来た。