トントントン………
夢現で意識がボーッとしている頭の中に、断続的な打撃音が響く。エヴァがノートパソコンを弄っているのか?キーボードを叩くの音にしては少しばかり力強い音だ。それにエヴァのタイピングにしては軽やかだ。じゃあなんだ?
トントントン……
少しづづ意識が覚醒していき、音の出処がキッチンの辺りだと察する。って事は音の正体は包丁を使う音か…では誰が?といってもこの部屋の登場人物は俺、エヴァ、チャチャゼロの三人と少ない。俺は当事者で寝ているので除外、チャチャゼロは体格的に包丁を持って扱うのは難しいだろう…って事は残るエヴァがキッチンで包丁を使って料理を作っているのだと結論付ける。家事当番の話の際に「家事は全てお前がやれ!」と一喝されて、やむなく閉廷したのだがどういう心境の変化なんだ?料理が不満だったとか?エヴァはそこそこ美味しいと言ってくれたんだけどな…
意識を完全に覚醒させ、キッチンで料理をしているエヴァの方へ視線を向けようとする。狭い1LDK、リビングとキッチンを隔てるモノは何もなく、上半身を起こすだけでキッチンの全体が見えた。
「………誰?」
キッチンで料理をしていたのはメイド服姿の見知らぬ女性であった。俺の呟きが聞こえたのか、メイド服の女性が此方を向く。
「おはようございます七篠様、あと6分程お時間を頂ければ朝食が完成しますので、それまでお休みになっていて下さい」
「えっ、あっ、はい、ありがとうございます?」
メイド服姿の女性がゆっくりと頭を下げ、キッチンへ向き直り、何事もなかったかの様に料理を再開させた。かなり異常な光景なのだが、堂々とした女性の姿に此方の方が異常ではないかと錯覚してしまう。それにしても……
「目が覚めたら美人な彼女が料理をつくってくれているとかどんなロマンだよ…何だかよく分からんが生きてて良かった、よっしゃあ!!」
「朝っぱらから五月蝿いぞ!!」
ガッツポーズをしながら歓喜していると、エヴァから怒声が飛んだ。
茶碗一杯のお米。
玉子焼き。
焼き魚。
納豆。
味付け海苔。
豆腐とワカメの味噌汁。
お新香。
理想的な朝食が卓袱台の上に置かれる。まるで夢の様だ。既製品や残り物が多く、料理としの手間はそれほどかかっていないのだが、大事なのはそこではない。メイド服の美女が俺の為に朝食を用意してくれたのだ。男冥利に尽きるとはこの事だろう。
「わざわざ作ってくれてありがとうございます……え~っと、その……お名前は?」
「チッ」
「アインです。七篠様とご主人様の朝食を作るのが私の役目ですので、お礼などは恐れ多い事でございます」
「チッ」
「それでもありがとうございます」
「チッ」
「……七篠様はお優しい方なのですね」
「チッ」
「そんなんでもないですよ。アインさん、よろしければ明日も朝食を作ってくれませんか?」
「チッ」
「それが私の役目ですので喜んで」
「チッ」
「ありがとうございます。お礼と言っては何なんですけど夕食をご馳走しますね、と言っても男の手料理なんですけど」
「チッ」
「ふふっ…楽しみに待っていますね。ところで七篠様、折角の朝食が冷めて美味しくなくなってしまいますので、お早めの食事をお願いします」
アインさんの言う通りだ。アインさんが折角作ってくれた朝食が冷めてしまってはアインさんに対しても申し訳が立たない。もう少しアインさんと話したかったが仕方がない。両手の掌を合わせて「いただきます」と言おうとする。
「もう限界だ!こんな世界滅ぼしてやる!!」
両手の掌を合わせた直後、エヴァが立ち上がって叫び出した。ってかさっきから舌打ちうるさい。
「突然怒鳴ってどうしたよ、もしかしてまだ酔っ払ってんのか?」
「吸血鬼が二日酔いなんかになるか!私を蔑ろにして、なに人形とイチャイチャしてるんだよ。殺意を抑えるのに必死だったわ。そもそも私の時と態度が違い過ぎないか?あれか!お前も私に欲情しないタイプなのか!?第二次成長期を迎えないと欲情しないタイプだったのか畜生っ!」
「今日のエヴァは凄いな」
エヴァに対する態度については、エヴァの態度に合わせた結果なので咎められる筋合いはない。文句あるなら自らが率先して態度を直せよ。
「ってかエヴァ的には、俺がエヴァに欲情して欲しかったのか?だとしたらドン引きっすわ」
姿形はロリそのものだが、齢500歳の吸血鬼だ。性事情に関してはそれなりにあるとしても不思議ではない…のだが姿形が姿形なので、生々しい事情は知りたくもないし関わりたくもない。
「あぁ?どういう解釈だ!」
「なんとなく悔しそうだったから。違うの?」
「死ね。誰がお前なんかとまぐわうか。考えただけでも悍ましいわ。私の許可なく身体に触れたら容赦なくぶっ殺すからな!」
「許可あったら良いのかよ…」
「一々揚げ足を取るな。黙って飯を食うぞ!いただきます!」
「へいへい。それじゃあいただきます」
言い争い終え、若干冷めた朝食を食べる。
朝からこんな調子では色々と思い遣られる…
「つまりアインさんはチャチャゼロと同じくエヴァが創り上げた自動人形って事なの?」
「そうだ、というよりそれ以外にないだろ」
「俺に惚れたメイドさんだと思ったわ」
「……現実見ろ」
「うるせぇ吸血鬼」
朝食を食べ終わり、エヴァからアインさんについての説明を受けた。アインさんについて一言で説明すると、チャチャゼロと同種との事。チャチャゼロは姿形が人形そのものなのだが、アインさんは何処からどう見ても人間にしか見えない(感情が乏しい様な気がするけど)。言われてみれば身体の節々が見えない様な服装をしており、手袋までしっかりとしている。人形とはいえ元々の形が女性なので、実際に確かめるような真似は事は出来ないが、ひょっとすると人形のような球体関節をしているのかも知れない。
「アインさんはこれからどうなるんだ?」
部屋の隅っこで正座待機しているアインさんの方を向く。お互いの目が合う。ニッコリとした笑顔を返してくれた。仕草が人間そのものだ。
「お前に対する礼として、主に家事手伝いなどをさせる気だ。用のない時は活動を停止させ、カバンにでも詰めておくから心配するな」
「うわぁ最低。扱いが道具じゃん。見損なったぞエヴァ」
「キツい事を言わせてもらうが、アインが幾ら人の形をして、幾ら人の言葉を喋ったとしても、人形は何処まで行っても所詮は人形だ。人間ではないし、人間にはなれない。だから一緒にしてやるな」
「言ってる意味は分かるが気分が悪い。別段邪魔になる訳じゃないし、部屋にずっと居てもらってもいいぞ。そっちの方が色々と都合がいいだろ」
エヴァが溜息を吐く。
「またそれか……初めてあった時から思っていたが、お前って物事に対する考えを論理よりも感情に重きを置くタイプだろ。甘い男だ。そんなんだと近い将来に私みたいな悪い女に騙されるぞ」
「現在進行形で騙している奴が言うなよ…」
エヴァに貢がされているとは思っているが、騙されているとは思っていない。まぁ例え騙されていたとしても、自分で選んだ選択だ。どのような結果を迎えたとしても悔いはしない。
「ってな訳でアインさんには、本の物置き場と化している部屋を上げるから好きに使っていいよ」
「七篠様、ありがとうございます」
我が家は1LDKなので、独立している部屋が一個ある。その部屋には仕事関係で使う本が大量に保管されており、半ば物置き場とかしている。割りと整理整頓が行き届いているので、普通に過ごす分のスペースは確保されているので、特に問題はないだろう…またマットレスとか家具を買ってこないとな。あの部屋に何が必要なのか考えていると、エヴァの顔面が突然視界に現れた。心なしか怒っている様に見える。
「ちょっと待て。あの部屋が使って良い部屋ならば、まずは私に寄越すのが筋ってもんだろうが。私だって一人部屋が欲しい」
「知らね。そんなに欲しいなら魔法で造れば?」
何の気なしの挑発だったのだが、エヴァがその手があったかみたいな表情を浮かべた。
「言われてみればその通りだな。別荘造りに固執し過ぎて忘れていたが、まずは工房が必要だったな。そもそもあんな馬鹿デカいフラスコを置く部屋を造らなくては作業どころの話じゃなかった…」
エヴァがブツブツと独り言を呟く。言っている意味は分からないが、魔法によって新たな部屋を造れるみたいだ。
「へぇ〜魔法って何でもアリなんだな」
通算何回目かの台詞を呟く。
「そうだ。時間と金と魔力さえあれば、地球をもう一つ造れるぐらい万能なんだよ魔法って奴は」
「……何やってもいいけど俺と部屋にだけは迷惑をかけるなよ、ってかマジでお願いしますね!」
「そこん所は弁えているから安心しろ」
何故だろう凄く不安だ。同じ部屋に居るので、ヤバそうだと思ったら身を呈して止めれば良いか…
「魔法は万能だぞ」
「知ってる」
「魔法は凄いんだぞ」
「だから知ってる」
エヴァが脈絡の無いことを次々と呟く。
「魔法に興味があるか?」
「あるなしで言えばあるな」
「そうだな!そうだろう!そんなお前には真祖の吸血鬼であり、闇の福音として魔法使い達を恐れ称えられた私が、直々に手取り足取りで魔法を教えてやろう!私は弟子を取らん主義だが今回だけは特別だ。見に余る光栄に泣くんじゃないぞ!」
「あ、やっぱりイイっす」
「なんでだ!?」
なんでだって言われても……ねぇ。なんで魔法に興味があるって話をしただけで、魔法を習得する話なっているのかが謎だわ。此方は話を聞くだけで充分なんだよ、とエヴァに伝えた。
「魔法という存在を知りながら、魔法を習得する事を拒否するというのか?お前はそれでも男なのか!この玉無しが!」
玉無し言うな。付いてるわ馬鹿。
「空を飛んでみたいとは思わんか?」
「現代社会で生身で空を飛んでたら大事件だぞ」
「…禁忌だが魔法を使えば好きな女を自分のモノに出来るぞ、どうだ?」
「そんな相手は居ないし、居たとしても普通に恋愛するわ。俺をなんだと思ってんだよ馬鹿」
「ぶっ倒してみたい奴は居ないか?」
「そんな奴は目の前に居る奴しかいねぇよ」
「世界征服」
「単純に面倒臭い」
「永遠の命」
「全く興味がない」
あの手この手で謎の勧誘が進むが、そもそもの疑問がある。
「エヴァ、俺って魔法を習得出来るのか?」
「あっ!」
「あっ、じゃねぇよ。今日のエヴァはちょっと変だぞ」
この世界がエヴァが500年生きていた世界であるのか、という問に対しての答えは未だ出ていない。この世界がエヴァが生きていた世界であれば、俺が魔法を使える可能性は高いのだが、この世界がエヴァの知らぬ世界、つまりは魔法という現象が存在しない世界ならば、俺が魔法を使える可能性は限りなく低いのではないだろうか。
「………そっ、そうだ、お前に魔法を教えて、習得出来るか否かで答えを判断するのはどうだ?」
「えぇ〜ズルっ。そんな言い方されたら断り難いじゃん」
エヴァの疑問に対する答えは、エヴァの命を狙う者達が存在するのかという答えにも繋がる。巻き込まれる身としては是が非でも知りたい答えであり、それだけに「学ぶのが面倒臭い」という浅はかで自己的な理由では断り難い。
「お前は私を助けてくれるんだよな、あぁ?」
形勢逆転とばかりに挑発的な態度を取るエヴァ。
「えぇ…もう分かったよ。やるよ、やれば良いんだろ。やってやるけど暴力厳禁だからな、あと俺は怒られたらガチで凹むタイプだから言動には気をつけろよ」
「面倒臭い奴だな。まぁ善処しよう」
「いや、だからそこは誓ってくれよ…」
俺が了承した途端、エヴァがニヤけだした。
これは虐められるやつですわ。何故こんな目に…
「早速開始だ。まずは主従関係をハッキリとさせよう。今日から私の事はマスターと呼べ!」
「断固拒否する!辞めるぞ!」
「むっ……なら主従関係の件はなしだ。普通にやろう」
普通にやれるなら、最初っから普通にやれよ
「では、これを持て」
エヴァが私物のバックから長さ20cm程の取り出し、俺に渡した。質感は木といった感じで、先端に星形の突起が付いている。魔法の発動媒体の筈なのだが、見た目は完全におもちゃだ。
「 プラクテ・ビギ・ナル・アールデスカット」
「は?」
「魔法の発動キーだ。一回で覚えろ馬鹿。
プラクテ・ビギ・ナル・アールデスカット!
ほら、アホ面晒していないでお前も繰り返せ」
「教え方が下手糞ってレベルじゃねえぞ!?」
よく考えればエヴァは人に頼るような性格の持ち主ではなく、本人も言っていた様に弟子を取るなんてのは特例中の特例であった筈だ。そんな奴にマトモな指導方法を期待したのが、そもそもの間違いだった。エヴァってコミュ障なんだね。
「ぷらくて・びぎ・なる・あーるですかっと」
気を取り直して、杖をかざしながら詠唱をするが……特に変化なし。
「違う。プラクテ・ビギ・ナル・アールデスカットだ」
エヴァに微妙なイントネーションを注意された。
「大前提としてこれって何の魔法なんだ?
何の魔法か知らないとイメージがし難いんだが」
魔法について何も知らないが、何も考えずとも発動キーを詠唱をするだけで魔法が発動するというモノではない筈だ(でなきゃ一般人が偶々、発動キーと同じ言葉を発しただけで魔法が発動してしまうので)。それなのに、これから発動させる魔法の概要を教えなかったのはエヴァのミスだ。
「………言い忘れていたが、杖の先端から小さな火が出る魔法だ」
「エヴァって壊滅的に教えるのが下手だな。
弟子を取らない主義って言ってたけど、本当は弟子が現れなかったんだろ。見栄張るなよ。ってか、これから発動させる魔法ショボ。それならマッチ使うわ」
「黙れ。お前は師から言われた事を黙ってやってればいいんだよ。それと私に弟子が現れなかったのは、私が高貴過ぎたのが原因だ!」
「へいへい。分かりましたよ」
これ以上言い争ってもエヴァを虐めるだけなので止める。深呼吸を数回繰り返し、気持ちをリセットさせる。気持ちが落ち着いたのを見計らい、これから叫ぶ発動キーと、杖の先端にマッチ程度の炎が灯る事だけを考える。
「プラクテ・ビギ・ナル・アールデスカット!」
先程より気持ちを込めて詠唱を行うが変化なし。
結果は失敗なのだが、エヴァの顔つきは普通だ。
「これを毎日100回はやれ。遅くても3ヶ月ぐらい立てば正常に発動するだろう」
「えっ、今日習得出来るんじゃないの!?」
なにその筋トレみたいな日数と回数。
そんな話全く聞いてないんだけど……
「一日で魔法が使えるのなら、魔法使いという職業は存在しないだろうが」
エヴァの言う通りだ。魔法を発動させるのが困難だからこそ、「魔法使い」という総称が存在しているのだ。それにしても杖の先端に火を灯すだけの魔法の習得に3ヶ月か…あれ?
「エヴァ、習得に3ヶ月も必要なら今回の趣旨に合ってなくないか?」
「ん?」
「この世界が何なのか?という問いに対しての答えを得る為に、俺に魔法を習得させようとしたんだけど、習得に3ヶ月も掛かるのなら他の方法でも答えが見つかるだろ、って言ってるんだけど」
「ん?」
「可愛い顔しても誤魔化されないからな。
今日のお前凄く馬鹿だけどマジでどうしたの?」
「どうもしていない。私は私だ」
「その発言そのものがエヴァの異常性を示しているんだが…色々あって疲れてるんじゃないか?一回休むか?」
何か飲もうと冷蔵庫へ向かう。
背後からエヴァに話しかけられた。
「なぁ…もしもお前が一瞬で魔法が使え、この世界がどのようなモノなのか一瞬で確かめる方法があるとしたらどうする?試してみるか?」
随分と都合の良い方法があるようだが、この状況まで黙っていたところを見ると真っ当な方法ではなさそうだ。
「 そりゃ当然試すけど…因みに痛い系じゃないよな?」
「痛くない。むしろ気持ちいい…と思う」
「それならむしろ、って……」
それってどう意味なんだ?
と質問する前に、エヴァが耳を疑う発言をした。
「今からお前とキスをする」
「は?」
「チャチャゼロ、アイン、コイツを抑えろ!!」
「はぁ!?」
いつの間にか現れたアインさんに後ろから羽交い締めにされ、チャチャゼロによって首を固定される。二人とも体格からは想像出来ないレベルの力で締めているので身体が全く動かせない。むしろ全身の骨が軋むな音さえ聞こえる。
「ちょっと待て!ちょっと待て!!
なんでさっきの話からキスに繋がる!?
脈絡がなさ過ぎるぞ。少し落ち着け!!」
「大丈夫だ。私は初めてだ」
「知らねぇよそんな情報。人の話を聞け!!」
「いくぞ……」
「いくな!」
エヴァの顔面がゆっくりとだが、着実に此方に近付いて来た。
初キスの味は納豆だった。
プロットとか「何それおいしいの?」状態です。