今週にやらかしてしまったのです。
行きだけではなく、帰りの時の忘れ物にも用心しようという教訓を学びました。
何もかもがまっさらになった。冷たい空気も雨の感覚も、自分がインフルエンザで苦しいのも忘れ、全ての意識が傘を持って前に立つあの人にいった。
「あなたは駅での!」
あの人が、俺の顔を見るなり驚いた面持ちになっていく。駅での一件で、彼女とは面識があったっけな……というか、そんなにまじまじとして顔を近付けないでないでくれー!
インフルとは別の高熱が、頬を赤く染める。雨で少し乱れている髪が揺れて……最高だ。しかもオフィスカジュアルではなく私服!! 昇天してもいいかも。
ハッと我にかえる。彼女にインフルをうつすわけにはいかない。うつそうものなら俺は自分を呪う。近くに居てはまずい! 俺はすぐさま立ち上がった。体調が悪すぎてうまく立てないはずなんだが、火事場の馬鹿力かな。
「こ、こんばんは。大丈夫ですから!それではさようなら!」
ここは撤退だ。また逃げる、のか? うーん、状況が状況だ、次の機会にしよう。俺は去るべく走り出した……
つもりだった。走ろうとしたらふらついてすっ転んだ。歩くのがやっとなのに走れないのは当然である。どうしても体は正直だ。泥水を盛大に浴びた上に擦りむいて血も出てきた。
「お怪我はありませんか!」
「た、たいしたことはっ」
心配そうにあの人が駆け寄って来た。俺、カッコ悪すぎる。あの人の方がよっぽど王子様やんけ。
「立てますか?」
「面目ありま……」
おおおおおお!? て、手を! 手を差し伸べられている!! これは幻覚か? 頭がイカれて妄想に入り浸っているだけなのか? もしもそうでないなら、貴女の白く優しさに溢れた手を取っても――いいのですか?
「……ありがとうございます」
勝手に胸一杯な気持ちになって、手を取った。電車のハプニングとは違った、あの人に触れる瞬間。俺の手が貴女の手に二度も触れていいのか恐縮である。
「――っ! すごい熱……」
「げっ」
とか感銘していた矢先、墓穴を掘った。触れたら高熱だとバレるのを忘れていた。
打開するアイデアはない、出たところで実行できる体力もない。正直に体調不良と告げて直ちに離れ、せめてあの人にインフルをうつす確率を下げよう。
「少々体調を崩していて。病院に向かおうかと」
「そうですか。実は私も今から病院へ行くところで……あっ」
「どうしました?」
「て、手が」
「ん……? うおおっっごめんなさい!」
「い、いえ!」
うっかり手を取ったまま話していた。挙動不審から一段と挙動不審。いちいちドキドキしてたらもたないのに、ものすごく気まずくなったじゃねーか!
「ではっそろそろ行きますね!」
「待ってください!」
どうしようもないので行こうとすると彼女に呼び止められた。もうやだ。
手を取り続けたことで怒られるのだろうか……確かに人によってはセクハラ同然と思ってもおかしくはないが。いやだ恐い。あの人怒らせたら恐い。理由? なんとなくだけどさ。
「傘――傘を持っていないようですが、よければこの傘を使ってください。濡れてあなたの病が悪化してはいけませんから」
「……はい?」
なんですと。傘て、あなたが差しているそれしかありませんが? いやいやいやいや。優しすぎる、優しすぎるぞ!! 受け取れるわけがない。一目惚れした相手であり、そうでなくても貴女ほど心の美しい女性をみすみすびしょ濡れにするのは男としてできぬ。
「出過ぎた真似かもしれませんが……」
「傘を渡せばあなたが濡れてしまうでしょう、どうぞ俺に構わず、あなたは行くと言っていた病院へ行ってください」
「ですが!」
「雨に当たって悪化するのはあなたも同じです。どんな病気なのか、あるいは検査なのかは存じませんが、それは良くありません」
「うう……」
きつく論破したみたいで罪悪感が募るが、あの人が濡れるよりましだ。諦めてくれたかな。
「やっぱり駄目です!」
「なぜに!」
思ったより頑固だったぁー!?
俺と彼女のキリのない言い合いは暫く続いたのでした。
傘を渡し合いつっ返し合いするも決着はつかず、二人ともずぶ濡れになりましたとさ。で、最後はどうしたかといいますと。
えー……どっちも退かないから二人で傘を使おうということに落ち着いた。言い換えれば、相合傘。
なんでこうなったああああ!!!
……幸せ。
「「………」」
重い沈黙。手を取っていたさっきとは別格の気まずさだ。双方共に顔を赤くして、それぞれ反対の方向に俯いていた。
肩と肩が横へかすかに動くだけで触れ合いそうで、ずっとヒヤヒヤしている。その度赤くなった顔はもっと赤くなって、頭から湯気が出そうになる。あの人の香りが鼻孔をくすぐる。死ぬ、昂りすぎて確実に死ぬ。
うつさないようにするどころか大接近、もう遅いか。さらに驚くことには、あの人の行く予定の病院も西木野病院だったという事だ。
つまりここから10分ちょっと、ずっと一緒に相合傘をすることになるわけだ……嫌がられてないかな。滅茶心配だ。
あの人に彼氏がいたら、俺殺されるのでは?考えただけでこええ。よそう。
思考がぐちゃぐちゃなところで沈黙を破ったのは、あの人だった。
「きょ、今日はいい天気ですね!」
「ふえっ?!そそそ、そうですね」
「「…………」」
あの人もテンパっているらしい。俺が言えたことではないけど。んでもって、天気は圧倒的雨である。
再び沈黙が流れる。あの人が頑張って沈黙を破ってくれたんだ、俺も破る!
「「あの!」」
「「あ、お先にどうぞ…」」
「「…………」」
ダメだこりゃ。
結局間がもたないまま西木野病院に到着。俺は傘から離れ、あの人が傘を閉じた。名残惜しいのは内緒。
「本当にありがとうございました」
「いいえ、傘は1つしかありませんでしたから」
自動ドアを抜けたら受付を済ませてお別れ。すぐ訪れる未来。
なぜだろう、その未来が何も言わないうちに来るのが切なくなってきた。傘騒動の時はするすると言葉が出てきたのに今は出てこない。何も言わず終わってもいい。気楽ではある。
……違う。ハプニングや病気といったまぐれの産物のやりとりじゃなくて、俺の言葉で、
見ているだけで幸せと思っていた恋が変わりつつあって、どうしたいか答えはまだ出ない。けど、希に肩の力抜けと言われて考えた。そしてあの日に、決めたことがある。
『逃げない事』
恋に向き合って自分なりに答えを見つける。そのためにまず、いかなる事情でもあの人を見るなり逃げたりはしない。矛盾はしている。インフルを言い訳にして去ろうとしたのもそうだ。ぶっちゃけ完璧にはできやしない。
けど、ここで逃げたら変われない。そんな気がしたから。
「待ってください」
「はい……?」
自動ドアに近付くあの人を呼び止めた。あの人が俺を呼び止めたのと今度は逆。
「申し遅ましたが、戸宮計といいます。今更ながらですけどね!」
『自分で』“あの人”に放った第一声だった。言ったとき俺は、どんな表情だったのかな。
「……
「なんだか変な自己紹介になっちゃいましたね、ははは……。 それではまた、園田さん」
「ええ。戸宮さん」
(うみ?何処かで聞いたような)
(戸宮?何処かで聞いた気がします)
インフルで挫折しかけた金曜日。この日、戸宮計と園田海未は――知り合ったのであった。
~おまけ~
長かった、混んでて1時間くらいかかった。予想通りインフルだとよ。事の経緯を話したらどうして無理をした! ってしかられました。西木野先生、すみませんでした。
ふぅと一息ついて病院から出ると、外は未だに土砂降りの雨。
「うわぁ」
行きはよかったが、怠さと戦って雨の中帰らなければならないのを忘れてたわ。途方に暮れていると視線を感じた。
本日に何度起こったかわからない胸を締め付けるドキドキが発動した。1時間前クールに別れた分あっさり再会してしまってばつが悪い。
「傘、入りますか?」
恥ずかしそうにしながらも
「お願いします……」
こうして、相合傘で帰路を共にした。あとでわかったことだが、彼女もインフル患ってたそうな。といっても病み上がりでもう大丈夫なのか診てもらう段階だったらしいが。どこで病気をもらったか本人は不思議がっていたけど、園田さんが誰からもらったか、俺は知っている。
ちなみに、帰り道もぎこちなかったのは言うまでもない。
お話を綴っていてかなり大変でしたが、どうにか一区切りつけることができました。
13話もかかってようやく名前を知るとか(苦笑)
また次回も頑張ります。ごきげんよう。