何のための手袋だこんちくしょう。
踏んだり蹴ったりの1日に疲れ、直ちに帰るため電車のホームに降りたところ……一目惚れした女性に遭遇(彼女はまだ気付いていない)してしまった! 今日の朝、己のミスでセクハラっぽいことになってしまった上に焦ってストラップまで持ち去ったハプニングがあった今、合わせる顔などない。 ひとまず撤退すべし!
そう考えた俺は伊達眼鏡をかけ通りすがりのフリをしてやり過ごそうと策を労したのだが。そう、あっさり声を掛けられてしまったのである。戸宮計ただいま絶賛大ピンチ。
「そ、その」
「……はい?」
「朝の方、ですよね?」
アウトォォォォ! 終わった、顔を覚えられていた。変装なす術なしか、伊達眼鏡さんは涙目だよ。眼鏡から涙なんて出るわけないけどねー。
「ごめんなさい!!あれは、そのっ! 自分のドジでありましたが、ええと! ととっ、とっ、とにかく申し訳ありませんでした!!!」
なりふり構うわず全力で頭を下げた。ビンタをもらう、罵倒される――恐怖感と心配がでっち上げた想像が俺の中を駆け巡る。
「ああっ、頭を上げてください!」
「ごめんなさい!ごめんなさ……あっ」
制止に頭を上げ、息を飲んで彼女の言葉を待つ。嫌われたら、もうそれはそれ。
「朝の事は気にしていません。びっくりしましたが、電車の揺れのせいでもありましたし……」
「そう、ですか」
安心した。無論、許してもらえたことに安心もしたが彼女を傷付けていない事に安心した。
そして、冷静を回復すると同時にドキドキも復活してきた。鼓動急加速。顔が赤くなり、呂律が回らなくなる予感。できれば呂律くらいは回って欲しい。
「それともう一つお聞きしたいのですが」
「ひゃい」
「ストラップを探しているんです。大切なストラップなのですがあの後無くなってしまって」
ひゃいとか言ったから変に思われたじゃねーか、たぶん。って、ストラップ!? なんとここで機会が巡ってくるとは。今の流れなら自然に渡せそうだ!
「これですよね」
鞄を漁ってストラップを引っ張り出す。すると、パァとあの人の顔が明るくなった。万が一違ったらという懸念はあったが、このストラップでビンゴであろう。彼女の嬉しそうな顔に、くらくらしてしまう。
「はい! ありがとうございます!!」
「い、いや……持っていたっていうより俺が持って行ってしまったというか……とにかく、ご迷惑をおかけしました」
「いいんです。このストラップが無くならないだけで私は……。本当にありがとうございました!」
心からほっとしたような面持ちで彼女は礼を述べた。よほど大事なストラップなのだろう。恋人とのストラップかな? あんなにいい女性なんだ、恋人が居ても全然おかしくない。
まあいっか。ストラップは返せたし、会話するという貴重な体験もできた。良いことばっかりよ――あ、電車来た。
帰りもあの人と同じ車両であったが、話すことはなく。相も変わらず暴走する鼓動で胸がはち切れそうになるのをなんとか耐え続けているだけだった。
4、5分歩いて、自分の住むアパートに帰ってきた。駅から近いっていいよね。引っ越すことがあったら次も必ず駅近くの住まいにしよう。
遅刻寸前の時とは違い、ゆっくり階段を上がり自分の部屋の前に到達。プレートには『戸宮』と書いてある。戸宮家――むむっ、これもコミケと称すことができるな……どうでもいいか。
「ただいまー」
一人暮らし男の住み処に、何に対して言ったかわかったものじゃない帰宅宣言が響く。床に鞄を放って靴を雑に脱ぎ……靴は揃えておくか。そしたら寝室に入ってベットに早速ダイブ……する前にシャワーな。シャワーを浴びてからベットにダイブするタイプなんでね。ん? 洒落じゃないぜ。
シャワーからあがって、飯を食して歯を磨き、満を持して今度ダイブ!! ファー、気持ちいい。今日の疲れがフカフカに溶け込んでいく……。
ベットの気持ち良さにうとうとしながら、今日あったことを思い返す。自分にしては本当に濃い1日だった。ずっと見てただけの人と話すことになるなんて思わなかった。
目を瞑る。充実した疲れってやつだろうか、今日は早く寝付けそうだ。
~☆~☆~☆~
金曜日は気合いが入る、なぜならば次の日休みだから。水とスイーツの入った袋を引っ提げ、活気を迸らせる俺は改札を抜ける。
ホームにあの人が立っているのが目に留まった。彼女の立ち位置からすると今日はお互いに違う車両に乗ることになりそうだ。へたれの俺は接近しただけでアガってしまうのでありがたい。
毎度電車を待っているポジションに立った。待つ間に時々、あの人を見ては見惚れる。
変わりないあの人との距離。ハプニングがあったからといって、そんなものである。けれど十分なのさ。この距離感が好きで、大切。これ以上は望まぬ。
……げっ、目が合ってしまった。俺は即座に目を逸らした。今は駄目だな。間を置いてから視線を戻してやろう――ぬ!? まだこちらを見ている!
今更俺は逸らす気になれず、彼女に視線を向け続けた。赤くならないように堪えながら。
彼女はたまーに目を泳がせては、おずおずとまた視線を向けてくる。あのですね……恋い焦がれる俺にはその愛くるしさは凶器でしかございませんよ。
電車が来るまで、このよくわからない見つめ合いは続いた。
厳しき寒さが肌へ染み込む1月末。冬はまだまだ長い。
――――小さいがひとつ、何かが変わっていた。
後書きっていいですよね。書き終わった後に思っている事を自由に表せる場とでもいいましょうか。私的に後書きスペースは大好きです。もちろん前書きも好きですが。ではまた次回!