俺が彼女と出会ったのは確か小学三年生の頃だった。両親を早いうちに亡くし孤児院に預けられた直だったがその孤児院は経営が成り立たずに潰れてしまい日向の家に預けられたのだ。
物心付いた場所が無くなったというのは幼いながらもショッキングなことだったという記憶がある。
それでも幼い子供であり、特別な取り得もない直やその友人にはどうしようもないことだった。
だから孤児院の消滅は特にドラマがあるわけでもなく、ある意味普通に潰れて、当時の何人かの友人たちはそれぞれが全国各地へと引き取られていった。
自分の場合、それが日向の家であり――日向家は西住家の分家でもある家だった。
西住家――それは戦車道に於いて最も由緒ある家本の家系だ。
戦車道。
乙女の嗜みとして古くから存在する武道であり、現在でもスポーツとして観戦されることの多いものだ。最も近年では若干の選手減少の傾向はあるがそれでも数年後にプロリーグや世界大会を控えていて、学園艦ではメジャーなスポーツの一つであろう。
西住家はそんな戦車道の家元であり、全国的に見ても有名であるらしかった。
最もそんな家の分家に引き取られたからといって戦車道をやるわけでもない。家元の分家であるからこそそのあたりは厳しく、戦車そのものにも触れた経験はほとんどない。日向の家では一人息子を早くに亡くしてしまったらしく、曰くその子に俺が似ていたからという理由で引き取られたという。
そもそも男は戦車には乗らず、その身一つであるべきである。
ただ、戦車道にはあまり関わることはなくても、年が近いという理由から――西住姉妹とは引き取られた直後から遊ぶことは多かった。
所謂幼馴染みというやつだ。
西住の本宅はかなり広く、おまけにその周囲は田んぼだらけ。日向の家はそこから十分程度離れているが近所の家はそれくらい。他の分家に同じ年頃の子供もいなかったから遊ぶことが多くなったのは必然であっただろう。
勿論、引き取られた分家の息子というのはあまりいい立場ではなかったらしいが子供同士そんなことは互いに気にならなかった。戦車道の稽古には関わることはなかったが、それでも空いた時間には一緒に遊んでいた。基本的に自然の多い場所だったので戦車に乗って池に釣りをしたり、戦車で山に虫取りに行ったり、姉妹が戦車に乗って俺とかけっこしたり――当然負けた――。思い出すと首を傾げるというか、さすが家元というかやたら戦車が視界に入った子供時代だった。
そうして時は流れて。
どうしようもなく日向直は西住みほを傷つけた。
●
『ダー様の格言に、は? どういう意味ですか? 解りやすく説明してくださいって真顔で聞くと紅茶が震えだしてすげぇ面白い』
「性根がねじ曲がってるな」
電話越しから聞こえてくる鬼畜に息を吐きつつノンアルコールビールを喉に流し込む。黒森峰の特産品であるそれは生徒にも大人気であり、基本的に誰もが最低でも一日缶一本は開けるほど。偶に生徒同士でパーティとかやると瓶が大量に消費されることになるわけだ。基本的に実直というか何事も徹底している生徒が多い黒森峰であるが、その分一度弾けるととことん弾ける。
具体的にいうとビールで溺れる者が出るくらい。掛け合いはわりかし基本ですらある。
電柱もなく真っ暗な田んぼ道を歩き、しかし慣れているから足取りに迷いはなく、
『だってダー様ドヤ顔凄いもん。馬鹿にしたくなっちゃうもん。虐めて涙目にしたい……!』
歪んだ愛を
孤児院解散に付き、俺は日向の家に引き取られたが他の子は全国各地の他の残っている孤児院とかに引き取られたりして、現在では学園艦で寮生活だ。
雄志の場合、神奈川を拠点にした聖グロリアーナ学院。数年前までは女子高らしかったが、近年少子化により全体的に別学の学園艦は少しづつ少なくなっていく。大体それぞれの異性が十から二十パーセントくらい在籍しているらしい。
『まー、聖グロは女子会派閥っていうの? そういうの強くて男子にはハブりあるっていうか女子同士は連携強いてか若干男には当たり強くてね? いやそもそも英国紳士への憧れっていうかハードル高い上にやっぱお嬢様多いっていうか男子耐性ないっていうか基本的にすげぇ生活しづらくてさ――鬱憤をダー様にぶつけるんだよ……!』
「泣いてるぞダー様」
『涙目可愛いんだよ!』
「うるせぇ」
孤児院にいた頃は特に気付かなかったがこの幼馴染、性根が腐り始めている。
他にもコミュ力特化のパーリーマンとかスーパーパスタ職人とかドMロリコンとか絶対吶喊するマンとかこのご時世にケータイすら持たない風来坊とか。どいつもこいつもたまに連絡を取ると色んな意味でエクストリーム入ってるから同期としては頭を抱えたくなる。
「ていうかやっぱ戦車道か」
『そりゃまぁな。やっぱ入った学園艦が戦車道の名門だとどうしても目に入っちゃうよな。興味ないような顔とかしてると白い目で見られるっていうか、処世術? いや戦車よりダー様虐めたい』
「それしか言えんのか」
『尤も
「……」
先生というのは学校の先生というわけではなく、俺たちが口にする場合その単語は孤児院の院長先生ということになる。高校二年なった今ではもう長いこと会っていないがそれでも俺たちにとっては心に残っている人だ。
というのも、
「男なのに戦車道ファンっていう変わり者だったな」
『あぁ――戦車道はいいぞ、が口癖だったな』
当時からかなり小さく、ボロボロの孤児院だったが先生は所謂いい人だった。しかし妙に戦車道が好きでVHSとかで幼い俺たちに見せていた。俺はそこまで気にいることはなかったが、雄志や他の仲間たちはそれなりに嵌っていたようだった。そんな俺が西住流の分家に引き取られるのは変な話だ。
『懐かしいなぁ……今思うと変な人だったよなぁ。強烈っていうか……異常なまでの戦車好きでさぁ。そりゃあ孤児院に戦車はおけないからってプラモデルとか作りまくって、壊したら血涙流して怒り狂ってたよな。各学校の戦車長のブロマイド集めてて正直きめぇと思ったけど。破った時は血涙超えて全身からいろんな汁出してたわけだが』
「積極的にやってた奴がよく言う。俺は止めたがお前らは常時はしゃぎ過ぎなんだ。そういうのはちゃんと区切りを付けろと、昔からだな」
『ははは、黒森峰流ってか? お前は上手く馴染んでるよな。俺も聖グロ超馴染んでるけどさ。いやぁドヤ顔歪めたい。つまりダー様虐めたい』
「もう口癖だなそれ」
『でもローズヒップがうるさい、普通にうるさい。ダー様と仲良くなったのは俺が先なのぅおおおおおおおおおおおおおおおお!?!?』
『水野ォ! ダージリン様のおっ紅茶に唐辛子ソース入れたの貴様ですわねぇ!? 顔真っ赤にしてぷるっぷる震えてるじゃなありませんの!』
『何それみたい』
『水野ォ!』
電話越しに甲高い女の声と雄志が怒鳴り合う声が響き、数分待っていれば、
『ふぅ……待たせたな直』
『きぃーーーっ! 婦女子を椅子にするとは何事ですのぉー!?』
「……何してるんだお前は」
『ふっ……婦女子の園の飛び込むワイルドマンだぜ』
『生徒からジャバウォックとか呼ばれる化物ですわぎゃふん!』
「……電話切ろうか?」
『いいや、まだいい。ダー様のことだ。例え唐辛子入りでも紅茶は時間掛けてでも全部飲むだろうし、丁度飲みきってカップを置いた直後に次は――ハバネロソース入りの紅茶を注ぐんだ……! おい、跳ねるな匹夫』
『匹夫!? 漢字がおかしいですわよ!? 私はローズヒップですわ!』
『じゃあケツ』
『ローズヒップのヒップは臀部ではなく薔薇の果実という意味ですわーーー!』
「……切るか」
『まぁまぁまぁまぁ待て待て待て兄弟! いや本題は別にあってだな』
「あぁ?」
『実はちょっと前に聖グロが戦車道で模擬戦してな。そのことを、ちょっとお前に言っておかないといかんかなぁと思ってな』
「……? 聖グロの模擬戦? お前も知ってるだろうが俺は戦車道との接点少ないし、簡単なルールしか知らないぞ? 今年の大会の黒森峰の情報とかもないしな」
『いや、そうじゃねぇ。そういうことじゃなくてだな』
そこで微かに雄志が言いよどむ。言いたいことを言いたいだけ言うこの男には珍しい様子で、不思議に思えば、
『――西住さん、戦車道やってたぜ』
「――」
『今年から大洗で戦車道復活したらしくてな、西住さんはその戦車長やってたぜ。驚いたな、最初はなんか謎のカラーリングしてる戦車五台引き連れて、最初は勝負一瞬で着くと思ったらすげぇ奮闘してた。ラスト三台からダー様追い詰めて、おまけにあれに紅茶落とさせてた。久々に素で驚いたわ』
「――」
『ダー様も認めてたぜ。紅茶セット送るくらいにな』
聖グロから送られる紅茶セット――戦車長がライバルと認めた相手だけに送る伝統。黒森峰にもあるそれは全国トップクラスの学校にしかないもの。それを持つというのは、日本戦車道において一種のステータスに成りうるものだ。
『……おーい、大丈夫か直?』
「…………あぁ、教えてくれてありがとうな」
『ん、おう。またなんかあったら連絡するわ』
通話が切れる。
携帯を制服の胸ポケットにしまい、ノンアルコールビールを一息に仰ぐ。が、中にはほとんどのこっていなかった。気づかないうちに飲みきってしまっていたらしい。
そんなことにも気づかず、そしてそれでも尚喉は乾いていて、手が震えている。
「…………」
少しだけ迷って――電話帳から別の番号を検索し、発信する。
数コール後に、
『私だ』
「ども、直っす」
『あぁ……珍しいな、どうかしたのか?』
「いえ、ちょっと話があって――まほさん」
『…………』
少し、向こうが警戒したように口を閉じた。
変な勘違いをさせたかと冷や汗を流しつつ、
「あ、いや、俺の話じゃなくて…………みほのことなんですけど」
『――みほ?』
喰いつきは早い。
基本的に鉄仮面で、冷たい印象を受けがちだがあれで意外と妹思いというかシスコン気味な人だ。そのことに内心苦笑しつつ、しかし口にする内容が内容だけに思わず空を仰いで、
「……みほが、大洗で戦車道続けてるらしいです」
『――――』
向こう、まほさんが停止したのが解った。
幼馴染だから、そういうのはすぐ解る。
というか俺だって、さっき雄志から聞いて絶句していたわけだし。
『…………そうか』
「はい」
『……すまん、切るぞ』
「ぁ――」
『……まだなにかあるか?』
「…………いえ、なんでも、ないです。また、明日学校で」
『あぁ、ではな』
電話が切れる。
「…………あー……」
夜空を仰ぐ。周りが田んぼだらけで電柱もないということはそれだけ星が綺麗だということだ。実際、空には満点の星空が広がっていて――泣きそうになるほどに美しい。
「……我ながら未練がましい」
まほさんが切るといって、特に用事もないけどまだ声を聞きたいと思ってしまった。
そんなの、迷惑でしかないのに。
「……もう、二年か」
二年前――日向直は西住まほに告白して振られて。
そして――西住みほを傷つけた。
その彼女は数か月前に黒森峰から大洗へと転校しそれで終わったと思っていたけれど。
――――まだ、西住みほの戦車道は続いている。