「―――それで、どうなったんですか?」
幻想郷。ここはそう呼ばれる隠れ里の、その人里は更に傍らにあるお寺。
隣に座って無邪気に尋ねてきた幼い山彦に、この真新しい寺の主―――聖白蓮は、縁側に座りながら微笑んだ。
「―――さて、どうなったでしょう」
「えー、そこで切るんですかー?」
最近入門してきたこの小さな山彦妖怪は、不満げにその頬を膨らませた。
白蓮は空を仰ぎ見る。穏やかな春の太陽を頂いて、幾つもの白雲を浮かべた空は、どこまでも遠く広がっていた。
あの日も、こんな暖かな春の日でしたね、なんて、取り留めもなく考える。
「じゃあ、その『彼』ってどうなったんですか?」
「彼、ですか……」
彼。
只の人間で、遠い彼岸から落ちてきて、そして家族の一員となった、彼。
「またね、って挨拶したんでしょ?それから、また会えたんですか?」
「いいえ、残念ながら」
「でも、只の人間がそんなに長く生きられるはずもないし、やっぱり難しいんじゃないかしら」
「そんなことないよ!聖様はちゃんと約束したんだから、ちゃんと会えるよ!」
反対側に座っていた天邪鬼な鵺の言葉に憤慨する少女を宥めながら、白蓮は再び微笑んだ。
彼とは、たった一年の付き合いだったけれど。あの陰陽師によって法界に封印されてからも、ずっと忘れたことはなかった。
あの陰陽師に、悪いようにはされなかっただろうか。最期に陰陽師が言っていたように、無事に元の世に還れたのだろうか。もし還れなかったとしたら、陰陽師や里の人間たちに、悪いようにされていないだろうか。
永い永い封印の間。他の愛弟子たちのことと共に、そんなことばかりを心配していた。
つい先日、村紗や星たちの尽力あって、遂にこの世に復活した時には、陰陽師が予言した通り、あの日から既に千年もの年月が経っていた。
あの頃の自分の理想とは、また違った形で。それでもここでは、ちゃんと人間と妖怪とが、いっしょに生きている。
「それは聖なりのお別れの挨拶でしょう。あんた、もう少し現実ってもんを見なさいよ」
「なにをー、こいつー!」
二人が大声で騒ぎ立てると、それを聞きつけたのか、他の弟子達もぞろぞろと出てくる。
「なんだ、なんだ、どうしたんだ」
「ほら、二人とも。お寺でそんな風に大きな声で騒いではいけませんよ」
「こら、響子。お寺では殺生禁止だって、あなた自分で言ってたじゃない」
「うるせー、ばかやろー!」
「なんだとこいつ!」
「何やってるんですか!聖も笑ってないで、こいつらを止めて下さい!」
やんややんやと騒ぐ愛娘たちの姿を見て、白蓮は思わず笑ってしまっていた。
「ああ、もう。おいぬえ、何が原因で喧嘩を始めたんだ」
ナズーリンがそう問いかけると、ぬえは唇を尖らせて、
「昔お寺に居たって言う、人間の話でこんな風になったのよ。普通に考えて、もう会えないに決まってるでしょう?」
その言葉に、彼のことを知る弟子たちは、皆静かになってしまった。
喧嘩していた二人の妖怪も、彼女たちの様子に驚いたのか、自然とその声は小さくなっていった。
「……えっと。とりあえず、ごめんなさい」
「あ、いや、こちらこそ?」
二人の妖怪が、仲直りをする姿を見て。白蓮はまた、優しく微笑んだ。
「……聖」
声の方に顔を向ければ。そこにはどことなく沈んだ顔をした、弟子たちの姿。
「ええ、わかっています。星、ナズーリン、貴女達は、彼が無事還ったのを確認したのでしょう?」
「はい。私たちが意識を取り戻した時には、既に彼は何処にも居りませんでした」
「あの陰陽師の言葉を信じるなら、だけどね」
そんなナズーリンの言葉を他の弟子たちが咎めていても、白蓮自身は彼がちゃんと還れたことを確信していた。
あの日、皆を封印した陰陽師。彼の卓越した力については、白蓮は文字通り身を以て理解したし。彼との最後のやり取りで、不思議と信頼できる人間だとわかっていた。
問題は、彼がどれくらい先の人間だったのか、ということだけれど。
「彼が最初に纏っていた服装。それと同じような衣を着た迷い人を、貴女方は幻想郷で見たのでしょう?」
「……はい」
「なら、彼もこの時代に生きているはず。そのうちひょっこりと、ここに顔を出すかも知れませんよ」
そう告げて、白蓮はにっこりと微笑んだ。
そんな白蓮に、村紗は意を決したように、固い表情で。
「……聖。本当に私たちは、また彼と会えるでしょうか」
「ええ、勿論です」
「どうしてですか、聖様。彼は只の普通の人間で……しかもここは、外界と結界で隔てられた、幻想郷の中だというのに」
一輪のどこか悲痛な声を受けても、白蓮はその微笑みを崩さず。
「どうしてでしょうかね。私も、ちゃんとした理由がある訳ではありません。
でも、感じるのです。私たちと彼は、また何処かで縁が繋がるのだと」
そういえば、山の緑巫女たちが、外で知り合った旧縁の人間を幻想入りさせようと息巻いていましたね。あの神々の知り合いなんていう人間こそ、もしかしたら彼なのかも知れません、なんて。
そう言って笑う白蓮に、弟子たちも何も言えなくなったようだった。
「……聖、そろそろ」
「ああ、いけません。少し長話が過ぎたようですね」
そろそろ、午後のお休みも終わり。また人里へ布教活動に赴こうか、なんて考えていたところで、
――――――ふっと。懐かしい、とても懐かしい気配を感じたような、そんな気がした。
弟子たちの方にも目を向ければ。彼女たちもそれを感じ取ったのか、一様に目を大きく見開いて。
「ご主人様!直ぐにロッドを取ってくる!」
「雲山!直ぐに山の方に向かうわよ!」
「聖輦船も、いつでも出せます!」
弟子たちの急変に、新参の二人は目をぱちくりして。
そんな皆の姿に、白蓮はまた笑った。
結局。命蓮寺をまた変形させるのは、人里にも余計な騒ぎを起こしてしまうかもしれないという白蓮の言葉に従って、一同は揃って空を飛んでいた。
先頭のナズーリンが向かう先は……山の上の、蛇と蛙の神が住まう神社。
神社の上空まで着くと。地上では、蛇と蛙の神に現人神を加えた三柱と一緒に、スキマ妖怪が言い争っているのが見えた。
「……人間を故意に幻想入りさせるなんて、何を考えているの?」
「うるさい、あいつは私たちの知り合いなんだ!」
「そうだよ!本人も嫌とは言ってないんだし、別にいいじゃないか!」
「そうですそうです!」
ぎゃーぎゃーと騒ぐ三柱の神々にスキマ妖怪も手を焼いたのか、
「……とりあえず、件の彼はどこにいるの」
「今はうちの社務所で目を回して転がってるよ!」
「ちょ、ちょっと強引だったかもしれませんね……」
「大丈夫だ早苗!あいつはそんなこと気にするタマじゃない!」
「それじゃ合意じゃないじゃない!」
更に騒がしくなる四人を天から見下ろしながら、傍らに浮かぶ一輪の瞳がぎらりと光って。
「雲山。ぶち抜くわよ」
呆気にとられる他の弟子たちを他所に。見越し入道を廃業した只の時代親父とハイカラ少女は、うなりを上げながらその大拳骨を降り下ろした。
ずがん、という轟音が山々に木霊して。
「あ"ー!!うちの社務所がー!!」
三柱の絶叫に、心の中で詫び文句を唱えつつ、白蓮たちは社務所の中に降り立った。
天井からお日様の光が射し込む、畳敷きの社務所の一室。そこには、ぐるぐると目を回した、懐かしい彼の姿があって。
思わず皆が押し黙っていると、ほんの少し大人っぽくなった彼は、はっと意識を覚醒させた。
慌てふためいて辺りを確認する彼と、白蓮はぱっちり目が合って。
一瞬、信じられないものを見たように、その後泣き出しそうに顔を綻ばせた彼に、白蓮はにっこりと笑いかけた。
「ただいまです、皆さん」
「おかえりなさい」
あの日も丁度今日と同じ、良く晴れた春の日だった。
END.