「本日は晴天なり、波穏やかにして航海日和……といったところか」
小さな輸送船の少ない居住スペースの中で一人呟いて、男は体をうんと伸ばした。
深海棲艦……突如として現れた謎の生物群(本当に生物に区分されるべきものかはともかくとして)によって制海権、そして制空権を奪われた世界において船旅というものは非常に危険を伴うものとなっていた。
仕事だから仕方なく……少なくとも航空機で運ばれて空の上で撃墜されるよりはマシといった気持ちでここにいるが、出来ることならば今すぐにでも本土へ取って返して辞表なりを提出し、海から離れた山間部で農業でもして暮らしたいと思ってしまう。
今から自分がいくところはラバウル……鎮守府本部のある本土から遠く離れた南国であり、深海棲艦から人類が取り戻したばかりの数少ない拠点なのだから。
「どうせなら、台風でもきて移動できない、なんてなれば良かったんだがなぁ……」
「さっきから何時までも愚痴を言ってるんじゃないわよ」
ハイティーンのはつらつとした若さが感じられる声が男をぴしゃりとたしなめた。姿は見えないがおそらく海の上で『だらしない』とでも思っているのだろう。
声の主の仏頂面を脳裏に浮かべながら、気だるげに特殊な無線を開いた。
「駆逐艦娘・叢雲」
「なによ、文句でもあるっていうの?」
小馬鹿にしたような口調。気の強そうな赤に近い橙の瞳に灰色がかった長髪。白いセーラー服(装甲)に身を包んだかつての軍艦の御霊はどうやら自分を認めてはいないらしい。
当然か。自分は軍人というよりは裏方の雑用といったほうが似合っている。
男は自分をそう定義している。
誰かの上に立ち、責任を背負い、指示を出す。
そういう器ではないと常々思っている。
それが何の因果か新しく作られる最前線の鎮守府へ……それも提督として着任することになったのはどういう訳なのか。自分をラバウルの提督にと大本営に推薦したらしい呉の鎮守府提督は脳味噌が潮風にやられてしまっていたに違いない。
提督……そう、近代兵器のことごとくが通用しない深海棲艦に対抗するためにこの世に召喚されたかつての大日本帝国海軍の軍艦の魂だとか付喪神だとか詳しいことは秘匿されているものの神祇省その他諸々の尽力によって生み出されたとされる彼女たち――艦娘を率いる存在。
なんとも雲の上の話だ。
ため息が漏れる。女々しいわね、と呆れた声がまた届いた。
「文句はない。護衛任務を続けてくれ」
君の実力を頼りにしている。
そう、その言葉に決して嘘はない。
艦娘を信用せずに船旅ができるほど自分の肝は太くはない。
我ながら情けない。
艦娘という存在が皆見目麗しい女性の姿をしていることも男の感じる情けなさを助長していた。
「……頼られるのは悪くないわね」
無線越しに聞こえる声に、僅かにプラスの感情が入ったことに男は気づかない。
気づかないまま輸送船はラバウルへと到着しようとしていた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「まったく、あんな情けないのの秘書艦になるなんてね」
海の上で器用に二本の足でバランスを取り、滑るように走るという奇跡。
船の魂であるからこそ可能な非常識を常識とする艦娘、その中でも一番小型で、一番快速で、最も多いとされる駆逐艦娘の叢雲は自分がいま護衛している輸送船の中にいる一人の男を思う。
ラバウルという最前線で提督に着任する予定の、新米少佐である彼。
体格はどちらかといえば華奢で、線も細い。飾り気のない眼鏡も相まってとても戦場で生き残れるタイプには見えなかった。
普段の出撃でいちいち提督が出撃するようなことはないだろうが、それにしたって鎮守府を直接攻撃でもされたときに逃げることも出来ずにあっさりと死んでしまいそうな印象を受けた。
「頼りにしている、か」
そんな頼りない印象しかない輩に自分の命運を預けることになるのかと、少しはしっかりしてほしいと思って声をかけた時の最後の言葉。
「仕方ない。頼られてあげるからせいぜいしっかり成長して頂戴」
艦娘は軍艦からくみ出され、練磨された高次の魂なのだという。だからか、言葉に込められた想いや嘘といったものにも敏感だ。
故に、その言葉に込められた信用も違うことなく受け取った。
せいぜい頼られてやろう。今は弱弱しい雛鳥だというのならば、時とともに雄々しい鷹にもなるかもしれない。
情けない提督から、軍艦の魂に寄せられた純粋な畏敬の念は悪くないと思えたから。
「ん?」
遠く島が見え始め、さてそろそろこの護衛任務も終わりが近いなと双眼鏡越しに確かめた叢雲の目はその進路上にうごめく影を確認した。同時に背中にぞわぞわとしたものを感じる。
艦娘が感じる本能が、あれは敵だと頭の中一杯に警鐘を鳴らしてくらくらと酔いそうになる。
「提督」
無線を力強く握りしめて、固くなった声で告げる。
「敵よ、指示を頂戴」